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2014年6月

韓国軍元慰安婦訴訟起きる

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元韓国人から政府に対して集団訴訟が起きています。

日本政府に?いえ、韓国政府に対してです。

まぁ、出るべくして出てきたという感じです。人を呪わば、穴ふたつとはよく言ったもんです。パク・クネさんには、特大の自分用の穴が待っていたようです。 

パク・クネ政権が極端な反日に走り、従軍慰安婦問題をジャパン・ディスカウントの主要攻撃対象にした時から、いつかこの問題は出るだろうと私は思っていました。 

今回、韓国人元慰安婦122名が韓国政府に提訴したのですが、朝鮮戦争時とまだ年代が若く、資料も大量に残っているため韓国政府は言い逃れが効かないところです。

いわば生き証人が名乗り出たと言っていいでしょう。

Img13286_14070103beigun                       (JNN 6月25日)

また、日本のそれと違って、軍による直接管理、韓国流にいえば「強制性」が明らかになったわけで、韓国のわが国に対する道義的批判はすべてそのまま自分が頭から被ることになったわけです。

では、簡単に韓国の「従軍慰安婦」制度をみてみましょう。 

「従軍慰安婦」は後の造語で、ただ「慰安婦」(comfort woman)とだけ呼ばれていた戦時公娼、あるいは兵隊向け売春婦のことです。 

公娼制度については意見がわかれるところですが、当時は兵隊の一般婦女子への暴行事件を減らし、性病の蔓延を防ぐという意味を持っていました。 

この管理を軍自らがしたのか、それとも民間人に委託したのかは国情によって分かれます。 

わが国は民間人経営の公娼制度を持っていましたから、民間委託の形を兵隊向けにも踏襲したようです。 

一方韓国は、日本統治時代にあった軍駐屯地の周辺の管理売春区域をそのまま韓国政府が引き継ぎ、米軍に提供した関係で、軍が直接管理しています。

これは性病の兵隊への感染を嫌う駐韓米軍の希望もあったようです。 

1950年に朝鮮戦争が始まると、米軍の約50万人を先頭に大量の兵隊が参戦したために、韓国軍はを募集し、韓国政府も韓国軍と米軍向けに「特殊隊」を作りました。(韓国陸軍「後方戦史」による) 

旧日本軍のが民営であったのに対し、韓国軍のは軍直営というだけでなく、「特殊慰安隊」として正規の軍組織に組み込まれていた点が大きく異なります。(韓国慶南大学教授・金貴玉氏による) 

どうも韓国側は、自分の国の国家・軍管理の慰安所という形態を、河野談話交渉でもそのまま日本にあてはめていたようです。

軍が組織的に関与したために、慰安所の設置は広域に渡っていて、「第5種補給品」として真偽は不明ですが、ドラム缶に入れてトラックで「補給」したそうです。(金喜牛氏証言による) 

総数は不明ですが韓国内での調査では、以下の数字が上がっています。

「1962年の韓国ではアメリカ兵相手のとして2万名以上が登録されていた。韓国政府推算では1万6000名」(Wikipedia)

また、朝鮮戦争後も、韓国軍制度は一部が解体されましたが、米軍向けに残存し、ベトナム戦争時にはベトナムにまで渡っています。

韓国のの待遇は現金収入を得たものの、人権を侵されることも多かったようです。

「米軍が1944年にビルマ(現ミャンマー)で朝鮮人20人に尋問した調書でも明らかなように、旧日本軍のは民間業者に雇用され、客を断る権利を与えられ、外出や買い物などの自由を与えられていた。これに対し、韓国の元米軍は『韓国政府の厳しい管理下に置かれた』と主張している。一体、どちらが『性奴隷』といえるのか」
(産経新聞6月26日)

「韓国でのたちの写真や個人情報などはアメリカ軍も管理しており、韓国におけるアメリカ軍相手のは性病の疑いをもたれると韓国警察によりモンキーハウスと呼ばれる窓に柵のされた施設に、ジープやトラックにのせられ、留置され強制的に薬を完治するまで飲まされることとなっていた。また、性病に罹患した女性達は治るまでの間は強制的に拘置所に隔離されていたと在韓米軍の性病報告に記録されている。また、病気ではないと証明された場合には犬のようにタグを付けることを強制された。
韓国におけるアメリカ軍相手の達は容易に行為の相手から見分けがつき易いように番号札をつけることを強制されていた。 また、韓国政府は女性達に韓国を助けるために来た兵士達が満足するように清潔にしなさいと指導した」(Wikipedia)

これらのは、政府から禁止されるどころか「外貨稼ぎの主軸」として「ドルを稼ぐ愛国者」と奨励すらされていました。

実際、韓国人が稼ぎだす米兵相手のドルは、1960年代当時の韓国GDPの25%を占めているとする説があります。

当時まともな輸出品がなかった韓国経済を反映しているわけですが、それにしてもGDP25%とは、もう立派な「立国」です。

1960年代の韓国ではアメリカ軍相手の売春が国家を挙げて奨励され、国民総生産の25%を占めていた1962年の韓国の相場では、ショートタイムで2ドル、ロングタイムで5ドルであった。固定的な性的関係を持つことによって月給をもらう女性もいた。
1970年代になると、外貨稼ぎの主軸とみなされるようになり、・洋公主たちは「ドルを稼ぐ愛国者」、「真の愛国者」、「ドルを稼ぐ妖精」「民間外交官」と韓国政府から称賛された。
1961年、朴正煕政権は観光事業振興法を制定し、免税ビールを許可された特殊観光施設業者を指定し、赤線地帯を設立していった。1962年6月には保健社会部、法務部、内務部合同で韓国国内の104カ所の淪落地域を設置、龍山駅、永登浦駅、ソウル駅、梨泰院、東豆川、議政府などもそこに含まれた」(Wikipediaによる)

そして2013年11月に、韓国国会においてパク・クネ大統領は父親であるパク・チョンヒ大統領が1977年4月に「基地村浄化対策」をしたことを、野党に追及されました。(欄外参照)

「基地村浄化対策」というのは、の実に66%までが性病に罹患していたために、パク・チョンヒ政権がした米軍相手の地帯における管理政策のことです。

「の性病罹患が問題視されてから行政による実態調査が行われ、19599月の韓国保健社会省の性病保菌実態の報告では、接待婦の15.6%、私娼の11.7%、の4.5%、ダンサーの4.4%が罹患していた。1959年10月には、の66%が性病保菌であることが検査でわかった。
朴正煕政権は性病を規制をする目的として、を自治会に所属させ、身元などを正確に把握させた上で相互監視を行わせる教育と管理システムを運営し、自治会長は韓国警察や韓国公務員によって選定された。
1961年1月27日、東光劇場で伊淡支所主催の向け教養講習会が開かれ、800余名の、駐屯米軍第7師団憲兵部司令官、民事処長など米韓関係者が出席、の性病管理について交流を行った。
1961年、ソウル市社会局が「国連軍相手性病管理士業界計画」を立案、9月13日には「UN軍相対」(国連軍用)の登録がソウル市警で開始された」(Wikipediaによる)

このような米軍相手の慰安婦は、韓国では売春が禁じられているにも関わらず、1990年代までは30万人近く存在していたとする説もあります。(崔吉城による)

米国は問題で日本を戦時中とはいえ許すべからざる人権侵害と非難していますが、その米国も朝鮮戦争後の平時にを要求して、韓国軍が直接管理運営している「基地村」を大いに利用していたわけです。

この問題で米国を引き出すことは賢明ではありませんが、米国もしっかりと「人権侵害」をしていた事実を私たちは知っておいたほうがいいでしょう。

現在においてすら、韓国人女性は減りましたが、フィリピン女性を中心として多数存在し、フィリピン政府との間で問題になっています。

それにしても韓国政府は河野談話交渉時に、自国内で2万もの米兵相手の・「ヤンコンジュ」(洋公主)を抱えていたわけで、どういう神経でわが国を批判できたのか理解に苦しみます。

あるいは、韓国のように、軍が直接管理していた現状が戦前・戦中の日本においてもあったに違いないという勝手な思い込みでもあったのでしょうか。

また、「国軍挺身隊」という表記もあり、わが国の「勤労挺身隊」と混同する素地があったことは推測できます。

なお韓国マスコミは、例によって自国の所業には無知で、「「人の心を持った国なら、自国民を国営売春婦にするという発想はしない」(朝鮮日報2013年7月12日)と書いています。

これについて、韓国国内では徐々に批判が起きているようです。

「韓国野党・民主党のユ・スンヒ議員は6日に行われた女性家族省の国政監査で、朴正煕時代に国が米軍兵を相手に売春する女性らを直接管理し、女性らを“慰安婦”と呼んでいたことを示す資料を公開した。複数の韓国メディアが報じた。
国政監査でユ議員は、「米軍という言葉を聞いたことがあるか」と発言。「国が(米軍を)組織的に主導した証拠がある」と述べ、国家記録院から提出を受けた資料「基地村浄化対策」を発表した。同資料は1977年4月に作成されたもので、表紙に朴正煕大統領の直筆サインがある」(サーチナ13年11月11日欄外参照)

この韓国人訴訟をもって、いわゆる「従軍慰安婦」問題の道義的な根拠は完全に崩壊したとみていいのではないでしょうか。

「従軍慰安婦問題」なるものは、本来、日韓両国の外交問題にすべきではなかったにもかかわらず、自国の「性奴隷」問題の罪を他国に擦り付けようとした韓国の国内問題だということが、改めてはっきりした事件でした。

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朴正煕元大統領時代の「闇」で窮地の朴政権 元「米軍慰安婦」が国家賠償訴訟
産経6月26日 

韓国が「慰安婦問題」で自爆必至となった。朝鮮戦争の休戦後、在韓米軍基地近くの売春街(基地村)で米兵ら相手の売春をしていた韓国人女性ら122人が、「韓国政府の厳しい管理下に置かれ、人権を侵害された」として国家賠償訴訟を起こしたのだ。朴槿恵(パク・クネ)大統領は、問題で日本を激しく批判してきたが、何と、父親の朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領が、米軍を管理していたとの指摘もある。韓国の闇が暴かれそうだ。

 「パンドラの箱が開いたといえる。今回の国家賠償訴訟は『韓国政府がを管理していた』『米兵が相手だった』という訴えであり、世界中が注目する。韓国が問題で日本を攻撃したり、米国各地に像を設置する論拠もなくなるのではないか」

 問題の真実を追及している拓殖大学の藤岡信勝客員教授はこう語った。韓国にとっては、まさにブーメランのような訴訟といえそうだ。

 元米軍122人は25日、韓国政府に人権を侵害されたなどとして、1人当たり1000万ウォン(約100万円)の国家賠償を求める集団訴訟をソウル中央地裁に起こした。訴訟を支援する団体によると「米軍慰安婦」による国家賠償訴訟は初めてという。

 たちは「基地村女性」や「ヤンコンジュ」(洋公主)と呼ばれ、1960~80年代、韓国政府が在韓米軍維持などのために売春を奨励したほか、性病検査も強制していたとされる。

 実際、96年までの「性病管理所」が存在していたことが確認されており、女性団体が韓国政府に対応を求めていた。
 

この問題は、韓国国会でたびたび取り上げられ、韓国政府も施設の存在を認めていたが、「旧日本軍の」ほど注目されていなかった。

 昨年11月の国会では、野党議員が、朴槿恵大統領の父親である朴正煕元大統領の決裁署名入りの文書記録を基に政府を追及した。それによると、基地村は62カ所あり、「米軍」は9935人いたという。韓国政府は当時、女性らを「ドルを稼ぐ愛国者」として何度も称えたとされる。

 「朴元大統領が(売春街=基地村を)直接管理していた」とする指摘もあり、今後、朴槿恵大統領が、野党や訴訟支援勢力から追及される可能性もあるという。

 今回の提訴は、日本の問題にも大きく影響しそうだ。

 まず、米軍が1944年にビルマ(現ミャンマー)で朝鮮人20人に尋問した調書でも明らかなように、旧日本軍のは民間業者に雇用され、客を断る権利を与えられ、外出や買い物などの自由を与えられていた。これに対し、韓国の元米軍は「韓国政府の厳しい管理下に置かれた」と主張している。一体、どちらが「性奴隷」といえるのか。

 日本を批判している元の中には、「ジープに乗せられて慰安所に連れて行かれた」「クリスマスは忙しかった」と証言している者もいる。だが、太平洋戦争当時の日本にはジープもクリスマスもなく、彼女たちは元米軍の可能性が高いのである。
 

つまり、韓国は自国の問題には目をつぶって、日本に罪をなすりつけようとしてきた疑いがあるのだ。

米国にも問題は飛び火しかねない。

 オバマ米大統領は4月末に訪韓した際、韓国メディアの質問に答える形で、問題について「甚だしい人権侵害だ」「何が起きたのか正確で明快な説明が必要だ」と語ったが、元米軍の提訴をどう受けて、どういう説明をするのか。

 前出の藤岡氏は「韓国による、日本の地位を低下させる『ディスカウント・ジャパン運動』は、普通の人間としての常識や節度を超えて進められてきた。今回の提訴は、それが韓国に戻ってくる可能性がある。ベトナム戦争での韓国軍の蛮行を暴く動きも出てきた。韓国は国際的信用を失い、自爆するのではないか。安倍晋三政権は先日、『河野洋平官房長官談話』の検証結果を公表し、事実上、河野談話の信用性をゼロにした。あの行動が、大きな動きを引き起こしたのかもしれない」と語っている。
 

■朴正煕政府が売春女性を慰安婦と呼び管理=韓国議員が資料公開
サーチナ 2013年11月11日
 

韓国野党・民主党のユ・スンヒ議員は6日に行われた女性家族省の国政監査で、朴正煕時代に国が米軍兵を相手に売春する女性らを直接管理し、女性らを“慰安婦”を呼んでいたことを示す資料を公開した。複数の韓国メディアが報じた。 

国政監査でユ議員は、「米軍慰安婦という言葉を聞いたことがあるか」と発言。「国が(米軍を)組織的に主導した証拠がある」と述べ、国家記録院から提出を受けた資料「基地村浄化対策」を発表した。同資料は1977年4月に作成されたもので、表紙に朴正煕大統領の直筆サインがある。 

発表によると、資料には、当時政府が全国62カ所の基地村に9935人の女性が暮らしていたことを把握し、浄化政策の一環として基地村に専用アパートを建てる計画があったことなどが記されている。当時の被害者の証言によると、専用アパートの建設は、公娼として認めることになるとの論争が起きたことで白紙化したという。 

ユ議員はまた、各地域に基地村の女性を強制的に収容する「性病管理所」があったとし、関連する条例や登記簿謄本を公開した。この中の議政府市の条例改定案には、「国連軍駐屯地域ののうち、性別保菌者を検診、探し出して収容治療や保険・教養教育を実施する」との記述があった。 

ユ議員は、「基地村の女性に対して“”という用語を使用し、強制収容して治療を行っていたことが明らかとなった」と述べた。強制収容治療では性病が完治するまでペニシリン注射が行われ、この過程でペニシリン・ショックを起こして死亡する女性は多かったという。 

ユ議員は韓国政府に「軍独裁時代に行われた人権侵害や過ちを認めるべきだ」とし、被害女性の実態調査に乗り出すよう求めた。

※参考資料「韓国軍」Wikipedia

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週末写真館 梅雨に咲く花

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朝に夜来の雨に濡れた花が好きです。
デリケートな真珠を全身にまとわりつかせて、曇り空に咲く花は晴天の花よりも美しい。

今年の梅雨は雷雨があったり、豪雨があったりしましたが、花たちはいつもどおり、いつもの場所でひっそりと咲き誇っています。

まっとうな夏が来ますように。

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朝日新聞社説を笑うその2 「償い」事業を破壊したのは誰か?

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朝日新聞社説(6月21日)は、元「従軍」に対する「償い」事業であるアジア女性基金(女性のためのアジア平和国民基金)を取り上げてこう述べています。

アジア女性基金」について、韓国政府が一定の評価をしていたことも明らかにした」
もっとも大切なのは元たちの救済であることは論をまたない

朝日は簡単に韓国政府が「一定の成果を評価していた」などと書いていますが、違います。 

それは基金実施前の態度です。確かに韓国政府は基金の実施前には「評価」しています。 

報告書はこう述べています。

「慰安婦への「措置」について日本側が、いかなる措置をとるべきか韓国政府の考え方を確認したところ、韓国側は、日韓間では法的な補償の問題は決着済みであり、何らかの措置という場合は法的補償のことではなく、そしてその措置は公式には日本側が一方的にやるべきものであり、韓国側がとやかくいう性質のものではないと理解しているとの反応であった」

この時の韓国・金泳三大統領は、今のパククネ政権と違って「謝罪と補償をしろ」などと言っておらず、謝罪は求めても「賠償は韓国でやるから、そのことで韓国は道義的に優位に立てるのだ」とすら言っています。 

つまり「補償」するのは日本側の勝手だが、韓国は日韓条約の建前はわかっているよ、という態度です。正直言って、へぇーわかっているじゃないの、と感心しました。 

ですからこの日韓合意に基づいて1997年1月から、元の希望者に支給を開始するのですが、いきなりストップがかかります。

「その翌週の日韓外相会談において、柳宗夏韓国外務部長官より、先週末に「基金」が事業を開始し、元慰安婦に支給を行ったことは極めて遺憾である、この撤回と今後の一時金支給の中断を求めるとの発言があった。また、池田行彦外務大臣の金泳三大統領表敬訪問において、大統領より、この問題は国民感情の面から見ると敏感な問題である、外相会談でこの話が取り上げられたと報告は受けているが、最近とられた「基金」の措置は国民感情にとって好ましくない影響を強く与えるものであり、遺憾である、このような措置が今後再びとられることのないようお願いしたいとの発言があった」

おいおい、わずか1週間での中断です。なにがあったのでしょうか。 

この韓国政府の豹変の原因は、韓国特有の「国民感情」という名の火病(ファビョ)が爆発したためです。

「これに対し、韓国のメディアは「基金」事業を非難し、被害者団体等による元7人や新たに「基金」事業に申請しようとする元に対するハラスメントが始まった。被害者団体は、元7人の実名を対外的に言及した他、本人に電話をかけ「民間基金」からのカネを受け取ることは、自ら「売春婦」であったことを認める行為であるとして非難した。また、その後に、新たに「基金」事業の受け入れを表明した元に対しては、関係者が家にまで来て日本の汚いカネ」を受け取らないよう迫った」 

ため息が出ます。この報告書に出てくる「被害者団体」とは挺対協だったことは、元朝日新聞の下村満子氏(元「朝日ジャーナル編集長)も認めています。 

挺対協は、日本に対する謝罪と賠償を求めながら、聞き取り調査にも応ぜず、かたくなに日本攻撃を止めなかった勢力です。 

この団体が基金の受け取りをしてもいいとした7人の元に対して、自宅にまで押しかけて「売春婦だったことを認めるのか。恥をしれ」「日本の汚いカネを受けとるな」とまで騒いだのです。 

また韓国マスコミもこれに同調して反基金キャンペーンを爆発させて、基金に対して朝日が言うように好意的だった韓国政府にまで攻撃が及ぶ有り様でした。 

激しいバッシングで「償い」金を貰った元は身の危険すら感じたと言います。

この韓国のマスメディアの過激さを表す記事に、1992年1月15日の韓国大手紙・東亜日報の記事があります。

この記事は「挺身隊」と「従軍」を混同して、こんな記事の見出しをつけています。

「12歳の女子挺身隊員」「天と地が共に憤怒する日帝の蛮行」「人面獣心」「非人道的残酷行為」・・・なんとも凄まじい。

しかしこれが韓国メディアの「従軍」の報道トーンで、「償い」金を受け取った元の老女たちにもこのような牙を向けたというわけです。

この個人補償を潰したのは、日本政府ではありません。韓国人が自らが、受け取ろうとする元に言葉の暴力で潰したのです。 

そして 1998年3月に新大統領になった金大中氏によって、正式に韓国政府として「基金」を中止するようにとの申し出を受けます。 

このニュアンスを報告書を読んで確認します。 

「この時期、韓国政府は、金大統領自身本件について金銭の問題をなくせ、政府間のイシューにするなという意見であり、両国の問題は存在しないと思った方がよいとして、「基金」には申し訳ないが、政府間の問題にならないよう終止符を打つべき旨述べていた」 

驚くべきことに韓国・金大中政権は、明確に「(問題の)金銭の問題をなくせ、政府間のイシューにするな」と言い、さらには「(従軍問題で)両国の問題は存在しない」とまで断言しています。

現在のパククネ政権とは真逆な態度です。 

韓国政府は、河野談話が協議された時点から「謝罪」と「強制性」は要求したものの、「賠償」は勝手に日本がするものであって関知しないという態度を示しており、「賠償」は日本政府が「完全解決」を求めて独自に行なったものだという認識です。

そして韓国政府はこの問題は終了したと述べているわけで、少なくとも「日韓の未来志向」という約束は、金泳三、金大中両大統領在任中までは守られていたということが分かります。

ですから、日本が韓国内で「賠償」を行なって悶着を起こすくらいなら、止めろという態度であってそれはそれで筋が通っています。 

これで分かるのは、当時の韓国政府の立場を現在のパククネ政権はなにも継承しておらず、変心したのは日本政府ではなく、韓国政府の側だという事実です。 

この経過を見た上で、改めて、朝日新聞にお聞きしましょう。この日本の個人賠償を誰が潰したのでしょうか?  

思えば、20年前に基金を潰されなければ、元たちの多くはまだ60代でした。有意義に「償い」金を使えたものなのにと残念でなりません。  

このことにひとことも触れずに、「元の救済だということは論を待たない」などとキレイゴトをのたまわれても困ります。

誰が「救済」を妨害したのか、肝心な主語を書かないために、これでは朝日読者は「そうか、自民党政権が救済をサボって来たんだな」と勘違いするでしょう。というか、勘違いするように書いているんですが。 

繰り返しますが、日本の「償い」は韓国人みずからが破壊したのです。それが故に、本来各500万円を支給されるはずだった元は個人攻撃を恐れて、また歴史の闇へと消えていったのです。  

それにもかかわらず、基金事業開始の1997年1月から終了の2007年3月までの10年間に6億円の「償い」金が準備され、約3億円が元に手渡されました。

この基金枠はさらに増える可能性もあったわけで、韓国国内の妨害にあわなかったら、すべての元への「償い」を終了していたはずです。

「事業終了までに、元合計61人に対し、民間による寄付を原資とする「償い金」200万円を支給し、政府拠出金を原資とする医療・福祉支援事業300万円を実施(一人当たり計500万円)するとともに、これらを受け取ったすべての元に対し、当時の総理の署名入りの「おわびの手紙」をお渡しした」 

日本側がなおも基金の賠償から福祉事業への転換を考えていたことに対する韓国政府の意見です。 

「1999年3月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて、突如韓国政府が方針を変え、この問題では何かしてもしなくても批判されるということを冷静に踏まえておく必要がある 

びっくりするほど冷静、かつ、冷淡な韓国政府の意見にこちらのほうが驚かされます。まさに韓国政府の仰せのようにわが国は「何かしてもしなくても批判される」のです。

「謝罪しない」と言っては批判され、謝罪すれば「賠償していない」と言われ、賠償を始めれば、韓国国内の反日勢力が寄ってたかって潰し、潰したら今度はまた「なんの償いもしていない」とどこまでもしつこく繰り返す、そのうち外国にまで行って大騒ぎする・・・、そう、当時の韓国政府の言うとおりです(苦笑)。

こうして日本の1991年の朝日新聞の植村記事から始まり、河野談話を経てアジア女性基金の終了する2007年まで足かけ16年続いた「従軍」問題は終了しました。

これを蒸し返して、「従軍」問題を反日外交の攻撃材料にしたのは、パククネ政権でした。

パク政権は、あたかも日本が一度たりとも「謝罪と賠償」をする努力をしなかったような攻撃をくわえました。これがまったくの偽りだということはこの報告書に詳細に述べられています。 

さて、朝日は慨嘆調で、「韓国政府に登録した元の生存者は54人になった」と嘆きますが、もはや日本人にできることはなにもありません。 

何かしようにも、「日韓の未来的志向」を信じて河野談話を作ってみれば反日カードとして20年も使われ、「償い」をしようとして基金を作ってみれば、「汚い金をもらうな。この売春婦め」と罵る韓国国内の勢力に潰される・・・、これが現実でした。 

朝日はもう一回河野談話をやり直して、もう一度アジア女性基金を作れとでも言うのでしょうか。 

朝日が「問題解決の原点に立ち戻れ」と言うなら、それはわが国に対してではなくいまや「従軍は性奴隷だった」とまで言う韓国政府に言いなさい。  

韓国にこそ「河野談話の原点」に遡って、「外交的懸案として提起しない」という約束を履行することを迫りなさい。  

「信義」を言うなら、なにひとつ約束を守らなかった韓国に言いなさい。  

朝日によれば、「韓国政府は国際社会とともに対抗措置をとると表明した」そうです。  

現実には、米国国務省が無視したように、韓国と共に立つ「国際社会」は中国くらいなものでしょうが、大変に結構です。  

韓国がこの検証報告書に対して抗議したいのなら、韓国もぜひ「河野談話に介入していない」という証拠を出す必要があります。 

ぜひ出して頂きたいものです。  

そしてなにより、朝日新聞がせねばならないことは、他人に説教を垂れることではなく、朝日が日韓関係悪化に果たした大きな役割を第三者委員会を作って検証し、国民に20年遅れの訂正と謝罪記事を出すことです。

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朝日新聞社説を笑うその1 「信義」を破壊したのはどちらか?

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朝日新聞が検証報告書に弱々しい社説を書いています。ちょっと読んでみます。(欄外参照) 

いつもの上から目線は変わりませんが、なぜか妙に大人しい内容で、日韓両政府に並ぶ第3の当事者ともいうべき朝日新聞としてはやや物足りない気さえします。 

まず朝日は、検証チームの報告書概要をこんなふうにさらりと書き流してしまいます。 

「談話の文言をめぐって日韓両政府間でかなり細かなやりとりがあり、一部は韓国側の意向を受け入れたが、日本政府の独自の調査に基づいてつくった。最終的には韓国側と意見が一致した――。そんな概要である」 

「細やかなやりとり」「一部は受け入れた」「最終的には意見が一致」、ね。ものは言いようですな。まるで韓国政府から「細やかな心遣い」を頂戴して、めでたく「意見が一致」したみたいです(笑)。

もちろんこの連載をお読みの方には、内実がそんな生易しいことではなく、一国の官房長官談話に執拗に介入し、圧力をかけ、最後には全面降伏を強いたというものだということはお分かりなはずです。

朝日は自分の読者がこんな長たらしい報告書を決して読まないのを見越して、こう言いたいのです。

「いやー、日韓政府間では細かいやりとりがあったようですなぁ。しかし最後には意見が一致して強制性を認めたんですよ。河野談話は日韓関係の礎なんです。その信義を壊しちゃいけないなぁ」

冗談ではない。朝日はほんとうにこの報告書を読んだのですか。

私のように全文の要約を作ってみれば、「日本政府独自の調査」が阻害されて、韓国に屈したのが実態だと分かります。

朝日さん、国民を愚民視しちゃいけません。報告書はこう書いています。

「日本側は、「強制性」に関し、これまでの国内における調査結果もあり歴史的事実を曲げた結論を出すことはできないと応答した。また、同協議の結果の報告を受けた石原官房副長官より、全体について「強制性」があったとは絶対に言えないとの発言があった」

このように当初は日本側は韓国側に対して、各省庁、図書館、そして米国国立公文書館に至るまで「強制性」の証拠を探したにもかかわらず、「強制性があったとは絶対に言えない」と明確に答えているのです。 

それに対して、韓国側は断固として「強制性」を認めることを要求します。日本側が落とし所として提案した「一部強制性があった」、「関与した」という表現すら拒否されてしまいます。

「韓国側からは、(1)重要なのは真相究明である(2)強制の有無は資料が見つかっていないからわからないとの説明は韓国国民からすれば形式的であり、真の努力がなされていないものと映る(3)被害者および加害者からの事情聴取を行い、が強制によるものであったことを日本政府が認めることが重要である等の反応があった」 (1992年10月)

そして日本政府が当時の日本政府、ないしは軍の直接関与を意味する「強制性」を河野談話に盛り込めば、大統領から直接に国民に説明し、賠償は求めず、日韓関係は「未来志向」になるだろうと伝えてきます。

朝日の社説はこの部分をスッポリ抜かして、「両政府のやりとりからは、双方とも難しい立場を抱えながら問題を解決しようという強い意志が感じられる」という美辞麗句で、これまたサラリと済ましています。

日本が案外頑強に強制性を認めなかったために、最後に韓国側が出してきたのが、「難しい立場を乗り越えて問題解決しよう」という「未来志向」でした。

これは韓国側の執拗な「強制性」のごり押しがあってこそ意味があるのです。韓国側のごり押しを省いてしまっては、いきなり「未来志向」でよかったね、で終わってしまいます。

朝日はこの韓国の強圧をなかったが如く捨象して、免罪していますこれではなぜ、証拠がなかったのに、日本側が軍の「強制性」を認めてしまったのかというダイナミックス(力学)がわからなくなります

日本側が、「問題解決の強い意志」を持ったのは、この問題でこれ以上後腐れないように完全解決したかったからで、そこをつけ込まれたのです。

そのあたりを報告書はこう書きます。

「韓昇洲韓国外務部長官からは、『本件に対する日本の努力と誠意を評価したい。日本側の調査の結果が金泳三大統領より韓国国民の前で説明して納得できる形で行われることを期待すると共に、これにより韓日関係が未来志向的にもっていけることを期待している。韓国もこのような結果を待ち望んでいる』と述べた」
(1993年7月28日・日韓外相会談における韓外務部長官の発言)
 

この韓国の「未来志向」という甘言に乗ってわが国は、ひとかけらの証拠もないままに軍の「強制性」を認めてしまいました。こうして河野談話の原型が出来たのでした。

それはこういう内容です。

「『強制性』については、例えば、一部には軍又は政府官憲の関与もあり、『自らの意思に反した形』により従軍とされた事例があることは否定できないとのラインにより、日本政府としての認識を示す用意があることを、韓国政府に打診する』との方針が示されている」 

そしてこれに則って、元調査をしましたよというアリバイ作りのために元の現地聞き取りが行なわれたのです。それについて報告書はこう書いています。

「聞き取り調査とその直後に発出される河野談話との関係については、聞き取り調査が行われる前から追加調査結果もほぼまとまっており、聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた

この聞き取り調査について、本報告書は珍しく皮肉を込めて「儀式」と呼んでいます。

これが朝日のいう「資料収集や別の関係者への調査によって談話原案は固まった」という内実です。正確に言いなおして見ましょう。

「資料収集」はしたが、軍の「強制性」の証拠は見つからなかったにもかかわらず、韓国の強圧に負けて、初めから結論が決まっていた儀式としての「関係者への調査」で談話原案は固まったのです。

朝日はなぜ、この報告書の肝とでもいうべき韓国側の「強制性」のゴリ押しをなかったが如く扱い、あたかも日韓両国が「細やかなやりとり」を経て「最終的には意見の一致をみた」という書き方をするのでしょうか? 

理由は簡単明解です。

この日韓の「細やかなやりとり」の中心的テーマだった軍の「強制性」について論拠を与えていたのが、他ならぬこの朝日新聞だったからです。 

1991年8月11日に朝日新聞が出した世紀の大誤報、『元朝鮮人従軍 戦後半世紀重い口開く』という記事が、日韓関係悪化の分水嶺でした。

後の歴史家は、この記事が引き起こした「従軍」問題が、日韓関係悪化の最初の一歩だと記すことでしょう。

この植村記事はたちまち韓国語訳されて、それまで韓国国内にくすぶっていた反日意識のガスに点火しました。

実は、この反日ガスを作った人物がいました。それが、高名な虚言病患者(※)の吉田清治氏です。(※実際、吉田氏は家族からこう言われていたそうです)

彼はこういうことを言いました。

「動員命令に従って、済州島で200余名の若い女性を、兵隊と伴に木刀をふるいながら、泣き叫ぶ子供を引き剥がすようにしてトラックで拉致した」

ほんとうならば、まるでアフリカの「奴隷狩り」です。しかし、後の秦郁彦氏などの現地調査によってまったくの捏造だとわかっています。

地元紙の済州島新聞からさえ抗議が来ている始末です。吉見義明氏すらこれは嘘として採用していないシロモノです。

しかしこの男はあろうことか、この嘘を韓国で謝罪行脚してしまいました。

この吉田氏の捏造話と、日本の人権派弁護士である高木健一氏や福島瑞穂氏などが作っていた元の戦後補償を求める訴訟団体を合体させたのが、この朝日の記事(1991年8月11日)だったのです。  

「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍」』」

いうまでもなく、デタラメです。この記事は、当時日本国内でも実施されていた勤労動員である「女子挺身隊」と、従軍を意図的に混同して、それを「連行」という官憲の強制性としています。 

この記事こそが後に河野談話時の韓国大統領である金泳三大氏をして、「この従軍問題を提起したのは日本の新聞であると言わしめた火元でした。 

そしてこれに止まらず、朝日は、1992年1月13日第1面にデカデカと吉見義明中大教授の、防衛研究所で「募集に関する日本軍の関与についての新資料が発見された」との記事を出します。 

この時期は計算され尽くしていました。宮沢総理訪韓のわずか5日前という修正が効かない時期を見計らって、日本政府がそれまで認めてこなかった「強制性」がウソであるという資料が出たと第1面でデカデカと書き立てたのです。 

よく読めば、この吉見新資料は少しも「強制性」の証拠になるどころか、逆に日本軍が「悪質な女衒に注意しなさい」という警告であって、まるで逆な意味だとわかるでしょう。 

しかしこの「関与の新資料見つかる」というリード文の印象操作は強烈で、政府はあわてふためいて加藤官房長官談話で「軍の関与」を認めてしまい、「反省の気持ち」を表明してしまいます。

そして訪韓した宮沢首相はといえば、首脳会議の席上で、実に22分間で8回も謝罪するという醜態を晒します。以後果てしもなく続く、泥沼のような謝罪外交の始まりです。 

さぞ朝日は祝杯を上げたことでしょう。しかし、彼らの美味い酒とは別に、これによって日本側は以後、日韓交渉の主導権を韓国側に握られ、韓国側の一言一句にひれ伏すようになります。

になって見れば、宮沢総理はこんなに慌てて謝罪する必要はなかったのですし、なんなら訪韓を繰り延べしてもよかったはずです。

そして腰を落ち着けてそれまで続いていた調査を続行し、認めるべきは認める、否定すべきはするという是々非々の態度で臨むべきでした。

にもかかわらず、宮沢内閣をここまで追い込んだのが、韓国世論と他ならぬ朝日が作り出した国内世論でした。

まさにその結果こそが河野談話だったわけです。つまり朝日こそ、この宮沢謝罪と河野談話を導き出す影の主役だったわけです。 

このように日韓関係をここまで悪化させた張本人である朝日新聞がこう書くのを読むと、苦い笑いが湧いてきます。 

「韓国にすれば、日本側から秘密にしようと持ちかけられていたことである。それなのに了承もなく、一方的に公表されるのは信義に反することになる」 

どうも朝日は「信義」なるものを破ったのは安倍政権だ、韓国に謝罪しろと言いたいようです。

さて、確かに「マスコミに漏らさない」という合意があったことは報告書でも確認されています。

しかし韓国政府はこの河野談話を受けてこう言明したはずです。 

これからこの問題を韓日両国間の外交懸案として提起しない」(1993年8月4日韓国外務部) 

もはや爆笑です。なにが「外交的懸案にしない」ですか。しまくりではないですか。なにが「信義」か。その「信義」とやらが破られ続けたのが、この20年余だったのです。 

この約束は一度たりとも履行されず、いまや、韓国大統領の諸外国歴訪の手土産代わりに「日本軍の性奴隷」話を持って行く始末です。

韓国政府はフランスのマンガ祭に行っては宣伝のブースを出展し、米国には観光名所よろしく象が立ち並んでおり、気がついてみれば日本は「レイプ国家」に仕立て上げられている、それが現実の姿です。 

もう一回、朝日に聞きましょう。このどこに「信義」がありますか。「信義」を破ったのはどちらですか?

そもそもありもしない問題を騒ぎ立て、それを対日外交カードにして、日本に屈伏を強いてこの河野談話を出させ、20余年も「対日外交資産」に使ってきたのは、韓国です。

第一、つい最近まで国が秘密事項を作ることに大反対していたのは朝日ではなかったでしょうか。

米国や日本政府相手ならかまわないが、韓国はいけないということなら、ここでもまた二枚舌ですね。

(長いので分割しました) 

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■.社説 検証―問題解決の原点に返れ  
朝日新聞 2014年6月21日
 

問題をめぐる93年の河野洋平官房長官談話について、政府はきのう、作成過程などの検証結果を国会に示した。談話の文言をめぐって日韓両政府間でかなり細かなやりとりがあり、一部は韓国側の意向を受け入れたが、日本政府の独自の調査に基づいてつくった。最終的には韓国側と意見が一致した――。そんな概要である。
両政府のやりとりからは、双方とも難しい立場を抱えながら問題を解決しようという強い意志が感じられる。検証チームの但木敬一座長も「談話を出すことで未来志向型の
日韓関係をつくろうとした」と語った
この検証が行われたのは、日本政府が行った元の聞き取り調査の信頼性を問題視する声が上がったからだ。談話の作成過程を明らかにすることで韓国を牽制(けんせい)する狙いもあったのだろう。
しかし、報告書は次のように指摘している。資料収集や別の関係者への調査によって談話原案は固まった。その時点で元からの聞き取りはまだ終わっておらず、彼女たちの証言を基に「強制性」を認めたわけではない。

安倍首相はかつて、への謝罪と反省を表明した河野談話の見直しを主張していた。
だが、国際社会からの強い反発もあって、
河野談話を見直さなとの方針に転じた。
もう談話に疑義をはさむのはやめるべきだ。
報告書は、
河野談話やその後の「アジア女性基金」について、韓国政府が一定の評価をしていたことも明らかにした。
韓国にすれば、日本側から秘密にしようと持ちかけられていたことである。それなのに了承もなく、一方的に公表されるのは信義に反することになる。
報告書に韓国政府は猛反発し、せっかく始まった日韓の
外務省局長級協議も中断する可能性が出てきた。
また、韓国政府は「国際社会とともに対抗措置をとる」とも表明した。

問題が日韓の大きな懸案に浮上して、四半世紀がたとうとしている。 この間、両政府関係者やNGOなど多くの人々が関わってきた。だが、もっとも大切なのは元たちの救済であることは論をまたない。
韓国政府に登録した元の生存者は54人になった。
日韓両政府に、互いをなじり合う余裕はない。
河野談話をめぐって「負の連鎖」を繰り返すことなく、今度こそ問題解決の原点に返るべきだ」 

■ワールドカップ第3戦愚痴

惨敗です。ここまで無残に負けるとは予想外でした。

終了直前にキーパーを代えられるなどという侮辱は初めて味わいました。

原因は、ザッケローニ監督が香川と心中したからです。 香川が代表で輝けないことは、この世代の代表が始まってから続いていたことで、最後まで彼を中心としたチーム作りを崩さなかったために、チーム全体が沈没しました。

岡田前監督が予選直前にしたように、不調の香川を使い続けるのではなく、思い切ったメンバーチェンジを予選時にするべきでした。

前を向けないような10番には用はありません。攻撃的、攻撃的といいながら、前線は動かず、ただロングボールを放り込むだけで、コロンビアの堅守を崩せるはずがありません。

それならいっそう5バックで引いたほうがましでした。

相手国は、不調の香川を調査し尽くして臨んでいたのですから、勝てる道理がありません。

敗戦責任はあげてザッケローニにあります。彼の「3点取られても4点取って勝つ」という戦術指揮が、アジア予選ならともかく、世界の強豪相手には通用しなかったのです。

彼は雇用契約終了ではなく、解任に値します。

さて気を取り直して、ワールドカップ決勝を楽しみましょう。もうどこが勝ってもいいや。

ああ気が抜ける(笑)。

 

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河野談話検討報告書を読むその3 韓国側の「未来志向」と引き換えに認めた「強制性」

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朝日新聞報道によって加藤紘一官房長官談話という形で「軍の関与」を認めて「謝罪」までした日本政府ですが、証拠が見つからないために「強制性は確認できない」という一線で踏みとどまっていました。

このあたりを少し説明します。

戦争中にという同情すべき女性たちは確かにいました。私も彼女たちの境涯をほんとうに気の毒だと思います。

ですから、「存在しないんだ」と当時の日本政府が言っていたわけではありません。

彼女たちは民間の斡旋業者が勧誘して、民間人経営の兵隊向け娼家で働いていたのです。

念のために付け加えておきますが、「従軍」という呼び方は戦中にはなくただの「」で、働いていたのは弾丸が飛んで来るような戦場ではなく、後方の大きな街でした。

当時の日本政府、あるいは軍が、の募集や娼家の運営などに直接関係していたことはありませんでした

ましてや吉田清治氏の「証言」のように、日本軍が朝鮮の村に押し入って婦女子を片っ端から木刀で叩き、すがりつく子供を蹴飛ばしてトラックで連れ去る奴隷狩りのような「強制性は確認できない」と言っていたのです。

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               (写真 吉田清治氏 彼の偽証の罪は重い)

また、よく敗戦直後に書類を廃棄したから証拠が見つからないのだと思っている人が多いのですが、軍隊というのは巨大な官僚機構だということを忘れています。

軍隊という組織は、上級司令部からの命令書なくしてはひとりの兵隊も、一台のトラックも動かすことはできません。

もし「動員」に軍が「関与」していれば、調達から始まって集合場所、運輸手段の調達、現地の宿舎、衛生管理、生活管理等々の膨大な書類が残されていなければなりません

しかも、それはおそらく各数枚に分かれていて、それぞれのレベルの担当官の決済印が残っていなければなりません。

もし、今の韓国政府が主張するように「従軍」が20万人もいたのなら、書類だけで数十万枚なければならないことになります。

そして軍隊は管轄という縄張りにもうるさい所です。

ですから、あの吉田清治氏の「証言」のウソがすぐに歴史研究者に見破られたのは、「西部動員命令」と称する内地の命令書で、当時朝鮮軍管区にあった済州島に越境して「狩り」をしたなどと書いたからです。

そのようなことは、神奈川県警が栃木県で捕り物をするようなもので、絶対にありえないことです。

このような旧日本軍の巨大な官僚構造の遺物の中に、ただの一枚も「軍の関与」を示す文書がなかったなどということがありえるでしょうか。

そこまで見事に証拠を消し去ることが可能でしょうか?まして、当時の日本においては「従軍」は非合法ではなく、従って悪の意識はなかったはずです。

それが、日本軍の文書を接収した米国国立公文書館においてすら、ひとつも見当たらなかったのです。

だから、吉見義明教授もしかたなく、軍が出した「悪質な業者にだまされた女性が出ないようにして下さい」という警告文を、「軍の関与の証拠」とするしかなかったわけです。

そのあたりを報告書はこう述べています。

「日本側では、加藤官房長官発表以降も引き続き関係省庁において関連文書の調査を行い、新たに米国国立公文書館等での文献調査を行い、これらによって得られた文献資料を基本として、軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析に着手しており、政府調査報告も、ほぼまとめられていた。これら一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる「強制連行」は確認できないというものであった」

しかし、それに対して韓国側は、「一部に強制性があった」という表現ですら韓国国内で「大騒ぎになる」と伝達してきます。

「1993年4月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて、韓国側は、仮に日本側発表の中で「一部に強制性があった」というような限定的表現が使われれば大騒ぎとなるであろうと述べた。これに対し、日本側は、「強制性」に関し、これまでの国内における調査結果もあり、歴史的事実を曲げた結論を出すことはできないと応答した。また、同協議の結果の報告を受けた石原官房副長官より、全体について「強制性」があったとは絶対に言えないとの発言があった」

しかし武藤嘉文外務大臣は、1993年6月29日、30日の訪韓時にこのような玉虫色のことを韓国側に伝えています。

「『具体的にどういう表現にするかについては、日本側としても韓国国民の理解が得られるようぎりぎりの努力を行う所存であるが、その際には韓国政府の大局的見地からの理解と協力を得たい』」

この日本側の「理解がえられるギリギリの努力」という言葉が、さらに韓国側に妥協しますよ、と受けとられてもしかたありません。 

当時の日本側の考えを報告書はこう述べています。

「1993年2月には、金泳三大統領が就任した。1993年2月~3月頃の日本側の対処方針に係る検討においては、基本的考え方として、『真相究明についての日本政府の結論と引き換えに、韓国政府に何らかの措置の実施を受け入れさせるというパッケージ・ディールで本件解決を図る』、『真相究明については、半ば強制に近い形での募集もあったことについて、なんらかの表現によりわれわれの認識を示すことにつき検討中』、『措置については、基金を創設し、関係国(地域)カウンターパートを通じた福祉措置の実施を検討』としていた。『強制性』については、「例えば、一部には軍又は政府官憲の関与もあり、「自らの意思に反した形」により従軍とされた事例があることは否定できないとのラインにより、日本政府としての認識を示す用意があることを、韓国政府に打診する』との方針が示されている」 

日本側は、「早期完全解決」を考えて、真相解明とその後の補償をワンセットで韓国か話に受け入れられるように外交交渉していこうと考えていたようです。

真相解明はあるていど韓国の言い分に妥協してでも、一括してなんらかの「償い」まですることによってこの「従軍問題」はここで終わりにしたいと思っていたのです。

そして真相解明の調査の幅を各省庁から地方図書館まで拡げるなど努力し、一方「償い」の措置については65年日韓条約で個人補償は補償しているため、これと別枠でなんらかの基金を作ることを考えていたようです。 

また「強制性」については、「関与もあり」とか、「自らの意志に反して」、あるいは「一部には」といった表現で収めたいと考えていました。 

しかし、韓国側はこのような落とし所で満足するはずもなく、さらに覆い被せるように日本側に攻勢をかけます。  

「韓昇洲外務部長官からは、日本側の誠意あふれる発言に感謝するとしつつ、重要な点として、『第一に強制性の認定、第二に全体像解明のための最大の努力、第三に今後とも調査を継続するとの姿勢の表明、第四に歴史の教訓にするとの意思表明である。これらがあれば』、『韓国政府としても』、『本問題の円満解決のために努力していきたい』との発言があった。また、韓国側からは、日本に対し金銭的な補償は求めない方針であるとの説明があった」

ここで注目されるのは、韓国側は「強制性」さえ認めれば、日本に対して「円満解決のための努力をする」し、「金銭的な保障も求めない方針」だと言っていることです。 

ひたすら「強制性」を認めろと迫るだけではなく、アメとムチよろしく「強制性」すら認めれば「円満解決」もしましょう、「金銭的補償もいりません」と言うわけです。 

国内外で燃え上がってしまった「従軍」問題に対して、早期完全解決を熱望する宮沢政権は、この韓国側の「円満解決」の誘いに乗っていくことになります。 

(続く)

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河野談話検証報告書を読むその2 「従軍」問題は日本人が作った

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いわゆる「従軍」に対しての日本政府の強制性を認めた河野談話の作成過程についの政府報告書を読んでいます。 

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報告書の前半は、いわゆる「従軍」問題を巡る日韓間のやりとりの経緯に割かれています。

これは1992年1月に予定されていた宮沢首相(当時)の訪韓を前に、問題が韓国国内で火を吹いていたからです。

「1991年8月14日に韓国で元が最初に名乗り出た後、同年12月6日には韓国の元3人が東京地裁に提訴した。1992年1月に宮沢総理の訪韓が予定される中、韓国における問題への関心および対日批判の高まりを受け、日韓外交当局は同問題が総理訪韓の際に懸案化することを懸念していた」

宮沢総理訪韓前に、これにさらに火を注ぐような衝撃的な記事が日本で出ました。

それが、朝日新聞(1991年8月11日)記事『元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く』(欄外資料参照)です。

「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦」』」(同記事)

この記事の致命的誤りは上記のように、当時日本国内でも実施されていた勤労動員である「女子挺身隊」と、従軍を意図的に混同して、それを「連行」という官憲の強制性としていることです。

女子挺身隊は1943年に実施された14歳以上25歳未満の女性の工場などへの勤労動員のことです。

これは当時の米英でも一般的であって、女性を「従軍」にすることとはなんの関係もありません。

しかし、この朝日記事によって、日本の官憲が暴力的に韓国婦女子を従軍にしたという認識が完全に固定し、後の日韓交渉での韓国側主張を裏付けることになります。

また記事の直後に、後に問題のシンボル的な人物となった金学順氏のソウルで記者会見がセットされており、この朝日新聞記事が韓国内の訴訟運動と連動していることは明らかでした。

事実、この「従軍」訴訟団は「太平洋戦争犠牲者遺族会」といい、その常任理事だった梁順任氏の娘婿が、朝日新聞韓国特派員だった植村隆記者です。

植村記者の義母は既に賠償訴訟の原告団長をしており、義母の訴訟を有利に運ぶために挺身隊を動員とこじつけて「日本軍の強制連行」説を作り出したようです。

ちなみに、その弁護人を務めたのは福島瑞穂議員(元社民党党首です。

つまり、この朝日記事は一方の利害関係者の情報提供によるインサイダー記事というだけではなく、新聞が記事の火元自体を作ってしまい、自分でそれを記事にするという自作自演的性格を持っています。

報道の客観性という次元ではなく、もはや報道倫理からの逸脱です。

この植村記事以外にも、ほぼ同時期に朝日新聞(大阪版)は、1991年5月22日に、吉田清治氏の「木剣ふるい無理やり動員」発言を掲載し、第2弾として同年10月10日に再度「には人妻が多く、しがみつく子供をひきはがして連行」したという「吉田証言」を掲載しました。

吉田氏は、1983年に「私の戦争犯罪」という本で、「1943年5月15日付の西部軍動員命令によって1943年5月17日に下関港を出発し、翌日済州島に着いて、兵士10人の応援で205人の婦女子を要員として強制連行したと狩りをした」という「証言」をした人物です。

この吉田氏の「日本官憲が韓国婦女子を暴力的に強制連行した」という「内部告発」の影響は、氏が韓国国内で「謝罪行脚」をしたことにより燃え広がっていきます。

なお、この吉田証言は、後に秦郁彦氏の現地調査で事実無根の捏造であったことが明らかになっています。

吉田氏当人も1996年5月に週刊新潮のインタビューで、自ら「創作」であったことを認めていますが、いったん世に出た捏造証言は修正されることなく、以降の韓国政府公式の「従軍は性奴隷だ」というプロパガンダの根拠となっていきます。

そもそもこの訴訟には、日本の人権派弁護士である高木健一氏などが立ち上げから関わっていました。 

いやむしろ、「従軍」の訴訟運動は韓国側の自然発生的運動ではなく、むしろ戦後補償を運動化したい高木氏などが、韓国人元に働きかけて始まったというのが実態のようです。 

たとえば、高木氏は同じサハリン残留韓国人訴訟においてこのようなことを言って、原告たちを集めていたことがわかっています。

「東京で大きな弁護士事務所を、開いている高木弁護士が、もっと日本から賠償をとれるから要求しなさいと教えてくれた」(サハリン残留韓国人訴訟会長談) 

つまり、この「従軍慰安婦」問題は、当初の「慰安婦」探しから訴訟団作りに至るまで日本人が大きく関わっていました

そしてそれを一挙に大きな政治課題にしたのが朝日新聞です。

朝日新聞は従軍問題をあえて宮沢訪韓の前段にぶつけることで、韓国側の反発を作り出し、それを外交懸案にすることで自民党政権に痛打を与えることを狙ったわけです。

このような中韓政府を引き込むことで、社論を通そうという手法は、この新聞社が好むところです。

国内政治ならまだしも、外国政府まで巻き込んだ現実政治にここまで深く介入するとなると、朝日新聞はもはや報道機関というより立派な政治党派といっていいでしょう。

さて、この韓国国内の思わぬ従軍問題の炎上に驚いた宮沢政権に対して、「韓国は懸案化しないように」あらかじめ「日本側が例えば官房長官談話のような形で何らかの謝罪をすることがいいと伝達してきます。

つまり、この後に出る加藤・河野官房長官両談話は、日本側の自発的なものであったというよりむしろ韓国側の入れ知恵だったわけです。

「1991年12月以降、韓国側より複数の機会に、問題が宮沢総理訪韓時に懸案化しないよう、日本側において事前に何らかの措置を講じることが望ましいとの考えが伝達された。
また、韓国側は総理訪韓前に日本側が例えば官房長官談話のような形で何らかの立場表明を行うことも一案であるとの認識を示し、日本政府が申し訳なかったという姿勢を示し、これが両国間の摩擦要因とならないように配慮してほしいとして、総理訪韓前の同問題への対応を求めた。」
 

しかし、これで朝日新聞のキャンペーンは終わったわけではなく、1992年1月13日第1面に吉見義明中大教授が、防衛研究所で「募集に関する日本軍の関与についての新資料が発見された」との記事が出されます。

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この資料を発見したとされる(※実際は現代史家には知られていた資料でしたが)吉見氏はこう書いています。

「この通達は、「派遣軍が選定した業者」が日本内地で誘拐まがいの方法で「強制徴集」をしていた事実を陸軍省が知っている事を示しており、日本軍に対する国民の信頼が崩れる事を防ぐために業者の選定をもっとしっかりするようにと指示している」。(「共同研究日本軍」)

「軍の威信を傷つけるこれらの問題点を克服するため陸軍省が指示しているのは、(ア)募集などは派遣軍が統制し、人選などは周到に行うこと(イ)募集実施の際は関係地方の憲兵・警察との連携を密にすること、の2点である。つまり各派遣軍はもっと周到に徴集に責任を持て、と指示しているのである」(同)

この吉見説については、多くの現代史家からの批判が存在します。朝鮮現代史研究家の西岡力氏は、これは強制連行をした証拠にはならず、むしろ悪質な斡旋業者を取り締まる内容であるとしています。

「合理的に考えるなら、戦地での民心離間を心配する軍が、一部で抗日独立運動が続いていた植民地朝鮮で強制連行を行い、朝鮮における民心離間を誘発するはずがない。吉見教授文書は、権力による強制連行を証明するものではなく、むしろそれがなかったことを示唆するものだった」
(「よくわかる問題」)

素直にこの吉見資料を読めば、むしろ斡旋業者が悪質な募集をしているので、このようなことを禁じるようにしか読めません。

吉見氏の意図とは別に、むしろ業者の誘拐まがいの「強制連行」に軍が関与しないようにすることを指示していたことを示した資料です。

歴史家の秦郁彦氏はこう述べています。

「このリード文を読めば、キャンペーン報道の意図が首相訪韓のタイミングに合わせて、それまで『国の関与』を否定していた日本政府に『偽証』の証拠をつきつける劇的な演出だったらしいことが読みとれる。
1月11日といえば、訪韓の五日前にあたる。今さら予定の変更もできず、かといって予想される韓国側の猛反発への対応策を立てる余裕もない。私はタイミングの良さと、『関与』という曖昧な概念を持ち出して、争点に絞った朝日新聞の手法に、『やるもんだなあ』と感嘆した」

この朝日記事でパニックに陥った当時の政府の状況を、報告書はこう述べています。

「日本側は、1991年12月に内閣外政審議室の調整の下、関係する可能性のある省庁において調査を開始した。1992年1月7日には防衛研究所で軍の関与を示す文書が発見されたことが報告されている。その後、1月11日にはこの文書について朝日新聞が報道したことを契機に、韓国国内における対日批判が過熱した。1月13日には、加藤紘一官房長官は、「今の段階でどういう、どの程度の関与ということを申し上げる段階にはありませんが、軍の関与は否定できない」、「いわゆる従軍として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい」との趣旨を定例記者会見で述べた。

このように政府は、吉見氏の新資料発見の朝日記事の裏をとることもせずに、わずか2日後に慌てふためいて加藤紘一官房長官(当時)が早くも「軍の関与」を認めて「反省の気持ち」を表明してしまっています。

そして訪韓した宮沢首相は首脳会議の席上で、実に22分間で8回も謝罪するというギネス級のお詫び外交をしてしまったわけです。

ただし、この時点では、日本側は「関与」は認めても、「強制性」まで認めておらず、また賠償する気もなかったようです。

秦氏が皮肉まじりに指摘するように朝日新聞は、「関与」とは巧妙な表現をしたもので、まさにどうとでも取れる表現です。

しかし、この加藤談話で「軍の関与」を認めてしまった以上、「関与」を「強制性」と理解している韓国側主張まで首の皮一枚ということになってしまいました。

というか、何に韓国が怒っているのか、従軍問題とは何なのか日本政府はまったく理解していなかったというのが実態だったのでしょう。

そのために、とりあえず謝っておけばいいだろうという、いかにも日本人体質そのものの対応をした結果、更に悪い結果に引き込まれていきます。

ここにおいて日韓外交交渉の力関係は決定しました。朝日新聞を論拠にして強硬な主張を繰り返す韓国政府に防戦一方の日本政府という構図です。

全面的に韓国ペースでの河野談話作りへと進む助走が始まったのです。

以後、当時の宮沢政権は朝日新聞と韓国政府に挟撃されるようにして、韓国主導の強制性を認める謝罪への道へと踏み込んでいくことになります。 

(続く) 

                 :;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+ 

●資料 朝日新聞1991年8月11日 
植村隆記者記事
 

「日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。 

尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされてにされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士ニ、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。」

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河野談話検討報告書を読むその1 骨子 

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いわゆる「従軍慰安婦」を日本政府が公式に強制性を認めたとされる「河野談話」の作成過程について、政府検証チームの報告書が発表されました。 

この報告書は、あらかじめ菅官房長官が述べていたように、あくまでも「作成過程の検証」であって、いわゆる「慰安婦」証言それ自体についての検証については触れていまない限定的なものです。 

またこの検討チームか立ち上がった理由は、この報告書冒頭に述べられているように、この河野談話の事務方トップだった石原信雄元官房副長官の「日本側の善意が裏切られて非常に残念である旨の証言」(報告書)があったことが発端です。 

まず批判や賛辞の声を上げる前に、どのようなことがわかってきたのかを知るのが筋ではないかと思います。

まずは全体の骨子をみておきましょう。

●政府検証報告書骨子
①日本側は、聞き取り前段で既に談話の原案を作っており、元「従軍」の聞き取り自体は韓国側が要求するとおりの「儀式」にすぎなかった
②日本側は韓国側に発表文原案を見せていて、韓国側がこだわる「強制性について文言のすり合わせをしていた
③このような日韓の文言の談合についてマスコミなどに一切公表しないように申し合わせた
④韓国側は強制性が認められれば、韓国大統領が国民に説明し、補償金も求めない「未来志向」を約束した
⑤日本側は調査の結果、強制性を確認できなかったが、韓国に配慮して日本統治下であるために「総じて本人の意志に反して」という文言で玉虫色の決着を図ろうとした
⑥日本側は「償い」として、アジア女性基金を設けて、61名の元にひとり500万円の補償金を支払っていた。
⑦このアジア女性基金事業が中断したのは韓国内部の事情のためである

では、この検討チーム報告書を読んで、要約していくことにします。

※報告書全文
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140621/plc14062100260005-n1.htm    

                    :;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+ 

■「河野談話」政府検証報告書
河野談話作成過程等に関する検討チーム ~検討会における検討~ 

検討の背景
河野談話については、2014年2月20日の衆議院予算委員会における石原信雄元官房副長官の証言
 

(1)河野談話の根拠とされる元の聞き取り調査結果について、裏付け調査は行っていない
(2)河野談話の作成過程で韓国側との意見のすり合わせがあった可能性がある
(3)河野談話の発表により、いったん決着した日韓間の過去の問題が最近になり再び韓国政府から提起される状況を見て、当時の日本政府の善意が生かされておらず非常に残念である

冒頭のこの部分が、いわばこの検証報告書の作成動機に当たる部分です。 

ここで、報告書は河野談話の制作責任者であり、その内実をもっともよく知る石原信雄元官房副長官の国会証言(14年2月20日)がありました。

石原氏はこのようなことを証言しています。

①当時の日韓両政府が終始談合して、内容を決定していた
②証人となる「」は、韓国政府が集めた
③証言の裏付け調査はしていない
③大使館ではなく、「」団体の事務所で聞き取りを行なった
④その際、訴訟団弁護士が立ち会っていた
⑥強制性を認めて謝罪すれば完全に解決するとの韓国側が約束したために、韓国側のペースで調査や文言が決まった
⑦韓国政府は日本側とのこれで終了したという密約を一方的に廃棄して、以後一貫して反日の材料として使用し続けたことは残念である
 

検討チームのメンバーは民間人ですが、非常勤の国家公務員に発令の上、関連の資料を閲覧しました。

これについて一部の人権派弁護士は密室だと批判する向きもあるようですが、「密室」談合をしたのは、この報告書にもある河野談話作成時の日韓両政府であって、それを国民に開示しようとしているのがこの検証作業です。

 弁護士(元検事総長) 但木敬一(座長)
 亜細亜大学国際関係学部教授 秋月弘子
 元アジア女性基金理事、ジャーナリスト 有馬真喜子
 早稲田大学法学学術院教授 河野真理子
 現代史家 秦郁彦
 

このメンバーは、公平を期するためか、慰安婦問題で日本政府を批判し続けてきた元朝日新聞記者であり、元アジア女性基金の有馬真喜子氏、国際法学者の河野真理子氏、秋月弘子氏と、問題の歴史的検証を行なった秦郁彦氏を配しています。

特に有馬氏と秦氏は真っ向から異なった立場のはずで、どのような議論がされたのか知りたいものです。 

有馬氏は挫折した「償い」のためのアジア女性基金の内情を知る方ですので、その知見が活かされたはずです。

座長の但木敬一氏についてはとかくの批判が人権派弁護士などから浴びせられているようですが、彼の姿勢によって結論が歪曲されたかどうかは、私には判断しかねます。 

この検証の範囲は限定されていて、証言そのものを対象にせず、あくまでも日韓両政府間のやりとりの資料を対象としています。

「河野談話にいたるまでの政府調査および河野談話発表にいたる事務を当時の内閣官房内閣外政審議室(以下「内閣外政審議室」)で行っていたところ、これを継承する内閣官房副長官補室が保有する問題に関連する一連の文書、ならびに、外務省が保有する日韓間のやり取りを中心とした問題に関する一連の文書および後続措置であるアジア女性基金に関する一連の文書を対象として検討が行われた」 

(続く)

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週末写真館 世界中どこに行っても猫は猫

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吉田所長が闘ったもの

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吉田氏は、福島事故の時、なにと闘っていたのでしょうか。あらためて振り返っておきたいと思います。 

2011年3月12日の事実関係を、船橋洋一氏メルトダウン カウントダウン上巻・第4章「1号機水素爆発」を基に、その状況の流れを振り返ってみます。  

できるだけ省略せずに、事実関係を書き起こしておきたいと思います。 

この経過をお読みいただければ、当時吉田氏が置かれた複雑な状況がご理解いただけると思います。 

さて当時、東京電力本店事故対策本部と、政府事故対策本部のふたつの指揮系統が、情報交換はおろか、互いに不信と憎悪すら募らせていました 

●[第1場 1号炉爆発 現場吉田所長の判断で海水注水開始 

・12日昼頃。吉田所長が1号炉に海水を注水することを決断
・午後3時前。防火水槽の水が干上がっていることがわかる。
午後3時すぎ。東電は保安院に「海水注入」の予定を告げた
・午後3時20分。1号炉爆発。
・2名負傷。全員、免震重要棟に脱出。構内は高濃度の放射線で汚染された瓦礫が散乱。最悪の極めて危険な作業環境。
・午後4時27分。吉田原災法第15条第1項の「特定事象」(敷地協会放射線量異常上昇)を宣言し、政府に報告。
・午後4時30分から約1時間30分。吉田ら現場は破損した海水注入用消防車のホースの修理などの注水のための復旧作業に当たる。
午後5時55分。この情報が海江田(経済産業相)に伝わらず東電本社に対して原子炉等規制法64条3項を根拠に海水注入を命じる
 

●[第2場 首相官邸 

・午後6時。首相官邸執務室。海水注入をめぐる会議。出席者・菅、海江田、細野、斑目、平岡保安院次長、武黒フェロー(東電の連絡担当者) 

官邸会議の情景
・菅「塩水だぞ。影響は考えたのか!
・平岡「(海水の注水によって)臨界の危険性が高まることはありません」
・武黒「臨界を作ることは芸術的に難しい芸当です。不純物だらけの海水を入れて、そんなのできるはずがありません」
・斑目「(菅に促されて)保安院がそういうなら」
・菅「自分の判断で言ってくれ。絶対にないんだな」
・斑目「あるかもしれません」
・菅「どっちなんだ」
・斑目「ないとおもいますが、ゼロではありません
・菅「お前、水素爆発もないといったじゃないか」
・斑目「(泣きそうな声で)とにかく今水を入れなきゃいけないんです。海水で炉を水没させましょう」
・菅「もっと検討しろ!」「もっと詰めろ!」
 

●[第3場 武黒、清水、吉田に注水停止を命じる 

・午後7時過ぎ。官邸危機管理室から携帯で吉田に電話。
・武黒「おまえ、海水注入は」
・吉田「やってますよ」
武黒「えっ、おいおい、やってんのか、止めろ
・吉田「なんでですか」
武黒「おまえ、うるせぇ。官邸がグジグジ言ってだよ」
・吉田「何言ってんですか」と電話を切る
吉田証言「指揮系統がもうグチャグチャだ。これではダメだ。最後は自分の判断でやるしかない
・吉田、テレビ会議で本店の武藤副社長に海水注入の必要を訴える。
東電本店「官邸の了解が得られていない以上、いったん中断もやむをえない
・吉田、納得せず
東電清水社長「今はまだダメなんです。政府の承認が出てないんです。それまでは中断するしかないんです
・吉田「わかりました」

※欄外東電プレスリリース参照

●[第4場 吉田、本店がなにを言っても、絶対に水を止めるな 

その後、吉田は所員にこう宣言する。
「海水注入に関しては、官邸からコメントがあった。一時中断する。」と大きな声で言った後、テレビ撮影機に背を見せて注水担当に対して、「本店から海水注入を中断するように言って来るかもしれない。しかし、そのまま海水注水を続けろ。本店が言ってきたときは、おれも中断を指示するが、しかし絶対に水を止めるな。わかったな
  

まさに狂王とその下僕たちに国家存亡の非常事態は握られていたのです。  

ですから狭い意味で、吉田所長に注水停止を「命じた」のは武黒フェローであり、彼からの「吉田は頑として言うことを聞かず注水を継続している」という報告に動転した東電本社の清水社長でした。

しかしそれは、この詳細な時系列経過をみればわかるとおり、強要したのは、ただの素人にもかかわらず権力を笠に着て「海水なんだぞ!もっと詰めろ!」と、明らかに中断を要求した菅首相にあります。

別な機会に詳述しますが、米国NRC(原子力規制委員会)においても、フランス原子力規制機関(ANC)においても、行政府の長である首相には、事故現場に対して直接介入する権限はありません。

日本においては原子力安全委員会がするべきでしたが、明確に定めがなく、斑目氏の意志薄弱ぶりも相まって、菅首相の独壇場を許す結果となってしてしまいました。

その状況を独立事故調はこう評価しています。

「今回の福島事故直後の官邸の初動対応は、危機の連続であった。制度的な想定を離れた展開の中で、専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、次々と展開する危機に場当たり的な対応を続けた。決して洗練されたものではなく、むしろ、稚拙で泥縄的な危機管理であった。」
(独立事故調報告書)
 

専門知識を有していた東電も毅然として総理の不当な現場介入を阻止せねばならない立場にありながら、現実にはご覧のように唯々諾々と注水中断を吉田氏に命じてしまう有り様でした。情けない。

このように 吉田氏が、福島第1で戦ったのは、原発事故そのものだけではなく、要らぬ現場介入をする素人集団の政府と、その政府の圧力に負けて「海水注入の中断」の圧力をかける東電本社でした。独立事故調はこう述べています。

官邸の議論は結果的に影響を及ぼさなかったが、官邸の中断要請にしたがっていれば、作業か遅延していた可能性がある危険な状況であった。」(同) 

このような権力者の狂乱と、その政治圧力から現場を守ろうとするどころか、「うるせぇ、官邸がグチャグチャ言ってんだよ。さっさと注水を止めろ」(武黒フェロー)と同調する東電本社の醜態こそが、吉田氏を最後まで苦しめたのです。

                         ~~~~~

平成23年5月26日 東京電力株式会社プレスリリース

 当社は、本年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う福島第一原子力
発電所の事故に関し、事態の収束に全力を挙げて取り組むとともに、事実関係の
調査を進めております。

 こうした中、3月12日に実施した1号機への海水注入に関する主要な時系列につ
いて、これまでに以下の内容が判明しましたので、お知らせいたします。

<3月12日の主要な時系列>
12:00頃  社長が海水注入の準備について確認・了解
14:50頃  社長が海水注入の実施について確認・了解
14:53頃  淡水の注入停止(これまでに8万リットル注入)
15:18頃  準備が整い次第、海水注入する予定である旨を原子力安全・保安院等
      へ通報
15:36頃  水素爆発
18:05頃  国から海水注入に関する指示を受ける
19:04頃  海水注入を開始
19:06頃  海水注入を開始した旨を原子力安全・保安院へ連絡
19:25頃  当社の官邸派遣者からの状況判断として「官邸では海水注入について
      首相の了解が得られていない」との連絡が本店本部、発電所にあり、
      本店本部、発電所で協議の結果、いったん注入を停止することとした。
      しかし、発電所長の判断で海水注入を継続。
注)

(注) 関係者ヒアリングの結果、19:25頃の海水注入の停止について、発電所長
    の判断(事故の進展を防止するためには、原子炉への注水の継続が何より
    も重要)により、実際には停止は行われず、注水が継続していたことが
    判明しました。
 

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朝日「吉田証言」の虚妄その4 吉田昌郎氏の墓に唾する者

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吉田昌郎氏が存命ならば、この朝日新聞の「吉田調書」キャンペーンをどのように感じたでしょうか。  

その前に、果たして彼が生きていたならば、この「調書」公開はありえたでしょうか。実は吉田氏は生前、明確に第三者への開示を拒否していました。  

これは私の推測ではなく、彼が存命中に政府事故調の聞き取りに協力を惜しまなかった代わりに、このようなことを政府事故調に申し出ているからです。  

吉田氏は上申書でこう述べています。

「自分の記憶に基づいて率直に事実関係を申し上げましたが、時間の経過に伴う記憶の薄れ、さまざまな事象に立て続けに対処せざるをえなかったことによる記憶の混同等によって、事実を誤認している部分もあるのではないかと思います」
(吉田所長の政府事故調に対する上申書)
内閣官房ホームページ吉田氏上申書
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/20140523_jyoshinsyo/jyoshinsyo.pdf

この上申書を読むと、吉田氏は責任者であった自分の証言が一人歩きして、誤りが修正されることなく歴史的事実として定着することを恐れていたことがわかります。  

これは巨大事故の緊急対処に当たった責任者として優れた見識です。  

原発4基が短期間に爆発するという巨大事故に際して、吉田氏が言うように「さまざまな事象が立て続けに起きて」おり、その対応の混乱や、記憶の混同は避けられないからです。 

ですから、吉田氏は自らの「証言」自体も、他の人たちの証言も含めて検討して相対視して欲しいと事故調に要請していたわけです。   

この朝日新聞の「スクープ」は、吉田氏が反論することが不可能になった時期をみはからって行なわれ、そして氏の遺志を徹底して踏みにじったものとなりました。(写真 闘病中の吉田氏)

Photo

私は吉田昌郎というひとりの男が日本を、地獄の奈落へと滑り落ちて行こうとするわが祖国を救ったと思っています。

彼が注水停止を官邸の言うがままに実行していれば、今私はここにいないはずです。東日本全体は深刻な長期間続く放射能汚染の地になったことは間違いありません。

吉田は、事故が起きた時に関連会社の作業員の退去を命じます。それは、この福島第1原発に「残る」ということが、すなわち死を意味することを原子力の専門家として熟知していたからです。

福島第2原発所長は、扉を閉めて退去させないようにと命じたそうです。それも正しい判断でした。

原子力事故とは、米国NRCが言うように長丁場になり、延べ数千人が交替で行うものだからです。

しかしこの時、吉田を動かしていたのは「論理」ではなかったはずです。いわば「魂」でした。

言い換えれば、原子力技術者としての合理性ではなく、このような事故を起こしてしまったことに対する原発所長としての慙愧の念でした。

だから、彼は責任を取るのは自分とわずかの死を覚悟したメンバーでいいと考えたはずです。かなうことなら、ほんとうは彼一人で立ち向かいたかったのではないでしょうか。

彼はホワイトボードに残ることを選んだメンバーの名を書いていくように言いました。それは上司としての命令ではなかったはずです。

彼が語るようにまさに墓標でした。墓標に共に自らの名を刻む仲間に語りかけたのです。

最後まで残って戦ったのはこんな人間だぞ」、と。

彼はのちにインタビューでこう述べています。

私自身が免震重要棟にずっと座っているのが仕事で、現場に行けていない。いろいろな指示の中で本当にあとから現場に話を聞くと大変だったなと思うが、(部下は)そこに飛び込んでいってくれた。本当に飛び込んでいってくれた連中がたくさんいる。私が昔から読んでいる法華経の中に地面から菩薩(ぼさつ)がわいてくるというところがあるが、そんなイメージがすさまじい地獄のような状態で感じた。

さて、この朝日「吉田調書」キャンペーンと「美味しんぼ」事件は、似た体質があります。 

事実を捏造したり曲解することで、福島県民や福島事故に関わった人々を貶めることです。そしてそのことで反原発を情緒的に訴えるという手法です。

しかし、「美味しんぼ」がそうであったように、海外の一部を除いて国内は無反応でした。他紙も呆れたように朝日の狂態を眺めていたようです。

事故から3年、国民はそれだけ賢明になったのです。

それにしても反原発派は、いつまでこんなくだらないネガティブ・キャンペーンに明け暮れるのでしょうか。するべきことは、真正面から脱原発のプロセスを議論することのはずです。 

現実のフィールドで政策論として争わなければ脱原発など実現するわけがないのに、脱原発派はエネルギーの専門知識を持った人材もいなければ学習意欲すらないために、出来ることといえば、人を貶めたり、ありもしないことを煽ったりすることくらいの有り様です。

そしてこのふたつの事件のように、多くの国民から呆れられてしまっています。

結局、この朝日がそうであるように元々中長期で考えねばならない脱原発政策を、政局でしかない反安倍政治に流し込んでしまうからこのようなことになるのです。

しかも今や、ネガティブキャンペーンの毒が回って、人としての精神の貧困すらもたらしています。

福島で、白血病が出たと言っては騒ぎ、甲状腺ガンなど増えてほしいようなそぶりです。こんなことばかりやるようでは、反原発派に未来はありません。  

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朝日「吉田証言」の虚妄その3 「撤退」と「退避」を意識的に混同した捏造

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今回、この朝日新聞「吉田調書」キャペーンのほんとうの狙いを、かの「反骨の元外交官」こと天木直人氏がこう解説しています。 

「これが本当なら、もはや東電はその無責任さを問われ、国民の怒りの中でたちどころに潰れる。生き残りなどあり得ない。安倍政権が強行しようとする原発再稼働も吹っ飛ぶ。それほどの大スクープである。
だからこそ菅官房長官は激怒し、あの悪名高い特定秘密保護法案まで持ち出して、吉田調書を漏洩した犯人探しと厳罰を命じたのだ。近年まれにみる朝日の調査大スクープである。」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/amakinaoto/20140611-00036235/ 

天木氏があんまり朝日新聞を随喜の涙を流さんばかりに大絶賛するものですから、私からこれ以上付け加える必要がないほどです(笑)。 

まさにおっしゃるとおり、朝日新聞の目的は、東電を無責任な会社として潰すことで、さらに再稼働も同時に葬り、安倍政権に痛打を与えることです。 

その目的の評価は置くとして、前回まで見た通り朝日新聞は、「東電は現場まで9割撤退していた」と強引に結論づけたいために、当時の切迫した状況を無視した上で、吉田「証言」の真意を真逆に分析をしてみせました。

ではなぜ、このような白を黒ということができたのでしょうか。

それは朝日の1面大見出しにある「9割まで撤退」の「撤退」という言葉に隠されています。朝日は、ここで「撤退」という用語を用いていることに注意して下さい。

そして吉田「証言」には「退避」という言葉が使われていても、「撤退」という表現は使われていなかったことにご注意ください。

そう、「退避」と「撤退」という言葉は決定的に違うのです。

この「東電撤退」問題は、3年前から事故をウオッチしていた私のような人間にとっていわば定番メニューのようなもので、まだこんなことが蒸し返されるのかと逆に驚いたくらいです。  

事故対処において「撤退」という用語は、「事故現場から部隊を後方へ移動すること」です。

この福島事故の場合、福島第1から人員を「全員撤退させる」ということを意味します。  

一方「退避」は、「一時的にその場所から離れて危険を避けること」で、事故現場から緊急避難することです。

福島事故の場合、対処要員を残して、事故処理に関係ない職員は安全な場所に移るということを意味します。

実は、このことを巡って、「確かに退避を要請したが、撤退するなどと言っていない」と主張する東電サイドと、「いや政府側は皆撤退すると聞いた」という民主党政権側で大きな誤解があって、あの菅首相の有名な「総理東電演説事件」にまで発展します。  

菅直人氏などは、今も彼の本にまるで東電が「全面退却」することが歴史的事実であったような書き方をしています。 

菅氏はこう述べています。

「(朝日新聞に)報じられているように、事故発生から4日目の14日夜から15日未明にかけて、東電が事故現場から撤退するという話が持ち上がったが、それが意味するものは10基の原発と11の使用済み燃料プールを放棄することでしり、それによって日本が壊滅するかどうかという問題だった」
(「東電福島原発事故 総理として考えたこと」)
 

菅氏が言うには、東電は責任を放棄して逃げると言っていた、自分はそれは「日本の壊滅」だから断固身体を張って阻止したといいたいようです。

一方、東電本社(本店)はどう考えて、それを官邸に伝えていたのでしょうか。撤退、それとも退避、どちらでしょうか。  

朝日新聞は一貫して「東電撤退」説をとっています。というか、「プロメテウスの罠」の中で東電撤退説を発信したのは他ならぬ朝日だったのです。その部分です。

「清水(※当時社長)が求めた『撤退』について、東電は現在『作業に関係のない一部の社員を一時的に撤収させることがやがて必要となるるために検討したい』だったと主張する。しかし清水の要望を聞いた官邸の人間のうち、確認できた5名全員が清水はそう言わなかったと話す」
(記事版「プロメテウスの罠」)

この朝日新聞報道の影響は巨大で、当時の東電に対する国民的悪感情の発信源になっていきました。

つまりここで朝日が作ったのは、このような世論だったのです。

「東電撤退」⇒「卑劣な東電」⇒「こういう会社だから原発事故を起こしたのだ」⇒「東電潰せ」⇒「原発ゼロ」⇒「再稼働反対」  

しかし、この「プロメテウスの罠」が本になってやがてわかるのですが、別な箇所で、こんな矛盾したことを朝日新聞は書いています。

「一度目にやっと電話がつながったときの清水の言葉を海江田はこう記憶している。『第1原発の作業員を第2原発に退避させたい、なんとかなりませんか』。海江田は「残って頂きたい』と断った」
(書籍版「プロメテウスの罠」)

まさに、朝日の「吉田調書」キャンペーンの場面です。ここで、はっきりと清水東電社長は、現場指揮官の吉田氏の要請に従って政府に「退避」を要請していることがわかります。 

これは、後に公開される東電本社内のテレビ会議での記録を調査した政府事故調中間報告書からも確認できます。 

高橋フェローが福島第1から第2へ全員退避させることを発言した際に、清水社長はこう言っているのです。

現時点で最終避難を決定しているわけではないことをまず確認してください」(政府事故調中間報告書) 

ここで清水氏が言っている「最終避難」とは、現場からすべての要員を退避させることでです。

色々と齟齬があった東電本社と現場ですが、ここにおいては一部の退避であって、全面退避はありえないと言い切っています。そしてそれは吉田氏の強い意志でもありました。

この社内会議の後に、清水社長はこの結果を伝えに総理会談を要請しているのですから、東電が菅首相に「福島第1から全面撤退をしたい」などと言うはずがありません 

興味深いことに、「プロメテウスの罠」はこの電話を受けた後の海江田氏の対応をこう書き記しています。

「(しばらく後に)海江田の秘書官が入ってきて、『東電から電話です』と告げた。海江田は、「もうそれはいいよ。断った話だから』と答えた。『なんの話ですか』と寺田が訪ねると、海江田は、『東電が撤退したいと言っているんだ』と答えた」

普通なら読み飛ばしてしまう所ですが、撤退か退避かというキイワードで見ると、海江田氏(当時経済産業相)は、伝言ゲームのミスというには余りにも大きな伝達ミスをここでしてしまったことがわかります。 

原発事故のマネジメントなど何も知らなかったタレント政治家の海江田氏には、「撤退」と「退避」の概念の違いなどには頓着ありませんでした。 

「どっちだって同じだろう。東電はいずれにしても逃げたいと言ってるんだ」ていどの素人考えがあったのです。 

そして海江田氏が聞き違えて、政府内に東電が「撤退したいと言っている」という誤情報を発信し、受け手のこれまたその概念の差などわかるわけがない菅氏が「すわッ、東電が全面撤退するぞ」と勘違いし、東電本店での大演説につながっていくわけです。

ほとんど笑えない喜劇です。 

別に自民党を好きではありませんが、彼らなら官僚が「大臣違いますよ」とフォローを入れたことでしょう。 

しかし、官僚を敵視して排除した素人政権の悲しさで、彼らはこの聞き違いをそのまま事故対応に反映させてしまいます。  

もうひとつ証拠を挙げます。実はこの3月15日朝の東電清水社長-菅首相会談に呼び出されて立ち会った政権外の第三者がいます。 

それは斑目春樹氏(当時安全委員会委員長)で、彼はこう証言します。

「(菅総理)『東京電力は、福島第一原発から撤退するつもりなのか』
菅は、最初から、そう問い質した。だが、清水の答えは、その場にいた全員を絶句させた。『撤退など考えていません』
えっーー。撤退するのではないのか。撤退するというから、この夜中に全員が緊急に集まっているのではないのか。誰もが清水を見てそう思っただろう。
『清水さんが席に座って、撤退など考えていませんと言った時、かくっと来ました。そして、なんだ、やっぱりそうか、と思ったんです』」
(「死の淵を見た男」門田隆将)

そしてこの「退避か撤退か」論争に決着をつけるように、政府事故調はこう結論づけています。 

「当委員会の調査の結果、本店対策本部および発電対策本部において、一連の事故対処の過程で、福島第1原発にいる者全員を発電所から撤退させることを考えた者はいなかった」(政府事故調中間報告書)  

「菅総理が東電本社に来社し、覚悟を迫る演説を行なう前には、既に東電は緊急対策メンバーを残す退避計画を立てており、菅総理が『全面退避』を阻止した事実は認められない」(同)

福島事故において、当時政権の座にあった民主党は、事故対処に深刻な失敗をしました。 

おそらく後の原子力事故の教科書に「政府はこうやってはならない」例としてゴチック活字で記されるような惨憺たる有り様でした。  

しかし、彼ら当時民主党政権において事故対処に当たった政権中枢メンバーは、責任を東電にすべてなすり着けることで責任転嫁を図りました。 

菅直人氏に典型ですが、「原発推進政策をしてきたのは自民党。事故を起こしたのは東電。逃げようとした東電を止めたヒーローがオレ」という実に虫のいい総括をするようになったのです。 

朝日新聞は、事故調記録を丹念に当たれば、東電撤退説はハッキリと否定されているのですから、 無理矢理にでも「吉田調書」が言ってもいない「命令違反」を捏造するしかなかったのです。

最後に、吉田氏の「全面撤退」問題についてのインタビューの肉声を記しておきます。

もはやこの吉田氏の言葉だけで、朝日新聞の記事はすべて否定されています。

「基本的に私が考えていたのは第1原発をどうやって安定化させるかということに尽きる。そういう時に我々が現場を離れるということは絶対にあってはならない。
かといって人命は非常に尊いので、関係のない人といったらおかしいが、事故の収拾に直接関与していない人には避難していただく。ただやはり現場で原子炉を冷やしたり、そういう作業をしている人間は撤退できないと思っていたし、本店にも撤退ということは一言も言っていないし、私は思ってもいなかった
(毎日新聞 2012年08月11日 )

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朝日「吉田調書」の虚妄その2 戻って待機という指示はありえない

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私は、朝日新聞の、「所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた」(朝日新聞5月20日)というキャンペーンを読んで、どうしてこういう解釈ができるのかとため息すら出ました。 

私が、朝日新聞のキャンペーンがおかしいと感じたのは、このキャンペーンは当時の吉田氏の「立場」をまったく理解していないことがすぐに分ったからです。 

当時の吉田氏は、福島第1原発所長として2つの責任を抱えていました。

①過酷事故に対応する緊急対処グループの現場責任者
②約700名の女性、事務職、下請けまで含んだ人々の安全管理責任者
 

つまり彼は、おそらく世界中の誰ひとりとして体験したことのない巨大原子力事故の緊急対応指揮を執りながら、一方で700名もの人々の職員・労働者の生命を守っていたのです。

まさに超人的の一語に尽きます。退任してほどなく病床に就いたのは当然のことです。多くの人は、彼の死を「戦死」と敬意を込めて呼びました。

さて、2011年3月15日朝の状況をもう一度おさらいしてみましょう。状況は最悪に近づきつつありました。

①1、3号機は既に爆発。避難所であった重要免震棟近くの2号機も爆発寸前。
②食糧、電気、水の備蓄が切れかかり、トイレすら使用不可能になりつつあった。
③構内は最大で1万1930マイクロシーベルト/時という高線量になっていた。

このような状況下で重要免震棟は、放射能遮断設備があるここにしか避難するしかなかったために700名もの人々を収容して膨れ上がっていたわけです。 

それから数か月たってもなお、階段や廊下に倒れるように眠っている作業員の姿が見られています。 

ましてや事故当時の状態は、凄惨極まるものであったことは想像に難くないと思われます。 

この記事によれば、吉田氏は高線量で食糧も切れかかっている、電気、トイレも使えないという重要免震棟に、その上事故処理には役にたたない事務職員の女の子まで「戻ってこい」と言っているとされています。

第一、帰ってきてなにをするのですか、出金伝票の整理でも?

事務職系に仕事はないし、下請けに対しては、福島第2の所長は留まるように指示していますが、吉田氏はすべて東電社員のみで責任を被っていこうという姿勢を貫いています。

なぜなら、当時の状況において残留することは、すなわち「死」を意味したからです。

それを朝日は、比較的安全な福島第2への退避ではなく、2号機の爆発が迫っていた構内に「待機していろ」というのですからハンパではない冷血漢か馬鹿ということになります。 

私は朝日新聞記事のこの部分を読んだ時、失笑してしまいました。ありえないからです。 

吉田氏の人柄以前に、現場指揮官として、女性や事務職員までここにいろと言うこと自体ナンセンスです。それもひとりふたりではなく700人も!(苦笑) 

安全管理上はいうまでもありませんが、緊急対応で不眠不休の戦いをしていた吉田氏には、700名もの大人数の保護をする余裕などなかったことでしょう。 

きっとこの朝日新聞の記事を読んだ国民は、そうか吉田氏は日本を救った英雄的な人だと聞いていたが、ガッカリだと思われたことでしょう。 

おそらく朝日新聞のねらいは、まさしくそこです。 

鬼籍に入られた吉田昌郎氏という男を、冷酷な「汚れた英雄」、しかも馬鹿として貶めたかったのです。 

そして630名もの事故に耐えた名もなき人々には、「恐怖にかられて逃げ出した命令違反者」として唾を吐きかけたわけです。たいした感性です。

実際、週刊ポストによれば朝日新聞の報道を受けて、海外ではこのような報道がなされたそうです。

福島第1原発の作業員は危機のさなか逃げ去った」(英国BBC)
福島第1原発は日本版セウォル号だった。職員90%が無断脱出!」(韓国エコノミックレビュー)
2011年、命令にも関わらず、パニックに陥った作業員たちは福島原発から逃げ去っていた」(NYタイムス)

福島第1の現場職員たちは、朝日新聞によってなんとあの「セウォル号の船員」にされてしまったわけです。 

もう少し続けます。 

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朝日「吉田調書」の虚妄その1 「所長命令に違反して大部分が逃げた」の嘘

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朝日新聞は5月20日付けで、いわゆる「吉田調書」をスクープしています。 

内容的には新味に乏しいのですが、吉田昌郎氏が「撤退禁止を命令したのに、所員は逃げてしまった」ということを朝日は言いたいようです。

「東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。」(朝日新聞5月20日)

朝日記事から「吉田証言」の当該部分を引用します。分かりやすくするために3分割します。

・A「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。」 

・B「いま、2号機爆発があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、これから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれとうつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。」 

・C「それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して」

口語をそのまま起こしているので読みづらいですが、吉田氏は3つのことを言っています。 

まずAの部分です。 

「2F(福島第2原発のこと)へ退避しろと言ったのではないが、伝言が混乱して運転手に福島第2に退避するように伝わってしまった 

次にBの部分です。 

B「2号炉が水素爆発寸前だったのでその近くの重要免震棟(※当時約700名近くが避難していた)が危険だと思い、構内の別な場所に移動するように言った。」 

そして結局、Cの部分で、吉田氏は対処要員69名を残して、2F(福島第2)へ退避するわけですが、これを「よく考えれば2Fへ行ったほうがはるかに正しかった」と言っています。 

さてさて、このどこが問題視されねばならないのでしょうか。 

吉田氏は次回でふれますが、自分の指示や、「証言」を絶対視していません。むしろ、記憶違いがあるだろうし、間違って出したのもあるだろうと考えています。 

だから、福島第1の現場という修羅場で、伝言ミスや誤判断もあって当然だと思っています。ここが彼の凄さです。 

もし彼が当時の総理のような性格ならば、外に敵を作って自己合理化をしたことでしょう。 

しかし朝日新聞はどうもこう言いたいらしいですね。

「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内で待機」
「その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」ことが吉田所長の「命令」であり、これに背いて福島第二に避難したのは重大な命令違反だと見なしている。」(同記事)
「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう。」(同上)

「重大な命令違反と見なしている」ねぇ? 

「吉田証言」Cの部分で吉田氏はなんと言っているんでしょうか、吉田氏ははっきりこう言っていますよ。

よく考えれば2Fへ行ったほうがはるかに正しかった 

このどこが「重大な命令違反」ですかね、朝日さん。

吉田氏は福島第2への「退避」を「命令違反」として責めているどころか、自分が言った「(構内)北側か南側への退避」より正しい判断だったと胸をなでおろしているのです。 

この状況を理解するには、2011年3月15日朝の時刻の重要免震棟と福島第1の状況を知る必要かあります。 

整理してみましょう。

①3月12日、1号機水素爆発
②3月14日、3号機水素爆発
③所員は、海水注入や建屋に突入といった戦いを不眠不休で継続
④構内か高線量になってきたために、放射線遮断機能を持つ重要免震棟に700名全員が退避した
⑤700名のうち9割は、庶務、総務、経理などの事務系で、女性も多く含まれていた。東電職員以外の下請け労働者も多く存在した。

この状況で心配されたことは以下です。 

①重要免震棟近くの2号機の爆発の予兆があり(※実際数時間後に爆発する)、重要免震棟も決して安全とはいえなくなっていた。
②700名という大人数が既に震災後5日間も重要免震棟に避難していたために、備蓄の食糧、水、トイレなどのライフラインが限界に近づいていた。
 

この状況を見て吉田氏は、事故の緊急対応に不要な、事務系、女性、下請けを退避させるべきだと考えました。 

というか、この時を逃すと福島第1自体がどのような状況になるか予断を許さないまで状況が切迫しており、吉田氏は必要な対処人員だけを残して、退避させるべきだと考えたのです。 

そして、吉田氏はこの残留するメンバーは「オレと一緒に死んでくれ」と考えていました。 

その時彼が選んだひとりひとりの顔を思い浮かべて懊悩する姿は、いくつかのドキュメントに記されているとおりです。 

ちなみにこの残留する決死隊69名はすべて東電職員であり、一部で流されたような下請けに危険な仕事をさせて正社員は逃げたというのは悪意ある誤報です。

また、彼らの大部分は、東電本店のエリートとは異なり現地採用された福島県出身者であって、自らのプロ意識の命じるままに、そして自分のふるさとと家族を守るために志願したのです。

彼らは原子力事故という地獄に差した一点の灯火のような存在だったのです。

それはさておき、朝日新聞はなにを根拠に、「その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらうことが吉田所長の命令」だと書くのでしょうか。 

いいですか、既に1、3号機が爆発しており、2号機は爆発の予兆があったわけです。 

吉田氏は「失敗すればチェリノブイリの10倍の惨事になる」ことすら予想していました。 

というのは、どうにか5.6号機は運転員の的確な対処で爆発を免れたものの、2号機、4号機の爆発は間近だと感じていたからです。 

「異常がないことが確認できたら」と朝日は地の文で書き加えていますが、なにを寝ぼけたとを。こんなことを吉田氏が発想するはずがありません。 

「異常がない」どころか、まさに異常な極限状況の真っ只中で、吉田氏は700名の人命を預かっていたのです。 

冷厳に言っても非常時指揮官だった吉田氏に、630人もの事故対処に役に立たない人たちに「戻ってきてもらう」理由はなにひとつありません 

まして、吉田昌郎という人物は、残留した職員が「この人のためだったら命を捨てられる」と思ったという男気と優しさに溢れる人物だったのです。 

ただ退避先の指示において、構内か、福島第2かということで「伝言ゲーム」(吉田氏証言)があっただけです。 

そして吉田氏ははっきりと自分の指示が間違っていた福島第2へ退避したほうが正しかったと述べています。 

このどこが「所長命令に反して大部分が逃亡」ということになるのでしょうか。 

次回に続けます。

 

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週末写真館 梅雨時々真夏

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くわっときました。
梅雨というより豪雨の数日の後に、力一杯夏が来たというかんじです。
積乱雲は盛大に天を突き、
遠く雷すら鳴って、気分は真夏です。
こういう時に限って仕事が忙しいだなぁ(笑)。

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集団的自衛権から地域集団安全保障体制へ

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集団的自衛権の議論が煮詰まってきたようですが、かんじんの本質的議論には至ってないようです。

個別的自衛権か、集団的かとか、地球の裏側までついていくのかとか、その範囲はどこまでとかなどといった観念的議論は、私にはどうでもいいことで、ほとんど無意味なものだと思っています。

なぜなら、自衛権に個別も集団的も本来なく、そんなカテゴライズをしているのは唯一日本のみの現象であって、そのような「神様も聞いていない神学論争」にふけっているのは、世界広しといえども日本だけだからです。

日米安全保障条約第5条には、前に見たように(※欄外関連記事参照)既に集団的自衛権は書き込まれており、それを締結しながら国内的理由から行使しなかっただけにすぎません。

もし安全保障の組み方が一国のテーマに上がるとすれば、米国、ロシア、中国、インドなどの核保有国のように一国単独で安全保障が可能なのか、あるいはヨーロッパのような地域の多くの国と集団的安全保障体制を組むのかに別れることです。

結論から言えば、わが国はいうまでもなく前者ではない以上、後者の地域的集団的安全保障体制を目指していかねばなりません。

このことによって、今反対派から批判されている「米軍について地球の裏側で戦うのか」といったような、狭く米国の利害との関係のみで視点を固定させる必然がなくなります。

さて、よく外交・軍事分野で使われる言葉に「抑止力」という言葉かあります。簡単にいえば「思い止まらせる力」のことです。 

戦争をしかけられるのを防ぐ力のことだと、一般的には解釈されています。しかし、もうひとつ別の意味もあります。 

その反対に、「自国が戦争をしかけることを思い止まらせる力」のことです。

イヤな言い方をすれば、「ビンの蓋」論です。日本が戦前のよう突出しないように、押し込めておくという意味で、米国の一部で使われ続けてきました。

私は、集団的自衛権を持つことによって、戦前型の世界を敵に廻して戦ってしまい国を滅ぼした悲劇を再現することがなくなるのではないかと思っています。 

大戦の反省から、世界にはいくつもの戦争を未然で防止する仕組みができました。そのひとつが国連憲章で謳われている集団的自衛権です。 

反対派の人たちにはなにか誤解があるようですが、集団的自衛権は、戦争を防止する仕組みであって、戦争を仕掛ける仕組みではありません 

NATO諸国は、一国の侵略に対して加盟国全体で対処するという自動介入条項を持つと同時に、加盟国が勝手に侵略することも不可能な「共同制裁」の仕組みも持っています。 

私は、このNATOが今の時代のもっとも完成された集団的自衛権システムだと思っています。 

ドイツは55年とかなり早い段階に加盟し、ドイツが三度欧州を戦火にさらすことがないことを周辺国に「誓約」をしました。 

外務省HPによればNATOはこのような任務をもつとされています。

NATOの任務
・「集団防衛」、「危機管理」及び「協調的安全保障」がNATOの中核的任務。
・NATOは、いかなる国も敵とはせず、加盟国の領土及び国民の防衛が最大の責務

集団的防衛に関しては、NATOがある限り、その加盟国に対する攻撃は加盟国全体への攻撃と見なされます。

NATO条約第5条
「NATO締結国(1カ国でも複数国でも)に対する武力攻撃は全締結国に対する攻撃と見なし、そのような武力攻撃に対して全締結国は、北大西洋地域の安全保障を回復し維持するために必要と認められる、軍事力の使用を含んだ行動を直ちに取って被攻撃国を援助する」

条約締結国に対する武力攻撃は、国連憲章第51条に言う集団的自衛権の行使が明文で規定されているのです。 

だからこそ、ロシアはポーランド、ハンガリーという旧ワルシャワ条約諸国がNATOに加盟したことに強い衝撃を受けているのですし、ここでまたウクライナまでNATOに加盟する事態をなんとしても阻止したいのです。 

いったんウクライナに加盟されてしまえば、ウクライナ領の切り取りは、NATO全体への挑戦となってしまうからです。 

逆に、NATO加盟国がかつてのナチス・ドイツのように一国の利害で戦争を開始することもまたや可能になりました。 

ひとつの加盟国の勝手な軍事行動は、共同で制裁の対象になるからです。 

このように、集団的自衛権を持つことは大きな防衛上の抑止力であると同時に、「縛り」のための抑止力でもあるのです。 

次に「協調的安全保障」(cooperative security)は、冷戦終結後にNATOのミッションに加えられた最も新しい安全保障概念です。 

冷戦後は米ソが核兵器を大量に抱え込んで、互いに核のMAD(相互確証破壊)という文字通りマッドな仕組みでにらみ合っていました。 

冷戦以降この仕組みは大きく変化します。 

米ソの親分のタガからはずれた世界には、民族紛争、宗教紛争、領土紛争、麻薬取引、兵器の拡散、飢餓などの問題がいっせいに噴出しました。 

このような問題に対処するには、かつてのような国家間軍事同盟では難しく、国境を越えた広い地域での包括的な協力する仕組みが必要になったのです。 

一方、アジアにおいては中国との冷戦期以来の構造がなくなったわけではないために、「ハブ&スポーク」と呼ばれる米国と各国が各個に結びついた二国間同盟が残されています 

その意味で、日本の集団的自衛権が認められたとしても、欧州のような集団安全保障体制は構築されていないことになります。 

これが、今の集団的自衛権論議でかまびすしく叫ばれている「米国の戦争」に巻き込まれるのではないかという疑念を、反対派に持たせている原因です。 

ところで、アジアにおいて唯一、このNATOに似た協調的集団安全保障システムを持つ国家連合があります。 

それが1994年にASEANによって、東アジアの安全保障協議の場としてASEAN地域フォーラム(ASEAN Regional Forum. ・ARF)です。 

残念ながら、ASEANをベースにした発展途上国、新興国連合のためにさまざまな制約があって限界はありますが、このASEAN地域フォーラムこそが、今アジアに唯一存在する、最も進んだ協調的安全保障体制なのです。 

私は、日米同盟、米豪同盟、米韓同盟などの二国間同盟をこのようなASEAN地域フォーラムとリンクさせて再編することが、アジア地域での平和を維持しつつ「米国の戦争に巻き込まれる」不安を解消する道ではないかと思っています。 

まずはしっかりと安保条約第5条の集団的自衛権を習熟してから、日米同盟をさらに一歩進めてアジア・オセアニア諸国との協調的安全保障に進んだらどうでしょうか。 

日米安保強化でおしまいではなく、その先を見通した議論をすることで、「護憲か否か」といったカビか生えたイデオロギー対立の言論空間にはまらず、より柔軟で現実に則した安全保障論議が出来ると思います。 

またそのことによって、米国の戦争に巻き込まれることを抑止し、あるいは日本が単独でかつてのような戦争が出来ない「縛りの抑止力」を持つことができるのではないでしょうか。

しかし現実には、アジアにおいては、欧州のような共通の宗教、政治体制、価値観の共有があるわけでもなく、軍備も貧弱です。

この間の中国の何かに憑かれたような軍事的進出の前に、海軍力どころか満足な沿岸警備艇すら足りないのが現状です。

これがネックで、現実のARFはNATOにはるか及ばないレベルで、一国ずつ個別撃破されるようにして中国の露骨な膨張政策に浸食されていっています。

本来、域内で中軸となるべき先進国は日本だけといっていい状況にもかかわらず、そのわが国もごの体たらくで、未だ「個別的自衛権か、集団的か、その線引きは」などという不毛な議論に止まっているような状況です。

その本質的原因は、わが国の政治が米国のみとの安全保障にのみ足を取られて、「その先」に視線を伸ばしていないからです。

ARF(名称は変わるでしょうが)が日本、オセアニア地域も包括し、米国とリンクするNATOのような新たなアジアにおける包括的地域安全保障体制を構想すべき時期が始まっているのではないでしょうか。 

何も変えないことが平和なのではなく、どこをどのように変えたらもっと侵し、侵されない地域平和体制につながるのか具体的に考えていくべき時です。

※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-e0a4.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-4732.html

http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-7303.html

                     ~~~~~~~ 

※参考資料 「東アジアの安全保障と多国間協力」 参議院特別調査室松井一彦

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地震予知の難しさを知らない福井地裁判決

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福井地裁・樋口裁判長の大飯原発再稼働差し止め判決を読んでいます。

この判決は、地震問題の部分に至ると、もはやわが国はいつから法治国家から人治国家になったのかと目をこすりたくなります。

判決文はこう述べています。

「たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。」(判決文)

と、まぁ、福井地裁は原子力規制委員会の安全基準の耐震基準なんか関係ない、と言いたいらしいですね。

そもそも、福島第1原発の事故は、津波による配電盤の水没が主要原因だとされています。

唯一国会事故調のみが、津波以前の地震での破損を「匂わせている」に止まっています。

ならば、津波か地震が原因かそこをキッチリと専門家を公判に呼んで質すべきであって、初めから地震破損説のみに傾いた判決を出すべきではありません。

たぶん福井地裁は地震破損説をとった(※明確に判決文には書かれていませんが、そうとしか取りようがありません)のは、津波説と違って安全審査で問題となった原発敷地内の活断層問題と絡んで原告有利の判決文が書きやすかったからでしょう。

さて、その大飯原発の再稼働審査で最後までもめたのがこの地層の「ズレ」の問題でした。  

原発下の地層が活断層であるのか、破砕帯なのか、それともズレなのか専門委員の間で意見が真っ二つに割れ、最後には座長の島崎邦彦委員が「要するズレには違いない」ということまで言い出したほどです。

同じ地層にトレンチを掘って、同じ専門を共有する研究者の中ですら、このように意見が割れるのが現実なのです。

地球科学者の山城良雄氏によれば、地震時以外の断層の動きは無視できるとされているそうです。

つまり、いくら活断層だといっても、地震の時に動かない限り問題にはなりません。

というのは、日本の地層は掘ればそこらじゅうになんらかの地層の「ズレ」があります。

それが活断層だったり、破砕帯だったりするのですが、地震時に問題になるだけで、その上で私たちは平和に暮らしているわけです。

そんな地層の「ズレ」がないのは関東平野のような沖積層か埋め立て地の地盤がゆるい地域で、広瀬隆氏の本じゃあるまいしそんな場所に「東京に原発を」というわけはありません。

だから、規制委員会の安全審査時の「断層評価」も、実はそれだけ単独であるのではなく地震の予知とワンセットなわけです。 

では、この地震予知がいかなるものなのかといえば、 先ほどの山城氏によれば「時間、地域、規模」だそうですが、これは周期で判定します。

周期というのは、たとえば有名なものでは、東日本大震災で注目された貞観地震(869年)が起きたのは9世紀というはるか昔で、古文書で確認できたようなものでした。

そして゛この貞観地震の周期は推定で約1100年という途方もないスパンです。

東電はこれを無視したと言って非難されているわけですが、なにせ11世紀スパンの周期ですから、何十年も、時には百年単位の誤差が生じてあたりまえで、30年以内の確率は0.1%でした。

もうひとつ阪神大震災で有名な兵庫県南部地震に至っては、まったくデータも予測もなく、突如発生したために、周期は分かっていません。

よくテレビで地震の後に学者が「あそこの活断層はねぇ」などとしたり顔で解説していますが、それは起きた後だから言えることで、予測はまったく別次元なのです。

マグネチュード予測はまったく分かっていない分野で、もし仮に予測が可能となったとしても、「一定の広い地域でなにか起きる」ていどのものです。

阪神大震災では、こちらの鉄筋ビルが倒壊した一本道隔てた木造の古い家が無事ということなどあったそうです。

要するに、その地震学者が誠実であればあるほど「地震がいつどこに来るのかなど分からない」のです。

ある地球科学者が、自戒を込めて述べているように、そもそも地震予知自体が、大金を国が投じても不可能に近く、体裁よく言えば確率論、有体に言えば占いのようなものなのです。

元国立極地圏研究所所長の島村英紀氏は、「地震予知はウソだらけ」の中でこのように述べています。

「地震の予知は短期の天気予報と違う。それは地震は、地下で岩の中に力が蓄えられていって、やがて大地震が起きることを扱える方程式は、まだないからである。つまり天気のように数値的に計算しようがないのである。その上、データも地中のものはなく、地表のものだけである。これでは天気予報なみのことができるはずがない」 

ですから、わからない」ということを前提にしている以上、「わからない」ことによるリスクと、しかしそれで享受している社会的利益をどうバランスするのかということになります。

しかしなおも再稼働を阻止したいと考える大飯原発・安全審査委員の渡辺満久氏や島崎委員などが、この活断層かどうかさえ定かでない「ズレ」が今にも動くように言うのを読む時、いったいどれだけの確率で地震が起きるのだろうか、と考えてしまいます。

たぶん山崎断層などの数値からみても、今後30年以内にマグネチュード7以上の地震が起きる確率は0~0.01%ていどのものです。

そしてそのていどの確率は無視できる範囲の数値にすぎません。

ところが、これらの反原発派の学者は、素人の国民に対しては「活断層があるぞ!明日にも大地震が原発を襲うぞ」というような危険性を煽ってきました。

しかし、先ほどから述べているように、そのように考える者は少数派であり、実態はほんとうのところはリスクが微小で「分からない」のです。

このあたりの構図は低線量被曝とよく似た構図です。

だから、当の島崎氏も加わった原子力規制委員会の安全基準は、この「わからない」からこそ一定の基準を作って審査しようということで作られたわけです。

溝口裁判官は、このような学問的背景を知ってか知らずか、たぶん素人特有の無知で軽々と「基準地震動を超える地震が大飯原発に到来したら施設が損傷する」と切って捨ててしまいました。

地震予知が極めて困難であることを知っている人々が、「わからない」からこそ一定の耐震基準を作って審査している横で、それ以上の地震が来たら壊れちゃうぞ」などと言うのは、まるで子供です。

こう見てくると、この溝口氏という裁判官にとって、裁判の前から結論は決まっていたのでしょう。

だから、彼のような反原発思想を持つ人間にとって、その思想を開陳するいい機会だっただけで、そもそも公判の初めから判決文は書かれていたのです。

反原発の考えを溝口裁判官が持っているのはまったく自由です。まさに憲法が保障する国民の権利だからです。

しかし、それと裁判官が裁判に臨むスタンスとはまったく別次元のはずです。裁判官は提出された証拠に基づいてのみ判決を下す、それが裁判官という職務です。

しかし溝口さん、あなたは、既に決められた結論に沿って判決文を書いただけだ。このようなものを果たして裁判と呼んでいいものかどうか、私には疑問です。

この福井地裁判決はその結論そのものより、それを導き出した司法の姿勢のあり方の問題を残したのです。

この判決文は、「経済的損失は生命の前には関係ない」と言っていますので、大飯原発の管内である関西圏の経済にどう電気料金値上げが影響を与えているのかについて検討せねばなりません。

これについては今資料を蒐集しているので、来週にいたします。

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福井地裁判決 双子の神話 原発安全とリスクゼロ

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注目された福井地裁判決(樋口英明裁判長)は、山本太郎氏が陰の執筆者ではないかと思えるようなものになってしまいました。http://www.labornetjp.org/news/2014/1400765883365zad25714  

言っている中身は市民団体と間違えそうなほど過激で、一切のポジティブなことも認めない、全否定なのですからとりつくシマもありません。 

たとえば、本来もっとも大きな争点になるべき原子力規制委員会の安全基準についてもこの調子です。

「いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で適切かつ迅速にこれらの措置をとることを原子力発電所の従業員に求めることはできない。特に、次の各事実に照らすとその困難性は一層明らかである」(判決文)  

おいおい、こここそがキモでしょう、樋口さん。 

それをスルーして「適切な措置を求めることは不可能」と言ってしまえば、事故が起きそうになったら運転員は声を揃えて「南無阿弥陀仏」とでも唱えていればいいことになります。 

現実の福島事故において、運転員以外の下請け、事務職員、女性などを退避(※)させた後に、故吉田昌郎所長以下60余人が踏みとどまって闘い続けました。
(※朝日新聞報道の「撤退」ではなく、事故対処要員以外の「退避」。)
 

決して「対処不可能」と福井地裁が呼ぶような状況でありませんでした。 福島第2、女川も同様で、強いリーダーシップの下に高い士気を貫きました。

また 判決文は、「事故原因が明らかになっていない」という指摘をしています。3年たって解明されていないのはごくわずかな点であり、残りは原子炉に立ち入り調査する必要がある実地検分のみです。  

したがって、好むと好まざるとに関わらず廃炉作業が進む今後10年は不可能でしょう。 

しかし、いかに立ち入り調査がなされようと、樋口氏の結論は初めから決まっているのです。判決文はこう述べています。

危険性が万が一でもあるのかが判断の対象」(判決文)  

典型的な「ゼロリスク論」です。つまりは津波だろうと、地震だろうと、人為的ミスであろうと、初めから「危険性が万が一でも」あるからダメなのです。

ならば、「原因が分からない」などと書くべきではなく、「初めから危ないと決まっているのだから、原因究明など必要ない」」と正直に書いたらどうなのです。 

「ダメだからダメ」という全否定の考え方に立つ限り、現実に原子炉を運営する立場の人たちとは「会話」が成立しません 

するとどうなるかと言えば、原発を動かす電力会社は「絶対に安全です」と言い続けることになります。 

そのあたりの雰囲気を示すエピソードがあります。 

1999年9月30日の茨城県東海村JCOの臨界事故では、、作業員のミスによって死亡者2名、重症者1名を出す大事故でした。 

JCOは住宅地にありながら、周辺に安定ヨウ素剤を配布していないことが後日の調査でわかります。 

後に来日したフランスの原子力関係者が、わが国の関係者にこのことを問うと、このように答えたそうです。

「とんでもない。日本で(事故の可能性を少しでも示すような)そんなことをしたら原発は一基もできません。事故ゼロと言って周辺住民を説得し、納得してもらっているのだから」。

このフランス人原子力技術者がのけぞったのは言うまでもありません。これで分るのは、わが国には原子力の危機管理そのものが完全に意識もろともなかったという衝撃的事実です。  

日本原子力技術協会の前最高顧問石川迪夫氏がこんな話を述べています。  

1992年、IAEA(国際原子力機関)で原子力事故に備えて指針を改定し避難経路を策定すべきという提案があった時、それを持ち帰った石川氏に対して日本の原子力関係者の反応はこうでした。

そんな弱気でどうする。原子力屋なら絶対に放射能が出ない原子炉を作れ。」

とりようによっては強い安全への決意と取れないではありませんが、石川氏自身も認めるように゛日本において「安全」という言葉の影に隠れて「万が一に備える」という視点がすっぽりと抜け落ちていたのです。 

これが日本の原子力村の「空気」でした。これは「事故を想定するだけでも事故になるという言霊信仰である「原発安全神話」につながっていきます。

原子力事故が起きたらどうするか綿密に積み重ねて初めてその先に「安全」があるのであって、あらかじめ「原発は事故を起こすはずがない」では個別具体の安全性対策が進化していくはずもありません。  

そしてこの「原発安全神話」を後押ししたのが、皮肉にも逆な立場から「絶対安全」を掲げる反対運動でした。 

反対運動は、この樋口裁判官のように完全なゼロリスクを求めて運動したために、それを受ける側もまた「安全です」と言わざるを得なくなるというバラドックスを生む結果になってしまいました。  

というのは、工学系の集団である原発関係者にとって、そもそもリスクはあって当然であり、それをさまざまな対処によって最小限リスクに押しとどめるという発想を取ります。

しかし50年間という長きに渡って「ゼロリスクでなければダメだ」という反対運動を全国で起され続けた結果、「安全神話」という偽造の神を作ってしまったことになります。

この「双子の神話」は、まったく正反対を向きながら、共に「危険はゼロ」ということをいうことによって、現実を見なかったのです。

このようにやるべき安全をめぐる具体策は山積しているにかかわらず、当事者の電力会社は「事故というだけで事故になる」と考え、方や反対運動の「原子力ゼロリスク論」は、反対運動だけしていればいいという落とし穴にはまり込んでしまったことになりました。

双方共に今現にある原発について判断停止に等しいわけです。

福島事故後、原子力安全神話は完全に崩壊し、反対運動の側の「ゼロリスク論」のみが生き延びました。

しかも、「ゼロリスク論」は、「放射能ゼロベクレル」論も加わり、自分の主張が正義だと思っているために、いっそう弾みがついて強力になってしまいました。

ここに、本来科学技術とは別次元にあるはずの「正義」や「倫理」という価値観が反対運動を支配することになります。

かくて今や、「原発ゼロ」以外の議論は不可能となってしまいました。なまじ具体論をすれば、それは一定の規模の再稼働を前提とする以上、それは原発を容認したことになると思ってしまうようです。

仮に段階的廃炉という「論理」は現実的だと思っていたとしても、悪魔の原発を「正義」は許さないというわけです。これではカルト宗教一歩手前です。

改めて言うまでもありませんが、いかなる科学技術も人間や環境に対してリスクが存在します。原子炉だけではなく、すべての交通機関、エネルギー源にもリスクは存在します。

福井地裁判決はまた新たな「ゼロリスク神話」を作りだしました。そして3.11後にようやく芽生え始めた「原子力のリスク管理」そのものを全否定しようとしています。

このような「ゼロリスク論」は「原発安全神話」と同じくらい危ない考え方だと、私たち日本人はいいかげん気がついたほうがいいのではないでしょうか。 

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福井地裁判決  司法のひとりよがり

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反原発派の皆さんには「画期的」と大絶賛されている、福井地裁(樋口英明裁判長)の大飯原発3、4号機再稼働差し止め訴訟判決(5月21日)を読んでみました。 

判決文は、こんなことを書いています。http://www.labornetjp.org/news/2014/1400765883365zad25714

「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。」 (判決文 太字引用者)

樋口さん、「差し止めの要請が強く働くのは理の当然」ってねぇ、憲法第13条、25条ってこれいわゆる基本的人権条項じゃないですか。

第13章は、いわゆる憲法第3章の人権カタログの総括的条項で、14条以下の宗教、思想、信条の自由などを保護の前文となっている条項です。

「第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

文明国としてこの条項持ち出したら、もうなんでも言えます。それぐらいイロハのイ、つまりは抽象度が高い民主主義の上澄みみたいな条項です。

一方第25条は生存権といわれる条項です。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

これまた、こんな条項引っ張り出しちゃったのというくらいの条項で、判例を調べても基本的人権である宗教、思想、結社などの自由が侵された場合にのみ適用されています。 

そもそもこのようなナンでも入れられる伸縮自在の風呂敷みたいな憲法概念を、こんな具体的な科学技術的分析を要する科学技術を争点とする裁判に持ち出すこと自体がトンデモです。

憲法は一種の風呂敷だからなんでも包めてしまって便利ですが、百年後にしみじみと炬燵にでも入って、「あの時はこうだったね」と振り返るならともかく、事故後3年しかたたず諸問題がブワーッ噴出している「今」ではないでしょう。

こんなことが可能なら、裁判官は技術的検証を必要としないので、真逆の判決も簡単に出来てしまいます。ちょっとやってみますか。

「[原子力発電は現代社会において欠くことの出来ないエネルギー供給源であり、]従って生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、全ての法分野におい て、最高の価値をもつとされている国民の幸福を追及する憲法13条、25条によって保障されている。」
(判決パロディ カッコ部分が付け足し)

と、このように冒頭の部分さえ入れ換えてしまえば、まったく同じ根拠法で正反対の判決文がいとも簡単に書けてしまいます(苦笑)。 

こんな馬鹿なことができてしまうのは、憲法第13条を恣意的に解釈しているからです。

憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸 福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法 その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

裁判官が国のエネルギーや経済を「公共の福祉」と考えるか、それとも「安全」をそう考えるか、どちらが正しいか、その裁判官の恣意にすぎません。

さて、判決文は、飯原発3号、4号再稼働に関する適否は、原子力規制庁 という行政権とは無関係に福井地裁の裁判権に属するとしています。

「人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。」(判決文 太字引用者) 

しかし言うまでもなく、現行法体系において原子炉の停止命令が出せる政府機関は、原子炉等規制法第43条の3の23(※欄外参照)により、原子力規制委員会(庁)だけなはずです。

その当該部分を改正原子力規制法から抜粋してみます。

「原子力規制委員会規則の規定に違反していると認めるときは、その発電用原子炉設置者に対し、当該発電用原子炉施設の使用の停止、改造、修理又は移転、発電用原子炉の運転の方法の指定その他保安のために必要な措置を命ずることができる。」(原子炉等規制法第43条の3の23)

原子炉規制法が安全基準を定めており、「原子炉の停止、改造、修理、移転、運転方法、その他保安のための必要な措置」については、規制委員会が「必要な措置を命ずることができる」以上を命令権は、規制委員会に属することは中学生でも分かります。 

しかし、これを判決文は憲法の「人格権」を楯に取って「左右されない」といとも簡単に否定してみせます。

原子炉規制法は、その目的を冒頭第1条でこう謳っています。

「目的 第1条 (略)もつて国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的とする。」(原子力規制法)

この改正規制法の「目的」は、地裁判決が根拠法として上げた憲法13条、25条とどこが矛盾しているのでしょうか。

看板に偽りありと言いたいようなので、しっかりと展開されたらよかった。 

原子炉規制法は、福島事故の反省を踏まえて改正されており、原発自体の安全性論議とはまったく別次元です。

原発を否定するのはありえるとして、同時になぜ原子炉規制法まで否定できるのでしょうか。

また、この原子炉規制法は立法府である国会によって承認された法律であるが故に、行政権を得て運営・適用されています。 

それを司法が一方的に「左右されるものではない」とまで断言するなら、三権分立もクソもありません。 

司法が三権の長であり、司法判断で立法府や行政府の権限をバッサリと切り捨てられるわけです。 

樋口さん、これは民主主義とは言わないでしょう。単なる司法のひとりよがり、独善にすぎません。 

こんな好き勝手が許されるなら、こんなことも出来ちゃいますよ。仮にある原発に対して厳しい意見を持つことで知られる規制委員会が安全審査の結果「不合格・再稼働認めず」としたとしましょうかね。

それに対して、電力会社が再稼働を認めろと訴訟した場合、まったく同一の論理で再稼働容認判決が出来てしまいます。まぁこんなかんじでしょうか。再びパロディです。

「原子力規制庁 という行政権とは無関係に地裁の裁判権に属するのであるから、規制庁の判断は無効である」(判決文パロディ)

この樋口裁判長のような反原発裁判官が、「人格権」を根拠に差し止め命令を乱発すれば、逆に原発容認裁判官は、同じ法解釈を使って再稼働容認を判決できてしまうことです。 

裁判官が、自分の勝手な恣意で起訴の法体系を超越するからこうなるのです。こうなったら法律っていったいなんなんでしょうね。独善者の刃物でしかありません。

なんのことはない、樋口裁判官は、「オレが再稼働差し止め判決を出したいから、現行法規など関係ない」と言っているにすぎないじゃないですか。私たち国民は樋口氏の思想を聞きたいのではないのです。

これは樋口裁判官が、科学技術裁判に基本的人権条項などを持ち出したことがそもそもおかしい上に、更にそれを合理化するために現行法である原子炉規制法を否定したからこうなったのです。 

反原発派の皆さん、こんな判決貰って狂喜乱舞するにはちょっと早いんじゃありませんか。

次回に続けます。 

                  ~~~~~~~~~~~~ 

■原子炉等規制法第43条の3の23(施設の使用の停止等)
原子力規制委員会は、発電用原子炉施設の位置、構造若しくは設備が第43条の3の6第1項第4号の基準に適合していないと認めるとき、発電用原子炉施設が第43条の3の14の技術上の基準に適合していないと認めるとき、又は発電用原子炉施設の保全、発電用原子炉の運転若しくは核燃料物質若しくは核燃料物質によつて汚染された物の運搬、貯蔵若しくは廃棄に関する措置が前条第1項の規定に基づく原子力規制委員会規則の規定に違反していると認めるときは、その発電用原子炉設置者に対し、当該発電用原子炉施設の使用の停止、改造、修理又は移転、発電用原子炉の運転の方法の指定その他保安のために必要な措置を命ずることができる。
 

 

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低線量被曝を受け続けていた60年代からの20年

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今回の「美味しんぼ」騒動で改めて思ったのですが、私たち日本人は、福島事故で広島・長崎以来初めて「被曝」したと思っているんでしょうか

よく反原発派の皆さんは、福島を広島・長崎やチェリノブイリと比較するのは好きですが、その間に日本のみならず北半球を放射能だらけにした事件をお忘れになっては困ります。

まずは福島事故以前の日常食の放射線量をご覧ください。

●福島事故以前の日常食が含有する放射線量(Bq/人日)

試料 年度セシウム137ストロンチウム90
最小値 平均値 最大値 最小値 平均値 最大値
日常食 2005 0.0071 0.031 0.17 0.02 0.04 0.1
2006 0.0085 0.042 0.56 0.021 0.039 0.091
2007 0.01 0.028 0.066 0.022 0.037 0.1
2008 0.00811 0.025 0.1 0.024 0.036 0.056

・2008年の1日分の食事のセシウム137の摂取量・・・0.025ベクレル/㎏
・同ストロンチウム90                  ・・・0.036

この原因は、カリウム40のような自然放射性物質ではなく、セシウム137、ストロンチウム90てすから人工由来です。

この時期から言って、チェルノブイリと中国核実験の影響だと考えられます。

チェルノブイリは欧州を広域に汚染しましたが、1950年代から80年代まで続いた核実験は北半球全域を地球規模で汚染しました。

これは地下核実験と違って、地上に据えつけて爆発させるために大気圏内の気流に乗ってしまうためです。(写真 ユタ州の小型核の大気圏内実験。)

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1950年代からの大気圏内核実験の総数は500回を超え、放出された放射性物質はチェルノブイリ事故の800万倍に達すると言われています。

また1950~1960年代の10年以上にもわたる人工放射性核種の降下量累積は、今回の福島原発事故の放射性物質の堆積にほぼ匹敵します。

そこでこのセシウム137の1955年から2005年までの日本に降下した放射性物質の降下した量をみてみます。

Photo
(図 田崎晴明「やっかいな放射線とむきあって暮らしていくための基礎知識」より)

このクラフは東京新宿区で測定されたものです(東京都庁による)最大時は、驚くべきことには1965年の1700ベクレル/㎡弱です。

1990年までの降下量の総計は約7600ベクレル/㎡となります。なお、通常セシウムは134と137の合計で表記しますので、だいたい2倍強ていどがセシウム合計です。

福島事故の結果を見ておきます。もちろん今回の事故の影響のほうがはるかに大きいわけですが、全国規模で総計7600ベクレル/平方mもの放射性分室が降下していたことは覚えておいたほうがいいでしょう。
(グラフ同上)Photo_2

この大気圏内核実験と福島事故の大きな違いは、核実験の汚染が福島事故と違って全国規模でしかも約20年もの長きに渡ったことです。

では、この時期の日本全国の成人男子の放射性物質の摂取量の推移を見てみましょう。
(下図 高度情報科学技術研究機構「人体内セシウム40年の歴史」より)

http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-01-04-11 0560年代中葉には極めて顕著なセシウム体内量の急増がありました。500ベクレルを越えて記録されています。

「核実験は1963年以前にその大部分が行われ、わけても1957,1958両年と1961,1962両年に行われた核実験は体内量を著しく増加させた」(同)

「1962年大気圏内核実験停止条約が締結され、大規模な大気圏内実験は中止されたが、フランスはなお数年後まで、1964年10月に新たに核保有国となった中国は1980年10月まで大気圏内核実験を継続した。中国による核実験の影響は地理的に近い日本で体内量の推移に明らかな変化を与えた。」(同)

これを現在の南相馬市の体内放射線量と比較してみましょう。

●南相馬病院の坪倉正治医師と、東京大学の早野龍五氏によるホールボディカウンター(WBC)の測定と分析結果
「南相馬で測定した約9500人のうち、数人を除いた全員の体内におけるセシウム137の量が100ベクレル/kgを大きく下回る。」

また大気圏内核実験によりストロンチウム90が世界にバラまかれました。

ですから、この時代に成長期を迎えた世代は今でも骨髄にストロンチウムを含有していることが分かっています。

昭和時代の成人の死体解剖の骨格分析から、当時で1~7ミリシーベルトのストロンチウムが見つかっています。

まぁ、まさに私の世代ですな(涙)。しかし、特に私たちの世代に白血病が多いというデータはありません。

さて、この60年代に降った大気圏内放射能汚染は、徐々に減っていき、再びピークが来たのが1986年のチェルノブイリです。

・チェルノブイリ原子力発電所事故の影響
「1986年5月1日から体内量の上昇が始まり、この事故の日本人への影響が検出され始めた。1986年は前年の約2倍の年平均体内量、事故影響の最大は1987年に出現した54Bqであった。その体内量は1960年初期の核実験による体内量の減少速度と同じく、1.8年の半減期で推移した」(同)

以上を見れば、日本人は過去に20年間に渡って放射性物質を7600ベクレル/㎡を浴びて、体内に500ベクレル超の放射性セシウム137を蓄積していた経験を持っていたことになります。しかも全国規模で。

除染はおろか一切の防護措置も、食品基準もなくまったく平常どおりの生活をし続けていました。

もし低線量被曝脅威論者の言うことが正しければ、この恐るべき被曝によって白血病や小児ガン、甲状腺ガンが特に子供に多く発症していねばなりません。

ならば、1960年代から遅くとも10年以内に多発せねばなりません。つまり1970年代に、日本の幼児死亡率が激増し、平均寿命を押し下げていなければならないはずです。

では、日本はこの60年代から平均寿命を見てみましょう。そのような現象が1970年代に起きているでしょうか?Image012

逆に60年代から、日本人の平均寿命は右肩上がりに伸びています。この平均寿命の伸びは幼児死亡率の改善です。

私はこれで、放射性物質が安全だなどと言うつもりはいささかもありません。

しかし事実として、私たち日本人はかつて福島事故以上の被曝期間を経験したということを忘れるべきではないと思います。

さて、「美味しんぼ」のおかげで、思わざる放射能シリーズになってしまいましたが、いったんこれで終了します。

「美味しんぼ」騒動で私がホッとしたのは、一部の人たちを除いて国民が冷静だったことです。

特に現地・福島は、あのような周回遅れの煽りに動じることなく、自治体を先頭に毅然とした対応をしました。

「DASH村」で農作業を指導してきた三瓶明雄(さんぺい・あきお)さんが6日午前8時頃、福島市内の病院で死去されました。

故郷の村を離れざるを得なくなったことがなんらかの影響を与えたのでしょう。その意味で、彼もまた原発事故の犠牲者のひとりなのかもしれません。

享年84歳でした。合掌。

.              。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。

.※参考文献
 ・田崎晴明「やっかいな放射線とむきあって暮らしていくための基礎知識」
 ・「人体内セシウム40年の歴史」

http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-01-04-11

※福島県放射線量測定マップhttp://fukushima-radioactivity.jp/

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週末写真館 海流にそよぐ花 くらげ

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今日はさすがに薔薇は飽きた、ということで水族館の花・くらげに登場願いました。
実は、あまりうまく撮れたことがありません。
お恥ずかしい話ですが、ピントか合わないのです。半透明で、年中動き回るので、どうも・・・。
次回は風にそよぐ花だと思ってみます。

それはさておき、くらげという生き物はボーっと見ているとほんわかします。
このボーっといういいかげんなかんじがいいんでしょうね。
海流という風にそよぐ花、くらげ。
うらましいような、そうでもないような。

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福島県出生率 前年対比増加率全国一に!

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まずは嬉しいニュースからご披露します。

福島県が大震災前の出生率に戻りました!

「1人の女性が生涯に産む子どもの数の推計値を表す本県の合計特殊出生率は1・53で、前年より0・12ポイント上昇し、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故発生前の水準に戻った。対前年比の増加幅は本県が全国で最大。出生率の全国順位は前年の33位から15位に上がった。」(福島民報6月5日)

しかも対前年度比の伸び全国最大でした。頑張った福島!よくやった、福島!新たな福島県人が1万4546人生れました!

これは、妊娠、出産、子育てを安心して行えるための情報提供をしっかりと行政が行ったからです。

「26年度に地域少子化対策強化交付金を新設し、独身男女の出会いの場創出や妊娠から出産までの不安を解消する情報提供など市町村の実施する事業に助成している。
国立社会保障・人口問題研究所の担当者は出生率回復について、「震災と原発事故から3年以上が経過し、県民生活が落ち着きを取り戻しつつあるため」と分析している。
県子育て支援課は「子どもを産み育てやすい環境をさらに整えたい」としている。」(同)

ほんとうに素晴らしいと思います。3年前から、執拗に流される「福島は住めない論」は、多くの子育てをしている母親たちを恐怖のどん底に突き落としました。

反原発派を自称するあるジャーナリストなど、「お待たせしました。奇形が誕生しました」という捏造を流して社会的制裁を受けました。

私は、ある中学校での集会で叫んだ女子生徒の声が今でも忘れられません。「私は大人になって子供が産めるんですか!」

このような中で1000名もの自主避難者が生じて、彼女たちは故郷を捨てて四国、沖縄へと逃避しました。

そして今、この人たちに言ってあげたい。もうあなた方の故郷は子供が増えていますよ。新たな生命が昨年度1万人4千人も増えましたよ。

福島は災厄から立ち直り、まっすぐ前を向いて歩き出していますよ。戻ってくる時期です。

もう、あなたと家族だけで荷を背負わないで、故郷と共に歩きだしませんか

今後とも、政府と福島県が全力で福島県の人々、特に子供と女性の検診を長期に渡って続け、確かな情報を提供することをお願いします。

さて下図は、被爆後の広島市の「その後」です。
(東京大学医学部中川恵一准教授による)

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グラフの外縁の-●-が「入市者」という被爆直後に救援や捜索で市内に戻った人たちのその後です。 

女性、男性の平均寿命(左側)ともに、一目でお分かりのように、全国平均を上回っています。三大疾病、つまりガン、心筋梗塞も全国平均より下です。

そして広島市の病床数、病院従事者数は全国を上回っています。広島市の平均寿命は女性で全国一です。 

世界一の長寿の県、これが「60年間草木も生えない」と言わしめた広島の現在の姿です。

これは、被爆による後の日本政府がとったフォローが正しかったことによります。この核心となったのが被爆者手帳による長期生涯検診制度の存在です。

ぜひ、福島県においても、この広島の前例を学んで、10年後には福島県こそ日本一の長寿県であり、同時に最大の出生率を誇る県になって下さい。なれると思います。

同じ東日本の住民のひとりとして心からそれを祈ります。

頑張れ福島、ではなく、よく頑張ったな福島!

               ~~~~~~~~~~~

出生率本県1.53 震災前水準 昨年、増加幅は全国最大
福島民報 6月5日

 厚生労働省は4日、平成25年の人口動態統計を発表した。1人の女性が生涯に産む子どもの数の推計値を表す本県の合計特殊出生率は1・53で、前年より0・12ポイント上昇し、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故発生前の水準に戻った。対前年比の増加幅は本県が全国で最大。出生率の全国順位は前年の33位から15位に上がった。

■子育て環境整備で改善
 本県と全国の合計特殊出生率の過去10年の推移は【グラフ】の通り。震災と原発事故が発生した平成23年は1・48で、前年を0・04ポイント下回った。24年は1・41で0・07ポイント下がっており、出生率上昇は3年ぶりとなった。

 25年の県内の出生数は1万4546人で、前年より776人増えた。
 県は震災と原発事故後、人口減少・少子高齢化対策を重点施策に掲げ、18歳以下を対象にした医療費無料化や屋内遊び場の整備、給食の放射性物質検査体制の拡充など出産や子育て環境の改善に努めてきた。

 26年度に地域少子化対策強化交付金を新設し、独身男女の出会いの場創出や妊娠から出産までの不安を解消する情報提供など市町村の実施する事業に助成している。
 国立社会保障・人口問題研究所の担当者は出生率回復について、「震災と原発事故から3年以上が経過し、県民生活が落ち着きを取り戻しつつあるため」と分析している。
 県子育て支援課は「子どもを産み育てやすい環境をさらに整えたい」としている。

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低線量被曝 確率論ゲームをしてみよう

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ご承知のように、低線量被曝というのは、100ミリシーベルト以下の被曝量を指します。これについて「判明していない」とよくマスコミは言いますが、「判明していない」というのは正確ではありません。 

放射線被曝と健康被害との関係は、はっきり解明されています。それは広島、長崎の厖大な疫学データである寿命調査LSS・Life Span Study)があるからです。 

下図は、広島・長崎LSSかから得られた被爆量とガンの関係をみたものです。縦軸は被曝していない集団に対してガンが何倍になったのかを現しています。横軸は被曝線量(単位シーベルト)です。 

Photo
            (図 田崎春明「「やっかいな放射線と向き合って生きていくための基礎知識」より)

 一番左隅の1.0倍は普通の集団と変わりはないという意味で、線量も0シーベルトです。このグラフから分かるのは、ガンが増加する「上乗せ」が線量に比例することです。 

たとえば、このLSSグラフから横軸2目盛り目の1シーベルト、つまりよく私たちが見慣れた単位に換算すれば1000ミリシーベルトで、ガンになる人は1.5倍に増えるのがわかります。

これを基にしてLNT(※)しきい値なしモデル仮説が生れました。(欄外図参照)

問題となっているのは、グラフ左隅100ミリシーベルト以下の低線量域です。ばらつきもあり、法則性が見えません。

LNT仮説では赤字で「低線量域」と書かれている部分で、LNT仮説図では点線で「仮定」と記してあります。

増えていないのかもしれないし、増えていてもその数があまりにも少ないので分からないのです。 

これは、広島・長崎のような強いガンマ線や中性子線を一時に浴びた場合と、長期に渡って低線量被曝した場合の、DNAの修復メカニズムが異なるためです。 

例えてみれば、高線量を一時に浴びた急性被曝は、時速200キロの猛スピードで壁にぶつかったようなものです。

一方、 低線量は人が歩くていどのゆっくりとした時速4、5キロていどのようなものです。

よく騒がれる5ベクレル以下の検出限界値以下など、ほとんど動いていないも同然ですので、同じ「被曝」といってもまったく次元が違うことがわかるでしょう。 

DNAは高線量を一時に浴びると、2本の線路のようになっているDNAの鎖の両方が切断されます。 (下図参照)Photo同時に2カ所が切断されると遺伝子情報が誤って修復されたり、遺伝子の突然変異が生じる可能性があります。これがガンです。普通はこのできたガン細胞も、リンパ球によって消滅させられます。 

高線量が怖いのは、このリンパ球や白血球までもが、放射線によって同時に損傷してしまうからです。 

高線量だとDNAの切断箇所が多数の上に、修復機能もやられてしまっているために恐ろしい急性被曝になってしまいます。 

ただしよくできたもので、人体は切断箇所が少ない場合、細胞全体を死滅させて、新しい細胞を再生させます。 

低線量ではそこまでの破壊力はなくて、DNAの鎖の片方が切れるていどで済みます。 

DNAはどちらか一方の鎖さえ残っていれば、ほぼ100%修復する機能を備えています。 

この100ミリシーベルトを、LSSでは「わからなくなる」境目の数値ということでしきい値」(閾値)という言い方をしています。 

たとえば発癌率は、100ミリシーベルトというしきい値で被曝した場合でも、ガンの発症率は0.5%増えると言われています。 

この程度だと他の原因の中に紛れ込んでしまうので゛まるでくじ引きのようですね。 

Photo_2面白い実験があるのでご紹介しましょう。これは学習院大学の田崎春明教授が紹介している実験です。(上図 田崎教授による) 

これはガンが0.5%発症した場合の模式図です。くじ引きのガラガラ抽選機には200個の球が入っていて、赤い球、つまりガンが出る確率をみてみましょう。

左のガラガラの中には赤球50個、白玉150個が入っています。25%の確率ですね。これは一般のガンリスク25%を現しています。  

そして1個赤球を増したのが右側です。リスクは25.5%になったわけです。 ただ1人でくじ引きをすればこの確率どおりになります。

では、これが200人くらいの小学校くらいの単位で抽選したらどうなるでしょう。 

運命の赤玉を出すのは51人でしょうか?ところが、違うんです。 

ガンのくじ引きは、出た球をもう一回ガラガラに戻してよくシャッフルしてまたガラガポンせねばなりません 

こうしないとどの人も他人の結果とは無関係で同じ条件にならないからです。こうすると、いくらやっても結果が同じになりません 

入っている赤球が50個でも51個でも、赤球が出た人は58人だったり、40人だったりします。これは実際にやってみれば分かります。 

ただし、この抽選人数を増やせば増やすほど、赤玉率は平均化されていきます。数万人規模でやっと0.5%というガン増加率がおぼろにわかってくるくらいです。 

すると今度は、この数万人規模の環境は千差万別だという事情が生まれて、別の意味でややっこしくなります。 

つまり赤球が増えた原因が喫煙や心理的ストレスなのか、男女の性別なのか、職業上なのか、運動をよくするのかしないのか、家庭や職場、学校の環境はどうか、あるいは放射線なのか、もうリスク原因が沢山ありすぎてわからなくなってしまうのです。

これが低線量被曝により障害が発症するかしないか「わからない」というほんとうの理由です。 

そのために誠実な医師や科学者は、「100ミリシーベルト以下の低線量では発症リスクはわからない」というのです。つまり、「(リスクが少なすぎて)わからない」のです。゛

逆に、これを「低線量被曝で必ず障害が出るはずだ」などというほうが無茶でしょう。

これが「低線量被曝の影響はわからない」という放射線医学界の公式見解のほんとうの意味です。 

ところが、この「わからない」という表現を逆手にとって、「ほら見ろ、わからないんだから危険なんだ」と鬼の首をとったように叫ぶ人たちが絶えません。困ったことです。

この火のない所に火を着けるが如き人達こそ、福島県の人々にいらぬ精神的ストレスを与えてかえって発癌リスクを増大させているのです。

迷惑ですから、もういいかげんやめて欲しいものです。

                     ~~~~~~~~~~

※LNT仮説(しきい値なし仮説)
図 原子力技術研究所による

Lnt放射線の被ばく線量と影響の間には、しきい値がなく直線的な関係が成り立つという考え方を「しきい値無し直線仮説」と呼ぶ。 

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反原発派の自然知らず その3 農地「除染」のコロンブスの卵

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「美味しんぼ」に荒木田岳氏の除染の経験がでていましたね。屋根にコンプレッサーで水を高圧噴射して洗い流して、庭は表土を剥いで客土したのだと思います。  

この方法は、大がかりでコストがかかる上に、荒木田氏も述べているように作業員が放射性物質の含まれた表土や汚染水を浴びて2次汚染してしまうケースもあって、問題も残るのも確かです。

また、除染残土の行方も決まらないでいます。しかし住宅地では代替案がないため、住宅地、学校や公共施設では、この方法が取られているようです。  

では、最大の被曝面積の農地はどうしたらいいのでしょうか。ともかく面積の単位がハンパなく違います。

ある反原発派の人から、こんな質問を受けたことがあります。

近所の農家がトラクターをかけていましたが、あんなことをすれば、せっかく地表下5㎝から10㎝に止まっているセシウムがもっと下にまでバラ撒いてしまうのではありませんか?  

いい質問です。セシウム除去を考える上で大事なポイントなのでよく聞いて下さいね。

下は農水省飯館村除染実験の結果ですが、セシウムは表土下2.5㎝に95%ちかくで層になっています。http://www.s.affrc.go.jp/docs/press/pdf/110914-09.pdf

1) 「放射性セシウム(134Cs、137Cs の合計)は、耕起していない農地土壌の表面から2.5㎝の深さに95%が存在する。」(同報告書)

ですから、この表土だけをペラっと削ぐのがいわゆる「除染」です。  

014_4

ところが農地はあまりにも広大なためにその方法をとると、厖大な除染残土が出てしまうので実行不可能です。
※削土についての実験については以下をご覧ください。
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-1f22.html

チェリノブイリで使われたひまわりやアマランサスによる除染も試みられましたが、飯館村の農水省の実証実験では移行係数0.00674という期待に反する結果しか生みませんでした。これはレタスの移行係数とほぼ同格です。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-d2d4.html

「1)飯舘村現地圃場のヒマワリについて、開花時(8 月5 日)の放射性セシウム濃度は硫安+無カリ区において茎葉で52 Bq/kg、根で148 Bq/kg であった(表参照)。この場合の、土壌(7,715 Bq/kg)から茎葉への移行率は0.00674 であった。」 (飯館村農水省実験より)

おまけにひまわりは大きく育つので、持ち出して焼却処分するのが大変でした。

テレビのダッシュ村でも同じような実験をしていましたが、やはりダメだったようです。

そこで、トラクターをかけてみると、5㎝の表土の下の層までセシウムが分散していってしまうのは確かです。問題はここからです。  

おそらくは、私の地域の実測では、2011年夏頃のトラクターをかけない前と後の平均実測線量は以下でした。

・トラクター耕起する前・・・平均900~1000ベクレル/㎏
・トラクター耕起した後・・・平均100~200

※第三者計測機関による分析による
 

おおよそ10分の1にまで放射線量が激減したのが分かります。一見完璧な除染に思えた公共施設で、表土を剥いで客土した後の数値と比較してみます。

・客土前・・・3.5マイクロシーベルト
・客土後・・・0.6

※福島県郡山市小学校校庭の測定による
 

計測単位は違いますが、客土による除染も6分の1ていどだと分かります。もちろん計測場所によってバラつきはあるでしょうが、客土は一見徹底的に取り除けるようでいて、やはり残るのが分かります。  

10分の1か、6分の1かは測定実測値が少ない現時点では、誤差の範囲だと思いますので、この両方の方法に大きな差がないことは頭に入れて下さい。  

そこでまた突っ込みを頂きました。

持ち出さなくては解決にならないのではないのでしょうか?  

はい、それこそが放射線防護の専門家の盲点でもあったのです。  

多くの放射線の専門家は、放射線の実験を放射性物質の特殊性から、完全に外部から遮断された閉鎖実験棟でやるしかありませんでした。  

だから実験で使用する放射性物質は、金庫から出して金庫に返すというのが習慣になっていたわけです。

だから現実の放射性物質による野外汚染などという自体は想定外も外だったわけです。

 放射線の専門家といっても、今回の福島の事例が初めての野外体験だったと思います。  

さて、福島県などの東日本の自治体は福島事故後の初期には、「トラクターをかけるな」という指導をしました。  

ちょうどこの3月から4月頃は、春の種巻きの時期に当たっていました。とうとうがまんしきれなくなって、農家の一部はトラクターをかけ始めました。 

ロータリーのブレード幅で、地表から約50㎝前後が反転し、さらに上層と下層がきれいに混ざってしまったことになります。  

県の役人は初め青くなったと思います。しかし、慌てて放射線量を測ってみると仰天の事実が分かりました。  

なんと、その後の線量が大きく減っているのです!もちろんこれは拡散した、あるいは「薄まった」ためであって、なくなったわけではありません。  

潔癖なゼロベクレル主義者は、コストをかけて大土木工事をして表土を剥ぎ、客土しないと許せないのでしょうが、先ほどの校庭の除染と比較してもほとんど結果はロータリー反転耕起と変わらないのです。

なんといいかげんな!それでは私たちは放射性物質と共存しろと言うことじゃないですか。  

まぁまぁ(笑)。でもよく考えて下さいよ。客土しても、トラクターをかけても、結果的に放射線量が下がって人に影響を与えないようにすればいいんじゃないですか。私ってリアリストにすぎますかねぇ。 

もちろんこの方法は、大面積の農地向けであって、小面籍の自宅庭などにはトラクターが入りませんから無理です。  

この方法は、私は「深耕ロータリー方式」と呼んでいます。おそらくはもっとも簡単で、大面積を除染できる方法です。なんかコロンブスの卵みたいな話でしょう。  

整理してみましょう。除染の方法は基本的に3種類です。  

①表土を剥いで客土・・・・・・手間とコストがかかりすぎる上に、大面積では不可能。  

②封じ込め方式・・・ゼオライトなどの粘土質でセシウムを補足し結着させる。コストがかからず大面積ができる。  

③拡散方式・・・・・深耕ロータリーで薄める。もっとも現実的。線量も低下し、大面積の除染が可能。  

というわけで、②と③の併用がもっとも現実的な「除染」なのです。

青い鳥は私たちの足元にいたわけです。 

私たち東日本の住民は、泣いても笑っても、いったん降った放射性物質と「つきあう」必要があります。 

私たちには、「美味しんぼ」の言うように「福島から逃げるのが勇気だ」なんて無責任なことはできません。  

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反原発派の自然知らず その2 セシウムと土壌の性格を知れ

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今回の「美味しんぼ」事件で、確かに3年たって、雁屋氏と一部マスコミのような「もう福島は住めない。勇気を持って逃げろ!」と叫ぶ人間が極少派に転落したのだと実感したのは心強いことです。

かつて2011年の今頃の季節の頃は、ひとことでも「落ち着いて」と言うだけで狂ったようなバッシングの嵐でした。

あれから福島事故が、「いい意味でのフェード」をしていくことは健全なことです。それだけ、東日本の人間は苦労したし、努力と知見を積み上げてきたのです。

かつて私たち現地の人間は必死に現実から学びました。教室から学ぶのではなく、今ある危機から学ばざるを得なかったわけです。

さて、どうして低線量で高い線量がコメから出たのでしょうか?その理由も分かっています。 

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上図はカリと玄米中のセシウム濃度の相関関係を調べたものです。ちょっと専門的なのですが、こう報告書は述べています。

土壌中の交換性カリウム濃度がK2Oにして25 mg  K2O/100g以上であれば玄米中にはセシウムはほとんど検出されず、10mg/100g土壌以下であれば基準値超えのセシウムも多く検出される」(同報告書)ということがわかりました。

カリムウはセシウムと似た挙動をする元素ですが、これをあらかじめ田畑に撒いておけば、植物はそれを先に吸ってしまうので、セシウムをこれ以上吸えなくなります。  

ちょうど事故初期に出るヨウ素131の甲状腺への吸収を妨げるために安定ヨウ素剤をあらかじめ飲んでおいて、甲状腺ガンを予防するのと原理的には一緒です。  

カリウムは農業でよく使われる肥料だったために、放射能対策として利用する前から散布されていました。  

そのために、驚くほど放射性物質が作物に吸収されなかったのです。 

もうひとつは土壌の性格です。  

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 セシウムを固定する粘土鉱物が多く含まれる土壌では、セシウムは吸着固定され、玄米への移行割合は低くなります。(上図参照)

これは堆肥がよく入った土壌は、腐食物質(※)がマイナスイオン電荷なために、セシウムのプラス電荷粒子を吸着し、粘土質の細孔 に封じ込めしまうためです。

この粘土にセシウムが結合しやすいことは、農水省飯館村除染実験のデータにも報告されています。(下図参照)
http://www.s.affrc.go.jp/docs/press/pdf/110914-09.pdf

放射性セシウムは粘土やシルトなど細かい土粒子に多く結合している。」(同報告書)002

つまり、粘土質の土は、電気的にセシウムを吸着し、物理的に封じ込めています。

ただし、同じ粘土質土壌でも上図のように雲母由来ではないモンモリロナイトなどはセシウム吸着力が低いので注意が必要です。

また粘土鉱物や腐食物質が少ない砂質土は注意が必要です。よく11年産コメにセシウムが高い線量で検出された谷津田上部の沢水口田んぼは、砂質土壌が多かったようです。

ですから、ゼオライトなどの吸着補助土壌改良材を使用する場合、自分の畑や田んぼの土質をよく検査して見極める必要があります。

つまり、セシウム吸着性の高いバーミキュライトやイライト土質ならば、ゼオライトの補助はいりませんし、吸着性の低いモンモリロナイトならば使ったほうがいいでしょう。

とまれ、これで今までの測定で、同一地域において空間線量が同一なのにかかわらず、なぜ作物の放射線量が違うのか疑問視されていましたが、これで氷解したわけです。

ただ念のためにお断りしておきますが、これはあくまで 土壌線量自体を計測した場合には結果で現れません。

そりゃそうでしょう。「美味しんぼ」の山岡がいうように別にセシウムが「消滅」 したわけではなく、植物が利用するのを阻止した「だけ」ですから。

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                (スピリッツ24号より 無知を自慢している山岡)

これは本質的なことですが、現況で降下した放射性物質に拮抗した人間の営為を続けるためには、それが最善とまで言わぬにしても、次善の道なのです。

それを荒木田氏のように変に完璧主義で、「除染しても無駄だ」などと言ってしまえば、もう放射能に負けを認めたに等しいのです。次善を知るのは人の知恵です。

余談ですが、スピリッツ番外篇に「美味しんぼ」応援団で登場した「チェリノブイリへのかけはし」の野呂美加氏が、「EM菌で放射能が分解する」などというようなことを言っていますが、ナンセンスです。

ミミズなどの土中生物は、土ごと体内に取り込みますから、一定の封じ込めの役割をしますが、微生物は腐食物質を分解して団粒構造を改善することはあっても、それ自体で放射性物質を分解するわけではありません。

福島事故の陰で彼女のような疑似科学がはびこっています。ご注意下さい。

このように、セシウムの性格を知って、カリウムの施肥、土壌を粘土質にし、有機質を入れていく土壌改良があれば、セシウムなど「恐怖の大魔王」ではないのです。  

それは、下図の福島県2012年度の全袋調査という不撓不屈の記録にも現れています。  

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 全量全袋検査は既に1000万検体以上に達していますが、その中で基準値(100Bq/kg)超えはわずか71袋、0.0007%でした 

逆に言えば、99.9993 %は安全でした。  

この結果を見れば、先日のコメントにあったような、「全国に送られて放射性物質は拡散し続けます」「税金など使わずにさっさとやめろ」などというバカな暴論は吐けないはずです。

どうも反原発派や低線量被曝脅威派は、不安情報にはトリビィア的に詳しいようですが、自然の働きとなるととんと無知なようです。 

武田尊師は土壌のことなどまったく無知ですからね。

低線量被曝脅威論者の皆さん、もう少し放射能と自然の摂理を基本から学べば、気が楽になりますよ。

母なる自然を信じなさい。

腐食物質 土壌中の植物質が微生物によって分解されたもので肥沃な土を作る基礎的成分のひとつ。

 

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毎日新聞社説 「美味しんぼ」擁護論 低線量と膏薬はどこにでも貼れる

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「美味しんぼ」騒動について、既に擁護論を展開している朝日新聞(5月12日)に続いて、毎日新聞社説がこんな擁護の社説(5月15日欄外参照)を書いています。
※朝日新聞http://www.asahi.com/articles/ASG5D4W9FG5DUGTB00C.html?iref=comtop_6_06
 

実は、この論説について逐条的に批判してみたのですが、自分で言うのもナンですがつまらんのですよね。だってこの社説、内容ないんだもん。

ですから、読み直して前半をバッサリ切りました。あ~、スッキリした(笑)。

で、いきなり肝にいきます。毎日新聞社説はこう書いています。

「美味しんぼ」の主人公が福島第1原発を訪れた後、鼻血を出す場面が描かれて議論を呼んだ。」

まず毎日は擁護したい「美味しんぼ」の言説を、「鼻血」に矮小化してしまいます。

違います。鼻血はあくまでも「美味しんぼ」の差別的暴言の一部にすぎません。

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Photo                             (スピリッツ24号 )

ほんとうに福島県民が怒ったのは鼻血ウンヌンではなく、上の「美味しんぼ」のコマにあるような「福島は除染してももう住めない。危ないところから逃げる勇気をもて」という部分です。

一生懸命に復興している真最中の人々に向かって「逃げろ」とは!なんという傲慢!

これを福島差別と言わずしてなにを差別と呼ぶのでしょうか。

そして毎日社説は一見「美味しんぼ」の鼻血を「疑問だ」と書きながら、実はまったく「疑問」に感じていないのは明瞭です。それは下の部分でわかります。

「国連科学委員会の調査は、福島でがんや遺伝性疾患の増加は予想されないとしている。福島第1原発を取材で見学しただけで、放射線のために鼻血が出ることは考えがたい。しかし、長期間にわたる低線量被ばくが健康にどんな影響を及ぼすかについては十分には解明されていない。専門家の中には、心理的ストレスが免疫機能に影響を与えて、鼻血や倦怠(けんたい)感につながる可能性があると指摘する人もいる。」

この毎日論説委員は、国連科学委員会報告書をほんとうに読んでのでしょうか。 

この昨年9月に国連総会で承認され、国際的な福島事故に対する共通認識となった最終報告書にはこう記されています。
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-9a31.html

・「日本での住民の被ばく量は低い、もしくは「非常に」低いものであった。そのために日本の住民の健康リスクは低いものになっている」(同報告書)
・「福島の環境における生物の被ばくは、住民に対する一時的な被害さえも引き起こしそうにない」。(同)
・「事故を起こした原発の海と原発の近くにいた人間以外の生物相の被ばくは、影響が正確に分析できるには、あまりにも小さすぎた。」(同)

毎日社説は、この報告書を口先では肯定しておきながら、「しかし」でつなげて彼らがもっとも書きたいことを滑り込ませています。 

一見専門家の結論を立てる「ふり」をして、実際は長期間にわたる低線量被ばくが健康にどんな影響を及ぼすかについては十分には解明されていない」という後段こそ強調したいわけです。

小学館が下げたくもない頭を下げながら言い訳がましく編集長の弁で述べたのも、毎日新聞と一緒のこの一点でした。

つまり「低線量の長期的影響」に尽きると言っても過言ではありません。

また低線量被爆の脅威ですか・・・、私などもう耳に分厚いタコができています(苦笑)。またかい、というのが本音です 

「鼻血が被爆による」という雁屋氏の主張は、専門医と科学者によって完膚なきまでに否定されています。

しかし、どんなに論理破綻しようと最後にここに逃げ込めば勝ちという難攻不落の「要塞」があります。それこそが「低線量被爆」なのです。 

この低線量被爆に根拠を与えたLNT仮説ほど拡大解釈されて、本来の意味を失った科学概念は少ないでしょう。 

毎日新聞はこう述べています。

「専門家の中には、心理的ストレスが免疫機能に影響を与えて、鼻血や倦怠(けんたい)感につながる可能性があると指摘する人もいる。」

はい、この毎日新聞のように低線量被爆の健康被害を、「心理的ストレス」まで領域を拡げて解釈してしまえばなんでもアリです。 

つまり「被爆」健康被害概念を無制限領域拡大したわけです。いわば低線量被爆と膏薬はどこにでも貼れる、ということになります。

対象が、ゲルマニウム半導体測定器を1時間動かしても測定できるか、できないほどの「低線量」なのですから、事実上証明不可能です。

だから、専門家にホールボディウンタで測ってもらって、「測定限界以下ですから安心してくださいね」と言われても、ゼロベクレルではないから「低線量被爆による健康被害の可能性が残る」と思い続ける人、それか毎日社説が言うところの「被爆不安者」というあいまいなカテゴリーなのです。

つまり、なんの検査結果などの科学的根拠も示す必要がなく、「被爆不安者」が主観的に「自分はこう思ったから低線量被曝による健康障害だ」と言い張れてしまいます。

たとえば、「美味しんぼ」にもあったように、「元々ゼロベクレルだったんだから、ゼロベクレルが食品基準」なのである以上、政府が100ベクレルと言おうが、自治体がいくら食品の測定結果が安全だと言っても無駄です。

そして福島県が米を全袋検査した努力までを、「税金の無駄遣い」「全量焼却してしまえ」とまでいう始末ですから、もはや手に負えません。

通常は、常識で折り合いをつけていくものですが、カルトにハマった人にとってまさに「低線量被爆ディストピア・パラダイス」は永久に続くのです。

こんなことをいつまでもやっていてノイローゼになっても、それは当人の心の持ち方の問題ではないでしょうか。

自主避難者の一部に心理的ストレスが嵩じて家族離散したり、生活が苦しくなる人がいるのは事実です。

しかし、それは「低線量被爆による免疫機能低下」のためではなく、このようなカルト的思い込みが自らの心と家族を傷つけたためです。早く洗脳解除してほしいものです。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-f2f9.html

あげくは、「美味しんぼ」が火をつけて火事を出したにかかわらず、まるで「美味しんぼ」批判者たちのほうがこのような「被曝不安者の孤立」を加速しているかのような「懸念」を言い立てています。

これでは「被爆不安者」への差別があるように読めてしまいます。もちろん、それは逆で、そんなものがあるかないかは、現地にくれば分かるはずです。

もしあるとすれば、今なお「フクシマから全員疎開しろ」などと騒ぎ立てる過激派をバックにした反原発派と自称する連中に、現地がいいかげんうんざりしているくらいのことです。

ちなみにあの荒木田氏の勤務する福島大学には、「カルト宗教と反原発を掲げた過激派団体の勧誘には注意して下さい」という大学の立て札があるほどです。

そして最後はお約束のように政府・東電に矛先を向けて「美味しんぼ」を免罪します。

「もともと、根拠のない「安全神話」のもと、原発政策が進められた結果が今回の事故につながった。「美味しんぼ」の中でも指摘されているが、事故後の放射性物質放出についての政府の情報公開のあり方は、厳しく批判されるべきだろう。また、汚染水はコントロール下にあるといった政府の姿勢が人々の不信感を招き、不安感につながっているのも確かだ。」(同) 

この言い方などまさに報道がやってはいけない論理のトリックです。

毎日新聞は、汚染水のコントロールと今の被爆地の健康被害調査とはなんの関係もないのに、「政府の情報隠ぺい体質から来る不安」(原発安全神話)=「低線量被爆安全神話」という印象操作をしたいのです。

原発の「安全神話」は、「事故があるとすると立地自治体に不安を与えてしまい、反対運動に利してしまう」と考えて、危機管理を甘くした政府・東電の最大の失敗です。

毎日社説はこの「原発安全神話」と、現在福島で地道に行なわれている非政府系も含めた医療関係者の検診活動までを、一括して「安全神話」と匂わすことで、あたかも、今も政府が福島県民に対して「被爆による健康被害がある危険性を隠している」と受けとらせたいようです。

なんの根拠があって、毎日社説はこのようなことを書くのでしょうか。

かつて福島県立医大がデータ隠ぺいをしていると捏造報道してみせて、その後厳重な抗議文をもらったのはこの毎日新聞でした。まだ、こんなことを言っているんですか。

「美味しんぼ」の擁護のつもりが、これでは毎日社説自体が新たな煽りになってしまっています。

原発の安全性議論はそれはそれでやったらいいでしょう。充分、かつ徹底的にすべきで、私は反原発的傾向が強い田中規制委員会委員長の仕事を支持しています。

むしろ、反原発派が、「美味しんぼ」のような非常識な発言をするのを大部分の国民は呆れて見ており、これでいっそう建設的な脱原発議論が遠くなったことを、毎日新聞は嘆くべきなのです。

本来反原発運動とこの「美味しんぼ」事件はまったく別次元だったはずでした。

ところが、福島県が絶望的状況だと叫べば、反原発運動にはずみがつくという勘違いが運動内部にはびこっているためにこのていたらくです。

福島県民は反原発運動そのものをに抗議したわけではなく、「美味しんぼ」が「福島は除染しても住めない」「福島から逃げる勇気を持て」などという差別的発言をしたから、批判をしたにすぎませんでした。

ところが、反原発御三家の朝日、毎日、東京がこの「美味しんぼ」発言を叱り、本来の反原発の建設的議論に立ち戻ろうと諭すべきなのにもかかわらず、自らも「美味しんぼ」と同じムジナであることを暴露してしまえば処置なしです。

これでいっそう反原発運動は国民感情から乖離し、下火になるでしょう。「大人の脱原発論」がないことが、この国の不幸です

もし仮に、こんなハチャメチャな毎日新聞の擁護論が罷り通るなら、反社会的人達にとって万能の弁護論になるでしょう。 

たとえばこんなかんじです。

「オレはアイドル握手会で刃物を振り回して何人も重傷を負わしたが、それはオレが低線量被爆で鼻血が出て、耐えがたい倦怠感で仕事にも行けず、もう人を殺して自分も死のうと思ってやったんだ。オレは政府・東電の被害者なんだァァァ!オレは被害者だぁ!悪いのは政府・東電だ!」

もちろんこれは冗談ですが、こんななんの科学的立証を必要とせず、主観的に「被爆による健康不安」を感じただけで「被爆不安者」なる便利なカテゴリーに入れてもらえるなら、あながち冗談とも言えなくなります。

そして毎日社説は、「原発安全神話と福島健康安全神話は一緒だ」と言うことまで言ってみせました。

「美味しんぼ」によって多くの福島県民や、私のような「被爆」地住民が傷つき、怒りました。

それは根拠なく故郷を汚されたからです。あるいは立ち上がって前に進んでいる多くの人を、「言論」という刃物によって刺したからです。

言論には言っていいことと悪いことがある、といういたって常識的なことを「美味しんぼ」作者と出版社、そして毎日新聞は知ったほうがいいようです。 

                    ~~~~~~~~~~ 

社説:美味しんぼ 「鼻血」に疑問はあるが
毎日新聞 2014年05月15日
 

「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に連載中の漫画「美味(おい)しんぼ」が物議を醸している。その中身には疑問があり、福島の人たちから怒りの声が上がっていることは理解できる。風評被害も心配だ。 

 しかし、これに便乗して、原子力発電や放射線被害についての言論まで封じようとする動きが起きかねないことを危惧する。今後、どのように福島の人々の健康不安を払拭(ふっしょく)し、被災地の復興を進めていけばいいか、議論を冷静に深めたい。 

 前号掲載では「美味しんぼ」の主人公が福島第1原発を訪れた後、鼻血を出す場面が描かれて議論を呼んだ。12日発売の今号では、実名で登場する福島県の前双葉町長が「福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いるのは、被ばくしたからですよ」と発言。やはり実名で登場する福島大准教授は除染の経験を踏まえて「福島はもう住めない、安全には暮らせない」と話す。また、岩手県のがれきを受け入れて処理した大阪市内で、住民が健康被害を訴えたとする話も紹介されている。 

 これに対して、福島県や環境省、岩手県、大阪府・市などは強く抗議した。風評被害を広げることや除染の効果は上がっていること、がれきの放射線量は基準値を大幅に下回るものであることを主張している。 

 国連科学委員会の調査は、福島でがんや遺伝性疾患の増加は予想されないとしている。福島第1原発を取材で見学しただけで、放射線のために鼻血が出ることは考えがたい。しかし、長期間にわたる低線量被ばくが健康にどんな影響を及ぼすかについては十分には解明されていない。専門家の中には、心理的ストレスが免疫機能に影響を与えて、鼻血や倦怠(けんたい)感につながる可能性があると指摘する人もいる。 

 この問題をきっかけにして、原発の安全性や放射線による健康被害を自由に議論すること自体をためらう風潮が起きることを懸念する。 

 もともと、根拠のない「安全神話」のもと、原発政策が進められた結果が今回の事故につながった。「美味しんぼ」の中でも指摘されているが、事故後の放射性物質放出についての政府の情報公開のあり方は、厳しく批判されるべきだろう。また、汚染水はコントロール下にあるといった政府の姿勢が人々の不信感を招き、不安感につながっているのも確かだ。そして、低線量被ばくによる健康への影響については、これから長期にわたる追跡調査が必要だ。 

 求められている論点は多くある。いずれも、感情的になったり、理性を失ったりしては議論が深まらない。絶えず冷静さを失わず、福島の人々とともに考えていきたい。

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週末写真館別館 薔薇の花束

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茨城県石岡市の有名なバラ園に行ってきました。いや、折からの強烈な陽光と相まって、暑苦しいまでの豪華絢爛。

参った、もう当分はバラはいいやというくらい堪能しました(笑)。
私には野薔薇が似合ってます。


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