吉田所長が闘ったもの
吉田氏は、福島事故の時、なにと闘っていたのでしょうか。あらためて振り返っておきたいと思います。
2011年3月12日の事実関係を、船橋洋一氏「メルトダウン カウントダウン」上巻・第4章「1号機水素爆発」を基に、その状況の流れを振り返ってみます。
できるだけ省略せずに、事実関係を書き起こしておきたいと思います。
この経過をお読みいただければ、当時吉田氏が置かれた複雑な状況がご理解いただけると思います。
さて当時、東京電力本店事故対策本部と、政府事故対策本部のふたつの指揮系統が、情報交換はおろか、互いに不信と憎悪すら募らせていました。
●[第1場 1号炉爆発 現場吉田所長の判断で海水注水開始]
・12日昼頃。吉田所長が1号炉に海水を注水することを決断。
・午後3時前。防火水槽の水が干上がっていることがわかる。
・午後3時すぎ。東電は保安院に「海水注入」の予定を告げた。
・午後3時20分。1号炉爆発。
・2名負傷。全員、免震重要棟に脱出。構内は高濃度の放射線で汚染された瓦礫が散乱。最悪の極めて危険な作業環境。
・午後4時27分。吉田原災法第15条第1項の「特定事象」(敷地協会放射線量異常上昇)を宣言し、政府に報告。
・午後4時30分から約1時間30分。吉田ら現場は破損した海水注入用消防車のホースの修理などの注水のための復旧作業に当たる。
・午後5時55分。この情報が海江田(経済産業相)に伝わらず東電本社に対して原子炉等規制法64条3項を根拠に海水注入を命じる。
●[第2場 首相官邸]
・午後6時。首相官邸執務室。海水注入をめぐる会議。出席者・菅、海江田、細野、斑目、平岡保安院次長、武黒フェロー(東電の連絡担当者)
・官邸会議の情景。
・菅「塩水だぞ。影響は考えたのか!」
・平岡「(海水の注水によって)臨界の危険性が高まることはありません」
・武黒「臨界を作ることは芸術的に難しい芸当です。不純物だらけの海水を入れて、そんなのできるはずがありません」
・斑目「(菅に促されて)保安院がそういうなら」
・菅「自分の判断で言ってくれ。絶対にないんだな」
・斑目「あるかもしれません」
・菅「どっちなんだ」
・斑目「ないとおもいますが、ゼロではありません」
・菅「お前、水素爆発もないといったじゃないか」
・斑目「(泣きそうな声で)とにかく今水を入れなきゃいけないんです。海水で炉を水没させましょう」
・菅「もっと検討しろ!」「もっと詰めろ!」
●[第3場 武黒、清水、吉田に注水停止を命じる]
・午後7時過ぎ。官邸危機管理室から携帯で吉田に電話。
・武黒「おまえ、海水注入は」
・吉田「やってますよ」
・武黒「えっ、おいおい、やってんのか、止めろ」
・吉田「なんでですか」
・武黒「おまえ、うるせぇ。官邸がグジグジ言ってだよ」
・吉田「何言ってんですか」と電話を切る
・吉田証言「指揮系統がもうグチャグチャだ。これではダメだ。最後は自分の判断でやるしかない」
・吉田、テレビ会議で本店の武藤副社長に海水注入の必要を訴える。
・東電本店「官邸の了解が得られていない以上、いったん中断もやむをえない」
・吉田、納得せず
・東電清水社長「今はまだダメなんです。政府の承認が出てないんです。それまでは中断するしかないんです」
・吉田「わかりました」
※欄外東電プレスリリース参照
●[第4場 吉田、本店がなにを言っても、絶対に水を止めるな]
その後、吉田は所員にこう宣言する。
「海水注入に関しては、官邸からコメントがあった。一時中断する。」と大きな声で言った後、テレビ撮影機に背を見せて注水担当に対して、「本店から海水注入を中断するように言って来るかもしれない。しかし、そのまま海水注水を続けろ。本店が言ってきたときは、おれも中断を指示するが、しかし絶対に水を止めるな。わかったな」
まさに狂王とその下僕たちに国家存亡の非常事態は握られていたのです。
ですから狭い意味で、吉田所長に注水停止を「命じた」のは武黒フェローであり、彼からの「吉田は頑として言うことを聞かず注水を継続している」という報告に動転した東電本社の清水社長でした。
しかしそれは、この詳細な時系列経過をみればわかるとおり、強要したのは、ただの素人にもかかわらず権力を笠に着て「海水なんだぞ!もっと詰めろ!」と、明らかに中断を要求した菅首相にあります。
別な機会に詳述しますが、米国NRC(原子力規制委員会)においても、フランス原子力規制機関(ANC)においても、行政府の長である首相には、事故現場に対して直接介入する権限はありません。
日本においては原子力安全委員会がするべきでしたが、明確に定めがなく、斑目氏の意志薄弱ぶりも相まって、菅首相の独壇場を許す結果となってしてしまいました。
その状況を独立事故調はこう評価しています。
「今回の福島事故直後の官邸の初動対応は、危機の連続であった。制度的な想定を離れた展開の中で、専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、次々と展開する危機に場当たり的な対応を続けた。決して洗練されたものではなく、むしろ、稚拙で泥縄的な危機管理であった。」
(独立事故調報告書)
専門知識を有していた東電も毅然として総理の不当な現場介入を阻止せねばならない立場にありながら、現実にはご覧のように唯々諾々と注水中断を吉田氏に命じてしまう有り様でした。情けない。
このように 吉田氏が、福島第1で戦ったのは、原発事故そのものだけではなく、要らぬ現場介入をする素人集団の政府と、その政府の圧力に負けて「海水注入の中断」の圧力をかける東電本社でした。独立事故調はこう述べています。
「官邸の議論は結果的に影響を及ぼさなかったが、官邸の中断要請にしたがっていれば、作業か遅延していた可能性がある危険な状況であった。」(同)
このような権力者の狂乱と、その政治圧力から現場を守ろうとするどころか、「うるせぇ、官邸がグチャグチャ言ってんだよ。さっさと注水を止めろ」(武黒フェロー)と同調する東電本社の醜態こそが、吉田氏を最後まで苦しめたのです。
~~~~~
■平成23年5月26日 東京電力株式会社プレスリリース
当社は、本年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う福島第一原子力
発電所の事故に関し、事態の収束に全力を挙げて取り組むとともに、事実関係の
調査を進めております。
こうした中、3月12日に実施した1号機への海水注入に関する主要な時系列につ
いて、これまでに以下の内容が判明しましたので、お知らせいたします。
<3月12日の主要な時系列>
12:00頃 社長が海水注入の準備について確認・了解
14:50頃 社長が海水注入の実施について確認・了解
14:53頃 淡水の注入停止(これまでに8万リットル注入)
15:18頃 準備が整い次第、海水注入する予定である旨を原子力安全・保安院等
へ通報
15:36頃 水素爆発
18:05頃 国から海水注入に関する指示を受ける
19:04頃 海水注入を開始
19:06頃 海水注入を開始した旨を原子力安全・保安院へ連絡
19:25頃 当社の官邸派遣者からの状況判断として「官邸では海水注入について
首相の了解が得られていない」との連絡が本店本部、発電所にあり、
本店本部、発電所で協議の結果、いったん注入を停止することとした。
しかし、発電所長の判断で海水注入を継続。(注)
(注) 関係者ヒアリングの結果、19:25頃の海水注入の停止について、発電所長
の判断(事故の進展を防止するためには、原子炉への注水の継続が何より
も重要)により、実際には停止は行われず、注水が継続していたことが
判明しました。
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コメント
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「原子力に詳しい」菅さんなら、いちいち斑目さんを怒鳴り付けなくても自分で妙案が出せたんじゃないの?
何で原子炉冷やすつもりだったのか知らないけど。
全く時間の空費でしたね。
今はマスコミが石原環境大臣の発言を一生懸命叩いてますが、当該の「中間貯蔵施設の建設依頼」が、菅直人さんの首相として最後の仕事でしたが…。
なぜか太陽光発電のFIT価格やらのほうを先にやってた不思議。
今じゃ自慢の「エコカンハウス」に住んで御満悦。
大飯再稼働地裁判決では「やった!やった!」とはしゃいで、全くノーテンキなもんです。
亡くなってから、こんな男に「戦友」呼ばわりされた吉田所長も浮かばれませんな。
投稿: 山形 | 2014年6月20日 (金) 06時20分