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2014年6月12日 (木)

地震予知の難しさを知らない福井地裁判決

016

福井地裁・樋口裁判長の大飯原発再稼働差し止め判決を読んでいます。

この判決は、地震問題の部分に至ると、もはやわが国はいつから法治国家から人治国家になったのかと目をこすりたくなります。

判決文はこう述べています。

「たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。」(判決文)

と、まぁ、福井地裁は原子力規制委員会の安全基準の耐震基準なんか関係ない、と言いたいらしいですね。

そもそも、福島第1原発の事故は、津波による配電盤の水没が主要原因だとされています。

唯一国会事故調のみが、津波以前の地震での破損を「匂わせている」に止まっています。

ならば、津波か地震が原因かそこをキッチリと専門家を公判に呼んで質すべきであって、初めから地震破損説のみに傾いた判決を出すべきではありません。

たぶん福井地裁は地震破損説をとった(※明確に判決文には書かれていませんが、そうとしか取りようがありません)のは、津波説と違って安全審査で問題となった原発敷地内の活断層問題と絡んで原告有利の判決文が書きやすかったからでしょう。

さて、その大飯原発の再稼働審査で最後までもめたのがこの地層の「ズレ」の問題でした。  

原発下の地層が活断層であるのか、破砕帯なのか、それともズレなのか専門委員の間で意見が真っ二つに割れ、最後には座長の島崎邦彦委員が「要するズレには違いない」ということまで言い出したほどです。

同じ地層にトレンチを掘って、同じ専門を共有する研究者の中ですら、このように意見が割れるのが現実なのです。

地球科学者の山城良雄氏によれば、地震時以外の断層の動きは無視できるとされているそうです。

つまり、いくら活断層だといっても、地震の時に動かない限り問題にはなりません。

というのは、日本の地層は掘ればそこらじゅうになんらかの地層の「ズレ」があります。

それが活断層だったり、破砕帯だったりするのですが、地震時に問題になるだけで、その上で私たちは平和に暮らしているわけです。

そんな地層の「ズレ」がないのは関東平野のような沖積層か埋め立て地の地盤がゆるい地域で、広瀬隆氏の本じゃあるまいしそんな場所に「東京に原発を」というわけはありません。

だから、規制委員会の安全審査時の「断層評価」も、実はそれだけ単独であるのではなく地震の予知とワンセットなわけです。 

では、この地震予知がいかなるものなのかといえば、 先ほどの山城氏によれば「時間、地域、規模」だそうですが、これは周期で判定します。

周期というのは、たとえば有名なものでは、東日本大震災で注目された貞観地震(869年)が起きたのは9世紀というはるか昔で、古文書で確認できたようなものでした。

そして゛この貞観地震の周期は推定で約1100年という途方もないスパンです。

東電はこれを無視したと言って非難されているわけですが、なにせ11世紀スパンの周期ですから、何十年も、時には百年単位の誤差が生じてあたりまえで、30年以内の確率は0.1%でした。

もうひとつ阪神大震災で有名な兵庫県南部地震に至っては、まったくデータも予測もなく、突如発生したために、周期は分かっていません。

よくテレビで地震の後に学者が「あそこの活断層はねぇ」などとしたり顔で解説していますが、それは起きた後だから言えることで、予測はまったく別次元なのです。

マグネチュード予測はまったく分かっていない分野で、もし仮に予測が可能となったとしても、「一定の広い地域でなにか起きる」ていどのものです。

阪神大震災では、こちらの鉄筋ビルが倒壊した一本道隔てた木造の古い家が無事ということなどあったそうです。

要するに、その地震学者が誠実であればあるほど「地震がいつどこに来るのかなど分からない」のです。

ある地球科学者が、自戒を込めて述べているように、そもそも地震予知自体が、大金を国が投じても不可能に近く、体裁よく言えば確率論、有体に言えば占いのようなものなのです。

元国立極地圏研究所所長の島村英紀氏は、「地震予知はウソだらけ」の中でこのように述べています。

「地震の予知は短期の天気予報と違う。それは地震は、地下で岩の中に力が蓄えられていって、やがて大地震が起きることを扱える方程式は、まだないからである。つまり天気のように数値的に計算しようがないのである。その上、データも地中のものはなく、地表のものだけである。これでは天気予報なみのことができるはずがない」 

ですから、わからない」ということを前提にしている以上、「わからない」ことによるリスクと、しかしそれで享受している社会的利益をどうバランスするのかということになります。

しかしなおも再稼働を阻止したいと考える大飯原発・安全審査委員の渡辺満久氏や島崎委員などが、この活断層かどうかさえ定かでない「ズレ」が今にも動くように言うのを読む時、いったいどれだけの確率で地震が起きるのだろうか、と考えてしまいます。

たぶん山崎断層などの数値からみても、今後30年以内にマグネチュード7以上の地震が起きる確率は0~0.01%ていどのものです。

そしてそのていどの確率は無視できる範囲の数値にすぎません。

ところが、これらの反原発派の学者は、素人の国民に対しては「活断層があるぞ!明日にも大地震が原発を襲うぞ」というような危険性を煽ってきました。

しかし、先ほどから述べているように、そのように考える者は少数派であり、実態はほんとうのところはリスクが微小で「分からない」のです。

このあたりの構図は低線量被曝とよく似た構図です。

だから、当の島崎氏も加わった原子力規制委員会の安全基準は、この「わからない」からこそ一定の基準を作って審査しようということで作られたわけです。

溝口裁判官は、このような学問的背景を知ってか知らずか、たぶん素人特有の無知で軽々と「基準地震動を超える地震が大飯原発に到来したら施設が損傷する」と切って捨ててしまいました。

地震予知が極めて困難であることを知っている人々が、「わからない」からこそ一定の耐震基準を作って審査している横で、それ以上の地震が来たら壊れちゃうぞ」などと言うのは、まるで子供です。

こう見てくると、この溝口氏という裁判官にとって、裁判の前から結論は決まっていたのでしょう。

だから、彼のような反原発思想を持つ人間にとって、その思想を開陳するいい機会だっただけで、そもそも公判の初めから判決文は書かれていたのです。

反原発の考えを溝口裁判官が持っているのはまったく自由です。まさに憲法が保障する国民の権利だからです。

しかし、それと裁判官が裁判に臨むスタンスとはまったく別次元のはずです。裁判官は提出された証拠に基づいてのみ判決を下す、それが裁判官という職務です。

しかし溝口さん、あなたは、既に決められた結論に沿って判決文を書いただけだ。このようなものを果たして裁判と呼んでいいものかどうか、私には疑問です。

この福井地裁判決はその結論そのものより、それを導き出した司法の姿勢のあり方の問題を残したのです。

この判決文は、「経済的損失は生命の前には関係ない」と言っていますので、大飯原発の管内である関西圏の経済にどう電気料金値上げが影響を与えているのかについて検討せねばなりません。

これについては今資料を蒐集しているので、来週にいたします。

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コメント

この3日の記事を見てると、田舎の裁判官が大衆(一部左翼運動家たち)に迎合しただけの作文だとしかおもえませんね。

司法って何?
三権分立って何だよ?

福島県を纏めて「フクシマ」として否定なさる連中と同じで、科学的見地も立証も全く無いですね。

東海大震災が来るぞ、と三十年前から煽って静岡県の地震保険を高騰させた人間が、なぜ大手を振って歩いているのかを考えると本当に腹立たしい限りです

ああ、いましたね。
83年秋に富士山大噴火!とかあちこちで演説やって飛ばされた気象庁職員が。あれは彼なりにたどりついたガセなのでしょうけど…

震災以後は、
まあ、長いこと言われてきた「東海地震」ではなく、東南海地震の津波想定ばかりが先走っているとの感情を持ちながら見てますが。

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