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2014年6月19日 (木)

朝日「吉田証言」の虚妄その4 吉田昌郎氏の墓に唾する者

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吉田昌郎氏が存命ならば、この朝日新聞の「吉田調書」キャンペーンをどのように感じたでしょうか。  

その前に、果たして彼が生きていたならば、この「調書」公開はありえたでしょうか。実は吉田氏は生前、明確に第三者への開示を拒否していました。  

これは私の推測ではなく、彼が存命中に政府事故調の聞き取りに協力を惜しまなかった代わりに、このようなことを政府事故調に申し出ているからです。  

吉田氏は上申書でこう述べています。

「自分の記憶に基づいて率直に事実関係を申し上げましたが、時間の経過に伴う記憶の薄れ、さまざまな事象に立て続けに対処せざるをえなかったことによる記憶の混同等によって、事実を誤認している部分もあるのではないかと思います」
(吉田所長の政府事故調に対する上申書)
内閣官房ホームページ吉田氏上申書
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/20140523_jyoshinsyo/jyoshinsyo.pdf

この上申書を読むと、吉田氏は責任者であった自分の証言が一人歩きして、誤りが修正されることなく歴史的事実として定着することを恐れていたことがわかります。  

これは巨大事故の緊急対処に当たった責任者として優れた見識です。  

原発4基が短期間に爆発するという巨大事故に際して、吉田氏が言うように「さまざまな事象が立て続けに起きて」おり、その対応の混乱や、記憶の混同は避けられないからです。 

ですから、吉田氏は自らの「証言」自体も、他の人たちの証言も含めて検討して相対視して欲しいと事故調に要請していたわけです。   

この朝日新聞の「スクープ」は、吉田氏が反論することが不可能になった時期をみはからって行なわれ、そして氏の遺志を徹底して踏みにじったものとなりました。(写真 闘病中の吉田氏)

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私は吉田昌郎というひとりの男が日本を、地獄の奈落へと滑り落ちて行こうとするわが祖国を救ったと思っています。

彼が注水停止を官邸の言うがままに実行していれば、今私はここにいないはずです。東日本全体は深刻な長期間続く放射能汚染の地になったことは間違いありません。

吉田は、事故が起きた時に関連会社の作業員の退去を命じます。それは、この福島第1原発に「残る」ということが、すなわち死を意味することを原子力の専門家として熟知していたからです。

福島第2原発所長は、扉を閉めて退去させないようにと命じたそうです。それも正しい判断でした。

原子力事故とは、米国NRCが言うように長丁場になり、延べ数千人が交替で行うものだからです。

しかしこの時、吉田を動かしていたのは「論理」ではなかったはずです。いわば「魂」でした。

言い換えれば、原子力技術者としての合理性ではなく、このような事故を起こしてしまったことに対する原発所長としての慙愧の念でした。

だから、彼は責任を取るのは自分とわずかの死を覚悟したメンバーでいいと考えたはずです。かなうことなら、ほんとうは彼一人で立ち向かいたかったのではないでしょうか。

彼はホワイトボードに残ることを選んだメンバーの名を書いていくように言いました。それは上司としての命令ではなかったはずです。

彼が語るようにまさに墓標でした。墓標に共に自らの名を刻む仲間に語りかけたのです。

最後まで残って戦ったのはこんな人間だぞ」、と。

彼はのちにインタビューでこう述べています。

私自身が免震重要棟にずっと座っているのが仕事で、現場に行けていない。いろいろな指示の中で本当にあとから現場に話を聞くと大変だったなと思うが、(部下は)そこに飛び込んでいってくれた。本当に飛び込んでいってくれた連中がたくさんいる。私が昔から読んでいる法華経の中に地面から菩薩(ぼさつ)がわいてくるというところがあるが、そんなイメージがすさまじい地獄のような状態で感じた。

さて、この朝日「吉田調書」キャンペーンと「美味しんぼ」事件は、似た体質があります。 

事実を捏造したり曲解することで、福島県民や福島事故に関わった人々を貶めることです。そしてそのことで反原発を情緒的に訴えるという手法です。

しかし、「美味しんぼ」がそうであったように、海外の一部を除いて国内は無反応でした。他紙も呆れたように朝日の狂態を眺めていたようです。

事故から3年、国民はそれだけ賢明になったのです。

それにしても反原発派は、いつまでこんなくだらないネガティブ・キャンペーンに明け暮れるのでしょうか。するべきことは、真正面から脱原発のプロセスを議論することのはずです。 

現実のフィールドで政策論として争わなければ脱原発など実現するわけがないのに、脱原発派はエネルギーの専門知識を持った人材もいなければ学習意欲すらないために、出来ることといえば、人を貶めたり、ありもしないことを煽ったりすることくらいの有り様です。

そしてこのふたつの事件のように、多くの国民から呆れられてしまっています。

結局、この朝日がそうであるように元々中長期で考えねばならない脱原発政策を、政局でしかない反安倍政治に流し込んでしまうからこのようなことになるのです。

しかも今や、ネガティブキャンペーンの毒が回って、人としての精神の貧困すらもたらしています。

福島で、白血病が出たと言っては騒ぎ、甲状腺ガンなど増えてほしいようなそぶりです。こんなことばかりやるようでは、反原発派に未来はありません。  

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