朝日新聞社説を笑うその1 「信義」を破壊したのはどちらか?
朝日新聞が検証報告書に弱々しい社説を書いています。ちょっと読んでみます。(欄外参照)
いつもの上から目線は変わりませんが、なぜか妙に大人しい内容で、日韓両政府に並ぶ第3の当事者ともいうべき朝日新聞としてはやや物足りない気さえします。
まず朝日は、検証チームの報告書概要をこんなふうにさらりと書き流してしまいます。
「談話の文言をめぐって日韓両政府間でかなり細かなやりとりがあり、一部は韓国側の意向を受け入れたが、日本政府の独自の調査に基づいてつくった。最終的には韓国側と意見が一致した――。そんな概要である」
「細やかなやりとり」「一部は受け入れた」「最終的には意見が一致」、ね。ものは言いようですな。まるで韓国政府から「細やかな心遣い」を頂戴して、めでたく「意見が一致」したみたいです(笑)。
もちろんこの連載をお読みの方には、内実がそんな生易しいことではなく、一国の官房長官談話に執拗に介入し、圧力をかけ、最後には全面降伏を強いたというものだということはお分かりなはずです。
朝日は自分の読者がこんな長たらしい報告書を決して読まないのを見越して、こう言いたいのです。
「いやー、日韓政府間では細かいやりとりがあったようですなぁ。しかし最後には意見が一致して強制性を認めたんですよ。河野談話は日韓関係の礎なんです。その信義を壊しちゃいけないなぁ」
冗談ではない。朝日はほんとうにこの報告書を読んだのですか。
私のように全文の要約を作ってみれば、「日本政府独自の調査」が阻害されて、韓国に屈したのが実態だと分かります。
朝日さん、国民を愚民視しちゃいけません。報告書はこう書いています。
「日本側は、「強制性」に関し、これまでの国内における調査結果もあり、歴史的事実を曲げた結論を出すことはできないと応答した。また、同協議の結果の報告を受けた石原官房副長官より、全体について「強制性」があったとは絶対に言えないとの発言があった」
このように当初は日本側は韓国側に対して、各省庁、図書館、そして米国国立公文書館に至るまで「強制性」の証拠を探したにもかかわらず、「強制性があったとは絶対に言えない」と明確に答えているのです。
それに対して、韓国側は断固として「強制性」を認めることを要求します。日本側が落とし所として提案した「一部強制性があった」、「関与した」という表現すら拒否されてしまいます。
「韓国側からは、(1)重要なのは真相究明である(2)強制の有無は資料が見つかっていないからわからないとの説明は韓国国民からすれば形式的であり、真の努力がなされていないものと映る(3)被害者および加害者からの事情聴取を行い、が強制によるものであったことを日本政府が認めることが重要である等の反応があった」 (1992年10月)
そして日本政府が当時の日本政府、ないしは軍の直接関与を意味する「強制性」を河野談話に盛り込めば、大統領から直接に国民に説明し、賠償は求めず、日韓関係は「未来志向」になるだろうと伝えてきます。
朝日の社説はこの部分をスッポリ抜かして、「両政府のやりとりからは、双方とも難しい立場を抱えながら問題を解決しようという強い意志が感じられる」という美辞麗句で、これまたサラリと済ましています。
日本が案外頑強に強制性を認めなかったために、最後に韓国側が出してきたのが、「難しい立場を乗り越えて問題解決しよう」という「未来志向」でした。
これは韓国側の執拗な「強制性」のごり押しがあってこそ意味があるのです。韓国側のごり押しを省いてしまっては、いきなり「未来志向」でよかったね、で終わってしまいます。
朝日はこの韓国の強圧をなかったが如く捨象して、免罪しています。これではなぜ、証拠がなかったのに、日本側が軍の「強制性」を認めてしまったのかというダイナミックス(力学)がわからなくなります。
日本側が、「問題解決の強い意志」を持ったのは、この問題でこれ以上後腐れないように完全解決したかったからで、そこをつけ込まれたのです。
そのあたりを報告書はこう書きます。
「韓昇洲韓国外務部長官からは、『本件に対する日本の努力と誠意を評価したい。日本側の調査の結果が金泳三大統領より韓国国民の前で説明して納得できる形で行われることを期待すると共に、これにより韓日関係が未来志向的にもっていけることを期待している。韓国もこのような結果を待ち望んでいる』と述べた」
(1993年7月28日・日韓外相会談における韓外務部長官の発言)
この韓国の「未来志向」という甘言に乗ってわが国は、ひとかけらの証拠もないままに軍の「強制性」を認めてしまいました。こうして河野談話の原型が出来たのでした。
それはこういう内容です。
「『強制性』については、例えば、一部には軍又は政府官憲の関与もあり、『自らの意思に反した形』により従軍とされた事例があることは否定できないとのラインにより、日本政府としての認識を示す用意があることを、韓国政府に打診する』との方針が示されている」
そしてこれに則って、元調査をしましたよというアリバイ作りのために元の現地聞き取りが行なわれたのです。それについて報告書はこう書いています。
「聞き取り調査とその直後に発出される河野談話との関係については、聞き取り調査が行われる前から追加調査結果もほぼまとまっており、聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた」
この聞き取り調査について、本報告書は珍しく皮肉を込めて「儀式」と呼んでいます。
これが朝日のいう「資料収集や別の関係者への調査によって談話原案は固まった」という内実です。正確に言いなおして見ましょう。
「資料収集」はしたが、軍の「強制性」の証拠は見つからなかったにもかかわらず、韓国の強圧に負けて、初めから結論が決まっていた儀式としての「関係者への調査」で談話原案は固まったのです。
朝日はなぜ、この報告書の肝とでもいうべき韓国側の「強制性」のゴリ押しをなかったが如く扱い、あたかも日韓両国が「細やかなやりとり」を経て「最終的には意見の一致をみた」という書き方をするのでしょうか?
理由は簡単明解です。
この日韓の「細やかなやりとり」の中心的テーマだった軍の「強制性」について論拠を与えていたのが、他ならぬこの朝日新聞だったからです。
1991年8月11日に朝日新聞が出した世紀の大誤報、『元朝鮮人従軍 戦後半世紀重い口開く』という記事が、日韓関係悪化の分水嶺でした。
後の歴史家は、この記事が引き起こした「従軍」問題が、日韓関係悪化の最初の一歩だと記すことでしょう。
この植村記事はたちまち韓国語訳されて、それまで韓国国内にくすぶっていた反日意識のガスに点火しました。
実は、この反日ガスを作った人物がいました。それが、高名な虚言病患者(※)の吉田清治氏です。(※実際、吉田氏は家族からこう言われていたそうです)
彼はこういうことを言いました。
「動員命令に従って、済州島で200余名の若い女性を、兵隊と伴に木刀をふるいながら、泣き叫ぶ子供を引き剥がすようにしてトラックで拉致した」
ほんとうならば、まるでアフリカの「奴隷狩り」です。しかし、後の秦郁彦氏などの現地調査によってまったくの捏造だとわかっています。
地元紙の済州島新聞からさえ抗議が来ている始末です。吉見義明氏すらこれは嘘として採用していないシロモノです。
しかしこの男はあろうことか、この嘘を韓国で謝罪行脚してしまいました。
この吉田氏の捏造話と、日本の人権派弁護士である高木健一氏や福島瑞穂氏などが作っていた元の戦後補償を求める訴訟団体を合体させたのが、この朝日の記事(1991年8月11日)だったのです。
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍」』」
いうまでもなく、デタラメです。この記事は、当時日本国内でも実施されていた勤労動員である「女子挺身隊」と、従軍を意図的に混同して、それを「連行」という官憲の強制性としています。
この記事こそが後に河野談話時の韓国大統領である金泳三大氏をして、「この従軍問題を提起したのは日本の新聞である」と言わしめた火元でした。
そしてこれに止まらず、朝日は、1992年1月13日第1面にデカデカと吉見義明中大教授の、防衛研究所で「募集に関する日本軍の関与についての新資料が発見された」との記事を出します。
この時期は計算され尽くしていました。宮沢総理訪韓のわずか5日前という修正が効かない時期を見計らって、日本政府がそれまで認めてこなかった「強制性」がウソであるという資料が出たと第1面でデカデカと書き立てたのです。
よく読めば、この吉見新資料は少しも「強制性」の証拠になるどころか、逆に日本軍が「悪質な女衒に注意しなさい」という警告であって、まるで逆な意味だとわかるでしょう。
しかしこの「関与の新資料見つかる」というリード文の印象操作は強烈で、政府はあわてふためいて加藤官房長官談話で「軍の関与」を認めてしまい、「反省の気持ち」を表明してしまいます。
そして訪韓した宮沢首相はといえば、首脳会議の席上で、実に22分間で8回も謝罪するという醜態を晒します。以後果てしもなく続く、泥沼のような謝罪外交の始まりです。
さぞ朝日は祝杯を上げたことでしょう。しかし、彼らの美味い酒とは別に、これによって日本側は以後、日韓交渉の主導権を韓国側に握られ、韓国側の一言一句にひれ伏すようになります。
今になって見れば、宮沢総理はこんなに慌てて謝罪する必要はなかったのですし、なんなら訪韓を繰り延べしてもよかったはずです。
そして腰を落ち着けてそれまで続いていた調査を続行し、認めるべきは認める、否定すべきはするという是々非々の態度で臨むべきでした。
にもかかわらず、宮沢内閣をここまで追い込んだのが、韓国世論と他ならぬ朝日が作り出した国内世論でした。
まさにその結果こそが河野談話だったわけです。つまり朝日こそ、この宮沢謝罪と河野談話を導き出す影の主役だったわけです。
このように日韓関係をここまで悪化させた張本人である朝日新聞がこう書くのを読むと、苦い笑いが湧いてきます。
「韓国にすれば、日本側から秘密にしようと持ちかけられていたことである。それなのに了承もなく、一方的に公表されるのは信義に反することになる」
どうも朝日は「信義」なるものを破ったのは安倍政権だ、韓国に謝罪しろと言いたいようです。
さて、確かに「マスコミに漏らさない」という合意があったことは報告書でも確認されています。
しかし韓国政府はこの河野談話を受けてこう言明したはずです。
「これからこの問題を韓日両国間の外交懸案として提起しない」(1993年8月4日韓国外務部)
もはや爆笑です。なにが「外交的懸案にしない」ですか。しまくりではないですか。なにが「信義」か。その「信義」とやらが破られ続けたのが、この20年余だったのです。
この約束は一度たりとも履行されず、いまや、韓国大統領の諸外国歴訪の手土産代わりに「日本軍の性奴隷」話を持って行く始末です。
韓国政府はフランスのマンガ祭に行っては宣伝のブースを出展し、米国には観光名所よろしく象が立ち並んでおり、気がついてみれば日本は「レイプ国家」に仕立て上げられている、それが現実の姿です。
もう一回、朝日に聞きましょう。このどこに「信義」がありますか。「信義」を破ったのはどちらですか?
そもそもありもしない問題を騒ぎ立て、それを対日外交カードにして、日本に屈伏を強いてこの河野談話を出させ、20余年も「対日外交資産」に使ってきたのは、韓国です。
第一、つい最近まで国が秘密事項を作ることに大反対していたのは朝日ではなかったでしょうか。
米国や日本政府相手ならかまわないが、韓国はいけないということなら、ここでもまた二枚舌ですね。
(長いので分割しました)
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■.社説 検証―問題解決の原点に返れ
朝日新聞 2014年6月21日
問題をめぐる93年の河野洋平官房長官談話について、政府はきのう、作成過程などの検証結果を国会に示した。談話の文言をめぐって日韓両政府間でかなり細かなやりとりがあり、一部は韓国側の意向を受け入れたが、日本政府の独自の調査に基づいてつくった。最終的には韓国側と意見が一致した――。そんな概要である。
両政府のやりとりからは、双方とも難しい立場を抱えながら問題を解決しようという強い意志が感じられる。検証チームの但木敬一座長も「談話を出すことで未来志向型の日韓関係をつくろうとした」と語った。
この検証が行われたのは、日本政府が行った元の聞き取り調査の信頼性を問題視する声が上がったからだ。談話の作成過程を明らかにすることで韓国を牽制(けんせい)する狙いもあったのだろう。
しかし、報告書は次のように指摘している。資料収集や別の関係者への調査によって談話原案は固まった。その時点で元からの聞き取りはまだ終わっておらず、彼女たちの証言を基に「強制性」を認めたわけではない。
安倍首相はかつて、への謝罪と反省を表明した河野談話の見直しを主張していた。
だが、国際社会からの強い反発もあって、河野談話を見直さなとの方針に転じた。
もう談話に疑義をはさむのはやめるべきだ。
報告書は、河野談話やその後の「アジア女性基金」について、韓国政府が一定の評価をしていたことも明らかにした。
韓国にすれば、日本側から秘密にしようと持ちかけられていたことである。それなのに了承もなく、一方的に公表されるのは信義に反することになる。
報告書に韓国政府は猛反発し、せっかく始まった日韓の外務省局長級協議も中断する可能性が出てきた。
また、韓国政府は「国際社会とともに対抗措置をとる」とも表明した。
問題が日韓の大きな懸案に浮上して、四半世紀がたとうとしている。 この間、両政府関係者やNGOなど多くの人々が関わってきた。だが、もっとも大切なのは元たちの救済であることは論をまたない。
韓国政府に登録した元の生存者は54人になった。
日韓両政府に、互いをなじり合う余裕はない。河野談話をめぐって「負の連鎖」を繰り返すことなく、今度こそ問題解決の原点に返るべきだ」
■ワールドカップ第3戦愚痴
惨敗です。ここまで無残に負けるとは予想外でした。
終了直前にキーパーを代えられるなどという侮辱は初めて味わいました。
原因は、ザッケローニ監督が香川と心中したからです。 香川が代表で輝けないことは、この世代の代表が始まってから続いていたことで、最後まで彼を中心としたチーム作りを崩さなかったために、チーム全体が沈没しました。
岡田前監督が予選直前にしたように、不調の香川を使い続けるのではなく、思い切ったメンバーチェンジを予選時にするべきでした。
前を向けないような10番には用はありません。攻撃的、攻撃的といいながら、前線は動かず、ただロングボールを放り込むだけで、コロンビアの堅守を崩せるはずがありません。
それならいっそう5バックで引いたほうがましでした。
相手国は、不調の香川を調査し尽くして臨んでいたのですから、勝てる道理がありません。
敗戦責任はあげてザッケローニにあります。彼の「3点取られても4点取って勝つ」という戦術指揮が、アジア予選ならともかく、世界の強豪相手には通用しなかったのです。
彼は雇用契約終了ではなく、解任に値します。
さて気を取り直して、ワールドカップ決勝を楽しみましょう。もうどこが勝ってもいいや。
ああ気が抜ける(笑)。
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コメント
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火付け役の朝日新聞のキャンペーンですからね。
もう、読むだけで空々しい。
まんまと乗ってしまった当時の日本の稚拙さと、平気で嘘八百を並べ立てて約束なんかいくらでも反故にする韓国政府。
呆れて物も言えんわ。
投稿: 山形 | 2014年6月26日 (木) 05時48分
学生時代、入試に備えて「天声人語」を読めとか言われていた世代です。あの頃は、何の疑いももたずにいましたが、マスメデイアの裏側を知るにつけて、情報と言うものは自分自身で収集精査する必要があるものなのだということが良く分かってきました。
投稿: 一宮崎人 | 2014年6月26日 (木) 16時18分
こんばんは。
W杯サッカーの話題に反応します(笑)。
>終了直前にキーパーを代えられるなどという侮辱
実は、日本にとってはW杯で2回目です。2006年ドイツ大会で1分2敗と振るわず、最終戦のブラジル戦も1-4と大敗でしたが、その82分にブラジルはGKを代えています。
それにしても「自分たちのサッカー」と言っていたのは、恥ずかしい限りです。意味不明。
相手のある競技なんですから、その「自分たちのサッカー」は相手に研究されるわけです。その結果、思うに任せず、「自分らしさ」が消されることは、本来容易に想像がつくはずです。
大体、どこの世界に、真剣勝負の場でやりたいようにやらせてくれるお人好しがいるというのでしょう。
でも、本番前にその点について危機感があったのか疑わしいです。
だから、本番でうまく行かなかったとき、右往左往して何をしてよいやら分からず混乱していた節がある。
コートジボワール戦で逆転された後、誰をどこに配置するか錯綜していたのはその例ですね。
また、代表発表のときパワープレーはやらないと言っていたはずですが、実際には2試合で試されました。でもそれに必要な上背のある選手を入れていないのですからやっても無駄で、点が入る予感がまるでしませんでした。
引かれた相手をどう崩すのかも解決していないため、義ギリシャ戦はたとえ相手がひとり少なくても得点できませんでした。
まあ、「自分たちらしさ」などと自己陶酔してうそぶいているのに限って、困難に直面した時は簡単に落胆したりするんですけどね。
そう簡単に「自分らしさ」を追求できるほど世の中甘くないし、それを追求できる水準にもなかった、つまりは弱かった、ってことですね。
投稿: こまQ | 2014年6月27日 (金) 02時04分