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2014年7月 7日 (月)

河野談話検証討報告書を読むその8 韓国人が潰した日本の「償い事業」

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河野談話は、日本外交の記念碑的敗北の象徴として歴史に刻まれることになりましたが、その後に約束した「償い事業」が始まります。

日本側はこれで日本側の約束は果したので、今度は韓国側が約束したことを実行することを期待したようです。

「金泳三大統領よる韓国国民の前で説明して納得できる形で行われることを期待すると共に、これにより韓日関係が未来志向的にもっていけること」

また日本側は、元慰安婦に対しての「償い」を検討しており、韓国側にも打診したところこのような答をえました。

「への「措置」について日本側が、いかなる措置をとるべきか韓国政府の考え方を確認したところ、韓国側は、日韓間では法的な補償の問題は決着済みであり、何らかの措置という場合は法的補償のことではなく、そしてその措置は公式には日本側が一方的にやるべきものであり、韓国側がとやかくいう性質のものではないと理解しているとの反応であった」

ここで韓国側は、日韓間では1965年の日韓条約で「補償は解決済」であり、やるとしても日本側が勝手にやるもので韓国は関知しないという立場でした。

まことにもって原則的なことで、戦中の動員にまで個人賠償支払を命じる昨今の韓国に聞かせたいものです。Aa17dd70 (アングレーム漫画祭の韓国政府出展作品より 日本官憲が強制連行して、少女をレイプしている)

一方、日本側も政権が社会党、さきがけ、自民党の連立に変化しており、総理も村山富市氏になっていました。

そこで、元慰安婦に対するプロジェクトが練られた結果、基金を作る方向になります。

これはふたつに分かれていて、金銭的な補償については民間からの募金をあて、医療、福祉に対しては政府からの資金をあてました。

このような形になったのは、日韓条約で、個人保証も含めて終了しているためです。

「政府において検討の結果、戦後50年にあたり過去の反省に立って「女性のためのアジア平和友好基金」による事業を次の通り行うものとする。
元従軍の方々のため国民、政府協力のもとに次のことを行う。
(1)元従軍の方々への国民的な償いを行うための資金を民間から基金が募金する。
(2)元従軍の方々に対する医療、福祉などお役に立つような事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する。
(3)この事業を実施する折、政府は元従軍の方々に、国としての率直な反省とおわびの気持ちを表明する。
(4)また、政府は、過去の従軍の歴史資料を整えて、歴史の教訓とする。
女性の名誉と尊厳に関わる事業として、前記(2)にあわせ、女性に対する暴力等今日的な問題に対応するための事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する」

一方、韓国政府は「水面下での協力」を約束したものの、肝心な組織が反対の声を上げました。特に聞き取りに参加拒否した挺対協です。

「韓国政府を通じ遺族会および挺対協に対して面談を申し入れたが、「民間基金」を受け入れることはできないとの見解が両団体から示された」

そして1997年1月に、基金を受け取る意思を示した元慰安婦6名に対して首相のお詫びの手紙と共に基金を渡しました。

それに対して韓国マスコミは元に対して激しいバッシングを開始しました。

「これに対し、韓国のメディアは「基金」事業を非難し、被害者団体等による元7人や新たに「基金」事業に申請しようとする元に対するハラスメントが始まった。被害者団体は、元慰安婦7人の実名を対外的に言及した他、本人に電話をかけ「民間基金」からのカネを受け取ることは、自ら「売春婦」であったことを認める行為であるとして非難した。また、その後に、新たに「基金」事業の受け入れを表明した元に対しては、関係者が家にまで来て「日本の汚いカネ」を受け取らないよう迫った

このため早くも基金の手渡しは停止し、福祉事業への転換も試みたもののこれも韓国政府の支持がえられず結局日本の「償いの善意」は頓挫することになります。

「事業転換が実現できなかった「基金」は1999年7月に事業を停止することとなり、停止状態が2002年2月まで続いたが、同月20日、「基金」は事業の停止状態をいったん解き、韓国内での事業申請受付期限を同年5月1日にすることを決定した」

この事業成果は以下です。

「1995年に設立された「基金」には、基本財産への寄付を含め約6億円の募金が集まり、日本政府は、インドネシアでの事業をもって事業全体が終了する2007年3月末までに拠出金・補助金あわせ約48億円を支出した。韓国における事業としては、事業終了までに、元合計61人に対し、民間による寄付を原資とする「償い金」200万円を支給し、政府拠出金を原資とする医療・福祉支援事業300万円を実施(一人当たり計500万円)するとともに、これらを受け取ったすべての元に対し、当時の総理の署名入りの「おわびの手紙」をお渡しした。その数は、橋本政権下で27件、小渕政権下で24件、森政権下で1件、小泉政権下で9件に及ぶ」

よく韓国人は「日帝は韓国に謝罪して賠償しろ」とか言っていますが、このように元慰安婦に対しての謝罪は数限りなく行い、かつひとりあたり500万円の「償い金」も手渡していたというわけです。

そして、残念なことにそれを韓国人自らの手で打ち砕いた上に、「償い事業」そのものまで忘れ去ってしまいました。

このように、政府中枢を占めた人達の誤った贖罪意識によってひき起こされた冤罪事件でしたが、厖大な報告書はこのような心温まる締めくくりを用意してくれて、読む私たち国民の心をわずかに癒してくれています。

「韓国では、韓国国内における事情や日韓関係に大きく影響を受け、同政府や国民からの理解は得られなかったものの、「基金」事業を受け取った元からは、日本政府から、私たちが生きているうちに、このような総理の謝罪やお金が出るとは思いませんでした、日本のみなさんの気持ちであることもよく分かりました、大変ありがとうございます、とするお礼の言葉が寄せられた。 

 また、一部の元は、手術を受けるためにお金が必要だということで、「基金」を受け入れることを決めたが、当初は「基金」の関係者に会うことも嫌だという態度をとっていたものの、「基金」代表が総理の手紙、理事長の手紙を朗読すると、声を上げて泣き出し、「基金」代表と抱き合って泣き続けた、日本政府と国民のおわびと償いの気持ちを受け止めていただいた、との報告もなされており、韓国国内状況とは裏腹に、元慰安婦からの評価を得た」

 

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コメント

この漫画、
もう20年以上も前に見た、終戦直後の韓国で、日本人少女が親の家に押し入った朝鮮人の官憲に無理矢理連行されてレイプされる作品(古いのでソースは失念)のパクリですね。
遥かに生々しかったですが。

「俺達は戦勝国だ。オマエラをどうにでも出来るんだ」とか。
朝鮮がいつ何処に勝ったんだよ(笑)

連載を読んでいると、深く悲しい気分になります。

天皇陛下が、あの8月15日に「耐え難きを耐え、
忍び難きを忍び・・」と国民に告げたのは、ただ
戦争の敗北の意味だけではありませんでした。

たいへん聡明な陛下は、たとえ復興し平和な世界
が訪れたとしても、敗戦国の負い目はずっと背負
っていかねばならないと判っていたのです。

あの日帝に事実上文明国にしてもらったのに、
敗戦後はイチャモンをつけては、まるで戦勝
連合国の一員のようにふるまっているコバン
ザメのような国家。日本はそれに対抗できず、
外交戦の連敗を続ける体たらくっぷり。

次の戦争に勝つまで敗者には何も無い。今こそ、
陛下のお言葉をのんで総合的国力増強をすべき。
でないと、あまりに悲しい。(戦争をしろとは言
ってない。不本意でもしなければならないのなら
絶対に負けちゃあダメだ!という事ですわ)

あっ、私はウヨクではないですから。街宣車には
「うっせ~よ、バカ!」と聞こえない小声で舌打
ちしてます。あれはどちらかと言うとサヨクです
ね。(国家社会主義の臭いがする)

天皇は、日本人の生活に深く根ざしすぎ。廃止し
たら、明治神宮等にお参りできない初詣難民など
が発生する。精神世界が失くなるよ、マルクスは
それがどうした?阿片だろって言うだろうけど。


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