河野談話検証報告書を読むその4 もうひとつあった官房長官談話
ここまで読んで下さった皆さんもいいかげんゲンナリしておられるでしょうか、私もゲンナリしています。ラチがあかない交渉とはまさにこのことです。
今の韓国政府は、この報告書を読んで、「うるさく日本側が聞いてきたので、何回かしかたなく答えた」などととぼけたことを言っているようですが、冗談じゃない。
ここまで執拗だと逆に、韓国側はおそらく実態としては日本官憲の「強制」によるものではないことを知っていたのではないかという気さえしてきます。
というのは、もしほんとうにが日本の軍に連行されて無理矢理ににされたのなら、この日韓交渉の席上でその証拠をとうに提出しているはずだからです。
日本側はやっていないと言っているにも関わらず、やっていないことを証明するためには悪魔の証明にならざるを得なくなってドツボにはまっています。
逆に韓国側が日本側に「参ったか、これを見ろ」という証拠をひとつでも出せば、この交渉はその時点でお終いなはずです。
なぜそうしないのでしょう?ひょっとして、そんな証拠がないのではないかと考えてしまいます。
実際、の募集は民間の売春斡旋業者(女衒・ぜげん)によってなされていました。しかもその業者の大部分は朝鮮人だったことも韓国側は知っていたはずです。
また、「官憲の連行」というなら、当時の日本統治下の朝鮮の「官憲」、つまり警察官は朝鮮人が8割以上を占めていました。
ならば女衒、官憲共には、同族が同族女性を強制連行したことになるわけで、韓国側はこれだけは認めたくないはずです。
あとは純粋に軍事組織である日本陸軍が、軍事行動としてを徴発したということしか選択肢がありません。実は、これには韓国人は思い至る記憶があるはずです。
そうです、昨日の記事で触れたように、自分たちが戦後、韓国軍「特殊慰安隊」として、軍組織の中に制度を取り込んでいたという過去があるからです。
いや過去どころか、この交渉時の90年代初期にも軍は相当数残存していたはずです。
「1950年に朝鮮戦争が始まると、韓国軍はを募集し、韓国政府も韓国軍と米軍向けに「特殊隊」を作った」(韓国陸軍「後方戦史」による)
「旧日本軍のが民営であったのに対し、韓国軍のは軍直営というだけでなく、「特殊慰安隊」として正規の軍組織に組み込まれていた点が大きく異なる」(韓国慶南大学教授・金貴玉による)
「「1962年の韓国ではアメリカ兵相手のとして2万名以上が登録されていた。韓国政府推算では1万6000名」(李娜榮による)
「 韓国では旧日本軍問題だけでなく、在韓米軍を相手にした(売春婦)の問題も、在韓米軍問題として社会問題にもなっている。1990年までに韓国における米軍相手の売春婦は25万から30万にのぼった」(崔吉城による)
さて、交渉渉開始時の大統領はノ・テウ(盧泰愚)氏です。
彼は日本統治下に生まれ、朝鮮戦争の時に士官学校に入学し、以後空輸特戦旅団長・第9師団長まで上り詰めています。生粋の軍人といっていいでしょう。
彼が韓国軍が大量に軍組織の中に組み込んでいた「特殊慰安隊」を知らないはずがありません。
好意的に見れば、彼らは自国のそれと日本の「従軍」を混同したのでしょう。
そこで韓国側が言い出したのが、真相究明などそこそこにして、さっさと「になったのは自分の意志ではないと認めろ」という飛躍した要求でした。
交渉が長引けば、日本側は必ず証拠を揃えてきます。ノ・テウ政権の目的は、日本の支援の上積みでした。
反省の言葉など、宮沢総理訪韓時にたっぷりもらったのだから、後は具体的にいくら金を寄こすのか詰めたかったはずです。
に対してではありません。韓国に対しての援助です。
もちろん、交渉とは切り離してでしょうが、謝罪の重しが効いているうちに、対韓援助交渉で勝利するのが、当時の韓国政府の戦略だったはずです。
ところが、鈍い日本側は「証拠がない」とかグズグズ言っていっかな先に進まない、さぞかし韓国側は焦れたことでしょう。
そこで韓国側は、「強制性」を「自分の意志でなったわけてはない」という別の表現に言い換えてオブラートに包んで日本側に飲ませやすくしました。
報告書はこう書きます。
「(3)最後の段階で、日本政府関係者がの代表と会って話を聞き、また韓国政府の調査結果を参考にして、強制的な要素があったということを何らかの表現にして政府の認識として述べてはどうかと考えているなどの説明を行った。
これに対し、韓国側は、(1)理論的には自由意思で行っても、行ってみたら話が違うということもある、(2)になったのが自分の意志でないことが認められることが重要である等述べた」
が自発的になったのではないことを日本側が認めれば、それを強制性があったことを日本側が認めたことにしてやろう、というありがたい申し出です。涙が出ます。
日本政府は愚かなことにこの韓国の手口にまんまと乗りました。落とし所が見えず、根負けしかかっていた所に救命ボートを投げられたような気分だったのでしょう。(馬鹿だねぇ)
その結果が、あまり世に知られていない1991年7月6日の加藤紘一官房長官の謝罪談話です。
「『慰安所の設置、の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・の衛生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったこと」を認め、「いわゆる従軍として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい』、『このような辛酸をなめられた方々に対し、われわれの気持ちをいかなる形で表すことができるのか、各方面の意見を聞きながら、誠意を持って検討していきたいと考えております』」と発言した。」
これが第1次政府公式の官房長官名の謝罪です。一部慰安所の管理面において強制性があったということを認めています。
加藤談話と呼んでもいいでしょう。後に出る有名な河野談話はこの加藤談話の「政府の関与」にもっと踏み込んだ内容であるだけで、基本トーンは同じです。
加藤氏、河野氏、揃って自民党ハト派と呼ばれた人達なのは興味深いことです。
もはや、後は坂を転がるように、韓国側の主張に屈していくだけの道しか残されていませんでした。まさに外交的惨敗です。
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こんばんは。
ゲンナリさせてもらいましたw。
日本人はもっと永田町よりも、霞ヶ関を監視しない
といけません。政治家などというものは、ほとんど
がアホに過ぎません。大臣に完成した答弁書を読ま
せるのは彼等で、実質的に官僚支配です。
百歩譲って大臣が傑出した人物であったとしても、
一人で事実関係の裏取りから最終判断まですべて
自分でやれる訳がありません。
ジミン嫌いの私であっても、宮沢・加藤・河野の各
氏に土下座外交の全責任を負わせるのは「それは違
うだろう」と言いたくなります。
面倒が嫌いで、自分は責任を負わない形にして、先
送りしてしまう。私もお役所で、よくこういうヤク
ニンに会いました。外務省も同じです。
集団的自衛権で米国、拉致問題で北朝鮮。韓国に大
負けした外交戦を考えると、とてもとても不安です。
おそらくヤラレます。でも外務省は永久に不滅です。
投稿: アホンダラ | 2014年7月 1日 (火) 23時32分