河野洋平氏が作った危険な論理
今回の河野談話報告書を見て改めてため息が出るのは、なにがなんでも謝ってしまいたいという宮沢-河野政権の異様までの情熱です。
もしひとりの軍人・軍属の証言、ひとつの強制連行指令書、のようなものでも見つかれば、むしろ彼らは喜んでそれを使ったでしょう。
目撃証言でもいいのです。韓国政府は20万人を強制連行したと言うのですから、おそらく百万人単位の目撃者が存在しているはずです。
何度か書いていますが、当時の韓国警官の7割以上が韓国人です。彼らが、自分の管轄の村(韓国名称「面」) からこれだけ大量の女性を暴力的に拉致されて黙っていたというほう不自然です。というか、ありえません。
なぜ彼ら警官や村の人間のひとりとして名乗りでないのでしょうか?
そして、日本の省庁、地方図書館、果ては米国公文書館まで探しても、それらの客観資料はなにひとつなかったのでした。
そこで編み出した河野氏の苦肉の策が、ならば「強制性」の枠そのものを拡げてしまおうという悪手でした。
今まで強制連行に使っていた「強制性」という概念を、精神的に圧迫を受けたものまでも「強制連行」と認めようとルール変更をしたわけです。
これなら「自分の意志に反して」売られたことは確かですから、すべての元が「精神的圧迫」を受けていたと答えたことでしょう。
これによって「誰によって」という肝心な責任の主体が不明になりました。
しかも、悪質民間業者による詐欺、誘拐までも、軍の強制連行として認めようというのですから、ルール変更というよりもはやルール無視というべきでしょう。
ここで河野氏がとった論法は、の強制連行を慰安所が軍管理だったことをもって強引に軍の責任としてしまうことでした。
の強制連行の実行者が軍人ではなく民間の業者であっても、「軍を背景にして精神的圧力をかけて追い込んだのだから、軍が手を下したのも同然」という論理です。
河野氏にかかると、「植民地統治下にあって軍が背後にいることがはっきりしている」から、すべてが「強制連行」だというのです。
「当時の状況を考えてほしい。政治も社会も経済も軍の影響下にあり、今日とは全く違う。国会が抵抗しても、軍の決定を押し戻すことはできないぐらい軍は強かった。そういう状況下で女性がその大きな力を拒否することができただろうか」(1997年3月31日朝日新聞)
ずいぶんと飛躍した論理で、公娼制があることを意図的に無視しています。
現実には、軍は監督官庁として悪質業者の「甘言」や「強制」を警告する通達を出しており、慰安所内部においての衛生管理を実施しています。
それは吉見義明氏が見つけたとされる資料にもこう記されていることからも分かります。
「募集実施の際は関係地方の憲兵・警察との連携を密にすること」(「共同研究日本軍」)
この資料は募集をかけた民間人業者が出た場合、その地域の警察や憲兵の監視を強化して不祥事がないようにしろ、という意味以外にはとれません。現にそれに類する資料は複数あります。
このどこが、軍による強制連行の証拠なのでしょうか。
これは当時の公娼制度下での政府の監督機能と同じであり、管轄官庁に政府ではなく軍が位置したというだけの差です。
ところがこの河野氏の論理に従えば、監督するのも強制連行と一緒なわけで、みんなまとめて「軍による性暴力」なのです。もう無茶苦茶な論理飛躍です。
ならばいっそう、監督や衛生管理のようなことはせずに、民間業者のやりたい放題にさせておけばよかったということになります。
現に、米軍は建前上そのような方針をとりながら、現実には戦後の韓国においては相手方政府に慰安所を作らせて自分は利用することをしています。
結果、女性の誘拐や自殺が頻発し、6割以上のが性病に罹患するという悲惨な状況になっています。
確かに責任は問われにくいでしょうが、これはこれで相当に問題です。
このようなの実態を見ずに、なんでも「背後に軍がある」とするだけで罪に問えるのならば、行政責任の無限大拡大とでもいうべき危険な論理になってしまいます。
つまりは、当時の社会は軍国主義だから、社会全般の事象の背後に軍がいるのだ、だからすべての不祥事の責任は軍だという粗雑きわまる歴史解釈になります。
「背後にいた」とか、「軍国主義の時代だったから軍が威張っていた」だけで論証が終わればなんでも言えます。
ちなみにこの論法をよく使うのは日本の支援運動の活動家達で、彼らはこう主張してきました。
「軍慰安所が、軍が設置したまぎれもな軍の施設であったことは間違いないのですから、軍慰安所の設置者・管理者として軍の責任は免れないでしょう。また軍がつくった、システムとしての「」制度が強制によって成り立っていたとするなら、「日本軍が強制連行を行っていた」と言ってもほとんど間違いではないでしょう」(「従軍資料館」より)
これは、強制性の証拠がないことを論破されて、「広義の強制性」に論点をずらすために作った吉見義明氏たちが作った論理ですが、元を辿れば河野談話の「精神的強制も強制連行」という考えにいきつきます。
まったく河野氏と同一の論理です。自民党の総裁までやった人が、左翼運動家と同じ論理でこの政府談話を書いていたことに逆に驚かされます。
だからこそ河野氏は、韓国政府に守秘義務を申し出て、国民の目から封をしてしまったのです。
この検証報告書について河野氏は相変わらず国民に説教口調でこう言っています。
「日本人が歴史に向き合い反省すべきは反省するならば、相互信頼関係を結べる」
正しくはこう書き換えられるべきです。
「河野氏が歴史に向き合わず、韓国の言うがままに反省すべきでない反省をしたために、日韓の相互信頼関係を結ぶことを困難にした」
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コメント
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時の政権や政治体制で、やむおえず起きた出来事だと認めるなら、
後の朝鮮の「光州事件」や、
中国の「大躍進政策」「文化大革命」「天安門事件」「チベット・ウイグルの侵略と虐殺」といった出来事も仕方ない事になるんですかね。
しかし、それでも中国や韓国には「被害者への謝罪と賠償をすべき」だなどと言わないですよね。
何故でしょうか?
内政干渉?
あちらは教科書問題やら、この「河野談話」で散々やってきてるのですが…。
投稿: 山形 | 2014年7月 9日 (水) 09時57分
申し訳ないですが、河野さんを擁護します。同じ
ことを繰り返しコメントしてすいません。
彼等政治家は、本当はナニも知らないし判断でき
ないのです。ただアホなだけですから。官僚の言
う事に、木に登らされたブタです。誰が選んだの
か知りませんが。
サラリーマンの官僚はその習性で、事を荒らげず
に出世・天下りを再優先します。絶対にリスクを
取らないので、自国よりも担当相手国のご機嫌を
取ることが、彼等にとっては合理的な判断ですし
行動です。討論して真理をあぶり出すなんてこと
は、絶対にありえません。
愚鈍で気まぐれな有権者に気に入られるように
するのが、政治家の第一の仕事です。冠婚葬祭
、口ききなどが活躍の場です。あとは資金さえ
調達できれば当選できます。政策などテキトー
な事を言っておけばよい、皆んなスグに忘れる
から。
そんな政治家を、そんな官僚が泳がせる。結果
は外交戦の連敗です。大東亜戦争の中終盤の帝
国陸海軍と同じです。そして責任は全国民が身
をもって取らされますよ。
投稿: アホンダラ | 2014年7月 9日 (水) 23時51分