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2014年8月 7日 (木)

朝日新聞特集に思うその1 吉田清治証言について

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昨日は広島の原爆投下の日でした。 

毎年朝、その時間には手を合わせることにしています。出来ないならば、せめて心の中で手を合わせる習慣がついていました。 

この数年、この8月という月は「赦し・赦される」季節なのではないかと思うようになりました。 

もう戦争経験者の世代は亡くなっていきつつあります。だからこそできうる限り彼らの声を聞き、整理し、残していきたいという気持ちと、それを現実の政治の中で利用することとはまったく別なのではないかと思うようになっています。 

歳のせいか、少なくとも戦争とは無縁の世代には、他民族を攻撃することや、私の青年期のように過度な贖罪意識からは自由であって欲しいと思うようになってきました。 

こういうふうに思うようにになったひとつの原因は、隣の民族からの「千年たってもこの恨みは忘れない」というやりきれないような声を日常的に聞くようになったからです。 

彼らの金切り声を聞けば聞くほど、今、戦争でなにがあったのか、あるいはなかったのかについて、静かに整理し、分析するに留め、現実の政治や、ましてや政局に利用することはよしにしないかと考えています。 

だからこそ、隣人の騒音おばさんからの根拠なき濡れ衣は私たちの世代で終わりにせねばなりません。 

そんなことをぼんやりと考えていた時に、いきなり朝日新聞が寝耳に水の訂正特集を出してきました。

正直びっくりしましたね。なぜ8月15日を控えた今なのかということもありましたが、それ以上に「ああ、まだこのことについて朝日は沈黙していたんだったな」という感慨でした。 

朝日はこう書いています。

「読者のみなさまへ
 吉田氏が済州島でを強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました」
(朝日新聞8月4日)

実を言うと私は、この吉田清治氏の証言は、既にわが国においては1992年から1993年にかけて完全否定されていたと理解していました。 

確かに朝日はこの吉田証言を徹底的に利用して糾弾キャンペーンを張りました。 

それについて朝日の天敵である産経はこう書いています。

「韓国・済州(チェジュ)島で、を強制連行したという懺悔(ざんげ)本を書いた吉田清治氏に、最も入れ込んだメディアは朝日新聞である。1992年1月23日付夕刊では、論説委員が次のような吉田氏の証言を丸ごと無批判に引用している。
 《国家権力が警察を使い、植民地での女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、一年二年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います》
 ところが、この記事の2カ月後に、吉田氏の証言は完全な創作であることが露見した。現代史家の秦郁彦氏が92年3月、吉田氏の本で強制連行が行われたとされる済州島の貝ボタン工場の跡地に行って調査した。工場関係者の古老に「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ、秦氏は返答に窮した。
 それ以前に、地元紙「済州新聞」の女性記者が、吉田氏の著書の韓国語訳が出た89年に調査し、「事実無根」との結論を記事にしていた。その記事の中で、ある郷土史家は吉田氏の著書について「日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物」と憤慨していた」
(産経6月6日)
 

このことは、この朝日記事の中でも触れています。

「朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として『済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった』と話す。
90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。
92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。
東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという」(同)

吉田証言が根も葉もない捏造だと気がついてから実に21年ですよ。赤子が就職するような年月です。この時間、朝日は手前勝手な「沈黙」を守ってきたわけです。  

私はこのままフェードさせてしまうのかと思っていました。

というのは、この朝日記事で分かったことは、朝日がこれほどまでに大きな問題をほとんど裏取り取材をせずに自身が言うように「確認できただけで16回記事にした」わけで、これは報道機関として恥以外なにものでもありません。

「吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は00年7月に死去したという」(同)

吉田氏が亡くなったのは2000年ですから、82年に記事が出て実に18年間もたっているるわけです。

どうしてこれほどまでに大きな問題となってしまった「従軍問題」の原点ともいえる吉田氏を生前に再取材しなかったのでしょうか。

それはおそらく自身のキャンペーンか窮地に立つことを恐れたとしか考えようがありません。

後で触れますが、吉田氏が亡くなる2000年頃にはもはや朝日が訂正しようとしまいと、国際的な「定説」が完成していたわけですが。

証言の唯一の物証は妻の日記でしたが、これも「つけていないことが分かった」と朝日は書きます。

この部分を朝日の執筆記者は赤面しながら書いたでしょう。そうでなければジャーナリストとして異常です。 

それも92年、3年ではなく2014年にです。

93年には「従軍問題」追及の「権威」である吉見義明中大教授が、吉田氏と面談し、証言としては採用できないという結論を出しており、その吉見氏は朝日とルートがあったはずです。

まちがいなく吉見氏は朝日に吉田証言が怪しいという情報を伝えているはずで、朝日内部のどこかが握りつぶしたものだと思います。

「吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している」(同)

このような杜撰というのも愚かな記事は一人歩きしていきました。それは発信元が日本最高のクォリティペーパーであると自認する朝日新聞社だったからです。 

その影響の広さを見てみましょう。 

まず1996年に国連人権委員会クワラスワミ報告が出されます。
※「女性に対する暴力報告」
http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf 

このクワラスワミ報告書は、内容のほぼすべてが韓国側、ないしは日本の運動家の言論を基にして作られていて、吉田証言はこのように反映されています。

「28(略)挺身隊に推薦された少女が出頭しない場合は、憲兵隊ないし軍警察がその理由を調査した。氏ッ再女子挺身隊によって日本軍は地元の朝鮮人業者や警察官を利用して、地元の少女にウソの口実の下に戦争協力をするように圧力をかけたことは既に述べた通りである。
29それ以上にまだ女性が必要とされた場合は、日本軍はあからさまな力の行使や襲撃に訴え、抵抗する家族を殺害することもあった」(同報告書)

また、近年になってもマイク・ホンダという札付きの反日議員が提案した米国下院121号決議の審議過程にも強く影響を与えています。(※翌年の日本政府の異議で当該部分は削除されています)
※http://thomas.loc.gov/cgi-bin/bdquery/z?d110:H.Res121:
 

この30年間で朝日新聞と韓国政府、そして日本人運動家によって国際的に流布された「軍による強制連行」のイメージは強烈でした。

すなわち朝鮮半島の平和な村に押し入った日本軍が、婦女子に銃剣を突きつけて泣き叫ぶ子供を蹴倒して強制連行していくというイメージは、疑ってはならない真実として韓国に定着していました。 

ほんの2年前に書かれた韓国大手紙・朝鮮日報(2012年9月9日)は、「狩りをした日本人」という記事でこう書いています。 

「強制連行の証拠はない」と主張する野田首相の発言に憤慨した読者のキム・ウォンテさんが、自身の所有する日本の本を送ってきた。吉田清治という日本人が1972年に書いた手記だった。
吉田氏は戦時中、下関で、労働者の徴用機関だった「労務報国会」の動員部長を3年間務めた。吉田氏は、数多くの朝鮮人を強制的に連行して戦地に送ったが、当時の蛮行を悔いて『朝鮮人と日本人』と題する本を執筆した。
 吉田氏の証言は、現場を見ているかのように詳細かつ具体的だ。吉田氏は、日本政府の指示を受けて韓半島(朝鮮半島)に渡り、朝鮮人を集めた。警察の護送車を先頭に慶尚北道永川一帯を回り、若い女性を連行したという。当時、吉田氏の一行は朝鮮人を強制的に徴用することを「狩り」と呼んだ。確かに、他人の家に押し入って人を連れていくという行為は、人間狩りにほかならない」
 

これはほぼ丸ごと吉田証言そのままで韓国国内のメディアは、日本国内で吉田証言が少なくとも1993年には運動団体側も含めて否定されていることを意図的に無視しています。 

ここで「意図的」と書いたのは、韓国メディアは日本の情報をリアルタイムで「傍受」しており、特に日韓外交の大きな障壁となっている問題には神経を尖らせているからで、知らないはずがありません。

もし、朝日が誤報と分った93年段階で訂正記事を出しておけば、このような韓国側の誤解、というより為にする議論は防げたはずです。 

韓国政府・女性家族部の公式見解はこうです。

」とは戦時中に日本の旧植民地朝鮮台湾など)や占領地(中国フィリピンインドネシアなど)から強制募集され、意に反して性奴隷として奉仕させられた若い女性に対する婉曲表現である。日本軍、官憲及び民間業者が20万人もの女性を騙し、誘い、あるいは連れ去って、日本の植民地や占領地の至る所で性奴隷として売春を強要した。これらの女性は「comfort women」、「comfort girls」、「従軍( military comfort women)」「military-serving women」などと呼ばれてきましたが、現在では性奴隷として犠牲になったことを意味する「military sex slaves」として定義されている」

ここにも「日本軍、官憲ないしは民間業者が20万人もの女性を騙し、誘い、あるいは連れ去って」「性奴隷にした」とあります。 

朝日新聞は今回の「一部取り消し」まで、実に32年かけています。ここに至るまでいかに致命的誤報を世界にばら蒔いてしまい、日本国民を傷つけてきたのか、思いを致すべきではないでしょうか。

それと事ここに至って「本質を直視しろ」なんて言わずに率直に謝罪すべきでしたね。こういう教えてやる目線かたまらなく嫌いという国民は、この私も含めて沢山いるでしょうから。

今後吉田証言と植村記事を切り捨てた朝日は、問題を人権問題にすり替えて糾弾を継続すると思われます。

実はこの「本人の意思に反したことは強制」という見方は今や国際的「定説」となっていています。

朝日がこんな形で撤退したのも単なる戦略的後退であって、「変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていく」(朝日・杉浦信之役員)つもりなのでしょう。

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■朝日新聞1992年1月23日付夕刊1面

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