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« 沖縄県型瀬戸際戦術とは | トップページ | 朝日新聞特集に思うその1 吉田清治証言について »

2014年8月 6日 (水)

宗教紛争をするようになった脱原発派

011
昨日、朝日新聞が世紀の捏造記事である報道の一部修正を始めたようです。 

あいかわらずぬらりくらりと「広義の強制性」に逃げたいようですが、この問題は捏造から30余年たち「定説」と化しています。

そのために、単なる新聞記事の訂正では済まなくなってきています。ざっと見ておけばこのような側面があります。

①日本の官憲あるいは軍が吉田証言や植村記事のように奴隷狩りのようにして朝鮮の婦女子を強制連行したのかについての史実の正否
②河野談話の作成過程と「強制性」問題
③韓国政府の反日宣伝をめぐる外交問題・米国の定説化

これらはそれぞれ次元が違う問題です。よく言われている言い方は、「本人の意思に反して軍人の相手をさせられたのだからやはり強制だ」というものがあります。

今、いわゆる従軍を批判する人々はこの線でまとまっていて、朝日が①の軍の強制連行を訂正してもなんら変わりはないと言い張っています。

そしてこれが国際的「常識」だと言っています。はい、そのとおりで、それが韓国のディスカウント・ジャパン政策で定着した③の「国際世論」であることは残念ながら事実です。

しかし、今回明らかになったことはそれとは別の次元、すなわちこの従軍問題が発生した発端を検証しています。

その後、それをパン種として膨らませたこととは別次元なのです。先だっての②の河野談話作成過程の検証があったように、からんだ糸玉のようにになった「従軍」問題を解いてゆかねばなりません。

そしてこの解法のうちもっとも重要なキイは、最初の「性奴隷狩り」=強制連行があったのか、なかったのか、であることは間違いないことです。

これが誤りだったと朝日が認めた以上、朝日がなんと逃げ口上を打とうと、韓国政府の、「20万人の女性を挺身隊として強制強制し性奴隷にした。戦後はその多くを殺した」という主張は半ば以上崩壊したわけです。

それにしても32年もかかって朝日は問題の入り口にたどり着いたようですが、率直な謝罪はなく、初めから言い訳だらけです。

執筆者の杉浦信之記者は、「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」などとふざけたことを言っています。 

しかしまぁ、吉田証言の裏取りなとを今年になってやっているようで、こんな杜撰な取材でよくも東アジア情勢の国際関係全体に影響を与えるようなキャンペーンができたものです。


※朝日記事
http://www.asahi.com/topics/ianfumondaiwokangaeru/
※ 以上は本日朝に追記しました。朝日報道については近日する予定です。(暑さにめげなければ)

             :;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

 

さて、「あ」とかいう人からコメントが来ました。

「おまえ、まだ原発推進喚いてるのか。学習能力の欠片もないんだな。
原発は既に世界的に斜陽化だよ。 小泉がいう通り、「諦めるしかない」事に気づけよ、単細胞」

スゴイよね。いきなり見も知らない相手をお前呼ばわりですか。ただ、電気不足を支える発電現場を報じただけなのに、いきなり「原発推進」ときたもんです。

まぁ一事が万事この調子です。まず、自分の主張と違ったら、全部「原発推進派」に決めつけしまいます。ヤレヤレです。

私、漸減派なんですが、今や、再稼働反対を唱えなければ、全部まとめて「推進派」ということのようで、実に乱暴な話です。

漸減というのは、時間をかけて減らしていくことですから、当然再稼働は肯定する立場です。それが気に食わないのでしょう。

このような人たちはこんな「ブルドーザー・デモ」にでも参加しているんでしょうが、70年安保世代として多くの流血をみてきたひとりとしてはゾッとします。

Buftkguceaautwk (写真 安倍氏の頭部の人形を踏みつぶすデモのブルドーザー。私はこういう行為に吐き気がします)

再稼働反対というのは、何度か言っていますが、即時ゼロという意味です。 

つまり、安全性を規制委員会から認められた原発を稼働させながら、社会を壊さないようにして時間をかけて減らしていくという漸減すら認めないわけです。

つまり、今ただちに代替があろうとなかろうと、化石に9割なろうとなるまいと、電気不足などこれっぽっちも考えずにゼロというわけです。 

現実にその結果、どのようなことが社会で起きているのか見ようとするのも「推進派」だそうで、はい、話になりませんな。 

このような極端な形に純化した人たちは、同じ脱原発をテーマに掲げていても、他者の意見や、立場が違う運動を認めませんから、そこかしこで「敵」を量産していきます。 

「純化」という言い方はふさわしくないかもしれません。はっきりとカルト化と呼ぶべきでしょう。

再エネの飯田哲也氏はこう警告します。

「挙げ句の果てに運動の『セクト化』が進み、互いを罵る悪循環に陥った。まるで革命を目指しながら、内部分裂と暴力で崩壊した連合赤軍のようだ
『最初はみんな熱く盛り上がるが、熱が冷めて自分たちが少数派になるにつれ、運動が純化し極論に寄ってしまう』」
(ニューズウィーク 2014年2月11日号)

あるいは、福島県出身の社会学者関沼博氏の表現を使えば、もっと手厳しいこのような表現もあります。

あたかも宗教紛争のようだ」(同)

今回のコメントや、「美味しんぼ」騒動記事の一部の書き込みをみると、その「空気」の片鱗がわかります。 

ろくに私の記事を読まない。一カ所気に食わないと延々とこだわり、相手をやっつけるまでネチネチ執拗に続ける。 

そもそもあのような人達にとって、建設的議論を交える気など初めからなく、揚げ足をとったり詭弁を弄してでも、相手を叩き潰すことが目的なのです。

このような脱原発運動の党派化の現状の象徴的人物が衆議院議員・山本太郎氏です。

私は山本太郎氏という人物を、決して嫌いではありませんでした。

女の子の尻を追うのが好きで、デカイ図体で隙だらけ、天皇に直訴する意味も知らない猪突猛進の「愛すべき野人」といった彼の姿を微苦笑で眺めていました。

しかし、「ニューズウィーク」(2014年2月11日号)での彼の発言を知ると、そうとも言っていられなくなりました。

山本太郎氏はこう述べています。

「脱原発派だけどTPP賛成というのは嘘つき」「TPP推進派は『向こう』に行ってくれたらいい。逆に『こちら』の空気を醸し出しながら中立を装うのが一番怖い。それでは第2、第3の自民党だ」(同)

TPPは私も一貫して反対していますが、それと原発はどう関係あるのでしょうか。ここまで「仲間」の枠を狭めて、意見が違うものは「あちらに行け」というわけです。

山本氏の表現にある、「第2、第3の自民党」という表現も、70年安保世代の私は引っかかります。

山本氏が所属していると噂される中〇派は、かつて、内ゲバ殺人を正当化するために「第2民青〇〇センメツ」という表現をしてきました。

これは、運動の仲間を増やすのではなく、絞っていき、絞っていき、最後は自分のセクトに入れるか、あるいは殺すかする時に使う表現です。

中〇派は「絞る」ためだけの内ゲバ殺人で、数十人を殺害し、百人以上に重傷を負わせました。

「脱原発派科学者の筆頭だった飯田でさえ自然エネルギーの穏やかな転換をとなえただけで隠れ推進派として攻撃される」(同)

もちろんそんな純化運動をしてみたところで、現実に原発がなくなるわけはないのは、あの脱原発アイドルの藤波心さんもよく理解しています。

彼女すら「原発推進派」と誹謗されたそうです。

「事故当時は女子中学生で、運動参加者から脱原発アイドルと呼ばれる藤波心も『なぜか原発推進派』と批判されたことがある。『こだわりすぎて自分の活動に酔いしれるだけでは原発はなくならない』と藤波は指摘する」(同)

純粋な藤波さんには気の毒ですが、あなたを誹謗した脱原発過激派は、「原発はなくならない」ということなどとうに折り込み済みなはずです。

原発がなくならない限り運動対象は不滅ですし、なくならない以上永遠に脱原発運動も組織も存在価値があり、党勢拡大の手段になると思っているからです。 

結局、私のように、時間をかけても本気で原発をなくそうと考えるような人間は「向こう側」であり、結局「原発推進派」であって、つまりは「敵」・打倒対象なのです。

このような「向こう側」と「こちら側」を線引きして、原発、安保、沖縄問題、TPPすべてが一致できない限り「向こう側」という発想に脱原発運動は陥っています。

この基準にあてはまる左翼の支持者だけです。では、左翼しか脱原発を唱えてはいけないということになります。冗談ではない。

再エネがいきなり全部の代替エネルギー源になることはありえません。代替として2割に達することすら難しいでしょう。

ドイツでさえ、巨額な国費をかけて十数年かけてようやく20%に達し、あと数十年かけてようやく60%になる遠大な目標を立てています。

つまり時間がかかります。この移行のための過渡期的期間がいるのです。

なぜなら、今のドイツが半数の6基残しているように、過渡期においては一定数の原発は社会インフラ維持のために残らざるをえないからです。

仮に全原発が停止した場合、代替は今の日本のように9割を火力に頼るしかありません。

そうなった場合、電気料金は値上がり、大停電の恐怖に脅えながら二酸化炭素の排出権売買でいっそう国富は減り続け、国民経済は疲弊します。

だから時間をかけて移行しないと、社会的・経済的損失が厖大になってしまいます。

ですから、本来この過渡期に徹底した国民的議論が必要だったはずです。

しかしそれがなく議論はベタ凪、表現方法や行動様式のみが先鋭化していく、それが実態です。

今や脱原発派は、具体論を展開しません。強いて言えばドイツ流再エネだけです。

いや彼らの空気としては、むしろそんな具体論などは日和見主義であって、ともかく「即時原発ゼロ」、それ以外は「原発残存に道を開く隠れ推進派」くらいに考えています。

実現可能か不可能かなどと考える思考形態自体が既に、「第2自民」だというのです。

なまじな具体案など示せば、「向こう側」=敵の土俵上で相撲を取らざるをえないことを恐怖しています。

単に勉強不足で、ちょっと勉強すれば、世界有数の工業国のわが国で即時ゼロなどは簡単に成り立たないのが分かってしまうからでしょうか。

本来は「向こう側」の土俵、言い換えれば現実のフィールドで政策論として争わなければ脱原発など実現するわけがありません

ところが、脱原発派には、エネルギーの専門知識を持った人材がいないのです。仮にいてもそれはエネルギー関係ではなく、原子炉工学のプロパーです。

いっけん明るく入りやすい外見にダマされて脱原発運動に入ったとしても、運動家が求める左翼的立場で意見が一致するはずがありません。また、する必要もありません。

あくまでも脱原発をいろいろな立場の人達が、知恵を絞りながら考えていけばいいのであって、その中には自民党支持者がいてもいいし、共産党支持者がいてもいいでしょう。

いや、むしろ自民党政権の中に具体的に脱原発を構想する人が出てくれば、ほんとうに脱原発の流れは進展するでしょう。

実際、脱原発運動がいちばん盛んだった頃には、自民党支持者も大勢デモに駆けつけたではありませんか。そうなってこそほんとうの「国民運動」なのです。

それぞれの立場で、それぞれの考えを大事にして、少しずつでも原子力に頼らない社会をめざして行くべきです。

まず『向こう』と『こちら』と線引きして敵味方を分け、相手ばかりではなく『妥協は悪』とばかりに自分の仲間までを攻撃する。『空気』に左右され、熱狂と忘却を繰り返す」(同)

どうしてこんなあたりまえのことを繰り返し説かねばならないのでしょうか。

おそらく遠からず彼らは私の世代が陥った深刻な挫折を経験するはずです。そしてその中から、本物の武器を持ったエコ・テロリストが生れるでしょう。

彼らはたぶんこう叫ぶでしょう。

「いくらデモをしても原発は動いた。このままではすべての原発が動き、元通りになってしまう。チンタラデモではなく、直接に青年の怒りを原発と政府にぶつけよう!」

私はそれを恐れます。なぜならそこまでもう一歩だからです。 

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原発を真面目に終りにする方法」カテゴリの記事

コメント

>私はそれを恐れます

村上龍が今文藝春秋で連載している小説を思い出しました……
それはともかく、反原発運動や左翼運動が、社会運動というより自我を形成するための行為になってしまっている人がいるので、一部の若い人がそうなるのもわからないでもないのですが、あれをなんとかできないのか、と、思います。

今から40数年前の、細分化を繰り返して過激化を進め、異分子排除の論理で自滅していった学生運動の末期を思い出すと、「学習能力の欠片もないんだな。」という言葉がどちらに向いているのかと思いますね。フランス革命のあとも、ロシア革命のあとも、同じことが繰り返されています。多くの人を取り込めずに「国民運動」にはならないことを分かっているのに、完全一致を目指して妥協を許さない不寛容な姿勢に傾いていくという矛盾を直視すべきですね。

漸減派に近い1人として、稚拙ながら廃熱利用発電と水素還元によりCO2削減を
図った火力発電をベースにしたエネルギー構想をまとめて、一部野党に投稿しました。
近々反原発ネットにも送ってみようと考えております。それで現在の過激な運動が
根本的に変わるなどとは全く思っていませんが、ほんの一瞬でも立ち止まって
考えてみる機会に・・・なるかな(笑) ただしきりにベストミックスを
口にしながら、具体案を一向に示さず反対派にも全く聞く耳持たずの与党にも
責任は当然あると思っていますけど。

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