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なぜ朝日は植村誤報と吉田偽証の訂正を封印したのか?

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今回の朝日新聞8月4日付け慰安婦検証記事はこう書いています。http://www.asahi.com/articles/ASG7X6753G7XUTIL053.html

「慰安婦問題に光が当たり始めた90年代初め、研究は進んでいませんでした。私たちは元慰安婦の証言や少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します。似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。
こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません」(朝日新聞8月4日)

他のメディアは毎日、、NHKなどを除いてかなり前に訂正記事を出していますし、そもそもそのような相殺論法自体、朝日の罪を少しも軽くするものではありません。

他紙と立場がまるで違うからです。

慰安婦問題のフラッグシップ(旗艦)は朝日でした。「日本一のクォリティペーパー」が旗を振り続けていたからここまで事態は深刻化してしまったのです。つまりこういうことです。

内部メールで木村伊量社長が嬉しげに言うように

朝日新聞が書かなければ永久に世の中に知られることのなかったかもしれない衝撃の事実の連打」で宮沢政権を追い詰めて河野談話を出させ
韓国政府や国際社会の「公共財として証言を共有」させてしまったのは、
海外メディアが朝日の報道を直ちに転載して世界の多くの人が事実を知る」という位置関係にいたからです。、

ある意味、パク・クネという反日の怪物を生み出したのも朝日なのであって、その責任の重さは他社と比較になりません。

こういう態度を、世間では責任転嫁と呼びます。この責任を極小化したいが故の転嫁という姿勢は、この検証記事全体の基調トーンとなっています。

さて内容に入ります。まず第1に、朝日は誤報の理由を「挺身隊」については研究が進んでいないため「全体像がわからなかった」時代状況のためとして、時代の研究水準が原因であって、朝日には責任がなかったがごとく書いています。

これも責任の極小化、ないしは転嫁と断じることが可能ですが、もう少し背景があります。

吉田証言が世に出たのは、遡ること1963年に週刊朝日の「私の八月十五日」という特集記事で紹介されたのが最初です。

以降1983年の有名な著書『私の戦争犯罪』を経て、90年代にはたびたび紙面に登場し、92年には朝日新聞から『女たちの太平洋戦争』という書籍で大々的に取り上げられています。

おそらくこの本で吉田氏は朝日公認の生き証人となったと思われます。

この吉田氏を生き証人に祭り上げたのが朝日の清田治史記者です。

彼はこの功で、後に93年ソウル支局長となり、その後外報部次長から東京編集局次長、そして取締役へと出世階段を駆け上っていきます。

ある意味で、植村記者以上の誤報戦犯男はこの清田記者だったのかもしれません。

それはさておき、この吉田証言、いや吉田偽証に基づいて名乗り出たのが金学順氏です。

彼女が裁判に踏み切ったことを受けて、状況は大きく拡大すると見て、大阪本社は現地に当時大阪社会部所属だった植村隆記者を急遽送り込みます。

それは彼が元慰安婦団体の幹部である梁順任氏の娘婿で、インサイダー情報を取れたからです。

係争中の取材対象と姻戚関係を持った記者が、情報提供を受けて記事として社会問題化するというあってはならない報道倫理からの逸脱が初めからあったのです。

元朝日ソウル特派員を務めていた前川恵司氏は、「植村氏が大阪社会部だったことをけげんに思った」と述べています。

このように同僚からもけげんに思われていた植村記者が書いたのが、この慰安婦問題の火元になる朝日新聞(1991年8月11日)記事『元朝鮮人従軍 戦後半世紀重い口開く』です。

「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦」』」(同記事)

この記事の致命的誤りは、当時日本国内でも実施されていた勤労動員である「女子挺身隊」と、慰安婦を意図的に混同して、それを「連行」という官憲の強制性としていることです。

女子挺身隊は1943年に実施された14歳以上25歳未満の女性の工場などへの勤労動員のことです。

このような女性の戦時労働参加は当時の米英でも一般的であって、女性を「従軍慰安婦」にすることとはなんの関係もありません。

前出の前川氏も、「挺身隊が勤労動員であって慰安婦ではないことは当時多くの生存者がいたので常識であり、すぐに修正されると思っていた」と述べています。

これは単なる表記ミスにとどまらず、「挺身隊の名で強制連行した」数が20万人だったことから、「20万人の韓国女性が挺身隊として慰安婦にされた」という捏造につながっていきます。

これは朝日が述べるような大げさな「当時の研究水準」などといったものに転化するべきではなく、当時まだ大量に生存していた挺身隊経験者に取材すれば済むことでした。

なぜかかる初歩的ミスをそのまま放置したのでしょうか。

第2に、また、吉田清治証言についても「見抜けなかった」、つまりは自分も騙された可哀相な被害者であったとしています。

「読者のみなさまへ
 吉田氏が済州島でを強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました」(同)

この吉田氏遺族への裏取り取材をしたのは、最初に「吉田証言」報道がなされて実に32年後です。なぜさっさとしなかったのでしょうか。

その「再取材」の時期は明示されていませんが、「証言を裏付ける話は得られなかった」という実にとぼけたことを書いています。まったくなぁに言ってるんだか、です。

これだけ日本の国際的地位を毀損した吉田清治といううさん臭い人物を、朝日公認の生き証人として利用し尽くしたのは朝日自身ではありませんか。

それを今頃になって「裏付ける話は得られなかった」ですか。豆腐の角にアタマをぶつけなさい。

フジテレビ14年8月9日「真報道2001」は、現地に1日ていどの簡単な調査でもあっさりと吉田証言が偽りだという調査結果が出ています。

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これでは朝日記者が極端に取材力が欠如していたのか、初めからアリバイ作りをするために「行ってみた」だけにすぎないと思われてもしかたありません。

そこで、現地調査の実施年月日はいつでしょうか。92年からも延々20数年間吉田証言を使い続けていたわけですから、その調査の詳細をぜひ教えて頂きたいものです。 

第3に、今回の検証特集記事を読めば、今年の取材で(32年前の裏取りを今やっていること自体が驚きですが)吉田氏の遺族から吉田氏の妻が書いたとされる日記自体が存在しないと教えられたそうです。 

この「妻の日記」は、吉田氏が唯一の物証として挙げているものでこれがないとなると、吉田証言は完全にその根拠を失います。 

ならば、なぜ、32年間も裏付け調査を怠ってきたのでしょうか。記事にする前に裏付け調査をするのが報道の原則です。

これだけ大問題になった吉田偽証を今になって平然と「よく調べてみたらデタラメだった」と言っているわけで、呆れてものが言えません。

朝日は検証記事でも、こう書いています。

「『慰安婦問題は捏造』という主張や『元慰安婦に謝る理由はない』といった議論には決して同意できません

私は慰安婦がいなかったなどという議論は一度も聞いたことがありません。もしあるとすれば、「慰安婦が軍に強制連行されたことは捏造」です。

そして「慰安婦が軍に拉致されたということは嘘だから謝る理由はない」です。

の両者が本質的にまったく異なることは今さら説明する必要がないことでしょう。

わかっていて、いまだこのような混同をして居直ろうとする狡猾さが実にたまりません。

第4に、前川氏は「既に82年頃に吉田氏から接触があり、証言を掲載してほしいということで取材したが、拉致した女性の数が毎回大きく違うなどあまりに信用できないので掲載を断った」という証言をしています。 

ということは、朝日は少なくとも82年以降、この吉田清治証言の事実無根だと知り得る立場にいたことになります。 

また前川氏によれば、90年代に「謝罪」のために訪韓した吉田氏を、各紙のソウル特派員が済州島拉致事件などの細部を問い詰めたために、吉田氏が怒りだすという事件も起きたそうです。

なぜ朝日はこのような社内にあった吉田証言疑惑を封印したのでしょうか

第5に、挺身隊は誤用だった、当時は研究がそこまで行っていなかったとのことです。しかし、検証記事の中でこう述べています。 

検証記事の本文では「朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた」と書いています。 

ならば、93年段階で、朝日は既にこの誤報を知っていたことになります。なぜ、その時点で「挺身隊報道は誤報であった」と報じなかったのでしょうか。

この疑問は池上彰氏も書いていますが、この言い訳がましく「混同はしていない」という言い方は、裏返せば間違いだと知っていたことになります。まさに上手の手から水が漏れるという諺どおりとなりました。

この部分こそが、決定的に朝日が93年の河野談話作成時以前にはその誤りを知っていたことを現しています。

にもかかわらず朝日は、吉田証言と吉見義明氏の「軍関与報道」などを織りまぜて宮沢政権を追い込んでいきます。

直後に訪韓した宮沢氏は、金泳三大統領に20分間で8回もの謝罪をするという日本が歴史認識で謝罪を繰り返すという外交パターンの原型を作ってしまいます。

まさにこの政治的成果を得たいがために朝日は、おそらく当時内部的に知り得ていたはずの植村記事誤報、吉田証言の捏造という恥部を封印したのでした。

そして、その後にいくらでも修正が効くにもかかわらず延々と20数年間これを使い続けて、木村社長が言うとおり教科書にも載るような「公共財」と化したわけです。

かくして、植村記事の「姑から聞いた嘘」と、「世間に目立ちたいから嘘をついた」吉田証言は、今や巨大な重荷となってわが国が背負うことになります。

朝日はいまや東電に並ぶ、いやそれ以上の「国民的悪玉」になりつつあります。

これに対して木村社長は、これを「偏狭なナショナリズムを鼓舞して韓国や中国への敵意を煽る彼等」「排外主義を煽り日本でしか通用しない論理でひたすら『溜飲を下げる』欲求につけ込もうとする一部のメディア」という表現で反論しています。

この朝日の反論は一部は当たっており、感情的なナショナリズムが燃え上がる可能性を秘めているのが、今の時期で、私もそれを憂慮します。

しかし、あくまでもこの事態を作り出したのは朝日で、朝日にだけは言われたくはありません。自分のケツも拭けないような者にそれを言う資格はありません。

もし多少なりともあるのなら、それは自浄作用が朝日内部にあることを証明した後です。

自らの嘘と捏造を他者に転嫁したまま口を拭って、「一部の偏狭なナショナリズム」に対して説教を垂れる傲慢な姿勢に国民、特に青年層が強く反発していることを朝日は知ったほうがいいでしょう。

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コメント

勉強になります。

まさに朝日こそが、
>偏狭なナショナリズムを鼓舞して韓国や中国への敵意を煽る
立役者ですね。
こちらの誠意が、彼等には日本を見下す結果になったこと、それに対して日本側も反発すること。分かって煽っている点で、朝日は戦前と変わらず狡猾ですね。


ところで、東電の「国民的悪玉」具合はどんなものなのでしょう。
自分は、事故当時の官邸との絡みで同情的です。
ですが、先日の避難自殺訴訟では、判決と同時に控訴断念に対しても憤りを覚えているところです。

投稿: プー | 2014年9月 8日 (月) 09時08分

朝日は戦争を煽った張本人でありながら、
終わったら過去に目を瞑り「リベラルエリートのクオリティーペーパー」のつもりになり70年もやって来てますからね。
脱却はなかなか難しいでしょう。

まるで日本を貶めるのが義務とばかりにやって来ていますから。


おまけ、
ベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦終結によって、拠り所が無くなりました。

で、さながら強調し続けたのが、この顛末。

私はとても「報道機関」だとは認められませんね。


今回の「弁明」など、ちょっと頭の良さそうなヤツが書いた詭弁。そして、自分で掘った落とし穴に見事に落ちるという愚かさ。

絶対に許しませんよ。
韓国人の知り合いとの友好関係を壊された方も多いのでは?


プーさんの仰る東電悪玉論、確かに事故を起こしたのは東電ですし弁護はできないですが、原子力政策を含め国策だってのに、
あの震災当時に無能全開だった市民運動家上がりで有名な総理大臣、今じゃ三鷹で悠々自適を自慢してますが。
私も数百万人の被害者も、絶対に許さないでしょう。

投稿: 山形 | 2014年9月 8日 (月) 11時14分

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