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2014年9月15日 (月)

朝日新聞の構造的腐敗

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朝日新聞の木村伊量社長が半分白旗を挙げて謝罪しました。 

半分というのは、ダブル吉田ショックのうち、吉田調書に関しては責任を認めての完全な白旗です。 

東電のF1の職員だった皆さん、ぜひ名誉毀損の民事訴訟を起こしてして下さい。 

あのような悪質な捏造に対しては、単にごめんなさいで済ましてはいけません。キッチリと落し前をつけて下さい。 

韓国に言われるまでもなく、謝罪と賠償はワンセットなのです。いままでそれを主張してきたのは朝日でしょうに(苦笑)。 

いわれなき罪を着せられ、苦しい思いをなさった東電職員のためだけではなく、日本全体のために民事訴訟してください。あなたたちは私たち日本人の誇りであり、恩人なのですから。

                         ~~~~~~~~

さて問題はむしろ、木村社長謝罪会見でもまったくといっていいほどふれられていなかった慰安婦報道についてです。

慰安婦問題に関して朝日は謝罪しているでしょうか?とんでもない。これからも堂々と従来の主張を続けていくのだと言っています。 

朝日は、「女性の人権問題」という本質は変わらないので、挺身隊との混同 と吉田偽証「だけ」に関しては取り下げるが、慰安婦報道は切り口を変えていままで通りにやるということです。 

木村タヌキ親爺は、パニックの末にやっと危機管理のトリアージを使うことを思いついたようですね。  

トリアージとは、医療関係者が、事故緊急時にかすり傷の人の手当てに没頭したり、逆に即時に病院にお送らねばならない人を見逃したりするのを防ぐために考えられたけが人の分類方法です。

・第1順位(最優先治療群・赤色タグ)・・・比較的簡単に治療できる重傷者
・第2順位(準救急治療群・黄色タグ)・・・手術が必要だが、緊急性がない負傷者
・第3順位(治療保留群・緑色タグ)・・・軽傷者
・第4順位・・・(不搬送者・黒色タグ)・・生きているが救出不可能者
  

朝日は、吉田調書事件を第1順位、つまり「比較的簡単に治療できる重傷者」と判断しました。 

まず吉田調書報道を作ったのが特報部という20人ていどのエリート部署で、彼らが内密に記事を書きました。 

吉田調書をリークしたのは菅直人氏その人か、その取り巻きのかつて民主党政権中枢にいた連中だと言われています。

彼らは菅氏の不名誉を挽回するために機密指定文書を流したのだと言われています。

この特報部を解体して、部長、デスクに処分を下せばいいのですから対処は比較的カンタンです。こういうのを世間ではトカゲのシッポ切りと呼びます。 

次に第三者検証委員会は作るでしょうが、そこに朝日の代弁者を巧妙に混ぜて、ダラダラと時間を稼ぎます。 

国会証人喚問のお呼びがかかったら、「今、検証委員会が調査中なので、それに影響を与えるような発言は慎ませていただきます」とかなんとか言って逃げる口実になります。 

一方、慰安婦問題は第4順位の「救出不能者」に分類したと思われます。  

吉田調書は、報道からまだ日も浅く「ごめんなさい」で済みます。(←すまなねぇよ) 

しかし、慰安婦問題はうっかり「間違っていましたから取り消します」なんて言っていましたが、一体どれだけの量の記事をとり消さねばならないのかわかって言っているのでしょうか。 

朝日が慰安婦問題で書いた記事は、16本なんて生易しいものではなく、「慰安婦」だけで実に7419件、「慰安婦 強制連行」でも1046件もあるのです。(※朝日新聞データベースによる) 

これ全部とり消すのですかぁぁぁ・・・、気が遠くなりますぅぅぅ。(←エコーかけて) 

だから、吉田清治と植村隆にだけ黒タグをつけて不搬送者として謝ったふりだけして、築地地下にしまってしまったのです。 

植村隆記者などしょせんは慰安婦告訴団体とのコネが欲しかったから利用した小者にすぎません。 

朝日が本気で守りたいのは、死んだ吉田清治でもなく、ましてやザコの植村記者でもありません。

植村記者はいままで慰安婦誤報の象徴的人物とみられていましたが、問題の全容を調べれば、彼が果たした役割は極めて悪質でありながらも微々たるものです。 

1980年代初期まで吉田は、慰安婦問題の火付け役のひとりでしたが、まだ日本では知られた存在ではありませんでした。 

彼を一躍「時の人」にしたのが北畠清泰大阪本社論説委員(故人)です。 

1992年1月23日付け夕刊コラム「窓 論説委員室から」にこのように吉田を取り上げて、一躍「時の人」に仕立て上げます。

一読すればお分かりのように吉田証言を一切の裏取りをしないまま、丸のまま紹介して、それをあたかも事実のように報じています。

「記憶のなかで、時に心が痛むのは従軍慰安婦の強制連行だ。吉田さんと部下、10人か15人が朝鮮半島に出張する。総督府の50人、あるいは100人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。
木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む。一つの村から3人、10人と連行して警察の留置所に入れておき、予定の100人、200人になれば、下関に運ぶ。
女性たちは陸軍の営庭で軍属の手に渡り、前線へ送られて行った。吉田さんらが連行した女性は少なく見ても950人はいた。
 「 国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」(1992年1月23日朝日新聞)

実はこれよりかなり早い82年頃に、東京本社の支局記者だった前川恵司記者は、吉田と会ってニセモノだと感じて掲載を拒否していますから、北畠記者が慎重にウラ取り取材すれば、社内情報だけで吉田などといったペテン師に引っかからなかったはずてす。

この慰安婦訴訟の原告である金学順氏が所属する太平洋戦争被害者遺族会の梁順任常任理事の娘婿(※娘も事務局員)が大阪社会部植村記者であったところから、彼をソウルに送り込んだのが、当時の上司だった清田治史氏です。

一般的に他の部署の取材管轄に出かけてスクープをものにするのは邪道とされていますが、清田部長が押し切ったと思われます。

このようなことを植村記者に命じた清田記者自身が、この吉田偽証の火付け役のひとりでした。

清田氏は北畠記者より早い82年9月の時点で吉田偽証を取り上げているからです。

元朝日新聞記者で、当時清田氏の部下だった長岡昇氏はこう証言しています。

1982年9月2日の大阪本社発行の朝日新聞朝刊社会面に最初の記事が掲載されました。大阪市内で講演する彼の写真とともに「済州島で200人の朝鮮人女性を狩り出した」「当時、朝鮮民族に対する罪の意識を持っていなかった」といった講演内容が紹介されています。この記事の筆者は、今回8月5日の朝日新聞の検証記事では「大阪社会部の記者(66)」とされています。
その後も、大阪発行の朝日新聞には慰安婦の強制連行を語る吉田清治についての記事がたびたび掲載され、翌年(1983年)11月10日には、ついに全国の朝日新聞3面「ひと」欄に「でもね、美談なんかではないんです」という言葉とともに吉田が登場したのです。「ひと」欄は署名記事で、その筆者が清田治史記者でした。朝日の関係者に聞くと、なんのことはない、上記の第一報を書いた「大阪社会部の記者(66)」もまた清田記者だったと言うのです」(2014年9月「慰安婦報道、一番の責任者は誰か」)

http://www.johoyatai.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1136

後に清田氏は、植村記事が誤りだと分かった時に東京本社外報部長にまで出世しており、この誤報をもみ消します。その功績のためか、のちに取締役にまで出世しています。 

清田記者は「大阪社会部のエース」として遇され、その後、東京本社の外報部記者、マニラ支局長、外報部次長、ソウル支局長、外報部長、東京本社編集局次長と順調に出世の階段を上っていきました。1997年、慰安婦報道への批判の高まりを受けて、朝日新聞が1回目の検証に乗り出したその時、彼は外報部長として「過ちを率直に認めて謝罪する道」を自ら閉ざした、と今にして思うのです」(同上)

そして、元ソウル支局長として慰安婦誤報を拡散した人物が、市川速水東京本社編集局長でした。

市川編集局長は2006年に既にこう述べています。

「僕の取材でも、腕を引っ張られて、猿ぐつわはめられて、連行されたという人は一人も現れていません。だから、強制的ではなかった、さらに慰安婦問題はなかったとさえ言う人がいるわけです。でも、そうじゃなくて、証言の共通項を見ていくと、あの人たちは貧乏な家で、女衒にだまされて気がついたら戦地に行かされて、中国などで慰安婦をさせられた。僕は10人くらいかなあ、実際に細かく証言を聞いたけど、もちろん好きで行った人はいない」(『朝日vs産経lソウル発』) 

これを読むと市川氏は、吉田偽証が間違っていることをよく知っています。 

そして慰安婦の多くが貧困により慰安婦になるか、女衒にだまされたこともわかっています。今、朝日が取り消したような誤報は、ことごとくウソだととっくに知っていたのです。 

その市川氏が8年後にしたことが、池上彰氏の原稿を抹殺することでした。 彼はこう釈明しています。

「8月5、6日付朝刊で慰安婦問題特集を掲載して以来、本社には言論による批判や評価が
寄せられる一方で、関係者への人権侵害や脅迫的な行為、営業妨害的な行為などが続いていました。こうした動きの激化を懸念するあまり、池上さんの原稿にも過剰に反応してしまいました本社は8月28日、池上さんに「このままの掲載は難しい」と伝え、修整の余地があるかどうかを打診しました」(2014年9月6日朝日新聞)

市川編集局長は、自分がソウル特派員時代に、吉田証言が偽証だと知っており、もちろん挺身隊との混同が誤りだと知る立場にいながら、池上氏の記事を削除するという報道管制を敷いたわけです。

自己保身の塊。あるいは朝日が非難してきた「社畜」そのものです。

そしてもうひとり忘れてはいけない人物が、1992年8月に開かれたメウルYMCA会館での慰安婦集会(アジア女性連帯会議)を福島瑞穂氏と主宰した、松井やより東京本社社会部記者です。

彼女が社会部時代に、それまで大阪本社が主に扱っていた慰安婦問題を東京本社に持ち込み、大々的に取り上げるようになります。後に編集委員まで出世します。ただし、彼女はジャーナリストというより、完全な左翼運動家です。

ちょっと入り組んでいるので、登場人物を整理しておきましょう。

北畠清泰(故人)・・・大阪本社論説委員・1992年1月に吉田清治を大阪版「窓・論説室より」で紹介し、世に送り出す立役者となる
清田治史・・・1982年に大阪版社会面で紹介し、1992年に植村記者をソウルに派遣する。後に東京本社外報部長時の1997年に誤報と知っていながら握りつぶす。取締役へと出世。もっとも深く慰安婦問題にかかわった人物
市川速水・・・2003年~06年、ソウル特派員として慰安婦誤報を拡散。後に東京本社編集局長。池上事件の張本人のひとり
植村隆・・・1991年8月、大阪本社社会部時代に清田の命令でソウルに派遣され、義母のコネで慰安婦の歴史的大誤報を書き、慰安婦誤報の象徴的人物として後世に汚名を残す
松井やより(故人)・・・1992年慰安婦のソウル集会を福島瑞穂氏と主宰し、東京本社社会部時代に大々的に拡散する。後に編集委員

このように見ると、慰安婦問題は植村記者のようなただの平記者が起こしたものではなく、大阪本社中枢、そして東京本社中枢まで絡んだ構造的なものだったことがわかるでしょう。

前出の元朝日記者長岡氏がこう言うとおりの醜悪さです。

慰安婦をめぐる虚報・誤報の一番の責任者が取締役会に名を連ねるグロテスクさ。歴代の朝日新聞社長、重役たちの責任もまた重いと言わなければなりません」(前出)

これらの、論説委員、外報部長、編集局長、編集委員といった錚々たる朝日の中枢の人間が絡んでいるのが、この慰安婦問題なのです。

朝日は13日の社説で「サンゴ事件を忘れたのか」などという読者の声を紹介していますが、なにを言っているのでしょうか。

サンゴ事件はたかだか不心得な一カメラマンの仕出かした捏造記事にすぎません。今回の慰安婦報道はそれとはまったく次元の違う、いわば朝日の体質に骨がらみの構造的腐敗から発生しています。

サンゴ事件と較べたり、チェックミスだというていどの総括で逃げようとすること自体が、いかに朝日が深く病んでいるのかが伺いしれます。

慰安婦問題で朝日は簡単に白旗を上げられぬ理由は別にあるのですが、それは長くなりましたので明日にします。

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コメント

あちこちのコラムを読むと、「朝日の敵は内に有り」との記事が多いですが、
そんなに社会部と特報部って仲が悪くて、今回は目障りな特報部潰して尻尾切りで終わうとしてるんでしょうかねえ。
もし、そうだとしたら最低な話ですし、大朝日新聞のほの暗い暗部への入り口のような気がしますが…。

いずれにせよ、まだまだ今後も良く見ておく必要がありますね。

朝日は慰安婦問題に全身を冒されているのですね。

それでも、吉田調書を切り捨て、慰安婦問題も女性の人権としては続ける、と、「絶対防衛圏」を上手く設定するあたり、旧帝国軍よりは賢いかな、と思います。

自分もつい、ダブル吉田なんて言ってしまいますが、所長の方が天国から、「あんな奴はこっちには来ていないぞ。一緒にするな」と怒られそうです。

朝日新聞社長木村伊量を調べてみると、政治部部長時代、拉致事件を徹底擁護。なるほど〜朝鮮に心を売り、日本を辱め、韓国と敵対するようプロパガンダすることで、異例の出世を手に入れたというわけですね、
慰安婦の人権と言いながら、実は韓国人慰安婦を奴隷にまで貶め、韓国人男性を妻や、娘を助けない卑怯者にしたのが、慰安婦強制連行報道でもあったわけです。
朝日には、社命をかけて日本人の名誉を取り戻して頂くとともに、奴隷とまで地
に貶めた韓国人慰安婦の人権回復、謝罪をして頂きましょう。

名前は伊量でも、「度量」は皆無。
なんてな。

思わず笑い飛ばしたくなるような、狭量な戦後朝日イデオロギーの権化。

大政翼賛の中心でにありながら、戦争で負けた途端に全国民に責任転化。
所詮生き残りのための詭弁と自虐視観の啓蒙。

今さら、そんなのが通用するつもりでいるのか?と…。

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