地震・噴火予知は出来るのか? 東日本大震災を例にして
火山の噴火や地震が起きるたびに、ほとんど法則的に起きるマスコミ論評が「避けられたはずだ」「予知できたはずだ」というものがあります。
このような議論を私は「はずだ論」と呼んでいますが、今かまびすしいのは、川内原発に桜島の溶岩流が流れ込む「危険を否定できない」 という一部の火山学者の意見があるからです。
これを報じたのは、またあのテレ朝の報ステです。
つい最近も川内原発がらみで火山と竜巻の評価を間違えた上に、田中委員長の発言を意図的にねじ曲げて報道して、社長謝罪に追い込まれました。親会社と同じ捏造体質のようですね。※http://www.sankei.com/entertainments/news/140930/ent1409300007-n1.html
こんな「危険を否定できない」という言い方を、さんざん聞いたことがあります。例の低線量被曝の「危険を否定できない」論でした。
100ベクレル以下の低線量域での発癌などの健康被害は、ないか、無視し得るものなのにも関わらず、一部の学者とマスコミは「危険を否定できない」という言い方で恐怖を宣伝し続けました。低線量被曝の健康被害が確率論であることを逆手にとって、「危険の可能性がある」という言い方です。
現実には他のリスクに紛れ込んで無視しえるノイズていどの「危険」であっても、このような人にかかるとあたかも無限大の「危険」に膨張します。
それがあの「美味しんぼ」事件につながっていきますが、雁屋哲氏は登場人物に「福島は人が住める場所ではなくなった。避難する勇気を持て」と煽動し、地元自治体から猛反発を受けました。
反原発運動にはこのような詭弁論理が多すぎます。確かに「可能性」としては残るわけで、科学には100%がない以上、「危険は残る」わけです。
ですから、こういう表現をとって「危険」を必要以上に煽る学者を、私はあまり信用しません。
この学者たちに言わせると、姶良(あいら)カルデラは桜島を含む錦江湾全体が、かつて海底爆発してできたということです。「昔」といっても、ほんの3万年前のことです(笑)。
地球科学がやたらと時間スパンが大きいのはわかっていますが、それで「爆発することを否定できない」と言われてもねぇ。
これについて、田中俊一規制委員長がこうクールに言っています。
「最近の研究によりますと、カルデラ噴火の場合には噴火の数十年前くらいからマグマの大量の蓄積があるということです。当然地殻変動とか何かっていうことが察知できるというふうに判断されています」(2014年8月25日議事録【PDF:416KB】 - 原子力規制委員会)
私がこのテの「はずだ論」に大変に懐疑的なのは、マグネチュード9の東日本大震災といった最大級の大地震すらまったく予知できなかったことです。
あるいは、御嶽山の噴火すら分からなかった連中が、3万年前に南九州一円を火砕流や火山灰で覆い尽くしたという姶良カルデラの巨大爆発の再来をどうして予知できるのでしょうか。
すいません、失笑してしまいました。
京都大学の平原和朗教授は東日本大震災について、正直にこう言っています。
「マグネチュード9は衝撃的だった。宮城県沖で想定していたものよりはるかに越え、イメージさえ出来なかった」(朝日新2012年4月11日)
イメージすら出来なかったのですから、予知など何をか況んやです。
後に原子力規制委員会の代表代理になる、地震予知連絡会会長の島崎邦彦氏もこう言って地震学の無力さを告白しています。
「三陸沖の基本的な想定の枠組みが根本から間違っていた。ここでマグネチュード9はないと考えていた」(朝日新聞2012年4月12日)
ここで島崎氏が、地震学の根本理論すら間違っていたと言っていることに注目してください。
これは現代地震学が依拠するプレート・テクニクス理論によれば、大地震を引き起こすプレートの沈み込みは「若いプレート」であるチリ沖やアラスカ沖でしか起きないというものでした。
ですから、「古いプレート」である日本海溝沿いの宮城県沖で「発生するはずがない」わけでした。
しかし現実には起きてしまったわけで、いかに地震学というのが結果論の学問なのかわかります。
つまり、起きたことは説明できるが、これから起きることを予知する学問水準にはないという冷厳たる事実です。
だから、「危険を否定できない」というようなあいまいな表現で煽ることも可能ですし、逆に現場のリスク管理としては無視してかまわないという判断もありえるわけです。
ところが、福島事故の後に、菅政権主導で始まる東電叩きで、もっとも大きく糾弾されたのが、「東電の地震想定に甘さがあった」というものでした。
それは、福島事故人為説をとる反原発派が唱えたもので、東電は貞観地震を知りながら対策を怠っていたというものです。
これについて、当時東電本社で地震対策に当たっていた、他でもない吉田昌郎所長は、調書の中でこう答えています。http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=82849
―女川原発では869年の貞観津波を考慮している。第1原発ではどうだったか。
「福島県沖の波源(津波の発生源)というのは今までもなかったですから(略)」
―別の原発で貞観津波を考えているのに、第1原発で考えないのはおかしいとは思わないか。
「貞観津波を起こした地震よりももっと大きなものが来たわけですから。日本の地震学者、津波学者の誰があそこにマグニチュード9が来るということを事前に言っていたんですか。貞観津波を考えた先生たちもマグニチュード9は考えていないです(略)」
「貞観津波の波源で考えたときに、うちの敷地は3メートルか4メートルぐらいしか来ないから、これは今の基準で十分もつという判断を1回しているわけです」
吉田氏の口調には怒りすらこもっています。少し補足しましょう。
ひとつは、地震学者の9割9分が、日本海溝沿いの宮城県沖では、マグネチュード9クラスの大地震は発生しないと断言していたことです。
これは先に述べた地震予知学会会長の島崎氏が告白するように、地震予知「理論が根本から間違っていた」ような事態でした。
これを「予知」し得たのは、日本で極めて少数の専門家しかいませんでした。そのひとりが産業技術総研の活断層・地震研究センターの岡村行信氏でした。
岡村氏は、佐竹健治氏らの『石巻・仙台平野における869年の貞観津波の数値シミュレーション』を参考にして、マグネチュード8.5クラスの地震が、仙台よりさらに南に、つまり宮城沖まで来る可能性を指摘していました。
(「地震・津波・地質・地盤合同ワーキンググループ」第32回会議・09年6月24日)
これを震災後に根拠にして、東電は貞観地震を知っていながら無視したという批判が盛んになされるようになります。
しかし東電は吉田氏が調書で反論しているように、手をこまねいてばかりいたわけではありませんでした。
長くなりましたので、それは次回に。
« 噴火と地震の「予知」について | トップページ | 「予知」という幻想を捨てて、国土強靱化の一環として観測体制を整備しろ »
「原子力事故」カテゴリの記事
- 福島にはもう住めない、行くなと言った人々は自然の浄化力を知らなかった(2019.03.11)
- トリチウムは国際条約に沿って海洋放出するべきです(2018.09.04)
- 広島高裁判決に従えばすべての科学文明は全否定されてしまう(2017.12.15)
- 日本学術会議 「9.1報告」の画期的意義(2017.09.23)
- 福島事故後1年目 大震災に耐えた東日本の社会は崩壊しかかっていた(2017.03.16)
コメント
« 噴火と地震の「予知」について | トップページ | 「予知」という幻想を捨てて、国土強靱化の一環として観測体制を整備しろ »
かねてより比較的再稼働に慎重だった田中俊一教授が、規制委員長に就任した時から、何故かメディアと反原発派の方々はやたらと叩き始めましたね。中には「裏切り者!」などという酷い中傷も。
ご本人はさぞ胃の痛い思いでしょう。
昨日の会見でも「今回の御嶽山噴火とは違う」と、毅然として仰ってましたが、NHKニュースなどでも「多くの学者から疑問の声が上がっている」と、まるで圧倒的少数派のような扱い。原稿書いた人は不勉強なのでしょう。
貞観地震津波のボーリング調査を続けていた岡村教授の指摘は正しかったわけですが、東電に最初に提言したのが確か06年秋。もし精査されていて防潮堤などの予算がついたとして早くて08年以降。当時は免震重要棟建設などを急いでいた時期(ぎりぎり間に合った)ですので、残念ながら11年3月までには間に合わなかったでしょう。
投稿: 山形 | 2014年10月 2日 (木) 06時05分