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2014年11月

2014年11月29日 (土)

週末写真館 早朝の湖の白鳥

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今週は仕事が忙しかったので、かなりバテています。眼にくるんですよね。視界モウロー、眼がかすむとファインダーもPCモニターも見れないじゃないですか(怒)。

スタイプが多くってごめんなさい。校正がしんどくて(←言い訳)。友人に助けてもらっています。ありがたい。

私の二大趣味の写真とブログ書きができないなら、わしゃどないするんねん。という今週に限って沖縄記事の3週目を書いてしまいました。

愚痴はさておき、沖縄の歴史は、戦後の沖縄のいわば密室になっていて、戦後沖縄左翼の独占物になっています。

サツマにやられた、琉球処分でやられた、皇民化教育でやられた、沖縄地上戦でやられた、集団自決でやられた、米軍統治でやられた、米軍基地を7割も押しつけられてやられた・・・、と無限にやられっぱなしの恨みだけで自閉しています。

その裏返しで、かつての14世紀琉球王朝の輝く歴史が対照的に賛美されるわけですが、これも冊封体制の枠内という限界を忘れるとバランスがよくありません。

そしてこの恨み節が、今の政治状況にダイレクトにつながってしまっています。

今、翁長氏が鼓吹しようとしている反米反ヤマト・オキナワン・ナショナリズムはこの流れにあります。

つまり、沖縄史はものすごくバランスの悪い状態で、悪しき政治利用がまかりとおっているわけです。

私などのような素人にできることは限られていますが、できる限り対象に思い入れせずに突き放した見方で冷静に読み解きたいと考えています。

沖縄の歴史は、私が青年時代から考え続けてきたテーマですので、時事的なことと織りまぜて書いていければと思っていますので、ひとつよろしくご支援ください。

                       ~~~~~

さて、霞ヶ浦には、何カ所かハクチョウが棲みついています。西浦(大きい方)ではこの写真の土浦側と、玉里側や玉造側の岸辺にもいます。

冬になるとオオハクチョウや渡り鳥が越冬のために大勢訪れますが、渡り鳥達は、春になるとシベリアやオホーツク海へと雄大な飛行をして、還っていきます。

この写真のコブハクチョウは本来日本には生息していない外来種ですが、留鳥として、一年中この霞ヶ浦に住んでいます。保護しようという市民の個人的努力があったようです。

外来種を餌付けする当否は置くとして(あまりお勧めできませんが)、その美しさには魅せられます。

とりわけ、まだ太陽が登り切らない早朝のハクチョウは、目が覚めるような美しさです。

例によってクリックすると大きくなります。

2014年11月28日 (金)

辺野古現場の茶番劇

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この普天間問題にも関わった小川和久さんが、こんな意味のことを書いていたことを思い出します。 

「普天間移設は国策であって、そうではない。それは国が本気になっていないからだ」 

彼のほうが私より7ツほど歳上ですが、共通するのは、70年安保闘争前後にあった成田闘争の流血を自分の目で見ていることです。 

国が本気で国策遂行上必須な案件と覚悟した場合、「国家権力」の全体重を乗せて強権発動します 

成田の場合、頑として土地を売ることを拒む農民たちがいたわけですが、土地収用を空港空港公団に替わって県が行い、国が前面に警視庁機動隊を押し立てての代執行で、文字通り反対派を物理的に排除しました。 

私はこのような暴力的方法を肯定する気はいささかもありませんが、それにつけても、なんと辺野古ののどかなことよ。もう17年もなんだかんだで足踏みしたままです。 

これは解決の緊急性がないと政治家が思っていたために、泥をかぶる覚悟をもった政治家が現れなかったためです。 

移転場所を調査する仕事を与えられた官僚たちは、問題を先送りするだけで責任を取ろうとしませんでした。 

国策がらみの巨額の予算を握った本土政治家たちは(その多くが旧経世会系でしたが)現地に飛び、県の政治家たちを懐柔しつつ、利権を貪りました。 

小沢一郎氏の別荘が、キャンプハンセンの隣にあるのは偶然ではありません。

たとえばその時出来た人脈が、野中広務元幹事長と翁長新知事のコネクションだったり、沖縄自民党政治家と額賀福志郎氏との関係だったりします。 

それはさておき、ようやくこの17年間の泥沼に終止符を打つ覚悟をした仲井真知事が登場しましたが、沖縄マスコミから袋叩きに合うようにして退陣をよぎなくされ、再びまったくの不透明になっています。 

そしてもうひとつの遅滞の理由は、たびたび書いてきていますが、辺野古がよしんばダメになっても、「現住所」の普天間がそのまま温存されるからです。 

この「普天間固定化」という安全弁があるために、沖縄県民を反米に追いやることがないように、ガラス細工を組み立てるように進められました。 

さて沖縄の新聞だけ読むと、再び「銃剣とブルドーザー」で押し進めているような錯覚を受けますが、政府がもっとも恐れているのは流血の事態です。 

移設事業の中で、もし血が流されれるようなことがあれば、県民は激昂し、その怒りは県の頭越しに国と米軍に直接ぶつけられるでしょう。 

それが政府と米国がもっとも重視する、「基地を取り巻く環境の安定」を揺るがすことが目に見えているからです。 

ですから、政府は、この辺野古の移設作業において、ぜったいに流血の事態を避けたいと考えているのは当然のことです。

流血事件が起きれば、県警警備部長の首ひとつでは済まず、本部長すらどこか遥か彼方に左遷されてしまうことでしょう。

そのように考えると、現時点で政府と反対派が辺野古現地をはさんで、無言の阿吽の駆け引きをしている状態といっていいでしょう。いわば「相手の失点待ち」ということです。 

基地反対派は、移設を阻止したという成果を得て、その上に普天間基地をこのまま反米闘争の対象として据え続けられることがベストだと考えています。 

一方政府側は、これ以上の騒ぎを望まず、移設はもはや僥倖、翁長知事などの反対でダメな場合、「沖縄県民の了解を得られなかった」として、静かに辺野古移設をフェードさせて、普天間固定化にチャンネルを替えたいと考えています。 

その政府が、「殺人鉄板」をキャンプ・シュアブの入り口に敷きつめて、その上に反対派の人達を引きずっているというので、琉球新報が「警官が殺人鉄板で暴行」と報じています。 

現物の写真はこれです。 

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これは、普通の工事現場によく使われる工事用敷鉄板ですが、これが琉球新報にかかると、こんなグロテスクなものに変貌してしまいます。 

「鉄板の設置は市民に危害を加える行為に他ならない。現場を訪れた弁護士は「鉄板の上で取り締まりがあれば必ずけが人が出る。殺人罪、少なくとも傷害罪の未必の故意になる」と明確に指摘している」 

これが「殺人罪の未必の故意」に相当するなら、全国の工事現場責任者は打ち揃って殺人教唆ですな(苦笑)。もうバカバカしくて論評する気にもなりません。 

そして、こんな警官の「暴行凌辱事件」も発生したそうです。 

見出しからイっちゃってます。「抗議活動の女性、救急搬送される 県警の排除」、ときたもんだ。  

ゲッ、恐れていた流血騒ぎがとうとう起きたのかと思ってよく読めば。こんな「事件」です。 

「目撃したカメラマンの豊里友行さん(38)によると、島袋さんは基地内に入ろうとするダンプカーのミラーをつかんで阻止しようとしたが、機動隊員に手をはずされ、その拍子に転倒した
強制排除で自身も手を負傷したアルバイトの女性(31)は「おばあを守るべき警察は、島袋さんが倒れているのに写真を撮っていた。本当にひどい」と悔し涙を流した。
 現場に駆け付けた三宅俊司弁護士は「被害者本人から話を聞き特別公務員暴行陵虐罪で告訴したい。この責任は取らせる」と話した」

「後頭部を強打した女性は、名護市の県立北部病院に運ばれた。女性は基地建設に関わるとみられる工事車両を止めようと、車両の一部にしがみついていた。警察官4、5人が囲み、引き剥がしたところ転倒したとみられる。
 県警警備2課は、女性が転倒し救急車搬送された件について「警察官によって転倒したという事実はない」とした」(琉球新報11月21日)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-234816-storytopic-1.html 

反対派の三宅俊司弁護士を特別公務員暴行陵虐罪(←すごいネーミング)で告訴するそうです。この弁護士もそうとうにいっちゃってますね。  

なんのことはないその事件とは、83歳の反対派の老女がこともあろうにダンプのミラーにしがみついたそうです。そのまま放置すれば、力尽きて落下し、ダンプの車輪に巻き込まれて死亡したかもしれません。

それを見ていた警官が慌ててそれを引き離したわけですが、その時に地面にぶつかって怪我をしました、フツーはよかったねぇ助かってチャンチャン、というだけの事件です。

なんのことはない、警官が人命救助しただけじゃないかぁぁ(棒読み)。

常識新報(仮名)ならばこう書くでしょう。まずは見出しから、「お手柄警官、老人を救助」。 

「辺野古工事現場入り口で警備に当たっていた県警警察官A巡査(28)は、基地内に入ろうとするダンプカーのミラーステーに飛びついた反対派のSさん(83)を発見し、決死の救助をした。その際にSさんは軽い怪我を負ったが、無事な様子に周囲も胸をなでおろした。お手柄警官のAさんは『ただ任務を遂行しただけです』と少し照れくさそうだった。A巡査には県警本部長から表彰が贈られる予定」(常識新報11月21日)

もし走るダンプに飛びつくお年寄りを助けると特別公務員暴行なんじゃら罪になるなら、警官などやってられるかい、ってなもんでしょう。 

こういう琉球新報のような記事を、為にする歪曲報道と呼びます。報道の客観性を初めから投げ捨てて、ことあれかしと考える反対派の立場に立って報じているのです。 

新聞が主張を持つことは必要ですが、その立場からあらかじめ歪曲して報道してはならない、というのが朝日新聞歴史的大誤報事件の教訓だったはずですが、いまだ沖縄の地には届いていないようです。

新聞が事件を自分から作ってしまうという、朝日新聞の伝統芸が、この沖縄の地にも脈々と息づいていると思うと胸が熱くなります。

そもそもこの阻止行動の現場には責任者は何をしていたんですか。県警に逆キレする前に、どうして83歳の老人がダンプに飛び込むのを事前に止めなかったのでしょうか

これでは体に爆薬を結びつけて目的を達成しようとする、イスラム過激派の自爆攻撃となんら変わりがありません。 

目的さえ正しければ何をしてもかまわない。目の前で老人がダンプに飛び込もうと気にしない。むしろそれを英雄視し、奨励しさえする。 

うまくすればこれで流血騒ぎになって一気に「国家権力」を追い詰められる、とほくそ笑んでいるのだったら、このような考え方を政治的利用主義と呼びます。

これで彼女が死亡したりすれば、おそらく彼女を英雄的犠牲者にでも祭り上げて、「虐殺抗議集会」でも全国動員で開いて、「安倍が殺した。工事を全面中止せよ!」と叫ぶ筋書きだったのでしょう。 

平和や人権を唱えながら、やることは人の命を政治利用しているだけじゃないですか。恥を知りなさい。 

確かにこの反対派老婆が死にでもしたら、ご希望どおりに沖縄の世論は沸騰し、移設工事は完全に座礁の乗り上ったことでしょう。

そして、普天間固定化の時計の針がまたひとつ進むというだけです。

普天間から出て行きたくない米軍の皮肉な笑いが聞こえてきそうです。 

2014年11月27日 (木)

「琉球処分」から考える沖縄の宿痾その2 幸地はどこで間違えたのか?

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(昨日からのつづきです)

沖タイは昨日紹介した記事で、こんなことを書いています。

明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった

この短い中に沖タイのような人たちの気分がギュっと詰まった香ばしい文章です。 

あのぉ沖タイさん、明治政府の「武力で併合」って、一体なんの話なんでしょうか。沖縄は17世紀から薩摩藩が実効支配していますので、その薩摩藩が主体となって作った明治政府が、なぜ「沖縄を武力併合」する必要などあったのですかね。 

日本が沖縄県を作った過程で、軍事力を行使したことはありませんし、「黄色艦隊を待ちわびた」のは支配階級の一部にすぎませんでした。 

大多数の沖縄県民にとっての「明治」とは、学校教育や医療制度などの普及などの「近代」の訪れを意味しました。 

では、幸地常朝の失敗の原因はなんだったのでしょうか 

最大の失敗の原因は、幸地ら「志士」が当時19世紀後半の国際情勢を読み間違えたことです。

彼らの生きた時代が、帝国主義的パワーゲームの時代だという認識の欠落です。

これは、明治維新をなし遂げた彼と同世代の本土の青年たちが、上海や英国を直に見ることによって、ひりつくような危機感を持ったことと対照的でした。

押し寄せる西欧帝国主義に対して、国を強くする以外に独立の道はない、と考えた本土の青年たちと、「日溜まりの樹」のようになった清国という中世的権力にすがろうとする幸地とは、あまりにかけ離れています。 

沖縄を支配していた薩摩藩は、幕末に秘かに多数の有為な若者を英国に留学させています。

それに対して、琉球王国は牢固とした眠りの中にいたのです。その差が、幸地らの悲劇を生み出していきます。

幸地が琉球王の密使で清国に潜入し、李鴻章に介入を要請するという政治的行為を、幸地らはいとも単純に捉えていました。 

おそらくは、清国宮廷に琉球王国の声さえ届けられればなんとかしてくれる、「黄色艦隊」が来沖して、ヤマトを叩きのめしてくるれる、そのていどの甘い認識だったはずです。 

華夷秩序という東アジアの中世的国際関係が、時代錯誤にも19世紀後半になお生きていると錯覚したのです。 

しかし結果として、彼ら「志士」のやった清国への請願によって、琉球王国は保全されるどころか、逆に分割の危機すら迎えます。ハンパでない大誤算だったわけです。 

では、19世紀後半の列強が牙を剥く中に放りだされた琉球王国には、どんな運命が待ち受けていたのでしょうか。 

そのプロセスを簡単に振り返っておきます。 

清国に李鴻章という傑物がいたことが幸地らの救いでした。彼のような人物が存在しておらず、マンダリン官僚たちが相手だったなら、そもそも清国は琉球の訴えに耳を貸そうともしなかったことでしょう。

清国は1881年6月に、清国駐在のドイツ公使ブラントに依頼して日本政府と交渉の用意があることを伝えます。 

実は前年に、明治政府と清国は琉球の扱いについて大筋合意していましたが、調印にまで至っていませんでした。3つの琉球王国の処遇案が時系列で出てきます。 

グラント案。米国大統領案。琉球王国を2~3分割する内容。以後これがベースとなる。 

清国案Ver1 3分割案。北島(奄美)は日本が、南島(宮古、石垣)は清が領有し、中島(沖縄本島)には琉球王国を復活させる内容。 

清国案Ver2 北島(奄美)、中島(沖縄本島) は日本が領有し南島(宮古、石垣)に琉球王国を復活させる内容。 

清国最終案がVer2ですが、口語超訳すればこんなところです。

琉球国は宮古か石垣に行ってひっそり生き延びろ。奄美から本島は日本が領有したらいいじゃないか

清国は最終案にあるように、本島すら日本にやってもいいと思っていました。というのは先ほど述べたように琉球王の尚が既に東京にいたからです。

なお、この清国の最終案を見れば、今頃になって中国か沖縄の領有を言い出すのはおととい来やがれの主張だと分かります。

それはさておき、清国もまた王朝である以上「王」が絶対的なレジティマシィ(正統性)の在り所だと理解していた李鴻章らからすれば、幸地たちに対して、「王を取られてから騒ぐなよ」という舌打ちしたいような気分があったのではないでしょうか。 

このような分割案に、いちばんショックを受けたのは他ならぬ火付け役をした幸地たち頑固派でした。

さて当時の日本はどんな状況だったのかも見ておきましょう。維新の動乱はいまだくすぶっていました。

当時、明治政府は、武士自身による武士階級の特権を剥奪する自己否定的改革のまっ最中でした。そのリアクションとして佐賀の乱や西南戦争などが相次いで起きます。

明治政府は、この幸地たち沖縄士族の清国請願もこの士族反乱の一環として認識していたはずです。

その対策は実は出来ていました。琉球王尚泰を東京に置いていたことです。

維新を推進したいわゆる元勲たちは、新政府のレジティマシイ(正統性)は天皇によって担保されていると考えていました。

実際に明治維新の戦いは、視点を変えれば「玉」の争奪戦ともいえるものでした。※「玉」・維新の志士たちの隠語。天皇を指す。

ですから、琉球王国における「玉」を沖縄から移送し、明治政府の監視下に置いたわけです。これが後に、決定的な意味を持ちます。

そもそも尚泰王を東京に去らせた段階で、頑固派は負けていたのです。狡猾だと言われようとなんだろうと、王なき琉球王国はその時点で実質滅びていたのです。 

皮肉にもこれを最もよく理解していたのは、交渉相手の清国でした。彼らは王なき琉球王国は、日本政府から王の子を譲ってもらって東アジアの動乱から息を潜めるように離島で暮らすしかないと考えたのです。

幸地らは、これでは琉球王国は食っていけぬと猛烈に抗議したようですが、状況は決定的でした。

つまり、幸地たち「琉球王国の志士」がしたことは、琉球王国の分割と、離島への逼塞しかなかったわけです。 

もはや彼ら頑固派にできることは、沖縄の分割という最悪の事態の回避しか選択肢はありませんでした。

これをNHKなどは美化して「分割を阻止した」と褒めたたえていますが、自分の読みの甘さが引き起こしたことに、自ら決着をつけたにすぎません。

かくして幸地たちの頑固派の抵抗は終了し、琉球王国は幸地らの脳裏にだけ生き残ることになります。

幸地が李鴻章に書いたとされる、「生きて日本の属人となるを願わず。日本の属鬼となるを願う」という呪詛は、「属鬼」となることで、ある意味達成されたことになります。 

この幸地らの行動に対して、当時日本も清国も共に事を荒立てる気がなかったのが救いでした。

もしどちらかに戦争の意思があれば、日清戦争は歴史的にはるかに前に開始されていて、当時有力な海軍を保有していなかった日本は、一気に清国軍に押し切られて沖縄本島の地上戦に持ち込まれた可能性すらあります。

その場合、60数年早い沖縄地上戦が起きたかもしれません。

また、幸地の行動はグラント案のように列強を介入させかねないものでした。彼らが使う手口は、往々にして仲介をすると称して領土や租借地を切り取るのが常でした。

沖縄の帰属が紛争化したのならば、列強による領土の切り取りや、那覇という良港の租借地化もありえたかもしれません。

幸地らの純粋な国を思う気持ちは尊いものですが、政治的幼児にすぎない彼らの火遊びは、時と場所を誤れば、大火災になっていても少しもおかしくなかったのです。

2014年11月26日 (水)

「琉球処分」から考える沖縄の宿痾その1 幸地朝常の遺伝子

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有名な物書きの佐藤優氏は、いつもは冷徹な国際情勢の分析をしてみせることで有名ですが、こと沖縄問題になるとへなへなと夏場のアイスのように溶けてしまいます。  

というのは彼の母親が久高島の出身で、父親が内地というハーフ・ウチナンチューだからのようです。そういえば、顔がコユイですね。  

あまり知られていないようですが、その佐藤氏は本土では「国益こそが外交の基本」と言っていますが、沖縄に来るとがぜん移設反対、米軍基地反対と、いきなり革新になってしまいます。 

彼がそれを説く時には必ずといっていいほど、「沖縄の両属性」ということをしきりと言います。  

どうも沖縄はハーフ・ジャパニーズ、ハーフ・チャイニーズだと言いたいようです。今日はこの「ハーフ」のややっこしさを巡ってのお話です。  

そのあたりの「ハーフの気分」を、沖縄タイムスがこう書いています。全文を欄外に掲載しましたので、読んでみてください。一読の価値があります。 逆説的意味ですが。

「『生きて日本の属人と為るを願はず、死して日本の属鬼と為るを願はず』。生きても死んでも日本とは一緒にならないという激しい決意。中国で死んだ幸地朝常が李鴻章へ送った書簡に残る言葉。歴史の反転は大きかったようだ▼百余年前はともかく、少なくとも最近の銃口や占領者を忘れてはいけない。境で揺れる島だからこそ、平和の選択肢を選び取る覚悟も必要だろう」

なんとも、ファァァ~と毒気を当てられるような一文ですね。「生きて日本の属人となるを願わず。日本の属鬼となるを願う」ですか。

ここまで憎まれれば本望だなァ(笑)。それも130年前の話じゃなくて、ただ今現在こんなことを地方紙に言われるとはなぁ。

さて、この幸地朝常(こうちじょうちょう)は、当時の沖縄支配層に特有の、強烈な中国に対する帰属意識をもっていた人物で、彼は「向徳宏」という中国名すら持っていました。使い分けていたんですね。 

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(※写真 中国人の姿をした幸地朝常 NHKはるかなる琉球王国 ~南の島の失われた記憶~ この番組は沖縄タイムス・琉球新報共同制作みたいな内容です。見ていて気持ち悪くなるほど幸地を美化しています 

幸地は尚王の親類筋にあたる人物で、「親方」という地位にいたバリバリの支配層(士族)です。彼は琉球王の密使として清国帰属を清国に請願する役割をします。 

日本に対しては(当時は薩摩藩・間接に幕府)、「わたしゃ日本人の幸地です」と言い、中華帝国に進貢する時には、「ほんとうはチャイナの向徳宏でございます」というわけです。

こういうダブスタのスタンスは、天下泰平の江戸時代にはなんの問題もありませんでした。 

薩摩藩は基本的に朝貢貿易の利権にしか関心がなく、琉球王朝を実効支配していましたし、年貢さえ納めてもらえれば内政にはとんと関心がなかったからです。 

というか、表向きは琉球王国でなければ朝貢貿易はできないわけですから、中国名を名乗ろうと、中国の使節に琉球王が頭を床に擦りつけて臣従しようと知ったことではなかったというべきでしょう。 

しかし幕末という嵐の中で、日本全国の仕組みが変革されて、近代国家になろうとしていました。

琉球王国は、他の諸々の藩と同列に扱われて、沖縄県として生まれ変わることを要求されます。当然のことながら、ここにファジーで暮らしてきた琉球王国は消滅します。 

これが今に至るも一部では恨みを込めて語られている「琉球処分」です。沖縄からだけ見れば降って湧いた災難という言い方をされますが、何も沖縄だけのことではありませんでした。 

だって、日本全国に視野を拡げれば、珍しくもなんともない廃藩置県のひとこまにすぎませんもん。 

公平に見れば、新政府に対して抵抗した奥羽越列藩同盟の地域に対する、政府の扱いは沖縄より遥かに苛烈で、後々にまで尾を引きました。 

ただ、沖縄が唯一他県と違ったのは、国際問題になってしまったからです。つまり、琉球王国がどこの国のものなのか、存続させるのか否かということが、当時の清国と日本で問題化したわけです。 

いままでダブスタでうまくやってきたつもりが、ちゃんとした近代的国境線の確定をせねばならない時代になって、その琉球王国のダブスタぶりが混乱の原因になってしまったわけです。 

実は幸地にとって気の毒なことに、清国は琉球王国になんてまるっきり関心がありませんでした 

それは清国自体が西欧列強の侵略にタジタジとなっていたからで、朝貢貿易が華やかなりし14世紀ならともかく、清国の屋台骨が大きく揺らいでいたわけですから、「リュキューなんて小島は知ったことか」が本音でした。 

しかし、幸地などの在清沖縄人たちの泣き落としが功を奏して、いくつかの琉球王国分割プランが清国から出てきます。

え、まんま残してくれるじゃないの、という幸地たちの悲鳴が聞こえます。

そう、頼りにしていた清国は琉球王国は八重山+宮古ブロック、奄美諸島ブロック、そして本島ブロックの三つに分解して、それぞれ日本との分割領有を決めようという案を出してきたのです。

幸地が考えていた丸々王国領が残るというのは、清国ですら無理だと判断されて、残しても本島だけか、八重山、宮古に王の息子を残して「後琉球王国」とするのかしかなかったのです。

ところで興味深いのは、ここに今の沖縄県の「外交」の原型が登場します。つまり、本来国内問題であるはずのことを、外国に持ち出して騒ぐことで国際問題化させることです。

清国を絡ませれば、必ず分割案が出てくるのは目に見えているのに、それを理解せずに国際問題化させます

そして清国から予想どおり3分割案が出てくると、今までは泣きついてきたのに、今度は一転して頑として反対します。

う~ん、どこかで年中見た光景だなぁ(苦笑)。

明日詳述しますが、清国のパワーも意図も幸地はまったく読み違えています。

あいかわらず、宗主国を清国と定めて、泣き落としさえできれば、清は黄龍旗をはためかせて、多数の軍艦で沖縄に来援し、日本を蹴散らしてくれると思い込んでいます。致命的判断ミスです。

悲劇と喜劇は紙一重といいますが、まさにこの時代状況の読み違えこそが、幸地ら「琉球頑固派」の失敗の原因でした。

もちろんガタガタの清国にはそのようなパワーはありませんし、事実、後に日清戦争で日本に完膚無きまでに敗北しています。

そして戦略眼がゼロなだけではなく、戦術眼もダメです。幸地らは、清国に解決能力がない以上、この問題が国際紛争化するのを恐れた清国が必ず欧米に仲介を依頼することを読んでいません

アジアを切り取りたい欧米列強に介入させたらとんでもないことになるという危機感がゼロなのです。、

そして実際、アジアのことなど何も知らない米国などがシャシャリ出てきていっそうやややっこしくなります。バッカじゃなかろうか、と思います。

いったん外国を絡ませれば、国にはメンツと下心がありますから、事はいっそう複雑化するに決まっているではないですか。なぜ、こんな中坊でも分かることがわからないのでしょうか。

結局、この「琉球処分」のドタバタ劇は、他ならぬ自分たちが縋りついた清国による琉球王国分割案にショックを受けた幸地らが、自ら分割を止めるように嘆願したことで終幕します。

なんだ、自分で火を着けて、自分で消しとるだけやんかとしか後世には見えません。恨むなら、日本に対してではなく、自分の政治能力のなさを恨みなと言いたいですね。

私がよく言う、「気分」で動くからこうなるべくしてなったのです。この幸地のDNAは今も脈々と沖縄県に受け継がれています。

この幸地たちをまるで悲劇のヒーローのように見るのが、沖縄の「平成の頑固派」である沖タイなどの知識人です。

膨張する中華帝国というアジア共通の脅威を見ずに、自分たちの「気分」にのみ誠実で、基地問題という国内問題を、外国との交渉を必要とする国際問題にしてしまい、その結果が自分の意図にそぐわないものになると、今度は断固として反対して耳を貸さない・・・、あ~あ、既視感ムンムンですね。

長くなりましたので、明日に続けます。

※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-94c2.html 

                :;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+   

■沖縄タイムス2005年5月16日
大弦小弦

 黄色軍艦がやってくる…。船体に黄色の龍の文様を描き、黄龍旗を掲げる清国の南洋艦隊は黄色軍艦と呼ばれたという。知人とこの話をしていたら、黄色軍艦が沖縄を侵略すると、勘違いして話がややこしくなった。
実際は逆で、明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった。武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった。
一八八六(明治十九)年に大迫貞清県知事が上申した「事変準備ノ件」が残る。清が軍艦を派遣するとの報に対し、政府派遣の知事は、対策十項目を提案。政府も北洋艦隊から戦艦九隻が派遣されると情報を得て、県に指示を出した。
日清戦争時にも清国の援軍は話題になった。それからの百年余が経過し、あれほど待ちわびた援軍も的と見間違えるところに今の位置があるのか。林泉忠著『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス』は当時の言葉を紹介する。
「生きて日本の属人と為るをねがはず、死して日本の属鬼と為るを願はず」生きても死んでも日本とは一緒にならないという激しい決意。中国で死んだ幸地朝常が李鴻章へ送った書簡に残る言葉。歴史の反転は大きかったようだ。
百余年前はともかく、少なくとも最近の銃口や占領者を忘れてはいけない。境で揺れる島だからこそ、平和の選択肢を選び取る覚悟も必要だろう。(後田多敦) 

2014年11月25日 (火)

名無し氏のコメントに答えてその2 「中国から支援をもらう」だって?

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「言ってはならないこと」のけじめがつかない人というのが、この世の中にはいます。 

たとえばいい大人が、「なぜ人を殺してはいけないんだ」というようなことを、おおっぴらに口にすると、世間では深くケーベツされます。それは説明する必要がないコモンセンスだからです。 

名無し氏はこうアッケラカンと書いています。 

「振興予算の減額?削減して沖縄が困窮した場合、中国が支援してくるのは目に見えてますし、そんなバカなことを政府がしますかね?」  

ふー、プーさんではないが、「あ~あ、言っちゃった」っていう感想がピッタリですね。

実は、私はかつて沖縄に住んでいた時に、ある反基地運動家の口から、酒席でしたがこれと同類の台詞を聞いたことがあって、ドン引きしたことがありました。 

せっかく表面は「基地のない島」だとか「すべての戦争に反対」というような耳ざわりのいい「顕教」を言ってきたのに、本音はそこかい、ってなもんでしょうか。 

このコメントで私は、この沖縄革新陣営の「密教」はいまだ健在どころか、いっそう堅固になっていることに気がつきました。 

さて改めて、「沖縄が困窮したら中国が支援してくる」か。すごいねぇ、昨日も尖閣近辺に5隻も公船を侵入させている国からねぇ。

日本の47都道府県で、国からの交付金が減ったら、隣国から金が来ると言ってのけるのは、おそらく沖縄ただ一県だけでしょうな。 秘密のケンミンshow報告もんだね(笑)。

だって北海道が、交付金減ったからロシアからカネもらうぞと言ったり、島根県が交付金減らしたら韓国から貰っちゃうぞえば大笑いでおしまいですが、沖縄が言うと妙なリアリティを感じてしまうのが怖いですよ。 

このような旧宗主国である中国を慕う思想(慕華思想)は、沖縄庶民にはほとんど見られず、不思議と沖縄の知識階層に行けばいくほど濃厚になりますが、この歴史については長くなりますので、稿を改めます。

さて、こんな人に対する答えはひとことで済みます。

一国の公権力が、外国政府の政治的介入を許したらもはや独立国とはいえない

これでQ.E.Dなのですが、そんなこと言ってもきっと分からないでしょうから、野暮を承知でちゃんと説明してあげます。 

あえてマジで名無し氏に聞きたいのですが、中国が他国の自治体にどうやってカネを出すのでしょうか? 

大震災の時をみればわかるように、「援助」は当該国の要求なしには、救助犬一匹出せません。「支援」は受け入れ国の合意が前提なわけです。

自治体には外交権がないために、外国に対して「支援」を要請する権限はありませんし、日本政府がそのような要請を中国にする可能性は限りなくゼロです。 

それでもなお沖縄県に対して、政府の意志を無視して中国が「支援」を強行した場合、これは内政干渉というリッパな主権侵害行為に該当します。 う~、だんだん説明するのが馬鹿馬鹿しくなってきたぞ(笑)。

ですから、「中国からの支援を貰う」ためには、その受け皿になる「琉球自治区」、あるいは「琉球共和国」でも作って、外交権の一部を沖縄に委譲してもらうしかないわけです。 

こういうオオゴトなのにも関わらず、この人の脳味噌の中では、中国が大変人のいいオジさんで、困っている沖縄県に、「おや、お困りかな沖縄さん。ならば3000億円くらいお貸ししましょう」と言ってくれるのを待っているみたいですね。  

素晴らしいまでのノーテンキだぁ~(棒読み)。 

ではこの「琉球自治区」が出来るまでのプロセスですが、けっこう大変です。 

まず、いきなり「沖縄人民共和国」みたいなものをデッチ上げて、実力介入を中国に要請する、な~んていう60度の花酒ストレート一気飲みみたいな方法もありますが、これをやるとシャレにならないただの侵略ですから、とりあえずは除外します。

無難なところでは、住民投票条例を作って帰属を問うという手続きしか方法がないでしょうが、このような住民投票に対しては、政府はカタルーニャのように頑として否認するでしょう。

分離独立は、 一国の主権に関わることですから政府が認めることはありえません。先日、それを甘く見たデーヴィッド・キャメロン英国首相がいかなる窮地に立たされたのか、世界中は知っています。

また、国際社会はそんな中国の傀儡国家を認めないでしょう。なぜなら、それが東アジアの戦争の火種に直結するからです。 

というのは、このような住民投票による帰属の変更は、プーチンがクリミアや東ウクライナでやった方法と同一で、世界で今やもっとも評判の悪い方法だからです。 

では、いきなり中国に帰属するクリミア型ではなく、香港型の一国二制度でいこうとしても結果は同じです。 

それは相手国が中国だった場合、当初の約束であったはずの民主主義制度の堅持という約束がなし崩し的に無効にされるのが分かりきっているからです。 

この人の眼にはきっと、香港の学生たちが雨傘革命でなにを訴えているのか、台湾の学生たちが議会を占拠して何を叫んでいたのか見えていないのでしょうね。 

中国からカネをもらうというのは、自由と民主主義を中国共産党に差し出すことと同義だということを都合よくお忘れのようです。困ったものです。 

いや、実際に貰わなくてもいいのだ、貰うぞとブラフをかけるだけで、政府はビビるだろうとでも考えているのしょうか。実はこの考え方にもモデルがあります。それは韓国です。 

ちょうど沖縄と似た歴史的性格を持つ韓国は、「東アジアのバランサーになる」と称して米国との同盟を軽んじて、中国の膝元にすり寄りました。 

7月に訪韓した習に対してパククネが、現代版三跪九叩頭の礼をとったのは記憶に新しいところです。

韓国のいわば「離米従中」路線ですが、歴史的にはかつての宗主国の胸元に回帰したいというわけですが、その時、韓国政府は中国から何と言われたと思いますか。  

朝鮮日報(5月14日)はこう伝えています。

「韓中の政府間の定期協議で中国の当局者が韓国の政府関係者に対して朝貢外交に戻ったらどうなのか」と深入りする発言をした。(略)2013年、中国の一部学者が唱え始めた「朝貢外交復活論」を中国の当局者が口にしたのは初めてだ」

そうです。中国は韓国に対して時代錯誤にも「属国に戻れ」とのたまうたのです。 

韓国のこの動きとあたかも連動するように、沖縄では大の親中派の翁長氏が知事になりました。 

翁長雄志氏の政治的信念は、「基地のない沖縄」だそうですが、この緊張するアジアの地図の中で「米軍よ、出て行け」と言っているわけですから、誰のために言っているのかは、推して知るべしではないでしょうか。

さきの朝鮮半島と比較すれば、かつて北朝鮮が韓国に「朝鮮半島からの外国軍隊の撤退」を要求したようなものです。 下心見え見えですね。 

なぜ、今この時期に「離日(米)従中」の翁長氏のようなタイプの政治家が現れるのか、本土の人間には解りにくいと思います。  

これはかつてのふたつの冊封国が、今の宗主国である米国の衰退を読んで、宗主国替えを企てたのです。

中国のCCTV(中国中央電子台)が、沖縄知事選という自治体選の結果を大々的に報じるキナ臭さの中、それに呼応するように中国をいつもどこかで頼みにするような「気分」が沖縄の一部に漂っているわけです。

それについてはまた明日に。

2014年11月24日 (月)

名無し氏のコメントに答えてその1 5年で普天間は「閉鎖」される?

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名無し氏からこんなコメントをもらいました。短い割になかなか刺激的です。 

「沖縄には海兵隊以外にも自衛隊、海保、嘉手納空軍が配備されています。ホワイトビーチ等、戦略的施設も多数あります。
5年後、県民の意識が高いままなら、辺野古がいかなる状況でも普天間基地の閉鎖に踏み切ると思いますよ。
振興予算の減額?
削減して沖縄が困窮した場合、中国が支援してくるのは目に見えてますし、そんなバカなことを政府がしますかね?」
 

前段と後段は別のことを言っているので、分けてみてみます。

県外の方は何を言っているのか分からないかも知れませんが、ここで名無し氏が「5年間県民意識が高いままなら」と言っているうちの、「5年間」と期限を切っているのがキイワードです。 

これは、政府が2019年、つまり5年後に普天間基地の「運用停止」を言っているからです。ただし、その直後に米国はこれを拒否しています。 

この政府の「運用停止」という発表は、沖縄側の一部にこの名無し氏のような素朴な誤解が生じました。

特に、反基地運動家の皆さんは、名無し氏のように「そうか、このまま粘って5年たてば、政府は普天間の運用停止を言っているのだから、タイムアウトで閉鎖だ」 という単純な誤解を生んだようです。

お気の毒ですが、違います。もしそうなら、既に政府が2023年までに辺野古を完成させるという行程表を出しているのとまったく整合しなくなります。 

ハトさんのように頭が不自由な人ではなく菅さんが言う以上、5年もズレたことを考えているはずがありません。 

政府は「運用停止」がどのような状態を指すのか、どのようになったら「運用停止」なのかを説明していません。実にファジーです。 

航空基地の建設は通常で約9年から10年かかると言われています。まして海上埋め立てを伴って、おまけに2本滑走路を作るのですから、山を削るのとはわけが違います。 

この5年後「運用停止」発言は仲井真知事の求めに応じたもので、移設承認とバーターになった非常に政治的ニュアンスか高い発言です。

つまり、政府が沖縄県に移設承認を受けて、工事を進めるという信頼関係の大前提があってこその「運用停止」だとということを忘れるべきではありません。

工事に対してまったく非協力、それどころかことごとくサボタージュを図ったあげくは政府から行政訴訟を起こされる、こんな状況になった場合、この大前提そのものが瓦解してしまいます。

まさに今、沖縄県が踏み込もうとしている道がこれです。サボタージュしたいだけして、約束を守れというのは虫がよすぎます。

したがって、「政治的ニュアンスが高い発言」とは、この事態を想定したどうとでも取れる内容だということを意味します。 

「運用停止」を、基地閉鎖、土地返還と取るのは勝手ですが、もしそうならばそのように厳密に概念既定して、「普天間基地閉鎖」と表現するはずです。 

「施設」閉鎖などとはひと言もいわず、あくまで「運用」の停止と言っていることに留意してください。 

何の「運用」でしょうか。基地「全体」なはずはありません。もし、そうなら基地機能を切れ目なく移転させるという大前提が崩れてしまいます。 

考えられるのは、おそらく基地の航空機の一部の「運用」の削減ていどです。たとえば可能性としてありえるのは、オスプレイの訓練の「運用」の一部移転です。 

米軍はあくまでも、代替基地が完成しての移転でないと了承しないはずですから、当然のことです。 

政府はいままで、普天間基地の返還期限を口にしたことはありません。仮に代替基地ができたとしてもそれが即時に「閉鎖」につながるかとうかは、あくまでも未定なのです。 

というのは別に政府が不誠実なのではなく、なんどか書いてきているように交渉には相手がいるからです。 

日本はいわば大家ですが、店子の権利は借地借家法ではありませんが強いのです。まして今回は、大家の自己都合による立ち退き要請です。

仮に完成しても、店子が「いや移設はそんな簡単なことじゃないんだよ。新居が機能するかどうか見極めなければねぇ」と言われればじっと待つしかありません。 

おそらくその移設の猶予期間に数年かかるかもしれません。となると、2023年に施設が完成したとしても、確かなことは2023年にプラス1、2年加わることになるかもしれません。 

どうして、こんな簡単なことが、この人たちには分からないのか。自分で自分の首を締めていることになぜ気がつかないのでしょうか。

また、さきほど述べたように翁長県知事が、県と政府の約束事である移設承認を意識的に妨害した場合、仲井真知事との合意事項はすべてが白紙になります。

当然です。県と国の約束は双方の誠意ある実行によって担保されているのですから、一方的にそれを廃棄したら無効になります

よもや沖縄県が約束を一方的に廃棄しても、政府はそれを遵守すべきだなんて甘いことを考えているのではありませんよね。いや、どうもそうみたいです。

振興予算や他の基地の移設計画、日米地位改定交渉などの仲井真知事との約束は、まさに政府と沖縄県との信頼関係次第なのです。

そのような機微がわからなくて、ただ5年間騒げばゴールインで、普天間閉鎖だなんて考えている人たちのお粗末さにただ呆れるばかりです。 

さて、後段の「中国の支援があるさぁ」という部分に関しては、明日ジックリやります。簡単に聞き捨てにできない言葉ですので。 

2014年11月22日 (土)

週末写真館 たまにはモノクロームで

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たまにはモノクロームで撮ってみたくなって試してみました。確かに色彩の階調が白黒の濃淡だけなので、渋いですなぁ。
色彩という写真最大の武器を捨てているので、そのぶん人が想像力を補わねばなりません。ここほんとは何色なんだろう。水は深い群青、さもなければ鮮やかな青かしら、みたいにね。

またフォルムと濃淡だけなので、訴求力は高まりますね。なにを言いたいのかが分かりやすいのは確かです。

と言っても、あくまでたまにだよな~、というのが私の実感。だって、私、自然界の色が好きなんですよ。

自信がないので、カラーも入れておきました(笑)。例によってクリックして大きくして見て下さい。

2014年11月21日 (金)

沖縄県民の「気分」と翁長新知事の意味

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ちょっと前のこと。今でも沖縄革新陣営に隠然たる影響力を持つ太田昌秀元知事が、「翁長は危ないのではないか」と言い出して、高良候補に一本化するように求めたことがありました。 

今になると太田翁の勘はまことに正しかったと思われます。おそらく、太田氏はふたつのことを危惧していたと思われます。   

ひとつは、翁長氏が具体的道筋を一切明らかにしないままに「移転反対は県民の声」というあいまい戦術に終始していることです。   

これについては、いままで何回も書いて来たからいいでしょう。早くも県知事選の直後にチョロと衣の下の鎧を出してしまいました。 

普天間の移設は現実的には難しいかもしれないが、その気持ちをうしなったら沖縄は終わりだ」(11月17日琉球放送Nスタ) 

こんなことを今さら言うのならば、保守分裂などせずに仲井真一本でいけばよかったと思うのですが、私はなるほどとひとりごちました。 

それは翁長氏が代表しているのは、「政策」ではなく、翁長氏自身が言うように「沖縄の気持ち」だからです。別な言い方で「気分」といいかえましょう。 

おそらく、前回仲井真氏に入れて、今回翁長氏に投票した県民の「気分」はこんなものだったはずです。  

「仲井真は東大出の官僚出身で、天下って沖電の会長にまでなった奴だ。こんな奴になにが分かるか。
それに対して翁長先生は、魂魄の塔(※)を作って戦没者を供養なさってきた情の厚いお方だ。県議の時から、野中先生と一緒になって、沖縄の声を政府の政策に活かそうとがんばってこられた。今度の移設問題も、仲井真のように政府のいいなりになるんじゃなくて、しっかりとこちらの言い分をぶつけてくださるはずだ。移転阻止できるかどうかなんて二の次の話さ」
  

私が翁長氏という人物を必ずしも嫌いではないのは、こういう戦後沖縄人の悲哀と迎合、そして反骨の歩みを象徴するような土着的部分があるからです。   

しかし、これは単なる「気分」でしかなく、「移設阻止」への道筋を解く「論理」ではないのは、県民も多少わかっていたと思います。   

私たち県外の者には、これで移設が阻止できたら奇跡だと思いますし、だから選挙戦が始まって本土マスコミは翁長氏に承認拒否を言うのか言わないのか、移転阻止の筋道を教えろとしつこく問いただしたわけです。  

しかしかんじんな沖縄県民は、「気分」の虜になっていたということです。  

というか、県民からすれば、翁長氏はおそらく辺野古移設にとどめを刺さずに、交渉の席で沖縄の不条理感を代弁してくれれば「気分」が晴れる、参ったかヤマトめ、ていどなのかもしれません。 

そのへんの県民と翁長氏との阿吽の呼吸が、おそらく10万票という大差を翁長陣営に与えたのでしょう。  

これはおそらく、翁長氏が言ってきたことがまったく「気分」でしかなく、やっていることは仲井真氏と寸分違わないものだったことが満天下にさらされるまで、「気分」として残り続けると思われます。   

さて、もうひとつの太田翁の憂鬱は、保守陣営も分裂したが、ある意味それ以上にマズイのは革新陣営そのものが、土着保守と一体化してしまったという事態です。   

今回の翁長陣営をみれば、その太田翁の危惧があたっているのがわかります。翁長候補の決起集会に行ってみればその雑煮ぶりが分かります。   

座の中心でこぼれんばかりの笑顔を振りまいているのは、県有数の土建屋の金秀グループの総帥・呉屋氏や「かりゆしグループ」の平良氏ばかり。   

平良氏などは、かつて自民と公明の沖縄県連の仲をとりもった人物ですし、呉屋氏などは自民党支持財界グループのボス格でした。   

いわば、仲井真陣営にいてもおかしくない面々が強力なスポンサーとして翁長氏をバックアップしていて、それに沖縄革新陣営の社民、社会大衆、労組、そして共産党までがニコニコと相乗りしているというチャンプルーな絵図でした。   

つまりは、保守崩れと利権企業の作る新しい沖縄政界再編の渦の中に、革新陣営が溶解していっているといってもいいでしょう。  

これが何を意味するのかといえば、沖縄革新が県政与党の座に座ったことにより、革新が「反安保・反基地・反米」闘争を継続するのが難しくなるということです。  

翁長知事は「米軍基地」と、それを保障している「安保」というカネのなる木を切り倒すつもりはまったくありません。

また、いみじくも当選直後に言ってしまったように、「移設阻止が難しい」ことも百も承知です。

そして、あまり引き際を知らない執拗な抵抗を続けると、振興予算に大ナタが振るわれることも予測しています。

ですから翁長与党になったことは、革新にとって今後出してくるであろう移設容認と既存の基地容認政策、そしてその根っこにある安保体制容認政策に対して、もはや有効に戦えなくなったどころか、事実上の容認をせざるを得なくなったことを意味します。  

ちょうど自民と社会が保革相乗りで作った村山政権の時の社会党のようなものです。  

あの時の社会党は、いままで憲法9条を理由に否定してきた自衛隊や安保を一気にすべて容認し、結局は消滅の道を歩むことになります。  

シルクハットを被って海上自衛隊の観艦式に臨む村山首相の姿は象徴的でした。  

ある意味、5年から10年の時間尺で見れば、この翁長「政権」もまた、困った時の保守の知恵といえないこともないのかもしれません。 

仲井真氏で移設の下地を作り、動かしようがない段階で仲井真氏が悪者になって、翁長氏に引き継いだと見えないこともありません。  

その上で翁長氏が沖縄県民の「気分」のガス抜きを図りながら、腹中に取り込んだ革新陣営を骨抜きにして消化してしまいながら移設容認へと進むのかもしれません。 

結局、沖縄県民が「気分」の虜であることを止めて、しっかりとしたロジックに立った道へと進まない限り、今後もこのような奇怪な政局は再生産されていくことでしょう。

今、シマンチューの人たちに必要なことは「気分」ではなく、豊かな島を作るためのロジックなのですから。

※「魂魄の塔」 沖縄県で最初に建立された慰霊碑で、「ひめゆりの塔」や「健児の塔」のルーツでもある。あの惨禍を蒙った直後の1946年に、住民、軍人、敵味方の区別なく、アメリカ兵を含む全ての犠牲者を祀った。那覇市にあり、翁長氏はその維持に力を尽くしたと言われる。

■今日は、翁長氏の朝日新聞のインタビューからコピペしたところ、フォントが狂ってしまって難儀をしました。もう、朝日ったらキライ。というわけで、今日は眼に優しい大きな文字です。 

2014年11月20日 (木)

普天間固定化の道は七合目まで来た

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さて、今回の知事選の結果で、私は普天間固定化の道は半ばから7分ていどまできたと思っています。 

何度も書いてきていますが、交渉事には相手がいるのです。真の交渉相手は、沖縄の知事や、ましてや名護市長などのドメスティックな相手ではありません。米国政府です。 

いつも沖縄の皆さんのご意見を聞くと、このことをスポッと忘れているんじゃないかな、と思うことがしばしばあります。 

「普天間は出て行け、辺野古移設阻止」などというスローガンを見ると、よくこれだけ矛盾したことを平気で言えるなと思って驚いたことがあります。 

しかし、考えてみれば、この人たちは米軍基地周辺で叫んでいますが、米国相手に叫んでいるようでいて、あくまでも「日本政府」相手に言っているだけなんですよね(苦笑)。 

今、「日本政府」と書きましたが、沖縄革新勢力や、それに支持された稲嶺名護市長や、今や「根っからの保守政治家」翁長新知事まで平気でそう表現していますが、日本政府を「相手国」とみなして交渉しているわけですか、ビックリするなぁ。 

こりゃスゴイ。沖縄県はいつから一国二制度になったのか、と突っ込みを入れたくなります。

地方自治体の首長が、自国政府を「日本政府」といって憚らないことが、沖縄の反基地運動の本質的奇妙さなのです。 

それはさておき、改めて書くまでもなく、ほんとうの交渉相手は米国政府です。米国がこの問題の半分の決定権を留保しているのです。

どうしてこんな簡単なことに気がつかないのか、そのほうが不思議なくらいです。 

米国国務省は、昨日「既定方針どおりで日本政府と協力して推進する」とコメントしていますが、それは外交的修辞という奴です。 

米国にとって何が最大の要求なのか分かりますか?そこがわからなくて普天間問題を語るのはナンセンスです。 

辺野古に「新基地」を建てたくてしかたがない。畳となんとやらは新しいほうがいい。ハズレです。

そんな金がかかる上に、狭くなって、おまけに移動なんて大変なことをするのはイヤに決まっているじゃないですか。 

日本政府と17年間も話し合いをしてきて、もし移すというなら辺野古しかないということで消去法的にそうなったというだけです。 

答えは、安定した環境で基地運営をしたいというだけです。これに尽きます。

17年前に、橋本首相がポマード頭を下げて、「どうぞ危険な場所から退いて下さい。代替は見つけますから」というから乗っただけです。 

普天間基地か経済発展の妨げになっているとか、人口密集地だからという理由は、米国から見ればあくまで日本側の自己都合にすぎないのです。

米国がもっとも嫌うのは、米軍基地が不安定な状況に陥ることです。基地を取りまく環境が反米に傾き、合衆国施設が反米闘争の標的になることです。

かつてフィリピンが反米に傾き、その勢いでスービックとクラークの移転を要求したとたん、米国はさっさと引き上げました。

フィリピンは立ち退きを突きつけることで、なんらかの見返りが欲しかっただけなんですがね。

この代償は大きく、米軍はピナツボ火山噴火による大きな火山灰被害がも加わって全面撤収しました。

そしてご承知のように、米国がいなくなって「力の空白」となってしまった南沙諸島、西沙諸島海域の島々に、中国が暴力的に支配を拡大することになります。

結局、中国によって領有する島々を取られたフィリピンは、米国に頭を擦りつけてカムバックと懇願するハメになります。

もちろん沖縄の位置とフィリピンの戦略的重さは違います。だから、ここまで米国は我慢してきたのです。

私たち日本人は、米国を甘く見すぎています。中韓にはあれほど配慮するくせに、米国相手ならなにを言ってもいい、どんな無理でも言い放題と思っていませんか。

このまま辺野古を本格着工した場合、知事と市長が自ら先頭に立って反米運動に乗り出す可能性があります。

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(写真 琉球新報11月19日 新知事の初仕事。名護市辺野古のキャンプ・シュアブゲート前の抗議団体前で当選支援に感謝演説する翁長氏。いよいよ「沖縄の小沢一郎」のようになってきたようだ。ただし、小沢氏もいくらなんでも共産党とは組まなかったが

おそらく翁長氏はまた共産党と共にオスプレイの時のように赤ハチマキに赤ゼッケンをつけて、稲嶺氏と共にデモ会隊の先頭に立つと思われます。

そして海上では、下手くそなカヌーの群れが海保の阻止線に自爆的突撃を繰り返します。そのうち海中に落ちる人も出るでしょう。地上と違って落ちたら冗談では済みません。流血騒ぎも頻繁に起きるかもしれません。

さて、こんな状況を米国が望みますか。わけはない。まさに米国がもっとも恐れていた「合衆国施設の反米標的化」が始まったと判断します。

私は既に官邸はこのシナリオを考えていると思います。あの怜悧な菅官房長官がハトさんのように何も考えないはずがありません。

おそらく、翁長「政権」に替わったことを奇貨とすることを考えているはずです。

たとえば、来年度予算は余りに時間がないから仲井真氏との約束どおり一括交付するとしても、次年度からはスパっとそれを中止する可能性もあるでしょう。

当然振興予算自体も大幅に減額されるでしょう。これが翁長氏が「カネはいらないから、基地は出て行け」と啖呵を切ったことに対する政府のアンサーです。

移転工事自体も、政府は口では「粛々」とという言い方を続けながら、着工自体のスピードを意識的に減速させていきます。

そうでなくとも翁長氏のサボタージュで、工期は遅れに遅れて、5年先の「普天間運用停止」などには間に合うはずがありません。

4年目の任期切れ改選期まで翁長新知事の抵抗路線が続けば、この5年以内で反基地運動は「輝かしい勝利」を掴むことになります。すなわち、辺野古移設の事実上の断念です。

政府がフェードさせていくか、正式に着工凍結とするか、それはその時の政治状況次第です。

この移転事業の遅滞による波紋は大きく、コメントにもありましたが、他の返還計画にも影響を及ぼすことでしょう。

いずれにせよ、沖縄県民はその「民意」の代償として普天間基地固定化といった17年前に時間が巻き戻された事態の代償を支払うことになります。

さて、今度は沖縄県民の皆さんに私のほうからお聞きしたい。こんなことがあなた方の望みなのでしょうか、と。 

特に宜野湾市の市民の皆さん、あなたがたが1位で当選させた翁長氏は、「普天間基地がこのままここに居ていいのだ」という恐るべき主張するに等しい候補だったのです。

再度お聞きします。それがあなた方の望みなのでしょうか

■写真 土浦港の子供の書いた壁画。戦前に土浦を来訪したツェペリン号てす。先日の日曜日にはC1グランプリがあって盛況でした。ツェペリンカレーも出ました。

2014年11月19日 (水)

コメントにお答えして 

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いくつかコメントを頂きました。コメントで答えたのに重複しますが、20数件の代替案がありました。さまざまな識者の意見もありました。 

全部、帯に短し襷に長しなのですよ。つまり、なんとか辺野古に着地しないためには、別の場所でうんと無理しなきゃならなくなるのです。 

たとえば、ヨナミネさんが上げておられるのは、おそらく小川和久さんの意見ですね。私も彼の影響を受けた時期があって、移設問題を語る上で氏の『普天間問題』は必読本だと思っています。 

彼の案は「シュアブ陸上案」と呼ばれていて、日米両政府で検討されています。簡単に説明すれば、キャンプシュアブ内に作ったらどうかという提案で、仮設ヘリポート(※当時はまだオスプレイが配備されていなかった)を作って暫時移動していくというものです。 

悪くない案に見えるのですよ。

それに実際、外野で無責任に言っているのではなく、小川氏は現実に、民主党の移設問題の非公式アドバイザーでしたから、当然この案は検討されています。 

なぜ、ダメだったのか知っていますか。小川氏は政治的な理由を言っているようですが、実際は、理由は簡単。 

飛行コースが辺野古弾薬庫上空にどうしてもかかってしまうからです。こんなコースで離発着コースを設定したら、もっとも危険が多いといわれる離発着の安全を確保できません。 

普天間の危険性を除去するために、今度は辺野古の危険を作りだしたらなんのこっちゃってなもんでしょう。 

また南の島さんのご意見ですが(おひさしぶりです)、琉球新報に載った米国識者の意見ですね。この人の意見は、海兵隊なんかなくても、海軍と空軍の増強でなんとかなるさという意見です。

「日本周辺の危機対応で重要なのは米空軍と海軍だとも指摘し、横須賀などの海軍基地への巡航ミサイル潜水艦や三沢などの空軍基地へのF22、F35戦闘機を配備すれば「沖縄以外の日本国内で抑止力を高めることはできる」と説明した。
 本土の空軍や海軍力の増強で在沖海兵隊の大幅削減は実現できると述べ、普天間の代替基地を沖縄に建設しなくても、数機の固定翼機を既存基地で運用する少規模の即応部隊を置けば、戦略的に機能するとした」(13年12月31日)

このスナイダーという人、ほんとうに専門家なのでしょうか。既に今でも、米国の第7艦隊に配備されているイージス艦や潜水艦には巡行ミサイルは配備されていますよ。 

F22は機数が足りないないので嘉手納にローテーション配備されていますし、F35はそう遠くない将来に岩国に配備されるでしょう。 

米国空海軍のグレードアップはされるでしょうが、それと沖縄海兵隊の削減とは別次元です。 

スナイダーさんは少数の固定翼機(※MC-130?)で運用といいますが、そうなると特殊作戦ていどに海兵隊の機能を切り縮めるということになりますが、それは前方展開戦略全体の見直しということになっていきます。 

おそらく彼は、国務省の一部にある陸上部隊の海外展開を大幅削減して、いつでも逃げられる空軍に置き換えていこうという考え方の持ち主です。

この考え方に基づいてオバマはイラクから全部隊を撤退させた結果、IS(イスラム国)というとんでもないモンスターを誕生させてしまったわけで、今や米国内ではこの考え方の旗色はすこぶる悪いのです。

こんな米国のエゴイズムに乗って、たかだかと言ってはナンですが、普天間の危険性の除去如きで、米国の世界戦略全体を変更するというのは間尺に合いませんね。

最後に沖縄じんさんに対してお答えします。おっしゃるとおり中国の際限もない横暴や膨張政策に怒っている沖縄県民は多いと思います。

しかしなんでこんな巨大な基地があるんだ、という不条理さを日常的に感じておられることも理解できます。

たぶんあなたの感想が、平均的沖縄県民のご意見だと思います。私も厚木基地の真横で育ったので実感できます。

事実、中国はかつての柵封国であったという古証文を出してきて、「琉球はオレたちの領土だ」と主張しています。

これが中国以外の国なら、「何言ってんだか、バカじゃない」で済みますが、相手が真剣に領土拡張を狙っている国だとなると笑っては済みません。

それを抑止しているのは、自衛隊と言いたいところですが、実は自衛隊は侵略されたら防戦できるという能力しかありません。憲法上の制約があるからです。

好むとこの好まざるとに関わらず、東アジア全域の「(国際)法の支配」、言い換えれば既存の国境線は変更させないという仕事をしているのは、米国以外にありません。その拠点が沖縄なのです。

もし米軍基地がなくなったらどうでしょうか。まちがいなく、中国は待ってましたとばかりにさらなる横暴に拍車をかけます。

単に尖閣海域に来るなんて可愛いものではなく、中国は沖縄の領有化工作を開始するでしょう。

実は、翁長氏は中国のその気を大いに歓迎する向きもある大の親中派政治家なので、大変に不安です。

在日米軍の機能の7割が沖縄に集中しすぎているということは、日本も米国もよく理解していて、だから縮小計画や移転計画があるのです。

こことここを統合して、ここを縮小するみたいなパズルのような作業は毎年行なわれています。政府は決して「新基地」をじゃじゃん作って、県民をイジめてやるぞなんて思っていないことは信じてやって下さい。

普天間はその最大のものでした。これもきっかけは普天間があまり危険なのでなんとた危なくない地域に縮小して移転しようという「善意」から始まっています。

それを沖縄のマスコミや反基地運動家たちは代替なのに、まるで普天間の上にもう一個「新基地」を乗せるみたいな表現で宣伝してしまいました。これはひどいデマですよね。

しかし、どうもこのままでは移転は座礁しそうですね。それが何を沖縄にもたらすのか次回に考えます。

2014年11月18日 (火)

沖縄知事選その後を考えるその2 クーデターとしての沖縄政変

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今回の沖縄知事選は、他県の人には大変に分かりにくいものだったと思います。 

だから本土マスコミは、極度の単純化を図ってしまいます。 

その上に、「沖縄」というーマは、元々ものすごいバイアスがかかる場所だと見えて、マスコミの報道が呆れるくらい陳腐なテンプレ化をしています。 

沖縄の知識人やマスコミは、総じてバリバリの戦後左翼がいまだに健在ですから、こういう図式を発信したがります。 

まずは「米国に追随し横暴な政府」を悪玉に据えます。そしてそれに「戦う沖縄民衆」という善玉の抵抗者を対置します。 

そして「怒れる民衆は必ず勝利する」みたいな進歩史観ときていますから、まるで勧善懲悪の時代劇みたいですね。 

今回なら、ダークサイドから果敢に正義の味方にヘーンシンしたオナガ・スカイウォーカー(って歳じゃないが)、ジジィ皇帝のナカイマをやっつけるというかんじですかな。

てな具合に、昔懐かしき「抑圧者vs被抑圧者」というマルクス主義史観が、ことこの沖縄ではまだ生きているのです。 

もちろんこんな薄っペラな見方で、ほんとうの沖縄が分かるはずがありません。 

さて、仲井真氏の敗因は色々あると思いますが、そのひとつはやはり仲井真氏の健康状態だったことは確かです 

私は彼が余りに病み、老いていたために、衝撃を感じたほどです。県民の多くが、一体今後4年の長きに渡って任せられるのかという不安を持って当然だったでしょうね。 

だから、仲井真氏は、もっと若くてしたたかな後継者を立てて戦うべきでした。しかし、できなかった。そこに仲井真陣営の難しさが集約されているのです。 

では、仲井真氏にとって替わるべき後継者がいたとしたら誰だったのでしょうか?それは衆目の一致するところ翁長氏以外ありえませんでした 

彼こそが、2006年に稲嶺知事の下で始まった辺野古移設現行案の沖縄側の事実上の指揮官だったからです。  

仲井真氏も関わりましたが、実際の細かい各所との妥協を取り付けたのは、そのテの調整に聡い翁長氏のほうでした。             

そして第2期仲井真知事の選挙責任者も彼でしたし、県連幹事長として仲井真県政の右腕を務めていたのが他ならぬ翁長氏です。 

仲井真知事は晴天の霹靂のようにしてハトさんのチャブ台返しに遭遇するわけですが、彼の本土政府を相手どってのタフネゴシエーターぶりを支えたのも翁長氏でした。  

というのは、2期目の仲井真氏はここで徹底した「あいまい戦術」に出ます。 そうそう、今の翁長氏の「基地反対、移設反対」も、このバリエーションと思えばいいのです。

本音を出さずに建前だけしゃべって、どんどん政府にチップを積み上げさせるんですから一緒です。

あの沖縄人には珍しいリアリストの仲井真氏が、「私は県外が望ましいと言っている」という煙幕を張りながら、民主党政権に対して「この問題を収拾しろよな」と言っていたわけです。 

この車輪の両輪のような両人の関係に亀裂が生じたのは、仲井真氏が本来の主張通りの移設容認を埋め立て承認によって明らかにした時から始まります。 

この時に起きた沖縄マスコミや、本土の朝日、TBSなどのネチネチとしたバッシングは凄まじいものでした。  

「裏切り者」「公約違反」といった常套句が、連日沖縄マスコミの紙面を埋め尽くします。承認会見の翌日の沖タイ紙面などお見せしたいくらいのものでした。

もうあれは新聞なんて可愛いものじゃありません。実に6面を潰して仲井真批判でした。もはや反基地闘争の機関紙です。沖縄では沖タイと琉新に逆らう政治家は消されるというのがもっぱらの噂です。  

ちなみに、TBS金平キャスターが仲井真氏に対して記者会見で、「お前は日本語ができるのか」とまで差別的暴言を吐いて知事を激怒させたのもこの時でした。 

仲井真氏の容認路線は、仲井真県政の既定路線であったわけで、鳩山氏によるねじれを元に修正したにすぎなかっただけです。 

仲井真氏は、移設承認会見を前にして過度な重圧のためか病んでいきます。75歳という高齢と脳梗塞、急性胆嚢炎という病歴は、彼がなにを背負ってきたのか、なにに対して責任を取ろうとしたのかかがわかります。 

その上、本来は仲井真氏の後継として補佐し、今後の県政を担うべき翁長氏が、気がつけば仲井真氏をリンチする者たちの輪に入って、「それ吊るせ、奴をもっと高く吊るせ!」と叫んでいるのです。 

吐き気のする光景でした。正義の名の下に、病み上がりの知事を連日のように県議会に呼びつけて糾弾するのが続くのですから。まさにリンチ。

ほんらい知事をガードすべき与党まで当時は寝返りました。 

というのは、当時自民沖縄県連や国会議員までが、心情的な「県外移設」という空気に耐えきれなかったからです。

新風会という翁長党の市会議員は当時を、「自民党というだけで悪玉扱いだった」と回顧しています。 

これでは迫って来る名護市長選に勝てるはずがないということで、当時の自民党幹事長の石破氏が東京に彼らを呼びつけてネジを巻き直すほどでした。 

これで、県連と国会議員団は仲井真与党の立場に戻ったのですが、背いた者たちがいました。それが翁長とその徒党である那覇市議会議員団の「新風会」です。

翁長氏は移設反対kために新風会の市議会議員を大量に名護現地に送っただけではなく、名護市長選には子飼いの新風会り込み、社民党、共産党と一緒に末松票の切り崩しを図ることまでしてのけました。

地方選挙はえてして泥臭いものですが、敵対陣営のトップがひそかに寝返って自陣を切り崩すなどというのは聞いたことがない醜聞です。 

ここで石破幹事長は翁長氏を除名処分にして、県連の体制を刷新すべきでした。しかしそれができないというのが、あの顔だけ強面のご仁の脆さでした。

思い出して下さい。翁長氏はいわば仲井真内閣の官房長官なんですよ。いままで辺野古移設を誰よりも推進してきた当事者中の当事者、現場指揮官です。 

その彼が、仲井真氏を移設承認で指弾するなら、その言葉の矢はそのまま翁長氏に突き刺さるはずではないですか。

もし本気で移設反対を唱えるなら、それもけっこうです。多くの沖縄の自民党議員も心情的にはそうなんですから。

ただ、いつまでもこの泥沼をやっていてはいけない、どこかで終わりにせねば、という仲井真氏と本土政府の呼吸が合った「時の時」(決断の時)を大事にしなければ、ということで折れたのです。

もし、翁長氏がここで革新と一緒になって移設反対を唱えるなら、いままで自分がしてきたことを全部否定することになるわけで、そのことに対しての反省の弁から始めるべきではないかと誰でも思います。

ところが翁長氏は、そのような反省の弁などただのひと言とも言わず、悪いのはひたすら仲井真にしてしまっているから卑劣なのです。

翁長氏の言行録を読むと、こんなことを言っています。(朝日新聞インタビュー12年11月24日)http://www.geocities.jp/oohira181/onaga_okinawa.htm

「振興策を利益誘導だというなら、お互い覚悟を決めましょうよ。沖縄に経済援助なんかいらない。税制の優遇措置もなくしてください。そのかわり、基地は返してください。国土の面積0.6%の沖縄で在日米軍基地の74%を引き受ける必要は、さらさらない。いったい沖縄が日本に甘えているんですか。それとも日本が沖縄に甘えているんですか」

これを読んで私は、いい気なもんだと思いました。「基地はいらない。振興予算もいらない」とですって。どの口がってなもんですよ。

翁長氏がしてきたことは、一貫して基地を交渉材料にして、いかに本土政府を自動現金支払機にするかという駆け引きではなかったのですか。

那覇市長としてやった実績で、那覇軍港移設に伴う港湾整備や、那覇空港拡張といった大規模工事は誰が予算を出したのでしょうか。

自慢にしている首里正殿の復旧すら全部本土政府がやったことじゃありませんか。

今度の翁長氏の公約にすら、振興予算がなければそもそもありえない項目が目白押しです。

もし翁長氏が本気で「基地はいらない。金もいらない」と言うなら、政府予算をアテにしたような選挙公約自体を全部白紙にして、自立した経済はなんなのかを真剣に議論すべきでした。

もちろん、翁長氏のバックについているのが建設業大手の金秀の呉屋氏な以上、そんなことはできるはずもないのはわかりきったことです。

つまりは今回起きた政変は、「反基地の民衆の勝利」ではなく、ただの利権の移動のためのクーデター劇にすぎなかったのです。

そしてこのような人物を革新統一候補としてしまった沖縄革新は死期を早めたと思うわけです。

さてさて、年末に迫る来年度予算は、かつて仲井真氏と安倍首相の約束で一括交付されることになっていましたが、「基地はいらない。カネもいらない」という主張どおり突き返してほしいものです。

まぁ政府のほうも、共産党まで入れた翁長「政権」に対して一括交付などという優遇策をする必要は、もはやいささかもないわけですからね。

また、市長自体から翁長氏が入れ込んできた那覇空港拡張計画に、軍民共用だからと反対している共産党とどう折り合いをつけるのか、お手並み拝見です。

2014年11月17日 (月)

沖縄知事選その後を考えるその1 保革対立の終わり 「翁長王朝」の始まり

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沖縄県知事選の結果はご承知の通りです。残念ながら、翁長氏の県民全体を被害者にする公約詐欺が勝ったようです。感情を排して仲井真敗因と、今後のことを考えてみましょう。 

沖縄県知事選開票結果
当360,820 翁長 雄志 無新
 261,076 仲井真弘多 無現
  69,447 下地 幹郎 無新
   7,821 喜納 昌吉 無新
           =確定得票=

思ったより票差は開いていないな、というのが私の実感です。俗に「保守分裂」といわれ、沖縄マスコミが翁長大応援団であった状況を考えると、予想以上の接戦だったというべきでしょう。

例によって保革対立構造になると、かならず革新陣営に寝返る公明党票が乗って、とんとんというところでしょうか。 ただし、公明党などといったコウモリはどうでもいいのであって問題は別にあります。

さて仲井真氏の敗因ですが、これはあまりにも明らかです。 

第1に、仲井真氏陣営が、最大の支持母体だった沖縄財界の勢力構造の変化に巻き込まれたことです。 

国場組を中心とする既存の沖縄財界主流に対して、金秀を引きいる呉屋氏や「かりゆしグループ」の平良氏らの「反乱」が勝利しました。 今後、彼らが振興予算配分利権の勝者となっていくことでしょう。

それは今まで通りの基地提供のパーターにして得られた振興予算の配分という構図が何ら変化せず、むしろ「基地反対」を掲げることで強まるということを意味します。

そもそも今回沖縄財界が分裂したのは(※前回まで一致して保守支持でした)、仲井真氏が埋め立てを承認することで、辺野古移転問題の泥沼に終止符を打ってしまったことに対する不満にあります。

ここで17年間にも及ぶ泥沼が終わってしまえば、これ以上「基地に反対することで政府を追い詰め、その見返りとして振興予算を獲得する」という沖縄流錬金術が使えなくなってしまいます。

それを不満とした呉屋氏などの財界反主流派が、翁長氏の自民党からの分裂を阿吽の呼吸でそそのかしたともいえます。

今後県民は、「翁長王朝」の下で、「新基地反対」の翁長氏を支持していた翁長支持グループ系土木会社が、辺野古の工事に嬉々として参入していく姿を見ることになるでしょう。

県民が、翁長支持母体が基地反対でもなんでもないことに気がつくのは、そう遠い日ではありません。正直言ってゲッソリするだけで、私には関心がありません。

また、「革新陣営の勝利」「沖縄県民の民意の勝利」であるかのように解説するマスコミが今日あたりは溢れると思いますが、それは明確に間違いです。どうして彼らはこうも薄ッペラなのでしょうか。

沖縄革新は、いわば翁長氏という「巨大毒ダンゴ」を呑んだネズミ状態になっただけです。

翁長氏は、翁長氏総決起集会に行って、「今後はスーパーかねひでに行って沖ハムを買おう」などと言っているような、なんともナイーブな革新の人たちに飼い馴らされるようなウブな手合いではありません。

今回沖縄革新は長年続けてきた独自候補の擁立にすら失敗し、かつての宿敵である翁長氏を山車に乗せざるを得ませんでした。

革新陣営やマスコミの皆さんはよほどの能天気なので分からないようですが、翁長氏に辺野古移設反対などをする意志はまるでありません。

あるならば、公約にとうに「承認拒否」と掲げているはずで、それをしなかったのは、「建設反対」「沖縄の基地負担を減らせ」というリップサービスで済ませる予定だったからです。

さっそくそんな発言を翁長氏は勝利会見で行っていますが、あんなことは、自民、革新の別なく沖縄の政治家なら誰でもいうテンプレート的発言にすぎません。

これにまんまと乗ってしまった沖縄革新と沖縄マスコミは、今後倍返しになって彼らを襲うはずです。勝利のカチャーシーなど踊っていられるのは今だけです。

つまり、翁長新知事の登場によって、今までの保革対立構造にあった「キレイゴトは革新、本音は保守」という構造が変化し、「キレイゴトも本音もオナガ」という一極化が起きるからです。翁長氏は移設反対を強硬に叫ぶだけで、埋立承認を撤回しません。

というか県知事にはそんな承認拒否の権限がないことは、翁長氏は百も承知のはずです。拒否しない以上、状況は選挙前と何ら変化がありません。

翁長新知事が味方だと勘違いして、辺野古沖でカヌーを漕ぐようなパーフォーマンスは拡がる一方で、そんな混乱した状況を引きずったまま埋立工事は菅官房長官風に言えば、「粛々と進む」ことになります。

よくも悪しくも、迷惑料としての振興予算はそのまま続きます。なにが変化したのでしょうか?変化したとすれば、県知事を攻撃できなくなったことくらいなもので、沖縄流錬金術は温存され続けます。

もし、これが変化するとしたら、それは反対派過激派が、自爆的流血騒動を引き起こすことです。

今も辺野古周辺で意図的に流血の事態を誘うような過激な「直接行動」が繰り返されていますが、その事態で双方に負傷者が出た場合、事態は一転して工事続行見直しへと傾くかもしれません。

その結果、本土政府が温存しているもうひとつのシナリオである、辺野古断念・普天間固定化が視野に入ってきます。

言い換えれば、2014年11月16日に起きた事態とは、翁長党が県の権力の地位についたということで、とりもなおさず「翁長王朝」が開始された年として記憶されることでしょう。

これにより、沖縄革新陣営の果たしていた役割は終了しました。以後、彼らは翁長氏が持ち出す琉球ナショナリズムをくすぐる「本土政府vs沖縄」という構造の中に巻き込まれていくことになります。

この構図に、民主、社民や社会大衆、労組の一部は猫にマタタビなことは明らかで、いっそう空疎な「琉球独立論」が幅を効かせることになるでしょう。

そしてこの構図は、現在の東アジア政治的力関係の中で、いやでも沖縄を中国に吸引していくことになっていきます。

本土政府がかつての民主党政権のような国家観があいまいな性格を持っていた場合、これに呼応していっそう沖縄を中国サイドに押しやることがありえますが、さて安倍政権はどのように対応するでしょうか。

ある意味、ボールは本土政府に投げ返されたわけで、本土政府が「翁長王朝」に対して毅然として対応するのか、さもなくば従来の政府がそうであったような新興予算の上積みといったご機嫌取りに走るのか、あとは本土政府次第となります。 

ここで来月衆院選が行なわれるわけですが、その結果、安倍政権が弱体化した場合、後者の宥和的対応をとらざるを得なくなるでしょうが、その結果かえって移転問題は泥沼化し、翁長党を喜ばせるだけです。

ただし県知事選惨敗の選挙予測はそうとう以前から自民党中枢は握っており、安倍氏と菅氏か国政選挙に撃って出たのは、この新たな事態に対する本土政府のカウンターと見ることもできるかもしれません。(※もちろん主要な解散動機は増税の是非なのはいうまでもありません)

もう既に事実上始まっている衆院選挙選において、沖縄自民党は今回の敗北を踏まえて強力な引き締めをせざるをえないからです。

いずれにしても、沖縄県において復帰後40年間営々と続いてきた保革の持ちつ持たれつという構造が破壊され、月曜の朝にふさわしい憂鬱な「新しい時代」が始まったことは確かなようてす。

簡単に終わりそうもないので、次回に続けます。 

2014年11月15日 (土)

週末写真館 お宮参り

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湖周辺にはお宮が沢山あります。
水神さまの祠、算額が奉納された神社、鹿島神宮の分社、諏訪大社の分社、産土様、実に多彩て、この土地は古代から多くの神様たちに愛でられし土地だと思えてきます。疲れている時にお宮参りすると、ほんとうに癒されます。

ウェールズ人のCWニコルさんも神社好きだそうで、彼は初めて神社に来た時に、「ああ、ケルトの森に戻ったようだ」と思ったそうです。森林宗教としての神道という見直しも始まっているそうです。

そんな風土にお似合いの湖畔の簡易郵便局。今週は忙しかったので格別なひとときでした。こんなご神域で昼寝でもしたい。

縮小してありますので、クリックすると大きくなります。拡大すると黒ベタになっていないで、色々なものが写り込んでいるのがわかりますよ。


2014年11月14日 (金)

「信」なき背信政治屋翁長氏に一票を入れるな!

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翁長雄志氏が登場したことでマスコミは「保守分裂選挙」という言い方をしています。それは正しくはありません。 

まずは支持団体からみていきましょう。 

・仲井真弘多(無所属)・・・自民推薦
・翁長雄志(自民党) ・・・共産・社会社民大衆・生活・自治労・沖教組支持
・下地幹朗(そうぞう) ・・・維新・そうぞう支持
・喜納昌吉(民主除名)・・・なし
 

これで見る限り翁長氏は、共産党まで含んだただの革新候補ですが、実はこれだけ見ても何も語ったことにはなりません。

というのは、翁長氏の支持団体に革新が名を連ねていることは、革新系が統一候補を立てられないほど衰弱しただけのことに過ぎないからです。 

れについて元県知事の稲嶺恵一氏がいみじくもこう語っています。 

「これは保守分裂ではなく、基地運動に頼ってきた革新が自前候補を出せないほど衰退したということ。保革対立がパッと消えたら(日本の一部を担う)沖縄県人的な意識と、(本土と対抗する)琉球人的な意識の矛盾点が浮かび上がった」
(『沖縄県知事選と「国場組」』(「新潮45」11月号常井健一)
 

間違いなく、沖縄の革新陣営はどん詰まりの衰弱期に入っています。 

それは太田秀昌元知事が推す高良鉄美氏を革新統一候補としてまとめ切らずに、結局うさん臭さ一杯の背信政治家・翁長氏に相乗りすることを選択せざるを得なかったことを見れば分かります。

表面的には革新陣営が支持母体ですが、あくまでも革新陣営は「翁長党」に相伴する脇役でしかありません

彼ら革新の無力さは、「承認拒否」を最後まで掲げられなかった所に象徴されています。 

それは、長年に渡って官公労と教組にのみ頼った運動構造が硬直化し、いつの間にか島内勝ち組だけによるイデオロギー闘争に明け暮れてしまったためです。 

おそらく革新陣営の選対責任者たちの集まりでは、翁長氏をどこまで信じるかについて激論があったはずです。

それは、立候補表明してもなお、「承認撤回」を言い切らず、ああ言い、こう言いしているヌエ的な翁長氏の態度をみれば、不信感を覚えて当然です。 

翁長氏は支持母体の革新陣営からも責められ、対立する仲井真陣営からも公開質問状を突きつけられてもなお、厚顔にも公約を変えようとしませんでした。 

改めて翁長氏の公約と称するものを見ればこの調子です。まるで中学生の作文です。

県民は埋め立て承認の撤回や取り消しを望んでいると思う。知事選に勝ってから、相談しながら撤回や取り消しのあり方を考えていきたい 

つまり、翁長氏が知事に当選したとしても、承認撤回はしないということです。

もし、翁長氏が知事になりさえすれば普天間は閉鎖され、辺野古移設は拒否されるという期待を持っておられる方がいるなら、その望みは残念ながら叶えられません。

その理由は、「翁長党」のスポンサーは革新団体ではなく、沖縄財界反主流派だからです。 

今回の知事選で翁長陣営についた沖縄財界のメンツを見てみましょう。 

・金秀グループ会長   ・・・呉屋守将
・かりゆしグループCEO・・・平良朝敬
・沖縄ハム会長     ・・・長濱徳松
 

これらの人々がどのような人達なのかと言えば、沖縄財界反主流派です。それは代表格の金秀グループ会長の呉屋氏をみれば納得がつくでしょう。 

呉屋氏は、「スーパーかねひで」を県内40店舗持つかたわら、県内4位の土建屋でもあります。 

そして呉屋氏は、国場幸之助氏(自民党衆議院議員)の出身である国場組と激しい対抗意識を燃やしていることで知られています。 

国場組はいうまでもなく県内1位の大手土建業ですが、呉屋氏の金秀はその下請けでした。 

そして呉屋氏の父親は、国場幸昌社長の選対責任者をしながらも国場組からは「金秀は選挙のおかげで大きくなった」と嘲笑われたといいます。 

この屈辱を舐めた金秀が、スーパー部門が当たって、今や国場組を凌ぐ力をつけ、それがこの知事選において、国場氏が推す仲井真氏に対して翁長氏をぶつける沖縄財界の下克上につながっていきます。 

那覇市内で開かれた翁長氏の激励会は千人を越える盛況ぶりだったそうですが、来客はもっぱら呉屋氏との名刺交換にいそしみ、翁長氏の演説は添え物だったそうです。

そこには革新陣営の顔ぶれもあったわけですが、主賓はあくまでこの金秀を率いる総帥の呉屋氏でした。

翁長激励会に集まった人達にとって翁長氏すら添え物で、今後沖縄財界を率いていくであろうと期待した呉屋氏や平良氏、長濱氏となんとかコネを作りたいというのが本音だったのでしょう。

ここにあるのは、かつての革新候補の決起集会にある赤旗とシュプレッヒコールではなく、国策として今後も移設事業で落される巨額のカネの匂いを嗅ぎつけて群がる欲に目が眩んだ蟻たちの光景です。

彼ら欲ボケ蟻が望むのは、沖縄利権の新たな胴元に金秀が座り、ゼニをバラ撒いてくれることです。それが彼らを選挙へと駆り立てているのです。

なんのことはない、保守分裂ではなく、ただの財界の勢力争いです。

島内の数少ない産業である建設業では国場組と金秀の、観光業では沖縄観光コンベンションビューローとかりゆしグループとの、勢力図をかけた戦いの場が、選挙戦へと変わっただけともいえます。

だからこそ、翁長氏は革新陣営の不信を尻目に涼しい顔をして「承認拒否」の一項を公約に入れることを頑として拒んだのです。

したがって、翁長氏が、知事になってまずすることは、いままでの土建の割り当てのメーンを占めていた国場組傘下から、金秀へとシフトすることでしょう。 

そして国に対しては、あくまでも「反対の声を伝える」に止まり、革新陣営が強く望む「阻止」などは間違っても口にすることはありません。 

翁長氏がしたいのは辺野古移設「阻止」などというヤボなことではなく、それをネタにした振興予算のさらなる上積みと、基地の返還交渉条件の獲得でしかありません

これこそが彼がいう「政治とは結果」の意味です。れは彼が、「オール沖縄」とやらの署名を首長たちの間で集めた時の言葉でわかります。

「南城市の古謝景春市長は、翁長氏が41市町村の代表が政府に提出した建白書をまとめる際に『反対することで振興策が多く取れる』と発言したと主張し、『さまざまな疑念がある』とした」(沖タイ10月29日)

翁長氏、いや「翁長党」と呼ぶべきでしょうか、彼らにとっては辺野古移設問題は金のなる樹、金の卵を生むガチョウでしかありません。

彼ら「翁長党」は反対を唱えれば高く売れると思っている連中です。

彼らの眼中に写るのは、尖閣沖の中国公船でもなければ、中国の防空識別圏でもなく、ただひたすらカネ、カネ、カネしかありません。なんともやりきれない利権亡者の連中です。

だからこそ、その原資である移設工事を白紙にしたら元も子もないわけで、口先では県民の民意をダシにして「反対」しながら、内実では容認することになります。 

当初の期待を裏切られた共産党や社民党は与党会派として、猛然と抗議するでしょうが、もはや翁長氏にとって彼ら左翼は用済みであって、むしろ彼らのハネ上がりは目障りなものにすきません。 

ここに至ってようやく革新陣営は翁長氏の正体に気がつくはずです。すなわち、これは保守分裂ではなく「沖縄財界分裂」だったことを。しかし、その時はもう遅いのです。

まずは共産党が憤然として与党会派に離縁状を叩きつけ、次々と革新陣営は櫛の歯が欠けるるように脱落していきます。

そして生粋の「翁長党」である新風会の那覇市議たちが、沖縄県政の中核を担うはずです。

私は、「沖縄一危険な男」は翁長雄志氏であると思っています。彼には政治家が依って立つべき理念がありません。

しかしこのような人物に特有の時代を読む嗅覚だけは鋭敏です。

翁長氏は、次の時代が中国から吹いてくると読み、中国に媚びる龍柱を建て、娘を中国の大学に送り込み、中国要人と太いパイプを作ったと豪語し、尖閣など見向きもしません。

むしろ、尖閣は県との共同開発をしたらどうかていどに考えているかもしれません。

その一方で、新興の財界人に下克上を勧めました。

そして新たな対立軸は保守と革新ではなく、内地とウチナンチューの対立だと煽りました。

さらには一国二制度でも作って「琉球独立」も悪くない、その時は中華帝国が助けてくれるさぁ、と考えている節すらあります。

私は翁長氏がいずれ沖縄県の住民投票条例でも作り、「高度な自治権」を要求をする日が来ると考えています。

彼は出身母体の自民党を裏切って新風会という「翁長党」を作り、「建白書」を裏切って県内移設容認をささやき、革新陣営の支持母体を裏切って最後まで「承認拒否」を掲げませんでした

この人物には「信」という言葉はないようです。

翁長党」が唯一誠実なのは、ひと握りの沖縄財界の面々に対してだけです。その裏切りを代償として翁長氏は「琉球王」の座につく野望を持ったのです。

県民の皆さん。お願いがあります。県知事の権限は、政令指定都市がない限り、県内では一国の首相よりも大きいといいます。

そのような強力な権力を翁長氏と「翁長党」に与えないでください。大変に危険です。

あさっての投票において、移設賛成、反対の別なく、この裏切りの常習犯、詐欺師のような人物にだけには絶対に一票を与えてはなりません。 

2014年11月13日 (木)

翁長氏の移転阻止公約サギ

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よく、革新陣営の人たちは、基地は沖縄経済の阻害物だと言います。北部はちょっと違いますが、普天間基地に関してはそのとおりです。 

普天間基地の広大な跡地利用は、沖縄経済の起爆剤足り得るものです。新たな官庁施設やマミューズメントパーク、あるいは高層住宅地域などさまざまな跡地プランかあるはずです。  

これに政府が反対したことは一度もありません。普天間基地がある宜野湾市は出て行ってくれ、、現地の辺野古は来てくれてけっこう、政府は積極推進しようと言っているですから、なにが問題なのでしょうか。 

わかりきった問いですね。問題は、この普天間の基地機能をどこに移すかで、強硬な反対を言う人たちがいるからです。 

はい、またおなじみの所に戻りました。結局、移設があっての普天間跡地開発なのです。  

これは普天間基地を使用しているのが、海兵隊だという特殊性をわかっていなければ理解できないかもしれません。 

一般的な陸軍なら、駐屯地(キャンプ)はある程度離れた場所に移転しても問題ありません。

しかし、海兵隊というタイプの部隊は、何か有事が起きた場合、真っ先に飛んでいかねばならない部隊です。数時間以内に即応すると言われています。 

ですから陸軍のよう輸送艦で1週間かけてのんびりと到着するのではなく、ヘリやオスプレイで紛争地に駆けつけます。

だから、兵隊が居住するキャンプ・ハンセンのそばに航空基地の普天間がワッセットであったわけです。 

もしキャンプの遠くに航空基地があったりすると、そこまで船や小さなヘリで行って、そこから乗り換えるみたいなロスタイムがあって本領を発揮できません。

だから、ハトさんの徳之島や九州という案は、出す前からダメだと分かりきっていたのです。 

ましてひと頃、伊波洋一氏が触れ回っていたグアム・テニヤン案などは、米国の戦略にとって沖縄が不要にならない限りありえないのですから論外です。 

整理してみます。 

普天間基地は、東アジア有事に備えた海兵隊の緊急展開用航空基地なのです。今、私は三つのことを同時に言いました。  

以下分かりやすく整理するために、箇条書きにしてみます。

①東アジアを中心とする広域の有事に備えた基地であること
有事に際して最初に投入される海兵隊の拠点であること
③オスプレイを運用する航空基地であること

ですから、基地の移設は以下の5つの条件を満たしていなければなりません。

①紛争が予想される朝鮮半島、台湾、インド洋などに短時間で展開が可能な場所であること
②海兵隊のもうひとつの投入手段である強襲揚陸艦の港が近くにあること
③兵員が日常的に駐屯するキャンプがそばにあること
④MV22-オスプレイと給油機KC-130を運用できること 

また、忘れられがちなことは、単に初動だけではなく

⑤やや遅れて米国本土から応援に駆けつける大量の航空機と兵員を受け入れ可能な基地であること 

17年間、県内、県外のいくつもの候補地が消えたのは、これらの諸条件を満たさなかったからです。  

その中でギリギリなんとか条件を満たしそうな場所が辺野古だったのです。辺野古には他の候補地にない以下の利点がありました。

①キャンプ・ハンセンという駐屯地と隣接していること
②海岸なので航空事故の危険が少ないこと
③地元の辺野古地区が受け入れを表明していること
④嘉手納基地があって、増援部隊が乗る大型機受け入れができること

これらすべてが充足できる代替地は辺野古しかなかったということに尽きます。 わざわざ選んだのではなく、結局のところ辺野古しかなかったという消去法的選択です。

そんな常識的なことは、反基地運動家ならともかく、自称「根っからの保守政治家」だそうな翁長氏は百も承知なはずです。知らなかったと言ったらその方が驚きです。 

さて、以前このブログに来た沖縄の反基地活動家に、「普天間閉鎖するのは賛成だけど、その後どこに行くの」と素朴な質問をしたところ、なんと彼は「安全保障は国の専管事項だ。知るか」との話でした(苦笑)。

そう、そのとおりです。防衛案件は地方自治体には、行政法上の公水面の許可権や建設申請に対しての適否の審査程度しか権限はありません。

だから仲井真氏が再三指摘するように、移設に関する知事の事務手続きは既に去年暮れに終了しているのです。つまり、これ以上新知事になにかできる条件はゼロなのです。

左翼活動家なら、それ以上は「知るか」と言ってみたり、「官僚がジャマして」という愚痴で済ませられますか、手練だということで革新陣営から持ち上げられた翁長氏が同じことを言ったらシャレになりません。  

翁長氏ができるのは、稲嶺名護市長と同じような口先だけの移転阻止要求や、諸手続きをサボタージュすることしかやりようがありません。

なぜこんなにも地方自治体首長が非力なのかと言えば、この移転工事の承認を覆すに足る「要件充足性」を成立させる主体が、県ではなく、政府にあるからです。 

行政法によれば、辺野古埋め立て承認という行政処分を覆すに足る条件は、ふたつしかありません。   

それは米政府自身が辺野古移設を進めるという前提が崩壊した場合です。その場合行政法上の「要件充足性の喪失」という理由が成立します。  

あともうひとつは、日本政府自身が断念する場合、沖縄県の協力が見込めないと判断し断念するということはないわけではありません。

実は私はこの可能性が残っていると考えています。それは政府や米国が「やめた。こんなメンドーなこと!」と切れる場合です。  

え、切れていいのかって?私は辺野古移設が凍結ないしは、白紙化されても米軍はいささかも困りませんって、ずっと書いているでしょう。

普天間基地がなくて、安保体制に穴があくというのならともかく、普天間はあるのですから、いささかも困りません。むしろこのほうがラッキーくらいなものです。  

革新陣営の人達は、自分たちが作った「新基地」という宣伝に酔って、まるで辺野古移設がないと、安保体制が大打撃を受けるように想像している節がありますが、違うのです。  

「新基地」ではなく、あくまでも代替基地です。これは本質的に別なのに、「新基地が増えるぞ」と言えば、県民がこれ以上の負担はイヤだというと思ってそう表現しているだけです。  

その場合、政府は米国に頭を下げて、「このまま普天間にいて下さい」と頼めばいいだけです。  

恥ではありますが、米国も事情は知っているはずですし、そのほうが米国にとっても都合がいいので、ノーとは言いません。  

そう、革新支持の皆さん今頃分かりましたか。辺野古移設が消滅した瞬間、日米両政府は普天間の恒久化に舵を切ればいいだけなのです。   

それをたかだか一地方自治体の首長が、なにか新発見できるとでも思ったのですか。 

だから、これを知っている翁長氏は「辺野古移転承認取り消し」とはひとことも言わず、このようなボカした表現をとっているのです。

県民は埋め立て承認の撤回や取り消しを望んでいると思う。知事選に勝ってから、相談しながら撤回や取り消しのあり方を考えていきたい」(毎日新聞9月13日)

主語は「県民」で、「共に考えていきたい」です。これはもはや公約ではなく、たんなる努力目標にすぎません。  

移転阻止ができなかったら、「共に考えてやってみたが、できなかった」、それで終わりです。だってそれ以上は公約していないんですから、勝手に勘違いした方が悪い

まさに詐欺師の本領全開。 詐欺師はウソは言わず、勝手に勘違いさせるのが奥義だといいますが、それはこの翁長雄志氏のためにあるような言葉です。

喜納昌吉氏や太田昌秀氏が、そのインチキに気がついたのはとうぜんです。単に革新陣営はわかっていて、革新候補を立てられないので沈黙しているだけです。

「辺野古移設承認取り消し」を正式公約にしてしまえば、仲井真知事の轍を今度は自分が踏んでしまい、「公約違反」を支持母体と沖タイ、琉新からバッシングされるのは目に見えています。  

だから、しない。当人はダマしてなんかいません、と言い張るつもりでしょうなんでしょうが、まさに公約サギです。

まぁ、革新陣営のプロ活動家の皆さんも、ずっと普天間で騒げるからいいかと案外メゲないかもしれませんがね。

2014年11月12日 (水)

翁長氏の「オール沖縄シロサギ」発覚!

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翁長氏が得体のしれない「オール沖縄」候補というスターダムに登ったのは、オスプレイ反対運動でした。 

これは那覇市長だった翁長雄志氏が音頭をとって県内の全首長に呼びかけ、反対声明に署名させたあげく、なんと東京請願にまで引き連れていきました。

東京では首相官邸まで押しかけたそうですが、とうぜんのことながら相手にされなかったようです。

よくある地方政治家のパターンですが、「オレは中央と太いパイプがある。オレについてこい」というヤツです。 

ため息がでます。そもそもオスプレイの危険性などということ自体がはなはだ怪しいことで、米国で大統領が移動に使っている機体が「殺人機」なはずがありません。 

欧米のマスメディアはとうの昔にオスプレイ・スキャンダルから脱しており、いまだ危険だ、落ちるぞと騒ぐ日本マスコミ、なかでも沖縄のそれは世界のマスコミ唯一の奇現象です。  

常識的に考えても、米軍が乗員の生命が危険にさらされるような「殺人機」を現場に配備すると考えるほうがヘンです。  

もしそんなことをすれば、米国では軍のみならず納税者の利益を優先する議会が黙ってはいません。  

確かに、オスプレイは新しい分野の新機軸が沢山盛り込まれていますから、当初は開発が難行しました。  

機械的ミスだけてはなく、配備当初はヘリのパイロットがヘリと同じ操縦をしてしまって墜落したケースもあります。  

しかし今はそれらはすべてクリアされて安全が確立されています。いや、むしろ他の航空機より事故率は低いくらいです。 

ですから、これは航空機の安全性と反安保運動に結びつけた、革新陣営がよくやる反基地闘争のひとつのバリエージョンにすぎませんでした。 

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        (写真 沖縄タイムス 2013年1月29日 まるでしんぶん赤旗みたい) 

今思うとこの時から翁長氏は、「仲井真を知事にしたのはこのオレだ。次はオレだ」という野望に燃えていたようてす。

それを知ってか知らずか、革新陣営もまたこの男を使って、昭和20年代にあった「島ぐるみ闘争よ、もう一度」という期待を持ったようです。

「島ぐるみ闘争」とは昭和20年代の、米軍との土地の権利をめぐる闘争ですが、今あのような性格の闘争が起きる可能性はゼロです。

まさに同床異夢。「移設阻止」と言っていることは一緒ですが、思惑はまるで違うのです。 

翁長氏はとりあえず「根っからの保守政治家」として安保の枠組み自体は否定できず、移設阻止を除けば、言っているのはせいぜいがところ負担軽減だけで、そんな程度は誰でも言います。

他県ならいざ知らず、国境の県である沖縄県で、安保政策が違ったら話になりません。翁長氏は基地全面撤去・安保廃棄を唱えている左翼政党と手を組んだのですから、県知事になったらどうするつもりなんでしょうね。 

なんといっても革新陣営との唯一の接点であるはずの肝の「移設阻止」の道筋がまるで見えません。というかハナからそんなものはない、のです。 

口先だけで阻止だ、阻止だと言うだけで、いっかな道筋を占めそうともしないし、普天間が固定化されたらどうするのかという誰でも思いつく疑問にも答えようとしない翁長氏に対して、業を煮やした県内首長9名が10月28日に質問状を叩きつけました。

「11月投開票の沖縄県知事選に出馬を予定している現職の仲井真弘多知事(75)を支援する県内の5市長は28日、那覇市内で会見を開き、同じく出馬予定の前那覇市長の翁長雄志氏(64)に対し、普天間飛行場の危険性除去の方法などについて問う公開質問状を発表した。
 質問状では、翁長氏が普天間飛行場移設の移設先や時期などを提示せず、日本政府に責任を丸投げしていると指摘。「普天間基地周辺住民の安全、生命、財産を具体的にどのように守るのか」と説明を求めている。
 南城市の古謝景春市長は、翁長氏が41市町村の代表が政府に提出した建白書をまとめる際に「反対することで振興策が多く取れる」と発言したと主張し、「さまざまな疑念がある」とした。質問状は、仲井真氏を支援する保守系市長9人の連名」(沖タイ10月29日)
 

もちろん回答はなし。というか、翁長陣営には答えられないのです。 なぜなら、それを答えようとすれば、「オール沖縄」の馬脚が現れてしまうからです。 

というのは翁長氏の選挙公約は、仲井真氏のものをそっくりパクったもので、本来仲井真氏が着実に上げてきた県内経済の向上などの実績の上にあるものでした。 

それをあっさりとコピーし、一点だけ革新系の主張にすり替えました。それが「移転阻止」ですが、それを突っ込むためには「オール沖縄」という言葉のトリックが絶対に必要だったのです。

しかし「オール沖縄」には実体がありません 

普天間の周辺は那覇から連なる広域首都圏の一部の新興住宅地で、そこに住む住民の大部分よその地域から来た人々です。 

一方、基地を持ってこられる辺野古地区は、純然たる漁村で勤め人などひと握りてす。 

前者と後者の共通項がなにかありますか?なにもありません。あるのは漠然とした「沖縄県民」だということだけで、利害さえ対立しています。 

前者は早く出て行ってほしい、後者は歓迎すると言っています。あれ?全然対立していないじゃないですか(爆笑)。 

そうなのです。まったく対立しない普天間周辺住民と辺野古住民の意志を、「普天間撤去・辺野古移転阻止」などという摩訶不思議なスローガンを持ってくるからヘンになるだけです。 

だって、これでは普天間基地は行き場がなくて、ズッとそのまま半永久的に固定化されるしかないじゃないですか。そんなことは中坊でも分かります。 

なぜ、こんな実行不可能なことを言い出しているかと言えば、革新陣営の思惑を他ならぬ翁長氏自身がこう説明しています。 

「革新勢力は、全身全霊を運動に費やせば満足できる」(朝日新聞インタビュー) 

つまりは革新陣営にとって、いつまでもいつまでも反米・反政府闘争する種を残しておきたい。飯の種は大事にしなくちゃね、死ぬまで普天間基地のゲート前で騒ぎたいからね、ということです。 

一方翁長氏は続けてこう言っています。 

「でも政治は結果だ。嫌だ嫌だで押し切られちゃったではすまない」 

そう、この「結果」とは、自民党という利権政党用語では、振興予算をぶん取ってきてバラ撒くことです。その利権の沖縄側で仕切る胴元になりたい、そう翁長氏は言っているのです。 

それは先に引用した9市長の質問状にも現れています。「建白書」を渋る保守系市長に対して、翁長氏は県連ボスのご威光をちらつかせながら、こう言ったとされています。 

「南城市の古謝景春市長は、翁長氏が41市町村の代表が政府に提出した建白書をまとめる際に「反対することで振興策が多く取れる」(前掲) 

あるいはこうもなだめたようです。新たな証拠が出ました。出したのは若き石垣島市長の中山義隆氏です。 

中山氏は、翁長氏がこう言って「建白書」にサインを求めたと暴露しました。(現物写真は欄外参照)

「2 石垣市長の中山義隆は普天間基地の移設について、原則、県外の移設を理想とするものの、普天間基地の早期移設と周辺住民の危険性の除去を最優先と考えており、県内移設の選択肢を否定するものではない

そう、なんと翁長氏は「県内移設の選択肢を否定」してはいないのです! 

これと同じ確認書は他の首長とも交わしており、翁長氏が辺野古移設に反対しておらず、「辺野古もありえるよ。だからサインして」と県内首長を回ったことがわかってしまいました。

翁長氏は移設反対などとは言わずにサインをさせた建白書を使い回して、まるで選挙の公約のようにかかげていたわけです。 まるで詐欺。「オール沖縄シロサギ」です。

この「原則県外・県内移設も否定しない」という立場こそ、仲井真氏の立場そのものです。そしてそれを真っ向からまるで公約違反のように批判した人物こそ、他ならぬ翁長氏だったのです。 

いかに翁長氏が二枚舌の人物かお分かりになったと思います。 

沖縄県民の皆さん、この確認書というとてつもない重要証拠は、今やネットではそこここでアップされているのにもかかわらず、沖縄タイムス、琉球新報や、テレビ、ラジオもただのひとことも報じていません。

なぜこのような重要な情報を報じないのでしょうか。県民の目と耳を塞いで投票所に行かせる所業です。 

そしてこんな詐欺師を県知事にしてはなりません。

 

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2014年11月11日 (火)

那覇軍港「新基地」建設を推進していた翁長市長

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(昨日からの続きです。今週は次の日曜日16日投票の沖縄県知事選について書いています)

翁長氏には知られたくない過去が沢山あります。そのひとつが「新基地」建設の推進でした。しかも自分のお膝元の那覇市でのことです。

那覇軍港は、市街地の中心にあって、発展する沖縄経済の心臓部である那覇市にとって、大きな障害物になっていました。※欄外参照

私も沖縄に住んでいた当時は那覇軍港の横を何度となく通ったものですが、市街地から58号線で北に向うとすぐに軍港が見え、そこに多くの軍用車両や野砲が並んでいるのをみると、やはり異様な印象を受けたものです。

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                     (写真 那覇港湾施設 沖縄県HP) 

また、住宅地や商用地域のある市街地にあるために狭く使いづらいという苦情が米国側からもあり、移転が計画されていました。

そして移転計画が持ち上がりましたが、実は那覇軍港自体は74年に返還されていましたが、返還条件にある県内の代替基地が見つからなかったのです。

候補地としてはホワイトビーチや、おなじみの辺野古も登場します。しかしこのふたつには軍港として致命的欠陥ありました。沖縄で南に向いた港は、台風の時期になると風と波が強すぎて運用できないのです。

そして結局、那覇市に隣接する浦添市の牧港補給基地へと着地しましたが、ここで現地の浦添市の強い反対に合いました。

まぁ、そりゃそうでしょう。今大きな補給施設がある上に「新基地」が移転されてはたまったもんじゃない、これは当然です。

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                  (写真 牧港補給地区 沖縄県HP)

それに対して政府は、那覇市と浦添市に軍港と補給施設は全面返還することを説明し、代替として新軍港と14ヘクタールの物資集積場を沖合に新たに作ることを提案しました。

これにより、今までの35ヘクタールから49ヘクタールに拡大しますが、それは沖合の埋め立て地なので、影響は少ないという説明です。

つまり、今国道58号の真横にデンとのさばっている牧港補給施設270ヘクタールは返還して、その替わり沖合に持っていきますよ、多少増えるけどご勘弁、ということです。

当然のこととして、迷惑料としての振興予算や民間港湾施設などの大規模整備もつけますよ、これが国の提案でした。

合意の流れとしては、98年に移設に積極的な稲嶺県知事が誕生し、2001年には振興策や港湾整備を条件にした儀間浦添市長が誕生し、移設作業は急速に進展しました。

さて、この構図、どこかで見ませんか?はい、そうでね、普天間の構図そのものです。辺野古がまたもや予定地にあげられたことも似ています。

那覇市は出ていってもらう恩恵側でしたので、あまり動向は目立ちませんでしたが、面白いのは首長が他ならぬ翁長雄志氏だったことです。

その時翁長氏はなんと言っていたのでしょう。大いに興味ある所です。

「決断に敬意を表する。今後、那覇港は県、那覇市、浦添市の三者が一体となって国際流通港湾として整備・管理することになる。振興発展を担う中核施設として整備されるように努力を重ねたい」(琉球新報01年11月13日)

おいおい、那覇軍港移設、今の翁長氏流にいえば「新基地」建設に彼は諸手をあげて賛成していたのです。

当時の翁長氏ならば、今の普天間移設をこう言って居直ったことでしょう。 先の翁長氏のコメントをパロってみます。

「普天間基地が移設されることで、宜野湾は那覇市、浦添市などと一体となった広域首都圏として整備・管理されることになる。普天間基地の跡地が振興発展の中核施設として整備されるように努力を重ねたい」 

私は冗談で書いているのではなく、まさにそのとおりで、普天間基地はよく言われるような周辺住民の航空災害だけの問題ではなく、那覇・浦添から膨張し続ける外縁都市の宜野湾市の真ん中にあります。 

構造は同一で違うのは、那覇軍港より普天間基地のほうが危険性が高く、撤去した場合のメリットが高いという点だけです。

今翁長氏が大反対している普天間基地移設は、辺野古に3分の1に縮小して移転するので基地は減りこそすれ、増えるわけではありません。 

●[普天間基地と辺野古新規増設の面積比較
・普天間基地面積    ・・・480h
・辺野古新規建設部分 ・・・160h
 

辺野古だけで320hも基地面積は減少することになります。これが那覇軍港のように 14ヘクタール増加するのと決定的に違う点です。

翁長氏は当時、那覇軍港閉鎖と移転阻止が絶対に並立しないと割り切っていたはずです。

その翁長氏が今度は辺野古移設反対といっていますが、お膝元の基地がお隣へ引っ越すことには大賛成で、普天間から引っ越すことには大反対というわけです。なんてご都合主義で、二枚舌な人なことよ!

那覇市長としてかつて那覇軍港移設を積極推進したことを、どれだけの沖縄県民が知っているでしょうか。  

               :;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

■沖縄県HP

※那覇港湾施設(那覇軍港)
県都那覇市の玄関口に位置する那覇港湾施設は、那覇港の一部を成し、那覇空港にも近いことから、産業振興の適地として極めて開発効果の高い地域です。また、ホワイト・ビーチ地区に次ぐ大きな軍港です。
同施設は、昭和49年1月の第15回日米安全保障協議委員会で、移設条件付きの全部返還が合意されながら、合意から25年以上経過した現在でも返還は実現していません。なお、移設先として、浦添市が平成13年11月に受け入れを表明したことにより、現在、移設作業が進められているところです。
http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/kichitai/1228.html

※牧港補給地区
牧港補給地区は、浦添市の国道58号から西側の海岸までの南北3km、東西1kmに及ぶ広大な兵站補給基地です。同施設は那覇新港や卸売商業団地が所在する西海岸と国道58号に囲まれ、中南部の要路に位置するなど、地元浦添市をはじめ本県の振興開発にとって重要な空間を占めています。
なお、平成8年12月のSACO最終報告により、返還に伴い影響を受ける施設を残余の施設内に移設することを条件に約3ヘクタールの返還が示され、日米間で合意されています。また、平成25年8月31日には、北側進入路約1ヘクタールが返還されています。

http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/kichitai/1225.html

2014年11月10日 (月)

小沢一郎効果を求める翁長陣営

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沖縄県知事選は、朝日新聞と共同が沖縄タイムス、琉球新報との共同調査による予想では、翁長雄志那覇市長が、仲井真氏を引き離しているとのことです。

朝日、共同が選挙情勢調査
16日投開票の沖縄県知事選について、朝日と共同が7、8の両日に電話による世論調査を実施。朝日調査には地元紙の沖縄タイムスと琉球朝日放送が協力。
両調査によれば前那覇市長翁長雄志氏がリードし、無所属の現職仲井真弘多氏が追う展開となっている。共同によれば2割が投票先を決めておらず、情勢が変化する可能性もあるという。(朝日新聞11月9日)

なんともかとも、お気の毒な結果になるかもしれません。誰がって?もちろん沖縄革新陣営の皆さんが、です。 

書き間違いではありません。翁長氏が県知事になることによって最大の被害を被るのは、沖縄左翼です。 

それは翁長氏の口車に乗せられて、「彼のような老練な保守政治家ならば、辺野古と普天間移転という矛盾する命題をうまく解決してくれるだろう」という過剰な期待をもってしまったからです。 

ひと昔前に反原発派が小沢一郎氏に乗せられて、過大な期待をしたのと一緒の構図ですね。 

どういうわけか、革新陣営の皆さんはあのての海千山千のギトギトタイプの政治家に弱いらしい。

つまり、自分たちは政界の駆け引きに弱くて年中苦渋を飲んでいるので、やり手の保守政治家が突如「良心」に目覚めて寝返ってくれて、自陣にくれば鬼に金棒だという気分なんでしょう。

小沢氏がその政治力で国会多数派になれば一挙に脱原発が実現する、という類の幻想です。

わけはないでしょうが。小沢氏や翁長氏みたいな古ダヌキが、突然改心して「いい人」になるわけがありません。当然下心はあります。 

小沢氏の目的は、民主党から追い出されて落ち目の三度笠だったから反転攻勢に打って出たいというのが下心でしたし、政治的幼児にすぎない嘉田知事をおだてるだけおだて上げて、「未来の党」の看板だけ頂戴して、それが失敗するやいなやポイ捨てにしました。

後に嘉田氏は、「小沢氏グループは政策論議には無関心だった。選挙の話しかしなかった」とこぼしていますが、当然です。

小沢氏には嘉田氏グループの青臭い政策論議などどうでもよかったのであって、「脱原発」の看板さえもらえれば、後は彼女たちには用はなかったのです。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-9.html

今でも小沢氏に対して根強いシンパシーが、ネット界の一部には残っているのをみると、まだ懲りない人も多いようです。

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(写真 2012年12月28日 衆院選惨敗するや成田離婚したお二人。熱愛から一転、もう顔も見たくない関係に)

おそらく今回翁長氏が県知事になったら、真っ先に切り捨てられるのは革新陣営のはずです。

翁長氏が欲しいのは、「オール沖縄」の金看板と、革新陣営の集票能力だけで、それは県知事になればうっとおしいだけのものになります。

さて、どうも本質的な部分で大きな誤解があるようですが、沖縄革新陣営の皆さんは辺野古に政府が「新基地」を作りたくて作りたくてたまらないと勘違いされていませんか。 

今回の辺野古移設の目的は普天間の危険除去にあるというのは誰の目に明らかなのに、そこを認めたくない余りに、米軍と日本政府が移設をしたくてムンムンだと勘違いしています。

残念ですが、違います。米軍などに至っては、辺野古への移設などむしろやりたくないでしょう。

どこに今いる場所が気に入っているのに、より狭くてより不便になるのが分かりきっているのに喜ぶバカがいるはずがありません。

第一、相手の事情など知ったことではない革新陣営の人には分かりにくいでしょうが、実戦基地を作戦機能を保全したまま移動するというのは至難のわざなのです。

まして今や、「辺野古新基地阻止」を合い言葉に、今やまるで反米闘争のシンボルにまでなってしまっています。安定した基地環境を求める米国からすれば、たまったもんじゃありません。 

そもそも17年前に、橋本ポマードが、「あまりに危険なので、むりは承知ですが、そこをなんとか代替地は見つけますから、お立ち退きを」と平身低頭したので、しかたなく、「ならば代替基地みつけてくれたらといいよ」というのが、辺野古「新基地」移転の発端です。

ですから、あれは米国のいわば「好意」なのであって、「もっと米軍基地作って沖縄差別してやるゾ」という悪意ではありません。 

それが県内の利害が入り乱れた挙げ句、なんと14年もかかってしまいました。

待っている間に言い出しっぺの橋本氏は死んでしまい、重荷だけが残りました。やっと県-市-現地のガラス細工のような合意が完成したと思ったら、今度はハトのチャブ台返しに合って一気に元の木阿弥。

このように政府にとっても、作らねば普天間基地周辺の安全が心配だし、移転先を作れば作ったで今度は「新基地反対」と言われるという、どっちに転んでもフテンマは鬼門なのです。

それを、「沖縄の民意に逆らうのか」とばかりに反対された上に、巨額な建設費だけではなく、振興予算までむしり取られ、それでなくても尖閣警備で日本一忙しい海保11管区を張り付けておかねばなりません。

お察しくだされ。こんな馬鹿なものはないのですよ。だから政府や米国にとって、辺野古「新基地」建設など、うまい理由があったら止めたいのが本心でもあるのです。 

となると、そこにうってつけのように現れたのが翁長氏です。 

翁長氏は、自民党の県連幹事長をしていたような人物です。当然、バリバリのリアリストです。彼は朝日新聞とのインタビューでこう言っています。

「革新勢力は、全身全霊を運動に費やせば満足できる。でも政治は結果だ。嫌だ嫌だで押し切られちゃったではすまない」

そんな「政治は結果だ」というのは、端的に政府からどれだけの譲歩を引き出せるのかという意味です。まさに翁長氏が自らを「根っからの保守政治家」と呼ぶのはこのあたりです。

政府からの譲歩を勝ち得るとは、ひとつは、基地移転の方法について、今ひとつはゼニです。

前者は、たとえばかつてはどこまでに普天間基地を運用停止にするのかという年限でしたし、後者は振興予算の上積みです。

ところがこれらはすべて、かつて翁長氏自身が選対委員長をしていた仲井真知事がやり尽くしてしまいました。

粘り強いタフネゴシエーターである仲井真氏は、安倍政権になって運用停止は5年先、振興予算の上積みも勝ち得ています。日米地位協定すら協議対象になるという進展もありました。

もうこれ以上、新知事がやることはないのです。あるとすれば、そう、今翁長氏が主張するような移転完全阻止という空論だけしか残っていないのです。

ただし、交渉というのは相互の譲歩の上に成り立つものですが、今回翁長氏は移転容認という最大のカードをみずから捨ててしまいました

つまり彼には「オール沖縄の総意」というはなはだ危うい金看板だけを頼りにして、本土政府と交渉せねばならなくなります。

翁長氏が知事になっただけで、革新の皆さんのように簡単に普天間が閉鎖されて、しかも同時に辺野古移設が阻止されるなんて妙案をひねり出せるでしょうか。

翁長氏がほんとうに「政治は結果だ」と考えているなら、この両者は並立しないと見極めているはずです。それは架空の話ではなく、一度彼自身が那覇市長として経験済みだからです。

それについては次回に。

※翁長市長関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-3e28-1.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-f0e0.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-042b.html

2014年11月 8日 (土)

週末写真館 垂れ込めた雲がかかる湖の夕暮れ

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霞ヶ浦の土浦側はヨットハーバーなどがあって、休日は釣りやヨットを楽しむ市民でにぎやかです。3枚目、6枚目がそうです。左端の帽子をかぶった人物は釣りをしているんですね。

一方、私の住む玉造側は展望塔などもあるものの、基本は漁師の港。早朝には仕掛けや養殖に向う漁船が波を蹴立てています。はっきり見えないかもしれませんが、4枚目はハクチョウのご一家です。

例によってクリックしていただくと大きくなります。

                         ~~~~~~~

エボラ疑似患者が二人でました。疑い段階では、男性のほうはリベリアから帰宅して発熱が出て、近所の診療所に行ってその後に一次行方不明になりました。

やってはいけないことをふたつしています。

ひとつはリベリアからの帰国と38度の高熱というエボラを疑い得る条件がふたつあったのなら、その場で隔離措置を取るべきでした。それをいったん帰宅させています。

血液などは感染研に送ったようですが、ここで隔離措置を疑い患者に対してとれないという法の盲点が明らかになりました。早急に疑似患者に対して隔離措置が講じれる法整備を進めるべきです。

この法の中には、その場合に個人情報は開示されるという一項が絶対に必須です。さもないと感染者の経路情報がわからなくなり、2次感染者を同定できません。米国のような訴訟社会ですら、患者の実名や立ち回り先などを直ちに開示しています。

次に、一時的に疑似患者と連絡不能という事態を引き起こしたことです。ありえないことです。

医師は男性に血液検査の結果が出るまでに、自宅待機して絶対に移動しないことを厳しく命じるべきでした。そしてこれはその家族に対しても同様にもきつく言うべきでした。

このようなことはこれからもたびたび起きるでしょう。

それは空港などの、「さぁ来い、ストライクゾーン」で起きるのではなく、地方空港や町中の小さな医院で突然に起きるかもしれません。

その場合、まだ下痢、嘔吐が伴わない場合、医師はほぼ確実に風邪かインフルエンザを疑うでしょう。今回の男性も咽喉炎と診断されました。ここがエボラの怖い所なのです。初期症状は風邪と酷似しているのです。

今後、厚労省や各地の医師会は医師に患者の渡航歴を聞くように指導すべきでしょう。

※追記 男性は陰性でした。(午後12時)
女性も陰性でした。ほっとしました。(午後4時30分)

毎日新聞 11月8日(土)1時8分配信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141108-00000006-mai-soci

2014年11月 7日 (金)

二代目大江健三郎になりたい村上春樹氏の老耄

029
村上春樹氏は毎日新聞とのインタビューでこう述べたそうです。゛ 

「(日本が起こした戦争に)中国人も韓国人も怒っているが、日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思う」と付け加えた。
福島原発事故にしても「誰が加害者であるかということが真剣には追及されていない」と指摘した。村上春樹は「加害者と被害者が入り乱れているということはあるが、このままでいけば『地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった』みたいなことで収まってしまいかねない

(ピースソロフィより引用)
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/11/author-murakami-haruki-criticizes.html

またこうも言っているようです。

「僕らの世代は60年代後半に、世界は良くなっていくはずだというある種の理想主義を持っていた」「ところが、今の若い人は世界が良くなるなどとは思わない、むしろ悪くなるだろうと思っている」 

私は村上氏のいい読者ではありませんし、正直彼の代表作の『ノルウェイの森』など、私の青春時代が時代背景なのですが、どこが面白いのかと思った記憶があります。 

村上氏は、父親の世代に当たる戦争世代を「(自分の)加害者であることを追及していない」と切り捨てる一方、自分の息子たちの世代には「世界が良くなると思っていない」と同情するポーズの影で、その無気力ぶりを笑っています。

で、自分たちの世代ときたら、「60年代後半に、世界は良くなっていくはずだというある種の理想主義を持っていた」と手放しのご様子ですから、なぁ~に言ってんだか。いい気なもんです。

私は彼より3歳下の世代ですが、彼のようなわゆる「全共闘世代」と呼ばれる人たちにはこういう人が今なお多く生息していているようです。

村上氏がノーベル文学賞万年候補だから、深遠なことを言っていると勘違いしがちですが、なんのことはないただの世代自慢です。

村上氏は当時、大学7年生でジャズ喫茶の店主をしており、70年安保闘争に深く関わったという話は聞きません。

当時のジャズ喫茶は、政治的にも文化的にも先端的だと自認する青年のたまり場でしたから、彼もその空気の中に生きていたのでしょう。

実際の運動には関われば心身ともに傷だらけになるものですが、たまり場のマスターとは、まさにうってつけのスタンスだといえるでしょう。

泥をかぶらず、時代の尖った気分だけは頂くといういかにも彼らしいスマートな身の処しかただったのかもしれません。

したがって、何も傷つかなかったのでは時代についての洞察は生れようがありません。

彼にかかると、まるで当時の学園紛争時の闘士たちは、「世界はよくなっていくはずだ」などという幼稚な幻想をもった理想主義者の一群だったように描かれています。

失礼ながら、この部分を読んだ時に私は爆笑しました。 

彼には永遠に、なぜ当時の学生「理想主義者」たちが自由から逃走し、リーダーの命令の下にリンチと虐殺を繰り返したのかわからないことでしょう。

そしてその「理想主義者」たちが学園を舞台に繰り広げた戦争ゴッコのために、百人を超える死者と自殺者、植物人間が出たことなどにはさっぱり視野に入らないようです。

あの時代を経験したひとりとして、当時の狂気の闇についてなにひとつ触れないで、当時をノスタルジックに美化して、今の若者たちに説教を垂れるのは醜い老耄だと申し上げておきます。

さて、村上氏は今まで政治的発言をしないことが美徳でした。

終わった役者が反原発や、ノコノコと沖縄まで行ってしょーもないことをしゃべってきたり、いつまでたっても「防大生はボクたちの世代の恥」といったレベルから抜けきれないノーベル賞作家などが晩節を汚しているを眺めていると、村上氏の禁欲は評価できるものでした。

しかし、とうとうシッポが出てしまいましたね。作家という存在は、小説という虚構世界の中でいかに矛盾に満ちた現実を構造化するかが仕事で、グチャグチャとつまらない講釈を垂れるのが仕事ではありません。

えてして作家はエッセイやインタビューで馬脚を現すと言われていますが、村上氏もそうだったようです。

なぜかといえば、小説世界では隠されていた作家の、あんがい俗っぽい社会観や政治的傾向がモロに暴露されてしまうからです。

今回の村上氏のように、「な~んだハルキちゃんはやっぱり朝日新聞と一緒の9条万歳・反原発派ですか」で終わりになってしまえば、それは作家として得なことではありませんものね。

しかしどうも、村上氏は大江健三郎氏を模倣することで、少しでもノーベル賞に近づきたいようです。

まぁ、あながち皮肉ではなく、ノーベル賞文学賞の選考基準には「社会の進歩に貢献した」みたいな一項があるようなので、この線ねらいなのかもしれませんね。

                                           (続く)

2014年11月 6日 (木)

放射能ゼロリスク論とウィルス・ゼロリスク論

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なぜか一回の疑似患者が陰性だっただけで、わが国の政府もマスコミももうエボラウイルスに関心を失くしてしまったようです。

別にシニカルになる気はありませんが、わが国は悲劇が爆発しない限り、不吉なことを考えてはならないという黙約でもあるようです。

政治家の無知、政府機関の日和見という風景は、かつて福島事故でも見た記憶があります。

ではそれを批判し続けてきたはずの反原発運動はどうだったでしょうか。

私は原発安全神話と、反原発運動が主張するゼロリスク論は双子の神だと考えています。

一見真逆にみえますが、反原発運動と原子力村は同じ根っこから生えた二本の奇妙な樹のようなものです。

一方は「少しのリスクがあってもならない」と要求し、一方は「事故は起こるはずがない」と言っていますが、両極のように見えて一緒です。ちょうど一本の紐を丸めると両端がつくようなものだと思えばいいでしょう。

反対運動が、完全なゼロリスクを求めて運動したために、それを受ける側もまた「安全です」と言わざるを得なくなるというバラドックスが生じたのです。 

工学系の集団である原発関係者にとって、そもそもリスクはあって当然であり、それをさまざまな対処によって最小限リスクに押しとどめるという発想を取ります。

しかし50年間の長きに渡って「ゼロリスクでなければダメだ」という反対運動を全国で起され続けた結果、「安全神話」という偽造の神を作ってしまったわけです。

「ゼロリスク論」は、津波だろうと、地震だろうと、人為的ミスであろうと、初めから「危険性が万が一でもある」からダメなのです。

よく彼らは、「原因が分かっていない」とか「地震や津波のせいにして責任回避をしている」などといいますが、(明日書く村上春樹氏もそう言っていますが)、「初めから危ないと決まっているのだから、原因究明など必要ない」」と正直に言ったらどうなのです。

「ダメだからダメ」という全否定の考え方に立つ限り、現実に原子炉を運営する立場の人たちとは「会話」が成立しません

するとどうなるかと言えば、原発を動かす現実の世界に住む電力会社の側は、「絶対に安全です」と言い続けることになります。

そのあたりの雰囲気を示すエピソードがあります。

1999年9月30日の茨城県東海村JCOの臨界事故では、、作業員のミスによって死亡者2名、重症者1名を出す大事故でした。

JCOは住宅地にありながら、周辺に安定ヨウ素剤を配布していないことが後日の調査でわかります。

後に来日したフランスの原子力関係者が、わが国の関係者にこのことを問うと、このように答えたそうです。

「とんでもない。日本で(事故の可能性を少しでも示すような)そんなことをしたら原発は一基もできません。事故ゼロと言って周辺住民を説得し、納得してもらっているのだから」。

このフランス人原子力技術者がのけぞったのは言うまでもありません。これで分るのは、わが国には原子力の危機管理そのものが完全に意識もろともなかったという衝撃的事実です。 

日本原子力技術協会の前最高顧問石川迪夫氏がこんな話を述べています。 

1992年、IAEA(国際原子力機関)で原子力事故に備えて指針を改定し避難経路を策定すべきという提案があった時、それを持ち帰った石川氏に対して日本の原子力関係者の反応はこうでした。

そんな弱気でどうする。原子力屋なら絶対に放射能が出ない原子炉を作れ。」

とりようによっては強い安全への決意と取れないではありませんが、石川氏自身も認めるように゛日本において「安全」という言葉の影に隠れて「万が一に備える」という視点がすっぽりと抜け落ちていたのです。

これが日本の「原子力村」の「空気」でした。これは「事故を想定するだけでも事故になるという言霊信仰である「原発安全神話」につながっていきます。

原子力事故が起きたらどうするか綿密に積み重ねて初めてその先に「安全」があるのであって、あらかじめ「原発は事故を起こすはずがない」では個別具体の安全性対策が進化していくはずもありません。 

これとそっくりな構造は日本社会の各所にありますが、今回のエボラではしなくも感染症についてもそうであったことが暴露されました。

反対派はP4レベルのウイルスが漏れだすようなテロとか地震を想定して、ゼロリスクを主張しています。そこまではいいでしょう。そのリスクはありえます。

ならば、どうしたら防げるのか、どうしたら安全に運転できるのか、万が一の時、周辺住民はどう対処したらいいのか、という次のステップに進まねばなりません。

原子力施設周辺地域の避難訓練や安定ヨウ素剤の事前配布が必要なこととまったく同じです。

しかし、P4反対派は「持ち込むな」の一点張りで、そこから一歩も出てきません。安保がどうだ、原発がどうしたと関係ないことを並べたてますが、肝心のBSL-4ラボがどうして今の日本に必要かとは微塵も考えません。

どうしてそこで止まって反対だけで終始するのか、私には理解できません。俗に言う「反対のための反対」、反対運動することこそが至上目的な党派的政治運動にしか見えないのです。

さらに罪が深いのが厚労省と感染症研です。「リスクはある」というあたりまえの前提に立って、こうしたら防げるという方法の議論を責任もって積み重ねるべきでした。

感染症は米国においては、国防事案です。米CDC(感染症対策センター)がそもそもそうであり、おそらく前面には出ないものの連邦軍の対バイオテログループは秘かに活動しているはずです。

エボラのような事態に対しては、厚労省だけではなく、国の各機関が総力を挙げて対処すべきことで、それは何も事が起きてからだけではなく、それへの備えを平時から準備しておくべきなです。

対処する能力も技術も人材も、そして既にBSL-4施設さえ2ツもありながら、何を恐れてか決断できない国、それがわが国です。

日本人は、子供の頃から教師に「授業の前に予習をしておきなさい」と教えられます。

しかし、なぜかもっとも不吉なこと、それも差し迫った危機については「予習」をしようとしません。エボラウイルスが、どこの空港に来るのか、いつも成田だと決まったわけでもなかろうに、それを予測しようとはしません。

もし、疑似患者が上海から高松空港に降りていたら、あるいは、陽性だったら、そんなことは考えないのです。そしていつまでもウチワと観劇旅行で大騒ぎしているバカ政治家と俗悪マスコミたち。

うんざりです。官僚たちの不作為を糺すのが政治家の仕事なはずでしょうに。

思わざる長い連載になりましたエボラ問題ですが、なにか新しい事態が起きない限り、今回でいったん終了します。ふ~、くたびれたぁ(笑)。

おっと、最後にエボラの研究者として有名な長崎大学安田二朗熱帯医学研究所教授のアドバイスをご紹介しておきましょう。

エボラは空気感染せず、体液に触れねば感染しません。、汗にまで出てくるのは末期です。その前に本人が気づきます」
「もし感染が疑われた場合にやってはいけないことは、町医者に行くことです。自身で疑いをもっている場合には保健所に連絡しましょう。町医者で嘔吐などするとパニックが起きますし、実際に医者や医療従事者を危険にさらします」
性行為は感染のリスクがあるのでもってのほかです。家で嘔吐した場合、家族であっても吐瀉物にふれてはなりません。保健所に処理してもらいましょう」

■写真 なにかと思われるかもしれませんが、土浦の結婚式場です(笑)。横にメガネチェーン店のとんがり屋根があるので、まるで外国。

 

2014年11月 5日 (水)

アジア最大のエボラウイルスの温床・中国底辺労働者層

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日本にとってエボラウイルスの最大の侵入脅威は西アフリカではありません。中国です。

今年9月以降中国では実に多種多様のトリインフルエンザが発生しています。その種類たるや、H5N1、H5N2、H5N3、H5N6、H5N8とないものはない、まるで伝染病の博物館です。 

家畜の防疫関係者は常に中国を「伝染病の暗黒大陸」と見てきました。それは、実態がわからないからです。 

遅れた防疫医療体制の上に、業者や市民の法(あったらの話ですが)を無視した無秩序が重なって、どこでなにが起きているのか、当局ですら把握していないのではないかと思わせることが度々起きたからです。 

そしてあの国特有の、国と共産党にとって不名誉なことは一切蓋をするといったお定まりの情報統制です。 

さて、私は現時点で、中国においてエボラ出血熱は発生していると思っています。それは中国という国自体が巨大な伝染病の温床だからです。  

まず第1に、前回に見たようにアフリカにどこの国より介入しています。アフリカに渡った出稼ぎ労働者の数は、最低でも80万人、おそらく100万人を越えているでしょう。  

これだけの出稼ぎ労働者がアフリカと関わりを持って往来する国は、世界にも稀です。しかも、移民ではないので、年に数回帰国します。

彼らがエボラウイルスを持ち込まないという保証はなにひとつありません。  

そしてアフリカ人もまた広州を中心にして数千人から1万人入国しています。彼らの中には不法入国者も沢山いて、闇の底辺労働者となっています。  

これらの膨大な統計に出てこない闇労働者たちには、国家による医療が与えられていません 

Photo_3

(写真 移動する民工の群れ。彼らの大部分は地方出身者。毎年、春節の後に感染症か流行するのは、このような数千万という闇労働者の伝播によるといわれている。もちろん実態は不明)

闇労働者の代表的存在の民工は、農村籍しかないので出身の農村で医療を受けるしかありませんが、そもそも農村部は医療が大幅に都市より遅れている上に、帰るキップ゚代が半年分の収入なので、もぐりの医院に診てもらうしかないのです。   

この民工はまだしも中国国籍を持っていますが、アフリカ人はそれすらない最底辺の労働者たちです。  

このような底辺労働者が行くのは闇のもぐり医者です。ロイター(2013年3月27日)はこう書いています。

「中国政府が医療制度の改革を掲げる中、闇診療所は相変わらず繁盛している。北京の街の片隅、裸電球一つの粗末な「部屋」は出稼ぎ労働者である張雪方(ジャン・シュエファン)さんからすれば「一番いい病院」である。環球時報(電子版)が伝えた。
北京市民ではない張さんは市内の公立病院でもっと安い治療も受けることができず、遠く離れた故郷の医療補助金を受け取ることもかなわない。病気になった時には、北京に暮らす数百万人の出稼ぎ労働者同様、不衛生で無秩序な「闇診療所」に頼るしかないのだ」
  

このような医療に見捨てられた人々は、中国において2億3千万人潜在すると言われています。もちろん公式統計はありません。  

北京市政府の公式データによると、2010年以降、約1000カ所に上る闇診療所を閉鎖してきたが、多くは閉鎖から数日後には営業を再開しているという」(ロイター同)  

この2億3千万人の医療を受けられない底辺労働者層こそが、いまなお終結していない新型トリインフルやエボラ出血熱の火薬庫なのです。  

この階層を調査することなく、病院に入ることができる裕福な特権階層だけを調べて「ヒト・ヒト感染が確認できない」と言っているのが、今の中国当局と中国のエージェントであるマーガレット・チャン率いるWHOです。  

真に恐ろしいのは、この地下に潜っている悲惨な農民と民工階層なのです。この当局が公表しない彼らを見ないでエボラ出血熱を語るべきではありません 

エボラ出血熱の感染者数や死亡者数が、当局発表がゼロの場合は10人、10人発生と言う場合は100人、100人なら千人以上が感染していると見るべきなのです。 

中国政府は国の威信をかけた11月のAPECまで、外国マスコミの前で血を吹き出して死ぬような人が街路にころがることでもないかぎり、「知らぬ存ぜぬ、出てはおらぬ」を通し続けることでしょう。 

このような感染症の潜在的火薬庫を真横に置いているのがわが国のいわば宿命だと言うことを抜きにして、日本のエボラ対策を立てるべきではないのです。

 

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■10月30日 東京 AFP 

 

アフリカで働く中国人が急増していることと、中国国内の感染症対策が不十分であることから、中国はエボラ出血熱の流行に「ぜい弱」であるとの見解を、エボラウイルスの共同発見者のピーター・ピオット(Peter Piot)氏が30日、語った。

ベルギー生まれの微生物学者ピオット氏はまた、空港でのスクリーニング検査はほぼ効果がないことが、過去のウイルスの流行の経験から分かっていると指摘し、世界保健機関(World Health Organization、WHO)の最初の対応が「遅かった」との批判を改めて述べた。

中国はアフリカ諸国の最大の貿易相手国で、中国当局は近年、世界第2の自国の経済を支える資源を求めて、アフリカのさまざまな地域へと外交を広げていた。

「数万人規模の中国人が今、アフリカにいる」とピオット氏は都内で開かれたエボラ熱に関するセミナーで語った。また同氏は「だからそのうちの1人が中国に帰国するのは不可能ではない。そのことのほうが、アフリカ人が中国入りすることよりも、私は懸念している」と述べ、さらに、中国の公共病院の治療の質も懸念材料だと付け加えた。

「人が旅行するのを本当に阻止することはできない。だから感染者は世界中のどこの国にでも現れうる。だが私は中国が非常にぜい弱だと思った」とピオット氏は語った。(AFP)

中国でエボラ出血熱が流行すれば、地理的に近い日本や韓国は深刻な影響を受ける。ピーター・ピオット氏の指摘は他人事ではない。

2014年11月 4日 (火)

最悪シナリオを考えようとしない日本

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(前回からの続きです)  

日本のエボラ対策を見ると、日本という国と社会の持つ弱点があぶり出されて来るような気がします。それは最悪シナリオをあえて想定からはずす「悪しき癖」です。体質といってもいいかもしれません。 

たとえばよく自治体は消防訓練をやりますね。あらかじめどこで火災が発生して、どう拡がってということまで予定表には書き込んであります。 

しかし、現実はそんな予定表なんか知ったことではないので(←あたりまえだ)想定にはなかった場所から火が出て、思わぬ風に吹かれて、とんでもない方向へ拡がっていくものです。 

だから、防災とか防疫といった危機管理を本気で考える場合には、いちばん悪い想定をします。 

福島事故の時に支援に入った米国NRC(米原子力規制委員会)に驚かれたのは、日本の原発に全電源喪失という最悪シナリオがなかったことです。

もちろんいくら平和ボケの日本でも、原発事故やテロの訓練はしていたのです。 

しかしそれは2010年APECの時の訓練のように、「成田空港に外国から放射性物質が大量に持ち込まれたという想定は止めて下さい」と釘を押され、セシウム検出訓練もできず、ただ救急車がサイレンを鳴らして走り回るだけのものでした。

あるいは、新潟県のように、原発テロを「想定」しておきながら、県から「被曝者が出たという想定は止めて下さい」、「安定ヨウ素剤は配布しないで下さい」といった現実離れしたものでした。 

日本は、このように原発のセキュリティ(保安)が、セイフティ(安全)の強化につながるという思考が大きく欠落していたのです。

自衛隊や警察のテロ警備担当者からすれば、核テロ対策をしておけば、福島第1原発事故はまったく違った対処があったのにという苦い思いが残りました。

船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』によれば、1990年代から2000年代初めに核テロ問題を手がけた防衛省高官はこう述べています。

「東京電力に対して、原発が止まって、電源が切れた時にはどうするのかということで、何回も訓練をしようという話を持ちかけたように理解している。それに対して、規制官庁サイドがそんなことをやったら大変だということで出来なかった、という部分がある。」

ここでいう「規制官庁」とは、原発事故の司令塔にならねばならなかった、そして悲惨なまでの無能ぶりをさらけ出して解体されたあの原子力安全・保安院を指します。 

そしてこれらの減災対策は、「官僚制度の縦割り構造と、リスク回避のメンタリティが壁となって、脅威への準備ができていない」(シェファー米駐日大使が本国に出した報告書)現状のまま、我が国は3.11当日を迎えてしまうことになります。

最悪シナリオが練られたのは、なんと事故後のことです。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-15e5.html 

では、今回のエボラ出血熱はどうでしょうか。最悪シナリオは考えられているのでしょうか。とりあえず、バイオ・テロは想定からはずしました。今の日本にはとてもじゃないか、対応はまったく不可能だからです。

たとえばこんなシミュレーションも可能です。それは潜伏期だったために空港のサーモグラフィをすり抜けて、自宅で発症するケースです。  

実はこのケースこそが、ダラスで起きた最初の患者のケースです。最悪シナリオがこれです。日本に置き換えてみましょう。

たとえば、あるツアーに参加した旅行者が経由地で感染し、潜伏期間中に空港を通過したとします。なにせエボラウイルスの潜伏期間は最長21日間もあリ、発熱などの症状は出ません

そして自宅に帰って発熱しますが、勤勉なわが民族は38度くらいの熱なら売薬で乗り切って、職場や学校に行くかもしれません。ただしこの発熱ていどでは感染はしないと言われています。

しかし、その間にどんどん症状は悪化し、とうとう下痢や嘔吐が出ます。 

これでもなお、よもやエボラだとは思わないかもしれません。下痢や吐き気に出る風邪などよくありますからね。 

ここで病院に行くとします。渡航先を聞かれるかも知れませんが、当人は西アフリカの渡航はないわけですから、医師は解熱薬ていどの処方で帰宅させます。これも実際に米国の1号患者がそうでした。

数日後ウイスル量が激増し、さらに劇症になるはずです。そして慌てて病院に再来します。ここでやっとエボラの疑いかあると医師は気がつきます。そして大至急でPCR検査に廻します。   

はい、この段階まで日本は今回の疑似患者であるていど経験しました。

問題はそこからです。今回はPCR検査がシロだったのでよかったね、で済ましてしまいましたが、クロだった場合それを確定診断せねばなりません。

ほんとうにレベル4の重篤感染症が国内で発生したかどうかは、患者の体液、血液などの試料から、ウイルスを抽出・分離をしなければ断定できないからです。

これをしないと、患者の体内のウイルス量が測定できず、治療法が決定できないからです。

何度も書いてきましたが、日本にはそのようなレベル4に対応するBSL-4施設がありません。というかありますが、一部「市民の反対」で稼働できないのです。 

Img_3b58465d57b09948111c6337e7181da          (写真 国立感染症研究所村山庁舎のBSL-4ラボ内部 感染症研撮影)

法的ルールをクリアしようと、国民全体の健康問題がかかっていようと、ひと握りの人が反対すれば「近隣住民への配慮」で凍結してしまう、これがわが日本です。

何か起きなければ、人がひとりくらい死ななければ何も動かない、エボラが社会にたっぷりまき散らされた後に「緊急対策」を開始する、それがわが国なのです。

少なくとも国立感染症研は村山庁舎のBSL-4ラボを稼働させねば、クロ判定の場合どうにもならないことを知っているはずです。  

感染症研にお聞きしたい。あなた方はBSL-4ラボを稼働させる要求を政府にしたのでしょうか? 

もししていないのならば、「近隣住民」が騒いでまた一悶着が起きるのが怖くて沈黙していただけではありませんか。

感染症研が、かつての原子力安全・保安院のようでないことを祈ります。 

また政府はそれを認識していたのでしょうか。BSL-4ラボを動かそうとすれば野党に国会で追及されるから知っていても日和見を決め込んでいたのか、ほんとうにただの素人なのか、いずれかです。 

ほんの3年前の原発事故で私たちは、「最悪な事態は起きる」ということを学んだはずです。にもかかわらず、もう喉元過ぎれば熱さを忘れたのでしょうか。

そろそろ止めたいのですが、もう一回続けます。

■写真 霞ヶ浦湖畔から筑波山を見る。遠くのツインピークスが筑波山です。天狗党が挙兵したパワースポットです。

2014年11月 3日 (月)

何か悲劇が起きるまで何もしない国日本

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エボラのことを考えて3週間めになります。そろそろオシマイにしようと思いながら、エボラをきっかけにして考えてしまうことが沢山でてきました。

今回の疑似患者がたまたま幸運にもシロ(陰性)で、空港近隣に感染症指定病院があったという二重の幸運があったので、マスコミは既にエボラなど日本に入って来る「はずがない」といういつも通りの日本的安逸の空気に戻ってしまいました。

わが国は残念ですが、「何かが起きるまで、何もしない生ぬるい国」のようです。

10月28日に決まった政府のエボラに対する当面の指針です。

「政府は28日午前、エボラ出血熱対策に関する関係閣僚会議の初会合を首相官邸で開いた。安倍晋三首相は「国際的に憂慮すべき事態だ。検疫などの水際対策を含め、事前の備えが重要と改めて認識した」と強調。各閣僚に▽各省庁の緊密な連携▽迅速な初動検査と2次感染防止▽国民への情報提供−−などに全力を挙げるよう指示した。
菅義偉官房長官は初会合後の記者会見で、内閣官房に「エボラ出血熱対策室」、官邸の危機管理センターに各省庁との情報連絡室をそれぞれ設置したと発表した」
(毎日新聞10月28日)

ひとことで要約すれば「対策室」と「情報連絡室」を官邸に作るというだけです。他になにも新しい対策はありません。

もちろん私が唱えてきたBSL-4ラボの稼働については、一顧だにされた様子はありません。

正直、民主党政権時なら特に驚かなかったのですが、安倍政権になってもう少しましになったのかと思っていました。

たまたま最初の感染疑いを持たれた人がシロ(陰性)だったからよかったものの、あれがクロ(陽性)で、しかも実は発熱だけではなく下痢などの症状も出始めていたのを隠していたら・・・、ぞっとする想像です。

エボラ出血熱は危険性に応じて4段階あるリスクの最高段階のレベル4です。それはこのように規定されています。

ヒトあるいは動物に重篤な病気を起こし、容易にヒトからヒトへの直接・間接感染を起こす。有効な治療法、予防法は普通得られない種類」(Wikipedia)

このような患者を入院させることができるのは、ただひとつの病院しかありません。特定感染症指定医療機関(3医療機関)の8床と、第一種感染症指定医療機関(44医療機関)の84床だけです。 ※http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou15/02-02.html

「92床もあるじゃないか、92人出ても大丈夫だよな」などと考える人はさすがいないと思いますが、もちろん勘違いです。

これは北海道から沖縄にまで全国に散らばっていますから、首都圏で当面の間隔離できるのは両手の指の数ていどになります。成田や東京周辺では以下の11床です。

・成田赤十字病院(千葉)             ・・・1床
・埼玉医科大学病院(埼玉)            ・・・2床
・都立駒込病院(東京)               ・・・2床
・東京都保健医療後者荏原病院(東京)    ・・・2床
・横浜市立市民病院(神奈川)            ・・・2床
・JAとりで総合医療センター(茨城)       ・・・2床

今回疑いを感染持たれた患者が収容された、成田空港のそばにある成田赤十字病院の隔離キャパはたった3床です。

日本の表玄関の成田ですらたった3床!失笑するようなお寒い状況です。

もし、患者が陽性だった場合どうしたのでしょう。不運にもその飛行機に乗り合わした同乗者全員は、感染していないことが確認されるまで隔離されねばなりません。

現代の旅客機は200人から500人が搭乗しますが、原則としてこれら数百人の人達は潜伏期終了まで隔離される必要があります。盲腸など非感染症患者と同部屋に入れますか?

これが国内に一歩たりともエボラウイルスを入れないという意味での水際作戦ですが、もちろんそんな施設はどこにもありません。

今厚労省が言っているサーモグラフィと渡航国の申告などていどで、「水際作戦」だなどと言っている厚労省の楽天家ぶりに驚きます。「気休め作戦」と名称変更したらどうですか。

今でもマスコミは、西アフリカに直行便がないなどと解説しているところがあります。 たしかに日本からは西アフリカ便はありませんが、たとえばドバイなどのハブ空港からトランジットで来日したらどうするつもりなのでしょうか。

あるいは今回の疑似患者のようにヨーロッパを経由したら。その間の接触はない、こう厚労省はあらかじめそう決めているようてす。

さらに、これがもし、国際便が出ている地方空港だったらどうしたのでしょうか。救急車に乗った経験がある方ならわかるはずです。

救急隊員は搬送先の病院を探して走り回ることになります。そしてお定まりのたらい回しです。

いきなり隔離病棟を増設しろと言っても予算がないでしょうから、とりあえず国が主導して空港や大都市圏での各病院での搬送ルールを決めて、直ちに患者が入院できるような仕組みを整えるべきです。

このていたらくを見ると、まるで原発安全神話です。「不吉なことを言うと本当に実現してしまうから、言わないようにしよう。検討するだけでも、国内に不安の種をばら蒔くからダメだ」という言霊信仰です。 

原発事故の時にそれが手厳しく批判されませんでしたか。原発関係者は、「原発が事故を起こすなどと言えば社会不安が拡がって反対派が活気づく。事故の起きないものを作れ」という言い方で、事故を想定しない体制を作ってしまいました。 

しかし原因がなんであれ、それは起きたわけです。同じことがエボラについても言えます。この原発の部分をエボラに置き換えると、今の厚労省と同じことになります。 

エボラが日本に入ってくると言えば、社会不安が拡がってBSL-4ラボ反対派が活気づく。水際作戦でエボラが入らないようにしろ 

長くなりましたので、次回に続けます。

2014年11月 1日 (土)

週末写真館 昔海だった湖

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岸辺から雄大な湖水面が拡がっているのが霞ヶ浦です。これは海の入り江ですと言われれば、はいそうですか、と思うようなのびのびとした景色か拡がっています。
おまけに空を飛ぶのがカモメときていますから、まったくの海の風情。

実際に霞ヶ浦は1万数千年前の縄文海進で、内陸に封じられた古代の海なのです。元来が海ですから、いまでも湖周辺には、ありがたがられることもなく貝塚が多く点在しています。8世紀に書かれたという常陸風土記には塩の生産のありさまや、海水魚の漁が描かれています。

1996年に25年もかけてコンクリート護岸と逆水門ができるまでの間は、うなぎやわかさぎ、シラウオと共に汽水魚であるスズキなどもよく釣れたと漁師さんが言っていました。

またかつてこの湖面は関東の重要な海運ルートでした。西の土浦から醤油や穀物などを運んだ舟が、東の潮来などに自由に行き交ったそうです。

好きだなぁ、霞ヶ浦。変わらないで欲しいと願います。

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