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2014年11月 6日 (木)

放射能ゼロリスク論とウィルス・ゼロリスク論

019
なぜか一回の疑似患者が陰性だっただけで、わが国の政府もマスコミももうエボラウイルスに関心を失くしてしまったようです。

別にシニカルになる気はありませんが、わが国は悲劇が爆発しない限り、不吉なことを考えてはならないという黙約でもあるようです。

政治家の無知、政府機関の日和見という風景は、かつて福島事故でも見た記憶があります。

ではそれを批判し続けてきたはずの反原発運動はどうだったでしょうか。

私は原発安全神話と、反原発運動が主張するゼロリスク論は双子の神だと考えています。

一見真逆にみえますが、反原発運動と原子力村は同じ根っこから生えた二本の奇妙な樹のようなものです。

一方は「少しのリスクがあってもならない」と要求し、一方は「事故は起こるはずがない」と言っていますが、両極のように見えて一緒です。ちょうど一本の紐を丸めると両端がつくようなものだと思えばいいでしょう。

反対運動が、完全なゼロリスクを求めて運動したために、それを受ける側もまた「安全です」と言わざるを得なくなるというバラドックスが生じたのです。 

工学系の集団である原発関係者にとって、そもそもリスクはあって当然であり、それをさまざまな対処によって最小限リスクに押しとどめるという発想を取ります。

しかし50年間の長きに渡って「ゼロリスクでなければダメだ」という反対運動を全国で起され続けた結果、「安全神話」という偽造の神を作ってしまったわけです。

「ゼロリスク論」は、津波だろうと、地震だろうと、人為的ミスであろうと、初めから「危険性が万が一でもある」からダメなのです。

よく彼らは、「原因が分かっていない」とか「地震や津波のせいにして責任回避をしている」などといいますが、(明日書く村上春樹氏もそう言っていますが)、「初めから危ないと決まっているのだから、原因究明など必要ない」」と正直に言ったらどうなのです。

「ダメだからダメ」という全否定の考え方に立つ限り、現実に原子炉を運営する立場の人たちとは「会話」が成立しません

するとどうなるかと言えば、原発を動かす現実の世界に住む電力会社の側は、「絶対に安全です」と言い続けることになります。

そのあたりの雰囲気を示すエピソードがあります。

1999年9月30日の茨城県東海村JCOの臨界事故では、、作業員のミスによって死亡者2名、重症者1名を出す大事故でした。

JCOは住宅地にありながら、周辺に安定ヨウ素剤を配布していないことが後日の調査でわかります。

後に来日したフランスの原子力関係者が、わが国の関係者にこのことを問うと、このように答えたそうです。

「とんでもない。日本で(事故の可能性を少しでも示すような)そんなことをしたら原発は一基もできません。事故ゼロと言って周辺住民を説得し、納得してもらっているのだから」。

このフランス人原子力技術者がのけぞったのは言うまでもありません。これで分るのは、わが国には原子力の危機管理そのものが完全に意識もろともなかったという衝撃的事実です。 

日本原子力技術協会の前最高顧問石川迪夫氏がこんな話を述べています。 

1992年、IAEA(国際原子力機関)で原子力事故に備えて指針を改定し避難経路を策定すべきという提案があった時、それを持ち帰った石川氏に対して日本の原子力関係者の反応はこうでした。

そんな弱気でどうする。原子力屋なら絶対に放射能が出ない原子炉を作れ。」

とりようによっては強い安全への決意と取れないではありませんが、石川氏自身も認めるように゛日本において「安全」という言葉の影に隠れて「万が一に備える」という視点がすっぽりと抜け落ちていたのです。

これが日本の「原子力村」の「空気」でした。これは「事故を想定するだけでも事故になるという言霊信仰である「原発安全神話」につながっていきます。

原子力事故が起きたらどうするか綿密に積み重ねて初めてその先に「安全」があるのであって、あらかじめ「原発は事故を起こすはずがない」では個別具体の安全性対策が進化していくはずもありません。 

これとそっくりな構造は日本社会の各所にありますが、今回のエボラではしなくも感染症についてもそうであったことが暴露されました。

反対派はP4レベルのウイルスが漏れだすようなテロとか地震を想定して、ゼロリスクを主張しています。そこまではいいでしょう。そのリスクはありえます。

ならば、どうしたら防げるのか、どうしたら安全に運転できるのか、万が一の時、周辺住民はどう対処したらいいのか、という次のステップに進まねばなりません。

原子力施設周辺地域の避難訓練や安定ヨウ素剤の事前配布が必要なこととまったく同じです。

しかし、P4反対派は「持ち込むな」の一点張りで、そこから一歩も出てきません。安保がどうだ、原発がどうしたと関係ないことを並べたてますが、肝心のBSL-4ラボがどうして今の日本に必要かとは微塵も考えません。

どうしてそこで止まって反対だけで終始するのか、私には理解できません。俗に言う「反対のための反対」、反対運動することこそが至上目的な党派的政治運動にしか見えないのです。

さらに罪が深いのが厚労省と感染症研です。「リスクはある」というあたりまえの前提に立って、こうしたら防げるという方法の議論を責任もって積み重ねるべきでした。

感染症は米国においては、国防事案です。米CDC(感染症対策センター)がそもそもそうであり、おそらく前面には出ないものの連邦軍の対バイオテログループは秘かに活動しているはずです。

エボラのような事態に対しては、厚労省だけではなく、国の各機関が総力を挙げて対処すべきことで、それは何も事が起きてからだけではなく、それへの備えを平時から準備しておくべきなです。

対処する能力も技術も人材も、そして既にBSL-4施設さえ2ツもありながら、何を恐れてか決断できない国、それがわが国です。

日本人は、子供の頃から教師に「授業の前に予習をしておきなさい」と教えられます。

しかし、なぜかもっとも不吉なこと、それも差し迫った危機については「予習」をしようとしません。エボラウイルスが、どこの空港に来るのか、いつも成田だと決まったわけでもなかろうに、それを予測しようとはしません。

もし、疑似患者が上海から高松空港に降りていたら、あるいは、陽性だったら、そんなことは考えないのです。そしていつまでもウチワと観劇旅行で大騒ぎしているバカ政治家と俗悪マスコミたち。

うんざりです。官僚たちの不作為を糺すのが政治家の仕事なはずでしょうに。

思わざる長い連載になりましたエボラ問題ですが、なにか新しい事態が起きない限り、今回でいったん終了します。ふ~、くたびれたぁ(笑)。

おっと、最後にエボラの研究者として有名な長崎大学安田二朗熱帯医学研究所教授のアドバイスをご紹介しておきましょう。

エボラは空気感染せず、体液に触れねば感染しません。、汗にまで出てくるのは末期です。その前に本人が気づきます」
「もし感染が疑われた場合にやってはいけないことは、町医者に行くことです。自身で疑いをもっている場合には保健所に連絡しましょう。町医者で嘔吐などするとパニックが起きますし、実際に医者や医療従事者を危険にさらします」
性行為は感染のリスクがあるのでもってのほかです。家で嘔吐した場合、家族であっても吐瀉物にふれてはなりません。保健所に処理してもらいましょう」

■写真 なにかと思われるかもしれませんが、土浦の結婚式場です(笑)。横にメガネチェーン店のとんがり屋根があるので、まるで外国。

 

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コメント

>完全なゼロリスクを求めて運動したために、それを受ける側もまた「安全です」と言わざるを得なくなるというバラドックスが生じたのです
本当、そうですね。物理ではないですが作用・反作用です。抵抗ばかりで議論にならない相手には、強引に押さないと進みませんからね。

ゼロリスクを訴える人々を、昔は格好良いと思ったものですが。
しかし彼等は、放射能やウイルスや米軍機墜落や騒音のリスクを声高に主張する割に、経済・軍事・公衆衛生的な安全保障、特に中韓絡みの問題には全く頓着しません。
そういうことに気付いて、ああ、彼等はそっちの人達なんだと納得するようになりました。

皆同じ構図です。小笠原の他国籍船サンゴ強奪でも
ヤクニン根性まる出しの対応です。

「また来てね、台風の時は領海に入ってもいいっす
よ。取ったサンゴはどうぞお持ち帰り下さい、あり
やとやしたー」「おう、エエトコや、また来るでぇ」

そりゃ、今度は大変な数の船がやって来ますわ。
サンゴ盗りゃ大儲け、何しても捕まらないんだから、
海賊にとって失うものは何もない。

次は何が起こるのかなぁ?

原発の事、詳しく書かれていてとても勉強になりました。
今回の記事の、原発とエボラのゼロリスクの件は全く別物だと思います。
エボラは「予習」が必要だとは思います。海外に比べ日本は、デング熱の時ですら調べるキットさえ無かったようです。
しかし原発は、福島で安全神話が嘘である。ということが全国民に知れわたったはずです。そして、今だに収束できていません。東北関東で作ったものは食べることができないし、大量に海に流れ出ている汚染水のせいで海産物も食べることが出来ません。底魚なんてもってのほかです。
原発はゼロリスクで無ければ動かしてはいけないのです。ゼロリスクでないというのならば再稼働してはいけません。
なぜ日本の政治家の利権の為に世界中の人々が汚染された地球に住むことにならなくてはいけなくなるのでしょう?
海外では、既に原発は自分達でコントロール出来ないことに気付き廃炉にする動きになっています。
日本は折角原発ゼロになったのに再稼働なんてするべきではありません。
大半の無知な国民(このようなブログを書いている、見ている人達以外の方々。情報を自分で取りに行かずに政府に洗脳されている方々。)に本当の事を教えなければいけないと思います。
脱線しましたが、エボラは入ってきてしまうもの。原発は止められるもの。
ならば止めなければいけない。
ということです。

ただ、管理任様もお分かりの通り今の日本では諦めるしかないのかもしれません。とてもリスクのあるブログだと思います。国に負けず書き続けてください。

さくらさん。
なんだかサラッとものすごいこと言ってますね。
東北関東のものは食べられないとか。それは貴方の問題です。何処かの平行世界の住民でしょうか。
もう、こういった手合いにはウンザリしてますし、ブログ主なんか正にその関東の農家さんです。「まだこんなことを言ってる人がいるのか」と、ゲッソリされておられるでしょう。

また、ブログ主は政府や官僚の対応の批判すべきは批判しますが、そこは是々非々でやっているので最後の激励など的外れでしょう。
変な洗脳から解けてないのはあなたではないでしょうか。
東北でも関東(ずいぶんと広く出たなあ)でも、普通に地物の米や野菜・魚を毎日食べてますが…。

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