沖縄県民の「気分」と翁長新知事の意味
ちょっと前のこと。今でも沖縄革新陣営に隠然たる影響力を持つ太田昌秀元知事が、「翁長は危ないのではないか」と言い出して、高良候補に一本化するように求めたことがありました。
今になると太田翁の勘はまことに正しかったと思われます。おそらく、太田氏はふたつのことを危惧していたと思われます。
ひとつは、翁長氏が具体的道筋を一切明らかにしないままに「移転反対は県民の声」というあいまい戦術に終始していることです。
これについては、いままで何回も書いて来たからいいでしょう。早くも県知事選の直後にチョロと衣の下の鎧を出してしまいました。
「普天間の移設は現実的には難しいかもしれないが、その気持ちをうしなったら沖縄は終わりだ」(11月17日琉球放送Nスタ)
こんなことを今さら言うのならば、保守分裂などせずに仲井真一本でいけばよかったと思うのですが、私はなるほどとひとりごちました。
それは翁長氏が代表しているのは、「政策」ではなく、翁長氏自身が言うように「沖縄の気持ち」だからです。別な言い方で「気分」といいかえましょう。
おそらく、前回仲井真氏に入れて、今回翁長氏に投票した県民の「気分」はこんなものだったはずです。
「仲井真は東大出の官僚出身で、天下って沖電の会長にまでなった奴だ。こんな奴になにが分かるか。
それに対して翁長先生は、魂魄の塔(※)を作って戦没者を供養なさってきた情の厚いお方だ。県議の時から、野中先生と一緒になって、沖縄の声を政府の政策に活かそうとがんばってこられた。今度の移設問題も、仲井真のように政府のいいなりになるんじゃなくて、しっかりとこちらの言い分をぶつけてくださるはずだ。移転阻止できるかどうかなんて二の次の話さ」
私が翁長氏という人物を必ずしも嫌いではないのは、こういう戦後沖縄人の悲哀と迎合、そして反骨の歩みを象徴するような土着的部分があるからです。
しかし、これは単なる「気分」でしかなく、「移設阻止」への道筋を解く「論理」ではないのは、県民も多少わかっていたと思います。
私たち県外の者には、これで移設が阻止できたら奇跡だと思いますし、だから選挙戦が始まって本土マスコミは翁長氏に承認拒否を言うのか言わないのか、移転阻止の筋道を教えろとしつこく問いただしたわけです。
しかしかんじんな沖縄県民は、「気分」の虜になっていたということです。
というか、県民からすれば、翁長氏はおそらく辺野古移設にとどめを刺さずに、交渉の席で沖縄の不条理感を代弁してくれれば「気分」が晴れる、参ったかヤマトめ、ていどなのかもしれません。
そのへんの県民と翁長氏との阿吽の呼吸が、おそらく10万票という大差を翁長陣営に与えたのでしょう。
これはおそらく、翁長氏が言ってきたことがまったく「気分」でしかなく、やっていることは仲井真氏と寸分違わないものだったことが満天下にさらされるまで、「気分」として残り続けると思われます。
さて、もうひとつの太田翁の憂鬱は、保守陣営も分裂したが、ある意味それ以上にマズイのは革新陣営そのものが、土着保守と一体化してしまったという事態です。
今回の翁長陣営をみれば、その太田翁の危惧があたっているのがわかります。翁長候補の決起集会に行ってみればその雑煮ぶりが分かります。
座の中心でこぼれんばかりの笑顔を振りまいているのは、県有数の土建屋の金秀グループの総帥・呉屋氏や「かりゆしグループ」の平良氏ばかり。
平良氏などは、かつて自民と公明の沖縄県連の仲をとりもった人物ですし、呉屋氏などは自民党支持財界グループのボス格でした。
いわば、仲井真陣営にいてもおかしくない面々が強力なスポンサーとして翁長氏をバックアップしていて、それに沖縄革新陣営の社民、社会大衆、労組、そして共産党までがニコニコと相乗りしているというチャンプルーな絵図でした。
つまりは、保守崩れと利権企業の作る新しい沖縄政界再編の渦の中に、革新陣営が溶解していっているといってもいいでしょう。
これが何を意味するのかといえば、沖縄革新が県政与党の座に座ったことにより、革新が「反安保・反基地・反米」闘争を継続するのが難しくなるということです。
翁長知事は「米軍基地」と、それを保障している「安保」というカネのなる木を切り倒すつもりはまったくありません。
また、いみじくも当選直後に言ってしまったように、「移設阻止が難しい」ことも百も承知です。
そして、あまり引き際を知らない執拗な抵抗を続けると、振興予算に大ナタが振るわれることも予測しています。
ですから翁長与党になったことは、革新にとって今後出してくるであろう移設容認と既存の基地容認政策、そしてその根っこにある安保体制容認政策に対して、もはや有効に戦えなくなったどころか、事実上の容認をせざるを得なくなったことを意味します。
ちょうど自民と社会が保革相乗りで作った村山政権の時の社会党のようなものです。
あの時の社会党は、いままで憲法9条を理由に否定してきた自衛隊や安保を一気にすべて容認し、結局は消滅の道を歩むことになります。
シルクハットを被って海上自衛隊の観艦式に臨む村山首相の姿は象徴的でした。
ある意味、5年から10年の時間尺で見れば、この翁長「政権」もまた、困った時の保守の知恵といえないこともないのかもしれません。
仲井真氏で移設の下地を作り、動かしようがない段階で仲井真氏が悪者になって、翁長氏に引き継いだと見えないこともありません。
その上で翁長氏が沖縄県民の「気分」のガス抜きを図りながら、腹中に取り込んだ革新陣営を骨抜きにして消化してしまいながら移設容認へと進むのかもしれません。
結局、沖縄県民が「気分」の虜であることを止めて、しっかりとしたロジックに立った道へと進まない限り、今後もこのような奇怪な政局は再生産されていくことでしょう。
今、シマンチューの人たちに必要なことは「気分」ではなく、豊かな島を作るためのロジックなのですから。
※「魂魄の塔」 沖縄県で最初に建立された慰霊碑で、「ひめゆりの塔」や「健児の塔」のルーツでもある。あの惨禍を蒙った直後の1946年に、住民、軍人、敵味方の区別なく、アメリカ兵を含む全ての犠牲者を祀った。那覇市にあり、翁長氏はその維持に力を尽くしたと言われる。
■今日は、翁長氏の朝日新聞のインタビューからコピペしたところ、フォントが狂ってしまって難儀をしました。もう、朝日ったらキライ。というわけで、今日は眼に優しい大きな文字です。
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