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朝日新聞の第三者委員会の報告書が出ました。
朝日新聞社インフォメーション | 慰安婦報道検証 第三者委員会
 
私は正直に言って、この委員会は朝日のお手盛りで、都合のいいことを発言しそうな人選だと思っていました。
下手をすると朝日をして、「これでミソギは済んだ、権力にもの申す反権力の朝日に対する期待に答えて頑張ります」という口実にされかねないとすら思っていました。
「朝日問題」は、朝日だけにあるのではありません。取材の前に結論があり、それに沿って事実をつなぎ合わせてしまうような報道のあり方そのものが問われているのです。
 
さて、その私の予想は半分はずれ、半分は当たっていたというべきでしょうか。
 
まず、評価できる最大の点は、「狭義の強制」「広義の強制」という不毛な論議に終止符を打ったことです。
 
朝日は今年8月5日付けの「検証記事」の中で、朝鮮半島で奴隷狩りのようにして女性を慰安婦にしたという、いわゆる吉田清治証言について、「真偽は確認できない」と逃げを打ちつつ、記事16本を取り消すとしました。
 
ご承知のようにこの吉田証言こそが、日本軍・官憲による組織的拉致が現実にあったとする強制連行説の最大の根拠でした。
 
報告書は、吉田証言を朝日新聞が報じた際に、一切の裏付け取材を行ってこなかったことを指摘しています。
 
当時、朝日内部においても、80年代に吉田から接触を受けた記者は「怪しい」と思って掲載を拒否していました。
 
にもかかわらず、まったく裏付け取材をすることなく、社を上げての慰安婦強制連行キャンペーンに朝日は突入していくようになります。これについて報告書はこう述べています。
「この論文において読者に対し何を訴えるかは、朝日新聞にとって極めて重要な意味を持つものである。しかし、論文は吉田証言を記事にするに際して裏付け調査が不十分であったことを「反省します」と述べるにとどまって、「慰安婦問題の本質は女性が自由を奪われ、尊厳を踏みにじられたことである」との主張を展開し、他メディアにも同様の誤りがあったことを指摘するという論調であった。このような構成であったことが、読者に対し朝日新聞の真摯さを伝えられず、かえって大きな批判を浴びることとなった原因である
また、朝日が慰安婦強制連行にかかわる吉田証言記事を取り消しながら、同じ吉田証言を基にした朝鮮人男性約6千人を同様に連行したと書いた記事はそのままにされていて、取り消していないことについても、こう書いています。

「慰安婦以外の者の強制連行について吉田氏が述べたことを報じた記事についても検討し、適切な処置をすべきである」

またこの間、私が追っかけてきた1991年8月11日付け植村記事について報告書はこう述べています。

前文は一読して記事の全体像を読者に強く印象づけるものであること、「だまされた」と記載してあるとはいえ、「女子挺身隊」の名で「連行」という強い表現を用いているため強制的な事案であるとのイメージを与えることからすると、安易かつ不用意な記載である。そもそも「だまされた」ことと「連行」とは、社会通念あるいは日常の用語法からすれば両立しない。

う~ん、突っ込みが甘いな。
この報告書は、朝日の8月「検証」記事に対応しているらしく、「検証」記事で取り上げられている吉田証言に多くのスペースを割いている半面、当時の韓国とわが国社会に大きな影響を与えた植村記事について、ほとんど取り上げておらず、このていどの表現に止まっています。
「当委員会は強制連行の当否を判断するものではない」という言い方で委員会は逃げていますが、核心的なテーマである「強制連行が果たして存在したのか、しなかったのか」という点に白黒を付けるべきでした。
さて朝日は、92年3月の秦郁彦氏による済州島現地調査により、完全にその偽証が暴露されるや、その後は証言の扱いを減らしながら、論点を「広義の強制性」へとズラしていくという狡猾な手段に出ました。
それが8月「検証」記事にあったこの表現です。
「慰安婦問題の本質は女性が自由を奪われ、尊厳を踏みにじられたことである」 
このように論点を「広義」に拡げることで、朝日はボスニア・ヘルツェゴビナの民族浄化に伴う戦時性暴力と重ね合わせて、わが国が重大な「女性の人権侵害国」であったという認識を継続するとしてきました。
この朝日の姿勢について、第三者委員会は明確に「致命的誤り」として、「訂正するか取り消すべきであり、謝罪もされるべきだった」としています。
報告書はこう断じています。
「『狭義の強制性』を大々的に報じてきたのは、他ならぬ朝日新聞である」
「『狭義の強制性』に限定する考え方をひとごとのように批判し、河野談話に依拠して『広義の強制性』の存在を強調する論調は、『議論のすりかえ』だ」
「ジャーナリズムのあり方として非難されるべきだ」
ここで、第三者委員会によって「広義の強制性」が否定されたことは、歓迎します。
 
この「広義の強制性」という概念は、河野談話に端を発するもので、慰安所の設置、監督、衛生管理、募集業者への指導まで含めて、すべて「軍の関与があったのだから強制」とする考え方です。
さらには、貧困による身売りまでも「本人の意志に反していたから強制連行」、あるいは、「売春も本人の意思を踏みにじっているのだから、全部レイプ」、とするような飛躍した論理がまかり通っていました。
この「広義の強制性」の延長には、例のおどろおどろしい「性奴隷」という表現が待っています。
この表現は、クマラスワミ報告によってほぼ今の国際社会の定説と化しており、早急に対策を取る必要があります。
長くなりそうなので、次回に続けます。