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2014年12月30日 (火)

新聞社は運動体ではない

034

韓国は日本以上に近親者との関係を大事にする国です。 

植村氏と義母との関係は1991年以来、別に「右翼」でなくても、一貫して疑われていたことです。 

私は根が素直な人間ですから、彼が手記で書くことを信じましょう。植村氏はこのように弁明しています。え~、願いましては・・・

取材していて遺族会の事務所に出入りしていたら女の子とラブラブになって嫁にして、嫁が「偶然」にも慰安婦訴訟団体の事務局員で、その上「偶然」にも嫁の母親がその団体の大ボスだとわかって、しかも「偶然」にも義母と嫁さんの団体は、ちょうど自分が取材していた金学順さんの訴訟支援団体だった・・・。 

ああ、くたびれたぁ。偶然の三連チャン。まるで奇跡の惑星直列みたいな話ですな(笑)。 取調室でこんなこと言ったら、「デカをなめるなんじゃねぇ」って机、叩かれそう。 

まぁ、そうかもしれないし、違うかも知れない。たた、偶然でなければ、一種のインサイダー情報による記事ということになって、立場がいっそう苦しくなります。

むしろその疑惑のほうが重大なくらいです。慰安婦団体の代表の娘と知っていて近づいたのなら西山事件の二番煎じに過ぎませんが、内部情報を教えてもらうかわりに、裁判に有利な記事を書いたとなると、立派なインサイダー報道で、完全にアウトです。  

そりゃそうでしょう。多額の金銭が絡む民事訴訟において、その利害関係を有する支援団体代表の義理の息子が、センセーショナルな応援記事を書いたというわけですからね。 

常識的に見て、この裁判の原告と支援団体を応援してくれるようにとの教唆が、近親者である義母、あるいは妻からあったとしても、ちっとも不思議じゃありません。  

これが政治がらみの事件だから目的が正当化されやすいのですが、例えばある化粧品の事故と設定を変えてみましょう。  

監督責任を怠ったとして政府を訴えて、補償金を取る裁判をしようとしている原告団体代表の義理の息子に、「こんなにこの化粧品で顔が腫れた。監督責任がある政府を糾弾する!」なんて記事を新聞社が書かせますか。  

まずそんな近親者は、この取材チーム自体からハズします。まして、その記者に記事を書かせた上で、それを社を上げてのキャンペーンになどは絶対に使わないでしょう。  

後からなんて同業他社や、訴訟相手の弁護人から逆ねじを食らうかわからないもんねぇ。 

だから、彼が知らないて太平洋戦争遺族会の事務局の娘と恋仲になろうが、義母がその事実上の代表だろうがどっちでもいいのであって、問題はそういう立場の彼に取材をさせて、大々的に政府糾弾の記事を書かせてしまった朝日新聞社に責任があるのです。

Img_27_m_20141225073852853  (写真 NEWS23より  支援集会における植村氏。「STAP細胞はありま~す」の人みたいね) 

さて実は、そんなことすら本質じゃありません。  

問題は、植村氏がこう書いてしまったことです。これが発火点となっていわゆる「慰安婦問題」はいまのような巨大な迷宮となっているのですから。

「日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり・・・」(朝日新聞1991年8月11日)

何度となく上げていますが、ここで彼は「女子挺身隊の名で戦場に連行されて慰安婦にされた」とはっきり書いてしまっています。

アウトでしょう。これが誤報でなければなんです。あ、歪曲報道か、もっと悪いや(苦笑)。誤報は故意ではありませんが、歪曲報道は意図的な情報誘導ないしは情報操作ですから。

ここでも同じく朝日の姿勢が問われています。朝日が、いくらなんでも「女子挺身隊」と「慰安婦」を混同するわけがないからです。  

この記事を読んで、朝日元ソウル特派員の前川恵司氏は『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』の中で、「すぐに訂正が出るだろうと思った」と述懐しています。  

そう、こんな初歩的ミスに気がつかないほど朝日の記者は知的レベルは低くないわけで、植村氏は今月公表した手記でもこう書いているのです。

「私の記事は、その挺対協の活動の続報であった。(※1991年7月31日記事を指す)当時、韓国では『女子挺身隊』といえば『慰安婦』を意味していた」(月刊文藝春秋1月号植村手記)

つまり、植村氏はこの両者の違いを知っていたのです。しかし「当時韓国の慣用的語彙だったので、間違いと分かっていたが韓国の慣用に従ったまでだ」と言っているのです。  

そしてこうも書きます。

「私自身は<女子挺身隊』の名で>は、決して<女子挺身隊勤労令によっての連行>を意味したものではなかった。植村は<だまされて慰安婦にされた>とはっきり書いており、強制連行とは書いていない」(手記)

分かりにくい表現ですが、ここで彼は同じく挺身隊勤労「令」という政府の命令ではなく、「だまされて慰安婦にされた」、つまり「女衒に挺身隊だとだまされただけなんだ」、と言いたいようです。なんだ、知ってたんじゃない。  

「知っていて」挺身隊と慰安婦を混同し、「知っていて」強制連行だと書いたってことですから、いっそうマズイですね。

今度は「知っていて」のニ連チャン。どんどん墓穴を掘っているかんじだなぁ(棒読み)。  

ならば植村氏は、初めから挺身隊=慰安婦もウソだと分かっていたし、強制連行されたのではなく「だまされていた」ことも知っていたのですから、初めからシンプルに「女衒にだまされて慰安婦にさせられた」と書けばいいわけです。 

最後に、金学順さんがキーセン学校に親に40円で売られたことを記事で落したことです。 

挺身隊だとだまして強制連行されたことと、親に売られてキーセンという公娼(予備軍)になったのとはまったく違う問題となります。 

当然それを知っていながら、植村氏はあえて「落す」という、「落す」ことによる歪曲をしています。え、「落す」のも歪曲報道かって。書かなかっただけだからセーフじゃないかって。

ダメに決まっています。事件を理解するもっとも重要なファクターである「親に公娼に売られた」と書けば、軍による強制連行ではないと分かってしまうわけで、それを予防するために植村氏は意図的に「落した」のですから。

これが長きに渡って批判を受けてきたわけですが、これについての彼の弁明はこうです。

「私が同席した1991年11月25日の聞き取りでは、金学順さんは養父(※女衒のこと。当時は身売りする場合、監督官庁に配慮して養女にした)についてまったく語らなかったのだ。(略)元慰安婦の存在を報じただけの8月11日付けの第1報を書いただけで、その後に報じられた内容で第1報を非難できるだろうか」(手記)

彼は、「自分が取材したときには、そんなことを金学順さんは言っていなかったのに、4ヶ月後の訴状に突然登場したんだ。オレは第1報を出しただけたなんだぁぁぁ。オレのどこが悪いんだぁぁぁ」(←エコーをたっぷりかけて)と言いたいようです。

まるで、植村氏の大先輩の本多勝一記者が、『中国の旅』や『南京への道』で、中国共産党が提供した証人情報の「第1報」のみを報じて、南京「大虐殺」を日中間の外交マターにしてしまった故事を思い出します。

それにしても、裏取り取材もしないで大キャンペーンを張り、いったん報道内容が厳しい批判に合うと、手抜き取材を棚に上げて、「いやあれはあの時点でそれしか知らなかったんだ」と言い逃れしているわけで、この人、ジャーナリストとしての矜持があるんでしょうか。

Img_31_m_2014122507395335f             (写真 同上 未だ植村氏は自分をジャーナリストだと思っているようです)

そしてその後には、「私は『キーセンだから慰安婦にされてもしかたがないというわけではない』と考えたので、キーセンということに重きを置いていなかった」と書いていて、「重きを置いていなかった」、つまりは、知っていて価値判断の結果落したのだと書いてしまっています。 

後から辻褄合わせようと嘘の上塗りをするから、こんなハチャメチャなことになるんですよ、植村さん。  

ならば、記事から実に23年間たっています。どうしてそんなに長い間沈黙していたのですか。 

間違っていたなら、素直に社に「訂正文を出しましょう」と訴えればいいわけで、拒否されたなら、その時こそ社外に出てひとりのジャーナリストとして戦うべきでした。  

それをぜんぶネグっておいて、ひとことの謝罪も訂正もないまま被害者ヅラするからもめるんです。

そのうえ、仲間内だけでヒーロー扱いされて未だジャーナリスト気取りなんだから、植村さん、あんた処世観が甘いねぇ。世の中知らないね。  

植村さん、あなたが問題視されているのは、取材記者として大きな逸脱行為をして、それがわが国に大きな打撃を与えたからです。 

朝日新聞第三者委員会の報告書にこんな記述があります。委員の岡本行夫氏の発言ですが、植村さん、まさにあなたに向けた言葉のようです。

「新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、「火のないところに煙を立てる」行為は許されまい。
朝日新聞社への入社は難関だ。エリートである社員は独善的とならないか。「物事の価値と意味は自分が決める」という思いが強すぎないか
ここでは控えるがほかにも「角度」をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある。再出発のために深く考え直してもらいたい。新聞社は運動体ではない

裏も取らない、知っていたことも隠蔽する、インサイダー情報を利用するなどジャーナリストとしてやってはならない重大な誤りを数々してしまったから批判されています。 

Img_32_m_2014122507400874d                            (写真 同上)

植村さん、それを分からないでいったい何と「戦う」のですか。悲劇のヒーローのような顔をして、支持者の前で熱弁をふるうあなたを見ていると情けなくなります。

あなたが思いを致すべきは、自分の報道とその責任のとり方についてであって、一部の不心得な脅迫者を、批判全体にすり替えて裁判所に駆け込むことではないはずです。

※お断り 冒頭にくダラダラとハッギョレ新聞の記事について書いてしまいましたが、長いのでカットしました。毎回すいません。とほほ。

 

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コメント

現実、運動体ですね。
でも、流れは変わりつつあります。
引き続き頑張っていきましょう。

今年、FIT制度の情報収集をきっかけにお邪魔するようになりました。
大変勉強させて頂きました。
来年も宜しくお願い致します。

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