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2014年12月16日 (火)

植村隆記者手記、出る! トカゲのシッポ切りをされた男

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今まで、映画『逃亡者』のような生活を続けていたと思われていた元朝日新聞植村隆記者が、手記を、所もあろうに論敵だった『月刊文藝春秋』に乗せています。  

植村氏は朝日新聞を退職しているので、本来「記者」と肩書をつけるのはおかしいのですが、お許しを。 

というのは、いまだ植村記者は朝日退社後の新しい人生を生きていないからです。 

この手記の中で彼に対する迫害のみならず、娘さんに対してまで脅迫的なことが行なわれたと述べています。 

手記には、植村氏を北海道まで追いかけ廻して職場にまで圧力をかけて退職に追い込んだ<勢力>(手記の表現)のことが克明に書かれています。 

そしておそらく彼を逃亡から踏みとどまらせたのは娘さんに対して危害が及ぶようになったからです。 

娘さんの写真がネットに流出し、心ないレイシズム的書き込みがなされたことには心痛みます。

彼らは日本の誇りを守ると言っているようですが、真逆の日本人の恥さらし達にすぎません。

ことここに至って、植村記者は父親として踏みとどまって戦う決意をしたようです。それはこの長きに渡る沈黙と逃亡に終止符を打つことでした。私はこの姿勢に共感します。 

手記において、植村氏は自分が金学順さんについて書いた記事は、わずか2本だけだったとしています。

むしろ彼よりもはるかに熱心に慰安婦記事を書きまくったのは、手記にも登場する松井やより記者などだったでしょう。 

彼は単に、彼自身認めるように先駆けだったからにすぎません。彼は自分がこのようなバッシングを受けた理由をこのように書いています。

「私が朝日新聞の記者で、慰安婦として最初に名乗り出た金学順さんの存在を他紙に先駆けて署名入りで報じたこと。金学順さんの登場で他の慰安婦たちが次々と証言することになり、慰安婦聞多いが大きな国際問題になったこと」(植村手記)

まさにそのとおりです。彼が記者時代に書いた「あの記事」は、朝日新聞の慰安婦キャンペーンの狼煙であったことは疑いようがないことです。 

後に出た「政府関与の資料見つかる」という記事のほうが、遥かに政治的には大きな衝撃を日本政府に与え、日韓関係をこじらせるものになったにもかかわらず、狡猾にも無署名でした。 

そしてもうひとつ。 

「私が韓国人と結婚していること」(手記) 

付随して義母にあたる人物が慰安婦が絡まる詐欺事件に関与(無罪確定)したことを上げています。

そして彼は妻との出会いは、取材の過程で偶然に知り合い結婚したとしています。

母親に反対されて、ボストンバックひとつで大阪の彼のアパートに訪れた奥さんの姿も描かれていて、ドラマ「マッサン」を見るようで心温まるものがあります。

ただし、残念ながら私は、彼が韓国人女性と結婚していており、しかも彼女が慰安訴訟団体の関係者であって、なおかつ義母に当たる人物がその幹部だったということはあまりに出来すぎた「偶然」だと思っています。

私はこの手記を読んだ後も、この慰安婦問題はそれに火をつけたいと思っていた朝日新聞内部のある人物による人為的「仕込み」だったのではないかと考えているからです。

とまれ、彼はこのことが故に、慰安婦問題を調べる時に必ずつきまとう闇の部分として取り上げられ、「痛くない腹」を探られることになったわけです。

さらに、彼はこの手記でそれを否定した上で、こうも書いています。 

「こうした中で『慰安婦問題』を書くと、攻撃を受けるという認識が朝日新聞自体にも拡がっているようだ。記者たちの萎縮が進んでいるように思える。こんなバッシングを受ける先輩を見れば当然なのかもしれない。しかしそれこそが私を攻撃する『勢力』の狙いなのではないか後輩記者たちに頑張ってほしいと思うし、私もきちんと向き合わねばならないと思う」(手記) 

この部分は彼に眠る記者魂のようなものを感じます。そしてこのことが、強く彼の背中を押した最大の動機だろうことは想像に難くありません。

その意味で植村氏は、かつての古巣の朝日のようにあれが「誤報」ではないと主張したいのです。

それは「プロメテウスの罠」の執筆者で、慰安婦記事に並んで朝日を苦しめることになった吉田調書事件の 木村英昭記者と似た気分かもしれません。

木村記者はいまだあれを、「捏造報道」だと認めることを拒んでいるようですから。

それはさておき、私は植村氏が公開の場に出られたことを強く支持します。また穏やかであるべいき市民生活が妨害され、迫害に等しい扱いを受けて、それが家族にまで及んだことにも深く同情します。 

さて、植村氏は2014年4月に朝日新聞を早期退社しました。そしてわずか4か月後の8月に朝日は、植村記者の記事を「挺身隊との混同があった」として誤報を認めたのは記憶に新しいことです。 

これは偶然でしょうか?私にはそうは思えません。朝日は当時、もうこれ以上慰安婦誤報を堅持しているのが難しくなったのを知っていたはずです。 

というのは、当時政府が河野談話を保持したままでその歴史的検証報告をすることはささやかれていて、その場合もう朝日はこれ以上「沈黙」を続けることが不可能だという判断は上層部にあったはずだからです。 

というのは、慰安婦報道に深く関わり、誰よりも過敏になっていたであろう人物が、当時東京本社中枢にいたからです。

それは東京本社編集局長という編集トップに君臨していた、市川速水氏でした。 

市川編集局長は、朝日慰安婦報道を語る時にはずせない人物です。彼はソウル支局長時代に慰安婦誤報を拡散した人物だったからです。 

彼がしたのは、朝日の慰安婦報道か瓦解するきっかけを作った、ジャーナリズム史に残る汚点である、今年8月の池上彰氏原稿ボツ事件でした。 

この事件で朝日に社会的批判が集中し、政府の河野談話検証報告と合わせて、朝日の逃げ場は閉じられたわけてす。 

朝日が、植村氏に早期退社という肩叩きをしたのは、このような情勢と不可分ではありえません。 

おそらく朝日は、慰安婦報道のシンボル的人物に祭り上げられてしまった植村記者が社内にいてもらっては困ると考えたのです。 

在籍していれば「朝日現役記者」という肩書のままで、彼を他社の批判を受けねばならないわけで、朝日は彼を体よく「放逐」したかったのでしょう。

植村氏の退社に当たって、憶測ですが、会社側との間に口封じ的守秘義務があっただろうと思われます。

彼が退職してわずか4か月後に、朝日は謝罪し、植村氏は梯子をはずされてしまいます。

そして「朝日新聞」という日本有数の大マスコミの保護座を失った植村氏は、ただの一市民となって逃げまどう「逃亡者」生活をするはめになったのです。

まさにトカゲのシッポ切りでした。

彼の手記を何回かにわけて、見ていきたいと思います。

 

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コメント

同情などしませんが。

サヨクを信じられない理由の一つに、我々日本人が普通に持っている人の心が欠落しているという点が挙げられますね。

うちの院長とのかつてのやりとりですが。

「色々考えたけど、やっぱり原発は廃止しないとな。」
「それでは日本の産業が壊滅します。」
「日本は焼け野原になっても復活するんだよ!」

焼け野原になった時にに何人の死者が出るのか。
考えていないようです。

プーさん。いつもコメント、ありがとうございます。

私も恥ずかしながら左翼の周辺で青春を送った人間として、よく理解できます。
彼らの言ってい「正義」とは、実は「ミクロの正義」なのです。

たとえば、今私が取り上げている植村氏ならば、彼はそれ自体は優しい気持ちで元慰安婦の老女に「寄り添いたい」と思って記事を書いているわけです。
しかし、職業としての記者として当然あるべき裏取りや、証言の大きなブレ(金学順さんの証言は二転三転しています)に目をつぶってしまいます。

だから、結果として大誤報となるあの記事を書いて、日本人全体に大きな迷惑をかけることになります。しかし今に至っても、彼はそれに気がつかず、「寄り添う気持ち」の「正しさ」が故に免罪されると信じているようです。

原発についても、沖縄の米軍基地についても同じことが言えます。「原発のない社会」や「米軍基地のない平和な沖縄」の「正しさ」が、もっと大きな目で見たものなのか、いろいろな角度で見てそう結論づけられるのか、それが問われているのです。

何時も勉強させていただいて恐縮です。

「ミクロの正義」、仰る通りですね。

自分は高校時代はサヨクの跋扈する公立高校で、彼等の主張がカッコイイと思ったものです。
しかし大人になってからは、共産党の病院で働いたことだってありますが、その政治的主張には全然共感できませんでした。
今の職場の院長は共産党の勝手連です。何を好んで、と呆れます。

思うに、「ミクロの正義」は、大人になって視野が広がるとマクロ的にはダメだと言うことに気付き、さらには誰かに利用されている、ということまで考えるようになると絶対に戻って来れない思想なのではないでしょうか。

プーさん、
そのテの方とまともに議論しちゃダメ(苦笑)。洗脳されてるんだから自分達が「絶対正義」と信じて疑わないでしょ。
適当に「はぁ。」とだけ答えて、極力議論になるような機会は避けるべきです。

私も「中〇派」の学生やら、当校ルートの市役所前でよくアジビラ配ってた職員さん相手に、若い時には吹っ掛けてましたが。あくまで面白半分で。
某大学の学祭に遊びに行って、バリスト(あれが最後でしたが)やってるのを趣味で写真撮りまくってたら囲まれた!なんてことも。
「ただの一般客だが、最近は珍しくて面白いから撮ってただけだよ」と、免許証見せて堂々としてたら納得してくれました。
話してみると、結構イイ奴ばかりで拍子抜けしましたが。
「怪我だけしないようにやりなよ」
「はい、気をつけてがんばります」
なんて流れに(笑)

そうなんですよね。「イイ奴」なんですよね。
だから洗脳されるのかも。
彼等の正義に対して、反論は不可能です。
諦めるよりないですね。

何が決定的に違うって、中国を信用するかどうかだと思います。反論しても平行線です。
そのくせ日本やアメリカのことは信じないのだから分かりません。

結局、中国を信用する「イイ奴」とは、付き合ってられないですね。

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