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2015年1月20日 (火)

非宗教性国家・フランスの「国教」ライシテ 

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シャルリ・エブドを襲撃したテロリストは約5分間に渡って突撃銃を撃ちまくったそうです。 

おそらく殺害された編集者、画家たちの遺体は、見るも無残だったと思われます。 

では、この犯人たちが狂人であったかといえば、彼らの日常を知る者は、至って穏やかで、むしろ優しい人間たちだったという声すらあります。 

ISは「イスラムの敵は殺してもかまわない。いやむしろ積極的に殺すべきである」と教えています。日本人からすれば異常です。

このような宗教的狂信から自由になるまでに、人類はずいぶんと長い時間と大量の死体の山を築いてきています。 

イタリアに住む作家の塩野七生氏は、こうした宗教と宗教の争いについてこう述べています。 

「『神は我らと共にある』と信じる者にしてみれば、敵であろうが何であろうが、相手とともにあるのは、悪魔しかいないことになるのだから、大義名分は立派に成立するわけである。
ただこの場合は、相手側とて、自分と共にあるのは神だと信じているわけたから、問題はややっこしくなる。
お互い神の後押しを受けていると信じているもの同士がぶつかるほど、禍を後に引く争いはない」(『男の肖像』)
 

中世において異教徒に対して寛容だったのは、むしろイスラム教です。 

彼らは、自らの帝国版図内において、ユダヤ教も、キリスト教徒も、改宗を強要することなく、一定の税金を納めれば、教会やシナゴーグの建設すら認めていました。 

いまでもモロッコなどに行けばシナゴーグを見ることができますし、イスラム原理主義国家ということになっているイランにすらキリスト教会は建っています。 

むしろキリスト教世界のほうが、ドイツ30年戦争のように同じ民族内部での宗派(旧教・新教)の激烈な争いをしていて、その大殺戮と国土の荒廃にくたびれ果ててしまいました。

そこで、互いの宗教に口を出すのは止めにしようや、ということになったきっかけが、フランス革命で、これで民主主義の元祖・本家ということになっています。 

さて革命の結果、フランス人が手にしたのは何だったのかといえば、近代世俗国家でした。なぁ~んだ、と言わない。大変な犠牲の上に勝ち取ったものなんですから。 

フランス革命の犠牲者数が約200万人。革命当時のフランスの人口が約2500万~2600万人といったところですから、実に1割を殺したことになります。

大量処刑と虐殺が横行し、ヴァンデ、リヨンのように王党派に属したために、街ごとすり潰されてしまった地域すらあります。 

フランス革命は「自由・平等・友愛」という標語を掲げましたが、この<自由>とは宗教からの<自由>のことです。

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 (写真 自由・平等・博愛という革命スローガンに書き換えられた寺院の正面玄関)

この<自由>こそが大前提であって、後に来るふたつの「平等・友愛」は、これを理解した者に対してのみ平等と友愛を保障しますよ、という意味です。 

フランスに移民を希望する人間は、この<自由>を理解したことを宣誓してのみ帰化が認められます。 

ですから、テロリストの兄弟の両親もアルジェリアから帰化する際に、宗教からの<自由>を国に対して宣誓して入国したはずです。 

さて、そう言えば思い出したのですが、シャルリ・エブドの襲撃された社屋は、あの革命の聖地・バスティーユの裏にあります。 

今はオベラ・バスティーユ(新オペラ座)になっていますが、シャルリにとっては、あながち偶然ではなく、ひょっとしたら革命の聖地に自分たちの城を作りたかったのかも知れません。 

Prise_de_la_bastille
さてフランスが「フランス共和国」を名乗り、革命国家であることをレジティマシィ(正統性)にしているのは、宗教との分離があったからです。 

革命以前まで聖職者は、貴族と並ぶ特権階級に属していました。そのために共和派にとって、教会は敵そのものであり、聖職者の殺害・追放、教会の国有化と破壊が進みました。

Zenith_of_french_glory
上は、『フランス栄光の頂点・自由の頂上』と題するグロテスクな絵ですが、これは1793年1月21日の革命広場(現コンコルド広場)のギヨタン処刑台の情景です。※http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/savebox/sawada-fr.html

戯画的に描かれていますか、かなり史実に忠実だと言われています。

以後、ルイ王、貴族、僧侶、反革命と目された一般人までもが大量に処刑されていきます。

最後は急進派内部での殺し合いとなり、穏健派を処刑しまくったロベスピエールですら、最後にはギロチンで首をハネられました。

結局、革命l指導部ですら、最後まで生き残ったのはほとんどいないほどです。

この絵のキリスト像の上は、「旦那、お休み」と書き換えられて、首を吊られているのは、裁判官、大司教、修道士などです。

三色旗の上に「自由万才」とあり、聖母昇天教会は炎上中です。ガス灯によじのぼってニカニカしているのはサン・キュロット(平民)です。  

今は観光地として名高いモン・サン・ミッシェル修道院は牢獄となり、ヨーロッパ最大だったクリュニー修道院は他の建造物の石材供給源となってしまいました。

他にもフランス全土の多くの貴重な文化遺産が破壊されました。 中国・文革に並ぶ、文化破壊といっていいでしょう。

ちなみに1886年、米国へ独立100周年で寄贈された自由の女神像の原型は、下の写真の「マリアンヌ」です。 

革命当時、ノートルダム寺院は「理性の神殿」と名前を替えられて、キリスト像、聖母マリア像は共に撤去されて、代わりに安置されたのが「マリアンヌ」です。

デザインも違いますが、こちらがオリジナル・バージョンです。  

Paris_rpublique_zoom
1793年から数年間は、全国の教会でこの自由の女神を拝む理性神礼拝も行われたそうです。  

この中で共和派が崇拝したのは「理性神」であり、そのために「最高存在の祭典」すら開かれています。  

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 まぁこんな人工的な奇祭は一度きりだったようです。(当たり前だつうの)  

1801年に、ナポレオンが革命の終了を宣して教皇との和解(コンコルダート)に至るまで宗教への徹底した迫害が続けられました。 

宗教を公権力の場から排除するために、いかに巨大な犠牲が必要だったのかわかると、憂鬱になりますね。

このフランス革命の暗部があまりに大きかったために、フランス共和国は、今に至るも革命戦争(内乱)の詳しい実態を公表せず、臭いものに蓋を決め込んでいます。

それにしても、パリ祭に浮かれて、ヘラヘラと「友愛」を謳う政治家やマスコミ人には、フランス人の<自由>というイデオロギーが本来的に含む苛烈な中身は分からないことでしょう。

それは、他者が己が宗教を批判する<自由>を許容する苦痛に満ちた受忍のことなのです。

それこそが<寛容>であって、<自由>と一対になった概念です。

したがって、「言論の自由」とはフランス人の理解によれば、「一切の宗教に対する非難・冒涜まで含む自由」のことということになります。

当然、シャルリの戦闘的デモクラットたちはそのことを知った上で、イスラムをヤジり倒していたわけです。その意味で、フランスの国家原理に殉じたともいえるわけです。

その重みを知って、シャルリの漫画を批評しないと見誤ります。

ちなみに、我が国がこの苦痛を味わなかったのは、織田信長によります。先に上げた塩野氏はこう続けています。

「織田信長が日本人に与えた最大の贈り物は、比叡山の焼き討ちや長島、越前の一向宗徒との対決や石山本願寺攻めに示されたような、狂信の徒の皆殺しである。このときをもって、日本人は宗教に免疫になったのである。いや、とにかく守備範囲の外まで口を出したがるたぐいの宗教には、免疫になったというべきかもしれない。(略)
信長によってもたらされたこの免疫性は、宗教人にとっても、良い結果をもたらしたと思う。日本では、宗教が政治に口をだすことのほうが、不自然になってしまったのだから」(同)

このようにわが国は、フランス革命の200年以上前に、宗教に対して免疫性を与えた日本版<ライシテ>をやってしまったといえます。

え~、朝お読みいただいた方には申しわけありませんが、あまりに長いので後半は明日にいたしました。

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コメント

実に重たいテーマですよね。
もはや文明や民族・文化・歴史・宗教の衝突の様相を呈してきていますし…

昨日ドイツ在住の方からのコメントもありましたが、大体のムスリムはそんなもんでしょうね。かつてギリシャとの関係が悪化した時には「ムスリムに改宗すればイスタンブールに住み続けられる」と、トルコが強権発動(クリスチャンにとっては悪魔の囁き)したこともありましたが、大概において歴史上栄えたイスラム文明の方が異教徒に寛容なんですよねえ。(ちなみに世界最大の帝国としてユーラシアを席巻した14世紀モンゴルなんかも、異文化に実に寛容です)

長いことギリシャとトルコの間で燻り続けているキプロス問題なんかも、ちょっと前ならイギリスあたりが出ばってきて、調停なり二枚舌外交なりで収めたんでしょうが、今やヨーロッパ先進国にそんな力も無いし。

ホームグロウンテロの問題。
もう20年以上前の本ですが、辺見庸「もの食う人々」でもドイツでゲバブ屋台をやってるトルコ移民2世の青年が、ネオナチ(当時は東西統合直後でドイツは不況)に襲撃されたり、親友のドイツ人女性の父親は移民排斥主義の失業者。
日本でも経済学者が「ドイツに習って(なんで学者ってこのフレーズ大好きなんだか?)、将来労働力が減る日本こそ移民を積極的にうけいれろ」と叫んでいた頃ですな。

やはり、2世・3世となると、表面上は涼しい顔で受け入れている風情だけど、いつまでも底辺労働者。ドイツ社会に疑問を感じるとともに、最近自らの体内に流れるムスリムの血が騒いでしょうがないんだ…なんてシーンがありました。

中には過激思想に染まるホームグロウンテロリストも出てくるでしょう。
もう、次はどこだろ?って感じです。

武器庫が摘発されたベルギーなんかヤバいですよねえ。世界中からカラシニコフが集まってますし(変な国内法で輸入OK→EU域内には移動フリー)。

ちょっと脱線気味で申し訳ない。
とにかく重たい!

フランスの革命当初のトリコロールは、「銃、暴動、迫害」の3色でしたね。
今フランスが残っているのは「皇帝」ナポレオンが登場したお陰だとか??

織田信長がライシテでしたか。
島原の乱までは色々あったので、徳川幕府も頑張ったとは思います。
好戦的な宗教を無力化したのは大きな功績だったのですね。

時代が下って、軍国主義に傾くまでは政教分離が徹底されていた、なんて言ったら怒られますね。異教徒を迫害したわけではないですから。

上手いこと言ったと思ったら、既出でした・・・

 信長が「ライシテ」の画期というのはどうですかな?。実は叡山への包囲戦は6代将軍足利義教の頃からやってますし(1434年)、宗教的権威への放火は松永久秀の東大寺大仏殿焼き討ちの先です(1567年)。「叡山焼き討ち」を良い事、やむをえないこと、と評価し始めたのは、恐らく近世の儒者たちが最初でしょう(多分、叡山の衆徒を「僧兵」と命名した新井白石あたり)。僧侶が政治の場にいる状況は、江戸時代前期の金地院崇伝や天海の時代まで、つまり3代将軍徳川家光の時代までは普通に見られますので、全然「ライシテ」してません。
 ではいつから日本で「ライシテ」したか?、と言えば、明治維新後、それも神道国教化を諦めて国学者を政府から放逐した明治初年以降ではないかと存じます。「神道は宗教に非ず」と政府は規定しますので。そして近代以降、そうした自国の世俗化政策を正当化する象徴として持ち上げたのが、かの信長の叡山焼き討ちと一向門徒の殺戮だったのだと思います。もちろん、世俗化したはずの近代日本も、昭和の頃になると別の意味で「宗教化」してしまうのですが……。

厳密に申し上げたわけではなく、また近代的なライシテでもなく、日本人が「宗教に対して免疫性をもった」ていどでお考えください。

イスラム国の日本人2人の人質事件は安倍総理に前面的に責任があります。安倍を操るジャパンハンドラーズをご存知ですか?戦争屋でアメリカの軍産複合体の下僕です。安倍の演説であの事件が起きました。

チンパンジーが世俗的なように(多分、思想持ってない)
、人間も生来本能的に世俗的だと思われます。じゃ何故
宗教やイデオロギーでイザコザを起こし続けているのか
というと、世俗的な欲望を正当化する為の権威付けだと
思います。

要は、「俺は、彼等が憎くて仕方なかったので殺した」
とか、「大金を貰ったので、喜んで殺したんだよ」とか
、「いい◯だったので、堪らずヤッちゃったのさ」とか
、さすがに社会的動物としては社会生活上まずい。利己
的と見なされた自分が集団に殺されてしまう。で、権威
に膝まずいて個人の暗黒面を昇華し、自らの行為を権威
のもとに正当化する。

フランス革命や、日本の中世最末期には、民衆が物凄い
ストレスを抱えていたのは良く分かります。発散して、
なにか後付の理由をつけとけばいい。愛・自由・平和。

極端に不幸な人達の中には、自己責任を棚に上げて、
これからも社会を攻撃してくる人々がず~~~~~と
出続けるでしょう。避けられません。不幸の連鎖、やり
きれません。

ドギツイ風刺画を禁止しても、動機が存在する以上は
コトは起こり後付の理由が変わるだけですし、全面禁止
とすれば、それこそ自由の死ですし。管理人さんの最終
章に期待しています。

名無しさん。
人質を取って身代金を要求しているテロ組織が悪くないというのでしょうか?

そんなあなたは、シャルリの風刺画とテロでは、どちらが悪いとお考えでしょうか。

プーさん。

批判意見ならともかく、明らかな陰謀論者はスルーで良いかと…。

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