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2015年1月19日 (月)

ISに憎悪の水と肥料を与えるな

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頂戴したHN「由紀子」さんのご意見にお答えしておきましょう。 解答というより、今、私が感じていることていどで受けとって下さい。 

ISの残虐性は誰しも認めるところです。ISという自称「国家」は、米軍のイラク撤退によって生じた軍事的空白につけ入り、瞬く間にイラクとシリアに広大な支配地を獲得しました。  

そしてイスラム法の偏狭な原理主義的解釈に基づいて、恐怖政治を推し進めました。彼らの軍隊は、既に各種のミサイル、戦車で武装し、捕虜や民間人を大量処刑するか、あるいは、奴隷として売り飛ばしたといわれています。  

このISは、ネットを利用して、世界に影響力を拡げており、いまや欧米にも多くの潜在的戦闘員を抱えるまでになっています。

このテロの起きたフランスですら、800名を越える「戦闘員」がいると、当局は発表していましたが、それが的中したことになります。

西欧社会に潜むISメンバーは、大部分がフランスだけで600万人(人口の1割)といわれるイスラム社会に存在しているはずです。

しかもそのほとんどが、今回のシャルリ襲撃事件の主犯たちのように、フランス生まれで、フランスの教育を受け、フランス語を母国語とするホームグロウン世代です。

問題は、今後今はひと握りにすぎないISの勢力を、拡大させてしまっていいのか、ということです。  

もし彼らの勢力を伸ばしたいのなら簡単です。ISの芽に「水と肥料」をふんだんに与えればいいのです。

たとえば、先日アップしたシャルリの風刺画のように、イスラムの預言者を全裸にして、跪かせ、睾丸を晒して尻の穴に星を飾ってやるか、コーランを銃弾で撃ち抜いて、「風刺」してやればいいのです。

は「ユーモアの欠落した」ひとりとして、シャルリと違う世界に生きていることをつくづく感じました。

このような風刺画は、もはや「風刺」ですらなく、ただの言論の姿をした暴力そのものです。

こんな便所の落書きまがいの絵を、何ひとつ肯定する理由はありません。「表現の自由」あるいは「報道の自由」などといったレベルではない、ただの常識の範疇です。

シャルリ・エブドは、自分たちの風刺画がISの「水と肥料」になりかねない危険な現実を、冷静に考えてみたほうがいいでしょう。

シャリルはこれを「ユーモアだ。笑えぬ者はユーモアに欠ける。われわれはイスラムだけでなくすべての宗教を平等に風刺している」と言います。なるほどそれは一面事実です。

シャルリはかつてイエス・キリストすら、こういう描き方をしたことがあります。生母マリアから生れた豚鼻のイエスです。

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こりゃスゴイねとは思いますが、自分が所属するキリスト教文化圏に向けて描いたのですから、笑うも笑わぬも読者次第です。

これが同一の社会に住むユタヤ教徒に対してはどうでしょうか。ユダヤ人に対しては、西欧社会はかつてのホロコーストに加担した後ろめたさがあるためか、ユダヤ教やホロコーストに対しては厳格に規制対象となっています。

しかし半面、イスラム教にはダブルスタンダードな対応をしています。

下の漫画は、ユダヤ教徒を描いただけで「アンチセミニズム(反ユダヤ主義)だ」と叩かれても、イスラムに対しては「言論の自由だ」と褒められている奇妙さを笑っています。

B60lqqhiuaevoyd上の風刺画はシャルリではありませんが、ムハンマドの風刺画には腹を抱えて笑うヨーロッパ人がホロコーストにはこりゃヒドイと顔をしかめています。

この絵は彼らの二重規範をよく現しています。

西欧社会にある、異文化や異教徒に対する想像力のなさ、西欧社会の「笑い」を押しつける傲慢さ、自らの規範のみを尊しとする自己文明中心主義の醜悪さすら感じてしまいます。

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どのような表現であったとしても、誰かが不愉快になることを避けることはできないかもしれません。

かつてフランスには、風刺画作者が不愉快に思った者からの決闘を拒否できないという掟があったそうです。

近代社会ではそれは、「あなたの表現は大変に不愉快だが、しかしあなたが表現する権利は認める」という精神によって取って替わられました。

しかし同時に、「表現の自由」も無制限・無規制ではなく、良識に従うというルールも生れました。

それがフランス共和国における友愛の精神の項に記されている「己の欲せざる所は人に施すなかれ。常に、己がされたいと思う善事を他者に施すように」の文言に集約されています。

たとえば、フランスにおいてもナチス賛美は厳しく禁じられており、民族差別を煽る憎悪表現も規制の対象とされています。(下図 産経)

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しかし、フランスは国家原理を、厳密な公権力・公教育、表現への宗教の介入を禁じる<ライシテ>を国是としてきました。

このような他国には極端に思われるような原理主義的な政教分離原則の結果、宗教に対しての批判を真空状態にしてしまいました。

その結果、これか今回のシャリル・エブド襲撃事件となったわけですか、では今後イスラムにとっての侮辱的表現か規制対象になるかと言えばノーです。

またまた長くなりましたので、明日に廻します。

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コメント

今日の朝日新聞の「考論」では、トルコ人ジャーナリストが、イスラム教徒は我慢しろ、と述べていました。
風刺画家にはお咎めなしかい、という感想ですが、表現の無制限な自由を推進する者同士で肩を組んだかと納得した次第です。

初めまして、只今ドイツ在住、2010年よりずっと読ませていただいてます。客観的論理的な投稿、大変勉強になります。
年末にトルコ人とお話しする機会がありましたが、イスタンブールなどの都市部住民や欧州に働きに来ているイスラム系の人々は本当にISを苦々しくおもっていました。トルコが政教分離していることを強調し、キリスト教圏との共存は可能だという話になりました。その翌週にイスタンブールで自爆テロ、そしてパリ銃撃なのですが。欧州のカルトでないムスリムの人たち、生きていく為とはいえ本当によく我慢していると思います。
これからも鋭い視点の記事楽しみにしています。

いつも大変勉強になる内容を拝見させて頂いております。
このISと表現の自由についての議論は、2者の何れかを正義かとする論法のパラドックスに入る事によって不毛なものとなってしまいますよね。管理人様もご指摘の通り確かにISの残虐な手口は許されるものではありません。では表現の自由が正義なのか。否、今回はどちらもが不正義であるというシンプルな結論でしかないと感じております。
今後も勉強させて頂きます(礼)

しんさんの言葉に継がせてください。

では何が正義かと言えば、寛容です。
しかしこの正義は、不正義を許容しなければならない、
というパラドックスです。

ではどうすれば良いかと言えば、イデオロギーを忘れて、儲け話をするしかないと思います。
日本が出資して、イスラエルとパレスチナが協力しないと達成不可能な産業を興すことです。
パレスチナでオリーブ油を生産してイスラエルで加工して世界に輸出する、と言った話です。
麻生首相の時代から構想はありますが進んでいないのは、きっと良く思わない勢力が居るからでしょう。

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