国際関係における「責任」と「説明」の関係とは
村上春樹氏は、去年の毎日新聞とのインタビューでこう述べたそうです。
「中国人も韓国人も怒っているが、日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思う 」
「福島原発事故にしても「誰が加害者であるかということが真剣には追及されていない」
「加害者と被害者が入り乱れているということはあるが、このままでいけば『地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった』みたいなことで収まってしまいかねない」
ここで村上氏は、サザン桑田氏と口調まで一緒に、「中国と韓国は怒っている」から、国民にもっと強く過去への反省をするように求めています。
さて、村上・桑田両氏には気の毒ですが、現在の日中間の摩擦の原因は、かつての「戦争」に起因するのではありません。
2010年9月の中国漁船の海保の巡視船に対する体当たり攻撃と、それ以降の大規模な組織的中国公船の侵犯が直接の原因です。他に何かあるなら教えてほしいものです。
二国間紛争を望んだのは、わが国ではなく明らかにかの国です。
それはさておき、わが国では今回の桑田氏や村上氏といった文化人の発言に往々にして見られるように、この中国の歴史観をそのまま直輸入して、ひたすら謝り続けてきました。
少し謝り忘れた時期があると、桑田・村上両氏のような朝日文化人が、「加害性への反省が足りない」と叱ってくれました(苦笑)。
したがって日中関係は、「ひたすら謝罪要求をする中国」と、「ひたすら謝りつづける日本」という固定した関係が、完成してしまっています。
たとえば、先に上げた尖閣の漁船衝突事件においても、当時の菅政権は、ろくな調査もすることなくただちに当事者である中国人船長を釈放することを命じました。
忘れかかった方も多いでしょうから、ちょっと振り返ってみましょう。
上は事故直後、中国が発表した日本の海保が漁船に突入したとする図です。彼らの説明によれば、「日本の巡視船が平和に操業していた中国漁船をヤクザのように包囲し、船腹に衝突させて損害を与え、船長を拘束した」というものです。
いうまでもなく、白サギをカラスという類のデタラメですが、恐るべきことにこれが定説となりかかってしまっていました。
なぜなら他ならぬ日本政府側が中国政府に「配慮」して、証拠をもみ消そうとしたからです。
(写真 『みずき』右舷に突入する様がはっきりと撮影された海保証拠ビデオより)
事実は、現場で撮影されていた海保の巡視船『みずき』によるビデオのみが知っていました。
しかし、あろうことか菅直人首相と、仙谷由人官房長官は、証拠になるビデオ映像を非公開として隠匿を命じてしまいます。
さすがに後ろめたかったとみえて、民主党政府はこの判断を那覇地検にやらせて、責任逃れをするというおまけまでつけました。
もし後に、義憤にかられた海保職員・一色正春氏の内部告発がなければ、中国の歴史書には間違いなくこう書かれていたはずです。
「再び中国侵略をたくらむ悪辣な日帝は、尖閣侵略のために平和に操業する漁船を攻撃し、損害を与えた。これは第2の盧溝橋事件だとして、中国人民は怒りの抗日運動に立ち上がったのでア~ル」
そして国際的宣伝力に優る中国によって、これこそが真実として国際社会に定着したはずです。まるで慰安婦問題のように。
さて、このような国境紛争においては、ただちに国際社会に対して互いに証拠資料を開示し、説明責任を果たさねばなりません。
それが国際紛争を初期に消し止める唯一の手だてなのですが、「隣国が怒っている」ことを何より恐怖する政府は、それをネグレクトしました。外交的失敗という以前の問題です。
きちんと事件に向き合って、それを「説明」していく努力が解決の前提なのであって、まず「謝る」ことが大事なのでありません。
桑田・村上両氏はポップな顔をしていますが、悪い意味での古くさい「日本人」の典型です。
この人たちは、なぜこのような事態になったのかを深く考えようとせずに、相手が「怒っている」から一方的に自分に非があると認めてしまい、ひたすら謝れば、事態が解決すると思っています。
これはわが和の国の民がやりがちな社会習慣です。相手が怒れば、まずは頭を下げて場を和ませてから、話し合いをもとうとします。
このような日本人の口癖は「話し合い」です。桑田氏流に言えば、このようなことになるようです。
「歴史を照らし合わせて、助け合えたらいいじゃない。硬い拳を振り上げても心開かない」(『ピースとハイライト』)
はいはい、歌っていると滑舌が悪いために意味不明でしたが、こんなふうにベタ打ちすると、中学生が背伸びして書いた「良い子の主張」みたいですね(笑)。
まぁ日本社会ならば、それで通用するのでしょうが、まったく価値観の違う外国人にも同じことをしてしまいます。
お二人は原因をあいまいにしたまま、中韓に対して日本の「加害性の責任を取る」ことを、要求していますが、村上氏は英語に堪能なはずなのに、「責任をとる」という英訳をご存じないようです。
レスポンシブル( responsible )がその英訳に相当しますが、この単語は単に謝罪するという意味ではなく、説明責任を果たすアカウンタブル(acountable)の意味も含んでいます。
「責任を取る」ために説明責任を果たすわけですから、「責任」と「説明」は一体の関係、または必要充分条件(necessary and sufficient condition)の関係にあります。
ところが日本語では、これか単なる「謝罪」の意味だけに解釈され、村上氏に至っては「自らの加害性を忘れている」とまで言いだす始末です。
これではまるで両氏は、中国が日本に押しつけている「永遠の罪人」政策の良き子です。
中国は、日中間で齟齬があるたびに必ず「侵略戦争」を持ち出し、それに対する謝罪要求をすることで、日本が永遠に変わらない「罪人」であるように決めつけてきました。
それは中国の国是として、「日本の侵略戦争に民族が一致団結して、共産党の指導の下に勝利した」という建国神話があるからです。
台湾の旧國府軍がそれを言うなら、まだ分かりますが、日中戦争においてまったく戦闘に参加することのなかったに等しい共産党政府からそれを言われると、ウソをつけとこぼしたくなります。
おまけに、桑田・村上両氏は中国と同調して、「日本人の加害性」を追及する始末ですから、手に負えません。
真に「責任をとる」気ならば、問題をゴッチャにして全部まとめて倫理的に謝ることなどはもっともしてはならないことです。
問題の在り所を探すためには、ていねいに切り分けて整理せねばなりません。
なぜこのような戦争に至ったのか、そしてなぜそれから70年たって未だこのような侵犯行為が続けられているのか、しっかりと「説明責任」を果たす必要があるのです。
それが「責任を取ること」です。結果、謝る必要があれば謝ればいいし、そうでなければその旨をかの国に伝えるべきです。
そのような「説明責任」なき気分的な謝罪はかえって問題をこじらせ、感情的対立を煽る結果にしかなりません。
では、この菅政権のように桑田・村上両氏の言うとおりやった結果、中国と日本の友好関係が高まったかと言えば、まったくノーです。
長くなりましたので、これについては次回に見ることにします。
桑田クンのおかげで、新年早々、予定になかった「困った隣人」について書くハメになりましたよ。恨むぅぅぅ(棒)。
« 週末写真館 黄金の湖 桑田クンの歴史知らず | トップページ | 中国におもねった無残な結果 »
なんといいますか、第一次大戦後のナチス台頭を許したヨーロッパ諸国を思い出しました(ドイツ再軍備宣言~ミュンヘン会談等)。
もちろん現在と当時じゃ状況がまるで違うし、チェンバレンの宥和政策は、現在でも論争の的でもありますのでなんとも言えないのですが、彼らは歴史どころか現実を見ることすらできないのでしょうね。
とんちんかんに政治に口出すとは存外暇なのでしょうか?羨ましい限りです(笑)
投稿: Q州 | 2015年1月 5日 (月) 19時32分
明けましておめでとうございます。本年も勉強させて貰います。
さて、
>結果、謝る必要があれば謝ればいいし、そうでなければその旨をかの国に伝えるべきです。
このスタンスは大事ですよね。
何でもかんでも無いことにするというやり方は下の下。
しかし、闇雲に「やっかいだから謝っておこう」というのは下の下の下ですね。
今までリベラルと呼ばれる人達がまさにこのパターンですが、
これがことここに至った元凶ではないでしょうか。
大体、韓国は事あるごとに謝罪が足りないと言ってきますが、
実際のところ、もし日本政府及び国民全員が頭を床に擦りつけるようにして
謝ったところで、分かりました許しましょう。なんて言うはずが無い。
格好の外交カードであるこの切り札を自ら捨てるはずが無いわけで、
その度にあれこれケチを付けるに違いありません。
かといって喧嘩をする必要は無く、
毅然とした態度で穏やかに付き合えばいいだけのこと。
ヘイトスピーチなんて馬鹿なことは相手を利するだけです。
投稿: 右翼も左翼も大嫌い | 2015年1月 6日 (火) 01時00分