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2015年2月 8日 (日)

日曜特設良ボツ回収コーナー  慰安婦問題の構造について

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もうこのままボツかなという可哀相な記事を復活させる日曜特設コーナーです。本来、去年アップしようと思っていたら、まぁご承知のような状況でして、あえなくボツに。

まぁ、関心ある方はお読みください。

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慰安婦問題は膠着しています。あいかわらずマイク・ホンダは韓国とつるんで慰安婦聞多いをホワイトハウスに訴えているようで、マグロウヒルの教科書問題に対して外務省が抗議したようですが、回答はすげないものでした。

つまり世界は、この朝日謝罪事件以後も、なにひとつ変わっていないことになります。

朝日新聞は、人質事件で国民の関心かそれたのをこれ幸いに、「第三者委員会の報告書は重く受け止めている」ていどで、お茶を濁そうとしているようです。

本来、この新聞には、世界中の主要紙に、訂正文を全面広告で打つていどの誠実さがひつようだったはずですが、おそらく逃げきるつもりでしょう。

さて、火元の植村隆元記者は意気軒昂で、訴訟すら起こしています。

いい機会ですから、あらためてこの慰安婦問題がどんな構造でできているのか、その中で植村記事はどこに位置づけられるのかを見ておきましょう。

「慰安婦問題4点セット」とでもいえるパーツで成り立っています。 植村氏が関わったのは②③ですが、この4つすべてに、朝日新聞は深く関わっています

① 1983年の吉田清治による「吉田証言」
② 1991年の金学順さんの証言
③ 1991年の女子挺身隊を慰安婦とした報道
④ 1992年1月の吉見義明氏の「防衛研究所から日本軍関与の証拠見つかる」という「発見」

①の吉田清治という詐話師をまことしやかに、世に送りだして、その嘘八百を広めたのも朝日。

②の金学順さんの証言を植村記事が歪曲したのも朝日。

③の女子挺身隊を慰安婦と結びつけて、「日本軍は12歳からの朝鮮人少女を慰安婦にした」というデマを振りまいたのも植村記事の朝日。

そして、④の政府関与の「新資料」なるものを発見したと騒ぎ立てて、宮沢政権に河野談話を書かせたのも、また朝日でした。

植村手記の中で、彼は「他の北海道新聞や読売もやったろう」などと言っていますが、その発信量のズバ゙抜けた多さと、与えた社会的影響は、他社とはまるで比較になりません。

慰安婦デマの発信源こそ、隠れもなく朝日新聞なのです。 

植村氏はこの中核を成す②③に関わっていて、その責任から逃れることは不可能です。 

①の吉田証言と吉見「発見」については、別の機会に触れるとして、今、私がテーマにしているのが金学順さんの証言です。 

彼女の証言がインパクトがあったのは、初めての実名を名乗り出ての証言だったからです。 

彼女が日本政府を訴えるために話したテープが、植村氏がいう「一本のテープ」で、これが植村記事によって一躍全国に広められて、未解決の「従軍慰安婦問題」が残っていて、その戦後補償をするべきだという世論の流れを作り出したわけです。 

さらに、許しがたい残酷な女性に対する戦争犯罪が日本軍によってなされたという思い込みが、完全に染み渡りました。 

では、この日本国民に衝撃を与えた金学順さんの証言とはいかなるものだったのでしょうか。 

これが、実は驚いたことには、5種類あります。(欄外参照) 

①(図)Aは、慰安婦訴訟団体の挺身隊協議会の91年の聞き取り(93年文書化)のもの
②(図B)は、91年12月の提訴で来日時の聞き取りもの
③(図C)は、92年8月(推定)伊藤孝司氏聞き取りのもの
④1992年8月朝日新聞植村記事「
女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた」
⑤ 1997年12月 韓国連合通信 記事
 

この4種類の金学順「証言」にはこのような差異があります。 

・「父が独立運動家で日本軍に殺された」と言っているのはBのみ
・「母の再婚を嫌って家出をした」と言っているのはBのみ
・「実母に40円で売られた」と言っているのはAのみ
・「北京の食堂で日本軍に見つかり、レイプ゚されて慰安所に連行された」と言っているのはAのみ
・「キーセンに売られた」を省き、「女子挺身隊として強制連行した」と書いたのは、この時点では朝日記事のみ
・「満州で日本軍に連行され、昼は軍の弾運びをして、昼は10人~15人の相手をした」と言っているのは連合通信記事のみ
 

あまりに毎回違うので、秦氏が、原告代理人の高木健一弁護人に「もっと説得力がある証人はいないのか」と聞くと、「実は私もそう思っているんで韓国に探しに出かけた。追加分はいいものばかりですよ」とのことだったそうです。(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』) 

おいおい高木弁護士、あんたは魚屋か、ポンビキか(苦笑)。 

まぁこの人が、そもそも「慰安婦はいないか」とチラシを撒いて、慰安婦訴訟の原告を探しに行ったところから、韓国で火が点いたわけですから、限りなくポンビキ風であっても当然かもしれません。 

どうしてこうも日弁連の弁護士たちは、貧困ビジネスや慰安婦訴訟ビジネスが好きなんでしょう。 

それはともかく、おそらくこのように違った証言を金学順さんがしているように見えるのは、その時の周囲の思惑で、オリジナルからどんどん離れて行ったからです。 

その最終変化モデルが、97年の連合通信の「満州で日本軍に連行され、昼は軍の弾運びをして、昼は10人~15人の相手をした」ということになります。 

問題はどこで、日本政府の責任を問えるのかですが、当人が女衒に連れられて慰安婦になったではしまらない話になってしまいます。 

それゆえに出てきたのは、日本軍のレイプ」という金学順さんのAの証言か、植村記者の「女子挺身隊として組織的に強制連行した」という作り話になるしかなかったのです。

こうして並べてみると、植村氏の「創作」がいかに大きなものだったのか、慰安婦聞問題と称されるものが朝日新聞のフレームアップだったのか、改めてお分かりになると思います。 

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               秦郁彦『慰安婦と戦場の性』より

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