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ヴァイツゼッカー演説のからくり

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戦後ドイツがこの「人道に対する罪」を、どう贖ったかみてみましょう。 

たぶん、戦後補償について書かれた本のすべてに登場するのが、この余りに有名な1985年5月のドイツ連邦議会におけるヴァイツゼッカー大統領の一説です。 

やや長文ですが、引用します。 

「我々は、戦いと暴力支配とのなかで斃れた人々を悲しみのうちに思い浮かべる。ことに強制収容所で命を奪われた六百万のユダヤ人・・・ソ連・ポーランドの無数の死者・・・命を失った同胞・・・虐殺された・・・シンティ・ロマ(ジプシー)、精神病者・・・銃殺された人質・・・ドイツに占領されたすべての国の抵抗運動の犠牲者を。
罪の有無、老幼いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばならない。全員が過去からの帰結に関わりあっており、過去に対する責任を負わされているのである。
過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険にも陥りやすいのだ。
 若い人たちにかつて起こったことの責任はないが、その後の歴史の中でそうした出来事から生じてきたことに対しては責任がある。若い人たちにお願いしたい。他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないように。敵対するのではなく、たがいに手を取り合って生きていくことを学んでほしい」(永井清彦訳)
 

もはや神話的な演説です。その文学的修辞の格調の高さに世界が感動の涙を流しました。 

この有名な部分は、実は長い演説のごく一部なのですが、ここだけかピックアップされて取り上げられています。

この部分は繰り返し各国のメディアによって流されて、「ドイツ人は過去のホロコーストと侵略の歴史を直視し、若き世代もまたそれを背負って生きていく。それがドイツ人が犯した大罪の償いなのだ」と、国際社会は受け取りました。

しかし、この演説の原文テキストを当たれば、そこにはさまざまな「趣向」が凝らしてあることに気づくはずです。ざっと読んだだけでも、この演説は意識的な混同をしています。

たとえば前段のユダヤ人虐殺と、ソ連、ポーランドの侵略に伴う死者を一緒にしていることです。

これは先日から、繰り返し述べたように、一般的戦争犯罪と、ユダヤ絶滅政策をあえて一緒にすることで、本質をボヤかすトリックです。

演説テキストは長文であり、しかもこの部分は前後を読まないと理解できない仕組みになっています。 

ヴァイツゼッカーは、謝罪などしていないのです。
阿部賢一氏よるhttp://www.tulip.sannet.ne.jp/ken-abe/rondan-2014-07.html 

たとえばヴァイツゼッカーは、単純な第2次世界大戦への謝罪を述べたのではなく、巧妙にドイツ民族、あるいは国民一般もまた、ナチスの被害者だったのだと言っています。この部分です。 

「しかし日一日とすぎていくにつれ、5月8日(※ドイツ降伏の日)が解放の日であることがはっきりしてきました。(略)ナチズムの暴力支配という人間蔑視の体制からわれわれ全員が解放されたのであります」

ドイツ国民は負けたのではなく、「解放」されたのだと、言っています。

ヨーロッパ全域に対する侵略行為、そしてユダヤ民族絶滅もまた実行犯はナチスであって、それは極少数派だったのだと言っています。

ホロコーストも、大部分の国民はそれを知らなかったし、ましてやそのとき生れてもいない若者には責任をとりようがないのだ、と言っています。原文はここです。 

「ユダヤ人という人種をことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。この犯罪に手を下したのは少数です」
「一民族に罪がある、もしくは、無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まったく生れていもしませんでした。この人たちは自らが手を下してはいない行為について自らの罪を告白することはできません」

ヴァイツゼッカーは、あくまでも「集団的罪」ではないと述べています。「集団的」とは聞きなれない表現ですが、一般には民族的、国家的なことを指します。

ここで彼は、ドイツの犯した残虐行為やユダヤ絶滅政策は、あくまで「個人的なもの」だと言っているのです。

うっかり見過ごしてしまうていどに慎重に、「罪がある、もしくは無実である」というように巧妙にボヤかしているからわかりにくいだけで、文脈で読めば、ドイツ民族に「(集団的)罪」はないと言い切っているのです。

つまり、ヒトラーとナチス党の「個人的」犯罪である、とヴァイツゼッカーは言いたいのです。そして、この長文の演説テキストにはただの一カ所も、ドイツが侵略した国々への直接的謝罪の文言はありません。

わが国ならばこう言っている部分です。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」(村山談話1995年8月)

あー、内容ウンヌンの前にダサーっ(苦笑)

ヴァイツゼッカー演説が、謝罪文学なら、村山談話はまるで、どこかの市議会の答弁書。

村山さん、あなたに文学的素養がないのは分かっているんだから、スピーチライターを司馬遼太郎さんあたりに頼みなさいよ。

小役人に書かせるからこういう無味乾燥でクソ面白くないものが出来るんです。まぁ、万年ノーベル文学賞候補の村上春樹氏でもこのていどです。

日本が起こした戦争に中国人も韓国人も怒っているが、日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思う」 

このような悪しきナイーブさ、あるいは政治的幼児性は、ヴァイツゼッカー演説が、文学的修辞にまぶしてぼやかしまくって、すべての罪をナスチにすり替えて、ちっとも謝罪していないのと対照的です。

村山さんは床に額を擦りつけんばかたにして謝っているのに、誰の心にも響かないのだから、最悪です。

一方、ヴァイツゼッカー演説は、「過去に眼を閉ざす者は結局のところ、現在に盲目となる」という決めゼリフを言いながら、肝心なドイツの軍事侵略を受けたく国々であるポーランド、チェコ、ソ連、フランスなどの多くの諸国に対してはひと言の言及もありません。

下手に謝ると、その代償を支払わねばならないからです。謝罪と賠償はかならずワンセット、それが世界の常識です。

わかりましたか。そう、ヴァイツゼッカーは何も謝罪していないのです。ただ抽象的に「思い浮かぶ」、「心に刻む」「思いを馳せる」remember, recall, commemorate, mourn, pay homageという表現に止まっています。

止まっている、という言い方は正確ではありません。あえてそこで寸止めして、すべてをヒトラーになすりつけたのです。

あながち皮肉ではなく言いますが、なんというずぶとさ、そして驚くべきしたたかさでしょうか。

まず絶対悪のヒトラーが大前提としてあり、その圧政によって、初めにドイツ国民が支配され狂気に追いやられ、そしてヨーロッパ全域に対する侵略とユダヤ人抹殺にに駆り立てられたという図式です。

そしてわれわれドイツ民族もまた被害者なのだ、ということです。自分たちドイツ人一般は「被害者」なのだから、私たちを責めるな、と言いたいのです。

いつのまにか、加害者と被害者が、同じ席に座って、ヒトラーを糾弾しているような錯覚に襲われます。

ヴァイツゼッカーが、唯一責任を認めているのは、逃げようがないユダヤ人に対するホロコーストだけで、それもまた「一部のナチス」の責任なのだとしています。

つまり、悪いのは極悪なヒトラー一派で、一般国民はノット・ギルティ、そして侵略したドイツ国防軍もまた「普通の戦争を戦っただけだ」(ニュールンベルグ裁判での国防軍の釈明)というのが、 ヴァイツゼッカー演説で、これこそが戦後ドイツの公式の見解なのです。

Photo(写真 ワルシャワのゲットー英雄記念碑の前でひざまずくブラント首相。ユダヤ人ゲットーてあることに注意)

上の写真は1970年12月7日、ヴィリー・ブラント西ドイツ首相(社会民主党=SPD)が、ワルシャワを訪れた際に、ゲットー英雄記念碑に献花し、ひざまずいて黙祷を捧げた時のものです。

このひざまずく黙祷のポーズは、後のヴァイツゼッカー演説と並んで強烈な<反省>プロパガンダを発しました。

日本のリベラル知識人が総なめにされただけではなく、中韓はこれこそが正しい歴史認識だと絶叫したことを覚えています。Photo_3

(写真 2013年7月日韓サッカー試合における垂れ幕)

このハングルの垂れ幕の意味は、「歴史を忘れた者に未来はない」です。

また、わが国では、「日本の戦後補償がされていない」という論説や運動が、「ドイツの戦後補償に見習え」とばかりになされてきています。

安倍首相は、今年終戦70年の談話を出すことになっていますが、ぜひこのヴァイツゼッカー演説を学ばれることをお勧めします。

いかに文学的修辞を巧みに使うか、いかにして本質をズラして謝らないか、いかにして謝っていないのに謝ったようにみせるのか、という政治的パーフォーマンスを学べる宝庫のような演説です。

さぁ、大声で叫びましょう!せーの、ドイツに学ぼう!

では実際に、ドイツはどのような賠償を行なったのでしょうか。長くなりますので、それについては次回に。 

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コメント

政権交代したギリシャが、ドイツに「戦時賠償22兆円」を要求したようですが…
どっかの国の入れ知恵でしょうかね。
もちろん一笑に付されたようですが(笑)

投稿: 山形 | 2015年2月13日 (金) 07時52分

ウリナラが破綻したのは、当然の賠償責任を踏み倒したせいだ、と西でも東でも騒がれるのですね。(笑)

件の垂れ幕はさしずめ、自己紹介乙というやつですね。

ドイツの大統領という、お飾りみたいな立場の人間が語った、というのも「からくり」の一部だと思います。
その内容を曲解して、日本の首相に言わせる、ヴァイツゼッカーは保守派だから日本の保守派も見習うべきだ、というのが朝日新聞ですね。


投稿: プー | 2015年2月13日 (金) 09時03分

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