中国が「抗日戦争勝利」にこだわるわけ
中国に言わせると、今年はなんでも「反ファシスト戦争勝利と国連創設70年」の記念の年だそうです。
パククネさんなど、中露から「歴史共闘」の誘いを受けているそうで、大モテでよろしいことです。
しかしちょっと考えればすぐわかるのですが、韓国は戦争当時「悪の枢軸国」たる日独と戦った連合国の一員ではありませんでした。
いや、それどころか、我らが「軍国日本」の一員ではなかったかと・・・。まぁ「臨時政府」とやらがあったそうですから、ま、いいか(笑)。
「歴史」というのは、実証的史実以外に、どうやら「国家的神話」とでも言うべきものがあって、あんがいこの神話のほうが国の根幹をなしていることがあるようです。
中韓の場合、それが必ず日本との戦争がらみなのが共通しています。
たとえば、韓国の場合は、1919年建国の「大韓民国臨時政府」以来、日本と日夜戦い続けていなければなりません。
それを「歴史的事実なし」と否定してしまうと、今度は北朝鮮の金日成だけが抗日戦争の英雄だったことになってしまい、韓国に至っては北朝鮮から「お前らは日本軍だったろう」ということになってしまうからです。
実際に、パククネさんの父親のパクチョンヒ大統領は、満州軍中尉・高木正夫だったのはかなり知られた事実です。
こんなことが一定の世代から上はあたり前だったために、異常な情熱で親日派狩りに狂奔するになったようです。
(写真 満州国軍軍官学校の日系将校枠の受験許可を特別(年齢制限により受験資格がないため)に求める血書による嘆願書を提出(1939年3月31日付『満洲新聞』Wikipedia)
それはさておき、中国の王毅外相は、先月の国連の演説でこんな趣旨のことを言っています。
①中国は国連創設メンバーであった。
②戦後一貫して「平和と安定」を支えてきた。
③反ファシスト戦争は中国が戦った。
①に関しては、中国が加盟したのは1971年。国連が創設されてから実に26年目のことで、創設時の1945年には中華人民共和国は影も形もありませんでした。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-1aea.html
②に関しては建国から大小合わせて15回も戦争・紛争を仕掛けています。全方位膨張をした結果です。外交の手段として戦争をしっかりと位置づけていることがわかります。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-e32a.html
では、③の「反ファシスト戦争を中国は戦った」という部分ですが、これは韓国と同様の「国家的神話」、国営ファンタジーというヤツです。
中国は、自らの国家としての正統性(レジティマシイ)を、「抗日戦争を戦って日本を敗北させた」という一点に置いています。
ところで、日本政府が日本国を統治する正当性は、「選挙」です。政府は選挙で選んだ国会議員が選んだ首班が組織する政府によって統治されています。
よく「アベはファシストだ」とデモで叫ぶ人がいますが、自分たちが選んだ第一党が組織する政府がファシズムであるはずがありません。
だいたいあんたら、ファシズム国家で、そんなデモができるのかね。あ、いかん、素で答えてしまった(苦笑)。
(安倍首相の顔人形をブルドーザーで引き潰すという感性のほうが、よほどファシズムに近い気がするぞ)
それはさておき、中国では「選挙」自体が存在しません。選挙で選ばれない代表によって構成された政党が、自分に都合よく作った憲法と法を根拠として統治しているわけです。
そして共産党以外は存在を認められていません。 中国政府はあると言っていますが、もちろんただの軽い冗談です。
このような国を一般的な概念規定で「全体主義国家」、あるいはファシズム国家と呼びます。 ちなみにファシズムの定義は以下です。
■ファシズムの一般的定義
①宗教、思想、結社の自由を否定する。
②一党独裁、指導者への服従を強要する専制主義である。
③極端なナショナリズムである。
④反対者に対して過酷な弾圧政策をとる。
①から④まで完全に現在の中国そのものです。こんな国が日本に対して、「反ファシズム戦争に勝利」したなんて言うのは、まさにこの口か、この口か、です。
王外相演説のウソの3番目の最初の答えがこれです。
日本の左翼の皆さん、イメージ的に使わないように。気に食わない政権が来るたびに、「ファシズムが来た」なんてやっていると、オオカミ少年になっちゃいますよ。
となると、国民は「なぜこいつらがエラソーに統治していやがるんだ」と思い、やがて「民主主義で政府を選ばせろ」という香港の雨傘革命の声につながっていきます。
実際に第2次天安門事件が、このような民主化要求でした。
※六四天安門事件 - Wikipedia
(写真 第2次天安門事件。夜になると、人民解放軍による民主化を求める学生たちの大虐殺が行われた)
中国政府はこの正統性の正当性(←舌を噛みそう)の根拠を、「経済の高度成長」と「抗日戦」に置いています。
前者の経済は、既にほころびが見えてきましたが、ナニがなんでも「保八」(成長率の8%維持)をせねば、国民から見放されます。
で、いっそうしがみつくのが後者の「抗日戦はオレが戦ったんだ」ということになります。
近代中国が、従来のスーパーパワーから転げ落ちたのが1840年のアヘン戦争でした。
以後、近代中国は戦争で勝ったことがありません。列強によって半植民地状態におかれていましたが、その転換点となったのが、日中戦争でした。
米英などの連合軍は、日本軍の戦力の半分に当たる100万人を中国大陸に引き止めておくために、国民党政府を連合国で重要な地位に付けました。
これが、今に残る国連の常任理事国の原型です。
結果、「悪の枢軸国」の日本を共同で倒したことが、中国が大国に返咲く転機となったわけです。
しかし、その抗日戦争の主役は、國府軍でした。共産党軍はほとんど戦っていないと言ってよいでしょう。
私の父も中国派遣軍でしたので、しょっちゅう父から「日本はアメリカに負けたんで、中国に負けたことなんか一度もないぞ」、ということを聞かされていました。(当時反戦少年だった私はフフンと鼻で笑っておりました。すまん、親父殿)
しかし、中国共産党軍が日本に勝ったはおろか、まともに戦ってもいないとなると、「お前は中華民国の手柄を簒奪しただけじゃないか」と国民から軽蔑されてしまいます。
そこで、中国政府が銅鑼とラッパで吹き鳴らしているのが、「われらが中国共産党こそが抗日戦争の英雄だったんだゾぉ」という「国営神話」です。
さて、ほんとうはどうだったのか考えていきましょう。
実は、私も今回調べてみて改めてわかったのですが、日中戦争(日本側呼称「日華事変」)について書かれた資料は極端に少ないことです。
米国との戦闘に関しては、日時、状況など詳細な記録が残っているのに対して、日中戦争に関しては、私たちの父祖が戦った戦争にも関わらず、資料自体が希少です。
しかも資料があっても、中華民国軍(國府軍)との戦闘が全てに等しいと言ってよく、「オレ様が日本鬼子を倒したのだ」と豪語している中国共産党軍(当時八路軍・新四軍)は、どこで何をしていたのかさえ、よくわかりません。
これは、当の中国ですら同じようで、中国の一般ピープルはいまだに大量生産されている「抗日ドラマ」のトンデモワールドこそが、真実だと思っておられるとのことです。まぁ、こんなかんじね(笑)。
内容的には、最近は中国ピープルからさえブーイングが出るほど荒唐無稽。歴史背景の無視などは当然として、ゼロ戦を手榴弾で落したり、中国兵が少林拳で「日本鬼子」を唐竹割りにしたりするそうです。 スゴイねぇ。
こんなトンデモドラマが、2012年のゴールデンタイムに放映されたドラマの3分の1だったというのですから、困ったお国だ(苦笑)。
長くなりそうなので(←もう充分に長いよ)、今日はここまでとします。
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嘘はどんどん大きくなる、という典型の話ですね。
「保八」、今は「保七」なんでしょうが、
実のところいつか見た大躍進の最中ではないかと思います。
大躍進の後と言えば、温家宝が退任間際に心配した文化大革命となります。
投稿: プー | 2015年3月 9日 (月) 08時51分
人類史上、二大最悪イデオロギーの共産主義と儒教。
本当に恐い国もあったもんですわ。
投稿: アホンダラ | 2015年3月 9日 (月) 16時57分