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2015年3月

哀れ、翁長知事!

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コメントの「仲井真さんも反対ではなかったのですか」、という質問にお答えします。前後の経過からお話しないと、なかなか理解は難しいと思います。

仲井真さんはそもそも容認派でした。ついでに当時、彼の官房長官みたいな立場にいた翁長氏にいたってはバリバリの推進派でした。 

ところが、なんと首相という最高責任者であるハト氏が、どんな宇宙からの啓示があったのか、誰にも相談するもなく、首相になるやいなやあっさりとちゃぶ台返し。民主党内ですら誰も知らなかった、というスゴサ。

これで沖縄県民は、ひょっとしたら首相が言うんだから「国外、最低でも県外」という可能性があると信じたわけです。

そりゃそう思うのは。自然ななり行きです。「政権交替」という偽薬に酔っていた当時ですから、沖縄県民の世論は燃えに燃えたのです。(↓写真、気持ちわるいので差し替えました)

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ところがこれは、単にハト氏の脳味噌の中の泡でしかなく、彼が半狂乱になって、他の政務を全部投げ出して探したが、そんな都合いい移転先は、なし。

あたりまえだ、つうの。そんな場所はすべて14年間(当時)で当たり尽くしていたんですから。

見ていた当時野党の自民の議員は、「ああ、そこはオレか当たった。あ、ここも当たった。なんでオレらに聞かないの」と思って見ていたそうな。 

で、困ったのは沖縄県側の首脳部の二人、仲井真氏と翁長氏でした。

完全に本土政府のハシゴをはずされて、沸き立つ県民の声に抗しきれずにやむなく、「反対」に転向したのです。 

ハト氏は狂乱の1年後に、「ボク、抑止力がなにかやっとわかりました」というひとことを残して、全部投げ出して辞任しちゃいました。(でも、ほんとうはゼンゼン分かっていなかったのは、皆さんもご承知のとおり)

飛行機の操縦法を知らない奴が、機長やってたわけです、おおこわー。こんな人物の次がカン氏で、この人も操縦法はなにも知らなかったという悲劇。

2代続けてこんな奴を機長席に座らせてしまった民主党は、永久にペナルティボックスに入っていなさい。

後始末くらいしていけよ、というところですが、言い放しなのは今も一緒です。ともかく辞めてもらっただけで、国民は胸をなで下ろしたんですから。 

というわけで、ハシゴをはずしてしまわれた形になった仲井真氏は、以後「含み」を持たせつつ、「『国外・最低でも県外』と一回言ったことの責任を政府はとれよな」と、いかにも喰えぬタヌキらしい長い交渉に入ったわけです。下

の写真は、就任した野田首相が2012年12月に沖縄訪問した時のものですが、もうどちらか一国の首相かわかりません。

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コメント氏が言うのはこの時期のことですね。政府は、「政府としての責任」から逃げられません。

政府というのは、前政権のツケを背負って解決せねばならない、本来そういう厳しい存在なのです。

仲井真氏が納得できるような振興予算の積み増し、日米地位協定の見直しなどを条件に、あくまで行政官として政府の工事申請を受理してもらったわけです。

さて、ここで仲井真氏の任期が切れて、知事選になりました。仲井真氏としてはもう1年くらいやっていたかったでしょうね。積み残しが沢山ありましたから。

さてここで、仲井真氏の移設についての立場を確認しておきましょう。仲井真氏のスタンスはあくまでも、「知事として埋め立て申請承認」でした。

すでに移設は、承認は終了して実施段階に入っていますから、知事選においては、「本来、辺野古移設問題は争点になるはずがない」というのが持説でした。

ここで本来は仲井真氏をサポートすべき立場の翁長氏が、沖縄政界の支配という野望に乗り出したからややこしくなりました。

翁長氏は、オスプレイ反対運動の音頭を取って、左翼陣営との絆を深めていたあたりからきな臭さ満点だったのですが゛名護市長選で左翼陣営につくなど、もう既に裏切りの準備は万端整っていたようです。

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翁長氏の主張は、「オール沖縄」という言い方に良く表されています。

これは、沖縄には保革の対立はなく、一丸となって「基地のない平和な沖縄にしていこう」という耳障りのいい主張でした。

沖縄ナショナリズムという魔法の接着剤で、みんなくっつけちゃおうというもので、ある意味、大変に危険な政治手法でした。

なぜなら、これを突き詰めていくと「オール沖縄vsオール・ヤマト」というナショナリズム的対立構造を煽るものだからです。

これについては別に詳述しますが、こんな方法をとれば、日本国民の中で当然強い反発が起きます。

本土の人達の中には、「普天間の行き先がないのはハト氏が実証済みでしょう。どうすることが沖縄県の望みなの。それじゃあ駄々っ子と一緒でしょう」という空気が生れました。

本土では、今までの沖縄に対する贖罪観を含んだ温かい同胞意識が急速に冷めて、韓国と並んで「わけのわからない隣人」という気分に変化していき始めました。

そしてもうひとつ。翁長氏は、県知事は地方自治体の行政官だという立場を忘れています。

翁長氏に限らず、沖縄の革新陣営には、県知事の職能に関して妙な幻想があるようです。

県知事は自治体行政官として防衛省が去年3月22日に提出した公有水面埋立法(公水法)に則った沖縄県知事あて埋立承認申請願書についての審査権しか持っていません。

政府の埋め立て申請に嘘偽りがないか、誤りがないか、環境対策が万全かなどを事務的にチェックして承認か否かを決定するだけの権限しか持っていないのです。

沖縄の地元2紙はそれを知っているから、県知事の職県を超越したものとして、「民意」なる概念を作り出したのです。

B61thlpcuaawlm6しかし、現実には、知事の職権は、公水法に規定されている範囲内だけです。

同法によれば、県知事が埋め立てを拒否できるのは、審査で書類の不備や環境保護など工法上の問題点が見つかった場合のみです。

この事務的審査を受理して、審査した結果承認されたわけですから、これで県の出番はなくなります。

仲井真氏が選挙中に、何度も「移設問題は争点ではない」と言い続けてきたのはそのわけです。

移設は、知事の主観で承認、不承認を左右できません。考えてみれば当たり前の話です。

もし知事の主観でどうとでもなるのなら、埋め立て賛成知事だったならば、なにがなんでも承認したいために、申請内容がデタラメであってもオーケーを出せてしまいますから。

これについては、仲井真知事は淡々と記者会見でこう指摘しています。

「仲井真知事は今日の定例会見でこのように述べ、法律に則り辺野古の埋め立てを承認したことで行政手続きは完了し、工事は進み始めていると指摘しました」(沖縄テレビ 8月1日)

翁長氏という長年与党にいた古狸ならば、当然政府が今さら申請取り下げに応じるはずがないのは百も承知のはずで、「移転反対」はいわば選挙用スローガンでしかなかったはずです。

そのためか翁長氏は、左翼陣営との協定を結ぶ段になって、突然歯切れが悪くなりました。

「翁長氏側と協定を結ぶ予定の基本姿勢は辺野古の「埋め立て承認を撤回する」という文言を修正し、「承認撤回を望む県民の声を尊重し、辺野古新基地は造らせない」に変える方向で調整している」(琉球新報7月28日)

主語が「県民の声」というあいまい模糊としたものに替わり、「新基地は作らせない」という決意表明、あるいは努力目標に言い換えています。

このあたりが良く言ってあげればしたたか、はっきり言ってやれば姑息です。

たぶん翁長氏は、知事になった場合に「承認拒否」という強硬な一本槍では、政府と左翼陣営に挟まれてニッチもサッチも行かなくなり公約違反を責められるので、このように曖昧な表現にしたかったのです。

正直な話、翁長氏にとってこの「移設反対」は、革新票を取り込むための疑似餌にすぎませんでした。

元来、翁長氏の持論は、本質的に革新陣営とは大きな意見の違いがありました。

翁長氏は朝日新聞のインタビューでこう安保観を述べています。

「ぼくは非武装中立では、やっていけないと思っている。集団的自衛権だって認める。しかしそれと、沖縄に過重な基地負担をおわせるのは別の話だ」(2012年11月24日朝日新聞)

驚いたことには翁長氏は日米安保のみならず、集団的自衛権にも賛成しているのです。

いちおう自称「根っからの保守政治家」ですから。となると、彼が前面に掲げる「過剰な基地負担の軽減」などは、沖縄の政治家ならだれもが言う定番的発言にすぎなくなります。

ここに翁長氏の最大の矛盾があります。

左翼系候補なら、そもそも政府の安全保障政策は全否定の対象であって、だから移設反対なのですが、翁長氏は安全保障政策には賛成していて、「新基地反対」の部分だけで反対なのです。

とすると、知事になった後に、左翼陣営の「同志」たちは、移設反対を突破口にしてすへての基地に反対しろと迫りますから、果たして翁長氏がそれにどう答えるのか、見物です。

整理してみましょう。

まず、仲井真氏が再三指摘したように、移設に関する知事の事務手続きは既に去年暮れに終了しており、今新しい知事がなにかできる条件は皆無です。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

せいぜいがところケチツケ程度です。これは承認を覆すに足る「要件充足性」がないからです。

「政府高官や県幹部によると、行政法の解釈では埋め立て承認という行政処分を撤回できるのは、米政府が辺野古移設を中止するなどの状況の変化があり、「要件充足性」が失われた場合だけだ。現状ではそうした変化はないため撤回は不可能であり、仮に撤回をすれば県は多額の損害賠償も求められ、非現実的な方策だといえる。
翁長氏が「撤回」を公約に掲げることを拒否したのはこのためとみられる。ただ、野党5団体の革新政党の中には、「翁長氏は本気で辺野古移設を阻止するつもりがないのでは」との疑念がくすぶっている」(産経8月8日)

翁長氏は、当選してから移転問題に口先ばかりでゴニョゴニョ言って、お茶を濁そうとしていました。

彼は要件充足性で、仲井真氏の承認作業に瑕疵がないことを、よく知っていたからです。

だから検証委員会などを作って、毛を吹いて傷を求めていたのです。しかし、そんな程度では、左翼陣営の「同志」には許してもらえません。

「工事が始まるぞ。なにしてんだ」と怒鳴られまくったのでしょう。

ケツを蹴り上げられて翁長氏が渋々始めたのが、今回のコンクリートブロックの許可取り消しという枝葉末節、どーでもいいようなケチツケです。

それも昨日書いたように、身内が当たり屋をやっているからしかたなく海保が設けた外周フェンスの固定するためのブロックなんてですから、馬鹿丸出しです。

翁長氏が、ヘノコ・シーシェバードの連中に、「合法的な抗議活動に徹しなさい」と一喝すれば、そもそもこんな外周フェンスなどは不要になったのです。

ただしそれを言うと、今、自分が言い出した許可取り消しうんぬんも同時に消滅してしまうのが、いかにもこの自作自演の茶番らしくてシニカルな笑いを誘います。

とまれ、必死に探してみましたが、こんなヘロヘロ弾しかなかったのです。

哀れ、翁長知事! 

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身内の「ヘノコ・シーシェパード」が作らせた外周フェンスで騒ぐ翁長知事

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コメントにお答えをする予定でしたが、状況が動いたので、次回にさせて下さい。 

「翁長の乱」に対して、本土政府は「淡々と進める」(菅官房長官)という冷めた対応をとっています。政府側が負ける可能性はありえないからです。

「林芳正農林水産相は28日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古移設で、海底ボーリング調査などの作業停止を求めた沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事の指示について、効力を停止させる方針を固めた。効力を止めるために防衛省が行った執行停止の申し立てに異議を唱えた県の意見書を確認した上で、林氏は申し立てが成立すると認定、執行停止の要件を満たすとも判断し、30日にも正式決定する。これにより翁長氏の指示は当面、効力を失う」(産経3月29日)

翁長知事は完全に戦術を誤りましたね。政府は訴訟にすら持ち込まず、担当大臣の「県の執行停止申し立て」で済ませるつもりです。

これでは裁判にもならず、門前払いに等しいということになります。

宣戦布告と同時に繰り出した、最初の一発がこれでは、先が危ぶまれます。

ただの人気取りならともかく、こんなていどの一発でどうにかなると思っていたら、あんた何年、自民党県連のボスやっていたんだ、ということになります。 

おそらく、就任してから、いまや呉越同舟の「同志」となってしまった共産党などの反基地運動陣営の突き上げで、ロクに戦術も煮詰めていなかったのが露呈してしまっています。

あのね、翁長さん。そんなことを仲井真知事時代に、検討していなかったはずもないでしょうに(ため息)。 

防衛局が去年、岩礁破砕で沖縄県に工事申請した際に、防衛局はフロートの重しのことも許可が必要か県に打診していましたし、県側も外側のフロートに関しては申請の必要がないとして、わざわざ防衛局が用意した図面も許可申請書から排除させていました。 

つまりなんの問題もない瑣末な事案を、蒸し返して「ゴールポストを動かす」ことをしているのが、県側なのです。 菅さんが、「この後に及んで」と言うのも当然です。

当然、このやりとりに関しては、今の県官僚はよ~くご存知なはずで、ボスが変わったからヒラメになったという哀しい役人世界の性です。 

県庁内部にも、「変えちゃって大丈夫なのかよ」という不安が蔓延しているそうです。行政官として当然ですな。当分、怯えていなさい。 

こんなことは本訴訟になった場合に、防衛局と県側のやりとりの実際が法廷で明らかになるのは必至で、今のように嘘を証言すれば偽証罪ですよ。

反対派が騒いでいるのが下の写真のオイルフェンスのフロートです。これを海底に止めておくコンクリートブロックが、問題だと言っているわけです。

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ではなぜ、そもそも外周フェンスを設置しているんでしょうか?

那覇第2滑走路埋め立てや、泡瀬干拓など、沖縄は埋め立て地だらけですが、そんな外周フェンスは影も形もありません。

ちなみに、前者の埋め立ては翁長氏が、後者は社民党市長が推進しているものです。この人達は、今回、急に「海を守れ」とにわかエコロになったご様子で、いかにご都合主義か分かるというものです(苦笑)。

それはさておき、普通の埋め立て現場になくて、この辺野古だけにあるのは、どうしてでしょうか。

はい、それは「ヘノコ・シーシェパード」(私、命名)がいるからです。

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上の写真をご覧いただくと、反対派のカヌー軍団が、海保のオイルフェンスで工事現場に進入できないのがわかります。

「ヘノコ・シーシェパード」の人たちは、このフェンスを「軍事基地のシンボル」のように見立てて突撃を繰り返していますが、ではご要望どおりなかったたらどうなるでしょうか。

間違いなく、下の写真のようになります。

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この時期には外周フェンスがなかったために「ヘノコ・シーシェパード」は、堂々と作業現場に突入してしまっています。

作業現場には多くの重機があり、作業を続けているわけで、これに接触した場合に人身事故になる可能性があります。

地元2紙は伝えていませんが、時事通信(3月6日)はこう報じています。

「臨時制限区域に許可なく入った場合は日米地位協定の実施に伴う刑事特別法違反容疑で摘発の対象となる。2004年、国が当時の辺野古沖移設計画でボーリング調査を始めた際、反対派が海上の作業用やぐらに座り込んで作業を阻止した経緯があり、作業現場に近づかせないために政府が制限区域を設定したとみられている」

このように、抗議のカヌーは作業現場に侵入して、作業員に対して暴行を働いた経歴があります。

時事の記事にもあるように、作業現場は刑事特別法の適用範囲内ですから、当然のこととして逮捕されるでしょう。

その際に揉み合って、流血事件になる可能性があります。

そうなれば、「ヘノコ・シーシェパード」は、表面は怒って見せますが、内心ラッキーと喝采を叫ぶことでしょう。運動のネタが出来たからです。

反対運動を続けるためには、その火力維持のために可燃性材料の投下が必要です。これがないとマスコミは何も報じてくれなくなって、自然と運動はしぼんでいきます。

そして国民に忘れられてしまうということになります。反対派が一番恐れている事態がこれです。そのために何がなんでも火事にしなければなりません。

ですから、たゆまず可燃性事件を投じておかねばなりません。

普通の運動では、示威行進ていどや記者会見、シンポ程度で済むところが、この辺野古反対派は衝突を誘発する過激行為という戦術をとっています。

下の写真は「沖縄平和センター」代表の山城某が、辺野古ゲートで入場しようとした現地住民に対して、大出力のメガホンを車内に入れて、さらには「引きずり出せ!叩き殺せ!」と叫んでいる様子です。

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この運動家の習性は、大はISILから、本家シーシェパードまで世界共通です。規模が違うだけで、片野古反対派カヌーがしていることは、本家シーシェパードと本質的にまったく一緒です。

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ごたぶんに漏れず、「ヘノコ・シーシェパード」や「沖縄平和センター」も、海保や警察と抗争を演じて、自分でしかけたくせに被害者づらして、「不当逮捕を許さないぞぉ!」などと騒ぎたくてうずうずしています。

下の写真は山城某が、自分で基地侵入をやったのに、堂々と「不当逮捕だぁ」と叫んでいます。こういうことをしたいのです。

なぜって、火種が増えるから。火種こそ、運動の燃料ですから。

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これでひと騒ぎでき、さらに裁判沙汰にでもなればなったで、「不当逮捕糾弾!〇〇君を返せ!」でまたまた騒げるというひと粒で3度おいしいというのが反対派の意図です。

一般の国民はトラブルは避けたいと思って暮らしているのですが、この活動家連中の価値観は真逆で、日々トラブルを起こしたい、起こして大火事にしたいというのが願いです。

そういう手口は全国でやり尽くして来ていますから、今回もまた踏襲しています。もはや左翼の伝統芸といえましょう。

「海上保安庁広報室は「警告を無視した制限区域への侵入は違法で、作業中の船に取り付いたり、海保のゴムボートに船を衝突させるなどの危険な行為は看過できない」と主張する。ある海保幹部は「このまま対立が続いて衝突がエスカレートすることが心配だ」と話した」(時事通信3月6日)

また過去には、作業員に対して暴行を加えた者も出ています。他ならぬ「ヘノコ・シーシェパード」のリーダーである佐々木弘文氏です。名前からわかるように立派なナイチャーです。

彼は、本土から渡ってきた多くの活動家のひとりで、いわば外人部隊の隊長格ですが、最初に片野古で暴力事件を引き起こした人物という勲章をもっています。

「 沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、普天間飛行場移設工事のための資材搬入を阻もうと民間警備員を殴ったとして、 県警名護署は1月11日、暴行容疑で住所不詳の佐々木弘文容疑者(38)を現行犯逮捕した。
昨夏から続くゲート前の抗議活動で逮捕者が出たのは初めて。同容疑者は黙秘している。逮捕容疑は11日午前0時45分ごろ、防衛省沖縄防衛局が配置した男性民間警備員(26)の顔を、 持っていたコーヒー缶で殴った疑い。同署によると、佐々木容疑者は当時、酒に酔っていたという」(時事1月12日)

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これが沖タイにかかると、このようになります。

「反対派の「カヌー隊」リーダーの佐々木弘文さん(39)=名護市=は「区域外では作業現場に抗議が届かない。移設を阻止するには近づかないといけない。こちらは平和的に抗議をしているだけ。なぜ暴力を振るうのか」と訴える」

毎度のことですが、地元2紙の白を黒といいくるめる報道です。

沖タイは、佐々木氏が作業員に暴力を加えて暴行容疑で逮捕された経歴があるのを隠し、「名護市」とさりげなく現住所を書くことで、彼が県外からの外人部隊の隊長であることも隠蔽し、彼の言い分の「移転を阻止するために近づかないといけない」という主張をそのまま肯定的に報じています。

現に、地上部の工事現場入り口では、反対派がダンプのミラーステーに飛びついて負傷するような事件も起きています。

このような流血の事態を避けるために、フェンスを設置している、ただそれだけです。行き過ぎた抗議行動がなければなくて済んだのです。

自分たちの行き過ぎた過激戦術の結果、フェンスが出来、そのこともまたネタにして騒ぐというわけです。

これでは翁長氏は、まるで三下に事件を起させて、それを社会的事件にまで仕立て上げて、「おんどれ、このオトシマエ、どうやってつけてくれるんでしょうかねぇぇ。あ、あ」(←Vシネマの白竜の雰囲気でね)と乗り込んでくる、どこぞのなんとか組まがいです。

何度も繰り返しますが、反対派は正面からの言論の戦いで勝てると思っていません。

辺野古を「阻止」してしまったら、普天間が残るなんて、小学校算数ができないのですから。

しかし勝つには、県民を完全に味方にする必要があります。この普天間移設が少女強姦事件という忌まわしい事件から始まったように、県民の怒りに火をつけねばならないと焦っているはずです。

そのために、反対派か今後絶対に狙ってくるのが、辺野古現地における流血沙汰です。国民はこのような馬鹿げたふるまいを批判して止めさせねばなりません。

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日曜写真館 蘭たちの朝

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まだ、蘭の世界を3分の1も紹介できていません。なにせ2千枚近く撮って、それか自分でいうのもナンですがハズレかきわめて少ないというミラクル。 

別に私が突然うまくなったのではなく、原因は光線です。この日の筑波実験植物園の蘭展に、一番乗りしたのはこの私です(笑)。 

朝、いい歳をこいて、開門と同時に飛び込み、あのメタセコイアの巨木のプロムナードを抜け、光り輝く熱帯棟に入った時の、あのむせかえるような蘭の香り。そしてきらめく朝の光。

ヤッターぁ、てなもん。 

写真はひとえに光と影の賜物です。風景は曇天は曇天の良さがあります。むしろ私の湖の写真は、今も降り出しそうな曇天ばかりです。 

しかし植物は晴天にかぎります。それも午前中の斜めに差し込む光線。さらに出来れば、朝露に濡れていたりすれば言うことかありません。 

それらの光と水滴が、花々をまるで神の恩寵を受けた少女(←なんつうダメな表現)のように引き立ててくれます。 

透き通った花びらの衣をまとい、朝の明けやらぬ暗がりから花弁をもたげる蘭たちの美しさは、壮絶なまでの美しさです。 

うまく比喩の言葉が見つかりません。 

それをほとんど独占してしまえた嬉しさを、おすそ分け致します。 

お土産に蘭の鉢をふたつ買い込み、早くPCのディスプレイで見たいと、またまた早足で帰る私でした。バカだねぇ。趣味人だねぇ。

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土曜雑感 矛盾の島 沖縄

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私が沖縄にいたのは、もう大分前のことになります。私はあるムラ(沖縄ではシマといいます)に入ったのですが、そこが私を受け入れてくれたのは、開拓のムラだったからです。 

今思うと、ツテもない沖縄に飛び込んで、しかも農業(ハルサーといいます)をしようという根性が相当にアホです。 

もし、今の私に相談されたらヤメロと言うでしょう。成功する確率、0.01%以下だからです。 

今振り返ってみると、得難い濃厚な時間だったなとは思います。というのは、おそらく沖縄本島で、これ以上過酷で、しかも魅力的な体験はなかったはずですから。

よく、那覇あたりや、石垣島で溜まっているナイチャー(※)がうじゃうじゃいますが、一回まともに沖縄社会にどっぷりと浸ってみればいいのにと思います。※本土人に対するやや軽蔑的呼称。

私がその過疎のムラで出くわした経験は、今の私の沖縄認識の根っこになっている部分があります。

たとえば、「美ら海を汚すな」と、辺野古に来る人達は気楽に言いますが、失礼ながら私はつい、ウソくさいなと思って見てしまいます。

ましてや本土からデモに来る人が、現地の人を捕まえてあろうことか、「あんたらはジュゴンが可愛くないんですか。オキナワの人々は海と共生して暮らしてきたんですよ」と説教を垂れていたのを聞いた時は、力一杯吹き出しました。

沖縄の人たちは「海を汚す」ことで生きてきたという側面があることを、このジュゴン・オバさんは知らないのでしょうね。

私がいた頃も、赤い石くれまじりのやんばるの土にパインを植えて、土留めが甘いために台風で流されてしまって、海をひどく汚していました。

農業は環境汚染の原因のひとつです。本島の海岸沿いは赤く薄汚く汚れてしまい、サンゴもほぼ死滅していました。

土留めをしっかりとすればいいのですが、しない。手間を惜しむというより、そのコストが合わないからです。

フィリピン産のウソのような値段で輸入されるパインに、島のパインは歯が立たなかったのです。

当時の私のムラの飲み友達だった男は、陽気なポリネシアンといった風情のユンボのオペでしたが、彼の呑んだ時のテーファーグチ(冗談)はなんと、「八重山まで埋め立てようぜ」でした。

リクツとしては、島は狭いのだから、広くするには埋め立てるしかないというわけですな。

本土の人たちが聞いたら眼を剥きそうな理屈ですが、土建業者が海を埋めることに罪悪感を持っていたら商売になりません。

それにあまり知られていていようですが島の「本業」は、表看板は観光業、裏看板は土建業なのです。

方や「美ら海」でマリンスポーツで遊ばせて金を儲け、方や振興予算でその海を埋め立てて生活の糧としているというわけです。

ホテルが乱立する中部に行くと、まぁよくこれだけゴテゴテと作ったもんだとため息がでてきます。美しい海岸線が台無しです。

ひと頃は、ホテルから出る排水を、ろくな処理もしないで海に流していたために、海の汚染が深刻でした。モズク養殖の漁民との深刻なバトルは、年中行事でした。

また、観光業には若い人が定着せずに、すぐに流れていってしまいます。他人様が優雅に遊ぶ姿を見て暮らすというのは、若い者にはつらいんだろうかねぇ、と当時思った記憶があります。

そしてなんといっても島の主力産業は、土建業です。日本でもっとも多くの土建業・建設業者がひしめいているのがこの沖縄です。

さて本島で最大の自然破壊をしているのは、泡瀬干潟です。これを進めたのは、東門美津子市長でした。社民党出身です。

彼女は市選挙公約に干拓反対を唱えて当選した後に、公約をホゴにして賛成に変身しました。

泡瀬干潟の埋め立て工事は、総事業費1020億円で、うち357億円が沖縄振興予算から投じられています。 

計画では、中城湾港新港地区から運んだ土砂で東京ドーム21個分にあたる96ヘクタールの埋め立て地を造成し、スポーツ施設やホテルが建設される予定です。

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上のGoogle Earthで海上に白く見える巨大な島状の場所が干拓地です。

泡瀬干潟は、ラムサール条約で保護することが指定された場所なのにもかかわらず、ここに埋め立てだけて500億円かけて、187ヘクタールの人工島を作りホテルリゾートにする計画だそうです。

ちなみに辺野古の埋め立て面積は、泡瀬より少ない160ヘクタールです。

なんでこんなことを進めているのかと言えば、この泡瀬干拓のほんとうの目的が、振興予算の消化にあるからです。

干拓事業は、計画から工事終了まで10年間を越えるものがザラな複数年予算です。

複数年契約くらいおいしい予算の組み方はありません。ほとんどの予算が単年度で、しかも自然保護などに対する予算は、受託者の前払い・後清算方式です。

私も霞ヶ浦の保全運動で受けましたが、100万円を越える資金を自己調達してからでないと、補助が受けられません。

それに対して、干拓は複数年度で、しかも10年ですから、地方自治体が手放すはずがありません。

しかも最大の受益者は現地の建設業です。

建設業は、戦後、基地の建設から始まり、復帰後も潤沢な振興予算の配分に預かって公共施設や道路を作りまくりました。

こうしてできたのが、建設業の広大なすそ野です。建設機械、土木、セメント、砂利、建設資材、運送などが、多くの雇用を確保しています。

その社員や家族、飲食店も含めれば、まさに沖縄の基幹産業そのものでしょう。

これらの雇用を維持せねば、その会社だけではなく地域全体が衰退します。 ですから地元経済界としては、切実な要望でもあったのは確かなのです。

そして、沖縄には自然に「埋め立てよ、増やせよ、公共事業」という、体質が出来てしまいました。

極度の公共事業依存体質、そして振興予算依存体質です。

一回ふれたことがありますが、翁長氏は那覇市長だった頃に、那覇軍港の牧港沖への移設を推進したことがありました。

当人や支援者は都合よく忘れてしまったようですが、これなどまさに、今の翁長氏流に言えば「新基地」そのものですのです。

今回の翁長選挙陣営には、沖縄建築業界の大物がズラリと並んでいます。

また仲井真氏にも土建業の大物がつきました。互いに土建業vs土建業の争いでもあったのです。こういう側面を本土のマスコミはまったく伝えません。

「基地推進と反基地の戦い」という、ステレオタイプの報道に終始しています。

ただし、私はこの翁長氏や東門氏が、埋め立てを推進したこと自体について、頭から批判する気にはなりません。

それにはそれなりの、いわば「地域の都合」があったのは、事実だからです。

ならば、今回の辺野古でだけ突然エコロに目覚めないで下さい、と言いたくなります。私はなにがイヤかと言って、二枚舌とダブルスタンダードくらい嫌いなものはありませんので。

皮肉なことに本島でもっとも美しい海岸線はどこか知っていますか。米軍基地の前のプライベート・ビーチです。

やんばるの手つかずの自然が残っているのは、北部訓練場の内部だけです。

沖縄という島は矛盾だらけの土地だとつくづく思います。

矛盾というのは、長い歴史で自然に作られてきたものです。誰かが意図的に設計したものではありません。

よく安易に「沖縄差別だ」などと言う人が、沖縄にも本土にもいますが、そんな簡単な図式で分かれば苦労しませんって。

こんな沖縄差別ばかり叫んでいると、本土のナショナリズムと真正面からぶつかることになりますよ。

いまや、本土に生れそうなのが、いや既に生れてしまったのが「嫌沖論」です。その空気は、本土ではネット界を中心に爆発寸前です。

私はそれを恐れます。

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「辺野古闘争」に勝利したらどうなるんでしょうか?

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先日からのコメントを読むと、移設反対派の人たちは、この辺野古問題が「なぜ始まったのか」という肝心なことを忘れているようです。 

まぁ、この移設が検討されてから、すったもんだでなんと17年以上の月日がたっていますから、一体なんだったんだぁという気分があるのは分からないではありません。17年と言えば、おぎゃーと産まれた赤子が、高校生です。 

しかし、よーく思い出して下さい。 

私の記憶では、え~、これは普天間が「世界一危険な飛行場だ」というラムズフェルドのひとことを受けて、橋龍ポマードが生きているうちは善行のひとつもしたい、と始めたことでしたよね。 

やるならやるで最後までやり通せばいいものを、橋龍は亡くなり、なぜかこんなに時間がかかってしまいました。                             

 なぜですか?素朴にヘンだと思いません。 

よく国が札束で頬を叩いて国策を押しつけたという人がいますが、あのね、ほんとうの国策は成田闘争みたいに地元反対同盟と支援を機動隊で押し潰してまでもやるものですよ。 

成田では痛ましい死者が4名も出ましたが、関係なく開港してしまいました。 国策とはこんなに冷厳なものなのです。

辺野古移設で、政府はそんなことやりました?やっていませんね。

やる予定もないでしょう。だって、急ぐ必要がなかったからです。 

そもそも基地負担を減らしたいという「善意」が始まりなんですから。流血沙汰までして「善意」を押しつけるバカはいません。 

いや違うだろう。邪悪な日本政府と米軍は「新基地」を作るつもりなんだ。

左の皆さん、こういう「新基地」という言葉のトリックで、自分をダマさないように。

初めは気楽にプロパガンダで使っていても、だんだん間違った認識から離れられなくなっちゃいますよ。

「新基地」というとまるで増設するみたいに聞こえます。実際、その言葉の効果を狙って、普天間+辺野古という錯覚を与えたいのでしょうね。困った人たちだ。こういうのを自分の言葉に酔うというのですね。

しかし実際は、普天間がなくなって普天間基地が辺野古に3分の1に縮小して移転するだけの話です。基地は減りこそすれ、増えるわけではありません。 

●[普天間基地と辺野古新規増設の面積比較]
・普天間基地面積    ・・・480h
・辺野古新規建設部分 ・・・160h 

ね、辺野古だけで320h基地面積は減少することになるのです。 

それと、根本的な勘違いがあるのですよ。米軍は普天間のほうがいいの。動きたくないというのが本音です。 

常識で考えてみたらいいんじゃありませんか。あなたが海兵隊だとしますね。 

海兵隊が使い始めたのは、復帰前の1969年11月のことです。45年間も使っているんです。

 ここまで手塩にかけて使い続けた施設の移動は大変な労力と金がかかります。施設と装置を一個一個外して、トラックに乗せて運ぶ、また下ろして取り付ける。調整する、その間の手当てもせにゃならん、オーマイガッドです。 

これが兵隊だけ新しい兵舎に移動なら楽だったんでしょうね。キャンプ・ハンセンの移動なら、極端に言えばマリーンのお兄ちゃんたちをトラックに乗せるだけですから、すぐに出来ます。 

しかし、高度な航空施設の移動というのは、本来やるものではありませんから、米軍はむしろ徹底的に消極的でした。 

え、普天間が狭いから移りたいんだろうって。いいえ、違いますね。辺野古に行けば、かえって狭くなるんです。

飛行場というのは滑走路が命です。 今の普天間の滑走路は長さが2800mあります。これは固定翼機と呼ばれる大きな輸送機を離発着させることが可能な距離です。 

普天間には中型のC130輸送機はもちろん、時には大型のC17輸送機すら運用が可能だったのです。 

今度できる新居はどうでしょうか。 

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長さ1500mです。おまけに2本に別れています。よくこんなヘンテコなものを米軍が呑んだなと思います。 

オスプレイは使用できますが、C17など大型機は使用できなくなりますから、航空基地としの価値は半減します。 

移動が大変、新居は手狭になった上に、いままで使えた輸送機は使えなくなるといいことなしですから、米軍はこんなバカな引っ越しなどしたい道理がありません。 

このことをスルっと忘れて、まるで米軍が「銃剣とブルドーザー」で基地を作るつもりだぁ、と叫ぶ時代錯誤のことを主張する人達もいるようてす。

いつの時代の話をしているンだって。今は瀬長亀次郎の時代かって。 

笑っちゃいますが、わけねぇっしょ。米軍は徹底的に移転に対して消極的で、むしろ普天間をずっと使いたいのです。 

ですから米軍にとって最良のシナリオは、反対運動の皆さんの奮闘努力によって辺野古の引っ越し話がふっ飛んでしまうことです。 

米軍には当事者意識かまるでなく、他人ごとのように反対運動の狂態を眺めているだけですから、むしろ反対運動がなくなってむしろセーセーするわ、というものだと思います。 

米軍が気にしていることは、むしろ周辺環境が反米化することの方です。 

今のように「ヤンキーゴーホーム」「殺してやる」と喚く山城某のようなカルトがこのまま、辺野古を触媒にしてワラワラと増えることのほうが、よほどイヤなのです。 

一方日本政府はどうでしょうか。 

もちろん国際公約を取り下げるのですからメンツを潰されますが、これは一にも二にもバカバトと、その一番弟子の翁長知事のチャブ台返しのためだと釈明が可能です。実際、その通ですからね。 

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                                               (漫画 産経新聞3月25日) 

むしろ、今後かかるはずの約3千億円から5千億円といわれる、膨大な建設費用の負担がなくなってほっとするかもしれません。 

そりゃもちろん今まで約3千億円ほどかかっているそうですが、そんなものはサンクコスト、つまり回収不可能な費用としてあきらめがつきます。 

尖閣でそれでなくても忙しい海保を辺野古に張り付けなくて済むし、ゲート警備も普天間だけで済むしね。

むしろ問題は、これによる沖縄側の損失でしょうね。 

まず、最大のものはなんといっても普天間基地の固定化です。これはさすがに反対派の皆さんも薄々分かってきたようですが、代替え地などありませんよ。 

森本がコー言った、ゲルがコー言った、ラムズフェルドがコー言った、と片言隻語を前後の文脈から取り外して、伝言ゲームをしているようですが、代替えがあればハトさんの時にとっくにそこに行っていますよ。 

あれだけ、民主党政権が総力を上げて代替地を探したけれど、20数カ所全部ダメ。あの時のハトさんの狂乱ぶりをもう忘れたのですか。

あのね、こういう時になって急に、「国防は国の専権事項だから、代替地探しはあげて政府の責任だ」なんて無責任なことを言わないくださいね。

ご都合主義もいいところです。辺野古移転については「国が決めるもんじゃない。地元の「民意」が決めるんだ」だと言い、今度は代替となると手を返して「国の専権なんだから国か決めろ」と言う。

私はこういう虫のいい二枚舌がすごくイヤだ。ちゃぶ台返しをしたのは、あくまでも沖縄県知事の翁長氏です。これをハッキリさせませんか。卑怯です。

次の影響は、政府の基地削減・縮小計画が全部停滞することです。

もちろん普天間という、いまや一等地となった副都心に480ヘクタールの基地が居すわるのは当然として、その後の縮小計画も全部まとめて凍結状態になります。

というのは普天間の移転が前提条件で、返還が予定されている施設が沢山あるからです。

米軍基地は、既に1996年12月に日米合意した沖縄に関する特別行動委員会(SACO)でこのような縮小計画が決まっています
(沖縄県 「SACO最終報告による米軍施設・区域の返還案」)http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/kichitai/documents/2sho.pdf 

●[在沖米軍基地縮小計画]  ・那覇港湾施設 ・・・60h
・牧港補給地域・・・270h
・普天間基地 ・・・480h
・キャンプ瑞慶覧・・・157h
・キャンプ桑江  ・・・70h
・北部訓練場・・・4000h 
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・縮小面積計 ・・・5037h 

これらの基地の返還ができれば、沖縄にとって大きなメリットが生まれます。大きく2点です。

①航空機事故などの危険性排除
②跡地の再開発による経済活性化 

具体的にはこんなところです。

・牧港補給地区(浦添市)・・・沖縄の大動脈である国道58号と海に挟まれた地域にあり、今まで補給地区を縫うように交通していた国道58号の大幅な改善が期待される
・普天間基地・・・那覇に隣接し商業用一等地として、あるいは県や国行政機能の一部移転なども可能となり、那覇に次ぐ副都心に成長する拠点
・那覇軍港は那覇市中心部と那覇空港の中間地点に位置し、物流の拠点として跡地を活用し、あらたな海運ハブの一翼を担う
・北部訓練区域・・・面積が大きいだけでなく、今後のヤンバルのエコ観光のフロンティアに成長する

これにより沖縄県内の米軍基地の約4分の1が縮小され、沖縄の過重な基地負担は間違いなく軽減されます。

気が進みませんが、もうひとつ付け加えておきますか。こういう事態になった場合、本土政府は沖縄県に対しての今までの宥和的対応を止めるでしょう。

もう既に政府は、翁長氏を相手にしていません。顔を見るのもイヤでしょう。自民党にとって許しがたい裏切り者な上に、やることなすことかつての太田元知事と一緒です。

中国にすり寄るそぶりすら見せるなど、国境の島の知事としてありえないことです。

当然のこととして今までの振興予算は大幅に減額され、様々にあった特例措置は見直されていきます。

少なくとも翁長氏が知事職にいる間は、徹底的な締めつけを図るでしょう。宣戦布告の手袋を投げたのはあくまでも翁長氏だからてす。

このように「辺野古闘争」が勝利した暁には、普天間は半永久的に固定化され、米軍は大喜びし、日本政府は余計な金を使わずに済むと胸をなで下ろし、基地縮小計画は凍結され 、振興予算は大幅に減額する、ということてす。

唯一、損をするのは沖縄県民だけですが。

「ジュゴンを守れ」もいいですが、情緒的にではなく、少し理詰めで考えてみませんか。

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名無しさんにお答えして 一度地元から見てみたらいかがですか?

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名無しさんの投稿がありました。HNをつけて下さい。ルールはコメント欄に記しました。 

さて、この方の意見を全文転載します。 

「日本は民主主義国である。
民主主義は多数決を原則とするが、多数決によって少数の人を差別や不利益を押し付けることではない。
普天間基地の移設先は辺野古でなければならない軍事的な理由などない。
どうしても辺野古に移設するというならば、影響を受ける住民の理解を得る必要がある。
沖縄における辺野古移設の是非を大きな争点とした選挙でもわかるとおり、辺野古移設の否定、県外移設を望んでいる。
このような状態で、辺野古移設を強行する日本政府のやっていることははたして民主主義でしょうか?
日本にとって米軍基地の存在について、改めて考え直す必要があると私は考えます。
簡単に押し付けやすいから、問答無用だと強行する現政権には納得できません。
翁長知事を支持します」

できるだけ抽象的議論をしないで具体的に話を進めましょう。 

まずこの方の意見を、分解してみます。おおよそ以下です。 

①民主主義は多数決で決める。
②多数決とは住民投票や県知事選の結果を踏まえることだ。
③移設は、影響を受ける住民の理解を無視した少数派に対する差別だ。
④米軍基地は不要だ。
⑤辺野古に移設する軍事的理由はない。

 日本国憲法第66条3項、及び1項において、国会における多数決によって選ばれた国会議員が内閣総理大臣として、内閣を組織し、国務について責任を負うことになっています。

これが大きな意味での「民意」です。 よく左の人は自分が見たい「民意」だけを「民意」と称していますが、見たくない民意もあるんですな、世の中には。

さてこの国家の仕事には、「治安」「外交」「防衛」「教育の中身」「通貨発行権」という5の専権事項があるとされています。 専権事項とは、「思いのままできる権限」ていどの意味です。

ここまでが議論の大前提です。いや、国はいらない、安全保障もいらない、安保は廃棄だ、などと全否定されると議論になりません。

議論の対象を「いらない」と言ってしまわれると、(たぶんこの人はそう思っているのでしょうが)かみあわないから先に行きます。

これは主権国家の本来的役割が、「国民の生命と財産を守る」のが責務だからです。当然すぎるほど当然ですね。 

これを否定してしまうと、自治体の防衛は県が担当するということになります。たとえば、東京都の防衛は東京都が、青森県の防衛は青森県がということになります。 

財政措置はとりあえず考えないとして(そこまで考えればホンモノですが、現実にすると成立しなくなりますので)、こんなことをしたら、日本は国家としての体をなさなくなるでしょう。 

各県が自分の思惑どおりに安全保障をするとします。

すると、「オレの県は災害県だから陸自を沢山つけてくれ」と言ったり、東京都などは「うちは予算が潤沢にあるし、首都だから、東京都専用でベルギー規模の軍隊が欲しいな」などと、言うかもしれません。

石原さんに自由にさせたら、「東京都は核武装する」といいかねません(笑)。 

また県の首長が変わるたびに、保守知事時代は「増員してくれ」と言っていたのが、革新系になったとたん「全部引き払ってくれ」ということになります。 

基地を作ってそれを運営するのには国費と時間が膨大にかかります。ですから長期的計画に基づいてバランスよく配置せねばなりません。 

さもないと、首長の任期は4年間ですから、4年ごとに首長の方針が変わると、配備された自衛隊が設営と撤収をくり返すというバカなことになります。 

仮に田母神さんのような右に極端な人が首長になればちょっとアブナイ政策になり、逆に元日弁連会長などがなればなったで、真逆の左にアブナイ空想的非武装主義に走ります。

どちらでも現実にはそぐわないので、国が地方自治体に権限を委譲せずに、一括して管理しているのです。これが安全保障の国による専権という原則です。

これは、世界でほぼ例外なく実施されているコモンンセンスです。あ、例外が唯一あった。党の私兵を正規軍にみたてているところがあったねぇ。さてどこでしょう。

ま、それはともかく、翁長知事や名無しさんは、基地の設置のイエスノーは自治体が決める、出ていく先の代案は国の専権事項なんだから国が考えればいい、という虫がいいというか、ご都合主義的な使い分けをしています。

あのね名無しさん、こういう言い方って、そうとうに知的怠惰だと思うよ。

このように、名無しさんが言う「民主主義」が、国家の安全保障までを地方自治体に権限を与えるということが民主主義だと曲解しているから、おかしくなるのです。 

そんな法律上の規定はどこにもないし、今述べたように現実にやったら大変な混乱を招きます。

沖縄だけが特別なんだという思い上がったことを言う人が、まま沖縄には出現しますが、それを認めたならば他県に認めないというのは「行政の公平」原則に反します。 

またさらに、名無しさんが言うように地方自治体どころか、住民投票という法的根拠に乏しい恣意的なものによって決めるのが「民主主義」だとするとどうなるでしょうか。

この人の意見では、国の専管事項を県に、さらには設置自治体に、さらには住民投票にと極小化していくわけです。

ここまで国家の安全保障を極小化して分解してしまうと、もはや自治体どころか、住民の直接投票だけで国の安全保障政策が決定されることになります。 

これも現実にやってみるとスラップスティックな事態になります。

だって、最終的には、基地の建設される住民の意志でなんでも決まるわけですから、「オレの村には作らせないべぇ」という自治体が必ず出てくるからです。 

今度は、県の首長とその予定地首長のバトルです(笑)。 

ね、名無しさん、多少わかりましたか。国の安全保障というのは分解していけばいくほど利害対立が鮮明になるのです。 

こういうのを「行き過ぎた民主主義」といいます。どうしてこういう原理主義的発想になるのか、かえって不思議なくらいです。 

では、今回の移設問題にあてはめてみます。 

直接基地の影響を受ける住民投票こそが、名無しさんのいう「民主主義」だそうです。 

ならば、名護市の西海岸側、つまり市の中心部がある側は、ほぼ基地の影響がありませんから除外すべきです。 

なんで分かるのかって。だって私、現実に名護市に住んで農業していましたから。

私が住んでいたのはもっと北部の山側でしたが、空高く飛ぶ米軍機しか見たことがありません。 

下のGoogle Earthを見れば、辺野古地区と名護市中心部が正反対の海岸にあり、しかもその中央に山系がつらなっているのが見えるはずです。  

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しかも計画案では滑走路は海上に抜けるように、地元辺野古地区と協議を重ねてきました。 

ですから、配備される航空機が名護市街地上空を飛行することは、まずありえません。 

というか、市街地に飛行ルートがかからない為に海へ滑走路が延びたのであって、市街地上空に飛行ルートが来ていいなら、初めから陸上部に作っていたでしょう。 

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V字になったのは市街地に進入路がかからなくするためで、こうすることによって離発着コースが海に出ます。(上図参照)

埋め立てせざるを得ないことを除いては、ほぼベスト・プランなのはたしかでしょう。

したがって、影響のない地区をはずして、直接に影響を被る辺野古地区だけに住民投票権を与えることとします。

これは私が住民投票で決めるべきだと言っているのではなく、名無しさんの論理どおりに述べているだけです。 

気の毒ですが、名無しさんたち反対派が勝利する確率は限りなくゼロです。 

地元の民意と呼ぶなら、地元中の地元とでも言うべき辺野古区長・大城康昌氏(鳩山首相当時)の意見を聞くのが筋というものでしょう。大城氏はこう述べています。

「自民党政権のとき、政府がどうしても辺野古に飛行場をもってくるというので、われわれは苦渋の選択として受け入れたのです。
受け入れに当たっては相互に協議して条件を整えました。騒音は基準値以下、安全対策も、受け入れ地域への経済振興策も住民への経済的補償も含めて話し合い、13年もかけて話し合いから合意へ、そして実現へと事態を進めてきた」(『週刊新潮』 2010年4月1日号)

このように地元辺野古とあらゆる細部の協議を詰めた案を、地元となんの相談もなく頭越しにひっくり返したのが、鳩山氏だったわけです。 

もし地元の意志を「民意」と呼ぶのなら、これほど非民主的なことはありません。当時のことをこう大城氏は振り返ります。

「辺野古沿岸部にV字型滑走路を作るという現行案は政府とわれわれの合意事項です。辺野古のわれわれはいまもこの現行案は生きていると考えています。政府も正式には否定していないはずです。鳩山首相が地元の意見に耳を傾けるというのなら、地元の中の地元のわれわれの声に、なぜ、耳を貸さないのでしょうか」(同)

さらに大城氏は、「真の現地」である辺野古と、稲嶺名護市長ら反対派とのねじれについてこう述べています。

「地図を広げて名護市をよく見て下さい。山を境にして東部と西部に大きく二分されます。海に面した辺野古は東側、名護市役所や大きな企業、人口の大半が西側に存在しています。先の選挙で辺野古への移設に反対したのは主として西側の有権者でした。
たとえ辺野古に飛行場が作られても、彼らには騒音をはじめ基地を置くことの負担はないのです。
被害を受けるのはわれわれの地区です。にもかかわらず、この久辺3区の住民は、各報道機関の出口調査によると70~80%が移設を支持しています」(同)

もしあなたが辺野古で生れて、育ったHN「地元の声」さんのような人だったらどう思うでしょうか。

辺野古には産業らしいものは漁業だけで、それも大きな漁港は作れないために零細漁業者が中心です。

農業は斜面が多いために狭隘で、結局は基地に働きに行くしかないのが現状でした。それすらも、基地雇用者は狭き門でなかなか職に着けなかったのです。

大部分の青年は、高校から外の地域に行き、そのまま那覇か本土で就職してしまいます。

こんな状況はここばかりではなく、沖縄の山間部や離島に行けばよくある風景です。私の住んでいる地域にもあります。

地元に残りたかったら土木建設の会社に勤めるしかないのが現状です。基地が好きだという人はいないでしょうが、生きるということはそういうことなのです。

そこに、日曜日に反対運動にやって来るのは、いわゆる「意識の高い人」たちです。大部分が那覇や西海岸の都会暮らしの人たちです。

この人たちが「海を守れ」「ジュゴン・ラブ」と叫びます。「ウイ・ラブ・ヘノコ」というステッカーまで作っています。

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ほんとうにいい気なものです。この人たちには、自分の「脳内ヘノコ」と、現実に人が住み、働き、生きる辺野古は次元が違うことがわからないのです。

だから、漁民の働く場に、無断でこんな座り込みテントを作ってしまいました。こういう無神経さがたまらなくイヤです。

私なら勝手に自分の働く場で、こんなことをされたら警察を呼び済ます。

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叫ぶだけなまだしも、引退した県庁の役人や日教組(沖教祖)の人たちといった島のエリートたちが、「地元の声を聞けぇ!」「国は民意に従え!」と図々しく叫んでいます。 いつからあんたらは「地元」になったんだ。

エリートだと私が呼ぶのは、公務員だけが本土並賃金だからです。民間との差はいまや2倍にまで開いています(2006年「沖縄県外部監査報告書」による)

本土から来るデモ参加者の中には、地元が容認派だと知っているために、地元民を捕まえて、「あなた方は、この海を売るんですか。恥ずかしくないんですか」と問い詰める人まで出る始末です。

余計なお世話です。なにがわかるというのかと地元民は思うでしょう。

島のエリートである官公労の出資で運営されている、「沖縄平和センター」議長・山城某などは、地元の人が仕事で基地に入ろうとすると、「叩き殺せ。車から引きずり出せ!」と暴行を働いています。

私なら、こういうことをされたら、心の中で一度ぶっ飛ばしてやろうかと思います。

このように、現実を無視した行き過ぎた民主主義を信奉する人たちの「戦いの場」になってしまっているのが、辺野古なのです。 

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翁長知事の宣戦布告

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翁長知事は、3月23日、初めて具体的な辺野古工事の具体的妨害行動に移りました。 

これで、今まで就任以来、隠然と続いていた「冷たい戦争」は、一気に「熱い戦争」に突入することになります。 

翁長さんとその支持者の皆さん、お覚悟のほどは如何でしょうか。 もう振興予算の減額、面会拒否などという甘い対応では済みませんよ。

K10010024911_1503231216_1503231234_  (写真 NHK3月23日) 

まずは、沖縄タイムスの紙面を見ます。 

翁長雄志知事は23日午後、名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局が県の岩礁破砕許可を受けた区域の外でサンゴ礁を破壊した可能性が高いとして、昨年8月に許可した条件に基づき、30日までの7日以内に海底面を変更する全ての作業を停止するよう指示した。翁長知事は県庁内で会見し「漁業調整規則違反の懸念が払拭(ふっしょく)できない」と強調。指示に従わなければ、岩礁破砕の有無にかかわらず許可を取り消す考えを示し「腹を決めている」と語った」(沖縄タイムス3月24日 下図同)http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=108443 

 この許可取り消しは、埋め立て地域の周辺の囲むフロートを海底に固定しておくアンカーが、岩礁破砕に当たるとしたものです。 

「防衛局は、ブロックがフロート(浮具)などを固定するアンカー(投錨(とうびょう))の役割を持ち、県から岩礁破砕の許可対象にならないと説明されたと反論。一方、翁長知事は会見で「ブロック投下が岩礁を破砕していれば、許可を要する行為と思う」と認識が食い違っている」(同)

埋め立てについては既に県の許可か出ています。完全に合法的な作業で、これに対して県はいかなる文句のつけようもありません。 

そこで、考えたのが、「工事に付帯する工事現場の周囲の臨時制限区域を囲むフロートのアンカーが岩礁を削っているだろう、ごるらぁ、これは認めていねぇぞ」というものです。 

ほとんどヤー様のイッチャモンつけのようなものです。リクツと膏薬はどこにでも着くという類のものです。 

「工事は認めたが、工事地域を囲むフェンスの杭を刺すのは許可しとらんだろう」というリクツですから、恐れ入ります。 

これまた常識で考えなさいよ、でお終いにしたいようなテーマですが、ここまでオオゴトにした以上、いちおう法的根拠を当たってみます。 

翁長知事が上げている法的根拠はただひとつです。彼もさすがに認可そのものの取り消しまではいきなり言えません。 

優秀な官僚でもあった先代の仲井真氏が、簡単にボロの出るような許可を出すはずがないからです。 

そこで検証委員会なるものを作っていますが、なにせ先代のしっかりした行政判断の裏付けを覆すという前代未聞の荒技をしようと言うのですから、それなりの時間がかかります。 

ですからその前に工事が始まってしまうと焦って、このような戦術を立てたわけです。

仲井真弘多県政が、漁業調整規則に基づき岩礁破砕の許可を出した際「漁業調整や公益上の事由などで指示する場合は従うこと」と条件を付け、「申請外の行為をし、または付した条件に違反した場合、許可を取り消すことがある」と定めていた」(沖タイ3月24日)

 つまり、確かに仲井真前知事は工事認可を与えたが、「このコンクリートブロックは「公益に反するからこの設置作業の許可取り消す」というわけです。 

「漁業調整規則違反の懸念が払拭できない」(沖タイ3月24日)ということで、フロート固定のブロックが漁業の妨害をしているということのようです。

Imag2014111962788_imh_02_r(写真 当選のお礼に真っ先に辺野古の反対派テント村に駆けつけた翁長氏。テント村は地元が毛虫のように嫌っている連中なので、もはや地元辺野古地区と漁協にケンカを売っているも同然の行動である)

はぁ、漁業の妨害ですか?その「公益」とやらの当事者の辺野古漁協は、容認派なんですが、どうもお忘れなようで。

当選直後、漁協が再三立ち退きを要求している部外者らによるテント村に、当選お礼で駆けつけるという挑発的なことを翁長氏はしています。

世間常識では、当選したら既に公人なのですから、まずは現地・辺野古住民と話し合いをするべきだと思いますが、翁長氏は現地などと話し合う気などさらさらないということを見せつけました。

まったく、反対派の行動は一事が万事、このように子どもじみています。

ですから、反翁長の漁業がクレームを出すはずもありませんから、ただ「公益」を名乗りたかっただけです。 

翁長氏のブレーンである仲地博・沖大学長はこう述べています。 

「公益上の理由で別途、指示する場合は、その指示に従がう」「条件に違反した場合は許可を取り消すことがある」としながらも、こう続けています。 

要約します。 

「法廷決着に持ち込まれた場合、安易な取り消しは行政権の濫用に当たることから、裁判所は処分の附款(※条件)を例文的につけくわえるものであり、認められないと判断した判例もある」

まぁ学者の言い方はまだるっこいですが、要するに訴訟に持ち込まれたら翁長氏側の言い分は「行政権の濫用」とみなされて負けますよと言っているのです。

実際に、防衛局は「ブロックがフロートなどを固定するアンカーの役割を持ち、これについては既に県と協議済みだ」(沖タイ同)としています
(※この部分のフォントか大きくなっていますが、機械的なもので意味がありませんので、ご了承を) 
 

さて翁長氏とその支持者たちは、例によってナニカ深く勘違いをしているようです。 

県知事は、その一存で今までの合意の積み重ねを壊すことはできません。

鳩山元首相は、一見似たことをしたようですが、多少違います。

とりあえずは「国外、最低でも県外」の代案を見つけるという約束を米国として、猶予をもらったからで、そんなものもまるでなしに、「沖縄県に革命政権ができましたので、移設できません」では通用しないのです。

Onaga_01(写真 オスプレイ反対集会でアジ演説する翁長氏。この県内首長首都直接陳情行動が彼の出世の糸口となった。この頃になると、しゃべることも、行動も、もうまるっきりの左翼運動家と化している。小沢一郎氏と一緒で、元自民党の重鎮だったとはとうてい思えない)

翁長氏のような「革命政権」は、今までの対外条約や合意は全部反動的だからチャラと言いたがるようですが、そんな幼児的な言い分は通じません。 

翁長氏の行為は、外交の世界で厳に禁じられている、「ゴールポストを動かす」という愚行に相当します。

いったん決まった事案を蒸し返したり、その交渉中に別のテーマにすり替えたりすれば、交渉当事者間の信頼関係が破壊されてしまいます。

国と国、あるいは国と地方自治体は、人の関係と一緒です。突然、今まで言ってきたことをひっくり返すようなことをすれば、もう交渉そのものの前提である「信頼」が崩れてしまいます。

わが国でそれをやった天文学的パーは、バカバト、あるいはルーピーとして後世に名を留めています。 

一回、しっかりと協議して取り決めのハンコを押したら、そのやり直しは効かないのです。それは二国間でも、中央と地方の関係でもまったく同じです。

この「翁長の乱」に対して、米国国務省ハーフ副報道官はこう述べています。

「沖縄県の翁長知事が名護市辺野古沖での作業を1週間以内に中止するよう指示したことについて、アメリカ国務省のハーフ副報道官は23日の記者会見で、「移設に向けた作業はアメリカと日本の長年の取り組みが生んだ意義のある成果であり、米軍再編について共通の展望を認識するための重要なステップだ」と述べ、作業は計画どおり進められるべきだという考えを強調しました」(NHKニュース3月23日)

なんどか私は書いてきていますが、辺野古移設問題の真の交渉当事者は、あくまで米国と日本政府であって、本土政府と県政ではありません。

日本は、日米安保に基づいた日米合意という国際公約として移設に調印した以上、それを履行する義務があります。

今、日本政府はその履行義務を粛々と果たしているだけのことです。

左の人たちは、なにかというと「民意」を振りかざして、都合よく外国との条約や国際公約が国内政治を超越することを忘れます。

日本が1981年に加盟したウイーン条約と憲法には、このように国内法と条約の関係を規定していあります。

条約法に関するウィーン条約
「第27条 当事国は、国内法を、条約の義務を行わない理由としてはならない。ただし第46条の適用を妨げない。
第46条 当事国は、条約を承認する行為が、条約を承認する能力に関する国内法に違反するとの主張を、当該違反が明白でかつ国の最も重要な法に違反する場合でなければ主張してはならない。「違反が明白」とは、通常の慣行と善良さに合致して活動するどのような国家にとっても客観的に明らかであることを言う」

●日本国憲法 第98条
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

日米安保条約は、日本の基軸的国際条約です。それに基づいた日米合意の履行は国際公約であって、当該自治体の首長の交替ていどのことで、影響を受けるものではないのです。

なんで、こんな簡単なことが左の人にはわからないのでしょうかねぇ。

翁長氏とその支持者たちも、いいかげんこの冷厳な事実に気がついたらいかがでしょうか。

翁長氏の「宣戦布告」は、いっそう国との対話を閉ざすだけであって、なにも生まない不毛そのものの行為なのですから。

 

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住民なき「住民運動」,流血を望む「平和運動」

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前回の知事選で翁長候補がキャッチフレーズにしていた、「オール沖縄」というスローガンくらい嘘臭さに満ちたものはありません。 

なんですか、その「オール沖縄」というのは? 

彼の言うそれは、自分が知事になって巨額の振興予算をバラまいて県民を手なづけ、チャンスがあれば「琉球独立」の名の下に中華帝国の庇護に入りたい、といったていどの意味です。

その証拠に、翁長さんにお聞きしたい。その「オール沖縄」に、肝心要の辺野古現地住民が入っているのでしょうか?当然入っているのでしょうね。 

いままで日本全国で様々な原発や基地、空港などの反対運動がありましたが、ひとつの例外もなく、反対運動の主体は地元の住民でした。

反対する場所に住み、働き、子供を生み、育てている、そういった普通の人たちが反対したからこそ、説得力があったのです。

現地住民の参加なき反対運動など、語義矛盾そのものです。 

いやむしろ、地元が反対していないのに、代行して反対に大挙して押しかけるわ、昨日書いたように容認派地元民を捕まえて「引きづり出せ!叩き殺せ!」と狂騒するに至っては、もはや迷惑を通り越して、強迫行為そのものです。

今回、たいそう激烈な反対運動が起きていて、なにかにつけ本土政府に対して「沖縄現地の民意を聞け」という声を聞きます。 

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上の写真の反対集会の様子を見ると、たなびいているのは労組や左翼政党のものばかりです。 

叫んでいる人達に、ひとりくらい辺野古住民が混じっていたらご愛嬌なのですが、あいにくゼロです。

左翼政党が全国動員をかけたので、このうち相当数は、本土の労組員や政党関係の活動家たちです。この人たちは、実際の基地公害に合うわけでもない人々です。

ほんとうの基地公害に合うだろう辺野古現地の人たちは、どうしているのでしょうか。

住民はデモ当日には、余りの喧騒に窓を締め切って自宅に閉じこもるか、さっさと外出してしまいます。 

それも早めにでかけないと、街全体が参加者の違法駐車で身動きができない状態になります。 

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その反対派が「美ら海を守れ」と言っている海岸は、カヌーの反対運動の連中によって、見るも無残な状況です。 

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カヌーくらい、手前の道路から自力で運べばよさそうなものなのに、その手間を惜しんでトラックで水際まで乗り付けるからです。 

このように重量をかけて潰されてしまった砂浜は、復元に時間がかかります。ほんとうのカヌーイストはこんなことをしません。 

こんなことを平気でするのは、カヌーを知らないデモだけが目的の活動家たちだからです。 

彼らの目的は、辺野古の海で流血事件を引き起こすことです。 

海保の警備艇にシーシェパードよろしく激突して、あえて沈んでみせて溺れたと叫び、救助しようとすれば、わざわざしがみついて海保の救助員たちを道連れにしようとします。 

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それを待ってましたとばかりに、地元二紙がデカデカと、「海保が暴行!」と書き立てます。 

沈んだ活動家がしがみつくために、救助の手順として一回海に沈めて、手をほどくのが救助手順ですが、その部分だけをとって、「海保が抗議団を沈めて殺そうとした」と報じるわけです。 

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上の写真についた地元紙の記事がこうです。 

「海上デモを行なう市民のカヌーに海保のボートが体当たりし、カヌーを転覆させ、海保職員が海に落ちた市民の首や顔を押さえつけ繰り返し海中に沈めた」(琉球新報2014年8月27日)

常識で言ってほしい。ここで「首を締めている」と言われているのは、映画『海猿』で名高い潜水員ですよ。

世界でもっとも優秀だと謳われる、人命救助のプロ中のプロです。彼らが、要救助者の首を締めますか。

この写真もよく見れば、「海猿」の手は要救助者のライフジャケットのエリを掴んで引き上げて救助しようとしているのです。

故を誘発するような危険行為を働きながら、救助されれば今度は白を黒といいくるめようとする卑劣さ。反吐が出ます。 

まったくの海の素人をカヌーに乗せて、海保にぶつけさけるように指示して、暴力事件に仕立て上げようとしています。 

だんだん口の中が苦くなってきましたが、もう一例。 

「殺人鉄板」をキャンプ・シュアブの入り口に敷きつめて、その上に反対派の人達を引きずっているというので、琉球新報が「警官が殺人鉄板で暴行」と報じています。 

現物の写真はこれです。  

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はい、ただの工事現場によくあるダンプの泥落とし用の工事敷鉄板にすぎません。これが琉球新報にかかると、こんなグロテスクなものに変貌してしまいます。  

鉄板の設置は市民に危害を加える行為に他ならない。現場を訪れた弁護士は「鉄板の上で取り締まりがあれば必ずけが人が出る。殺人罪、少なくとも傷害罪の未必の故意になる」と明確に指摘している」 (琉球新報11月22日) 

あのね、琉新さん、これが「殺人罪の未必の故意」に相当するなら、全国の工事現場責任者は打ち揃って殺人教唆ですな(苦笑)。もうバカバカしくて論評する気にもなりません。  

そして、こんな警官の「暴行凌辱事件」も発生したそうです。  

見出しからイっちゃってます。「抗議活動の女性、救急搬送される 県警の排除」、ときたもんだ。  

ゲッ、恐れていた流血騒ぎがとうとう起きたのかと思ってよく読めば、なんのことはないこんな「事件」です。 

「Sさんは基地内に入ろうとするダンプカーのミラーをつかんで阻止しようとしたが、機動隊員に手をはずされ、その拍子に転倒した」(同) 

この反対派の83歳の老婆は、なんと無謀にもゲートから入場するダンプのミラーステーに飛びついたのです。 

動くダンプのミラーステーにしがみついたら、落ちた場合相当の確率で車輪に巻き込まれて死にます。 

目の前でこんな自爆攻撃を受けた警官はびっくりして、この老婆をひきはがそうとしました。 

そしてその際に、地面に落ちて身体を打ったということです。でもそのていどでよかったね、お手柄警官の皆さん。ありがとう。めでたしめでたし。これで、普通は一件はオシマイです。 

ところがこれが、琉球新報の記事にかかると、こういうデフォルメがかかります。 

「現場に駆け付けた三宅俊司弁護士は『被害者本人から話を聞き特別公務員暴行陵虐罪で告訴したい。この責任は取らせる』と話した」 (同)

もはや正気とは思えません。完全にイっちゃってます。朝日も相当にイっちゃっていましたが、この沖縄地元2紙からすれば、まだ中道中庸というべきかと思うほどです。 

この琉球新報のような記事を、為にする歪曲報道と呼びます。報道の客観性を初めから投げ捨てて、ことあれかしと考える反対派の立場に立って、誇張して報じているのです。

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上の絵は、メディアのバイアスを説明したものです。これらの沖縄メディアの事例は、まさにこの図式のとおり意図的部分の誇張・拡大・歪曲による印象報道です。

新聞が主張を持つことは必要ですが、その立場からあらかじめ歪曲して報道してはならない、というのが朝日新聞歴史的大誤報事件の教訓だったはずですが、いまだ沖縄の地には届いていないようです。 

新聞が事件を自分から作ってしまうという、朝日新聞の伝統芸が、この沖縄の地にも脈々と息づいていると思うと胸が悪くなります。 

さて沖縄の新聞だけ読むと、再び「銃剣とブルドーザー」で押し進めているような錯覚を受けますが、政府がもっとも恐れているのは流血の事態です。

翁長知事の執拗に繰り出す認可取り消しなどの小業は、訴訟に持ち込めば100%国が勝利しますから、痛くもかゆくもありません。

本当にこわいのは、「空気」です。

移設事業の中で、もし血が流されれるようなことがあれば、県民は激昂し、その怒りは県の頭越しに国と米軍に直接ぶつけられるでしょう。  

それが政府と米国がもっとも重視する、「基地を取り巻く環境の安定」を揺るがすことが目に見えているからです。  

ですから、政府は、この辺野古の移設作業において、ぜったいに流血の事態を避けたいと考えています。 

基地反対派は、移設を阻止したという成果を得て、その上に普天間基地をこのまま反米闘争の対象として据え続けられることがベストだと考えています。

彼ら反対派が欲しいのは、「流血事件」です。地元住民なき住民運動、流血沙汰を望む「平和運動」という醜悪なものに、辺野古反対運動はなっています。

 

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沖縄自称「平和運動」の狂態を写真で見る

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1週間ほど前になりますが、HN「地元の声」さんから、このようなコメントを頂戴しました。ありがとうございます。

きわめて貴重な地元の人の声です。まずは全文をお読みください。 

「随分前の記事に対してコメントですが、辺野古出身の者になります。 

私が子供の頃は名護市になったばかりで、その他名護市民(特に中心地の西海岸側)は誰もが辺野古のある久辺地区を、名護市と言う認識さえ持たず1度も足を運んだことの無い僻地とバカにしていたものです。 

それが、今や皆が揃って we love Henoko.なんてステッカーまで作る始末。 

辺野古や久辺地区の住民の声の様に抗議運動や座り込みにバスを貸し切りやってきています。本当の住民は名護市民に対し人口割合が少なく市長選にさえ反映されません。市民投票も同様です。 

辺野古の海に対して環境汚染を訴える記事が多々見られますが、私が小さな頃に下水道が僻地のために行き渡らず、確か昭和50年頃には生活排水を直接海に流したために泳げた海が遊泳禁止となり現在に至ります。 

その様な事実は一切記事にもせずに海外からさえ専門家が調査をし都合の良い内容だけ媒体が伝える。 

そもそも辺野古には長い間広大な基地が存在し、住民は互いに助け合い共存して来たのにもかかわらず他人の敷地に土足で入り込み暴れまくって 新基地を作るな!と訴えています。 

辺野古に来たことも無い人間からすると新たな基地が又作られるような風に聞こえるマジック用語にも感じます。 

マスメディアが作り上げた世界が今の変貌した辺野古 その迷惑極まりない状況を作り上げているマスコミ、政治家、名ばかりの市民運動家の皆さんに責任を問える日は来るのでしょうか? 

辺野古住民の声を本当に聞いて下さる人は今何処にもいないのが辺野古の現実。皆さんは自分の故郷が同じようになった時どう感じるのでしょうか?」 

さて皆さん、いかがでしたか。沖タイ、琉新、そして本土のTBS、テレ朝などが叫ぶ「沖縄現地の声」とは、まるで違ってちょっと驚かれたでしょうか。 

しかし私が知る限り、これが現実の辺野古住民の声です。 

この辺野古で暴れまわっている集団のリーダー格の、「沖縄平和センター」議長という肩書を持つ山城某がいます。

山城某は、せんだっての拘束事件で世間を騒がせましたが、当人ときたら、反省の色もなく英雄気取りです。

しかし彼が、「守る」と称している辺野古現地の住民達から、どのような眼で見られているのでしょうか。

山城某は地元づらしていますが、もちろん出身はまったく現地とは縁もゆかりもない具志川です。

日から、毎日ここに張りついていることでわかるように、給料をもらっている職業的「平和運動家」です。

沖縄県庁の役人で、自治労沖縄県職労副委員長。経歴をみただけで、根っからの沖縄官公労という島のエリート出身だとわかります。

地元では、いまや「くるさりんどー山城」で通っています。意味は「殺すぞ(と叫ぶ)山城」といったところで、どう見てもまともな一般市民とは思えません。

それもそのはず。これでメシを喰っている社民党員で、落選していますが、選挙にも出たことがあります。こういう人を「抗議する県民」と言ってしまうマスコミがこわい。

彼らのやっている「平和運動」とやらについて、現地からの告発がもうひとつあります。私のブログに来たものではありませんが、これもお読みください。

これには動画もついています。まったくの無編集なので、いかに彼らが毎日狂態をさらして、ゲート前を治外法権の場にしてしまっているのか、「平和運動」と称する集団が実際なにをしているのかが、かいま見れるでしょう。

この動画はかなり前から知られていましたが、改めて、静止画像に転換しましたので、ご覧ください。画像下のキャプションは私のものです
※原因不明で大きなフォントになっているのは、原因がわかりませんが、意図的ではありませんので、すいません。

https://www.youtube.com/watch?v=k6ce3UXO7o4
 

 

(写真 釈放されて英雄気取りで気勢を上げる沖縄平和センター代表山城某。暴力団と一緒で、彼らは逮捕されればハクでもつくのだろうか)

事件は昨年7月25日に発生しました。
キャンプシュワブから外へ出ようとしたAさんは、以前から出入りする際にたびたび「ヘイワ団体」の妨害を受けており、彼らに何度も撮影をされていました。
業者のトラックは彼らによって臨検され、荷台のシートをめくられ中身をチェックされることも日常茶飯事となっていたのです。
この異常な状況を証拠として残そうとVTRを回したところ襲撃を受けたのです。
「さりんどー、くるさりんどー」とは、「殺ってやる、ぶっ殺してやる」という意味。
中盤では、「ドア開けれー 引き出せ」という声が聞こえます。
取り囲まれたとき、全てのドアにわらわらと群がり、ドアのノブをガチャガチャさせ開けようとしていたとのこと。
その姿はまるで映画のゾンビそのもの。
「何の権利があるんや~」と声が聞こえますが、明らかに県外のイントネーション。
道路に出ても、彼らの街宣車がわざと牛歩で前を塞ぎ妨害は続きました。
車は全周傷だらけとなりましたが、「ある圧力」がかかり被害届は出されませんでした。
この件といい、今回の刑特法違反といい、彼らを叩き潰すチャンスがありながら、それを利用しないなんて・・・。
彼は地元の社交組合がヘイワ運動への抗議文を持参したとき、「私たちは個人で参加しており、よって私はリーダーでもなんでもない」と受け取りを拒否。
しかし、逮捕、釈放されたことを報じる新聞ではまるでヒーロー扱い。
これこそ、破廉恥で卑怯で姑息な沖縄左翼の姿そのものだと思います。
早朝の大山ゲートにおいても、抗議する地元住民にヘイワ団体の連中はこう言い放ちました。
「私たちは個人の資格で参加しており互いに名前も連絡先も知らない」
「抗議の声は生活音だ、我慢しろ」
「煩かったら耳栓していろ」
「お前たちのためにやってあげているんだ」
「地元だからって威張るな」
 
これが沖縄の「ヘイワ運動」と称する、゛ちょとも平和的ではない運動の姿です」 

001(辺野古ゲートに続く道。自爆テロ車両が全速力で突入できないために、道をあえて湾曲させて、路側には頑丈なコンクリートの防護ブロックを設置しています。ここが米軍の対テロ作戦の前線の一角を成していて、米軍がテロに対して強い警戒感を持っているのかがわかります) 

003(左側に、沖縄県警の警備車両のバスが止まっています。ここで警察の簡単な検問があります。県警の警備は、いまや県警の上司となってしまった翁長知事の意図を組んでか、実にゆるやかな警備に終始しているようです。しかし、驚くのは自称「平和運動の「自主検問」が次に待ち受けていることです) 

004(サングラスに覆面、帽子という、このままコンビニに入ったら警報ボタンを押されそうな人物が、なにか喚きながら指を指しています) 

005 (さぁ、これが自称「平和運動」の検問所です。馬鹿でかいトラメガを持って走ってきたクバ笠の人物がいます。この人物こそが「くるさりんどー山城」です。ちなみに琉球大学の幟は、琉大自治会のもので、今も□〇派が牛耳っています) 

006(なんと山城某は、キィキィとハウリングを起こす高出力マイクを車の中に突っ込みました。信じられない暴力行為です。これが警官の前で堂々と行なわれて、拘束もされないことに驚きます) 

007(山城某が、警官に車から引き離されています。彼もまた、サングラスに覆面もときで顔を隠しているのがわかります。「いいこと」をしていると思っているのでしょうから、堂々と顔を出せばいいのにとおもいますが、もちろんこれが違法行為なのを知っているからこの風体です) 

011(まるでゾンビー。警官の制止をふりきって、車にビデオを突っ込んで勝手に撮影しています。そのくせ彼らは自分たちが撮影されることを極度に嫌います) 

008(またもや警官の制止を振り切って、なにやらわけのわからないことを叫びながら、ボンネットに飛び乗ってくるバカがいます。道路交通法、器物破損、脅迫が成立します。しかし、、左翼系弁護士がついているために、県警は、トラブルを恐れて手を出しません)
012_2(「ドア開けれー 引き出せ」という大声とともに、山城某の手がドアの内側をまさぐっています。おそらくロックをはずして、運転者を引きづり出してリンチにかけるためだと思われます。もはや立派な犯罪行為です) 

013(「安保廃棄・基地撤去・安倍政権打倒」だそうです。彼らの目指すものが、古くさい反安保・反基地闘争であって、海を守るがどうたら、ジュゴンがどうしたなどというエコ風味はただの隠れ蓑だとわかります)゛

別の日時で取られたものですが、場所は一緒です。

Blwznzucaasjbl(自動車はYナンバーであることから米軍人、軍属が乗っていることがわかります。軍人の家族の場合もあるでしょうに、外国人が乗っているだけで、このていたらくです。まるで猿山。もちろん器物損壊、暴行脅迫など、たちどころに3つ4つ罪状がつくでしょうが、手前の警官、あるいは基地のガードマンは、この狂態に手をつけかねています)

この山城某は先日、とうとう基地の内部に侵入してしまい米軍に拘束されて突き出されています。

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2014年12月に、朝鮮初等学校への在特会のデモがヘイトスピーチである、という判決が最高裁で確定しました。

ヘイトスピーチは、憎悪行動を伴う憎悪表現のことだと理解させれています。

語義の定義を押えておきます。

「ヘイトスピーチ( hate speech)とは、人種、宗教、性的指向、性別、思想、社会的地位などの要素に起因する憎悪(ヘイト)を表す表現行為とされる」
※小谷順子「Hate Speech規制をめぐる憲法論の展開―1970年代までのアメリカにおける議論」『静岡大学法政研究』第14巻1号(2009)

何をもってヘイトスピーチとするかの明確な基準は存在しませんが、日本においてはあたかも在日コリアに対してのみの憎悪表現のみをして、それをヘイトスピーチとしているかのようです。

これは、在特会という、排外主義的団体が起こした事件を巡っての判例であるために作られたバイアスですか、いうまでもなく国際的には、在日コリアに特定して使われているはずがありません。

ヨーロッパにおいては、フランスや北欧の事例のように、むしろイスラム教徒の移民に対しての憎悪表現に対しての批判として使われています。

韓国の反日デモに必ず見かける、罵詈雑言、首相や天皇の人形、あるいは国旗の「火刑式」なども、ヘイトスピーチの語義どおりのものに分類されるでしょう。

このヘイトスピーチを白昼堂々としているのが、先に見たこの沖縄の自称「平和運動」です。

辺野古ゲートより歴史より古いヘイトスピーチは普天間野嵩ゲートです。ここもまた治外法権となって久しい場所です。

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上の写真を見ていただければわかるように、横断歩道に寝ころんでゲート前の交通を妨害しています。

これにも動画がアップされていますのでご覧ください。むしろこちらが、辺野古のヘイトスピーチの原型です。
https://www.youtube.com/watch?eature=player_embedded&v=Yf1T7fq_zy4
https://www.youtube.com/watch?v=CvnD9femdLg

001_2(普天間は密集した市街地にあって危険だ、というのが基地反対派の言い分だが、その住宅街の早朝から、スピーカーをガンガン鳴らして、通行する車の窓にメガホンを差し込もうとしている)

002(ここでもまた、勝手にビデオを廻す者がいる。米軍人のリストでも作ってどこぞに流すつもりかなどとつい勘繰ってしまう。ここでも自分たちが撮られると逆上するのは辺野古と一緒)

普天間で清掃ボランティア活動をしている、沖縄教育オンブズマン協会の会長・手登根氏はこう述べています。

「活動家のやり方はあまりに卑劣で、同じ日本人として看視できないものがあります。我々は環境美化の観点から、放置された多量のテープを剥がしとる運動をしているのですが、テープの中に粉々に砕いたガラスの破片などを忍ばせて、清掃する人を傷つけているのです。
また、彼らは米兵のみならず、米兵の家族や子どもたちが基地のゲートを通るときも、何人かが車を取り囲み『ファックユー』などと聞くに堪えない言葉を浴びせています。なんでも問題にしようとする左翼系弁護士がバックにいるせいか、警察も見て見ぬふりです。最近は、ゲートの横で脱糞までしてイヤガラセをしているのを目撃しました」

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(普天間基地のフェンスのテープ。これが延々と続く。このテープは中にガラス片やカッターの刃が入っていて、清掃する人を傷つけるように企てている。もはやただの市民運動とはいえない。フェンスは米国政府の所有物であって、あたりまえだが、違法行為である)

もはや言葉もありません。立派なヘイトスピーチ、ヘイトアクションの概念が成立します。

画像には脱糞や放尿している場面も撮影されているので、現実なのでしょう。同じ日本人として信じたくない光景です。
http://memo-memo-blog.tumblr.com/post/56966558193/4 

(自称「平和運動」をしている活動家のセルフイメージ。しかし実際は見た通り)

常軌を逸しています。「平和」とさえ言えば、いかなる違法行為や、憎悪行動をとってもいい、米兵を傷つてけも自分たちは「正義」だからかまわない。

たぶんこの活動家たちはそう考えているはずです。とんでもない驕りです。

そしてそれを沖縄マスコミも本土マスコミも、よく知りながら放置しています。そしていまや彼らのバックには、沖縄のパククネ・翁長知事が控えるようになってしまいました。

もはや彼らは「官軍」きどりで傍若無人の限りを尽くしています。わが国はいつから法治国家であることをやめたのでしょうか。

あらためて、この彼らの狂態を見て、このような人たちが唱える「平和」とは、一体なんなのか、考えてみてはいかがでしょうか。

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日曜写真館 蘭展はパラダイス

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土曜雑感 日本の「正義」愛好家たち

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昨日の記事を書きながら、ありゃ日本にも名分論者たちがゴマンといるな、と思い当たりました。

まずはその名分論ですが、さすが司馬遼太郎は見事にまとめています。

「朱子学がお得意とする大義名分論というのは、なにが正でなにが邪かということを論議することだが、こういう神学論争は年代を経てゆくと、正の幅がせまく鋭くなり、ついには針の先端の面積ほどにもなくなってしまう。その面積以外は邪なのである」(街道をゆく(28)耽羅紀行』)

これは韓国について書かれたものですが、もちろん日本も、かつて朱子学が儒学という名で幕府の官学であっただけに、影響を被っているところがあります。

平時の朱子学は、しょせん誰が主君なのかをハッキリさせるための教養ていどにすぎません。家康が官学としたのも、幕藩体制の秩序安泰を狙ってのことでした。

しかし一転して動乱期や変革期には、名分論はその本領を発揮します。

「さぁお前、正か邪か、どちらかを選べ」みたいな白黒二分法は、時代が暑苦しい時にこそ大いに威力を発揮します。

たとえば幕末の初めなどは、日本全国、津々浦々、名分論だらけでした。

海防が叫ばれたりすれば、武士階級の普遍的教養だった尊皇攘夷というイデオロギーの下に、名分論が鎌首をもたげます。

その結果、「正しい尊皇」、「正しい攘夷」を巡って、わずかな意見の違いから血で血を洗うような抗争に発展していきます。

多くの志士が、志士同士の暗殺に倒れました。開国派などと目されれば、かなりの確率で無惨な死を遂げたのです。

また、先の大戦に突入する暗い時代にも、名分論が叫ばれました。

中国戦線が泥沼化すると、「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)という頭に血が昇ったスローガンが、叫ばれるようになります。

こういう言葉が氾濫するようになると、理性的解決はまず絶対に不可能になります。理性的なことを言おうものなら、「お前は敵に加担するのか」ということになるからです。

そして、戦後は逆の左の人達が名分論の虜になりました。

政府に対抗して社会主義を実現するために、ありとあらゆる分野で名分論が飛び出すようになります。

代表的なものは憲法論争です。冒頭の司馬さんの文章は韓国について書かれたものですが、これを「憲法」を入れ換えてみましょう。

「護憲派がお得意とする大義名分論というのは、なにが正でなにが邪かということを論議することだが、こういう神学論争は年代を経てゆくと、正の幅がせまく鋭くなり、ついには針の先端の面積ほどにもなくなってしまう。その面積以外は邪なのである」

もはや宗教的護教の域に達した護憲運動は、一字一句の修正も許さない、改憲を考えただけで保守反動・ファシスト呼ばわりです。

いまやこの人たちは、ほとんどのテーマで同じ名分論の体臭を強く放つようになっています。

慰安婦問題、原発、辺野古などのテーマで、名分論は随所に登場しています。この名分論病に罹った人たちとは、理性的な議論はほとんど通用しません。

「針の先ほどの面積の正義」しか許容しないのですから、反対するだけで「邪悪なファシストめ」という眼でにらまれて、唾を吐きかけられることになります。

悪くすると、ブルに引き潰されます(笑)。痛そう。

Buftkguceaautwk(写真 安倍氏の頭部の人形を踏みつぶすブルドーザー・デモ。こういう行為自体に吐き気がする。やっている方かよほど、異論を許さないファシストのようだ。こういうことをして喜ぶ体質はどうにかならないのか)

しかし、かつて隆盛を誇っていた反原発主義者の人たちは、あれから、いっそう孤立を深めているようで、いまやただの左翼運動の一部に組み込まれてしまっているようです。

下の記事は、ちょっと前に原発運動の歪みについて書いたものですが、訪問者が多く来られたものです。

一部を修正して再掲します。写真は今回入れたものです。

                    ~~~~~~~~~~ 

ある人からコメントが来ました。

「おまえ、まだ原発推進喚いてるのか。学習能力の欠片もないんだな。
原発は既に世界的に斜陽化だよ。 小泉がいう通り、「諦めるしかない」事に気づけよ、単細胞」

スゴイよね。いきなり見も知らない相手をお前呼ばわりですか。ただ、電気不足を支える発電現場を報じただけなのに、いきなり「原発推進」ときたもんです。 

まぁ一事が万事この調子です。まず、自分の主張と違ったら、全部「原発推進派」に決めつけしまいます。ヤレヤレです。 

私、漸減派なんですが、今や、再稼働反対を唱えなければ、全部まとめて「推進派」ということのようで、実に乱暴な話です。 

漸減というのは、時間をかけて減らしていくことですから、当然再稼働は肯定する立場です。それが気に食わないのでしょう。 

このような人たちはこんな「ブルドーザー・デモ」にでも参加しているんでしょうが、70年安保世代として多くの流血をみてきたひとりとしてはゾッとします。 

再稼働反対というのは、何度か言っていますが、即時ゼロという意味です。  

つまり、安全性を規制委員会から認められた原発を稼働させながら、社会を壊さないようにして時間をかけて減らしていくという漸減すら認めないわけです。 

つまり、今ただちに代替があろうとなかろうと、化石燃料に9割なろうとなるまいと、電気不足などこれっぽっちも考えずにゼロというわけです。  

現実にその結果、どのようなことが社会で起きているのか見ようとするのも「推進派」だそうで、はい、話になりませんな。  

このような極端な形に純化した人たちは、同じ脱原発をテーマに掲げていても、他者の意見や、立場が違う運動を認めませんから、そこかしこで「敵」を量産していきます。  

「純化」という言い方はふさわしくないかもしれません。はっきりとカルト化と呼ぶべきでしょう。 

再エネの指導者だった飯田哲也氏はこう警告します。

「挙げ句の果てに運動の『セクト化』が進み、互いを罵る悪循環に陥った。まるで革命を目指しながら、内部分裂と暴力で崩壊した連合赤軍のようだ
『最初はみんな熱く盛り上がるが、熱が冷めて自分たちが少数派になるにつれ、運動が純化し極論に寄ってしまう』」
(ニューズウィーク 2014年2月11日号)

あるいは、福島県出身の社会学者関沼博氏の表現を使えば、もっと手厳しいこのような表現もあります。

あたかも宗教紛争のようだ」(同)

今回のコメントや、「美味しんぼ」騒動記事の一部の書き込みをみると、その「空気」の片鱗がわかります。  

ろくに私の記事を読まない。一カ所気に食わないと延々とこだわり、相手をやっつけるまでネチネチ執拗に続ける。   

そもそもあのような人達にとって、建設的議論を交える気など初めからなく、揚げ足をとったり詭弁を弄してでも、相手を叩き潰すことが目的なのです。

Tumblr_m1zhc5efww1qij3peo1_1280(双子のように似ているが、たぶん脳味噌も双子。右が山本、左が中核派全学連前委員長・織田陽介。彼は中核派系反原発団体NANZENの代表。山本の選挙の事務局責任者だった) 

このような脱原発運動の党派化の現状の象徴的人物が衆議院議員・山本太郎氏です。 

私は山本太郎氏という人物を、決して嫌いではありませんでした。  

女の子の尻を追うのが好きで、デカイ図体で隙だらけ、天皇に直訴する意味も知らない猪突猛進の「愛すべき野人」といった彼の姿を微苦笑で眺めていました。  

しかし、「ニューズウィーク」(2014年2月11日号)での彼の発言を知ると、そうとも言っていられなくなりました。  

山本太郎氏はこう述べています。

「脱原発派だけどTPP賛成というのは嘘つき」「TPP推進派は『向こう』に行ってくれたらいい。逆に『こちら』の空気を醸し出しながら中立を装うのが一番怖い。それでは第2、第3の自民党だ」(同)

TPPは私も一貫して反対していますが、それと原発はどう関係あるのでしょうか。ここまで「仲間」の枠を狭めて、意見が違うものは「あちらに行け」というわけです。

下の写真は、1969年の大学紛争時のものですが、全共闘と共産党は共に変革を唱えながら、血で血を洗う内ゲバに明け暮れていました。

彼らのエネルギーの大半は、大学当局や政府に向けられるのではなく、本来は味方であるはずの学生側に向けられました。

日常的な暴力闘争や、リンチが横行し、多くの学生が、学生自らの手で傷つけられて、キャンパスを去っていきました。

B0174791_1184558(東大紛争における内ゲバ。右が日本共産党の民青。左が過激派各派。傍目には意見の違いはまったくわからないが、お互いに自分こそは「正義」だと信じきっているために、すぐに流血の騒ぎとなった。子どもの時から勉強だけしてきた東大生が暴力に走ると、加減をしらない。今この人たちは社長、会長世代)

山本氏の表現にある、「第2、第3の自民党」という表現も、70年安保世代の私は引っかかります。 

山本氏が所属していると噂される中核派は、かつて、内ゲバ殺人を正当化するために「第2民青〇〇センメツ」という表現をしてきました。 

これは、運動の仲間を増やすのではなく、絞っていき、絞っていき、最後は自分のセクトに入れるか、あるいは殺すかする時に使う表現です。 

中核派は「絞る」ためだけの内ゲバ殺人で、百人以上を殺害しています。 まさにISILを彷彿とさせる暴力主義カルトそのものです。 

「脱原発派科学者の筆頭だった飯田でさえ自然エネルギーの穏やかな転換をとなえただけで隠れ推進派として攻撃される」(同) 

もちろんそんな純化運動をしてみたところで、現実に原発がなくなるわけはないのは、あの脱原発アイドルの藤波心さんもよく理解しています。  

彼女すら「原発推進派」と誹謗されたそうです。

「事故当時は女子中学生で、運動参加者から脱原発アイドルと呼ばれる藤波心も『なぜか原発推進派』と批判されたことがある。『こだわりすぎて自分の活動に酔いしれるだけでは原発はなくならない』と藤波は指摘する」(同)

純粋な藤波さんには気の毒ですが、あなたを誹謗した脱原発過激派は、「原発はなくならない」ということなどとうに折り込み済みなはずです。  

原発がなくならない限り運動対象は不滅ですし、なくならない以上永遠に脱原発運動も組織も存在価値があり、党勢拡大の手段になると思っているからです。  

結局、私のように、時間をかけても本気で原発をなくそうと考えるような人間は「向こう側」であり、結局「原発推進派」であって、つまりは「敵」・打倒対象なのです。  

このような「向こう側」と「こちら側」を線引きして、原発、安保、沖縄問題、TPPすべてが一致できない限り「向こう側」という発想に脱原発運動は陥っています。 

この基準にあてはまる左翼の支持者だけです。では、左翼しか脱原発を唱えてはいけないということになります。冗談ではない。

Urphjlq   (どのデモでも、出てくる人は一緒。ほとんど金太郎飴状態。言うことも一緒。センスも一緒。)

再エネがいきなり全部の代替エネルギー源になることはありえません。代替として2割に達することすら難しいでしょう。  

ドイツでさえ、巨額な国費をかけて十数年かけてようやく20%に達し、あと数十年かけてようやく60%になる遠大な目標を立てています。  

つまり時間がかかります。この移行のための過渡期的期間がいるのです。 

なぜなら、今のドイツが半数の6基残しているように、過渡期においては一定数の原発は社会インフラ維持のために残らざるをえないからです。 

仮に全原発が停止した場合、代替は今の日本のように9割を火力に頼るしかありません。 

そうなった場合、電気料金は値上がりし、大停電の恐怖に脅えながら二酸化炭素の排出権売買でいっそう国富は減り続け、国民経済は疲弊します。  

だから時間をかけて移行しないと、社会的・経済的損失が厖大になってしまいます。 

ですから、本来この過渡期に徹底した国民的議論が必要だったはずです。 

しかしそれがなく議論はベタ凪、表現方法や行動様式のみが先鋭化していく、それが実態です。 

今や脱原発派は、具体論を展開しません。強いて言えばドイツ流再エネだけです。 

201407011730(共産党系の護憲デモ。「憲法を守れ」以外の意見は、ヒトラー・ファシズムとなる。いいかげん、こういう二元論的決めつけはやめて、具体的議論ができないかと思うが、名分論者なので、無理)

いや彼らの空気としては、むしろそんな具体論などは日和見主義であって、ともかく「即時原発ゼロ」、それ以外は「原発残存に道を開く隠れ推進派」くらいに考えています。  

実現可能か不可能かなどと考える思考形態自体が既に、「第2自民」だというのです。  

なまじな具体案など示せば、「向こう側」=敵の土俵上で相撲を取らざるをえないことを恐怖しています。 

単に勉強不足で、ちょっと勉強すれば、世界有数の工業国である日本で、即時ゼロなどは簡単に成り立たないのが分かってしまうからでしょうか。 

本来は「向こう側」の土俵、言い換えれば現実のフィールドで政策論として争わなければ脱原発など実現するわけがありません 

ところが、脱原発派には、エネルギーの専門知識を持った人材がいないのです。

06231_20120623085752           (嘘を吐きまくって大金持ちになった武田邦彦。こいつだけは今でも許せない)

いっけん明るく入りやすい外見にダマされて脱原発運動に入ったとしても、運動家が求める左翼的立場で意見が一致するはずがありません。また、する必要もありません。  

あくまでも脱原発をいろいろな立場の人達が、知恵を絞りながら考えていけばいいのであって、その中には自民党支持者がいてもいいし、共産党支持者がいてもいいでしょう。  

いや、むしろ自民党政権の中に具体的に脱原発を構想する人が出てくれば、ほんとうに脱原発の流れは進展するでしょう。  

実際、脱原発運動がいちばん盛んだった頃には、自民党支持者も大勢デモに駆けつけたではありませんか。そうなってこそほんとうの「国民運動」なのです。  

それぞれの立場で、それぞれの考えを大事にして、少しずつでも原子力に頼らない社会をめざして行くべきです。

まず『向こう』と『こちら』と線引きして敵味方を分け、相手ばかりではなく『妥協は悪』とばかりに自分の仲間までを攻撃する。『空気』に左右され、熱狂と忘却を繰り返す」(同)

どうしてこんなあたりまえのことを繰り返し説かねばならないのでしょうか。 

おそらく遠からず彼らは私の世代が陥った深刻な挫折を経験するはずです。そしてその中から、本物の銃器や爆弾を持ったエコ・テロリストが生れるでしょう。 

彼らはたぶんこう叫ぶでしょう。

「いくらデモをしても原発は動いた。このままではすべての原発が動き、元通りになってしまう。チンタラデモではなく、直接に青年の怒りを原発と政府にぶつけよう!」

私はそれを恐れます。なぜならそこまでもう一歩だからです。

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「正義の人」パククネさんの暴走の原因とは

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この私も含めてですが、コリアを評する時にナニカうんざりとした、皮肉めいた口調を止められない日本人は多いでしょう。 

いまや日本社会の中で、韓国に対する嫌悪感情は、一時的なものとはいえず、社会の中に根を降ろすまでになっています。 

たとえば、内閣府の調査(2014年10月)では、、「韓国に親しみを感じない」と答えた人は、前年比8.4%増の66.5%に及んでいます。 

これは1978年調査開始以来、最悪の数字で、日本人の3人に2人は、嫌韓感情を持つにいたっているわけです。 

これは、反ヘイトスピーチ運動をする左の人達がよく言う排外主義とは関係のない、むしろ素朴な国民感情の流れです。 

多くの国民は、かつての在特会の知性のかけらもないデモをうとましく思って、早くヤメロと思っていましたが、それと別な次元で、韓国に対する視線は冷えきったものに変わってしまったわけです。 Wallpaper2_02m_2(あんな時代もあったねと、いつか話せる日がくるわ・・・、あれ、あっと言う間にきちゃったね)

日本人の韓国イメージは上から下のイメージに、劇的に転換をしてしまったことになります。

7c3105a85dc27c568bbf9f14029965c6                   (大韓民国政府観光局提供←うそ)

そして、微苦笑することには、例によって韓国人は日本人の韓国を見る目がここまで冷え込んでしまったことに、まったく気がつかないでいます。 

なぜなら、自分こそが「正義」であり、それを実行しているだけだからです。 

韓国人は、朱子学的発想の根にある名分論の生きている実践者です。

名分論とは、正邪の区別が何かを明らかにする考え方ですから、己の正義を相対化して考えることをしません。 

司馬遼太郎の韓国紀行である、『街道をゆく(28)耽羅紀行』にこんな面白い一節があります。 

「朱子学がお得意とする大義名分論というのは、なにが正でなにが邪かということを論議することだが、こういう神学論争は年代を経てゆくと、正の幅がせまく鋭くなり、ついには針の先端の面積ほどにもなくなってしまう。その面積以外は邪なのである」 

つまり、自分たちが信じる「針の先端ほどの正義」以外は、すべて邪悪な間違いなのだから、間違いである以上は正さねばならない、それが正義を実行することだ、と思う教義が、韓国という社会にあるということです。 

しかも、それが自民族内部でドメスティックにやっているぶんには、カラスの勝手なのですが、それを私たち日本人に集中的に向けてきます。 

というか、私たち日本にのみ「針の先端ほどの正義」を、熱狂的にブスブスと突き刺しては悦にいっているのですから、実に迷惑です。 

また、朱子学と酷似した体質を持つマルクス主義的発想を取る左の人達も、これに呼応して、国内からもブスブスと針を刺しまくるのですから、実にうっとおしいことになるわけです。 

06b676ac

(日本の「正義の人」といえば、やはりこの人。180人の日弁連大弁護団を引き連れて、ただいま訴訟大戦の真っ最中)

いい例としては上の写真で、自分の22年前に書いた記事を「正しい」と居直っている人なんかですね。 

「勤労挺身隊」と「慰安婦」を混同するという事実関係の誤認を詫びることもなく、「アタシは正義だぁぁ。迫害を受けているぅぅ」と裁判をしまくって、いまや肩書は「訴訟家」です。 

さらに韓国人は自分たちが絶対正義で日本が絶対悪だ、と信じていますから、彼らからすれば「日本が嫌韓になるのが間違っている」ということになります。 

20120327110805323                      (ネコよ、お前の気分はよーくわかるぞ)

韓国と同根の文明的ルーツを持つ中国は、さらに戦略的にこの正邪名分論を世界に宣伝しています。 

ここに「東アジア正義が大好き三角同盟」(略称「△同」)とでもいうべき軍団が成立しました。中国を勧進元にして、韓国を切り込み隊長、日本のサヨク・インテリをその下回り(←情けないね)にした一座です。 

彼らは、「アベが軍国主義歴史観を復活させようとしている」「日本は軍国主義ファシズム国家だ」「かつての中国、朝鮮での蛮行を隠蔽しようとしている」と、シュプレッヒコールしています。 

あ、そうそうこれに、米国内の国務省や米民主党内の、ある種の嫌日観が結び付いているからややっこしい。 

さて、この「東アジア正義が大好き三角同盟」は当分、消滅することはないでしょう。 

というのは、名分論は窮地に陥ると、いっそう先鋭化するからです。 

たとえば、△同・切り込み隊長のパククネさんの行状を見てみましょう。 

クネさんは、父親のパクチョンヒ大統領の権威主義的な政治スタイルをマネしていると言われています。 

しかし決定的に異なる部分があります。それは、パクチョンヒさんが意思決定の過程で実務者の意見を重視したことです。正確な情報が、政策決定の鍵だと知っていたからでした。 

それに対してパククネさんは、まったく実務者に会いさえもしないと言われています

あのセウォル号事件でも、自分が信頼する親密な人物とだけと相談し、海洋警察や軍隊の関係者は近づくこともできなかったといいます。

産経の加藤支局長拉致事件は、加藤記者の記事が(朝鮮日報の引用だけど)ズボシだったから、カッとなったと見られています。

韓国の保守派は、彼らが大統領に送りだしたパククネさんが失敗すれば、次はまたノムヒョン大統領のような親北・極左派が大統領に替わることを恐れているのは確かです。 

おっと、信じられませんが、パククネさんは、韓国国内ではバリバリの保守派ですから、そこのところをお間違えなきように。 

それはともかく、パククネさんがこのまま柔軟性を欠いた政治手法で突っ走れば、どう見ても対日関係のみならず、韓国にとっての基軸的国際関係である対米関係すらおかしくなることが、目に見えています。 

しかし、彼ら取り巻きたちはパククネさんをたしなめて、柔軟な方向に持っていくことが出来ないのです。

少し前の時代ならば、日本統治時代の生き残りの政治家が沢山いて、例えば金鍾泌(キム・ジョンピル)のような人物が、韓国人の日本バッシングが過熱化すると、「そこまで言ったら、日本人も怒り出してしまうぞ。いいかげんにしろ」と止めていました。

ところか、韓国の団塊の世代の政治家たちは、徹底した反日教育で育っていますから、自らが先頭に立って卑日・侮日・反日競争を繰り広げている始末です。

ですから、クネさんの掲げた「日本の間違った歴史認識を正してやる」という「正義」を、否定できないのです。 

名分論は、「正義と定めた原理原則は一行たりとも日和ってはならず、最後まで貫徹しろ」と教えていますから、パククネさんのほうが「正しい」のです。 

ただし、この名分論でいくら突っかけても、現実には相手というものがあります。 

たとえば、パククネさんは「日本が慰安婦問題で謝罪しない限り、日本の首相とは会わない」と宣言しました。 

それに対してアベさんは、「結論を前提にした会談には応じません」と切り返しました。 

いつもならばヘラヘラと下手に出て、妥協を探るはずの倭奴(ウェノム)の分際でなナニをしゃらくさいと、頭に血が昇ったクネさんは、世界中で日本の悪口を言って廻りました。 

ここまでやられると、いつもだと「韓国の言い分にも一理ある」と言い出す朝日新聞も、手を出しようがありません。 (といっても、彼外的に2Fやマスゾエ都知事のような奴もいることはいますが)

結果として、どんどんと日韓関係は冷え込み、オバマやケリーまでもが仲介に入ったほどですが、それでもウンといわないのが、アッパレさすがは「正義の人」・クネさんです。

見事に△同の黒幕・中国の描いた絵図どおりに日米韓関係に、クサビが打ち込まれてしまったわけですな、やれやれ。 

すると、今度は「習さま、頼りになるわ♡」とばかりに、露骨な従中離米路線へと転換し始めたのですから、もはや基軸国際関係すらも動揺を始めます。 

元々父親と違って、かなりの親中派であったクネさんにとっても渡りに舟。日本を悪者にして、堂々と中国に大接近できたわけです。

あの集団的自衛権騒ぎの時に、韓国はいかなる米国の説得にも応ぜず、自分が一番の受益者にもかかわらず、中国と共に反対を貫き通したのです。

日本人から見れば、北が攻めてきたら一番困るのは自分だろと思うのですが、ま、いいか。好きにして。

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 これが日本ですと「殿、ご乱心」とばかりに、家老たちが手取り足取りで座敷牢に押し込めるという「主君押し込め」機能が作動するのですが、あいにく韓国にはそんなものはありません。 

まったく主君の暴走を制止できないのです。なぜなら、繰り返しますが、彼女が「正しい」名分を掲げているからです。 

となると、間違っているのはあくまでも邪悪なる日本と、初めから決まっていますから、原理原則を貫くしかテがないことになります。 

かくして、目標とした日本の孤立は果たされず、現実にやればやるほど孤立するのは韓国だけという衝撃的笑劇がやっと見えるようになっても、止めることはできないのです。

自ら省みて直くんば、百万人と言えども我行かん」というわけです。

韓国さん、「針の先ほどの面積の正義」を掲げて、どこまでもツッ走っていって下さい。

ただし、その先になにが待ち構えているか、知りませんがね。

●いつも「次回に続く」とやって、書かないでいます。すいません、資料が揃わなかったり、書いてみたら案外つまらなかったりでして。できるだけ頑張ります。

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ユーロ・システムという「格差」製造装置

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今のドイツは、ウクライナで核兵器を使うつもりだったという仰天発言を続けるプーチンと、ギリシア問題でガタガタになったユーロ・システムに東西を挟まれた格好です。

「ロシアのプーチン大統領は、国営テレビで15日に放映された特別番組「クリミア、祖国への道」のインタビューで、ウクライナで昨年2月に親ロシアのヤヌコビッチ政権が崩壊し親欧米派が政権を掌握した際、核兵器使用の準備をするようロシア軍に指示したことを明らかにした」(北海道新聞3月15日)

論評をしたくないようなプーチンの言いぐさですが、彼が言うと、恐るべきリアリティがあります。

こんな時に、クリミアに行ってその併合の正当性を吹聴する天文学的バカが一匹いましたね。メルケルさんは、さぞかし怒っておられることでしょう。

プーチンに頼んで、あのバカバトをクレムリンの地下牢で飼い殺しにしていただけないでしょうか。

F0166919_6595695(右から、どひゃーと言っているのがオランド仏大統領、ギリシアの円柱を支えているがご存知メルケルさん、?出しているのがキャメロン首相)

まずはユーロですが、失礼ながら、根本的に欠陥システムです。

ギリシアがナゼこんなに大枚の借金を作ってしまったのかといえは、もちろん「エーゲ海の愚者の天国」といった自業自得の部分が多いのですが、それだけでは理解は半分です。

では、なぜ「働かない」のに、どこから食料や工業製品が来るのかと言えば、これまた考えるまでもなく地域最大の工業国にして、世界有数の輸出国&地域覇権国のドイツからです。

経常赤字国の場合、支出が収入を超えているので、支払いは海外から借り入れるなどして資金を調達する必要があります。  

日本の場合、国債の95%を国内投資家が保有している内国債ですが、ギリシャ国債の場合は独仏などのユーロ諸国が金融機関が70%を保有しています。

ちなみに、日本の国債は円建てです。自国通貨建て&内国債というダブルの保険があるために、日本は財政赤字になってもそれが国家崩壊に簡単に直結することはありえません。

一方ギリシアも、ユーロ内の外国が国債を買い続けてくれる限り、貿易赤字がどんなに膨らもうと「大丈夫」なわけです。 

Img_1_m(ない金は返せねぇ、ドイツが戦争の賠償すればチャラだぜと、ハゲのダンディことバルファキス・ギリシア財務相)

通常の2国間貿易では、こんなことはありえません。 

それは為替レートという、国際金融経済の自動調整機能が作動するからです。 

共通通貨でなければ、一方の国の経常収支の黒字がひたすら積みあがって行く場合、その国の通貨の価値も上がっていきます。 

ドイツが独自通貨ならば、マルク高が必ず起きたはずで、一方でギリシアが独自通貨だった場合、貿易収支・経常収支赤字が積み上がっていくために、通貨の価値が下がっていきます。 

すなわち独自通貨ならば、必ずドラクマ安になります。 

マルク高、ドラクマ安によって、ドラクマは国際競争力を次第に回復して、黒字化することが可能です。 

これは、この間の日本の円安効果による、国際競争力の回復、外国に移転した企業の国内回帰をみれば、お分かりになるだろうと思います。 

ところがユーロは、あくまでも「みんなの通貨」(共通通貨)ですから、ギリシア一国の経済に関係なく、他国の貿易収支を加えてガラガラポンにする仕組みです。 

これはマルクでいるよりも、ドイツにとって有利なシステムです。マルク高による、輸出ブレーキがないからです。

事実、マルクはユーロ加盟以前は常にマルク高に悩まされていました。

しかし、ユーロになってからは、ユーロ安の恩恵を存分に浴びて、ユーロ圏、特に南欧諸国への貿易で潤ってきたわけです。

ですからドイツが、ものすごい貿易黒字を叩き出せば、ギリシアの赤字はたちどころに埋まってしまいます。

その上に、ユーロにはもうひとつの貿易の偏差を是正する装置である、関税というブレーキがありません。 

ドイツにとって、ユーロ安、無関税というドイツにとって圧倒的に有利な仕組みで、ギリシアへの怒濤の輸出ができたうま味を存分に味わってきたわけです。

その結果、ドイツはユーロでダントツの輸出依存国となりました。

2013年度は40.0.2%。同じユーロ圏でもフランスが、その半分の21.15%にすぎないことを考えると、いかにドイツが内需ではなく、輸出にだけに頼った国なのかわかるでしょう。

ちなみに日本は、昨日も書きましたが14.50%です。よく日本の貿易収支が赤字になった、日本経済崩壊が始まったという人がいましたが、貿易の占める対GDP比率はそんなていどなのです。

赤字になったのは、原発を止めているためにエネルギー輸入の過剰という現象が起きたからにすぎません。

わが国の強みは、内需と輸出のバランスが取れていることです。それを忘れて、バニくらないように。

この輸出依存大国・ドイツにとって非常に都合がいいシステムこそが、ユーロ・システムだったいうわけてす。

これが、ドイツがギリシアを甘やかし続けてきた、お家の事情だったというわけです。 

さて、同じ現象をギリシア側から見れば、いつまでもユーロは安いままですから、輸入品価格も上昇せずに、いつまでも安い輸入品を買うことができました。 

ですから下手にギリシア国内で作るより、ドイツから買うほうがはるかに安いというバカなことになり、ギリシアは堂々と貿易赤字を垂れ流し続けてきたわけです。 

一国の独自通貨同士の貿易ならば、こうは行かなかったでしょうね。とっくにブレーキがかかって、行き詰まっていたはずです。 

これが、ギリシアの民間経済にどんな影響を及ぼすのか、わかりきった話です。国内の民間経済を成長させるモチベーションが喪失してしまいます。

いっそモノ作りより、観光国家に特化するべぇということになってしまいました。

ギリシアはこんな楽チンなことで国が廻れば、もうエーゲ海の天国だ、国家帳簿ゴマかしてユーロに裏口入学したかいがあった(ホント)と、一時はほくそ笑んだことでしょう。

こうして、<ギリシア・ユーロ・パラサイトモデル>とでもいうべき、ユーロ・システムにパラサイトすることで働かないでリッチな生活ができる、というトンデモ・システムができあがっていたわけです。

ギリシアの年金支給は55歳から。しかも元の賃金の8割近くが保障されて、遺族にも支給されるものだから、どんどん50代でリタイアして、優雅な年金暮らしに突入。

勤労者は、社会主義政権が増やした公務員だらけで、9時に出勤するとボーナスか出る上に、アルバイト兼業可で、土産物屋の親父やタクシーの運ちゃんが国家公務員だったりします。

おまけにノーレシート文化で、税金を払ったら負けというすごい伝統まであります。

国の財政がパンクしようと、公務員だらけて民間企業が土産物屋だけなろうと、税収がなかろうと、ユーロがなんとかしてくれるという、大笑いの国になってしまいました。

ユーロの前までは、ギリシアはビンボーながらも、ちゃんと働いていたのですよ。

主力産業(?)の公務員も、増えすぎれば軍事政権が大幅削減し、軍事政権が増やした軍事費も、次の社会主義政権がカットするという、一種の自己調整機能があったわけです。

それが、ユーロに入ったとたん、ただのエーゲ海の与太郎になってしまいました。


(写真 ギリシャ・ツィプラス新首相が、もうひとつの地雷源のスペイン「急進左派・ポデモス」党首パブロ・イグレシアス党首と共ににこやかに手を振る図。コンナに陽気にしていていいのかと思うのが、この南欧困ったくん連合。どうも次はスペインのよう。それにしても、党首ふたりの芸能人顔がかえってコワイ。)

しかしまぁ、ここまでは、ものすごくイビツですが、一見win-winの関係に見えます。

ところが、ちゃんと罠は仕掛けられていたのですね(←思わず、ざまぁ見ろと言ってしまう、私)。 

貿易赤字を垂れ流し続けると、国内のユーロが輸入代金の支払いのためにどんどんとなくなっていきます。 

独自通貨なら自分で刷ればいいのですが、ユーロの通貨発行権はヨーロッパ中央銀行(ECB)しかありませんから、どうしようもなくカネ不足になっていくわけです。 

カネが不足しているが、モノは潤沢にある需給ギャップの状態をなんと言うでしょうか。はいそうです、デフレ現象です。 

今わが国が、なかなか脱出できずにいる状況です。わが国はいちおう経済大国で蓄積があったからいいものの、経済基盤の弱いギリシアでは、一気に経済を冷え込ませ、失業率の上昇をみました。 

そしてこれこそがユーロ・システムの最大の欠陥ですが、各国の経済事情に合わせた金融-財政政策がとれません。

すべてが、ヨーロッパ中央銀行(ECB)に中央集権されているからです。そのECBを握っているのがドイツです。

そしてそのドイツは、メルケルさんのウルトラ緊縮財政政策によって決定されているのだから、ギリシアなどはたまったものではありません。

景気対策をとれないのですから、ひたすら国民生活を犠牲にするしか、やりようがないわけです。

こうして、ギリシアを「エーゲ海の愚者の楽園」にしていたユーロ・システムの復讐が始まったのです。 このフツフツたる怒りが、一挙に噴出したのが、先だっての選挙でした。

ユーロというシステムは、決してバカバト好みの理想の友愛システムなどではなく、ドイツにとってだけ有利に作られていたことに、加盟国はやっと気がつき始めてきたのです。

というわけで、ギリシアの左翼新政権が持ちだしたのが、誰に学んだか「歴史認識」を道具にドイツをゆするという必殺技だったというわけてす。

どうも左翼は東西を問わず、「歴史と金」がお好きなようです。

まぁ、ギリシアがドイツに対して怒る歴史は、コリアの百倍ぐらいあるのは確かなのですが。それについては次回ということで。

 

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IMF・米国が作ったヘンな「先進国」韓国

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さて、昨日からの続きです。 

現代の戦争の多くは、ISILのようなテロリスト相手の非対照戦争であり、正規軍同士の戦争は姿を消しつつあちと言われています 

非対照戦争とは、かつての大戦のように正規軍同士の戦争ではなく、テロリストやゲリラのように戦術が読めない不定形の集団との戦闘のことです。 

ではいま戦争は何によって戦われるのでしょうか。鉄砲の弾だけではありません。平時の主戦場は、むしろドルやユーロ、あるいは円といった通貨によって戦われています。 

ここでも、非対照戦争が行なわれています。それは国際金融市場を戦場にした、ヘッジフンドによる為替レートをめぐる「戦闘」です。 

この「戦闘」がもっとも激しかったのが、1997年にアジア通貨危機でした。多くのアジア諸国が、この国際金融市場に強い力を持つヘッジファンドというゲリラ勢力の攻撃を浴びて、通貨崩壊という事態を迎えました。 

(アジア通貨危機で最も影響を受けた国 ウィキ)

この時に、救いの手を伸べたのが、日本とIMFを牛耳る米国でした。ただし、この二国の方針は、本質的にまったく違うものでした。 

わが国の支援がストレートにアジア圏の通貨安定を目指したものだったに対して、米国のそれは「救済」の形を借りて、その国の経済や社会の形を変えてしまうものだったからです。 

米国はアジア諸国、なかでも新興工業国家として急激な勃興をしていた韓国に目をつけました。 

米国は、救済と引き換えにして、経済、財政、金融制度のあり方そのものにも手を着けます。 

それがなんなのか、簡単に見ておきましょう。というのは、この時に作られた「国家の形」(国柄)こそが、今の韓国そのものだからです。 

ところで韓国という国は、非常変わった、はっきりいえばイビツな経済の型をしています。 

極端なまでの外需依存国家なのです。外需(輸出)の対GDP比率は13年度で45.82%に登ります。これに比肩するのは、かのドイツだけです。
世界の貿易依存度 国別ランキング・推移 - Global Note 

日本が同時期14.52%ですから、国内市場の個人消費や企業投資などの内需が、日本経済の柱だとわかるでしょう。

だからこそ、去年4月の消費増税が日本経済を直撃してしまったのです。

それはさておき、GDPの約半分を輸出が稼ぎだしている韓国の内需がいかに貧弱かがわかります。  

半分までが輸出頼みという韓国は、1997年のアジア通貨危機をモロに浴びてしまいました。

その時韓国は、デフォルトの断崖絶壁まで追い詰めらました。そして、IMFと日本の緊急支援をもらって、ようやく亡国の危機から救われたのです。 

IMF管理の下に入るということは、いわば進駐軍の支配に入るというようなものです。軍隊を使わずに、通貨を使うことだけの違いです。 

かつてのGHQがそうであるように、米国=IMFは、韓国経済を根本から「改革」しました。 

米国は韓国に命じたことは、こんなことでした。  

まず財閥を解体して、少数の企業に独占的な地位を与えました。たとえば電子業界ではサムソンとLG、自動車と造船はヒョンダイといった具合です。

国際競争力をつけるという名目で、 極端な寡占市場を作ったのです。(欄外資料参照)

2011年の韓国10大財閥の売り上げ高は、約946兆ウォンに達して、韓国のGDPの実に76.5%に達しています。サムスン1社で2割を占めます。

ちなみに日本の場合は、最大企業のトヨタの売り上げの対GDP比率は3.9%にすぎません。

トヨタは膨大な協力企業によって支えられている一種の経済圏ですが、韓国には中小企業育成の声はいつもあるのですが、まったく育っていません。

韓国は、大企業の技術力の裏づけとなる「大田区」や「東大阪市」が欠落しているのです。

ですから、どこまで行っても韓国製品は、パクリとダンピングだけが頼りです。

また、韓国財閥で働く韓国の雇用割合はわずかに6.9%((2013年04月04日朝鮮日報)にすぎません。

76%を占める10の財閥と、わずか7%の従業員が韓国経済を支えているということにてります。

その結果、財閥系とGDPの残り93%で暮らす大多数の一般国民との間に、激しい経済格差を生むことになります。

この財閥系企業への就職という超狭き門に、青年が殺到し、当然のことながら日本など比較にならない受験戦争か常態化します。

ちなみに、韓国の中高では部活が禁じられています。オリンピックに出てくるようなアスリートは、すべて国家プロです。

この財閥系企業のオーナー一族と従業員たちはわずか7%の超エリート階層となり、いまや現代における李朝「両班」(ヤンパン)貴族といっていいでしょう。

財閥一族三世の常軌を逸した傲慢ぶりは、ナッツリターン事件でもかいま見られました。彼らは、冗談でなく自らを万能の王族だと思っているのです。

(王族もいったん落ちぶれると市中引き回しの上、打ち首獄門。これか韓国の掟)

また、IMFは外国人株主の持ち株制度の自由化や、金融市場の自由化に踏み切らせます。 

これによって、大企業や銀行は過半数以上の株を外国人が所有し、事実上、米国人株主が牛耳ることになります。

「世界の」サムスンですら、実に54%が外国人株主です。看板は韓国企業でも、その甘い蜜は外国人が吸う仕組みができてしまったのです。 

大企業が儲かるための制度がいくつも生れました。たとえば、韓国の国有電力会社による、逆ザヤの電気料金の超低価格供給です。 

正義氏が、韓国から電力を引くことを考えたり、下請けの一部を韓国に移しているのは、この電力料金の異常な安さがあるからです。父祖の血縁とは関係ありません(多少はあるかな)。

その当然の報いとして、ひずみが襲って来ています。この超低料金を維持するために、メンテは杜撰なものになり、ニセモノ部品ばかりで原発が出来ていたという笑えない事実が発覚しました。

いまや韓国原発は稼働停止状態になってしまい、地震もないのに電力事情が不安定になっています。

また法人税も低く抑えられました。

特に財閥に対しての優遇税率は凄まじいものがあり、『週刊朝鮮』(2013年1月21日)よれば、「3年ほど前に調査した際にはサムスン電子に対する法人税実効税率は11%程度だった」といわれています。 

ところで、このIMF大改造が成功したかに見えたのは、時代背景がありました。いくつもの偶然の追い風に恵まれていたのです。 

第一に、当時はまだ資源が安かったことです。 

石油はアジア通貨危機以降の7年間に、原油価格が低迷し続けて、原油国際市場(WT)が1バレルなんと30ドルという驚異的低水準で推移しました。 

当時、まだ中国経済は今の力を持っていなかっために、韓国はその前のひとときの原油や鉱物価格の安値市場を味わうことができたというわけです。 

また90年代末から21世紀にかけて米国は空前のITバブルと不動産バブルに沸きます。これが、韓国の起死回生の最大原因となりました。 

安い原料で作れて、右から左に米国で売れるのですから、ここで一気に韓国は「昇竜」となります。 

韓国政府は、この輸出攻勢を続けるために秘策を編み出しました。自国通貨安に為替相場を固定してしまうのです。 

これによって韓国製品は、常時ライバル国に対してダンピングしているも同然となり、サムスンは一気に世界ブランドにのし上がっていきます。 

資源安、米国の好景気、ウォン安、この三つが揃ったために、韓国はIMF管理なんていつの話だったかという気分に酔いしれることができたわけです。 

そしてもうひとつ忘れてはならない要素は、輸出の最大のライバルであった日本が、超円高とデフレでヒーヒーいっていたこと、そして後に巨大なライバルにまで成長する中国がいまだ世界市場に登場していなかったことです。

さぁ作れ、やれ輸出しろ!輸出こそ韓国のエンジンだ!サムスンに続け!ニッポンに追いつけ、いやもうとっくに抜いているぜ!

このような強気一点張りの空気が韓国を支配したのが、21世紀初頭でした。ある意味、韓国史上、もっとも栄耀栄華の時代だったのかもしれません。

かくて韓国は、ショボくれて下を向きがちの日本に対して、これ見よがしにシャンパンの開け放題といった調子で、21世紀に突入したというわけです。 

ところが2004年を境にして、これらの韓国経済バブルを支えていた要因が、ことごとく消滅していきます。 

韓国ウォンはいくらウォン売りをしても支えきれずに,とうとうウォン高に転じるようになった。もうウォン安・ドル高を武器にした価格競争力が通用しなくなってきたのです。 

おまけに原油価格や資源価格は、中国などの新興経済諸国の追い上げにあってたちまち国際市場価格が高騰するようになりました。 

原油価格、資源価格は、それを受けて上昇し続けていきます。 

そしてとどめの一撃はなんといっても2008年9月15日のあの世界的大災厄でした。覚えているかな、そうあのリーマンショックです。 

サブプライムローンの危機をきっかけとする金融破綻で、米国を初めとする各国は大変な経済危機を迎えるようになったのです。世界同時需要縮小の到来です。

こういう時に、日本のようなしっかりとした国内消費市場があれば、一定の鉄板の底があります。

しかし半分を輸出で稼いでいるような輸出強依存体質の韓国は、ひとたまりもありませんでした。 

輸出激減、通貨暴落の雪崩が、韓国を一瞬にして呑み込んだわけです。

してその上に、円安による高付加価値帯の日本製の復活、低価格帯の中国製品の追い上げによって挟み打ちされるようにして、韓国の輸出は先の見えないトンネルに突入してしまいました。

このようにして、1997年IMF管理になったことによって、韓国の社会・経済は大きく異形な「先進国」へと変貌し、そしていまや崩壊の時期を迎えようとしています。

シャンパンを開けるのをしばらく待って、中小企業を地道に育てたり、研究開発費に金をかければよかったのにと思っても、もはや後の祭です。

長くなりましたので、次回に続けます。

                        ~~~~~~~

■韓国財閥のGDP比率内訳(2011年)

・サムスン   ・・・ 21.9%
・現代・起亜自・・・12.6%
・SK       ・・・11.7%
・LG       ・・・ 9.0%
・GS        ・・・5.4%
・現代重工    ・・・5.0%
・ロッテ      ・・・4.5%
・ハンファ     ・・・2.8%
・韓進       ・・・1.9%
・斗山・       ・・1.7%

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日韓スワップ終了が示す中華共栄圏への道

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やや旧聞になりますが、ご存知のように、2月23日に日韓通貨スワップが終了しました。 

お赤飯でも炊きたいような国民的慶事でした。夕飯のおかずを一品増やしたご家庭も多いかと思います(笑)。

韓国も喜びに沸き立っているようで、韓国通貨当局は鼻の穴を膨らませて、「日本のためにやってきたんだ。日本が頼みに来ないから終わっただけだ。フンフン(鼻息)。もちろんなんの問題もない。フンフン」と宣言しています。

スワップ絶縁のケンカ腰もなかなかコリアですが、韓国がすり切れた夏のビーサンのように捨てた日韓スワップは、日韓だけのものではありませんでした。

この最後に残った日韓スワップは、チェンマイ・イニシアティブ(CMI)の枠組みの中の100億ドルです。

CMIは1997年の通貨危機で共に苦渋を舐めたアジア各国がつくったセーフティネットで、アジアの経済協力の象徴なのです。

したがって、ただの二国間スワップではないというのを、韓国は頭に血が登ったと見えて完全に忘れています。

中国を除くアジア全体で作った共同のセーフティネットを勝手に破壊したことは、後々韓国の評価に大きく影を落すでしょう。

こういう日韓関係にだけ目が行って、国際社会をゼンゼン見ないという近視眼ぶりもいかにも、日本人がよく知るコリアです。

まぁこれを興味津々で眺めていたアジア各国にとって、中韓FTAもからんで、これで韓国の中華冊封国への道が一気に加速したなと考えたことでしょう。

383ad253s(写真 なんか妙に嬉しそうなクネちゃん。習さん、頼りになるわー。よろしくね♡婚約発表会見、かって)

今後は中国との通貨スワップや、アジア諸国とのスワップでやっていくそうです。いや、中国とやっていただければ、日本にとってこんなにいいことはないので、実にメデタイ話です。 

さて通貨スワップのタテマエは、スワップ(swap)の言葉どおり交換の意味です。どちらかの国が、デフォールトしそうになった場合、相手国が外貨を用立てるという金融協力の仕組みです。 

したがって、わが国がデフォールトしそうになった場合、韓国に外貨を融通していただけるということになりますが、300%ありえません。 

とうぜんこの仕組みは、1997年にIMF管理のご厄介になった韓国を、日本が支える仕組みです。韓国の打ち切り後の論調は主に3つらしいですね。

① 「打ち切りの影響は大したことはない。日本ごときに頭を下げられるか」といったいかにも韓国らしい卑日論的強がり
②「まるで我が国が頭を下げてスワップを結んできたかのような物言いが腹立たしい」という、これまたいかにも韓国らしい逆恨み論
③「安倍政権は憎いが政治と経済は別だ」という、これまた韓国らしい妙に正直な後悔先に立たず論

当然、時系列的には①②③と変化しました。だんだん自分がやったことに青ざめていくのが分かって、しみじみとさせられます。 

まぁ当初の強気は、ここで少しでも弱気を見せたら、外資のキャピタルフライト(資本逃避)が起きる可能性があるという現実的理由と、お約束の対日見栄っぱりが原因です。 

日本政府としては、余裕で韓国の様を見物していたようです。やるなら協力しますが、要請がなければ自動的に打ち切りとなります、チャンチャン。ただこれだけです。 

78617832(写真 スワップ打ち切りを祝福し合う政府首脳。もちろんクソコラ。実際には日本側からは拒否しておらず、麻生氏が「要請を待っている」言っただけですが、さんざんにやられてきたお二人の気分はこんなことかと)

 中国とも通貨スワップ協定を結んでいますが、金利が異常に高いために、事実上使えません。 

第一、通貨スワップは、国際決済通貨であるドル・ユーロ、円以外に持っていてもしょーもないものなのです。

仮に、中国の元なんかをいくら用立ててもらっても、世界との貿易取引にはまったく役にたちません。ただの紙です。

習に泣きついて元をドルに換金した場合、ハンパない額になり、中国の元ドルレートの方ももつられて暴落してしまいますから、中国がそこまでして面倒を見てくれるかは、神のみぞ知るということになります。
 

他の国のスワップに至っては、なんと資源の現物支給だったりしますので、ないのも一緒です。 

あ、そうそう忘れていた。「オレんちの外貨準備は充分にあるゼ」と韓国財務当局は述べているようです。

そうとでも言わないとまずいのは理解できますが、内実はひと頃景気がよかった時に買い込んだ正体不明のジャンク債権が中心で、それも買った時の極楽額面で評価しているという、実に韓国を表すようなスグレものです。 

では、今まで韓国がさんざん使ってきた、1日決済の「オーバーナイト」融資はどうなるでしょうか。

韓国のメディアは、日本がダメでもEUがあるさ、と言った論調です。
※朝鮮日報(韓国語版)2月18日付社説「韓日通貨スワップ、恋々とせずに米・EUチャネルを開け

「日本に恋々とするな」ですか。まるで国家間の経済関係ではなくて、男女間の痴情のもつれみたいですね(笑)。

いつもなぜか韓国の言い分は、ただの経済記事でも妙に濃厚な感情的思い入れがあって、実にねっとりとして官能小説(←古い)的です。

これについて、東京三菱銀行で元の韓国担当だった真田幸光氏(愛知淑徳大学教授)は、「米・EUが韓国を助けるかは甚だ疑問だ」と述べています。
人民元圏で生きる決意」を固めた韓国 3月5日 鈴置高史 

増田氏によれば、韓国は外貨不足の国ですから、国際金融市場では常にドルの借り手です。 

そもそもEU自身が、創設以来最大のピンチです。言うまでもなく、あの超不良債権と化したギリシア問題がに解決のめどが見えずに、いまや時限爆弾化してしまっているからです。 

仮に余剰外貨があったとしても、いつまたIMFのお世話になるかもしれない韓国に貸してやる義理はありません。 

一方、米国ですが、米国は冷厳に自国の利害損得で動いています。米国のシビアな狙いは韓国の第2のIMF管理です。 

真田氏は1997年の韓国通貨危機時に、東京三菱の韓国担当でしたが、その時に日本の金融界は永田町も含めて韓国の救済に動くべきだという暗黙の了解を持っていました。

この時の状況は、欧米のヘッジファンドがウォンを売り浴びせている真っ最中で、もはやデフォールト寸前、息もたえだえといった状況まで韓国は追い詰められていました。

この時、世界で唯一韓国を救済する意志を持っていったのが、日本の金融界と政界でした。

この時、日銀は米国に救済の意志を伝えます。

しかし、ひとつの巨大な圧力が米国からやって来ます。それもアラン・グリーンスパン(連邦準備銀行FRB議長)からの、直接の圧力でした。

「韓国救済は国際的スキーム(枠組み)でやる」

言外に日本はよけいなことをするな、と言っているわけです。

「国際的スキーム」とは、端的にIIMF管理にするということです。これが、米国主導の金融経済グローバリズムの草刈り場にしますよ、という宣言だったわけです。

長くなりましたので、次回に続けます。 

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歴史は共有できない 

079
メルケルさんの来日を、一番ドキドキハラハラして見ていたのは、韓国だったみたいですね。 

朝鮮日報(3月14日)のヤン・モドゥム記者は、こんなことを書いています。 

「メルケル首相は数日前、日本を訪れた。「鉄の女」は公開講演で「和解のためには過去に向き合わなければならない」と述べ、日本の野党代表に「慰安婦問題は解決した方がいいのでは」と述べた。歴史問題は日本を昨年訪れた韓国の血盟・米国の大統領さえ沈黙していたテーマだ」
「過去を直視しない国」と「和解する気がない国」の間で強力な発言権も確保した。フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙は「メルケル首相は日本に滞在した30時間で双方に望みのものを与えた」と書いた。勝者は韓国でも日本でもなく、ドイツだったということだ」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/03/14/2015031400884.html 

ホー、「血盟」ですか、米韓がね。そうだったんだ。知らなかった。もう、中国の冊封国になるんで、縁切りするのかと思ってましたよ。

それにしても、「血盟」ね。今どき、こんなおどろおどろしい言葉を使う人は、日本じゃあ極右だけですがね。

もっとも韓国が大嫌いな日本の極右とは、自分もウルトラナショナリストで、しかもレイシストですから、体質的には似ているのかもね(笑)。

でもだから、米大使が切られて入院している大使の病院の外で、こんなひょうきんな馬鹿騒ぎをしていたわけですか(棒)。

ついでに愛犬家の大使に、犬肉なんかも持って行ったりしてね。す、すまん、笑いが止まらない。

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(写真 大使の快癒を祈って病院の表で躍り狂う善良な韓国国民たち。寝ている病院の外で騒ぐなよ、と。こういうマネをするから、韓国人はキライになりきれない)

すべからく主観が強すぎるのですよ、あんたら。国務省高官がなにか言えば、逆上して切りつける馬鹿者まで現れ、そして今度は大怪我を負えば負ったで、大慌てで病院前で爆笑踊りを繰り広げる。

ほんとうにほんとうに、いつまでたっても大人になりきれないチャイルディシュな人達・・・!

記事の中身自体は、反論するまてもないでしょう。永遠に言ってなさい、という類です。 

韓国の言う「和解」とは、己のファンタジックな国営歴史観を100%、日本に呑ませること。そして日本に対して常に、外交的フリーハンドを握ることです。 

したがって、日本は永遠に「和解」などはするべきではないし、またそんなことはフランケン岡田や、2Fみたいな人たちが政権でも取らない限りありえないことです。

放っておきましょう。それしかありません。

むしろ、フランクフルター・アルゲマイネ紙の言う、「勝ったのはオレ様だ」という総括のほうが、私は嫌いです。 

よもや、メルケルさんが日本に来たのは、日韓のただでさえ危うい二国間関係をさらに不安定にして、韓国を中国に追いやり、中露+韓vs日米という構図を作り出しに来たわけではないでしょうに。 

日本語がペラペラで、水戸史学で博士号を取った駐日ドイツ大使は、フランケン岡田のつけ火の火消しに大変だったんですから、まったくアルゲマイネ、なぁに言ってんだかです。 

ところで、まったく同時期にファビウス・フランス外相が来て、こんなことを言っていきました。例によって、こういう理性的発言には、日韓メディアはスルーです。

B_gssouwaac9wd                  (写真 在日フランス大使館)

「■日韓は独仏と異なる
フランスのファビウス外相は14日、東京都内の仏大使公邸で記者会見し、フランスとドイツを引き合いに、日本に歴史認識での反省を求めた韓国外務省当局者の発言に関し
(仏独と)アジアでは取り巻く状況も地理的条件も異なることを忘れてはいけない」と述べ、単純に比較できないとの見解を示した。
 ファビウス外相は「仏独は(歴史上)互いを侵略したが、第2次大戦終結を機に和解した。今では世界で最も仲の良い国だ」と強調。「そこから何か感じてもらえると思う」と語った」(時事3月4日)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015031400360 

実に大人ですね。これはメルケルが同時期に来ていたことを考え合わせれば、メルケル発言の巻き起こした渦に゛フランスは巻き込まれたくないという意志表示でしょうね。

私は心底、成熟した大人の関係である仏独関係をうらやましく思います。しかし残念ですが同時に、日韓との関係が仏独のようになることはぜったいにないと諦観しています。

ではなぜ、中韓とわが国が成熟した二国間関係にならないのでしょうか?

中韓外交の特徴は、二国間関係の前提に自らの歴史認識への同調と屈伏を強要することです。

しかも、講和条約締結後も、延々と70年間同じことを言い続けて飽きることがありません。

戦争が終了して、いったん平和条約を締結すれば、歴史を遡及しないというのが、ヨーロッパにおける「戦争の掟」です。

条約締結後もなにかある度に、毎回それを持ち出しては、ゆすりたかりをするようなことをやれば、国際条約それ自体の正当性が崩壊します。

戦争とは、宣戦布告で始まり、講和条約締結で終了する状態のことです。

日中の戦後処理は、1952年の日華平和条約と、その失効後は1972年の日中共同声明で終わっています。

また日韓関係も、「独立祝い金」(←なんじゃこれ)を供与する1965年の日韓基本条約をもって完全に結着しています。

中国の場合、いまだだに続く総額3兆8千億円、年間300億円の巨額ODAの援助。そして第2のODAといわれる国際協力銀行からの借款も実に3兆円。合わせて7兆円弱。

韓国の場合、牛の涎のように与えた数知れない支援とは別に、与えた借款総額は出しも出したり、その額5兆円。

もちろん両国からお礼はおろか、返ってきた台詞は、「謝罪していない」です。まぁ、韓国も中国も、国民にまったく教えていないんだから、しゃーない。まさに砂漠に水を撒くが如き虚しさ、ですな。

とはいえ、何も知らない国際社会は、中韓の言い分を丸のまま信じているんだから、困ったものです。

その戦争状態を集結させた国際公布である講和条約を両国が遵守しないということは、とりもなおさず国際社会が前提としている近代国際法を遵守しないということになります。

言い換えれば、「オレは国際的法治主義を否定するならず者だ」、と自分のことを言っているに等しくなります。

誰が、そんな国と条約を結ぶのかということになります。条約遵守をする意志も能力もない国は、国家として国際社会に生存を許されません。

二国関係における動かしてはならない「ゴールポスト」が、この条約遵守だからです。

自分の都合や気分で、ズルズルとゴールポストを動かすようなことをすれば、条約などただの紙きれにすぎなくなります。

ですから、日韓基本条約を覆すがごとき、個人請求権などは断じて日本は認められないわけです。

一方、中韓が言う歴史認識とは、講和条約を無視し、日本が未来永劫「敗戦国」であり続けるために出されているカードのことです。

もし中韓が仏独関係のような「和解」をお望みなら、すでに締結した国際条約を遵守すればいいだけであって、すでに日本は完全に履行しています。

となると、彼らが言う「和解」とは、日本人が考える国際社会の遵守でも、和合でもなく、一方から一方への屈従の要求にすぎません。

日本はいつまでも「残虐な侵略者」でなければならない、その立場から自由になることは許さない、被害者様であらせられる中韓が気まぐれに日本を殴りたくなったら、黙って殴られていろということです。

このような、二度と日本という敗者を復活させないという「掟」こそが、彼らの歴史認識なのです。

中韓は、建国神話の中心に「国営ファンタジー」と私が呼ぶ、日本を相手とした虚構を置いてしまっている以上、残念ですが、この構図が変わることはないでしょう。

歴史は共有できないのです。共有できない以上、「解決」されることはありえないのです。

こういう構造的宿痾がある以上、それを理解できない人たちは絶えないでしょうから、プリンシパルに対応していくしかないのです。 

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日曜写真館 梅の里

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今日からタイトルの副題を変更しました。「真実」ではなく、あくまでも「真実らしきもの」です。

事実はひとつですが、真実は相対的なもの。それぞれが自分の立場の真実を持っています。それでいいじゃない、と思います。

ただし、相対的な中にも事実はあります。あまりにほんとうのこととかけ離れたことを言う人、言う国が多すぎます。

コルラァ、お前、農業テーマを捨てたろう、というご批判はそうとうに頂戴しています。特に昔からの読者には必ず言われます(汗)。

耳が痛くもありますが、私が今、農業について書きたくない「気分」なのだから仕方がありません。

農業に対しての私の気持ちそのものが、3.11から凹みぱなしなのが、根本原因でしょう。こと、農業に関しては、私は今も震災鬱が続いているようですね。

ついでに言うと、今書きたくないテーマは、放射能と原発です。あまりにもうんざりする戦いを2年有余やったために、このテーマに関しては、私の感性のほうがすり切れてしまいました。

いまだ、F1から湾外に放射能が漏れているからどーたらこーたらと言って、鬼の首でも取った気になっている人たちと関わり合いになりたくありません。

福島のイノシシ鍋大会でもやりたいくらいです。キノコもたっぷり入れてね(笑)。

といっても、目に余るなら、これに関してはやるしかないかとあきらめています。

新たなテーマとしては、今、歴史にまで足を伸ばしかけているので、もはや森羅万象ですね。

ただし、森羅万象という広大無辺の海のほんの砂辺で貝を拾っている、そんなていどです。

実は科学にも手を伸ばしたいし、やりたいことはあまりにも豊富です。そういう時に「農と島」というタイトルで自らジャンルを狭めたことを、やや後悔し始めています。

といっても、今さらなじんだタイトルは変えられないしねぇ。

ほそぼそとしたブログですが、今後ともご支援下さい。

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土曜雑感 メルケルさん、自己欺瞞から醒めて「歴史と向き合い」なさい

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メルケルという御仁を、どうにも好きになれない日本人は多いのではないでしょうか。

この私もそのひとりです。メルケル女史は、こんなことを日本でくっちゃべっていきました。

「メルケル首相は講演で、ヴァイツゼッカー独大統領(当時)の1985年のスピーチ「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」を引用。ドイツは戦後、かつての敵国とどのようにして和解することができたのか、との質問に対して「近隣諸国の温情なしには、不可能だった。ただ、ドイツ側も過去ときちんと向き合った」と述べた」(ロイター3月9日)

あのね、自分の国がどうやってようと知ったことじゃないが、他人様の家に来て自慢たらしく、説教垂れるんじゃないよ、余計なお世話だ、つうの。

国や朝日が、また勘違いして喜ぶじゃないのさ。

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(写真 アンゲラ・メルケルドイツ首相。自国の支持率7割なわりに、ギリシア人からは好かれていない)

ドイツは戦後、西と東に別れた分裂国家となりました。そのために正式の講和条約はドイツ統一まで待つという理由で、国家間の賠償は行なわれませんでした。 

また、ドイツは、自由主義陣営にとっても、共産主義陣営にとっても重要な前線国家だったために、賠償を課すことをしなかったともいわれています。 

このような歴史条件があったために、ドイツの戦後賠償はすべてがナチスに迫害された人達への個人補償の形を取らざるを得ませんでした。 

ドイツ連邦補償法は補償対象をこう定義しています。 

「ナチス迫害により、生命、身体、健康、自由、所有物、財産、職業経済上の不利益を被った者への補償」 

そして同法に基づいて、710.5億マルク(現在換算約3兆5951億円)が支払われました。 

ベルリンを分割した連合国主要4カ国は賠償を放棄し、あとの諸国については各種の二カ国間協定で処理していったようです。 

今回のギリシアもこのケースです。 

一方日本はドイツのように分割されることなく、1951年にサンフランシスコを締結し、55カ国中44カ国と講和しました。 

その結果を踏まえて、それらの国々とは二国間協定で賠償を行いました。 

総額で借款含めて、6523億円(現在換算20兆971.42億円)支払っています。これは当時の国家予算の3割に達しています。 

ちなみに韓国は、当時は日本であったために、別枠で1965年の日韓基本条約として処理されています。 

これをドイツと比較すれば、その置かれた歴史的条件は、むしろ第1次大戦後の賠償に似ているといえます。

ですから、単に当時の日本がドイツと同盟を組んで戦争をした(大失敗でしたが)ということだけを抜き出して、日独を安易に比較するのはナンセンスです。

しかし、どうもドイツ人という人達は、なにかにつけて日本より道義的に優れているぞ、と言いたいようだから、実にうっとおしい。

メルケルさん、日本の慰安婦問題や南京事件を、ドイツのホロコーストと同罪だと考えているなら、以下の問いに答えねばなりません。  

日本のいわゆる朝鮮半島における「植民地支配」が朝鮮民族絶滅のためのホロコーストでしたか? 

日本の中国戦線における南京事件などが、計画的・合理的に中国民族の絶滅を図ったホロコーストでしたか? 

慰安婦はアウシュビッツのユダヤ人と同じ境遇だったのか、またそれは、ドイツのような計画的な朝鮮民族絶滅政策だったのですか? 

これらをひとつひとつ、歴史検証のふるいにかける必要があるにもかかわらず、安易に同列に扱って、説教を垂れないで下さい。

日本の戦争は、おたくの国のように、ヨーロッパ全土の主権国家を軒並み侵略したあげく、自国民のはずのユダヤ系ドイツ人を絶滅しようとしたのとは、訳が違うんですよ。

日本が侵攻したのは、中国を除けばすべてが、欧米の植民地でした

だから、あくまで結果としてですが、日本はアジア民族を白人植民地主義から解き放った「解放者」になってしまったのです。今でもアジア諸国から多少は感謝されています。

念のために言い添えますが、右の人たちがよく言う、「大東亜解放」は日本の宣戦布告文に入っていません。

戦争の途中から言い出したもので、あくまでも日本は欧米列強の経済制裁から逃れるために「自存」(自らの生存)のためにアジア地域に侵攻したのです。

それはさておき、ドイツはなにかの「解放者」になったのでしょうか。いえ、極端なまでの破壊者でしかなく、世界史に残る壮絶なまでの大虐殺者でしかありませんでした。

このようにそれぞれに違う形の戦争をしたい以上、あたりまえですが、戦争の形が違います。

したがって、その敗北による戦後賠償も異なるのは当然です。 

ドイツ人は3兆円もの個人に対する戦後補償をしたと称賛されますが、それはあくまでもユダヤ民族に対するホロコーストの罪に対してであって、日本の戦後賠償と違って軍事占領した国々に対してはまったく支払われていません。 

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(写真 ソ連軍が撮影したアウシュビッツ収容所の子どもたち。彼らは労働力にならないとされ、虐殺を待っていた)

また、ドイツ人は「歴史の罪は背負う」と言いながら、「集団の罪」は否認し続けて、一切の罪をナチスにのみ被せています。 

なぜなら、それを認めてしまうと、ドイツ人が世界に存在を許されなくなりかねないほど巨大な「悪」だったからです。  

だからこそすべての罪をヒトラーやヒムラーに、あるいはSS(武装親衛隊)に被らせてしまったのです。  

そしてドイツ人全体や、国防軍は「ただの戦争をしただけで、むしろヒトラーの被害者だった」という新たな神話を作ることで、「集団の罪」から逃れようと企てました。 

国防軍も、ソ連領内やバルカン半島などでいくつもの虐殺事件など一般的な戦争犯罪をしているのですが、これを免罪してしまって、悪いのはSSだけとしたのです。

仮に、日本がしたとされる南京事件も、これら国防軍がした一般的戦争犯罪と同じです。

ドイツがしたことは、戦争においてありえる戦争犯罪一般ではなく、ひとつの民族を計画的に抹殺する絶滅計画だったのです。一緒にしないでくれ、と言いたい。 

とてもではないが贖い切れない罪です。もしまともに償ったら、、当時の国防軍に従軍したドイツ国民までもが、すべて「集団の罪」に該当してしまうからです。  

Photo

(写真 ワルシャワのゲットー英雄記念碑の前でひざまずくブラント首相。元ユダヤ人ゲットーであることに注意。彼はあくまでもユダヤ人に謝罪しているのだ)

そのために作られた演劇的演出が、この「高邁」で、内容空疎で、しかも責任逃れそのものの、しかしドイツ文学的カッコイイ修辞にまみれた、ヴァイツゼッカー演説でした。  

そして、皮肉にも一番ダマされているのが、他ならぬドイツ人自身だったというのがお笑いです。

ヴァイツゼッカー演説は、自己催眠の一種ですかね。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-d286.html

そして図々しくも、彼らはいまだに日本に対して道徳的優越があると錯覚しているようで、うるさいこと、うるさいこと。  

それはともかく、中韓や、日本の左の人達が安易に使う「歴史修正主義」というレッテルは、元々がナチスのホロコーストに対して使われた用語だということを明確にせねばなりません。  

そしてそれをまったく次元が違う慰安婦問題に適用すること自体、そもそもまったくナンセンスなのだと言わざるを得ません。 

それはかえって、ホロコーストを矮小化することであって、真実を見る眼を曇らせることになるのです。 

常識的に考えてみて下さい。どうして600万人ものユダヤ民族虐殺と、戦時娼婦が同列になるんですか。実際に、ユダヤ人の人達が、この混同を怒っていると聞きます。

なるということにしているのは、それがあくまで日本軍か奴隷狩りのようにして強制連行したからだと言われたからです。そしてそれは根も葉もないウソだと、バレてしまいました。

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(写真 ギリシア文化の象徴であるアテネのアクロポリスにドイツの軍旗を立てるドイツ将兵。こういうまねををするからドイツ人は嫌われる)

ギリシアの過去清算要求を聞いて、他ならぬ現在のドイツ政府が直ちに拒否したことを忘れないでください。

ギリシア人からすれば、ドイツが「歴史に向き合った」のはユダヤ人のホロコーストだけだから、腹たてているんですよ。

じゃあ、お前らが罪なきギリシアを侵略したのはなんなんだってね。首相や大統領が来て、アクロポリスにぬかずいて泣きながら謝罪したのかってね。

さて、メルケルさんが日本に対して韓国に謝れ、うちの国はとっくに「歴史と向き合って」いるぞよ、とのご託宣があった慰安婦制度は、実はドイツも有していました。

日独は妙に几帳面な民族性があるので、米国のように勝手に街の商売女と遊びな、という野放し型にはなれないし、ましてやロシアのように占領地の女性は全部戦利品だ、というほど野蛮ではなかったのです。

だから、しっかりと管理して、病気や賃金の踏み倒しなどの不利益から女性たちを守ろうとして、管理売春制度を持ち込んでしまったのです。

でもこれって日弁連が言うように、「近代軍隊の中で、そのような慰安婦制度を置いたのは日本だけであり、『人道に対する罪』に該当する」(1992年7月11日日弁連シンポ資料)のでしょうか。

スゴイね、「人道に対する罪」ですと。まるでナチスが裁かれた、ニュールンベルク裁判です。日弁連の赤い弁護士さんたちは、意図的にナチスと日本軍を混同させています。

語弊があるのは承知ですし、慰安婦になった女性の不幸には深く同情しますが、この日独の戦時管理売春制度って、合理的で、女性にとっても利益だったのではないでしょうか。

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(写真 フランスのブレストで慰安所に手を取り合って入るドイツ軍兵士たち。1940年。建物は、おどろくべきことに、以前のユダヤ教施設を使っている。慰安婦もユダヤ人や占領下の女性たちだった)

ドイツはなにを恨んでか知りませんが、慰安婦問題が異常にお好きなようで、「日本人は戦争についての加害者意識が欠落していて、未だに謝罪を拒んで戦後補償もしていない」というテーマに引きつけて、慰安婦問題を繰り返し報道しています。

たとえば、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙は、1995年7月28日付けで、このように書いています。

「旧日本軍の参謀本部がいわば売春宿のヒモとなって組織していた犯罪」(略)たいていは未婚の朝鮮人女性が、嘘っぱちの約束に釣られ、身代金で買われるか、あるいは誘拐されて、強姦凌辱の限りを尽くされた。(略)結局は、関係省庁の文書庫の中に、大量の証拠書類が見つかった」

あのね、ドイツのブン屋さん、きみたちの国にも日本とほぼ同一の慰安所があったんだよ。それくらい知らないのかい。

「国防軍慰安所と親衛隊(SS)用の慰安所は占領地に開設され、地区司令官の監督下て、前線の中隊長が軍医と相談して運営した」
(『売春・同性愛、自己毀損-ドイツ衛生指導の諸問題1939年~45年』) 

衛生管理、軍医による検診、アルコール類の持ち込み禁止、料金の統制、慰安婦の登録制度、避妊具の使用の強制、暴力の禁止、憲兵による監視など、日独はまったく同一と言っていい型式をとっています。

しかもドイツは、日本軍のように現地部隊指揮官レベルではなく、はるかに上位の地域司令官がそれを管理していたので、「国家関与」の度合いはドイツのほうが強いとすらいえます。

歴史家の秦郁彦氏に、「どちらかが見習ったのではないか」と言わしめたほど酷似しています。

ドイツ占領下で500カ所あったと言われる慰安所が設立されたのが1939年で、日本とほぼ同年代ですので、本当になんらかの影響関係があったのかもしれません。

わが国の慰安婦運動家の常套句に、「ドイツを見習え」というものがありますが、確かに日本はドイツに「見習った」のかもしれません(笑)。

メルケルさん、自分の国の慰安婦事情も知らないで、発言しなさんな。そのうち、占領地域の慰安婦だった女性から「性奴隷国家」として訴えられるよ。

ドイツ人の皆さん、いいかげんに自己催眠から醒めて、「歴史と向き合い」なさい。

メルケルさんは、ヴァイツゼッカー演説の、「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」を今回も使ったようですが、そっくりそのままあなたにお返しします。

脱原発についても自慢たらしくしゃべっていましたが、失敗寸前なのにヨー言うよです。あんた(←とうとうアンタになってしまった)の国がどれだけ、脱原発で周辺国に迷惑かけているのか知っているのかしら。

ま、これについては、別の機会に。

おーい、塩撒け、塩撒け!琴奨菊ぐらい撒いておけ!

追記 笑えることに、メルケルの慰安婦発言について、そんなことは言っていないと独外務省が否定したようです。岡田さん、耳鼻科行ったら。幻聴が聞こえるようになると、かなり重症。いや耳というより、その内側の部位かな。

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「ドイツ政府のザイベルト報道官は13日の記者会見で、メルケル独首相が民主党の岡田克也代表との会談で「(日韓関係は)和解が重要」と促したとする報道について「正しくない」と否定した。
ザイベルト氏は、メルケル氏が日本で質問に答える形で、ドイツがナチス時代の過去とどう向き合ってきたかについて発言したと説明。日本での記者会見で「(過去との向き合い方を)助言するために日本に来た訳ではない」との立場を表明したとし、岡田代表との会談でも同じ「表現を用いた」と強調した」
(共同3月13日)

 

 

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戦争中に何もしなかった中国共産党軍 ケーススタディ平型関大捷

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日中戦争について書き出すと、なかなか止まりません。 

満州事変、塘沽協定(たんくー)協定、熱河作戦、冀察(きさつ)政務委員会自治政府の流れも、ぜひ触れておきたいところです。 

また九ヶ国条約、中華民国提訴、リットン調査団、国際連盟脱退という国際関係の線もお話したいのですが、これを始めるとキリがないので、とりあえず別の機会に譲ります。 

え~、いちおうこのシリーズは、王毅外相のこんな発言から始まっていたんでしたね(汗)。市民語訳のほうが実感が伝わると思います。 

「オレら中国は反ファシズム戦争の勝利者で、国連の創設国だ。中国は戦後一貫して国際社会の平和と安定に尽くしてきたんだ。
おいこら、ニッポン。お前らはオレらに負けたんだぜ。胸に手を当ててみやがれ。しっかりと謝罪すれば、70周年の軍事パレードに呼んでやってもいいぜ。アベ、ひざまずいて足舐めろ」
 

まぁ、いちおうこれでも外相なんで、ここまで下品じゃあないですが、似たようなもんです。 

真実含有率ゼロという国家要人の発言というのも、なかなか見ることができないのではないでしょうか。 

国連創設メンバーだというのは中華民国(台湾)だったのでウソ、平和と安定は15回も対外膨張戦争をやった国には言われたくない。 

そして最後に残ったのが、今回取り上げる、日本が中国(中華人民共和国)に負けたというくだりです。 

中国共産党という組織は、共産主義運動特有の白を黒と言い募る体質に、中国古来の白髪三千丈のウルトラ誇張体質が被ってしまったために、もう言った当人も何が真実だかわけがわからないほど歪められてしまっています。 

支配政党が「これが正しい歴史だ」と言えば、それがいかに史料的に矛盾していようが、事実からかけ離れて歪んでいようが、これこそが「正史」になってしまうようです。

通常の国では、研究者によって史料が集められて、分析されて実態が明らかにされていくものですが、中国にはその意味での歴史学が存在しません。

特に共産党が登場する近現代史は,共産党のイデオロギーに背いたことを書くことは不可能です。特に国営ファンタジーに抵触する日中戦争史などは、タブー中のタブーです。

それにしても、国内向けには何を言おうとかまいませんが、国際社会で嘘八百を並べるのは、見ていて快いものではありません。 

さて史料的に見て、中国共産党軍(八路軍・新四軍)が、日本に「勝利」した事実が日中戦争にあったでしょうか。 

ほぼまったくない、と断言できます。 

これは、先日来見てきた蘆溝橋事件から第2次上海事変の日中戦争初期の中で、日本を70万という大軍で攻めまくったのが蒋介石中国、つまり国民党軍だったことからもわかります。 

そして、この後に、逃げる中国軍を追って、日本軍がよせばいいのに南京戦から、徐州、武漢三鎮の制圧まで一気に進んでしまい、ここで激しい戦闘は終了します。 

後は戦争末期に、大陸打通作戦という壮大にして、しゃもない大作戦をしたきりで、あとは防衛庁戦史叢書の題名とおり「北支治安維持戦」という、いたって地味なものになっていきます。 

はい、延々と8年間も、対ゲリラ戦をやっていたというのが実際なんです。当時中国にいた兵隊さんたちは皆、中国にズっといたいと思っていたそうで、南方に引き抜かれるとわかるとドヨーンとなったそうです。 

それはともかく、中国(中華人民共和国)が抗日戦争を語るときに必ず出してくるのが平型関の戦いです。 

中国共産党ふうに言えば、「平型関大捷」と呼ばれ、大捷とは大勝利のことです。別の言い方では、「板倉軍団殲滅戦」、時には「会戦」とすら呼称しているようです。

会戦とは、きわめて大規模な戦闘のことで、通常は数十万対数十万の戦闘を指します。白髪三千丈とはよく言うったもので、日中戦争では発生していません。 

簡単に、ケーススタディしておきましょう。 

まずは中国側の公式発表です。 

「盧溝橋事変から、すぐに日本軍は山西省に進入し、太原を手に入れようと企てた。国民政府はこれに対し太原会戦を組織、八路軍が山西の前線として会戦に参加した。9月に横暴な日本軍が平型関に向けて進軍を開始、平型関の東側に潜伏していた八路軍115師団がそれを攻撃した。この攻撃によって、1,000人 を超える日本軍を壊滅させ、多くの軍事物資を手に入れたが、これは”平型関大捷”とよばれる、中国抗戦以来の大捷(大勝利)であった」中国人の反日感情の源泉―中国人が学んだ「抗日戦争史」 - ようこそ ...

これなど、かなりすっきりまとまっているほうで、中国社会科学研究部会の資料など、3行読むと頭痛がし、一頁読むと鼻血が出て、一冊読む頃には半死半生といったシロモノです。

全編これ、共産党讃歌と毛沢東個人崇拝の修辞、口汚いを通り越してカルト的日本呪咀の文が延々続いています。 

嶮しい山岳地帯の峡間を進軍する板垣兵団の隊列(1937年,朝日新聞社)

 (写真 嶮しい山岳地帯の峡間を進軍する板垣兵団の隊列。1937年。朝日新聞社撮影。おお、。朝日も従軍記者を派遣していたんだ) 

では実態はどうだったかと言えば、日中両軍が激戦を繰り広げた相手は、ここでもまた国民党軍(山西軍)でした。

共産党軍(八路軍※欄外参照))が参戦したのはそのごく一部の局面で、丸腰の補給部隊をゲリラ襲撃して、物資を奪ったていどのものです。もちろん彼らの補給部隊襲撃など、その後の戦局にまったく影響を与えていません。

320pxeight_route_army_soldier_with_(写真 八路軍 完全に共産党軍でありながら、形式上は、第2次国共合作により蒋介石国民党政府軍に組み込まれたために、ややっこしいいことには中華民国旗を持っている)

概観しておきます。 

日本軍第5師団(板倉兵団)は、1937年9月11日、河北省の蔚県を攻略して山西省に侵攻しました。 

平型関は、下のGoogle Earthの写真をご覧いただければわかるように険しい渓谷の間を道がうねるという、守るに堅く、攻めるに難しい地形でした。 

Photo       (平型関 険しい山道が続いていいるのがわかる。Google Earth)

ここに山西省を守る国民党軍・閻錫山5万の兵が、三線にわたる防衛線を敷いていました。 

9月22日、板垣兵団は、平型関の正面から攻撃を開始し、以後7日間にわたって激戦が繰り広げられました。 

地の利を得た国民党軍によって、一時的に後方を遮断されて、包囲されかかるのですが、援軍を得て包囲から逃れています。 

このとき、板垣兵団救援のために関東軍察哈爾派遣兵団(東条兵団)が、平型関の後背を攻撃し、9月30日に日本軍は平型関を突破することができました。 

この1週間ほどの激しい戦闘で、日本軍の損害は死傷者1500名以上を数え、一方、国民党軍もそれを数倍する戦死傷者を出したといわれますが、詳しくは分かっていません。 

さて、え、どこにわが共産党軍は出てくるんだと王毅閣下がお嘆きになるかもしれませんが、ご安心ください。ちょっとだけ登場します。 

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(写真 中国共産党のプロパガンダ写真。当時八路軍には報道班員がおらず、後に別の場所で宣伝用に撮られたといわれる)

ただし、先に述べた激戦にはまったく出てきません。出てくるのは、平型関戦の末期の9月25日の頃です。 

日本軍を攻撃した八路軍は、後に国家副首席となり、毛沢東の粛清を恐れて逃亡中に死亡したる林彪閣下です。

若き林彪が率いる第115師は、平型関の北東約5キロの位置にある関溝村と小塞村に出没し、丸腰の招集兵を中心とした日本軍の自動車隊と輜重隊を襲撃しました。 

攻撃を受けたのは、負傷者の後送と補給品受領のために霊丘へ帰還途中の第6兵站自動車隊と、冬服や食糧・弾薬の輸送に従事していた歩兵第21連隊の行李隊でした。 おそらく板垣兵団中、最弱の兵たちだったでしょう。

なにせ日本側の詳細な戦闘詳報によれば、武装は護衛と救援の2個小隊だけ、自動車隊で特務兵2人につき一丁の割合で支給されていた騎銃ぐらいて、ほぼ丸腰だったからです。

日本軍側の戦死傷者は、約250名ほどです。 

行李隊の生還者による襲撃時の凄惨な様子は、日本側の歩二一会編『浜田聯隊史』(1973年)という戦友会報に掲載されています。一部を抜粋します。 

「谷間は前後方とも敵に包囲され、人馬ともほとんど戦死という悲惨な状態で、午後三時頃には敵に向かう者は一人もなく、敵は凱歌をあげて、谷間の将校行李、衣服、食糧等を掠奪して行った。また夕方までに敵は何回もやってきては、戦死者の腕時計、その他目ぼしい貴重品はほとんど掠奪して行った。負傷した者で辛うじて生き残っていた者、戦死体の下に横たわっていて助かった者は僅か数名に過ぎず、ほとんど戦死という悲惨な状況であった」

また『広島師団史』には、このような記述も見られます。 

「阿鼻叫喚の断末魔の姿」「(中共軍兵士が日本兵の)遺体をあるいは射ち、あるいは刺して歩いた」 

死体から金品や時計を盗むですと?お前ら山賊か?

後に極端に美化される八路軍の実態は、わざわざ「三大規律八項注意」として、「ものを盗むな。婦人に乱暴するな」などという注意事項が連なっており、いかに軍規が乱れていたのかわかります。

それはさておき、八路軍は9月26日、南京政府および中央日報社に宛て、次のような極端に誇張された戦勝報告を送ります。 

「九月二五日、わが八路軍は晋北平型関で敵1万人と激戦を展開、何度も勇敢に突撃し、侵攻してきた敵をすべて撃滅し、平型関以北および辛荘、関沙、東跑池一帯などすへての陣地を奪取した。撃ち殺された敵兵の死体がいたる所に散らばり、敵兵の一部は捕虜となった。さらに鹵獲した自動車、戦車、銃砲や他の軍用品はすこぶる多く、目下整理中である。現在残敵は敗走し、わが軍によって四方を包囲されている。八路軍参謀処 九月二六日」(謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか) 

太字の部分がウソです。

日本軍側は「1万人の正規軍への攻撃」ではなく、後方から来る年配者が中心の2度目のお勤めの兵でなる、負傷兵まで抱える非武装のショボイ補給部隊でした。

もちろん戦車などは初めからあるはずがなく、トラックは日本軍が敵に渡るのを防ぐために日本軍自ら火を放ったものです。

戦利品についても「小銃1千丁」としていますが、ありえません。第一そんな数の小銃は日本軍にありませんでした。その理由は先ほどものべましたが、ほぼ丸腰だったからです。、

したがって、、鹵獲された車輌はゼロて、しかも八路軍は戦闘終了後に負傷者も全員殺害してまったために、捕虜はひとりも出なかったのです。

生存者は幸運にも死体の山の下で生き延びて、後に友軍に救助された人達です。

他に「百団戦」という名前だけは勇猛な戦闘が有名ですが、これも同じような鉄道輸送を狙った散発的ゲリラ攻撃にすぎません。

というわけで、中国と日本の不幸な戦争において、戦争の初めから終わりまで一貫して好敵手だったのは中華民国であって、中国共産党はほぼまったく何もしておらず、したのは小規模の補給部隊襲撃ていどだったのです。

なおこの後、山西省を制圧した日本軍は、1945年8月の日本敗戦まで駐屯しますが、国民党軍に対して共産党軍が攻撃をしかける事件が相次ぎ、ついに1939年12月には大規模な戦闘に至っています。(晋西事件、山西新軍事件)

このような中国側内部での内戦はあいかわらず続いており、それを避けるために、日本側地域に逃げ込む中国人が絶えませんでした。

台湾立法院(国会)外交・国防委員会・林郁方氏が、王外相発言についてこう述べています。

「共産党軍が戦ったのは後方と辺境のゲリラ戦だけだ」(9月16日)

まさにそのとおりです。

※八路軍(はちろぐん・パーローグン)
日中戦争時に
華北方面で活動した中国共産党軍紅軍)の通称である。共産党直轄軍。1937年8月、中国工農紅軍が国民革命軍第八路軍として国民政府指揮下に編入されたことからこの名称で呼ばれた。現代の中国自民解放軍の前身。現代も本質的には変化しておらず、「共産党の軍隊」、すなわち「私兵」であるが、国際的には正規軍として認識されている。

 

参考資料

防衛庁『北支治安戦 二』
歩二一会編『浜田聯隊史』歩二一会,1973年
山口歩兵第四十二連隊史編纂委員会編『山口歩兵第四十二連隊史』1988年
沢田久一編『宇都宮輜重史』1973年
陸上自衛隊第13師団広島師団史研究委員会編『広島師団史』陸上自衛隊海田市駐とん部隊修親会,1969年
謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』草思社,2006年

謝辞 日華事変と山西省

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最後の引き返し可能地点だった上海事変

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日中戦争は、あの第2次上海事変の部分のみを切り離して強調すれば、「侵略」ではなく、完全な<自衛戦争>の形式が整っています。 

ですから右の人たちは、この第2次上海事変だけを前後の歴史の流れから切り取って、ここだけを強調したがります。 

というのは、おそらくこの事件しか日本の自衛戦争を主張できるタイミングは、なかったはずですから。 

中国(中華民国)は先制攻撃の意図をもって70万という大軍を動員・集中し、あらかじめ上海付近に構築した塹壕・トーチカ陣地網に日本軍を誘い込む計画を立てていました。 

そして一挙に陸戦隊もろとも居留民を皆殺しにする、こんなもの騒がせな計画を、中国側は立てていたわけです。

250pxwuhan_german_divs_2    (写真 集結した中国「ドイツ師団」。これは噂のチベット人ナチ親衛隊か。もちろん違います)

中国側はここで、「侵略」が成立する必須要件を大っぴらに犯してしまっています。

①宣戦布告なき先制攻撃
②計画された戦争準備期間

③他国領土、ないしは、それに準じる地域への軍事攻撃

戦後になりますが、国連の「侵略」の定義をみてみます。

●国連総会決議3314(1974年12月14日)
第1条 侵略の定義
侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使

立場を替えれば、第2次上海事変こそが、日本側にとって「自衛戦争」であることを完全に立証できる戦闘だったのです。

後には宣戦布告なき戦争が一般的になるなど、宣戦布告自体は必ずしも必須の国際法的手続きではありません。 

しかし、宣戦布告という外交手段で、国際社会に対して「我々はカクカクシカジカで不当な攻撃を受けている。もはや自国民の生命、財産、領土を防衛するために自衛戦争に入るしかない。国際社会よ、わが国の立場にご理解を賜りたい」、という宣伝が大いにできたのです。 

ちなみに、こういうロビー活動の場としての国際連盟は実に有効な場で、軽率に脱退したことが惜しまれます。

Oklahomarescurepr1056 (写真 燃えるパールハーバー。9.11まで米国が受けた領土に対する唯一の攻撃だった)

この<自衛戦争>という表現は、日本が太平洋戦争(日本側呼称「大東亜戦争」)の開戦事由として上げた、「自存・自衛の戦争」に当たります。 

開戦当時の外相であった東郷秀徳は、開戦直後の1941年12月16日にこう衆議院で演説しています。 

「(米英政府の蒋介石政権への援助を)容認することが如きことがありせば、帝国は支那事変(※日中戦争の日本側呼称)4カ年にわたる建設的成果を犠牲とするのみならず、帝国の生存の脅威せられ、権威を失墜する」 

これが、日本の外務省が作った開戦理由です。 

この演説で東郷外相は、5つの開戦事由を上げています。 

①重慶政府(※蒋介石国民党政府)への米英の援助
②米国の資源輸出の禁止などの経済封鎖
③日米交渉の破綻
④米英による包囲網
⑤米英への国際社会の屈従

大戦争を始めるメッセージとしては、余りにも弱いですね。

だって、呆れたことに、近代戦争における最大の開戦事由である、国家の自然権たる正当防衛権、つまり「自衛戦争」が一行も出てこないじゃないですか。 

①から④までは、すべて外務省の対米交渉が不調だったことを愚痴ったものにすきません。 

②の対日石油輸出の禁輸に至っては、日本の南部仏印(※現代のベトナム南部)進駐という武力進出に対しての米国の制裁が原因で、米英からすれば自業自得だろうということです。 

東郷は苦し紛れに、「自存・自衛」とゴロ合わせをしていますが、「自存」とは、自国の生存圏を確保するために他国に侵攻するなので、これではむしろ「オレは自分が生きるために進攻したんだ」という意味になってしまいます。

「自衛」も、決して自衛戦争を意味せずに、ただ「米英の制裁に抗して戦争をする」というだけの意味です。全部自分の都合にすぎません。

結局、忠臣蔵よろしくここまで苛められているんだから、オレは切れたゾと言っているだけで、お前は子どもか。少なくとも、まともな外交官のセンスではありません。

そんな泣き言が世界相手の戦争の理由になる、という甘ったれた根性だから、戦争そのものにも負けるべくして負けてしまいます。

歯ぎしりしたいほどの外交オンチですが、日本は米英から武力挑発も、ましてや武力攻撃も受けていないのですから、「自衛戦争」という一番強力な普遍的カードを使えないでいます。 

これでは、米国に対して真珠湾作戦で先制攻撃を仕掛ける理由としては、薄弱極まるもので、国際社会に対して自らの正当性を主張しきれないのです。 

山本五十六が、宣戦布告を手交したかどうかを気に病んでいた、ルーズベルトが真珠湾攻撃を知っていたかどうかなどは、ハッキリ言ってどうでも良いことです。 

肝心の開戦事由に「自衛戦争」を入れられなかったというのが、日本の最大の失敗だったのです。 

できたのは、唯一この第2次上海事変時のみです。やっていたら、後の歴史は大きく変わりました。 

よく左の学者の中に、「一発でも他国で撃ったら侵略だ」というメチャクチャを言う人がいますが、困ったものです。 

上海共同租界は、国際法上その管理区域は当該国の主権が及ぶ領土です。ですから、そこに暮らす邦人を、政府は保護する義務があるのです。 

この主張に、諸外国が反対できるはずがありません。目の前で自分たちも共同管理じている共同租界が攻撃されているのですから。 

208uw          (写真 応戦する上海陸戦隊。陸戦隊は海軍所属なので水兵服を着ている)

ところが呆れたことに、この絶好の機会をあっさりと日本は逃してしまいます。 

米内光政内閣はムニャムニャと「これは戦争じゃあありませんよ。支那事変ですよ」という訳の分からない言い方で逃げます。

「事変」とは、「宣戦布告なき小規模な紛争状態」ていどの意味です。英訳すれば、an incidentです。これだと諸外国には「事件」ていどの意味にうけとられてしまいます。

中立国の米国の輸入途絶を恐れたという説もありますが(※)、ここまで明確な先制攻撃を目の前で受けていることを、米国も現に見ているわけですから、貿易に関しては日米交渉に持ち込めたはずです。※国際法上、中立を宣言した国は、交戦国のいずれにも加担してはならない。 

そして日本は宣戦布告もしないまま、腰が座らず、8月15日には何を血迷ったのか欧米が大使館を置いている首都南京までをいきなり爆撃してしまいます。 

外交オンチにもほどがあります。なぜ、ここでいきなり相手の首都を叩く必要があるのですか。

自分でインシデント(事変)と言っておきながら、外交交渉なしで相手国の首都を爆撃するセンスがわかりません。 

その前にやることがあるだろう。外交的攻勢をかけろよ、国際社会に自衛戦争であると宣言しろよ、中国を交渉テーブルに着けさせるべく米英に依頼しろよ、と叫びたくなります。 

この時期に外交攻勢をかければ、諸外国はこれ以上の戦火の拡大に対して反対していましたし、中国軍は戦闘で敗北していたわけですから、日本にとって有利な交渉テーブルに着けたはずです。 

「海軍左派三羽カラス」のひとりの米内光政ですら、この調子ですから、陸軍の拡大派の武藤章(参謀本部作戦課)などは、それ以上のエスカレーション(火遊び)に走っていきます。

もはや、この前後の時期には、現地軍は参謀本部の統制にすら反して独走しています。

この中心人物が武藤でした。この事変直前の内蒙工作事件で、石原に叱咤された武藤はこう傲然と言い放ったそうです。

「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っているだけだ」

「石原閣下の行動」とは、満州事変において参謀本部と政府を無視して、独断で現地軍を動かして、満州国をデッチ上げた謀略のことです。

石原は後に不拡大派になりますが、今度は彼に替わって武藤のような人物が参謀本部に座り、首都南京への進撃と、その後に続く徐州、武漢三鎮の軍事侵攻という「侵略」を開始していくことになります。

皮肉にもこの武藤すら、太平洋戦争開戦時には、米英戦争反対派に廻って、中枢から退けられることになります。

かくして、日本は大戦に引きずり込まれないための最後の河を、ここで渡ってしまったのです。

そしてその河とは、大戦という悲劇の瀑布に向けた河だったのです。

 

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日本の運命の転換点 第2次上海事変

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2015年3月8日、全人代最終日に記者会見に臨んだ王毅外相は、日本に対して「日本は70年前に戦争に負けた。胸に手を当てて誠実に反省しているのか」などと、述べています。 

すごいですね。「胸に手を当てろ」ですか。生活指導の教師みたい。

このような挑発的な発言について、菅官房長官は9日午前の記者会見で、「一外相の発言であり、政府の立場でコメントは控える」とスガない、もとい、スゲない対応を示しています。
 

では、王毅さんの仰せのとおり、私なりに「手を当て」てみることにしましょう。 

1937年7月に起きた盧溝橋事件から、わが国は不拡大路線と拡大路線との間の激しい葛藤を内部に抱えながら,中国との戦争に引きずり込まれていきます。 

ただし、激しい戦闘が起きたのは、37年12月の南京戦を経て、翌年38年10月の武漢三鎮(武昌、漢口、漢陽)の陥落までで、これで日中戦争の大勢はほぼ決してしまっています。 

この日中戦争初期の戦闘において、一貫して中国側の主力だったのは国民党政府です。中国共産党軍など影も形もありません。 

この一年半ていどで戦闘はほぼ終了してしまっていたのです。あとは防衛庁戦史叢書『北支治安戦』という史料タイトルが示すように、治安維持活動が延々と続いたことになります。 

欄外資料1に1941年大戦勃発時の勢力図を掲載しておきましたが、基本的にこの勢力関係に大きな変化はないまま1945年8月の敗戦を迎えています。 

意外に思われる方もいらっしゃるでしょうが、日中戦争は華北と、黄河流域、武漢までの揚子江流域、そして沿岸部の多少の都市を制圧したのみで、第2次大戦中は長い停戦状態に入っているのです。 

では、この後に、中国の大部分を占める地域でなにが起きていたかといえば、中国が18世紀末から延々と続けてきて伝統芸になっている泥沼のような内戦です。

この内戦は、基本的に蒋介石率いる中国国民党重慶派と汪兆銘率いる国民党南京派、そして毛沢東率いる中国共産党の間の三つ巴で戦われました。 

ただし、三つの勢力の合従連衡もひんぱんに起きており、これに各地の軍閥がついたり離れたりして、その上に重慶政府には米国、南京政府には日本、延安派にはソ連などといった外国勢力が支援するというややっこしさです。 

広島大学非常勤講師の広中一成氏は「当時の中国は、まるでISISなどの武装集団がはびこる現在の中東地域のようだ」と述べていますが、そのとおりですね。 (資料2参照)

あえて例えるならば、当時の日本の立場は、イラクに駐留していた米軍の位置に相当するかもしれません。 

私たち戦後生れの人間にとって、あまりにも強く南京「大虐殺」の宣伝が刷り込まれてしまったために、あのような住民虐殺を15年間通して大小やりながら、敗戦を迎えたと誤解しがちですが、それは間違いです。 

日中戦争の内実とは、実は日本軍による支配地域の治安維持活動が大部分であったのです。 

皮肉にも日本軍支配地域のほうが治安がいいために、商業も盛んになり、中国軍支配地域から大勢の人が逃げ込んで人口が増えるという現象すら起きています。

漠然と「中国」という国があって、国境線を犯して「軍国日本」が侵略しました、というシンプルな構図ではゼンゼンないことをご理解いただきたいと思います。 

ですから、別稿で詳述しますが、日中戦争において中国共産党軍の出番はまったくといっていいほどありません。 

中国共産党が銅鑼をガンガン鳴らしながら叫ぶ「抗日」と「救国」の主役は、この日中戦初期の1年半を戦った國府軍に対してこそ贈られるべきなのです。 

では、そもそもなぜ日中戦争が始まったのでしょうか。遠因としては満州事変にまで遡らねばなりませんが、直接のきっかけは、一般的には1937年7月7日の廬溝橋事件だと言われています。

中国は毎年7月7日になると必ず廬溝橋事件を宣伝し、この日を日本の「侵略」の記念日としています。

また日本の左の学者たちには、遡ること1931年の満州事変から起算して「15年戦争」などという表現をする人もいます。

しかし私はこれは間違っていると思っています。 廬溝橋事件は、中国側宋哲元率いる第29軍(29路軍)と、日本側の天津軍は共に出先の警備隊同士にすぎず、互いに戦闘拡大の意志はありませんでした。 

この廬溝橋事件が中国共産党の謀略だとする説が、右の人達には強いようですが、根拠が薄弱です。 

陰謀ひとつで国家間戦争は起きるものではありません。 

蒋介石にとっての悲願は、偶発的に起きた不幸な局地紛争をきっかけにして、長年フォン・ゼークト率いるドイツ軍事顧問団と鍛え上げてきた大規模な軍事作戦に、日本を引き込むことでした。

蒋介石はヒトラーの崇拝者で、ドイツ・フェチといっていいような人物でした。ヒトラーに憧れる余り、自らの肩書をフューラーの漢訳の「総統」にしたくらいです。中独合作といって 当時のナチスドイツは、大陸利権を狙って中国に強く介入していていました。

1936年の日独防共協定締結以後も中国にたいしての支援は継続されとおり。終了したのは1938年のことです。

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一方日本側の陸軍参謀第1部長だった石原莞爾は、この事件直後の7月8日に直ちに拡大しないことを命令しています。(陸軍参謀本部臨時命令400号)

日本側には、戦う計画も軍備の蓄積も存在していなかったのです。 

一方、同時期の7月8日、蒋介石は廬山おいて、このような演説をしています。 これはすべての準備が感性して、日本軍を上海で袋のねずみにできる算段がついた証です。

「満州を失ってはや6年、あらゆる犠牲を払っても徹底抗戦する」 

この演説どおり、蒋介石は満州を奪い返すために日本軍を居留民もろとも包囲殲滅した後に、撤退交渉に引き込む腹だったと思われます。 

そのために周到に計画された軍事作戦が第2次上海事変でした。蒋介石は、2代目の軍事顧問だったフォン・ファルケンハウゼンの指導の下に、完璧な動員、集中計画を発動します。

ファルケンハウゼンが上海攻略の作戦計画すべてを立案し、彼は中国を離れた後も、戦中はベルギー占領軍政治長官を経て、反ナチスに加担して逮捕されます。戦後も蒋介石との親交は続いたといいます。

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蒋介石は、彼の虎の子だった最精鋭の中央軍と軍閥軍諸派を統合し、実に75万人の大兵力を作り出します。

これは中国で空前絶後の兵力集中であって、その後も中国軍はこの規模を二度と再現したことはないほどです。

いかに蒋介石が、この第2次上海事変に賭けていたかわかります。

この大兵力を以て、1937年8月12日、ドイツ流近代装備に身を固めた精鋭部隊の中央軍第87師、第88師などの約3万人が国際共同租界の日本人区域を包囲し、大攻勢を仕掛けます。

17267004(写真 上海事変に投入された最精鋭部隊「ドイツ師団」。ドイツ軍軍事顧問団によって教育され、ドイツ流訓練を受け、ドイツ製装備を有していた)

これに対して日本側は、上海共同租界の通常警備に当たっていた上海陸戦隊2200名(後に増員されて約4千)にすぎませんでした。

3万vs2200という極端な兵力差を見ても、わが国に「侵略」の意図がなかったのがわかります。

また攻撃を仕掛けるに際して、あらかじめ中国軍は上海周辺に大規模なトーチカ網と塹壕を設営していました。

これは第1次大戦の塹壕戦をモデルにしたゼークト・ラインと呼ばれ、日本軍は苦闘を強いられます。

このように、中国は長期間の準備の上に立った先制攻撃をしかけたわけです。

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(写真 第2次上海事変における塹壕に立て籠もる国民党政府軍。ドイツ型フルメットを被り、ドイツ製武器で武装しているのがわかる)

このように、上海陸戦隊が応戦しなければ、日本の居留民は通州事件のように虐殺されるのは目に見えていたのであって、国際居留地に向けての攻撃に対する応戦は100%合法でした。

したがって、この時点までの日本軍の軍事行動は、国際法上の自衛行動であって、まったく国際法上も何ら問題がなく、「侵略」とはいえません。

いや、むしろ当時は租界はその国の領土に準じるものとして認められていましたから、日本側のほうが中国から「侵略」を受けたとすら言っていいのかもしれません。

6ton_01(写真 中国「ドイツ師団」と対峙する上海陸戦隊。在留邦人を防衛するために10倍以上の敵と戦い、多くの戦死者を出した。陸戦隊とは日本版の海兵隊である)

ちなみに、日本軍の死傷者だけで4万を越える大規模な戦闘が行なわれたにもかかわらず、互いに宣戦布告はなされませんでした。

それは上海事変時までは、日本の戦争指導は不拡大派の石原が握っていたからで、石原の念頭においては、中国は共に白人帝国主義と戦うべき友邦でした。

また皮肉にも、日中両国とも、当時中立国だった米国からの資源輸入に頼っていたからで、宣戦布告をしてまうとそれが途絶してしまうからです。

中華民国が日本に宣戦布告したのは、日本が米国および英国に宣戦布告した翌日の1941年12月9日のことでした。

つまり上海事変の起きた1937年から1941年までは、公式には「宣戦布告なき戦争」だったわけです。

世界規模の戦争に突入する41年までの期間に、中国となんらかの形で和平に持ち込み、大陸から軍を撤収していたならば、日本にとって別の未来があったはずでした。

しかし、第2次上海事変に辛くも勝利した日本軍は、逃げる國府軍を追って南京を陥落させ、次第に大陸の泥沼に陥り、国際的に孤立していくようになります。

私はこの第2次上海事変の終結時に確固たる和平の方針を持ち得なかったことが、最大の問題だと考えています。

もし、この時点でわが国が不拡大を宣言して、なんとしてでも完全停戦に持ち込めたのならば、日本は「侵略国」の汚名を被らずに済んだはずです。

しかし現実には、陸軍参謀本部内では不拡大派の石原は事変後に満州に左遷されてしまい、拡大派が実権を握るようになります。

また、政府も無能な近衛が座るなど、日本は大陸からの撤収どころか、その反対の道を歩み始めるのです。

戦争はいかなる理由にせよ、いったん起こした以上、その治め方を考えてから始めるべきだということです。

長くなりましたので、次回に続けます。

 

                。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

 

■資料1 敗戦時における勢力図Photo

 

■資料2 日中戦争前の中国軍閥割拠状況(広中一成氏による)Photo_2

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中国が「抗日戦争勝利」にこだわるわけ

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中国に言わせると、今年はなんでも「反ファシスト戦争勝利と国連創設70年」の記念の年だそうです。 

パククネさんなど、中露から「歴史共闘」の誘いを受けているそうで、大モテでよろしいことです。 

しかしちょっと考えればすぐわかるのですが、韓国は戦争当時「悪の枢軸国」たる日独と戦った連合国の一員ではありませんでした。 

いや、それどころか、我らが「軍国日本」の一員ではなかったかと・・・。まぁ「臨時政府」とやらがあったそうですから、ま、いいか(笑)。 

「歴史」というのは、実証的史実以外に、どうやら「国家的神話」とでも言うべきものがあって、あんがいこの神話のほうが国の根幹をなしていることがあるようです。

中韓の場合、それが必ず日本との戦争がらみなのが共通しています。

たとえば、韓国の場合は、1919年建国の「大韓民国臨時政府」以来、日本と日夜戦い続けていなければなりません。

それを「歴史的事実なし」と否定してしまうと、今度は北朝鮮の金日成だけが抗日戦争の英雄だったことになってしまい、韓国に至っては北朝鮮から「お前らは日本軍だったろう」ということになってしまうからです。

実際に、パククネさんの父親のパクチョンヒ大統領は、満州軍中尉・高木正夫だったのはかなり知られた事実です。

こんなことが一定の世代から上はあたり前だったために、異常な情熱で親日派狩りに狂奔するになったようです。 

(写真 満州国軍軍官学校の日系将校枠の受験許可を特別(年齢制限により受験資格がないため)に求める血書による嘆願書を提出(1939年3月31日付『満洲新聞』Wikipedia)

それはさておき、中国の王毅外相は、先月の国連の演説でこんな趣旨のことを言っています。 

①中国は国連創設メンバーであった。
②戦後一貫して「平和と安定」を支えてきた。
③反ファシスト戦争は中国が戦った。
 

①に関しては、中国が加盟したのは1971年。国連が創設されてから実に26年目のことで、創設時の1945年には中華人民共和国は影も形もありませんでした。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-1aea.html 

②に関しては建国から大小合わせて15回も戦争・紛争を仕掛けています。全方位膨張をした結果です。外交の手段として戦争をしっかりと位置づけていることがわかります。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-e32a.html

では、③の「反ファシスト戦争を中国は戦った」という部分ですが、これは韓国と同様の「国家的神話」、国営ファンタジーというヤツです。

中国は、自らの国家としての正統性(レジティマシイ)を、「抗日戦争を戦って日本を敗北させた」という一点に置いています。 

ところで、日本政府が日本国を統治する正当性は、「選挙」です。政府は選挙で選んだ国会議員が選んだ首班が組織する政府によって統治されています。 

よく「アベはファシストだ」とデモで叫ぶ人がいますが、自分たちが選んだ第一党が組織する政府がファシズムであるはずがありません。

だいたいあんたら、ファシズム国家で、そんなデモができるのかね。あ、いかん、素で答えてしまった(苦笑)。

Bubatyzccaev57n(安倍首相の顔人形をブルドーザーで引き潰すという感性のほうが、よほどファシズムに近い気がするぞ) 

それはさておき、中国では「選挙」自体が存在しません。選挙で選ばれない代表によって構成された政党が、自分に都合よく作った憲法と法を根拠として統治しているわけです。

そして共産党以外は存在を認められていません。 中国政府はあると言っていますが、もちろんただの軽い冗談です。

このような国を一般的な概念規定で「全体主義国家」、あるいはファシズム国家と呼びます。 ちなみにファシズムの定義は以下です。

■ファシズムの一般的定義
①宗教、思想、結社の自由を否定する。
②一党独裁、指導者への服従を強要する専制主義である。
③極端なナショナリズムである。
④反対者に対して過酷な弾圧政策をとる。

①から④まで完全に現在の中国そのものです。こんな国が日本に対して、「反ファシズム戦争に勝利」したなんて言うのは、まさにこの口か、この口か、です。

王外相演説のウソの3番目の最初の答えがこれです。

日本の左翼の皆さん、イメージ的に使わないように。気に食わない政権が来るたびに、「ファシズムが来た」なんてやっていると、オオカミ少年になっちゃいますよ。

となると、国民は「なぜこいつらがエラソーに統治していやがるんだ」と思い、やがて「民主主義で政府を選ばせろ」という香港の雨傘革命の声につながっていきます。

実際に第2次天安門事件が、このような民主化要求でした。
六四天安門事件 - Wikipedia

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B5f1921c(写真 第2次天安門事件。夜になると、人民解放軍による民主化を求める学生たちの大虐殺が行われた)

中国政府はこの正統性の正当性(←舌を噛みそう)の根拠を、「経済の高度成長」と「抗日戦」に置いています。 

前者の経済は、既にほころびが見えてきましたが、ナニがなんでも「保八」(成長率の8%維持)をせねば、国民から見放されます。

で、いっそうしがみつくのが後者の「抗日戦はオレが戦ったんだ」ということになります。 

近代中国が、従来のスーパーパワーから転げ落ちたのが1840年のアヘン戦争でした。 

以後、近代中国は戦争で勝ったことがありません。列強によって半植民地状態におかれていましたが、その転換点となったのが、日中戦争でした。 

米英などの連合軍は、日本軍の戦力の半分に当たる100万人を中国大陸に引き止めておくために、国民党政府を連合国で重要な地位に付けました。

これが、今に残る国連の常任理事国の原型です。 

結果、「悪の枢軸国」の日本を共同で倒したことが、中国が大国に返咲く転機となったわけです。

しかし、その抗日戦争の主役は、國府軍でした。共産党軍はほとんど戦っていないと言ってよいでしょう。 

私の父も中国派遣軍でしたので、しょっちゅう父から「日本はアメリカに負けたんで、中国に負けたことなんか一度もないぞ」、ということを聞かされていました。(当時反戦少年だった私はフフンと鼻で笑っておりました。すまん、親父殿) 

しかし、中国共産党軍が日本に勝ったはおろか、まともに戦ってもいないとなると、「お前は中華民国の手柄を簒奪しただけじゃないか」と国民から軽蔑されてしまいます。 

そこで、中国政府が銅鑼とラッパで吹き鳴らしているのが、「われらが中国共産党こそが抗日戦争の英雄だったんだゾぉ」という「国営神話」です。

さて、ほんとうはどうだったのか考えていきましょう。 

実は、私も今回調べてみて改めてわかったのですが、日中戦争(日本側呼称「日華事変」)について書かれた資料は極端に少ないことです。 

米国との戦闘に関しては、日時、状況など詳細な記録が残っているのに対して、日中戦争に関しては、私たちの父祖が戦った戦争にも関わらず、資料自体が希少です。 

しかも資料があっても、中華民国軍(國府軍)との戦闘が全てに等しいと言ってよく、「オレ様が日本鬼子を倒したのだ」と豪語している中国共産党軍(当時八路軍・新四軍)は、どこで何をしていたのかさえ、よくわかりません。 

これは、当の中国ですら同じようで、中国の一般ピープルはいまだに大量生産されている「抗日ドラマ」のトンデモワールドこそが、真実だと思っておられるとのことです。まぁ、こんなかんじね(笑)。

内容的には、最近は中国ピープルからさえブーイングが出るほど荒唐無稽。歴史背景の無視などは当然として、ゼロ戦を手榴弾で落したり、中国兵が少林拳で「日本鬼子」を唐竹割りにしたりするそうです。 スゴイねぇ。

こんなトンデモドラマが、2012年のゴールデンタイムに放映されたドラマの3分の1だったというのですから、困ったお国だ(苦笑)。 

長くなりそうなので(←もう充分に長いよ)、今日はここまでとします。

 

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日曜写真館  水上の林

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コンテストで賞を撮る写真をみると、確かにスゴイなぁとは思いますが、自分はやりたいとは思いません。

もちろん私の技術が劣るのは言うまでもないんですが、なんて言うんだろうな、賞取っちゃうような写真って実物以上に「美しい」のです。

写真雑誌を見ると、ヤレ露出をプラス1上げろ下げろ、ホワイトバランスがどうたらこーたらと、シャッタースピードを極端に遅らせて川の流れを霧のように変えてみたり、あれこれプロが教えているんですが、どうにも興味がわきません。

実際、毎日のように湖の写真を撮っていると、この自然の神々しいまでの美しさの何分の一でもいいから、分けてくれないかと思います。

伝えられないのです。こんなに美しい風景があって、なぜ映像に残せないんだって年中思っています。

私は、そのギャップ、悔しさが写真だと思っています。実物をイジリ廻して、より美しくする、そんな傲慢なことはしたくありません。

自然はモデルさんでも人工建造物でもないのです。自然は既にそこにあるだけで十全に美しいのです。

いい写真を撮るコツみたいなものがあるとしたら、「そこに居ること」、それしかありません。

クリックすると大きくなります。宜しくお願いします。

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土曜雑感 テロリストを賛美する国で起きた米大使テロ事件

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やっちゃいましたね、韓国。リッパート米国大使が切りつけられて、80針を縫う重傷を負ってしまいました。

命には別状がないようですが、愛犬家の大使に犬肉とワカメを持ってお見舞いに行く人が出るなど、心温まる話がさっそく伝えられています(←イヤガラセかって)。

8bd9dfcc          (写真 CNN 病院へ行く大使。「北朝鮮・ナイフの襲撃は正義だ」とある)

Dcbb8327 (写真 大使の快癒を祈って躍り狂う善良な韓国国民たち。こんな快癒祈念踊りは世界でもここだけ)

この襲撃犯は、札つきの反米反日運動家で、日本大使も襲撃しています。この米大使襲撃時にも、現在行われている米韓軍事演習反対などを叫んでいたようです。

ちなみに、襲撃犯人はKim Ki-jongという男ですが、その思想性といい、風貌といい、海を超えた沖縄で辺野古ゲートで基地に侵入して捕まった山城某にそっくりです。

思想と行動が似ると、顔まで似てくるという面白い例。

C7212062            (写真 拘束された米大使襲撃犯のKim Ki-jong)


(写真 釈放されて気勢を上げる沖縄平和センター代表山城某)

さて私は、必ずこのような外国要人相手のテロが、いつか起きると思っていました。

だって、あの国は世界でおそらく唯一、テロリストを「民族の輝ける英雄」としている奇妙な国だからです。 

ま、気の毒なことに、「英雄」がよほど不足しているんでしょうね。 

確か2014年9月の日韓戦でも安重根のバカデカイ肖像ががスタジアムに垂れていました。まったく好きだね。 


 

(写真 巨大安重根。国際スポーツ大会でこのようなことをやる国は、韓国以外ゼッタイにないと断言できる)

国際競技大会においてホスト国が、対戦国の初代内閣総理大臣を暗殺した人物の垂れ幕をデカデカと掲げるという神経については、とりあえず今は触れません。 

言わすなよ、そんなことくらい国際常識だろう、の範疇です。 

ただ問題は、韓国って国は社会全体がこの調子のテロリスト容認体質なんですよ。マナーうんぬんの前に、そこが問題なのです。 

1932年の昭和天皇に手榴弾を投げつけて殺そうとした、いわゆる桜田門事件の犯人の李奉昌も、英雄として教科書に載っているそうです。 

Arrested_lee_bongchang    (写真 逮捕直後の李奉昌。ニタニタ笑っているように見えるのがむかつく。 Wikipediaより)

安重根など、今や最新鋭潜水艦(自称)の艦名になっています。これもスゴイ。

テロリスト名をつけた世界唯一の軍艦で、韓国海軍には別に強襲揚陸艦「独島」もあります。

これまた燐国との係争地名をつけた世界唯一の軍艦というわけで、ちょっと前の欧州でこれやったら開戦事由です。いい子はまねしないように。 

__7438347942           (写真 SS-075「アンジュンゴン」。潜れない潜水艦として世界的に有名)

SS-075「アンジュンゴン」の方は、例によってライセンス提供国に無断で勝手にイジリまわしたあげく、数日しか潜れないという微笑ましいものになっているそうで、今や港のオブジェとして市民たちの目を楽しませてくれているようです。 

他にも記念切手や紙幣、記念館では暗殺現場が銅像にもなっています。 

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Images_2(安重根記念館 世界で暗殺現場をこのように銅像化するのはここだけです。いい子はまねしないように)

このように韓国には、理由さえ正しければ、テロリズムが肯定される、いやそんな生やさしいものではなく称揚されてしまうという危ない文化があるのです。 

このような暗殺文化は、韓国の歴史の随所に見られます。 

たとえば、金九なども暗殺されています。このお方は、なんと大韓民国臨時政府の首班でいらっしゃいました。

え、その臨時政府とはナニかと?う~ん、国家的ファンタジーですから説明に困るのですが、韓国の建国は何年だということになっているか、ご存じでしょうか。

李承晩が米国の許しを受けて独立宣言を発した、1948年8月15日ではありませんよ。

正式には1919年ということになっています。つまり日本統治時代から、韓国は「あった」ということになります(笑)。

韓国憲法前文にはこうあります。

「大韓民国は3.1運動により建てられた大韓民国臨時政府の法統を受け継ぐ」

つまり、今ある韓国は、世界の誰にも知られていないが、1919年に金九や呂運亨、李承晩が作った臨時政府の法的正統性を受け継いでいるのだ、ということです。

そしてこの臨時政府は、日本に対して抗日戦争すら戦ったことになっています。

ただ、参戦したはずの友軍である連合国側には完全にシカトされ、憎き敵「日帝」からも「そんな奴いたの」状態でしたから、まったくお気の毒としかいいようがありません。

戦後は「同盟軍」のはずの米国によって、あっさりと解体されてしまいました。

「米軍の同志よ、オレたちも連合軍だぁ。サンフランシスコ条約会議に出席させろォ」と言ったら、「はい、君ら、解体ね」というわけです。

で、この「臨時政府」の代表格だった金九と呂運亨は、相次いで暗殺されてしまいます。それも韓民族の犯行が確定しており、黒幕は李承晩ではないかと言われているそうです。

そういえば、失礼しました。パククネさんのお父上の、パクチョンヒ大統領も暗殺されたんでしたね。父が作って娘が壊すか、まぁどうでもいいや。

日本にも戦前にはテロか吹き荒れていたことがあります。2・26事件や5・15事件などが頻発しました。

幕末もしかりです。人斬りなんとかなんかが、跋扈した時代はあります。残念ですが、動乱の時代の宿命で、世界各地でも要人暗殺事件が起きています。

しかし、暗殺やテロは平和になった時代になれば、100%否定されます。暗殺者を褒めたたえるということはありえません。

そんなことをすれば、殺人という犯罪行為が合法性を持ってしまうからで、法治国家の否定につながっていき、やがては統治の正統性そのものが揺らぐからです。

この理由さえ正しければ許される、動機さえ善ならば肯定されるという考え方を「暴力革命主義」と呼びます。

前世紀においては左右の革命主義が生れました。左はボリシェヴィキ的運動です。これはソ連を生み出し、中国と北朝鮮で奇形化して残存しています。

中国が反日暴動の際に、「愛国無罪」の暴徒を官許で大量生産したのは、この現れです。

右は、ヒトラーに代表される右翼全体主義です。これに影響された動きは、日本でも2・26事件の思想的指導者だった北一輝などに見られます。

しかしいまもなお、この暴力革命主義者を国の最大の「英雄」とする奇妙な民主主義国があります。韓国です。

韓国で今回の米大使テロ事件が起きてしまったのは、このような「暴力革命主義」を許容する栄養豊富な培地があるからです。

さて、今月に入って外務省はHP上で韓国との関係を、「わが国と、自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する重要な隣国」という部分から、ただの「重要な隣人」に格下げしました。

これは、産経加藤支局長拘束事件や、韓国の裁判所において日本企業への戦時賠償判決が続々と出されるという異常事態に対しての、ささやかな日本側の評価変更にすぎません。

これに対して猛烈な反発が韓国メディアなどからなされた矢先、この事件が起きてしまったのはご愛嬌でした。

今回のテロ事件は、韓国が民主主義国家として成熟していない見事な証になってしまいました。

それは、韓国の国家や社会のあり方の根っこに、暗殺やテロを美化して、それに酔いしれ、見たいようにしか現実を見ない政治的小児病があるからです。

優れた改革者で、事実上の建国の父だったパクチョンヒ大統領は、惜しくも暗殺に倒れましたが、『国家・民族・私』で、次のような言葉を遺したそうです。

「わが半万年の歴史は、退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」
「(韓国社会は)姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会のひとつの縮図に過ぎない」

 このバク大統領の歯ぎしりせんばかりの同胞に対するやるせなさが、彼をして建国の父にしたのです。似たような感情は、魯迅の『阿Q正伝』にも通じるものがあります。

国家を一から作り上げたパクチョンヒは忘れ去られ、今もなお「恨」という負の感情のシンボルでしかないアンジュンゴンを祭り上げる。

すべての悪しき過去は他者のせいにして恥じない。

少しの成功に酔って、シャンパン抜き、世界一になったと周辺諸国を見下す。

そのくせ豊かになった時に、技術や学問研究の地道な蓄積をしない。

隣国のしてくれたことは速やかに忘れるくせに、恨みつらみだけは千年たっても忘れない、子孫代々伝えていくと言う。

そしてすぐに激情に走り、暴力に走る。

・・・パクチョンヒが真の建国をなし遂げてから半世紀。韓国は表面的な豊さとは裏腹に、本質において何も変わりはしなかったのです。

もって瞑すべし。

 

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戦争、戦争、どこまで行っても戦争 中国という戦争中毒者

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中国という国を見ていると、本来は慎重に選択されるべき最終手段としての戦争を、外交手段としてきわめて安易に用いていることに気がつきます。 

ざっと、建国後の中国がした戦争を列挙してみましょう。 

■1949年建国後の中国が引き起こした戦争・紛争一覧
・1949年 中華民国との
古寧頭戦役登歩島の戦い
・1949年 ウイグル侵攻
・1950年 チベット侵攻
・1950年~53年 朝鮮戦争
・1958年 中華民国領の金門島砲撃事件
・1959年 チベット蜂起を武力鎮圧
・1962年 チベットからインドに侵攻して中印戦争
・1966年~1977年文化大革命・虐殺者数8000万人(ワシントンポスト紙による)
・1969年 中ソ国境紛争(ダマンスキー島事件)
・1974年 南ベトナム西沙諸島(パラセル諸島)を制圧(西沙海戦)
・1979年 ベトナムに侵攻して中越戦争
・1984年 第2次中越戦争(中越国境紛争)
・1988年 ベトナム支配下のジョンソン南礁を制圧(南沙海戦)
・2012年~現在 フィリピンと南シナ海・中沙諸島のスカボロー礁領有権紛争
・2012年~現在 西沙諸島(パラセル諸島)でベトナムと領有権紛争
・2010年~現在 東シナ海尖閣諸島で日本と領有権紛争

建国時に自国領でなかったウイグル(東トルキスタン)や、独立国家だったチベットへの軍事侵攻を皮切りに、ソ連、インド、ベトナム、フィリピンなど中国の周辺国すべてと国境紛争を引き起しています。 

これらは、すべて中国側の軍事侵攻により開始され、もう毎年恒例の行事のように戦争を仕掛けています。

しかも、仕掛けておきながら、良くて引き分け、半分以上で惨敗というのは失笑させられます。

かくも簡単に戦争に発展してしまうのは、中国が戦争行為を自国の領土的膨張の手段として使っているからです。

ウイグルは2度に渡って東トルキスタン・イスラム共和国を建国していますが、中国軍の侵略で瓦解しています。

資源を収奪され、地上核実場として放射能禍に苦しみ、漢民族の大規模移民で少数民族に転落し、そしていまなお厳しい宗教弾圧を受け続けています。

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(写真 2009年ウイグル暴動で、ウイグル人女性に暴行を働く武装警察)

ウイグルの独立運動は今や燃え盛る一方で、「中国のチェチェン」になると見られています。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-cd1f.html

また、宗教指導者ダライラマによる仏教国家だったチベットも、中国が建国直後に侵略を受けて、ダライラマは亡命し、100万人とも言われる犠牲者を出しています。

文革時には、すさまじい宗教弾圧を受け、大量の僧侶が虐殺され、寺院が破壊されました。チベットも今なお、中国の軛に喘いでいます。

(写真中国兵に自己批判を迫られるチベット女性。中国は西側メディアの目が届かぬことをいいことに、密室状態のチベットで、ありとあらゆる拷問、凌辱、人権弾圧の限りを尽くしたといわれる)

ウイグルとチベットに関しては、私の追いかけ続けているテーマでもあるので、別の機会に一稿を設けます
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/3_3c30.html

http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/21989_3a00.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_3013.html
※参考資料チベット亡命政府. “チベットの歴史

ベトナムに対しても同様で、1972年、米国がベトナム戦争から撤退の方向を打ち出すやいなや、それを見計らったようにベトナム領のパラセル諸島に進入し、空軍まで使った大規模な攻撃で強引に自国領に組み込んでしまいました。

フィリピンも1991年、スービック海軍基地とクラーク空軍基地が返還され、米軍はフィリピンから撤退しました。

ここに、今まで米海軍が「航海の自由」(Freedom of Navigation)を保障していた南沙諸島海域に「力の真空」が生じます。

中国はそのぽっかり空いた軍事的空白にするりと入り込んできます。

フィリピンは日本の海保のような強力な海上警察機構もなく、海軍と呼べるようなものはありませんでした。

ですから、中国の行動をあらかじめ抑止することもできず、侵攻されても対処する実力もありませんでした。

結果、1995年にはフィリピンが領有権を主張していたミスチーフ礁(美済礁)には、醜悪な中国軍の建造物が建設され、今や大規模な海軍基地、滑走路すら出来上がっています。

尖閣に対しての徴発行為も、突然発生したものではなく、このベトナムやフィリピンとの領有権紛争の流れの中にあることを、日本人は知っておく必要があります。

また、沖縄の米軍基地は漠然とそこにあるわけではなく、南・西沙諸島諸島における、かつてのスービック、クラーク両基地のような、「航海の自由」を守る働きをしていることを忘れるべきではありません。

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 (写真 今も中越国境で残骸をさらす中国戦車の残骸) 

また、外交的威嚇、あるいは脅迫としての戦争にも熱心です。 

特にベトナムとは、南ベトナムと1回、統一ベトナムとなって2回、そして現在もパラセル諸島で紛争の真っ最中で実に4回も争っています。

では、中国が一度でもこれらの戦争を謝罪したことがあるでしょうか。

あるわけがありません。たとえば2002年に江沢民国家主席がベトナムを訪問しましたが、当然のこととして謝罪要求をされたのですがこう言ってのけています。

「(原因は)ベトナムのカンボジア侵攻によるものだ。ベトナムに侵攻はしたが侵略戦争ではない。もう過去のことは忘れ、未来志向で両国関係を築くべきだ」。(サーチナ2014年6月13日 )

今回の王毅外相・国連演説のように、ことあるごとに日本に歴史認識と謝罪を要求する中国が、自らには実に寛大です。

もしこんな論法が通用するなら、わが国もこう言うことができます。

「日本の中国侵入は、中国の満州国に対する徴発行為に対処するものだった。中国に侵攻はしたが、侵略戦争ではない。もう過去のことは忘れ、未来志向で両国関係を築くべきだ」

もちろん冗談です。私は中国に対する侵攻は、侵略だと考えていますし、それに至った経過をこんなアバウトな歴史総括で済ませるわけにはいきません。 

しかし中国が常にこのアジア地域においての戦争の源泉となってしまっているために、逆に日本の真剣な歴史総括を妨げていることも事実なのです。 

今後日本が、平和を保ち戦争を回避するためには、最低みっつの条件を守る必要があります。 

①中国、韓半島の状況に介入しない。
②「航海の自由」原則を守り、資源ルートを遮断させない。
③そのために米国との同盟を堅持する。

日本の戦前の失敗はカイライ国家だった満州国の建国と、それに固執し続けたことです。 

リットン調査団も認めるように混乱する満州が、日本の合法的権益を圧迫していたことは事実ですし、「統治の外」にあったことも事実です。 

しかしそれを、「満州国」という誤った方法で解決すべきではありませんでした。

思えば、この石原莞爾という類まれなリアリスティックな理想主義的狂人の脳味噌から、昭和の戦争は始まっているのかもしれません。 

おっと、この話題は長くなるのでこのくらいに。そのうちゆっくりやります。 

それはさておき、私たち日本人は、中国の戦争に巻き込まれてはなりません。

1945年以降、戦争を武器に膨張してきた中国は、今後もアジアにおける戦争の震源地となり続けるでしょう。

それは建国以後の中国の歴史を俯瞰すれば明らかです。この国の歴史は、まさに戦争、戦争、どこまで行っても戦争です。あるいは、暴動と虐殺、圧迫と迫害の歴史です。

まさに中国こそ、世界最大の国連憲章無視国家なのです。 

 

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国連のファースト・エネミーだった中国

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中国・王毅外相(外交部長)の、国連創設70年を記念する安全保障理事会の発言を検証しています。まずはおさらいから。 

国連が出来た1945年10月には、「中国」とは中華民国のことであって、中華人民共和国など地上には存在してすらいませんでした。 

そもそも国連(UN)とは、米国が世界を戦勝国である連合国(UN)米英仏ソ中の5カ国で仕切っていこうとするメイドインUSAの戦後管理体制です。 

ところが1971年に、この「中国」の札をソ連の陰謀で、親米の中華民国から当時バリバリの共産国家だった中華人民共和国に掛け替えられたことによって、拒否権を連発されて常任理事会は機能不全に陥り、ただの町内会になってしまったわけです。

ここまではいいですね。 

さて王演説は、「中国は国連憲章の精神に従い、国連の役割を支え、平和と安定を守ることに尽くしてきた」と言っていますが、これを聞いていた米国代表は腹の中でヨー言うわ、と思っていたことでしょう。 

というのは、できたばかりの国連が最初に遭遇した巨大な「敵」こそ、この中華人民共和国だったことです。 

1950年6月25日に、アジアは、一夜にして戦乱に巻き込まれます。ご存じの北朝鮮の攻撃で始まった朝鮮戦争が始まったのです。 

わずか30分で国境線を越えて、一気にソウルを陥落させました。ここまでかかった時間はわずか3日です。完全な奇襲攻撃でした。 

そして、この戦争が終結した(正確には休戦)が成立した1953年7月23日までに犠牲となったのは、韓国約130万人、北朝鮮50万人です。 

また韓国を支援した国連軍主力の米国は5万4千人、北朝鮮の援軍だった中国に至っては実に100万人の戦死者を出しています。 

国連軍として参加した各国軍まで含めると、実に犠牲者数は一説で400万人にも登ります。(※ブリタニカによる。ただし犠牲者数統計はとり方によって複数説があります) 

アコーデオン戦争と呼ばれるように戦線が南北に移動したこの戦争によって、朝鮮半島は2度にわたってローラーをかけられるように破壊され尽くされました。 

韓国人をもっとも殺したのが、憎き「日帝」ではなく、同族の北朝鮮と中国だという事実を、パククネさんはお忘すれにならないほうがよろしいですよ。 

それはさておき、これは明白な主権国家に対する国境線変更の企みでした。すなわち、侵略です。 

「侵略」は国際法によって、こう定義されています。

■国連総会決議3314(1974年12月14日)
第1条 侵略の定義
侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であ って、この定義に述べられているものをいう。
 

第2条 武力の使用
国家による国際連合憲章に違反する武力の最初の使用は、侵略行為の一応の証拠を構成する。(略)

これが国際法が定める「侵略」行為です。なにせ、突然、戦車を先頭とした20万の大軍勢で攻撃をしかけて、国境線を踏みにじったのですから、ウーもスーも言い訳のしようがない侵略行為そのものです。 

ところが、これをいまだ認めない国があります。北朝鮮は加害者ですから当然として、もうひとつは常任理事国に納まっている中国です。 

 (写真 自称「援朝抗美」戦争を戦う中国「義勇軍」。美とは米国のこと。「義勇軍」といっても、もちろん彭徳懐将軍率いる第4野戦軍と第3野戦軍の正規軍です)

中国は、こう言っています。

「米国の南北戦争や、中国の国共内戦、ベトナム戦争などは、どちらが先に攻めたかは問題になっていない。他国から戦争責任を追及されたこともない。なぜなら、それは内戦という国家の枠組みをつくる一つの政治行為だったからである」 

つまり、市民語訳すればこうです。 

「朝鮮戦争は内戦なんだから侵略じゃないよ、オレは北朝鮮が米帝にやられていたから助けに行っただけだ。しかもありゃ義勇軍だ。だから「平和と安定」に敵対したわけしゃないんで、セーフだろうがぁ」 (←梅宮辰夫の声でね)

詭弁と強弁が伝統芸の中国らしい言い訳ですが、こんな言い分は成立しません。
さきほどの国連総会決議3314はが定められたのは1974年ですから、常任理事国に既に中国はなっていたわけで、当然決議作りには関わっています。
それでいて、その後もシカとしてこういうことを言い募るのが、スゴイといえばスゴイ。
 
内戦にも定義があるのですよ。 
「内戦(civil war)とは、国家の領域内で対立した勢力によって起こる、武力紛争」
当時も今も朝鮮半島には2ツの主権国家があります。したがって、南北戦争や、国共内戦のような、「ひとつの国家の領域内」での武力衝突とはまったく別次元です。
ベトナムに関しては、当時の北ベトナムは、南ベトナムに対する「解放戦争」が国際法上は「侵略」であることを熟知していました。
ですから、徹底して南ベトナム領内の共産軍は「南ベトナム解放戦線」であると主張し続けています。
もちろん、実態は北ベトナム軍、あるいはその息がかかっている勢力でしたが、頑としてシラばっくれ続けます。
サイゴン陥落時ですら、市内に突入した戦車には解放戦線旗がひるがえっていたほど気を使っていて、仮面を脱いだのは「解放」後のことでした。
220pxchinesekoreanwarposter   (中国のプロパガンダポスター

また、この朝鮮戦争は、開戦が北朝鮮による南進・先制攻撃にあるのは明らかです。これは国連総会決議3314第2条にいう「先制攻撃」に相当します。
当時、北朝鮮・中国同盟軍に大量の武器を供給していたロシア(旧ソ連)ですら、グラスノスチ(情報公開)によって、あっさりと北朝鮮の先制攻撃から始まったことを認めています。
侵攻直後に、金日成首席は南向け宣伝放送で、「朝鮮人民の自由と独立のための正義の戦いだ」(1950年9月11日)と堂々と述べています。
つまり、共産主義用語でいう「祖国解放戦争」だ、と自分で誇らしげに宣言しているわけです。
300pxchinesecivilwarcollage(写真 中国版ウィキ 日本語版とまったくちがいます。朝鲜战争- 维基百科,自由的百科全书 
ところが負けと決まるや、言い分を変えて、「初めにやられたのはオレの方だ。米帝と南のカイライ軍が国境線を踏みにじって北進したんだぁ。オレはこいつらの犠牲者なんだぁ」と叫ぶようになります。
まったく爆笑ものです。
どこに兵力10万、戦車なし、その上訓練すらロクに受けていない屁タレの韓国軍が、ソ連軍に所属していた朝鮮人部隊を擁する20万の兵力、おまけにソ連が供与した当時最強のT34戦車師団を有していた北朝鮮に戦争をしかけますか。
バッカじゃなかろか。
この負けそうになると急に被害者になっちゃうのは、あちら関係の方たちの世界共通の遺伝子のようですな(苦笑)。
朝鮮戦争の犠牲者の数は、当時の朝鮮半島総人口のなんと20%、国民の5人に1人が戦死したわけで、大戦において無傷だったにも関わらず、同民族同士の内乱に、燐の軍事大国が介入するといかなる悲劇をもたらすのか,お分かりになるだろうと思います。。

ちなみに大戦中のわが国の犠牲者は300万人で、総人口の4%ですから。いかに同族相食む朝鮮戦争が凄まじい悲劇だったのかわかります。

しかも、休戦成立によって38度線で分断が固定化されるという悲劇も生み出しました。

この責任は、一体誰が問われるべきなのでしょうか。米軍を主体とした国連軍でしょうか。それとも軍事介入した中国でしょうか。

いずれにしても、国連が創設されて以降、この東アジアにおいて、「平和と安定」の最初の阻害者となったのは、この中国であることは間違いがないことです。

それをよくぬけぬけと、「中国は常に国連憲章の精神に従い、国連の役割を支え、平和と安定を守ることに尽くしてきた」とは、鉄面皮もここまでいくとギネス級です。

■お侘び・書いている時に一時的に書きかけがアップされてしまいました。また記事中央がベタ打ちになってしまっていますが、原因不明です。許してね。

 

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国連が学級委員会になってしまったわけ

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中国王毅外相(外交部長)の、国連創設70年を記念する安全保障理事会の討論会における演説が余り面白いので、入試センター問題にしたいくらいです。

案外ほとんどの受験生ができなかったりして(笑)。 

〇問1 下の文章を読み、誤りを探せ。 

「戦後70年間、国連の創設メンバーで、安保理の常任理事国の中国は、常に国連憲章の精神に従い、国連の役割を支え、平和と安定を守ることに尽くしてきた。今日の開かれた討論会が、反ファシスト戦争勝利と国連創設70年の記念の序幕になることを望む」 

ひとつはご説明しました。あと3ツあります。え、じゃあ全部かよと。まぁ、そうかどうか、答えは追々お話していきましょう。 

さて、改めてイロハのイから。国連は何をする場所なのでしょうか?慰安婦の人権について討議する場所だなんて日弁連は勘違いしていそうですが、もちろん違います。 

国連の最大の役割は、国連第7章にあるように「国際の平和及び安全の維持又は回復」が最大の目的です。 

したがって、安全保障理事会(United Nations Security Council)が、最上位機関と位置づけられています。 

国連総会は、国際連合内部における事項に関しては、法的拘束力を持ちますが、各国に拘束力が生じるのは、安全保障理事会(非常任国も含む)決議のみです。

そして常任理事国がその核心に位置します。

この安保理の常任理事国が米英仏露中の戦勝国5カ国で、拒否権という切り札を持っていることはご存じの通りです。別名、「核保有クラブ」とも言われています。 

拒否権という切り札を常任理事国に与えたのは、当時国連を作る時に、ソ連が頑強に反対することが考えられたからです。

怒ったロシア人に、戦前の日本のように脱退などされてしまったら国連が潰れるので、まぁまぁ、いざとなれば拒否すれば通りませんからと宥めたのです。 

というわけで一国でも反対してもダメ。その国際紛争を起こすヤツが必ず常任理事国のどれかだったりすわけですから、まとまる道理ありません。もはや喜劇です。

ウクライナ問題でも、紛争を起こしている当事国が常任理のロシアですから、国連は指をくわえて見ているしかなかったわけです。

中国などは、南・西シナ海でやりたい放題やっても国連のお咎めはありません。はい、常任理事国だからです。

13 (写真 ウクライナ問題でロシアとつるんで拒否権をかます中国。タコ口がかわゆいゾ)

米国も米国で、国連決議は大義名分ていどには追及しますが、いざとなれば勝手に多国籍軍を募って戦争をおっ始めてしまいます。

という具合に、国連は創設から70年目の現在、何も出来ないただのドンガラになってしまいました。 

特に最近のウクライナ問題をみれば明らかなように、中露vs米英仏の対立構造が定着していて、国連決議一本すら出ないか、骨抜きにされてしまうのが日常茶飯事です。 

なにせ作った米国自身か一番白けていて、ひと頃は第2国連を作ったろかい、という構想すらあったほどです。 

それは、もう少し後のことで、設立当時はまだこの集団安全保障体制が立派に動くと考えられていました。 

それは国連に、当該国への勧告だけではなく、軍事力を含む強制力を持たせたことからもわかります。 

国連憲章の第7章第42条、及び第43条を見てみましょう。 

    ■第7章第42条 

安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
■同第43条 
  1. 国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ1又は2以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。
  2. 前記の協定は、兵力の数及び種類、その出動準備程度及び一般的配置並びに提   供されるべき便益及び援助の性質を規定する。 
  3. 前記の協定は、安全保障理事会の発議によって、なるべくすみやかに交渉する。この協定は、安全保障理事会と加盟国との間又は安全保障理事会と加盟国群との間に締結され、且つ、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。

実はこれが<国連>のキモとでも言うべき条項なのです。けっこう知らないひとは多いと思います。

国連は戦争する組織なのですから、ピース、ピースと思っていたひとにはショックでしょう。

実際、いまだ日本だけに局地的にはびこる国連至上主義は、この「国連平和幻想」という勘違いから発しています。

国連が、ピース、ピースになってしまったのは、第7章がまともに機能しなかった失敗の結果にすぎないのです。 

思い出して下さい。<国連>とは連合軍のことであり、戦後体制そのものなのです。 

ですから戦勝国は、「平和の敵」に対して、また再び大戦時のように「連合軍」(UN)を組むことが可能な仕組みを作りたかったわけです。これが<国連>(UN)の本質です。 

当時想定された「平和の敵」は、復讐に燃えた「悪の枢軸国」の日独だったはずで、これはいまだ「敵国条項」(第53条、第107条、第77条)に名残があります。 

この「敵国」が再び登場した場合、<国連>はその理念である集団安全保障体制に基づいて、常任理事国が軍事参謀委員会を創設する(第47条)と定めているのです。 

そして国連加盟国に対して「国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する」(第43条)としています。 

もう、今、日本で国会にかけられようとしている集団的自衛権うんぬんなどという初歩的、かつナイーブな議論の次元ではありません。 

「平和と安定に対する敵」に対しては、加盟国が一丸となって武力制裁するのだ、加盟国は軍隊を送れ、あるいはそのために派遣される他国の軍隊の通過や支援をしろ、と言っているわけです。 

驚くほど強烈です。この第7章の集団安全保障体制をさらに進めると、各国が兵力を拠出する常設国連軍となります。

自民党幹事長の頃の小沢一郎氏(←ウソじゃないよ。ホントだよ)は、この案を考えていたようです。

派遣部隊の指揮権を国連軍・軍事参謀委員会に預けるのですから、わが国は憲法9条の交戦権否認のハードルをクリアして、海外派兵が可能になります。

その辺を今の小沢さんに聞いてみたいものですが、ただの左翼政治家になってしまったようですから無理か。

いずれにせよ、常設国連軍ができるのは漫画『沈黙の艦隊』の中だけです。可能性はゼロ。

理由は拒否権という、さきほどからしつこく言っている国連の本質的欠陥があるからです。

なぜ、改革できないかって?あんな特権を手放すバカはいないからに決まっています。

今、日本人が、いや世界中が国連ってこんなハードな場所だと忘れて、ただの学級委員会か、町内会に毛が生えたていどのものだと思ってしまっています。

それは、最初の国連の試練であった朝鮮戦争で、ノッケからコケて、その無力ぶりを見せてしまったからです。 

長くなりましたので、次回に続けます。あ~、解答篇に行かない前に終わっちゃったよぉ(涙)。 

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中国は国連創設国ではない

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全体として見ると、中国王毅外相(外交部長)の、国連創設70年を記念する安全保障理事会の討論会における演説はそれなりに自制されていて、わが国への部分で、つい衣の下の鎧が出てしまったのでしょう。 

議長席で、パンキムン事務総長が深くうなづいて、ニコニコと拍手せんばかりの姿が目に浮かびますね(笑)。 

さて、パン事務総長の生温かい視線に励まされたのか、王外相は調子に乗って、こんなことまで言ってしまっています。

「戦後70年間、国連の創設メンバーで、安保理の常任理事国の中国は、常に国連憲章の精神に従い、国連の役割を支え、平和と安定を守ることに尽くしてきた。今日の開かれた討論会が、反ファシスト戦争勝利と国連創設70年の記念の序幕になることを望む」(25日付読売新聞)

日本へのジャブよりも、むしろこちらのほうが重要です。中国がどのように自分の国の現代史を見せたいのかということが、実によく現れています。 

いわぱこれが中国の、「世界に見せたいボクの自画像」というヤツです。 

整理します。
①中国は国連創設メンバーであった。
②戦後一貫して「平和と安定」を支えてきた。
③反ファシスト戦争は中国が戦った。

まぁ、よくもウソばかりと思いますが、まずは、①の「国連創設のメンバー」という部分です。すいません、笑わせないでください。 

「国連」が創設された1945年10月時点において、中華人民共和国は「創設メンバー」どころか、国家ですらありませんでした。 

戦後の枠組み作りのための「サンフランシスコ会議」(「国際機構に関する連合国会議」)は、日本がボロボロになっていた1945年4月から6月26日に開催されました。 

6月23日が沖縄陥落ですから、日本に止めを刺すべく広島、長崎の原爆が準備されている時期でした。 

このサンフランシスコ会議に、主要「連合国」として招聘されたのは、米英ソ、そして中華民国でした。 

下の写真は、この会議の2年前の1943年11月に開かれたカイロ会談の写真です。蒋介石が中国を代表しているのがお分かりでしょう。

Cairo_conference

この構図は、国連から中華民国が「追放」される1971年まで変わることのない国際認識でした。 

基本的に、これにソ連を加えた構図がサンフランシスコ会議に継承され、「国連」を作り上げていきます。 

ですから、当時の正統な「中国政府」とは、国民党政府のことです。 

中華人民共和国が建国されたのは1949年10月1日のことで、国連が創設されてから4年後のことでした。 

この日本敗戦の1945年から1949年までの間、なにが中国大陸で起きていたのかといえば、対日戦争よりいっそう激烈であったと言われる第2次国共内戦でした。 

皮肉にも、日中戦争による日本軍の支配により維持されていた「平和」は、日本軍が撤退すると同時に崩壊し、中国全土を戦乱にまきこんだわけです。

ちなみに、中国が出す日中戦争の犠牲者数は、この国共内戦時のものとゴッチャにしてカウントされることがたびたびありますので、ご注意ください。 

中国が国連に加盟したのは、1971年の第26回国連総会でのことで、国連が創設てから実に26年間も経過してからの加盟でした。 

未だ国連憲章23条安保理常任理事国の条項に、記されているのは「中国」とは中華民国のことであって、中国は、アルバニア決議によって追放された中華民国に替わって権利を継承したにすぎません。

決議案の名称「中華人民共和国の合法的権利の回復」は、タイトル自体が問題で、そもそも国連には中国は加盟してすらいませんでした。

正確に言い換えるならば、「合法的権利の回復」ではなく、「合法的権利の取得」、あるいは「中華民国からの合法的権利の継承」にすぎません。 

念のため国連広報センターが出している、国連憲章を参照してみることにしましょう。
国際連合憲章 | 国連広報センター

●第23条

  1. 安全保障理事会は、15の国際連合加盟国で構成する。中華民国、フランス、ソヴィエト社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国及びアメリカ合衆国は、安全保障理事会の常任理事国となる。
    総会は、第一に国際の平和及び安全の維持とこの機構のその他の目的とに対する国際連合加盟国の貢献に、更に衡平な地理的分配に特に妥当な考慮を払って、安全保障理事会の非常任理事国となる他の10の国際連合加盟国を選挙する。

と、まぁご覧の通りです。当時から中国代表権問題は、もめていました。(図ウィキ)

Voting_res_2758緑が賛成国 赤が反対、青が棄権ですが、日米が反対に回り、社会主義圏が賛成票を投じています。

アルバニア案となっていますが、これを画策したのは、当時まだ蜜月時代にあったソ連です。

ソ連は、常任理事国内で、常に米英仏中の4票に押されていたために、それを盛り返すために、「中」の駒を親米の中華民国ではなく、反米の中華人民共和国にしたかったわけです。

これか今に至るも、国連の機能不全の最大の原因となっている中露の拒否権発動という事態へとつながっていきます。

というわけで、国は「国連」創設当時は、中国大陸周辺部の山岳地帯で活動するゲリラ集団にすぎませんでした。

国ですらなかったものが、「国連の創設メンバー」になれるはずがありません。王さん、図々しいよ。

次回に続けます。 

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しぶといドイツ、ひ弱な日本

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先月23日、中国王毅外相(外交部長)が、国連創設70年を記念する安全保障理事会の討論会で、こんな演説をしていました。
http://mainichi.jp/select/news/20150224k0000m030129000c.html 

「過去の侵略の犯罪をごまかそうとしようとしている国がある」 

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  (写真 中国王毅外相 ハフィントンプレスより引用) 

はい、もちろんうちの国ですね。これでも上品に国連という場所柄をわきまえたつもりで、名指しを避けていらしゃいます。 

「歴史をごまかす者」、つまり歴史修正主義者と言いたいようです。「戦勝70周年」らしいほんの軽いジャブです。 

王さんはこの演説を「戦勝70周年を飾るにふさわしい」と位置づけているようです。 

内容的には突っ込み所満載というヤツですので、追って見ていきますが、その前に<国連>という組織のいかがわしさに触れておきましょう。 

「国際連合」、略して<国連>という訳語自体が誤訳です。"United Nations" は、正確にいっそ「連合国」と訳すべきです。 

実際、中華民国や中国では「聯合國」という表現をしていて、こちらのほうがスッキリ本質を表しています。 

出来たのは1945年10月、まさにまだ戦塵がくすぶっている頃でした。構想自体は1942年の「連合国共同宣言」、いわゆるワシントン宣言から始まっています。 

つまりは、「悪の枢軸国」であるドイツと日本をいかにやっつけるか、そしてやっつけたあとにどのような戦後体制を作るのか、「連合国」(UN)は戦争当初から練りに練っていて、その結果できたのが、「国連」(UN)というわけです。 

「連合国」では言霊国民の日本人にはあまりにドギついので、GHQも"the Allied Powers"と表記していたようです。「同盟国」ていどの意味ですね。

同じじゃんと思いますが、まぁ日本の外務官僚も同じことを考えたようで、国連に加盟するのが悲願だった当時に、こんな名称じゃイヤダと反対されたらたまらないと考えたのでしょうか、勝手に「国際連合」という「誤訳」をつけてしまいました。 

「自衛隊」というネーミングと同じように、本質から眼を逸らすために言葉遊びするという日本人の悪いクセです。 

さて、先ほどふれたワシントン宣言の時に既にルーズベルトとチャーチルは、戦後体制の枠組みを話し合って、大枠を決めています。アングロサクソンはコワイね。 

戦争をはじめるまで、「1年や2年なら存分に暴れてみせますが、それ以上は保証できません」という連合艦隊司令長官がいたりする日本は、これっぽっちも戦争終結のプランも、ましてやその後の戦後構想なども念頭にもありませんでした。 

そんな調子で世界相手の戦争をやるなよ、と思いますが、おかげで70年たった今でも「敗戦国」呼ばわりされております。 

ドイツも戦後構想は、欧州を平定し、ロシア人を農奴にして「世界に冠たるドイツ帝国」の生存圏(Lebensraum)を拡げる、ていどの発想しかありませんでしたから、妄想の域を抜けません。 

Photo

(写真 ギリシア文化の象徴であるアテネのアクロポリスにドイツの軍旗を立てるドイツ将兵。これはギリシア人の憎しみの的となり、後にレジスタンスが蜂起したときに真っ先にぶっ倒されることに。あたりまえだ) 

方や、わけもわからず、勝つ見込みもなく突入してしまった日本、妄想で始めたドイツ、いい勝負です。 

結果、負けるべくして負けて、繋がれた杭が戦後体制です。70年もたって、なにを今さら、当事者は鬼籍に入っているのにと思いますが、いまだこの「戦勝70周年」でお祝いするくらいの重さがあります。 

この戦後体制に対して、基本的に三つの対応があります。 

ひとつはこれを国の重要な資産とみなして、永遠に持っていくことを誓った国々です。米国と中国が筆頭でしょう。 

あとのヨーロッパ諸国は、国によってトーンが異なります。 

もうひとつは、戦後体制をいわば「宿命」としてとらえて、これまた永遠にその中で生きていくことを誓った敗者の国です。言うまでもなく日本です。 

そしてもうひとつは、ドイツのように負け馴れているために、しぶとくリカバリーを考えている国で、気がついてみればもうユーロという「第四帝国」を築いてしまいました。 

まぁ、ナチス第三帝国は、いまもタブーですから、ぜったいにそんな言い方を認めないでしょうがね。 

あえてもうひとつタイプを付け加えると、気がつくといつの間にか戦勝国に廻っていたというイタリアのような国もあって、あの国は日本に賠償金を要求し、実際に日本は支払っています(人がいいにもホドがある)。 

似たような例は戦時中は日本であったはずの韓国で、韓国も「戦勝国」だそうです。なんでも、中国に「亡命政府」があって、宣戦布告して抗日戦を戦っていたんだそうです。

たしか兵隊は40人くらいであったような、ま、どうでもいいか。麗しいファンタジーですが、残念ながら、連合国の一員に加えてもらったという話はついぞ聞きませんので、お気の毒様です(苦笑)。 

それはさておき、皮肉ではなく、ドイツのしぶとさは見習うべきです。

ドイツは、日本のように自分から謹慎処分を下して、門を閉じて「平和憲法」を仏壇に供えているということはありません。 

また、「引きこもり平和主義」(東京新聞・長谷川幸洋氏命名)などには、いちども感染したことすらありませんでした。 

そして今やNATOとユーロの中軸国です。めったにドイツを褒めない私ですら、このドイツの戦後処理のタフさには脱帽します。 

.日本のように唯々諾々と呑み込まれて、ひたすら「戦後体制の優等生」として振る舞うのではなく、ひとつひとつの「連合国」(UN)の押しつけてくる支配に対して、自らの考えを主張し抜いた賜物です。

ドイツ人は、たまにトチ狂ってヒトラーに煽動されたり、反原発に走ったりしますが、おおむねクソ・リアリストです。

ですから、「オレが侵略しまくったヨーロッパに『平和を愛する諸国民』なんぞいるわきゃねぇだろう」と初めから肝に命じていました。

そんな「平和を愛する諸国民」が第1次世界大戦で、ベルサイユ体制というトンデモない重荷をかけたあげくナチスを誕生させたのを、つい最近のことのように記憶しているからです。

(写真 賠償金の負担を減らそうとしてインフレにしたために出来た1923年に発行された2万マルク紙幣。超高額紙幣ができるのはハイパーインフレの証拠。市民はリヤカーで買い物に行き、余った紙幣は焚きつけにした)

周辺国もあまりドイツを苛めると、ぶち切れて第2のヒトラーが出るかもしれないという潜在的恐怖感がありましたので、それも逆手に取って、ドイツは賠償を値切りまくり、米露英仏の主要国は賠償放棄しています。

戦争犯罪とホロコーストをひとまとめにして、すべてナチスのせいにひっ被せ、ユダヤ民族に対する罪だけは逃れようがないので、贖うことにしたのです。

そして国家分裂すら武器にしてしまいました。分裂している中途半端な状態なんで、片方の国だけで憲法なんかできないよ、という言い分です。

ドイツが占領下で作ったのは「ドイツ連邦共和国基本法」という「憲法もどき」でしかなく、それも20数回改定したという軟性憲法です。

一言一句変えてはならないという国とえらい違いです。

第3次世界大戦を想定された冷戦すら利用して、着々と連邦軍として再軍備してしてしまい、戦車などの武器輸出にも積極的です。

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(写真 アフガニスタン・カブールで、監視業務にあたるドイツ連邦軍の兵士たち。05年4月朝日)

もちろん統一後も白ばっくれて、新憲法を作ったという話すら聞きませんし、冷戦が終わったからといって連邦軍を連邦自衛隊にしました、などということはついぞ聞きません(苦笑)。

ドイツは「普通の国」としての徴兵制を持ち(※1)、いたって通常の軍隊を持ち、戦中のゲーレン機関につながる情報機関すら持ち、アフガンなどへの海外派兵もNATOの集団安全保障として遂行し、あまつさえ核兵器すら保持(※2)しています
※1「市民兵」とスマートに表現しています。今は志願制に移行。
※2 
ニュークリア・シェアリング - Wikipedia

もっともアフガンは55名もの戦死者を出したために、国内での反対論が強くなりました。

しかしこれで海外の平和維持活動を止めるという話は出ませんし、むしろ装備の見直しや、派兵の地域や方法の見直しといった具体的改善を検討しているようです。

わが国なら1名亡くなっただけで、内閣が倒れます。

ドイツは今頃になって、とっくに1960年に締結した安保条約の裏書きのような集団的自衛権について、国を割る騒動になるなどという、どこぞの国のような幼稚なことはするわけありません。

というふうに、ドイツの異常なまでのしぶとさとタフネスぶりに、ひたすら感嘆の声を上げてしまう私でございました。

 

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日曜写真館 植物園は初夏だった

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今週から写真館を日曜日に移しました。土曜日雑感などを入れてしまったので、ダブるからです。今後とも宜しくお願いいたします。

これは昨日午前に、ひさしぶりに行った「つくば実験植物園」で撮ったものですが、係員の方が盛大に水やりをしていただいたあとだったので、気温差と湿気で、一瞬にしてレンズは曇りまくりました。

水滴滴る花はたとえようもなく清冽なんですが、もう熱帯雨林かここは、ってかんじ。おもてはまだ冬ですぜ。

曇りがとれるまで、時間がかかったなぁ。しかしひさしぶりの熱帯植物に囲まれて、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

え~、一部ピントが甘いですが、ホントに霧が立ち込めていたのですよ。ホントですよぉ。

画面は縮小してありますので、クリックしていただけると幸いです。

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