哀れ、翁長知事!
コメントの「仲井真さんも反対ではなかったのですか」、という質問にお答えします。前後の経過からお話しないと、なかなか理解は難しいと思います。
仲井真さんはそもそも容認派でした。ついでに当時、彼の官房長官みたいな立場にいた翁長氏にいたってはバリバリの推進派でした。
ところが、なんと首相という最高責任者であるハト氏が、どんな宇宙からの啓示があったのか、誰にも相談するもなく、首相になるやいなやあっさりとちゃぶ台返し。民主党内ですら誰も知らなかった、というスゴサ。
これで沖縄県民は、ひょっとしたら首相が言うんだから「国外、最低でも県外」という可能性があると信じたわけです。
そりゃそう思うのは。自然ななり行きです。「政権交替」という偽薬に酔っていた当時ですから、沖縄県民の世論は燃えに燃えたのです。(↓写真、気持ちわるいので差し替えました)
ところがこれは、単にハト氏の脳味噌の中の泡でしかなく、彼が半狂乱になって、他の政務を全部投げ出して探したが、そんな都合いい移転先は、なし。
あたりまえだ、つうの。そんな場所はすべて14年間(当時)で当たり尽くしていたんですから。
見ていた当時野党の自民の議員は、「ああ、そこはオレが当たった。あ、ここも当たった。なんでオレらに聞かないの」と思って見ていたそうな。
で、困ったのは沖縄県側の首脳部の二人、仲井真氏と翁長氏でした。
完全に本土政府のハシゴをはずされて、沸き立つ県民の声に抗しきれずにやむなく、「反対」に転向したのです。
ハト氏は狂乱の1年後に、「ボク、抑止力がなにかやっとわかりました」というひとことを残して、全部投げ出して辞任しちゃいました。(でも、ほんとうはゼンゼン分かっていなかったのは、皆さんもご承知のとおり)
飛行機の操縦法を知らない奴が、機長やってたわけです、おおこわー。こんな人物の次がカン氏で、この人も操縦法はなにも知らなかったという悲劇。
2代続けてこんな奴を機長席に座らせてしまった民主党は、永久にペナルティボックスに入っていなさい。
後始末くらいしていけよ、というところですが、言い放しなのは今も一緒です。ともかく辞めてもらっただけで、国民は胸をなで下ろしたんですから。
というわけで、ハシゴをはずしてしまわれた形になった仲井真氏は、以後「含み」を持たせつつ、「『国外・最低でも県外』と一回言ったことの責任を政府はとれよな」と、いかにも喰えぬタヌキらしい長い交渉に入ったわけです。下
の写真は、就任した野田首相が2012年12月に沖縄訪問した時のものですが、もうどちらか一国の首相かわかりません。
コメント氏が言うのはこの時期のことですね。政府は、「政府としての責任」から逃げられません。
政府というのは、前政権のツケを背負って解決せねばならない、本来そういう厳しい存在なのです。
仲井真氏が納得できるような振興予算の積み増し、日米地位協定の見直しなどを条件に、あくまで行政官として政府の工事申請を受理してもらったわけです。
さて、ここで仲井真氏の任期が切れて、知事選になりました。仲井真氏としてはもう1年くらいやっていたかったでしょうね。積み残しが沢山ありましたから。
さてここで、仲井真氏の移設についての立場を確認しておきましょう。仲井真氏のスタンスはあくまでも、「知事として埋め立て申請承認」でした。
すでに移設は、承認は終了して実施段階に入っていますから、知事選においては、「本来、辺野古移設問題は争点になるはずがない」というのが持説でした。
ここで本来は仲井真氏をサポートすべき立場の翁長氏が、沖縄政界の支配という野望に乗り出したからややこしくなりました。
翁長氏は、オスプレイ反対運動の音頭を取って、左翼陣営との絆を深めていたあたりからきな臭さ満点だったのですが゛名護市長選で左翼陣営につくなど、もう既に裏切りの準備は万端整っていたようです。
翁長氏の主張は、「オール沖縄」という言い方に良く表されています。
これは、沖縄には保革の対立はなく、一丸となって「基地のない平和な沖縄にしていこう」という耳障りのいい主張でした。
沖縄ナショナリズムという魔法の接着剤で、みんなくっつけちゃおうというもので、ある意味、大変に危険な政治手法でした。
なぜなら、これを突き詰めていくと「オール沖縄vsオール・ヤマト」というナショナリズム的対立構造を煽るものだからです。
これについては別に詳述しますが、こんな方法をとれば、日本国民の中で当然強い反発が起きます。
本土の人達の中には、「普天間の行き先がないのはハト氏が実証済みでしょう。どうすることが沖縄県の望みなの。それじゃあ駄々っ子と一緒でしょう」という空気が生れました。
本土では、今までの沖縄に対する贖罪観を含んだ温かい同胞意識が急速に冷めて、韓国と並んで「わけのわからない隣人」という気分に変化していき始めました。
そしてもうひとつ。翁長氏は、県知事は地方自治体の行政官だという立場を忘れています。
翁長氏に限らず、沖縄の革新陣営には、県知事の職能に関して妙な幻想があるようです。
県知事は自治体行政官として防衛省が去年3月22日に提出した公有水面埋立法(公水法)に則った沖縄県知事あて埋立承認申請願書についての審査権しか持っていません。
政府の埋め立て申請に嘘偽りがないか、誤りがないか、環境対策が万全かなどを事務的にチェックして承認か否かを決定するだけの権限しか持っていないのです。
沖縄の地元2紙はそれを知っているから、県知事の職県を超越したものとして、「民意」なる概念を作り出したのです。
しかし、現実には、知事の職権は、公水法に規定されている範囲内だけです。
同法によれば、県知事が埋め立てを拒否できるのは、審査で書類の不備や環境保護など工法上の問題点が見つかった場合のみです。
この事務的審査を受理して、審査した結果承認されたわけですから、これで県の出番はなくなります。
仲井真氏が選挙中に、何度も「移設問題は争点ではない」と言い続けてきたのはそのわけです。
移設は、知事の主観で承認、不承認を左右できません。考えてみれば当たり前の話です。
もし知事の主観でどうとでもなるのなら、埋め立て賛成知事だったならば、なにがなんでも承認したいために、申請内容がデタラメであってもオーケーを出せてしまいますから。
これについては、仲井真知事は淡々と記者会見でこう指摘しています。
「仲井真知事は今日の定例会見でこのように述べ、法律に則り辺野古の埋め立てを承認したことで行政手続きは完了し、工事は進み始めていると指摘しました」(沖縄テレビ 8月1日)
翁長氏という長年与党にいた古狸ならば、当然政府が今さら申請取り下げに応じるはずがないのは百も承知のはずで、「移転反対」はいわば選挙用スローガンでしかなかったはずです。
そのためか翁長氏は、左翼陣営との協定を結ぶ段になって、突然歯切れが悪くなりました。
「翁長氏側と協定を結ぶ予定の基本姿勢は辺野古の「埋め立て承認を撤回する」という文言を修正し、「承認撤回を望む県民の声を尊重し、辺野古新基地は造らせない」に変える方向で調整している」(琉球新報7月28日)
主語が「県民の声」というあいまい模糊としたものに替わり、「新基地は作らせない」という決意表明、あるいは努力目標に言い換えています。
このあたりが良く言ってあげればしたたか、はっきり言ってやれば姑息です。
たぶん翁長氏は、知事になった場合に「承認拒否」という強硬な一本槍では、政府と左翼陣営に挟まれてニッチもサッチも行かなくなり公約違反を責められるので、このように曖昧な表現にしたかったのです。
正直な話、翁長氏にとってこの「移設反対」は、革新票を取り込むための疑似餌にすぎませんでした。
元来、翁長氏の持論は、本質的に革新陣営とは大きな意見の違いがありました。
翁長氏は朝日新聞のインタビューでこう安保観を述べています。
「ぼくは非武装中立では、やっていけないと思っている。集団的自衛権だって認める。しかしそれと、沖縄に過重な基地負担をおわせるのは別の話だ」(2012年11月24日朝日新聞)
驚いたことには翁長氏は日米安保のみならず、集団的自衛権にも賛成しているのです。
いちおう自称「根っからの保守政治家」ですから。となると、彼が前面に掲げる「過剰な基地負担の軽減」などは、沖縄の政治家ならだれもが言う定番的発言にすぎなくなります。
ここに翁長氏の最大の矛盾があります。
左翼系候補なら、そもそも政府の安全保障政策は全否定の対象であって、だから移設反対なのですが、翁長氏は安全保障政策には賛成していて、「新基地反対」の部分だけで反対なのです。
とすると、知事になった後に、左翼陣営の「同志」たちは、移設反対を突破口にしてすへての基地に反対しろと迫りますから、果たして翁長氏がそれにどう答えるのか、見物です。
整理してみましょう。
まず、仲井真氏が再三指摘したように、移設に関する知事の事務手続きは既に去年暮れに終了しており、今新しい知事がなにかできる条件は皆無です。
せいぜいがところケチツケ程度です。これは承認を覆すに足る「要件充足性」がないからです。
「政府高官や県幹部によると、行政法の解釈では埋め立て承認という行政処分を撤回できるのは、米政府が辺野古移設を中止するなどの状況の変化があり、「要件充足性」が失われた場合だけだ。現状ではそうした変化はないため撤回は不可能であり、仮に撤回をすれば県は多額の損害賠償も求められ、非現実的な方策だといえる。
翁長氏が「撤回」を公約に掲げることを拒否したのはこのためとみられる。ただ、野党5団体の革新政党の中には、「翁長氏は本気で辺野古移設を阻止するつもりがないのでは」との疑念がくすぶっている」(産経8月8日)
翁長氏は、当選してから移転問題に口先ばかりでゴニョゴニョ言って、お茶を濁そうとしていました。
彼は要件充足性で、仲井真氏の承認作業に瑕疵がないことを、よく知っていたからです。
だから検証委員会などを作って、毛を吹いて傷を求めていたのです。しかし、そんな程度では、左翼陣営の「同志」には許してもらえません。
「工事が始まるぞ。なにしてんだ」と怒鳴られまくったのでしょう。
ケツを蹴り上げられて翁長氏が渋々始めたのが、今回のコンクリートブロックの許可取り消しという枝葉末節、どーでもいいようなケチツケです。
それも昨日書いたように、身内が当たり屋をやっているからしかたなく海保が設けた外周フェンスの固定するためのブロックなんてですから、馬鹿丸出しです。
翁長氏が、ヘノコ・シーシェバードの連中に、「合法的な抗議活動に徹しなさい」と一喝すれば、そもそもこんな外周フェンスなどは不要になったのです。
ただしそれを言うと、今、自分が言い出した許可取り消しうんぬんも同時に消滅してしまうのが、いかにもこの自作自演の茶番らしくてシニカルな笑いを誘います。
とまれ、必死に探してみましたが、こんなヘロヘロ弾しかなかったのです。
哀れ、翁長知事!
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