日曜写真館 水上の林
コンテストで賞を撮る写真をみると、確かにスゴイなぁとは思いますが、自分はやりたいとは思いません。
もちろん私の技術が劣るのは言うまでもないんですが、なんて言うんだろうな、賞取っちゃうような写真って実物以上に「美しい」のです。
写真雑誌を見ると、ヤレ露出をプラス1上げろ下げろ、ホワイトバランスがどうたらこーたらと、シャッタースピードを極端に遅らせて川の流れを霧のように変えてみたり、あれこれプロが教えているんですが、どうにも興味がわきません。
実際、毎日のように湖の写真を撮っていると、この自然の神々しいまでの美しさの何分の一でもいいから、分けてくれないかと思います。
伝えられないのです。こんなに美しい風景があって、なぜ映像に残せないんだって年中思っています。
私は、そのギャップ、悔しさが写真だと思っています。実物をイジリ廻して、より美しくする、そんな傲慢なことはしたくありません。
自然はモデルさんでも人工建造物でもないのです。自然は既にそこにあるだけで十全に美しいのです。
いい写真を撮るコツみたいなものがあるとしたら、「そこに居ること」、それしかありません。
クリックすると大きくなります。宜しくお願いします。
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コメント
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ブログを長く拝見させていただいてる普通の主婦(立派に高齢者)です。
こちらの記事は私に「考える」きっかけを与え、ヒントとなり、世の中の動きへの関心をなくしてしまわないためのよすがとなっています。
私もつたない植物ブログを細々と続けておりますので、実物以上に美しい写真に対するお考えに非常に感銘しました。
実物以上にコントラストを強くしたり、実物以上に鮮明にした自然を対象とした写真の多いことに辟易する昨今です。
このように私が申しますと自分の写真の腕が上がらない言い訳みたいになるのが悔しいのですが、それでも実物以上に感動させる写真があるはずがないと信じます。
もし、あるとすれば、それは写真ではなくその人の感性で描き上げる絵画に存在するのではないかと私は思います。
ただ、それは生の姿ではなくなります。
素晴らしい自然がそこにあり、自分はそれを自分の目で見ている。
見えてるそのままを撮りたいと思い続けていますが、これが超のつく難題で、だからこそ続けていられるのだとも思います。
霞ヶ浦ですよね!
近くて遠いです。
投稿: いち主婦 | 2015年3月 8日 (日) 14時30分
写真とは「真を写す」と書くわけですが、何が真なのかわからなくなってきますね。
昨今は、肉眼で見たものさえ「真」とは言い難いということを思い知らされます。
投稿: CES | 2015年3月 9日 (月) 12時08分