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2015年3月 2日 (月)

しぶといドイツ、ひ弱な日本

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先月23日、中国王毅外相(外交部長)が、国連創設70年を記念する安全保障理事会の討論会で、こんな演説をしていました。
http://mainichi.jp/select/news/20150224k0000m030129000c.html 

「過去の侵略の犯罪をごまかそうとしようとしている国がある」 

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  (写真 中国王毅外相 ハフィントンプレスより引用) 

はい、もちろんうちの国ですね。これでも上品に国連という場所柄をわきまえたつもりで、名指しを避けていらしゃいます。 

「歴史をごまかす者」、つまり歴史修正主義者と言いたいようです。「戦勝70周年」らしいほんの軽いジャブです。 

王さんはこの演説を「戦勝70周年を飾るにふさわしい」と位置づけているようです。 

内容的には突っ込み所満載というヤツですので、追って見ていきますが、その前に<国連>という組織のいかがわしさに触れておきましょう。 

「国際連合」、略して<国連>という訳語自体が誤訳です。"United Nations" は、正確にいっそ「連合国」と訳すべきです。 

実際、中華民国や中国では「聯合國」という表現をしていて、こちらのほうがスッキリ本質を表しています。 

出来たのは1945年10月、まさにまだ戦塵がくすぶっている頃でした。構想自体は1942年の「連合国共同宣言」、いわゆるワシントン宣言から始まっています。 

つまりは、「悪の枢軸国」であるドイツと日本をいかにやっつけるか、そしてやっつけたあとにどのような戦後体制を作るのか、「連合国」(UN)は戦争当初から練りに練っていて、その結果できたのが、「国連」(UN)というわけです。 

「連合国」では言霊国民の日本人にはあまりにドギついので、GHQも"the Allied Powers"と表記していたようです。「同盟国」ていどの意味ですね。

同じじゃんと思いますが、まぁ日本の外務官僚も同じことを考えたようで、国連に加盟するのが悲願だった当時に、こんな名称じゃイヤダと反対されたらたまらないと考えたのでしょうか、勝手に「国際連合」という「誤訳」をつけてしまいました。 

「自衛隊」というネーミングと同じように、本質から眼を逸らすために言葉遊びするという日本人の悪いクセです。 

さて、先ほどふれたワシントン宣言の時に既にルーズベルトとチャーチルは、戦後体制の枠組みを話し合って、大枠を決めています。アングロサクソンはコワイね。 

戦争をはじめるまで、「1年や2年なら存分に暴れてみせますが、それ以上は保証できません」という連合艦隊司令長官がいたりする日本は、これっぽっちも戦争終結のプランも、ましてやその後の戦後構想なども念頭にもありませんでした。 

そんな調子で世界相手の戦争をやるなよ、と思いますが、おかげで70年たった今でも「敗戦国」呼ばわりされております。 

ドイツも戦後構想は、欧州を平定し、ロシア人を農奴にして「世界に冠たるドイツ帝国」の生存圏(Lebensraum)を拡げる、ていどの発想しかありませんでしたから、妄想の域を抜けません。 

Photo

(写真 ギリシア文化の象徴であるアテネのアクロポリスにドイツの軍旗を立てるドイツ将兵。これはギリシア人の憎しみの的となり、後にレジスタンスが蜂起したときに真っ先にぶっ倒されることに。あたりまえだ) 

方や、わけもわからず、勝つ見込みもなく突入してしまった日本、妄想で始めたドイツ、いい勝負です。 

結果、負けるべくして負けて、繋がれた杭が戦後体制です。70年もたって、なにを今さら、当事者は鬼籍に入っているのにと思いますが、いまだこの「戦勝70周年」でお祝いするくらいの重さがあります。 

この戦後体制に対して、基本的に三つの対応があります。 

ひとつはこれを国の重要な資産とみなして、永遠に持っていくことを誓った国々です。米国と中国が筆頭でしょう。 

あとのヨーロッパ諸国は、国によってトーンが異なります。 

もうひとつは、戦後体制をいわば「宿命」としてとらえて、これまた永遠にその中で生きていくことを誓った敗者の国です。言うまでもなく日本です。 

そしてもうひとつは、ドイツのように負け馴れているために、しぶとくリカバリーを考えている国で、気がついてみればもうユーロという「第四帝国」を築いてしまいました。 

まぁ、ナチス第三帝国は、いまもタブーですから、ぜったいにそんな言い方を認めないでしょうがね。 

あえてもうひとつタイプを付け加えると、気がつくといつの間にか戦勝国に廻っていたというイタリアのような国もあって、あの国は日本に賠償金を要求し、実際に日本は支払っています(人がいいにもホドがある)。 

似たような例は戦時中は日本であったはずの韓国で、韓国も「戦勝国」だそうです。なんでも、中国に「亡命政府」があって、宣戦布告して抗日戦を戦っていたんだそうです。

たしか兵隊は40人くらいであったような、ま、どうでもいいか。麗しいファンタジーですが、残念ながら、連合国の一員に加えてもらったという話はついぞ聞きませんので、お気の毒様です(苦笑)。 

それはさておき、皮肉ではなく、ドイツのしぶとさは見習うべきです。

ドイツは、日本のように自分から謹慎処分を下して、門を閉じて「平和憲法」を仏壇に供えているということはありません。 

また、「引きこもり平和主義」(東京新聞・長谷川幸洋氏命名)などには、いちども感染したことすらありませんでした。 

そして今やNATOとユーロの中軸国です。めったにドイツを褒めない私ですら、このドイツの戦後処理のタフさには脱帽します。 

.日本のように唯々諾々と呑み込まれて、ひたすら「戦後体制の優等生」として振る舞うのではなく、ひとつひとつの「連合国」(UN)の押しつけてくる支配に対して、自らの考えを主張し抜いた賜物です。

ドイツ人は、たまにトチ狂ってヒトラーに煽動されたり、反原発に走ったりしますが、おおむねクソ・リアリストです。

ですから、「オレが侵略しまくったヨーロッパに『平和を愛する諸国民』なんぞいるわきゃねぇだろう」と初めから肝に命じていました。

そんな「平和を愛する諸国民」が第1次世界大戦で、ベルサイユ体制というトンデモない重荷をかけたあげくナチスを誕生させたのを、つい最近のことのように記憶しているからです。

(写真 賠償金の負担を減らそうとしてインフレにしたために出来た1923年に発行された2万マルク紙幣。超高額紙幣ができるのはハイパーインフレの証拠。市民はリヤカーで買い物に行き、余った紙幣は焚きつけにした)

周辺国もあまりドイツを苛めると、ぶち切れて第2のヒトラーが出るかもしれないという潜在的恐怖感がありましたので、それも逆手に取って、ドイツは賠償を値切りまくり、米露英仏の主要国は賠償放棄しています。

戦争犯罪とホロコーストをひとまとめにして、すべてナチスのせいにひっ被せ、ユダヤ民族に対する罪だけは逃れようがないので、贖うことにしたのです。

そして国家分裂すら武器にしてしまいました。分裂している中途半端な状態なんで、片方の国だけで憲法なんかできないよ、という言い分です。

ドイツが占領下で作ったのは「ドイツ連邦共和国基本法」という「憲法もどき」でしかなく、それも20数回改定したという軟性憲法です。

一言一句変えてはならないという国とえらい違いです。

第3次世界大戦を想定された冷戦すら利用して、着々と連邦軍として再軍備してしてしまい、戦車などの武器輸出にも積極的です。

写真

(写真 アフガニスタン・カブールで、監視業務にあたるドイツ連邦軍の兵士たち。05年4月朝日)

もちろん統一後も白ばっくれて、新憲法を作ったという話すら聞きませんし、冷戦が終わったからといって連邦軍を連邦自衛隊にしました、などということはついぞ聞きません(苦笑)。

ドイツは「普通の国」としての徴兵制を持ち(※1)、いたって通常の軍隊を持ち、戦中のゲーレン機関につながる情報機関すら持ち、アフガンなどへの海外派兵もNATOの集団安全保障として遂行し、あまつさえ核兵器すら保持(※2)しています
※1「市民兵」とスマートに表現しています。今は志願制に移行。
※2 
ニュークリア・シェアリング - Wikipedia

もっともアフガンは55名もの戦死者を出したために、国内での反対論が強くなりました。

しかしこれで海外の平和維持活動を止めるという話は出ませんし、むしろ装備の見直しや、派兵の地域や方法の見直しといった具体的改善を検討しているようです。

わが国なら1名亡くなっただけで、内閣が倒れます。

ドイツは今頃になって、とっくに1960年に締結した安保条約の裏書きのような集団的自衛権について、国を割る騒動になるなどという、どこぞの国のような幼稚なことはするわけありません。

というふうに、ドイツの異常なまでのしぶとさとタフネスぶりに、ひたすら感嘆の声を上げてしまう私でございました。

 

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コメント

日本とドイツの違い、置かれた条件の違いで考えたら、東西で分裂させられた国と、一歩手前で免れた国、ということで戦争に対する切迫感の違いが大きかったのですね。

かつてタレイランが全てをナポレオンのせいにしてフランスを守った強かさに学んだか学ばなかったか、というのもありますね。

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