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2015年3月 5日 (木)

国連のファースト・エネミーだった中国

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中国・王毅外相(外交部長)の、国連創設70年を記念する安全保障理事会の発言を検証しています。まずはおさらいから。 

国連が出来た1945年10月には、「中国」とは中華民国のことであって、中華人民共和国など地上には存在してすらいませんでした。 

そもそも国連(UN)とは、米国が世界を戦勝国である連合国(UN)米英仏ソ中の5カ国で仕切っていこうとするメイドインUSAの戦後管理体制です。 

ところが1971年に、この「中国」の札をソ連の陰謀で、親米の中華民国から当時バリバリの共産国家だった中華人民共和国に掛け替えられたことによって、拒否権を連発されて常任理事会は機能不全に陥り、ただの町内会になってしまったわけです。

ここまではいいですね。 

さて王演説は、「中国は国連憲章の精神に従い、国連の役割を支え、平和と安定を守ることに尽くしてきた」と言っていますが、これを聞いていた米国代表は腹の中でヨー言うわ、と思っていたことでしょう。 

というのは、できたばかりの国連が最初に遭遇した巨大な「敵」こそ、この中華人民共和国だったことです。 

1950年6月25日に、アジアは、一夜にして戦乱に巻き込まれます。ご存じの北朝鮮の攻撃で始まった朝鮮戦争が始まったのです。 

わずか30分で国境線を越えて、一気にソウルを陥落させました。ここまでかかった時間はわずか3日です。完全な奇襲攻撃でした。 

そして、この戦争が終結した(正確には休戦)が成立した1953年7月23日までに犠牲となったのは、韓国約130万人、北朝鮮50万人です。 

また韓国を支援した国連軍主力の米国は5万4千人、北朝鮮の援軍だった中国に至っては実に100万人の戦死者を出しています。 

国連軍として参加した各国軍まで含めると、実に犠牲者数は一説で400万人にも登ります。(※ブリタニカによる。ただし犠牲者数統計はとり方によって複数説があります) 

アコーデオン戦争と呼ばれるように戦線が南北に移動したこの戦争によって、朝鮮半島は2度にわたってローラーをかけられるように破壊され尽くされました。 

韓国人をもっとも殺したのが、憎き「日帝」ではなく、同族の北朝鮮と中国だという事実を、パククネさんはお忘すれにならないほうがよろしいですよ。 

それはさておき、これは明白な主権国家に対する国境線変更の企みでした。すなわち、侵略です。 

「侵略」は国際法によって、こう定義されています。

■国連総会決議3314(1974年12月14日)
第1条 侵略の定義
侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であ って、この定義に述べられているものをいう。
 

第2条 武力の使用
国家による国際連合憲章に違反する武力の最初の使用は、侵略行為の一応の証拠を構成する。(略)

これが国際法が定める「侵略」行為です。なにせ、突然、戦車を先頭とした20万の大軍勢で攻撃をしかけて、国境線を踏みにじったのですから、ウーもスーも言い訳のしようがない侵略行為そのものです。 

ところが、これをいまだ認めない国があります。北朝鮮は加害者ですから当然として、もうひとつは常任理事国に納まっている中国です。 

 (写真 自称「援朝抗美」戦争を戦う中国「義勇軍」。美とは米国のこと。「義勇軍」といっても、もちろん彭徳懐将軍率いる第4野戦軍と第3野戦軍の正規軍です)

中国は、こう言っています。

「米国の南北戦争や、中国の国共内戦、ベトナム戦争などは、どちらが先に攻めたかは問題になっていない。他国から戦争責任を追及されたこともない。なぜなら、それは内戦という国家の枠組みをつくる一つの政治行為だったからである」 

つまり、市民語訳すればこうです。 

「朝鮮戦争は内戦なんだから侵略じゃないよ、オレは北朝鮮が米帝にやられていたから助けに行っただけだ。しかもありゃ義勇軍だ。だから「平和と安定」に敵対したわけしゃないんで、セーフだろうがぁ」 (←梅宮辰夫の声でね)

詭弁と強弁が伝統芸の中国らしい言い訳ですが、こんな言い分は成立しません。
さきほどの国連総会決議3314はが定められたのは1974年ですから、常任理事国に既に中国はなっていたわけで、当然決議作りには関わっています。
それでいて、その後もシカとしてこういうことを言い募るのが、スゴイといえばスゴイ。
 
内戦にも定義があるのですよ。 
「内戦(civil war)とは、国家の領域内で対立した勢力によって起こる、武力紛争」
当時も今も朝鮮半島には2ツの主権国家があります。したがって、南北戦争や、国共内戦のような、「ひとつの国家の領域内」での武力衝突とはまったく別次元です。
ベトナムに関しては、当時の北ベトナムは、南ベトナムに対する「解放戦争」が国際法上は「侵略」であることを熟知していました。
ですから、徹底して南ベトナム領内の共産軍は「南ベトナム解放戦線」であると主張し続けています。
もちろん、実態は北ベトナム軍、あるいはその息がかかっている勢力でしたが、頑としてシラばっくれ続けます。
サイゴン陥落時ですら、市内に突入した戦車には解放戦線旗がひるがえっていたほど気を使っていて、仮面を脱いだのは「解放」後のことでした。
220pxchinesekoreanwarposter   (中国のプロパガンダポスター

また、この朝鮮戦争は、開戦が北朝鮮による南進・先制攻撃にあるのは明らかです。これは国連総会決議3314第2条にいう「先制攻撃」に相当します。
当時、北朝鮮・中国同盟軍に大量の武器を供給していたロシア(旧ソ連)ですら、グラスノスチ(情報公開)によって、あっさりと北朝鮮の先制攻撃から始まったことを認めています。
侵攻直後に、金日成首席は南向け宣伝放送で、「朝鮮人民の自由と独立のための正義の戦いだ」(1950年9月11日)と堂々と述べています。
つまり、共産主義用語でいう「祖国解放戦争」だ、と自分で誇らしげに宣言しているわけです。
300pxchinesecivilwarcollage(写真 中国版ウィキ 日本語版とまったくちがいます。朝鲜战争- 维基百科,自由的百科全书 
ところが負けと決まるや、言い分を変えて、「初めにやられたのはオレの方だ。米帝と南のカイライ軍が国境線を踏みにじって北進したんだぁ。オレはこいつらの犠牲者なんだぁ」と叫ぶようになります。
まったく爆笑ものです。
どこに兵力10万、戦車なし、その上訓練すらロクに受けていない屁タレの韓国軍が、ソ連軍に所属していた朝鮮人部隊を擁する20万の兵力、おまけにソ連が供与した当時最強のT34戦車師団を有していた北朝鮮に戦争をしかけますか。
バッカじゃなかろか。
この負けそうになると急に被害者になっちゃうのは、あちら関係の方たちの世界共通の遺伝子のようですな(苦笑)。
朝鮮戦争の犠牲者の数は、当時の朝鮮半島総人口のなんと20%、国民の5人に1人が戦死したわけで、大戦において無傷だったにも関わらず、同民族同士の内乱に、燐の軍事大国が介入するといかなる悲劇をもたらすのか,お分かりになるだろうと思います。。

ちなみに大戦中のわが国の犠牲者は300万人で、総人口の4%ですから。いかに同族相食む朝鮮戦争が凄まじい悲劇だったのかわかります。

しかも、休戦成立によって38度線で分断が固定化されるという悲劇も生み出しました。

この責任は、一体誰が問われるべきなのでしょうか。米軍を主体とした国連軍でしょうか。それとも軍事介入した中国でしょうか。

いずれにしても、国連が創設されて以降、この東アジアにおいて、「平和と安定」の最初の阻害者となったのは、この中国であることは間違いがないことです。

それをよくぬけぬけと、「中国は常に国連憲章の精神に従い、国連の役割を支え、平和と安定を守ることに尽くしてきた」とは、鉄面皮もここまでいくとギネス級です。

■お侘び・書いている時に一時的に書きかけがアップされてしまいました。また記事中央がベタ打ちになってしまっていますが、原因不明です。許してね。

 

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