数年前から、本土の世論の中に「嫌沖論」が生れてきています。
「嫌沖論」・・・実にいやな響きです。沖縄を中韓と同列に並べ、「もうお前らの恨み節は聞き飽きた、自分らを異民族だと言うなら、こちらも同胞だとは思いたくない、中国にでもなんでも行って自治区にでもなればいい」・・・、そういう発想です。
流行りの嫌韓論のコリアのポジションを、沖縄に代挿したものだと思えばいいでしょう。
ニュアンスには、理屈抜きの皮膚感覚的な嫌悪感が込められています。正直に言って、ここまできたのかと嘆息しました。
私は大変に嫌いですが、この「嫌沖論」が生れた発端は、はっきりしています。
鳩山氏が蒸し返した例の普天間基地の「国外・最低でも県外」発言から始った、沖縄と本土の大きな断絶感です。
沖縄県民は本気でその方法があると信じました。その「信じる」熱量の高さに、本土の人間は驚き、そして違和感すら覚えました。
なぜなら、それは既に14年間もかけて実証済みのことであって、鳩山氏が今さらのように言い出した「国外・最低でも県外」などという虫のいい「解決」など、この世にないことを多くの人は分かっていたからです。
まず、テーマは「普天間基地の危険性の除去」にあったはずでした。これについて、本土の人間は、一も二もなく諸手を上げて賛成しました。
当然だろう、当然すぎるほど当然の要求だと応援したのです。
しかし、普天間を除去すれば、辺野古が残る、そういう小学校算数のような設問に、鳩山氏は一年以上もかけたあげく、当然の如く失敗し、問題を投げ出しました。
しかしやっかいなことには、鳩山氏の無責任の極みのただの思いつきによって生れた、沖縄県民の「熱」だけは残ってしまったのです。
(写真 知念ウシ氏。ペンネームのウシは琉球王朝の頃の名。近代においても、その名残でカマドやウシ、ナベなどという雑器や家畜の名称を、女性がつけられていた。女性蔑視の匂いがする。知念氏は知ってつけたのか?衣装と髪形は琉装。これもいまではほぼ残っていない)
たとえば沖縄の若い世代の論者としてひんぱんに登場する知念ウシ氏などは、こう述べています。
「鳩山氏は多くの人の心の中にあったものを政策にしたが、日本人はそれを支えなかった。だれが沖縄に基地を押しつけているのかが見えたのです」
(朝日新聞2012年5月10日)
「本土人は、鳩山氏の理想主義的政策を助けなかったではないか。沖縄の基地を引き受けなかったではないか、ならばお前ら本土人は、沖縄人を差別しているんだ」、そう彼女は言いたいようです。
そして彼女は、これをただの「差別」ではなく、「構造的差別」だと位置づけています。ただの差別とどう違うのでしょうか。
この「構造的」というのは、特に何かがあって差別があるのではなく、いつもいつも日常的に、あんたが本土人で、自分が沖縄人な以上「構造的」として差別があるんだという意味です。
スゴイですね。本土人は何もしなくても、差別意識を持とうが持つまいが、本土人というだけで「差別者」にされてしまっています。
「差別がある以上、差別する側とされる側を分けざるを得ません」(同)
この言い方は、よく解同などが使う論理ですが、差別者と被差別者の間には大きく高い壁があって、ぜったいに交わることがない。永遠にその立場は変わることがない、という意味です。
恐ろしいほどに非和解的です。彼女に何があったかしりませんが、ここまで憎まれれば本望です。
そして「日米安保が必要なのは日本人だ。私たち沖縄人ではない。基地を置くのは差別なのだ」と言っています。
ここで知念氏が、意識的に自らのことを「沖縄人」と呼び、そして本土人を「日本人」と呼んでいることに注意してください。
もはや、沖縄県民と本土人は異人種なのだ、と言いたいのです。いうまでもなく、言語体系、DNA系統において、沖縄県民と私たち本土人はまったく同民族です。
方言で本土のことを「ヤマト」と呼びます。その直訳は「日本」ですが、知念氏はそれを意識的に、異民族にまで増幅して使っています。
さらに、朝日新聞(2012年5月10日)には、「沖縄人は豚ですか?」という記事が載りました。
この女性は、沖縄県民自らを「豚」に例えて、「『豚』が人間になれるわけがない。ほんとうは差別されているんだよ」と語っています。
この芝居の主催者である比嘉陽花氏は、特に本土人が沖縄県民を「豚」呼ばわりする差別事件が起きたから「豚」だと言っているのではなく、沖縄県民が日常的に本土から「豚」扱いされる被差別者だから「豚」なんだ、と言っています。
私を含めた本土人が今でも強い贖罪感を持っている沖縄戦や、その後の米国統治、そして1975年の復帰時には、生れてすらいなかった比嘉氏や知念氏などの若い世代が、こんなことを言うことに、私はへこみました。
あ、この人たちは「復帰ではない」と言っていますので、参ったね(苦笑)。
大阪の雑踏で、読者である「日本人」をにらみ据える比嘉氏の写真は、全身で「日本」を拒否しているようにすら見えます。
事実、知念氏は 池澤夏樹氏のような気のいい沖縄シンパまで一括して、「植民地主義支配の上で遊んでいる差別者」とレッテルを貼って沖縄から追放しようとします。
実際、池澤氏は彼女との対談に強い衝撃を受けて、本土に帰ってしまいました。
このような沖縄と本土を、あたかも異民族紛争のように捉えて、その原因を基地問題にあるとするのが朝日です。大手紙としての常識を疑います。
朝日は気楽に、いつものどおりの反基地闘争を応援するていどだったのでしょうが、これは、今に続く影響を残します。それが、沖縄民族主義の台頭です。
朝日にお墨付きをもらったと考えたのか、沖縄地元2紙にも「基地は差別」という主張が踊り、沖縄の政治家も堂々と「日本政府」とあたかも外国政府のような呼び方をあたりまえにするようになります。
稲嶺名護市長は、当選そうそうに「日本政府」と呼びましたし、翁長知事も堂々とそう呼んでいます。
この、まるで沖縄県民が日本人ではないかのような表現は、今や基地反対派の普通の表現にすらなってしまいました。
これを聞いた本土人は、これが沖縄県民が「日本人をやめました」と宣言しているように理解するようになりました。
私たち本土人は、沖縄を「沖縄人」と呼んだことはなかったし、ましてや「豚」だなどと呼ぶ本土人がいたら、連れて来てほしいものです。 殴ってやりたい。
苛烈な沖縄戦に胸を痛め、復帰に際してはわがことのように喜びました。
「お帰り、そして本当にすまなかった。つらかっただろう、沖縄の人達」、そういう素朴な感情をもって、沖縄県民を見ていたはずです。
ところで、私は、本島中部といい勝負の、神奈川県厚木基地の真横で育ちました。小学生時代の「秘密基地」は、基地のフェンスの穴から入った、米軍機のスクラップでした。
ペイデイ(給料日)の後には、街には娼婦たちがうろつき、酔った米兵がドルをバラ撒いていたことを記憶しています。米軍機が近くに墜落したこともありました。
知念さんや比嘉さんにお聞きしたい。この私と「オキナワの少年」はどこが違うのですか。
あなた方は、自分たちの経験だけを唯一至上のものにして、「日本でこんな経験をしたのは沖縄だけだ」と盲信しているのではありませんか。
その上、厚木基地は、仮に沖縄にあるすべての基地が撤去された後も、米国の世界戦略の重要な要として残りつづけることでしょう。
ならば、私は「豚」扱いされて「構造的差別」とやらに苦しむ「神奈川人」なのですか?
知念さんは、ある時本土の大学教授に、こう言ったそうです。
「基地を持って帰ってくれますか」
いえ、とっくに「持って帰って」います。本土で引き受けられる基地は引き受けています。
どうしても沖縄でなければ機能しない基地だけお願いしているのです。その負担の重さもよく理解しています。
だからその償いとして、累積10兆円、毎年3000億円の一括交付金をお渡ししているのです。いうまでも、全国で特出した交付金額です。
そして基地縮小も遅い足どりなのは申し訳ありませんが、継続しています。訓練も一部は本土でやるように努力しています。
信じがたいことですが、知念さんは、そんなことを知らないのです。
この人たちの抗議の対象は、常に「日本」であり、共に苦しんでいるはずの本土の基地周辺住民などは眼中にありません。
そして自分たちの体験だけを至上として、排他的な沖縄民族主義を煽って、ただそれを「日本」にぶつけているだけです。
普天間移設問題は、基地問題として解決しない限り、知念氏のいう「構造的差別」は解決しません。
それを、「植民地主義支配」にまで拡大解釈してしまうのが、本土の人間だというのも何かの悪い冗談のようです。
「沖縄民族主義」の宣伝家である、野村浩也広島修道大学教授は、こう述べています。
「日本人は、右から左まですべて、在日米軍基地の負担 を沖縄に押しつけることによる利害を共有しているのだ。この利益を守るために、もっと悪質な植民地主義言説こそ、沖縄から日本への米軍移転に反対するものではないのか」
(部落解放同盟『部落解放』2002年9月号)
発表媒体が、解同という札つきの職業的差別糾弾団体であることに留意してください。この団体は、共産党さえもう消滅したといっている「被差別部落」が今でも、いや来世紀にも残り続けていると主張する集団です。
なんのためにですって。もちろん利権に決まっています。
解同はどうでもいいや。野村氏は、こう続けます。
「ウチナーンチュは『方言』って平気で言っている。沖縄の言葉は劣等な言語である、日本語よりも下位に位置づけられている劣等な言語である、と」(同)
沖縄県民から言われるならまだ我慢しますが、同じ本土人、しかも基地周辺住民の経験もないのほほんと暮らしてきた人物にこんな言われ方をすると、心底うんざりします。
なにが「植民地支配」ですか。よく言う。
まさに事実誤認だらけです。仮に、薩摩藩による琉球侵攻を植民地支配と呼ぶならまだしも、それははるか400年前のことです。いったいそれからどれだけの時間がたっているのでしょうか。
この人たちは、「第2次琉球処分」以降の近代沖縄の歴史も、まるで暗黒の皇民化の歴史のように描きますが、出来たばかりの国民国家として、共に初等教育や、交通・通信インフラを作りだしたことを忘れ去っています。
琉球王国には初等教育という概念すら不在で、交通・通信インフラはないに等しく。農地は王家のもので、農民には私有地すらありませんでした。農民は事実上、農奴でした。
このような王家は、幕末の激動に耐えられるはずもなく、旧宗主国の中華帝国に助けを呼びにいくという醜態を見せます。
「琉球処分」というと何か大悲劇のように感じますが、全国どこにでもあった廃藩置県の一コマにすぎません。
奥羽越列藩同盟に参加した東北・北陸諸藩などは、はるか彼方の苛烈な僻地にまで追いやられた悲劇を経験しました。
琉球王国のケースは、これと較べればはるかに宥和的対応だと言えます。
全国どこの藩も一律に消滅したわけですが、それをいちいち「「紀伊処分」とか「水戸処分」などと呼ばないだけです。
野村氏が問題とする「方言札」も、よく沖縄では差別の象徴のように言われていますが、東北や九州にも存在しました。
沖縄の近代以前の支配者だった鹿児島などは、鹿児島人自らが作った明治政府によって沖縄並の標準語教育がなされています。
つまり、沖縄民族主義者がいう「皇民化」とは、国民国家を作るための中央集権化のプロセスにつきものの全国どこにでもあった現象にすぎないのです。
この歴史を見る眼においても、沖縄民族主義者は、自分たちの歴史を、唯一至上のものに祭り上げています。
もしそれを行なわなかったら、日本は帝国主義の時代に、各地方がそれぞれバラバラなったままで亡国を迎えたというだけです。
近代の歴史は、どの国にも必ず明と暗があります。
その両義性を認識しないで、暗黒面のみを徒らに強調するような、「植民地主義」論者は、濃厚にマルクス主義者の影響を受けています。
知念氏や野村氏の意見を新鮮だと、朝日は思っているようですが、私から見ればありきたりの陳腐なマルクス主義歴史観を、新しい包装紙で包んだだけのものにすぎません。
むしろ、今、それは大変に危険な言説となっています。
沖縄民族主義者のように、冷静に歴史や状況を見ないで、感情的に沖縄ナショナリズムを煽ればどうなるでしょうか。彼らはこうアジっているのです。
「恨みは忘れない。なにもかも日本が悪い。言葉を奪われ、基地を押しつけられた植民地だ。日本人は本土に基地と一緒に帰れ!癒されなんかにくるな!」
たしかにコリアに酷似しています。こんなことを大きな声で言い続ければ、とうぜん本土の強い反発を招きます。それが「嫌沖論」です。
長くなりましたので、次回に続けます。
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