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2015年4月 6日 (月)

「民意」に従って、どこまで時計を巻き戻したらいいのだろうか?

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菅氏と翁長氏が会談したようです。特になにもないので、本日のテーマにいくことにします。 

え、そりゃないだろうって。う~ん、だって、お互いに自分の背景に対してのエクスキューズをするための儀式なのは、初めから分かりきっていましたしね。こういうのを政治的「儀式」と呼ぶのです。 

まず菅氏は、「現地と話し合いを拒否するのか」という批判を覚悟で、今まで翁長氏を「干して」いたわけですが、そろそろ「大人の話」ができるていどに脳味噌が冷えたのか、一度会って確かめようということです。

「13年末に安倍首相が前知事に表明した21年度まで3000億円台とする沖縄振興予算の確保について「約束は守っていきたい」と述べた。また、基地負担の軽減に努力する考えにも時間を割くなど、沖縄への配慮を随所に示した」(4月4日読売)

状況が変化すれば予算縮小もあり得るということを含んで、「翁長さん、とりあえずこちらは、敵対関係になる気はありませんよ。落ち着いてテーブルに着きなさい」と政府は言っているのです。

これは、官邸がただ会うのもナンでしょう、と菅氏の腰にぶら下げた土産にすぎません。

菅氏は、首相との会談にも言及したようですが、 それはあるていど「会談の下地」ができる政治環境が整わねばダメなわけで、夏の本格着工までに自分で落し所を考えてみろ、ということです。

ボールはしっかりと翁長氏に投げ返して、菅氏は帰って来たというわけです。(下写真 朝日4月5日)

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「これに対し、翁長氏は、「上から目線の『粛々』という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れ、怒りは増幅していくのではないか」と反発。その上で、「辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信を持っている」と述べ、移設計画の中止を求めた。翁長氏は安倍首相と早期に会談したい考えを伝えたが、菅氏は明言を避けた。ただ、菅氏は会談後、記者団に対し、「沖縄の考え方を聞く中で、進めていきたい」とも述べた」(同)

これも定番ですね。

翁長氏が、「そりゃありがたい。反対していても、振興予算が丸々もらえりゃ、ズッと孫子の代まで反対していますよ。こりゃ坊主丸儲けてすわな。わ,はは」などと言ったら面白かったのですが、もちろん言うわけがありません。 

苦虫を噛みつぶしたような顔のひとつも見せて、「上目線だ」などというイヤミのひとつも言わなければ、共産党、社民党、社大党、そして何よりコワイ地元2紙の「同志諸君」からお許しが出ません。 

本気で本土政府とファイトする気なら、下の写真のような構図になります。 

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これは就任挨拶で、沖縄県庁を訪れた野田首相に、かりゆしルックで立たずにお出迎えの仲井真知事の様子です。 

スゴイね、野田さん。腰90度だよ。サラリーマンは、こういうお辞儀は不始末のお侘びの時にやるもんですがね。松下政経塾はこんなことまで教えているのか、さすがだなぁ(笑)。 

仲井真氏は、沖縄県の立場が政府なんぞより圧倒的に強い力関係だ、という大前提の下にこういう態度を取っています。 

「民主党さん、一回ハトさんがちゃぶ台返ししたのは、謝ったくらいでは原状復帰は出来ませんぞ」と言っているのです。

言い換えれば、「ハトのチャブ代返しの以前の合意水準より、いっそう要求ハードルを高くしますよ、覚悟しなさい」というボディランゲージなのです。 

実際、以後の本土政府との交渉は、一貫して「沖高政低」の気圧配置で展開されました。この力関係を作ったのは仲井真氏です。 

よく、左の人たちは「沖縄をイジめまくる本土政府」と言いたがりますが、とんでもない。2人の首相を、這いつくばらせたのは仲井真さんですよ。、

では、歴史をちょっと見バックします。 

ハトさんがちゃぶ台返しをしただけが、私たちの記憶に残ってしまっているのですが、それは正確ではありません。 

ハトさんが宇宙から降臨される以前までこの移設問題は、実に14年間の間、あーでもないこーでもない、拒否、合意、拒否、合意という定期的波動を繰り返していました。 

その波動がいったん収束したのが、麻生政権時の2007年10月のことです。 

今まで事務処理を拒んでいた仲井真知事は「環境アセス手続きの一つとして受け取らざるを得ない」として、方法書の受け取り保留を解除を決めたのです。 

この時点の名護市長は島袋氏で、市長も苦悩の末に合意に達していましたから、この段階で、なんと初めて政府-沖縄県-名護市-辺野古現地の4者が、惑星直列に達したわけです。おー、奇跡的瞬間だぁ。

ところが、2009年12月、これをたったひとりで、一瞬にしてフンサイしたのが、自称「友愛の使徒」、実は強力無比の破壊神であらせられるハト首相です。 

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ハト氏は、就任前の2008年から「国外・最低でも県外」ということを述べており、これに呼応するかのように、2009年1月に稲嶺「反戦」市長が当選してしまいます。

ところが、さすがはハト氏、もちろんナンの「腹案」もあったわけではありません。

突如、地元に根回しのひとつもしないで「ボク、徳之島に決めちゃったもん」と言い出して、地元から大反対を受けることになったことなど、今は懐かしく思い出します(←遠い眼)。

結局、「あそこだ、ここにするんだ」と狂瀾怒濤の挙げ句、わずか半年でギブアップ。その間に、オバマからノータリンと呼ばれたことなどがありました。

5月23日に、すごすごと県庁にやってきて、仲井真知事に「ボク、頑張ったんですけど、全部ダメでしたんで、やっぱり辺野古移設にしました。ご、ごめんなさーい。しくしく」と言いに来たというわけです。

下の写真がその時のものです。まるで仲井真校長に呼び出された坊やです。知事応接室は校長室かって。

しかし、ハト氏は謝りに来るのに、ずいぶんとラフな格好ですな。まぁ、社会生活したことほとんどない人だからな(ぬるい笑い)。

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それはともかくハト氏は、5月28日に日米両政府が辺野古崎地区とこれに隣接する水域を移設先とする共同声明発表し、ハト氏は訪沖後1週間後の6月4日に首相退陣と相成りました。

そして代わったカン氏は、就任と同時に揉め事はもうイヤとばかりに、日米合意の踏襲を明言しました。

実はここから、仲井真氏のハードルを上げまくったタフネゴシエータぶりが発揮されることになりますが、省くことにします。

そして2013年12月27日、仲井真知事は、沖縄防衛局の移転に関する環境評価証明を承認しました。

ハト氏が移設合意体系という積み木細工を破壊してから、ちょうど丸4年後のことです。

政権党に復帰した安倍氏と仲井真氏の会談の様子は、下の写真のとおりです。

なんだ仲井真さん背広持っているじゃないの、しかも立ってる、と新鮮な驚き。そういえば、服装は態度の現れとよくいいますなぁ。上2枚と比較してください。

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確認しておきますが、この時防衛局が提出した埋め立て申請は、先ほど述べたように既に2010年5月28日に、他ならぬハト氏の日米合意表明に基づいています。

つまり、ほんとうはこの時点において、既に政治決着済みであって、あとは沖縄県内部の「県内政治」にすぎません。

それよく知っていながら、実に3年間も本心を隠したまま言を左右にしてゴネまくって、本土から妥協を取りつけて来るという喰えないジイさんが仲井真氏でした。

翁長さんにこんなマネができるかと思いますが、仲井真氏の右腕だったのが、なにを隠そう「仲井真の次」と言われていたこの人物でした。

しかし「民意」に敏感な風見鶏の翁長氏は、この頃から裏切りを画策し始めたようです。翁長氏はこう考えました。

「もう一期仲井真氏がやると、オレは歳をとりすぎてしまう。今なら自民党県連内部にも那覇市議を中心に子分も増えたことだし、金秀、かりゆしグループなどの財界の一部も支持すると言ってる。これに左翼陣営を取り込んで、沖縄ナショナリズムで丸め込めば、オレの裏切りの大義名分もつく。そしてオレは晴れて知事だ」

県内政治をよく知る稲嶺元知事はこう述べています。

「これは保守分裂ではなく、基地運動に頼ってきた革新が自前候補を出せないほど衰退したということ。保革対立がパッと消えたら(日本の一部を担う)沖縄県人的な意識と、(本土と対抗する)琉球人的な意識の矛盾点が浮かび上がった」
(『沖縄県知事選と「国場組」』(「新潮45」11月号常井健一)
 

とまれ、翁長氏は擬似的「島ぐるみ」を演出することで「民意」を作り出し、一気に仲井真氏の寝首をかく陰謀を決意をしたわけです。

ここは戦国時代かって、思いますが、住めば分かりますが、沖縄県民ほど政治好きな県民は全国でも珍しいほどなのですよ。

そして翁長氏は、たまたまこの事務承認の前に、新型機オスプレイが普天間に導入されることを奇貨にして、「殺人機を配備するのか」とブチ切れてみせ、「オール沖縄」というという疑似的「島ぐるみ」をデッチ上げたのです。

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そして今また、翁長氏の第2次ちゃぶ台返し事件が始まります。

最後に簡単に経緯を整理しておきます。

・2007年10月 麻生政権-名護市移設で合意
・2009年12月 鳩山政権「国外・最低でも県外」公約
・2010年5月  鳩山氏撤回し、県に謝罪
・同年6月   鳩山氏移設についての日米合意
・同年6月   菅首相、合意継承
・2013年12月 仲井真知事埋めたて事務承認
・2014年12月 翁長知事移設反対
・2015年3月  コンクリートブロックの作業停止を指示
・同3月     農水大臣、知事指示効力停止

このような経過を見ると、沖縄地元2紙が言う「民意に従え」というのは、どの時点まで時計を巻き戻したらいいのでしょうか。

これまでにつぎ込まれてきた移転のための調査費用、予算などは3千億円にのぼりますから、税金を払っているだけ本土の人間には、いいかげんにしろ、という気持ちが拡がりました。

そして、翁長氏が煽った、本土を差別者にする沖縄ナショナリズムと、他県民には到底理解しかたい奇怪な「県内政治」に飽き飽きした本土人の中には、「嫌沖感情」につながっていく芽が生れてくることになります。

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コメント

翁長鳥、新規建設は拒否しても、普天間終了とは言いませんでしたね。
ここで勉強させて戴いた通りですが、反米派と利権派を取り込んで知事になったものの、板挟みでしたね。

政権としてはこの隙を狙い撃たない手はないですね。

プーさま
激しく同意です。

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