総否定の「反」原発では何も解決しない
反原発派の方は、よく「原発ゼロ」と言っていますが、既に原発はゼロです。
2013年9月15日に大飯発電所4号機が停止してから足かけ2年、日本は48基全ての原発が凍結状態になっています。
「原発ゼロ」の記録は、今後さらに更新されていくことでしょう。
このために、日本は、社会の基盤となるベース電源の約2割弱相当が喪失したために、大きななしわ寄せが起きています。
代替電源の燃料費としては、LNG(液化天然ガス)に頼っていますが、2011年から14年までで既に12.7兆円もの国費が海外に流出したとみられています。
なんのことはない、わが国はアベノミクスで景気を回復し税収を増やしたとしても、それ以上の国富を流出させていることになります。
ちなみに、アベノミックスの提唱者である浜田宏一エール大名誉教授は、再稼働が可能となればその効果は1.5倍になると語っています。
それはさておき、これではまるで、穴の開いた船底から、がんばってバケツで水を汲んでいるようなものです。
そしてこれは、電気料金の値上げとして、企業や消費者に廻されます。これは額として、消費税5%に相当します。
国民は、もし再増税がなされていたのなら、10%の消費税+5%の電気料金値上げで、都合15%の重荷を背負ったことになります。
(全国仮処分テロを宣言する河合弁護士。この人の活動停止を仮処分申請したい)
「国富」といえば、樋口裁判官の大飯原発再稼働判決文に、このような部分があります。
「コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件 原発運転停止により多額の貿易赤字が出るにしても、これを国富の流出や 喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活し ている事が国富である。これを取り戻す事ができなることが国富の喪失で ある」
樋口氏は、驚くべきことに、大飯原発が電力供給していた関西、北陸経済圏の現状を一顧だにしていません。
樋口氏は、そもそも「国富」という国の資産から負債を引いた経済指標を、「国民が豊かな国土に根を下ろして」ナンジャラという美辞麗句でブンガクしてしまっています。
違いますよ、樋口さん。「国富」というならば、地域の製造業がなにで苦しんでいるのか、どうして不景気から抜け出せないでいるのかを見ないで、どうして判決文を書けるんです。
あなたが見ているのは、「根を下ろして生活をしている」国民ではなく、反原発イデオロギーにすぎません。
樋口氏は、とにもかくにも「安全」だけが大事で、他はすべて考える必要なし、とまで言っ切っているのですから、これではまるで知恵熱がついた中坊です。
では、樋口判決が言うように、バッサリと経済を切り捨てられるものなのなのでしょうか。
私たちは家庭用電気料金の方に目が行きがちですが、実は家庭用向け電気料金は政策的に安く設定されていますので、ほんとうの電気料金値上げの負担はむしろ産業部門に重くのしかかってきています。
では、電気料金の値上げ状況を押えておきましょう。
下図を見ると、化石燃料コストと電気料金値上がりが、同調しているのがわかります。
(図 東電HP)
これはひとえに、電力会社が原発停止で、燃料コストを増大させているからです。
原発が占める電源比率は会社によっても異なりますが、今、焦点になっている関西電力は、9電力会社中最大の原子力比率です。
これに対しては当然批判もあるでしょうし、私もここまで原子力に寄り掛かった電源比率はバランスがとれたものとはとうてい思えませんが、残念ながらこれが現実だということです。
つまり関西電力は、電源の半分を使用不可能な状態になってしまっているわけです。これでは片肺飛行しろというようなものです。
下図を見ると、関西電力が、年々燃料費コストを増大させているのがわかります。せめて大飯が動いていれば一息つけたのでしょうか、それは樋口第1次判決でふっ飛びました。(下図 日経新聞2014年12月23日)
かくして関西電力は、2015年3月期・連結最終損益は、1610億円の赤字見込みで、4年連続赤字という悲惨な結果になりました。
今の再稼働を認めていくというのは、その意味からも妥当な経済政策なのです。
コメントにもありましたが、私は再稼働容認派ですが、原発推進派ではありません。危険な原発は廃炉にしていくべきだ、と考えている漸減派です。
廃炉にしていく主体は国ではなく、電力会社です。その電力会社が経営難になってしまったら、廃炉にかかる膨大なコストは誰が負担するのでしょうか。
国だというなら、それは税金のことですから、国民負担でやれということになります。
それはおかしいでしょう。沖縄などは原発が一基もないのに、公平に負担させられてしまいます。
まさに悪平等。これこそ「沖縄差別」です。こういう過激なことを言う人たちは、単純な電力会社敵視論に染まっています。
今、電力会社を潰してしまって、全てを再エネにするなどという夢想を実行に移したら、電力供給は壊滅し、製造業は安定した電力を求めて海外逃避するでしょうが、かんじんの廃炉費用すら出なくなります。
皮肉にも廃炉するためには、今、潰れられたら困るのです。
漸減する立場まで、一括して「原発推進派」と批判するのは、「増設」と混同されて受けとられることを狙ったレトリックにすぎません。
ちょうど、辺野古「移設」を、ほんとうは基地縮小なのに、「新基地建設」と言い換えることで、あたかも「基地増設」にすり替えることと一緒の、印象操作です。
(あのー、「普天間はいらない」と「辺野古移設は許さない」は、一緒にならんのですが。おまけに「新基地はいらない」ですか。もう概念のチャンプルー状態。運動家たちは、知っていて一緒にしているから問題なんです)
原発が危険だと思うのは無理がない国民感情ですが、その危険性を公平な専門家による公的機関によって洗い出し、対策を考えていくのが、現実的な政策判断、言い換えれば大人の判断じゃありませんか。
味噌もクソも全部廃炉にしろ、1基たりとも動かすなというのでは小児病です。これでは、「再稼働反対」というスローガンは、漸減を意味する「脱」原発ではなく、ただの「反」原発にすぎなくなってしまいます。
多くの国民は、広い意味での「脱」原発には共感し得ても、狭隘な「反」原発に賛成するでしょうか。
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原発の危険性が、地震等の他にもいろいろある、と言う理屈は、分からないでは無いんですが、
福島第一の1~4を見れば分かるように原発が稼働していようとしていまいと使用済み未使用の燃料棒がそこにある時点で、事故時の危険性は大して変わらないと感じます。
最終的な処分方法が決まらないままであれば危険性はそのままに管理維持費のみが永久に固定化されてしまうのではないでしょうか。
まさに、危険性はわかってるのに移動できない普天間基地のようにです。まぁ、普天間のほうが地権者に賃借料が発生するだけましかもしるないですね。
新規準を満たした原発だけでも随時稼働してせめて、維持管理費廃炉費用、そして最終的な処分費用は捻出していく必要があるのでは無いかと私は思います。
投稿: 種子 | 2015年4月21日 (火) 06時19分