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2015年4月13日 (月)

「沖縄」とひと括りにできるような存在はない

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昨日メディア・リテラシーについて書きましたが、私はチェックリストの最初に、「警戒心の欠如」と書きました。 

「自分だけは騙されないという根拠ない自信」と解説しましたが、これは私の大前提のスタンスみたいなものです。 

言い換えれば、自分の立場をガチガチに固定してしまって、そこから帰納していくようなマネはするな、という自分に対する諫めです。 

初めから立場が決まっていると、情報を取捨選択することを無意識にするようになります。 

すると、気に入った情報は、電磁石よろしくどんどんと集まるのに、それとちょっと違うなという情報は、なんとはなしに聞かなくなってしまいます。 

たとえば沖縄というと、「基地のない平和な島」という言い方が、あたりまえの常識のように語られています。 

しかし、では具体的に、沖縄の人たちが「基地」とどのようなつきあい方をしているのか、ということまで突っ込んだ分析はあまり見られません。 

あるのは、「基地の重圧にあえぐ人々」「基地犯罪」「怒る市民たち」「強権を押しつける政府」、といったステレオタイプの絵柄ばかりです。ほんとうにそれだけなのでしょうか。 

この絵柄を丸呑みすると、普天間のゲート前で抗議行動をする「市民の叫び」だけが、沖縄を代表するように、思ってしまいがちです。 

事実、辺野古のカヌー軍団や、ゲート前の抗議行動ばかりが、本土のニュースに登場します。まるで島全体が、「反戦・反基地」一色のようです。 

沖縄に住んでみれば分かりますが、あの人たちのような意見も確かに存在しますが、私には沖縄のある階層の、ある特定意見の代表者にしか見えません。 

あるいは本土では、名護市長選、知事選と続く「民意」こそが、沖縄を代表していると思いがちです。 

これも同じで、名護と県知事選の左翼陣営の勝因を、もう少していねいに分析すれば、簡単に沖縄県民の「民意」はこれだ、と言えなくなるはずです。 

たとえば、歴代の知事は移設容認派でしたし、もちろん翁長氏もその考えでした。

Imag2014111962788_imh_02_l(写真 当選後に初めてかけつけたのが、地元民ゼロどころか、地元から撤去要求が出ているテント村だったという翁長氏。どちらを向いて政治をするのか、よくわかって、心温まらない一コマ) 

では、いきなり今回の選挙で、沖縄県民の考えがコロっと入れ替わったのでしょうか。別にそうではありません。そうそう簡単に人は変わるものではありません。 

今まで移設を容認してきた知事に投票してきたのも沖縄県民であり、今回拒否の「民意」に一票を投じたのも、同じ沖縄県民なのです。 

特に、本土の多くの人間は具体的に沖縄を知る機会が少ないために、この「民意」幻想にコロっと参ってしまっています。 

では果たして、すべての県民が、この「民意」のように米軍が沖縄から即時・全面的に撤退することを望んでいるのか、と問われれば、たぶん違うと思います。

そんなことをされたら、いっぺんに沖縄は干上ってしまいます。干上がらないのは、お役人だけです。

このお役人の労組が官公労で、ある意味、米軍に依存していないのはこの人たちだけだからです。 (別な意味で、官公労は基地に強依存していますが)

何回か書いて来ましたが、基地がある地域のほうが、基地に対する依存と執着が強く、むしろ所得も、自治体財政も豊かだという現実があります。 

ですから、基地がない南部、中部の南側のほうが、理念的「反戦・平和」を言いやすいという風土があるわけです。 

そしてこの振興予算の多くは、土木業に流れ込んでいます。 

そのことから、土木建設業は、振興予算を食い物にしていて、それが沖縄保守の地盤となっているケシカランという、公共事業悪玉論がありました。 

では、土木建築業は、いっそ島にないほうがいいのでしょうか。そんなわけがありません。 

土木建設業は、本土の地方に行っても皆一緒ですが、地域経済の核です。多くの従業員を雇用し、資材業者などの周辺企業まで含めれば、広汎な人々が土木建設業で生活を支えています。

農家さえ、暇な時期には、地元の土建屋でドカチンをしています。 

地方の飲み屋に行けば、ホワイトカラーと観光客が中心の那覇などと違って、建設業関連のオっちゃんのほうがずっと多いのです。 

そしてこのオっちゃんたちが、デモに行ったり、マスコミのインタビューを受けたりすることがあるかといえば、まず絶対にありません。

いわば「地域」という大樹の幹に当たるのが土木建設業で、この感覚は、地方に長く住んでみないと分からないでしょう。

このような人たちが依存しているのが、基地とそれを源泉にする振興予算です。ですから、振興予算をキープしておくためには、基地は絶対に必要な「悪」なのだ、という考えにつながります。

実際に、稲嶺「反戦市長」が、なにをトチ狂ったのか北部振興予算を拒否するという愚行をしたために、いかに名護を中心とする北部が干上がったのか、行ってみればわかります。土建業の倒産が相次ぎました。

また、この人たちは受益者であると同時に、現実の基地公害の被害者です。

頭上にゴォーゴォーと米軍機が飛ぶ自宅に住んで、基地関連の請け負い工事をするという人も多くいます。

辺野古のゲートで阻止行動をしている「市民」は、外人部隊と官公労ばかりで、搬入する工事トラックの運ちゃんの方が、基地の「被害者」であるはずの地元民だったりします。

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このように、「反戦・反基地」の視野からこぼれ落ちるものが沢山あり、逆に国の安全保障論一般からも見えないものも沢山あるのです。

沖縄は一枚岩でもなければ、ひとくくりにできる「沖縄人」などどこにもいません。

これは一定の立場に自分を縛りつけていては、絶望的に見えないことてす。

普通に生きる人たちに近づくこと、あたりまえに飯を喰う島の人たちの側に近づこうと努力すること、矛盾と言われようが精一杯生きている人たちの立場に立とうとすること、それが私のささやかな意志です。

私がもし「保守」だとすれば、それは「保守」という立場が、人の矛盾をおおらかに肯定するからです。

左翼思想の根本的欠陥は、人間や社会に対する眼が甘いことです。

それは、左翼思想の基になっているマルクス主義が設計主義であることです。

社会はこのようにならねばならない、このようにあるべきだという思い込みの教義の枠組が先にあって、逆にそれで生きている人や社会のほうを裁断してしまっています。

現実の人や社会がその枠から外れると、外れたほうが悪いのだ、という発想になってしまいます。

情報も然りですから、その枠組みに合致するものしか、やがて聞こえなくなっていきます。

それでは、何も見えないし、人は幸せになれないのではないでしょうか。

 

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沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

こちらで沖縄の実情を教えていただけば頂くほど、故郷福島の原発立地自治体のありかたにそっくりだなあと感じています。
福島にも凝り固まった意見の人々(いわゆる放射脳でしょうか)が出入りするようになり、沖縄の嫌な面に似た状況が進んで行くことに戦々恐々としています。(原発事故を経てもなお福島県の人々が自民党の議員を多く選ぶのは、あるいは沖縄を見ているからか…と穿った見方をしてしまいます。笑)
いつもこちらで勉強させて頂いており、感謝申し上げます。とくに、常に情報の出典を明らかにされていることが素晴らしく、有難いです。これからもよろしくお願い致します。

あいうえおさん。

残念ながら、そのような記事がココログ関連記事だけでも大量に出回ってますね。
やれ「同じように故郷を奪われた沖縄と福島は協調しなければならない」やら「我々ML派(!)の潜入作業員によるフクイチ潜入によれば、線量計など意味が無い。鳴ろうが鳴るまいが、終わるまで現場を離れられないのだ(線量の数値記載は一切無し)。必要な労働者確保のために、福島県の若者を政府は安全を偽装して残らせているのかがよくわかる。」

福島みずぽか、竹野内真理かっての!

「あいうえお」さん。コメントをありがとう。

情報の出典と、異説が存在する場合は、分かる限り表記するようにしています。これがリテラシーの第一歩ですもんね。
気がついてくれて、大変にうれしいです。それ、すごく私、気にしていることなんです!

内容的には、かんがえさせられることが多いので、あすの記事でお答えします。

世界中、「被害者」のあるところ全てに共通する問題と思います。
第二次世界大戦後、自由・平等・人権・平和という錦の御旗が掲げられ、これに反すものは次々と槍玉に挙げられてきました。
しかしその「被害者」の認定は相当に恣意的に行われてきたと感じています。
皮肉なことに(?)、これを最も無視する国が最も成長している、という現実もあります。

以上は自分の思いつきですが、
第一次世界大戦後の価値基準、「民族自決」は、見事にナチスドイツに利用されたという歴史的事実を踏まえたものです。
http://www.y-history.net/appendix/wh1505-004.html

ブログを読ませ貰い、沖縄県、宜野湾市で育って来た私の視野が、いかに狭かったのか 大変考えさせられました。沖縄 保革の利害関係 今、辺野古や普天間基地前で 積極的に反対活動を行なっている人達の多くが官公労職員や、元教員の高額所得者である事。そして、翁長を担ぎ上げた地元財界 金秀の呉屋氏や、かりゆしの平良氏。私が気になったのは数年前 県コンベーションビューローの役員による内紛 当時、平良は県の姿勢に不満を持ち 役員を辞任したのを思い出しました。何より、沖縄では基地被害にあまり関係の無い南部に人口が集中している。辺野古だって市街地は対岸にあり、那覇市もほぼ 普天間による被害無し。南部の人なんて、感覚は県外の自治と同等にも関わらず、高額予算 負担金を活用している。貴殿のブログを読み、鷹の目で我が沖縄県の現実を見る事が出来、私自身考えさせられました。生まれた時から側に普天間飛行場が有り、軍用地主を羨み、アメリカ人に親近感を持ちながら日米安保を支持している、一宜野湾市民です。

一宜野湾民さん。ありがとうございます。私がいちばん力づけられるのは、現地の声です。沖縄のほんとうの声は、まったくといっていいほど、本土に伝わってきません。まるでカヌー軍団とシュアブ前の山城某たちだけが、県民を代表しているように報じられています。
先だっての4.28「屈辱の日」も、本土の報道は徹頭徹尾、あの活動家たちだけが取り上げられていました。

これからも色々な声を聞かせて下さい。宜しくお願いいたします。

何度もコメント欄に投稿してすみません。

隠していた訳ではありませんが、私は沖縄に生まれ那覇の首里で育ちました。
今は就職の関係で東京で暮らしていますが、4月28日が特別な日であることには変わりありません。
管理人様が仰る通り、4月28日は沖縄が日本から切り離された「屈辱の日」です。

そんな4月28日に「主権回復の日」として政府主催で式典が行われたことはご存知ですか?
「主権回復の日」を定めた安倍内閣に悪意は無いのかも知れませんが、あまりにも無神経で残酷な仕打ちだと感じました。
今、この文章を書いているだけでも怒りで血が濁る思いがします。

管理人様はブログ名に「ありんくりん」と島言葉を入れられるほど沖縄に対する思い入れは強いのでしょう。
しかし、私の探し方が悪いのかも知れませんが、過去記事の中に「主権回復の日」についての書かれたものを見つけることは出来ませんでした。
「主権回復の日」に対する管理人様のご意見が伺いたいところです。

とにかく、本土のメディアが特定の活動家しか取り上げない事に対する批判のダシに「屈辱の日」を持ち出した事に対して私は違和感を覚えます。

蒲焼さん。沖縄県民なんですね。先に言ってほしいが、まぁいいや。言うことは一緒だから。

私は「屈辱の日」というのは無視してきました。
なぜなら、それを実感もって言える世代は1952年時に成年でなくてはならないと思います。今は、80以上です。

当時、沖縄は軍事占領下でした。外国軍が多大な戦死者を以て奪って、施政権をもっている地域、言い換えれば実効支配が完了している場所を、平和的交渉によって返還させるというのは、歴史上聞いたことがありません。
それは今の北方4島を見れば分かります。

返還交渉は困難を極め、それをなし遂げた佐藤首相にはノーベル平和賞が授与されたくらいです。
なんだ基地付きじゃないかといわれそうですが、基地なし返還などは絵空事でした。ともかく施政権を返してもらってからのは話しです。

また、52年時に、わが国は米国とサシで、返還交渉をできるだけの国力はまったくありませんでした。
ですから、涙を呑んで施政権を米国に委ねたのです。

それに対して沖縄が悔し涙と、祖国に捨てられたという怒りを持つのは当然のことです。
だからこそ、その後に祖国復帰運動が強力に進められたわけです。

そして日本もその分離について、沖縄戦も含めて贖罪の意識を強く持っていました。
だからこそ、復帰後に累積10兆円にのぼる振興予算を注いできたのです。
このカネは税金です。金ですべて解決できるとは思いませんが、そこには私たち本土人のすまなかったという気持ちも込められているのです。

さて祖国復帰運動とは、自分たちは日本人であるということを確認する精神的なナショナリズム運動でもありました。

当時は「オレたちは日本人だ」という意識でした。だから、むしろ「沖縄人」という言い方こそ差別を誘因すると考えていました。
常に復帰運動時のデモには、日の丸が掲げられていたのです。
今、「屈辱の日」と言う人たちとずいぶんと違いますね。真逆だと言っていいでしょう。

4月28日に辺野古でシュプレッヒコールを上げている人々の多くは、今や日本人であることすら否定している人がたくさんいます。
「沖縄差別」を叫び、日本を憎悪し、本土を嫌悪しています。「自分は日本人ではない」とまで言い切っている人も大勢います。
そして呆れたことには、「オール沖縄」の指導者となった翁長氏は、いまや公然と中国に接近しようとしています。

かつて「屈辱の日」と県民が呼んだのは、日本に帰るという日本人としてのアイデンティティ確認のためでした。
それが今や逆の「反日」的に使われています。なんかおかしくありませんか、使い方を間違っていませんか、と私は言っているのです。

蒲焼きさんへ
沖縄県民として、屈辱の日に違和感を感じませんか。私達は沖縄県民であり、日本国民じゃないですか。偏向報道紙 沖縄タイムス、琉球新報の紙面だけですよ 大々的に煽るのは。あなただって、首里で育って 何か米軍に被害を受けましたか。
沖縄復帰の時なんか、みんなで日の丸掲げて 祝ったじゃない。若い世代にもはや 被害者意識なんてないじゃない。

管理人さん


この前のコメントでは突っかかる様な物言いになってしまい反省しています。

ただ、反論になって申し訳ないのですが、「屈辱の日」について“実感もって言える世代は1952年時に成年でなくてはならない”と管理人さんは仰っています。
その伝で言えば、他県民であり“1952年時に成年”ではない(ですよね?)管理人さんが、メディア批判の文脈で「屈辱の日」という表現を用いることには、やはり違和感を覚えざるを得ません。
それに、その時代をリアルタイムで体験した人でなくても、他者の気持ちに共感する人並みの想像力があれば「屈辱」を感じる人がいてもおかしくないとは思いますが…

私が4月28日について「屈辱の日」という表現を用いたのは、管理人さんに対するある種の嫌味(大人げなくてすみません…)であって「反日的」なニュアンスはありません。
そして、どういう理屈を捏ねられようとも、サンフランシスコ講和条約発効後も沖縄や奄美、小笠原が米軍の統治下に置かれていたのに、それを「主権回復の日」とはあまりにも他者が感じた痛みに対して鈍感過ぎると思います。
第一、一部の地域とはいえ国が他国の軍隊に統治されている状態を「主権回復」とはとても言えないでしょう。

前回のコメントでも書きましたが、私は「屈辱の日」についてではなく、現内閣が「主権回復の日」を定めた事に対する管理人さんのご意見を伺いたかったのです。
しかし、返信のコメントも示唆に富んだ興味深い内容であったので充分に満足しております。

話は変わりますが
管理人さんが書いて下さった記事にいつも批判的なことをコメントしている自分に気付きうんざりしてきました。
読んでいる人も楽しくないだろうし、当分コメントは控えようと思います。

長文失礼しました。

蒲焼きさま。

同じ沖縄県民でも浦添市民様の様な意見もあれば、あなたの様な意見もある。当たり前の話ですが生まれも育ちも違う人間が複数いて一つの意見で纏まる事が、元々ありえないと思います。
私にしても、管理人さまの書き込み、他の常連の方々の書き込みに自分と違う意見を見る事も多々あります。同意できる書き込みのほうが圧倒的に多いのは確かですが---

これまで否定的な書き込みをしてきた方々は嫌な言い方ですが、否定したいが為に否定している方々で、ひとつの書き込みで気分を害する失礼な書き込みばかりでした。
蒲焼き様は、一沖縄県民のひとつの立場からの意見を述べて居られますし、礼儀もわきまえて居られるように見受けられます。
否定的な意見も建設的な会話のキャッチボールが出きるようなら書き込みを控える必要性はないのではないかと、私は感じています。
管理人さまも、建設的な意見のやり取りが出きるのではと感じたからこそ数日かけて以前に書いた記事を改めて書き直したのだと思います。

連投にかりますが、最近記事と関係ない書き込みばかりになり申し訳ありませんか

蒲焼さん。あなたは、ここに来る反戦反基地派の方で例外的に礼儀正しく、私の書いたものもよく読んでいらっしゃいました。
私は当初は、あなたの沖タイ・琉新的論調から腰が引けていたのを白状します。しかし、誠実に返答されていて、私としては共に議論するに値する方だと評価していました。

意見が違うというのはいいことです。「全員が同じ意見なら、それは間違っている」という警句もあるくらいです。ぜひ、またいらして下さい。

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