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2015年4月 7日 (火)

翁長氏知事が菅氏に「キャラウェイのようだ」と言った意味

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菅氏の訪沖について、沖タイや琉新はなぜか勝ドキを上げているようです。まぁ、いつも未来を前向きに生きる地元2紙だけあります。 

会談は予想どおりお定まりでしたが、ただひとつ聞き捨てならないことを、翁長氏は言っています。

「翁長氏は「『粛々』という言葉を何度も使う官房長官の姿が、米軍軍政下に『沖縄の自治は神話だ』と言った最高権力者キャラウェイ高等弁務官の姿と重なる。県民の怒りは増幅し、辺野古の新基地は絶対に建設することはできない」と強く批判した」(琉新4月6日)

キャラウェイ、フー?ちょっと説明しておきましょう。これでは翁長氏のイヤミがまったく通じないでしょうからね。 



ポール・キャラウェイ中将は、1961年から64年までの間、沖縄の高等弁務官という島のミニ・マッカッサーでした。
 

彼は沖縄の経済・社会を遅れているとみなして、米国流の改革をします。電力や銀行制度などの改革を行い、上の写真のように辺鄙な地域にも足を運んでいます。

民政家としては良心的なタイプに入るでしょう。

しかしその半面、軍事的要衝である沖縄には、自治を許さないという方針を貫いています。 

その時に出た言葉が、翁長氏が引用した「沖縄の自治は神話だ」という台詞です。 

この方針が、沖縄に自治権を与えるべきだと考えていたリベラル派のライシャワー大使と、鋭く対立することになり、やがて任を解かれます。 

つまり翁長氏は本土政府の官房長官を、この異民族支配をした米軍政と重ね合わせているわけです。

ずいぶんと侮辱的な言い方をしたもんだと思いますが、菅さんは意味が分からなかったのか、ケンカをしに来たわけでないと考えたのか、聞き流しています。

翁長氏はきっと、「キャラウェイといってわからないのか。ふふん。ヤマトは異民族なんだよ」と腹の中でせせら笑っていたことでしょう。

幸い、このイヤミは菅氏には通じなかったようですが、この言い方に翁長氏が火をつけて廻っている沖縄ナショナリズムの毒がふんだんに込められています。 

翁長発言を市民語訳してみましょう。 

「お前ら本土政府は異民族政府だ。沖縄人を抑圧し、自治を与えない差別者だ。我々は自治権のない植民地人のようなものだ。菅、お前は暴君と呼ばれたキャラウェイだ!」 

これが翁長氏が言う、「上目線」という言葉の内容です。

つまるところ、彼はこの移転問題は、「本土政府と沖縄県」の対立ではなく、「ヤマト民族と琉球民族」の対立だ、と言いたかったのです。 あきれるほど挑発的です。

これが、翁長氏とその支持者たちが流布している、恐ろしくイビツな「構造的沖縄差別論」的発想です。 

この論理が行き着く末は、本土からの「自治権要求」という名の分離独立です。 

ただし現在の沖縄経済は、極端に振興予算に依存した体質ですから、「独立」を支えるだけの自力が欠落しているために、必然的に旧宗主国だった中国にと吸い寄せられる結果となります。 

Cina0178541_9255342_201409172116536(写真 沖縄解放・沖縄を回収するぞ」と叫ぶ中国のデモ。普通選挙を一回もしたことのない人達に「解放」などされたくはないと思いますが、いかがですか県民の皆さん)

さて近々、翁長氏は中国に行くそうですが、何を話してくるのでしょうか。 

習近平は、福建省の党書記として実に17年間を過ごしました。彼の価値観は、ここで培われたといっていいでしょう。 

 福建省は台湾海峡をはさんで真向かいにある地方です。しゃべる言葉も、閩南語(びんなん)語で、台湾と同じです。 

Photo

 ( Google Earth 福建省の対岸に台湾が位置し、その先に先尖閣諸島、宮古、石垣、本島、南西諸島、九州と連なることがわかる。中国が海洋進出するためには、この日本の領海の間をすりぬけねばならない)

そして彼が省党副書記時代の1996年3月に、中国世界で初めての民主選挙が行なわれ、台湾独立派の李登輝が総統に選出されます。

まさにこの中国世界が激動した時期に、習はその対岸にいたことになります。 

民主選挙に危機感を持った中国は、軍艦とミサイルで恫喝を加えますが、米国が空母インディペンデンスに台湾海峡を通過させるという抑止的示威をしたために、ミサイル発射を中止せざるをえませんでした。

米海軍の圧倒的パワーの前に、中国海軍がひれ伏した屈辱の日ともなったわけです。 

当時の習書記には2人の盟友がいました。これが福建省海軍基地司令官だった呉勝利と、省幹部の劉賜貴の二人です。

当時を知る人はこう回想しています。

「三人はしょちゅう宴会でつるんでは、将来自分の時代になったら、米軍を第1列島線から駆逐する。そして台湾と釣魚島(尖閣諸島)を取り返し、偉大な中華民族の時代を築くのだと誓い合っていました」(近藤大介『日中再逆転』)

2012092922085216b (図 赤線の手前が中国が言う「第1列島線」。青線がシーレーン。沖縄がその枢要な位置にあるのがわかる)

この血盟は守られることになります。2012年2月、習は20年来の盟友二人を、総書記・党軍事委員会主席となるや、権力の一角に据えます。

まず、呉勝利が海軍司令官となり、この中国海軍の最高指揮官となった呉こそが、この間の南シナ海や東シナ海における中国の軍事的海洋膨張の立役者となっていきます。

そしてもうひとりの「義兄弟」である劉賜貴は、習によって福建省から中央に呼び寄せされて、閣僚級ポストである国家海洋局長に抜擢されます。

習の後ろ楯を持った劉は、海洋取り締まり4局を「中国海警」に統合し、中小国の海軍並の組織に成長させて、ひんぱんに尖閣や南シナ海で波風をたてているのは、ご承知の通りです。

今や、この習の「福建マフィア」たちはいずれも、海洋にまで版図を伸ばす中国の海軍と海警のトップに位置しています。

この「福建マフィア」を従えて、「偉大な中華民族」の海洋版図拡大を意識した皇帝こそが、この習近平だったのです。

ところで中国は、沖縄を自国領土だと主張しています。中国共産党準機関誌「環球時報」(2010年9月19日)は、このように主張し始めていました。

「琉球(沖縄県)は明治政府が19世紀末に清国から奪い取ったもので、日本政府は今も沖縄住民の独立要求を抑え込んでいる」 (党外交機関誌「環球時報」2010年9月19日)

さらにこの記事は、「中国政府は尖閣で日本と協議に入ってはならない」と続けます。

なぜならそれは、交渉のテーブルに日本を引き出した成果と引き換えにして失うものがあると言うのです。

「境界線外にある琉球の主権が日本にあると認めることになる。こうなれば日本の琉球占領は合法的な根拠を得て、琉球民衆の独立要求は鎮圧されることになる」

つまり中国は、尖閣を交渉対象とはしない、なぜなら交渉することで、沖縄の領有権が日本にあることを認めてしまうからだと言うのです。

言い換えれば、「日帝が奪った神聖な中国領土である」尖閣と沖縄は、軍事力を用いて奪還しろ、主張していることになります。

20130722022237783(写真 中国サイトより。キャプションに「揭秘琉球独立运动 中国共产党好友会标语现身日本」)

これに呼応する沖縄内部からの勢力として、中国ははっきりと「琉球独立」運動を位置づけています。

この福建省に、太田知事は中国側から接待漬けでおだて上げられたのか、2億8450万円という巨額の税金を使って「沖縄福建友好会館」を作りましたが、沖縄側の入居者が3社しかないために、結局福建省側の所有となっています。

ちなみに、この時の福建省側責任者は、他ならぬ習近平です。

だまし取られたも同然の出費だったはずなのに、まだ懲りず次の稲嶺知事は中国西北航空の上海-那覇直行便に夢を託し、またもや2000年9月に1億3800万円の赤字補填を観光対策誘致事業費で出費しています。

そして翁長氏は那覇市長時代に、那覇市若狭に1億6千万円かけて龍柱などいうやくたいもないものを建造しようとしました。

これらの中国に騙されたに等しい金は、本土政府からの振興予算という名の税金が投入されています。

一括交付の振興予算を何に使おうと勝手ですが、中国にすり寄るための資金にするのだけは、本土の人間としてはご勘弁願いたいものです。

このようにして、翁長氏は、今までの県知事が革新系であったとしても守ってきた一線を踏み越えつつあります。

それは沖縄県民を「外国人」とし、沖縄を「外国」にすることで、その先には中国の属領となる道が待っています。

翁長氏は、このようなぼかした表現でブラフをかけるのではなく、真正面から「独立」を掲げるべきです。いいかげん聞いているこちらも、うんざりしますので。

 

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コメント

キャラウェイねえ…
時は朝鮮戦争休戦からまだ数年。ベトナム戦にズブズブと入り込んで行く頃。軍人ならそりゃ沖縄返還なんて口が裂けても言えないわな。
対共産圏の最前線で。
あ、その点は今も何も変わっていませんね。

市民生活を良くしようと頑張った点は、「上から目線」だろうとなんだろうと評価すべきです。
菅官房長官の『粛々と』が「上から目線」かどうかも意見が別れますが、某テレビ番組の説明だと、最近はそういう意味「も」あるんだとか。知らなかった。
それを言ったら「目線」なんて言葉はモデル撮影以外ではつい最近出来た言葉なんだが…。
いずれにせよ、菅官房長官がそのような意味で使った訳ではないことくらい解りきってたはずで(わからなかったら余程のキチガイレベルだぞ)、言い掛かりも甚だしい。
はいはいじゃあもう粛々とは使いませんよ。と軽く流す菅さんは大人だ。
そして、そんなしょーもないことで勝ち誇る沖縄2紙。まるで軽くいなされてただけなのに夜中にはしゃぐ2ちゃんのバカみたいだ。
本土でもこのところ連動するかのように左翼系マスコミが菅さんのゴシップ探しに必死ですな。中身がくだらない。

ちなみに「リベラルな親日家」ライシャワーは、本土で襲撃を受けてますが(最近、韓国で似たようなことが…大使襲撃も我々が起源ニダ!とか言い出すのか)、沖縄返還とは関係ありませんね。。

翁長という人はよっぽど「上から目線」という言葉が好きと見えますね。
知事選後、「ウェークアップぷらす」という番組にビデオ出演した際も
スタジオにいた森本元防衛大臣と沖縄とは縁浅からぬケビン・メア氏に対して
今回と全く同じトーンで、上から目線で云々と語っておりました。
今回の管官房長官と同じく、どう考えても上から目線な物言いは
このお二方ともされいるようには思えませんでしたけどね。
「お前らは沖縄の人間を差別している」という印象付けが狙いなのでしょうか。


上から目線とは、翁長さんが普天間移設の代案を聞かれた時に使う いつもの手
県民として、恥ずかしい限りです。

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