沖縄の「二人羽織」とは
「あいうえお」さん。福島と沖縄は、確かに似ている部分かあります。
それは当然で、国策だったからです。原発の設置、米軍基地の設置、いずれも国家の意志でなされました。
ですから、地元への了解のための宥和政策として、福島には電源立地対策交付金が与えられ、沖縄には累積100兆円にものほる巨額な振興予算が投入されました。
結果として、政府から流れ込む税金のために、地元に原発や基地に依存した経済が誕生してしまいました。
沖縄県では、基地がない地域経済は考えにくいほど、基地と地元財政や経済が一体化しています。
ただ福島県全体では、沖縄県のような、立地自治体の犠牲の上に県全体が潤うということまでは起きていないのが、決定的に違う点でしょう。
沖縄県の場合、県全体で、基地を源泉とする振興予算に寄りかかっていて、その強依存が、社会全体を歪めてしまうまでになっています。
(写真 笑ってイイかな。普天間ゲート前のオスプレイ反対オバさんのほうか、オスプレイよりうるさいことが判明。実際に、怖くて言い出せないらしいが、早朝からのこの人たちの騒音は、近隣住民の怨嗟を買っている)
一方、依存というのは、反対する側も一緒で、常に「被害者」を探して祭壇に祭り上げてきました。
というのは、運動というものは、常に社会の耳目を集めねば成り立たないものだからです。
いつも「こんな悲惨なことが起きている!」と絶叫していなければ、運動は忘れ去られていき、やがて消滅してしまいます。
だから、年中「被害者」の祭壇に可燃性材料を投下して、ボンボンと火を燃やしていなければなりません。
しかし、運動家たちは、真の解決をする気も、能力もありません。
(写真 「安心して暮らせる福島」を唱えながら、福島に対する不安心理を煽っている不思議な光景。やっている人の多くは、善意なのだから困る)
「福島の子供を救え」という耳障りのいいことを言っているNANZEN(●核派)の人たちは、国が支援している大規模な自治体の検診活動の足元にも及びません。
「福島は住めない」「福島に行くな」と叫んでいる馬鹿者に至っては、もう復興の邪魔者、いや差別者でしかありません。
彼らの本音はいつまでも福島が荒廃したままで、チェルノブイリのような状態であり続けることなのです。
福島はチェルノブイリではありません。これははっきり断言できます。これについては別稿でお話しすることにします。
さて、沖縄の場合は、官公労という役人や教師の労組が運動の中心になっています。県や自治体の職員で作る労組ですが、賃金は民間の2倍で、国家公務員並賃金が実現してしまっています。
(写真 沖縄平和行進には、官公労と彼らが作った平和センターが全国から押しかける。一種のメッカ詣でのようなもの。組合費で訪沖して、帰りは観光して帰っていく)
とうぜん、全国一の貧困県の沖縄ではダントツのエリートで、島の憧れの仕事ナンバーワンです。
官公労は条件が良すぎて、労組の本来の目的であるはずの賃上げや、待遇改善などはやる余地がありません。
暇だというと怒られそうですが、潤沢な予算と人員をすべて反戦・反基地闘争という政治闘争に振り向けています。
本来、民間の2倍の賃金に安住せずに、貧しい県民のために戦うべきでしょうが、民間労働者の組織化には、とんと無関心を決め込んでいます。
そのために、沖縄の民間企業は全国的に見てもボトムの組織率です。
これでは組合というより、むしろ左翼党派のようになってしまっています。
そのための専門組織さえあります。「沖縄平和運動センター」です。あの辺野古ゲートの山賊・山城某が代表をしていますが、彼も県職労組の副委員長様でした。
(写真 昨年、基地に入ろうとした一般住民を襲撃し、「引きずり出せ、叩き殺せ」と叫ぶ沖縄平和センター代表山城某の狂態。恐ろしいことに手で、ドアロックを解除しようとしている。中央のクバ笠の男が山城某)
このような結果、沖縄は全国て輝ける反戦・反基地運動のスターダムに君臨することになりました。
有体に言えば、全国でこんなことを今でもやっている県は、沖縄だけなのです。
しかし彼らにとって恐ろしいことが起きました。なんと、反戦・反基地運動の御本尊であった、大事な大事な普天間基地が移設されてなくなってしまうという「悲報」です。
こういう言い方をすると誹謗中傷と言われそうですが、反戦・反基地運動は、国や米軍がゼッタイに維持せねばならない、したがってゼッタイに返せないということを、大前提にしているものなのです。
彼らは「普天間を返せ」とゲートでガナっていますが、国があっさりと「はい、分かりました。返しましょう」と返事したら、あららら~、になっちゃうでしょう。
「返せ、返せない」というやりとりがあってこそ、この阿吽の呼吸で条件を吊り上げられるわけで、こういうことを弱者の恫喝と言います。
条件を吊り上げる役割は、保守政治家で、国に予算折衝に行っては、「うちの県民はこんなに怒っているんです。もうなだめられねぇっす」と泣きごとを言って、振興予算の増加をゲットします。
私はこの奇妙な保革の連携を、沖縄の「二人羽織」と呼んでいます。
(日経新聞・元那覇支局大久保潤氏作成による)
上のグラフは、何度か紹介してきたものでが、沖縄振興事業予算の推移を表しています。面白いことに気がつきませんか。
グラフ中央部の平成10年(1998年)が4713億円とピークとなって、徐々に減ってきており、現在は2000億~3000億円規模になってきています。
なぜ1998年が図抜けて多いのかと言えば、それは97年に辺野古移設案が固まったからで、当然大反対するだろうと見られていた大田知事を宥和するためです。
皮肉にもこの全国革新勢力のシンボル的存在だった太田知事在任中が、もっとも巨額の本土からの税金が流れ込んでいることになります。
反基地を掲げて当選した反戦知事がしたことは、基地の見返りの増額だったわけです。
基地を恒常化させるための「アメ」である振興資金を取れば取るほど、米軍基地は居座り続けるわけですが、これが実態です。
語弊があリますが、沖縄から「基地」を取ってしまったら、ただの貧乏県でしかない、これが現実です。
ですから、普天間基地がほんとうに返ってくるという前代未聞の事態に、保守も革新も心底ビックリしました。
ありがた迷惑だ、これが沖縄の言うに言えない本心だったのです。
返還される宜野湾市にとっては、返還が本格化した場合、多くの問題を突きつけられることになります。
たとえば、まずは、基地そのものがなくなることによる財源喪失のショック、続いて跡地利用のための財源確保、食い扶持がなくなる軍用地主対策、さらには隣接する自治体との跡地計画のすり合わせ、というエゴの衝突すら覚悟せねばなりませんでした
本音を言えば、本土政治家を普天間2小の屋上に案内して、基地被害を直訴する役割のほうが気が楽だったくらいです。
(写真 2010年5月、鳩山首相沖縄訪問。普天間2小の屋上で見学)
自治体以上に衝撃を受けたのが左翼陣営でした。彼らの沖縄における唯一の存在理由である基地が返還された瞬間、彼らの闘争目標そのものが、この地上から消滅してしまうからです。
そこて今、沖縄官公労がやっているのが、辺野古をあえて「新基地」と呼んで、さらなる基地負担フンサイという大反対運動をしてみせることでした。
彼らが勝利した場合、とうぜんの結果として、普天間基地は固定化してしまうわけですから、願ったりかなったりというわけです。
一粒で二度おいしい、というわけですね。税金をただ払うだけの本土の国民にとっては、たまったものではありません。
長くなりまくしたので、次回に続けます。
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読んでて、私までイヤになってきました。
本土以上に本土的と言うか・・
私のイナカとなんら変わらない、ムラ構造です。
道路拡張の調査にきた測量士達を追い払うような。
「ゴネると、保証が有利になるかも知れん」と、
彼等はツテ(ギインさん)にココゾ!と話を持ち
込みます。必死です。本土以上に本土的と言うか・・
これではアメリカさんは、さぞ御立腹なのでは?
永田町・霞ヶ関はさぞケツを叩かれているはず。
カウボーイ達には、ワケ解らないでしょうから。
彼らには基地がドコであれ構わないと思いますが、
担当者レベルとしては、たまったもんじゃありま
せん。「ゆすりだ!」とか言いたくなりますわ。
投稿: アホンダラ | 2015年4月14日 (火) 15時37分
週末にビーチでごろんしたくて石垣島へ行ってきました。が、雨にたたられて、島を1周ドライブして時間を潰すことに...(>_<)。なんとたくさんのステキな小中学校が建っていることか。ダムもある。整備された道路に車は少なく快適。何か変、どうなっているのと、ググって、このページにたどり着きました。目から鱗。ありがとうございました。この歳まで、ナイーブ(というかただのアホ)にも沖縄県民の少なくとも半数は、米軍基地がない自然豊かな県土を願っているとばかり思っていました。それなら、観光立国を目指して日本から独立したらいいじゃないかなどと脳天気に夢想していたのですが...とんでもない!全く逆の現実があったのですね。世界は、行けるところまで、結局は金目でしょうと、回っていくのか...。
投稿: なっく | 2015年4月14日 (火) 23時53分
はじめまして。
仕事で今日の夕方まで3日程、沖縄に行ってました。
で、沖縄の基地問題を改めて検索して貴ブログに辿り着きました。
1年に一度程度ですが、たまに沖縄には行くんです。
今まで基地の話題は政治的な問題が絡むからタブーかな?と思っていたんですが、今回の訪問では飲み屋のお姉さんとか得意先の方との会話で基地の話題を振ってみたんです。
私が話をした限りですが、政治思想の対立もなく、基地がある生活が当たり前、そして中国の脅威とか補助金の問題とかあるのはわかってるんですね。
金武町の海兵隊基地の付近も得意先の方と営業で回ったんですが、金武町は補助金がすごいぞとかオスプレイはヘリモードはうるさいぞとか聞きました。
思想的にこじれた人と話さない限り、基地問題はタブーでも何でもないんだなって印象を受けたのが今回の沖縄訪問です。
ただ、南部に鍾乳洞とかが多い話しの流れで、それら鍾乳洞等が大東亜戦争当時の野戦病院跡になったりしてるって話をされた得意先の方の少し沈んだ口調は印象に残ってます。
少なくともマスゴミの言う沖縄の民意は、かなり偏ったものであるんだろうと実感です。
投稿: 名無しの九州在住 | 2015年4月17日 (金) 01時07分
貴ブログに感銘を受けながら読ませて貰いましたが、貴殿の二人羽織には賛同しかねます。まるで、保革が連携して国にたかる様な表現 本当に米軍基地を負担する見返りに多くの予算を獲得して来た事が、革新との連携だったのでしょうか。
宜野湾市に生まれ、基地と共に育ち、真剣に日米安保を理解し、基地負担を容認し革新派と対峙して来た私達に対して失礼だと思いますが。
投稿: japan2609 | 2015年4月30日 (木) 22時46分
japan2609さん、ご指摘の意味はよく分かります。私の表現が過ぎたことについては申し訳なく思います。私の筆力のいたらぬせいです。
私自身、普天間基地と同様に住宅地に隣接し、しかもジェット戦闘機を運用している厚木基地のすぐそばで大きくなりました。おっしゃることは、肌で理解できます。
わが実家でも、子供心に、「基地は必要なんだ負担に耐えるのが国民としての務めだ」とする父と、「あなたは昼にいないから分からない。爆音などの基地公害で周辺が苦しんでいる」とする母の対立を聞いたことがあります。母は爆音防止同盟に入り、父はそれを苦々しく見ていたようです。
私が書いて来たことは、基地が戦後半世紀ちかく存在し続けたことによって、複雑な利害関係が生じてしまったことです。
基地周辺に住む人たちは、あたりまえの庶民です。別に反基地活動家でもないし、土建屋でもありません。
ですから、基地がもたらす苦しみも、基地から得られる利害も、共にひととつのものとして生活のなかに呑み込んでこざるを得なかったのではないでしょうか。
その複雑な背景から、翁長という「オール沖縄」を掲げる保革キメラが生まれたのではないかと私は感じています。
投稿: 管理人 | 2015年5月 1日 (金) 04時12分