ほんとうにくたびれます。たまに来る通り魔みたいなコメント。
しかもこういう奴に限って、名無しで、ルール無視の連投をしてきます。読まされる方は、たまったものではありません。
私は、ここにいらしている方の99.99%がそうであるように、普通の日本人にして、あたりまえの市民です。いわば、ただの人です。
別に、物書きではありませんし、書いていることには責任を持ちますが、書いていないことにまで、責任をとりようがありません。
「よくもまあこんだけ毎日毎日ゲンパツゲンパツいってられるなあ。。
きっとあんな事故さえなければ、この人も心穏やかに農業にまい進されてただろうに」
この台詞に、私は怒りを覚えました。わかったような口をきくな、ということです。
2011年に「被曝」地を襲ったあの地獄のような長いトンネルを、一体どれだけ分かって、言うのか。
2011年3月11日から4日間、私たちの地域は大停電になっていました。
かろうじて生き残ったラジオだけで、東北の惨状と、福島事故があったことを知りましたが、実はそのときには既に私たちの頭上を放射能雲が音もなく、目にも見えず通過していたのです。
それからのことは、多くの茨城、福島の農民たちの血を吐くような経験とまったく同じです。
市場に農産物を出しても突き返され、茨城と付くだけで見られるあの蔑んだような視線が突き刺さるようでした。
大量の牛乳は土に流され、卵は割られ、野菜はトラクターで踏みつぶされました。 何人かの農家が自殺しました。
行政は無力であり、無作為の上に無作為を重ねていきました。まるで、今だけ頭を出さなければ無事であるかのように。
私は、この土地に起きた事実を知るために農業者グループで放射能測定運動を始めました。その時の、村のなんとも言えない圧迫感を思い出します。
・・・余計なことをするな。変な数字が出たら村内に迷惑がかかるぞ。
このような村の空気とは別に、街では放射能パニックが起きていました。
これは当初は民主党政権の情報の出し方の失敗によるものでしたが、後には人為的で悪意に満ちたものに変わっていきます。
武田邦彦はテレビで、「福島の野菜を食べたら死ぬ」とまで言い、早川由紀夫は「放射能で死ぬようなものを出荷する農家は作為のテロリストだ」と叫ぶのです。
そしてその煽動に乗った実に多くの消費者が、福島、茨城と名がつくだけで、手に触れただけで「放射能が染る」とまで忌避しました。
まるで「ピカの毒が染る」と被爆者を家から追い出した「はだしのゲン」の親戚のように。
知らぬうちにこの「被曝地」に生きて生産しようとするだけで、私達農民はパブリック・エネミー扱いされていたわけです。
私の唯一の武器であるこのブログにも、読むに堪えないコメントが大量に書き込まれるようになりました。
私がただ冷静になってほしい、風評に踊らされないでくれと書いただけて、「原子力村の犬」「東電からいくらもらった」とまで言われる始末です。
そしてそのような街の人々は、自らを「脱原発派市民」と名乗り、楽しげにサンバホイッスルを吹き鳴らしながら徒党を組んで首相官邸周辺を躍り狂っていました。
脱原発を言うなら、もっとも多大な被害を受けて苦しんでいるいる「被曝地」の人々、なかでも生活と生産共に破壊された農業者、漁業者たちと向き合わないでどうする、と思いました。
ところが彼らの一部は自らははるかに離れた安全地帯にいながら、「東日本は終わった」「お待たせしました。福島で奇形が出た」「40万人がガンになる」と、むしろ嬉しげに叫ぶのです。
あたかも私たち「被爆地」の人間が、ガンや奇形を待つ実験動物であるかのように。
いまでも、これらの言説を吐いた人間たちを私は許していません。たぶん一生許さないでしょう。
放射性瓦礫でもない陸前高田の松板を大文字焼きで焼くという善意の運動に、まさに「ピカが移る」とばかりに反対し、果ては震災被災地の瓦礫を「実力阻止する」と叫ぶ過激派も出る有り様です。
沖縄まで逃げた「自主避難者」の一部は、東北からの南国沖縄の子供たちへの雪の贈り物にすら唾しました。
あるいは、内部被曝が怖いと、計測限界値5ベクレルですらダメだと言い出しました。
そのような「消費者の声」に媚びるように、国の100ベクレル基準値引き下げはなんの役にもたたず、むしろ大手量販は勝手に自主基準値を50ベクレルに切り下げ、有機農業関係流通にいたってはさらに20ベクレルにまで落とす競争を始める始末です。
自然放射能を含みゼロなどということはありえないにもかかわらず、ゼロベクレルでないと承知しないと言うのです。
そして内部被曝は1ベクレルでもガンになると触れ回りました。
チェルノブイリ事故の後のベラルーシですら13年かけてやった基準値引き下げを、わずか1年間でやれと私たちに言う、その神経が私には理解できませんでした。
ある脱原発派を名乗る人間は私に向って、「あんたらが農業を止めるのがいちばんの復興支援だ」とまで言い放ちました。
(写真 私たちの計測運動風景)
私は、それ以来、私自身も原子力を人一倍呪いつつも、この人たちとは一緒になにかできることはない、と思うようになっていました。
脱原発という目的が正しくとも、あの人たちにはそれをなし遂げるのは無理だと思いました。
この人たちがやっているのは、脱原発に姿を借りた「被曝地」差別運動、あるいは単なる反政府運動です。
その中で、ひとりの農業者としていままでやってきたあたりまえの営為である「耕やす」ということが、科学的にも最善の放射性物質対策だと分かってきました。
土は放射性物質を吸着し、封じ込める力を持っているのです。
そんなことは当時誰も言っていなかったし、N先生などのごく一部の研究者が実際の福島の田畑を計測する中で唱え始めていたことです。
耕すことが、農業者にとっての放射能との最大の戦いになるということがわかってから、私は必要以上に恐怖するのを止めました。
そうなんだ、特別のことをするのではなく、今までやってきたことをしっかりと見つめて変えるべき点は変えていくこと、それがこの最悪の時期に大事なんだと気がつきました。
それ以来、私は、一般の脱原発の流行の論説を検証し、納得がいくまで自分で考えてみようと思うようになりました。
このような中で、もはやイデオロギーと化している脱原発=再生可能エネルギー=FIT・電力自由化という三段論法を自分なりに考え直してみようと思いました。
この「かわいそうに」氏は、こんな私たちの当時の状況を知って書いているのでしょうか。
このような同情めかした優越意識には反吐が出ます。たぶん目の前にいたら張り倒していたかもしれません。
私は「脱原発運動」というものがあるなら、それは「原発を停止する」、ということに絞られるべきではなく、今なお福島の人たちを苦しめ続けている放射能差別といかに向き合っていくのかの運動でもあるべきだと思ってきました。
脱原発を、もっとも大変な立場にいる現地の人たちと「壁」を作ったところで行うならば、それは単なる都市生活者のエゴに堕っしていきます。
化石燃料や大気汚染などの問題は、地球規模の問題ですが、原子力のシビア・アクシデントは、地元とその周辺住民が直接の被害者になります。
福島や茨城で作られた電気を使うのは首都圏の街に住む人たち全体ですが、事故被害は設置地域が被るのです。
私たち地方に住む人間はリスクを負い、ベネフィットは都市の人たちが享受します。
よく電源立地交付金でザブザブ金がバラ撒かれたんだろう、と言う人がいますが、そんなものは、当該の自治体のみが潤うだけにすぎません。
そしていったん今回の福島事故のようなことが起きると、反原発派の室井佑月氏などは、「子供には福島に行かせるな」とまで言います。
雁屋哲氏は、「福島から逃げることか勇気だ」とまで言いました。
冗談ではない。そこに今、ふつうの生活を営み、懸命に復興をめざす人たちをなんだと思っているのでしょうか。
これは倫理的頽廃です。リスクがない安全地帯にいる者が、したり顔で原発の危険を説き、リスクを被った人たちの住む場所に「行くな」と言う。
そして行こうものなら、すぐに「鼻血」が出たと騒ぎだす始末で、そしてあろうことか、それすらメシの種にして説教する。しかも被災地に対して。何様だと思っているのでしょうか。
それが反原発運動的志向ならば、それは単なる自分だけは火の粉を被りたくないという都市住民のエゴにすぎません。
むしろ、「危険地帯」に住む私たちのほうが、何がほんとうの放射能のリスクであるのか、真面目に考えてきています。
あるいは、なにが福島第1で起きたのかを知るために、真剣に事故調の報告書を読んできています。
さもなくば、「住めない」からです。
また、この「かわいそうに」氏はこう平然と書いています。
「韓国の原発のリスクと比べて日本の原発リスクは低いです。事故以来、こういうことを平気で言ってる、自称保守やら愛国者らやらが、あまりにも残念すぎて。言い分が、半島人そのもの、電波サヨクそのものなんですよね。原発右翼って」
この人物は、「半島人」という差別語を平気で使っています。韓国人への差別語を使うことが、なにか「自分もどっちかといえば右側の人間」である証明かのような幼稚な錯覚をしています。
品性下劣です。
私は、こういう、他国の原発のリスクと、自分の国の原発のリスクをすり替えた議論は一度たりともしたことがありません。
中韓の原発が日本のそれより危険なのは、客観的に見てそのとおりですが、だからといってわが国のリスクと代置できる性格のものではありません。
私が言ってもいないことを、三橋貴明氏がどーたらこーたら言ったという形で一括して「原発右翼」として批判するのは止めてほしい。
ちなみに私は、三橋氏には非常に批判的ですので、一緒にしないでほしいものです。
そもそもこの「原発右翼」ってなんですか?ぜひ定義していただきたい。
ではこの男は、「反原発ウヨク」なのですかね(笑)。原発問題を右翼、左翼のイデオロギーで裁断すること自体がナンセンスなのです。
こういうイデオロギーにひきつけてしまったために、原子力論議がおかしくなりました。エネルギーテーマに右も左もありません。
こういう、私のような漸減派も、一括して気に食わないと「推進派」にして「しまい、果ては「原発右翼」呼ばわりするのが反原発運動の悪い癖です。
私のどこが「原発右翼なのか教えてほしいよ、まったく。
こういう人がいるから、いつまでたっても冷静な議論ができない原発議論が続くのでしょうね。
心底、憂鬱になります。
※お断り アップした後に、当時の私の状況の部分を大幅に書き増しました。
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