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競争原理を持ち込んでいい部門、いけない部門

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電力自由化は、たぶん古賀茂明氏という奇矯な「ヤメ官」がいなければ、別な形になっていたかもしれません。 

昨日もお話しましたが、そもそも原賠法3条1項どおりに処理すればよかった案件を、古賀氏は強引に東電解体・電力自由化論議に持ち込んでしまいました。

古賀氏の電力自由化論は昨日今日のものではなく、 2001年頃に出向していたOECD本部に、日本の発送電分離するように働きかけたことからも、筋金入りといえます。

古賀氏は、福島事故を見て、また自分の時代が来たと勘違いしたのだと思われます。

そして現職官僚でありながら永田町にバラ撒いたのが、あの悪名高き「古賀ペーパー」ですが、これは経済や法律には疎かった反原発運動家に理論的支柱を与える結果になりました。 

後に出てくる「未来の党」などの反原発政党などは、しっかり古賀ペーパーをコピーしています。

13f8095ae0d82eb8d007ceff07f6b72b(写真 辞任に追い詰められた古賀氏。現職キャリア官僚が、古賀ペーパーなど撒いたのだから、当然だ。マスコミは、彼を殉教者のように報道し,時代の寵児に祭り上げた。この「栄光の受難」が今の彼の原動力のようだ)

それはさておき、古賀氏がやりたかった構造改革というのは、語感はさわやかですが、一体中身は何でしょう? 

具体的に構造改革のメニューには、こんなものが並んでいます。

国営企業、あるいはそれに準じる公共事業体の民営化、各種規制の廃止・撤廃・緩和そして外国資本の参入の全面自由化など、といったものです。

なんか聞いたことがありませんか。あの橋龍ポマードや、小泉さんがやろうとしていた一連の「改革」がこれです。 

構造改革は、TPP交渉でベトナムの国営企業が議論の対象になっているように、発展途上国でサービスの量と質が遅れている場合、国有企業への過度な優遇をなくして、競争原理を持ち込んでいくことは、国民にとって利益となります。 

こうした途上国では、競争を促すために、門戸の制限付き開放を行なう必要もあるかもしれません。 

では、わが国のような先進国において、発展途上国と同じような構造改革が必要なのでしょうか。

そのためには、日本で国が「保護」している部門が何かを知る必要があります。

わが国が今まで国策として「保護」してきたのは、道路、電気、ガス、水道、放送、郵便 、通信や公的な福祉などの、地域による分け隔てのない便益の提供義務を有する部門でした。

これをユニバーサルサービスと呼びます。直訳すれば、「普遍的に提供されるべきサービス」ていどの意味です。

国には競争原理を安易に持ち込んでいい部門と、そうでない部門がありますが、このユニバーサルサービスこそ競争にそぐわないものの代表例なのです。 

衣料や家電製品などの消費財を競争するなというのは馬鹿げていますが、ガス、水道、電気、道路、医療、郵便などの公共インフラに、安易に競争原理と市場原理を持ち込むことが正しいとは思えません。 

これらは国の骨格であり、国民の生活を安定して支える基盤です。これを市場原理で運営することは、リスクが高いのです。 

たとえば、発送電分離と簡単に言いますが、儲かるので参入が多いのは再エネ発電と小売り部門だけで、その間の肝心の送電部門は、いわば公共道路みたいなものですから、儲かりません。

むしろ、今まで電力会社は発電と小売りでプールした利潤から、送電部門を維持してきたのです。 

かつての橋龍ポマードが言い始めた公共事業・悪玉論に悪のりして、軽薄なメディアは、一斉に「鹿しか通らない道」、「農家しか使わない農道」、「20戸の村に立派な道路」、「政治家が票が欲しくてひいた道」、「土建屋の談合道路」などとあげつらったことがありました。

道路がなくなれば廃村になります。 

廃村にしてしまって都市のアパートで暮らせばいい、などと言ったパカがいましたが、東日本大震災の後に亡くなった人々は、村を離れて都会のマンションや避難所に住まざるを得なかった年配者の方々でした。

仮に、ご老人ばかりであったとしても、人が住む限り、道をつけ、電線を敷いて、それを維持し続けねばなりません。

「儲かる」と「必要」は別なのです。 

Zu_02_01(写真 離島への海底ケーブル敷設作業。中部電力)

その道がなくなれば生活や生産ができないからあるのであって、それを「効率」という一本の尺度でズバズバ切った結果が、今の地方の衰退です。 

道路という公共インフラは、「儲かるから作る」のではなく、「必要だから作る」のです。 

ところが自民党構造改革派が始めた「無駄の削減」は、民主党という都市型政党で完成され、当時建設大臣だった前原氏などは、「公共事業を36%も自民党時代から削減した」と得意満面で言う始末です。 

公共道路は儲からないからこそ、国や地方自治体が税金で作っているので、これを「民営化」などしたら、元来儲からないのですからたちどころに米国のように継続的な投資がなくなって、メンテナンスから削られていき 笹子トンネル崩落事故のような事故が頻発します。 

このように根幹的ユニーバーサル・サービスのひとつである電力は、「地域を問わず普遍的に提供する」ことが大前提なのにもかかわらず、人口が多く、収益性が高く見込まれる都市部、地方では県庁所在地のみに参入希望が集中し、山間地が切り捨てられていくことでしょう。 

下の写真は、関西地方の送電線補修の様子ですが、もし発送電分離した場合、平地が少ないわが国でこのような送電インフラの維持を継続的に実行できるのでしょうか。

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 (写真 関西電力HPより) 

そもそも送電部門は不人気な部門なので、新規参入は限られたものに終わり、既存電力会社の送電部門がそのまま別会社として残ると思われます。 

構造改革派は勘違いしているようですが、電力事業は発電-送電-小売りがワンセットになって、そこで利益をプールできるから収益を上げられるのであって、ひとつひとつに分解してしまえば儲かる部門と儲からない部門の差が歴然としてしまいます。 

電力会社は儲かる発電-小売り2部門の利益を、送電部門に注入してバランスをとっていることを忘れてはなりません。 

それが故に、総括原価方式というコストの積み上げ方式が認められているのです。 

飯田哲也氏が言うように、総括原価方式は単に原発で儲けるためだけにあるのではないのです。あの人はどうも原発からしか電力を見ないから困ります。 

Gyoumu_07(写真 送電線の保守風景。このような作業員は育成も維持するのも非常に難しい)

多少儲かると思われる送電-小売り部門ですら、ユニバーサル・サービスを請け負っているために停電という事態を避けねばならないにも関わらず、見たところ新規に参入した再生可能エネルギー発電事業者にその意識は皆無だと思われます。 

彼らは作ったら作った分だけいい値で売れることに魅力を感じているから参入したのであって、旧来の電力会社にあった電事法の送電「義務」を意識することはないようです。

先日の種子島のような太陽光発電の接続停止措置について、マスコミは電力会社の再エネ圧力のように書き立てていますが、あれは接続すると過剰な電力が送電網に流れて、停電してしまうから切ったにすぎません。 

このように、ユニバーサル・サービスを担う気概もなく、ただ濡れ手に粟で参入したような彼らの一部は、自由化「先進国」では、「クリーム・スキミング」とか「チェリー・ピッキング」とかいわれて、「いいとこ取り」を図る行為として社会的に糾弾されています。

ケーキのクリームだけ舐める奴、トピングのチェリーだけすぐに食べる奴という意味ですね。私、あの白いワンコのCMの会社の社長を、思い出しちゃいました(笑)。

今や、電力自由化が郵政民営化、道路公団に続く、構造改革派による三度目のユニバーサル・サービスの破壊になろうとしています。

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コメント

「鹿しか~以下、あの頃は全く鵜呑みにしていました。
情報リテラシーが無いというのは恐ろしいことですね。

今でも上司は騙され続けています・・・

投稿: プー | 2015年5月14日 (木) 08時43分

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