土曜雑感 沖縄県民にとってのありがた迷惑とは
私は今年の3月11日、大震災4周年の日に、こう書きました。少し引用します。
※http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-e981.html
「語弊を承知したうえであえてこう言います。
<福島を忘れて下さい>
福島を変な象徴に祭り上げないでください。福島にカッコを付けたり、片仮名でフクシマと言わないで下さい。
福島をひとり歩きさせて、おかしな同情をしないで下さい。
それは今、普通の歩みを始めている福島の人間にとって、逆に重荷であって、むしろ迷惑だからです。
福島の農業を支援したいと思う方々は、間違いなく善意で、心優しい人たちです。しかし、実際の福島の農業を見ないで、その人の頭の中にある観念の中の「フクシマ」で見てはいませんか。
それは時に、現実を生きる人を傷つけているかも知れないのです。その観念は多くの場合、現実とズレています。その人達にとって4年前の時間で止まってしまっていることが多いからです。(略)
福島の人々が新しい現実と戦っている今、いつまでも2011年3月11日から前に進まないのは一体誰なのでしょうか。
いい意味で「福島」を忘れましょう。心の中でゆっくりとフェードさせていって下さい。それが福島と共に歩むことなのです」
さて、私は沖縄についても同じことを言わねばなりません。
本土の知識人と言われる人たちは、この島に過剰な贖罪意識を抱いてきました。「鉄の嵐にうたれ、基地の重圧に喘ぐ島」という、強烈にネガティブなイメージはむしろ本土の知識人が作り上げたものです。
名指ししておきます。大江健三郎、筑紫哲也、そして今でも現役で発言し続けている金平茂紀などのような人たちです。
その他、本土には掃いて捨てるほど無数のフォロワーズがいます。
(写真 ニュース23当時の筑紫氏と金平氏。実質、耄碌して、口がまわらなくなった筑紫氏に代わって、この番組は金平氏が作っていた)
金平氏はこう書きます。
「『戦後』もそのための尺度の一つだ。それはまたあの戦争を忘れないための知恵でもある。だが今、この「戦後」という尺度が無効になりつつあるのではないか。いや、正確に言えば、無効にされつつあるのではないか。「戦後」ではなく、むしろ「戦前」という尺度の方がより具体的に自分の位置がわかるのではないか。それほど日本では、いま戦争に向けた準備が強引に進んでいるように思う」
※金平のワジワジ通信 http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=257
私はこのような文章が大嫌いです。自らの「善意」を信じて疑わず、自分の脳味噌の中の「オキナワ」だけが唯一無二の真実だと思っているからです。
臭くて鼻が曲がりそうです。ワジワジはイライラくらいの意味ですが、ワジワジするのはこちらのほうです
このような人にとって、それはもはや一個の信仰のようになっていて、異論の存在を許しません。
彼らはメディアを握っているだけに、テレビカメラの前で、沖縄のこととなると、「痛み」であり「苦しみ」でしかなく、それ以外の言葉で語ってはならないと、深刻な顔で訓戒を垂れます。
実際に、このような「善意の言葉」は、島で生きる人たちにとってただのありがた迷惑です。
(写真 金平氏のワジワジ通信は沖タイでも読める。沖タイ本社から中継したこともある。佐藤優氏もよく顔を出す。佐藤氏は、本土ではこわもての自称「国益主義者」だが、島に来ると豹変してただの左翼になる)
沖縄での典型的な「ありがた迷惑」を、思いつくままに上げてみましょう。
①沖縄に来て、頼まれもしないのに、まっしぐらにキャンプ・シュアブのゲート前に駆けつけて、「平和運動」の人たちと「交流」したがる。
②「座り込みテント」で、「沖縄は今までいかに米軍の被害にあってきたのか」を聞いて、沖縄県民はいかに怯え苦しんでいる、という確信を勝手に抱く。
(写真 沖縄で騒ぎがあると、救急車のように直ちに駆けつける金平氏。なぜかいつも沖タイか琉新の記者が一緒だ)
③『鉄の暴風』を抱いて、読谷のガマ(洞窟)に行き、沖縄県民を犠牲者として憐れみの眼で眺める。
④嘉手納の安保の丘に行き、「今でも沖縄はこのような米軍支配下にある」と演説を始める。
(写真 嘉手納安保の丘。かつてはサンパウロ・ブラジル公園と言っていた。「爆音の缶詰」などを買える。反安保の聖地となって、本土の労組などの参拝客が絶えない。金落していけよ)
⑤普天間の嘉数台地に登り、オスプレイに憎しみの視線を送りながら、足の下に未だに無数の日本軍将兵の遺骨が眠ることを忘れて、「日本は沖縄を捨て石にしたのだ」と説教を垂れる。
⑥勝手にヒロシマ、ナガサキ、オキナワと並列してしまい、なぜかその怒りを自分の国の向けてしまって、「許して下さい」と懺悔を始める。
⑦聞きかじった沖縄戦の知識で、沖縄戦において「日本軍は住民に自決強要したり、虐殺ばかりしていた」と言い、頼まれもしないのに県民に深刻な顔で謝罪する。
⑧観光客を見ると、「慰霊の島」でチャラチャラしやがってと毒づき、真の「癒し」を求めてやんばるの森で瞑想し、ブナガヤの祟りでハブに噛まれる。
⑨本土に帰ると、身内を集め、「沖縄はこうなんです。沖縄県民は皆、苦しんでいます。皆さん、泣いて下さい。怒って下さい。この怒りをアベにぶつけましょう」と演説を始める。
(写真 普天間野嵩ゲート前。早朝からマイクでガナる。オスプレイよりはるかにうるさい。有名な反戦作家・目取真俊氏のブログより引用しました。ありがとうございます)
⑩これが嵩じると、頼まれもしないのに、反戦・平和の神聖な聖域である沖縄に定年移住し、毎朝、普天間野嵩ゲート前で米兵に罵詈雑言を浴びせ、これこそが「平和運動」なんだ」と悦に入る。
このような人たちに治療薬はありません。強いて言ってやれば、普通の暮らしをしている沖縄の市井の人たちの迷惑になることをするな、というだけです。
自分の左翼思想の表明のために、沖縄をダシに使っているだけにすぎません。
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サヨクの方達は天然です。彼等の多くは、本当に正義
の為に我が身を投げ打っている、と確信しているよう
です。いわゆる先天性の重いビョーキです。お金の追
求だけなら、まだ救いがあるのですが、そうでも無い
みたいです・・
管理人さんの記事を読ませたとしても、多分治癒され
ないと思われます。それどころか、絶好の親のカタキ
が現れた!として、さらにトチ狂って喜ぶでしょう。
ビョーキですから。
政治の話としてより、病理学的話としてのサヨク脳の
研究が待たれます。私の頼みにしていた香川リカ女史
も、ダークサイドに落ちて逝かれましたので、今では
まったく期待が持てなくなりましたわ。
投稿: アホンダラ | 2015年5月30日 (土) 17時11分
本土に住む沖縄県人です。沖縄の本質をズバリ突いた鋭いご指摘にあらためて感銘を受けました。テレビの報道番組でよく見るキャスターとかコメンテーター、あるいは政治評論家と称する人たちに比べ、沖縄の真実をよくご理解しているものと受け止めます。
沖縄に対する過剰な贖罪意識、ネガティブなイメージは本土の知識人が作り上げた。観念の中の「オキナワ」で見て思考が停止している。まさにその通りだと思います。
本土の皆さん、沖縄に関する情報が本当に真実なのか?よく調べて頂きたい。
残念ながらほとんどのヤマトンチュー(本土の人)がバイアスのかかったマスコミ報道によっていつのまにか自身の中に形成された沖縄のイメージ(観念の中のオキナワ)を眺め、そこで停止してしまっている状態に早く気付いてください。
それは沖縄発の報道(琉球新報・沖縄タイムス)が左翼一括りで一方的に報道されてしまっているところに問題があります。現実とはかなりギャップがあります。朝日、毎日など大手メディアの報道を見ていては沖縄の真実は解りません。ネット上には沖縄の真実が数多くアップされています。勿論当ブログも大変クオリティが高いです。
本来、沖縄県民は自分たちは日本人だと思っています。しかも本土の人を同胞だと思っています。これは事実ですよ。(左巻きは除いて)
翁長知事は「沖縄はあえぎ苦しんでいる」と言って被害者を演じていますが、一体そうなんでしょうか?これはあの沖縄タイムスの県民アンケート調査です。「復帰して良かった」と答えた人は86%と世代を超えて肯定的に捉えています。また県民の72%が「現在の暮らしや生活に満足」と答えています。(これは沖縄タイムスの調査なので実際はもっと数値は高いと思われます)
本土の皆さんが、沖縄が可哀想と思う必要は一切ありません。沖縄が可哀想という空気を作っているのは地元メディアと本土大手メディアです。彼らはつねに報道しない自由を貫き沖縄の真実を捻じ曲げて報道しています。
戦争で犠牲になったのは何も沖縄だけではありません。広島も長崎も、B29の焼夷弾攻撃があった東京や大阪、日本の各地で大規模な空襲があり大きな人的被害を受けました。そろそろ目覚めましょう。
投稿: haramita | 2015年5月30日 (土) 21時37分