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2015年5月12日 (火)

原子力行政には大いに問題があったが

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世間で、3年一昔といいますが、そのくらいの時間がたてば頭か冷えるということです。次は10年、もっといけば30年、そして100年一区切りとなります。 

東日本大震災と福島事故という、100年に1度という出来事が同時に起きて、さすがの日本人も頭に血が登りました。 

極端な議論が横行し、極論がはびこりました。それも3年たてば、少しは冷静にならねばなりません。 

しかし、当時作られてしまったまま制度改革として定着してしまったのが、この電力改革でした。 

実はこの電力改革は、おそらくこの「平成の大火」の時でなければ、日の目を見るはずがない極論でした。 

なぜなら、そもそも電力自由化とこの福島事故は、本来なんの関係もないことだからです。 

もし、電力の垂直統合が福島事故と関係あるのなら、女川原発も東北電力という「幕藩体制」下で運用されていましたが、事故を免れています。

福島第2などは東電が作ったものですが、福島第1と同じ津波をかぶったにもかかわらず、無事でした。

このように事故原因を、電力構造の垂直統合に求めるのは、そうとうに無理な極論にすぎません。

Ref_l (写真 東電本店。これだけ国民に憎まれた会社も歴史上なかっただろう)

さて私は、こう言ったからとて、東電と政府・経済産業省との関係が問題がなかったなどと言う気は、まったくありません。むしろ逆です。 

事故後に明らかになったのは、度し難い東電と経産省の癒着ぶりでした。議論のバランスを取るために、このことについても触れておかねばなりません。 

経産省は外局として資源エネルギー庁を持ち、原子力を推進していました。 

一方、同じ外局に、原子力安全・保安院と原子力安全委員会というチェック機関も持っていました。 

まさに両手に花、一人二役です。

れらの本来まったく機能が違う機関は、政府から離して作らねばなりません。フランスや米国では厳然と、規制機関の独立性は担保されています。

日本でも、その後の改革で原子力規制委員会と規制庁は3条委員会(※)として、経産省から独立させています
※3条委員会 国家行政組織法第3条や内閣府設置法第 64条の規定に基づいて、府省の外局として置かれる、独立性の高い行政委員会のこと。

Ff80808130bc8f990130e33cdae10013(写真 経済産業省。事故の当事者のひとりだが、事故後には背景に隠れてしまった)

つてのような規制機関の独立性が確保されていない場合、官僚を支配する人事権によって、結局は経産省の意向に左右されてしまうからです。 

そして、この経産省の天下りをおおっぴらに受け入れてきたのが、東電などの電力会社でした。 

つまり原子力推進する側と規制する側、そして規制される側が三位一体に癒着してしまって、利害関係を共有してしまっています。 

経産省の原子力行政が推進の立場を取るのは、その性格から言っても特に不思議ではないでしょう。

しかし問題は、それを規制する機関が、推進機関の下に入っており、しかも規制する電力会社に天下ってしまう慣習が半ば公然と行なわれる体質があったのですから、まともな原子力行政が出来る道理がありません。

このしわ寄せを最も受けたのは、誰あろう、福島第1の現場で戦っていた吉田所長以下の東電職員たちでした。

最も情報が集中されるべき官邸には情報が到達せず、判断は原子炉の構造すら満足に知らない首相の手に委ねられました。

そして、勘違いやコミュニケーションの齟齬から、感情的判断が生れ、いっそう状況を悪くしていきました。

2(写真 事故直後の福島第1。ここに残ること自体、言葉の遊びではなく「決死隊」だった。事故に明暗があるなら、彼らはまさに明であり、希望だった。彼らを支えられなかった東電本社は、恥じるべきである)

本来ここで最も強い支援をうけるべき福島第1の事故現場を孤立させてしまいました。これは、単に菅首相の人格の問題として片づけられない、重大な失敗です。

先日見てきた事故初動における、海水注入停止命令事件や首相の視察、あるいは事故指揮の失敗を、菅氏の指揮官に不適格な人格だけで判断すると、わからなくなります。

なぜ、菅氏の独善と独断が罷り通ってしまったのか、なぜ専門的知見を持つ専門委員で作られているはずの安全委員会がまったく機能しなかったのか、その理由はこの三位一体の癒着構造が根底にあったからです。

本来、官邸事故対策本部の全権を、官邸の危機管理監と共にとってよかっはずの斑目安全委員長は、頭を抱えてうずくまる首相の下僕になり下がっていました。

また官邸に、事故現場の情報と考えを伝達すべき東電・武黒フェローもまた、ただの茶坊主と化して、正しい対処をしていた吉田所長を妨害する始末です。

まだ事故対応が進行していた4月10日にテレビのインタビューに登場した元委員長の松浦氏は、「安全には費用がかかる」と言って、責任を回避しようとしました。

そんな安全コストのことを事故直後に言って恥じない精神構造、そして事故直後に規制する立場の元責任者が電力会社の懐の心配をする体質には、唖然とさせられます。

これらは、安全委員会がただの官僚と電力会社の下請けでしかない、役立たずの機関であることを分からせてくれました。

もちろん問題はこれだけに止まらず、後に、事故後補償を巡る東電の資産や、支援のあり方を巡って不明朗と言われても仕方がない点が、多数露呈されていきます。

このような原子力行政と規制のあり方、そして電力会社との癒着については、当然のこととしてメスが入るべきでしょう。

私は、東電を擁護する気はありません。むしろ今もなお、東電に関しては、強い不信感と批判を留保しています。

しかしだからといって東電がすべての事故原因だった、彼らが悪者だからこうなったのだ、、という極端な議論には与しません。

それは、事実としても間違っているだけではなく、これから将来の原発やエネルギー問題を考えていく上で、障害となるからです。

福島事故は、勧善懲悪で東電ひとりを罰して済むほど、単純でもなければ分かりやすい問題でもありません。

コメントに、「共産国家でもないJCO事故を起こした日本」という書き込みかありましたが、福島事故をJCO事故如きと比較すること自体が間違いです。

福島事故は、人災の側面を持った天災であり、関係者の人間としての資質が問われつつも、同時に構造的問題でもありました。

構造というのは、誰かが設計主義的に作り出したものではなく、長い時間をかけて作られたものが故に、多くの組織、企業、人が絡んで曼陀羅絵のようになっています。

それを東電悪玉論で裁いてしまっては、かえってその分かりやすさが故に本質を見誤ります。

東電は経産省の僕であると同時に、傲慢な「電力界の帝王」であり、そして世界で指折りの誠実な電力インフラの護持者でもあったのです。

東電解体十字軍を作って、東電を解体したところで、問題は解決しません。それは福島事故の解明を遅らせ、むしろ矮小化するものです。

そしてなにより、そのような勧善懲悪的心情を持つことは、エネルギー問題を考える上であまりにも危険です。

それを分かって頂いた上で、議論を進めたいと思います。 

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