« 翁長知事の危険な「二元外交」 | トップページ | 「沖縄だけ」が犠牲を引き受けているのか? »

翁長氏の歴史偽造 日本は沖縄を「切り捨て」てなどいない

011
翁長氏が、この5月20日に、わざわざ本土まで来て、外国特派員協会でなにを言うのかと思えば、こんなことを言っています。

例の「独立するのか」というマスコミの愚問に答えた形で、「独立は困難だが」とまんざらでもない様子で、含みを持たせながらの発言です。

「しかし、ご指摘のあったように、まさしく70年前に10万人も沖縄県民が亡くなる。戦後にはサンフランシスコ講和条約で、あれだけ日本に尽くした沖縄をさっさと切り離して独立してしまった。
残された沖縄は日本人でもない、アメリカ人でもない中で22年間、無国籍人で過ごしてまいった。そうしたことなどを考えると、今一度、万が一また、沖縄がまた切り離されるのではないか、10万人が亡くなるのではないかこういう恐怖心を持つのは沖縄の人間としては当たり前であります

http://www.sankei.com/politics/news/150520/plt1505200071-n1.html

まるで日本が積極的に自ら望んで沖縄県民を「捨てた」ような言い方です。

復帰から40年もたっているのに、まだこんなことを言っているのですか・・・。

視野を「本土と沖縄」にだけ狭めてしまって、置かれた国際的環境も見ないために、沖縄ひとりだけが被害者であるかのようなことを言いたがる悪い癖です。

「沖縄を切り捨てた」から始まり、「米軍基地があるのは沖縄だけ」「安保を一身に支えているのも沖縄だけ」、という言葉をたびたび投げつけます。

それを言うと本土人が何も言い返せなくなると思っているらしく、決めゼリフのように感情的にぶつけてきます。

私も経験がありますが、初めてそれに遭遇した私は、父祖が鹿児島人だったことまで言い募られて批判された記憶があります。

私たち本土人は、沖縄県民を同胞だと思い、それが故に、当時は力が及ばず苦しい思いをさせた、すまなかった、できる限りのことをして報いたい、と心から思っているのに、さらにおっかぶせるように、たびたびそう言われてきました。 

しかも、沖教組の「平和教育」の産物なのでしょうか、米軍統治時代はおろか、復帰運動すら知る由もない若い世代から、同じ口調で歴史的怨念を言われると複雑な心境になります。

こうも度重なると、正直、隣国のそれを思い起こさせて憂鬱な気分にさせられます。 私は謝罪疲れしました。

では、ほんとうにそれが絶対的真実なのかどうか、検証してみましょう。 

1947年6月、マッカーサーは「沖縄人は日本人ではない」と 発言しました。 

この時点において、米国は、沖縄線における7万5千人もの米国人の血であがなった沖縄を返還する気は、まったくありませんでした。 

米国に限らず、国というものは、多くの自国民の犠牲で勝ち取った占領地に対して、異常とも思える執着をするものです。

それはロシアの北方4島についての、あの執着ぶりをみればわかるはずです。

戦争とは関係のないドサクサで奪ったにすぎない、竹島に対する韓国の、議論ひとつ許さない異常極まる対応を見ても、納得がいくかと思います。 

わが国ですら、満州事変などという横紙破りを演じたのは、そこが日露戦争の多大な犠牲の上で権益を獲得した土地であったからです。 

7marinelandingfig15

さて、米国は沖縄を、第2次大戦中最大の激戦地と認識しています。 

だからこそ、米海軍の艦艇には「オキナワ(CVE-127 )の名を与え、駐屯地にも同じく、キャンプ・ハンセンは、戦死したデール・ハンセン海兵隊二等兵にちなみ、同じくキャンプ・シュアブにはアルバート・シュアブ海兵隊一等兵の名誉を讃えて命名されています。 

このように、米国の沖縄に対する感情は、私たちの想像を越えて深いものがあって、終戦直後の時点においては、問答無用で本土と沖縄を切り離して永久支配する予定でした。 

同じく激戦地で日本から奪った、グアム・サイパンのような戦後の統治形態を永続的にするつもりだったのです
※グアムは米国領て、日本が軍事占領していた。サイパンは信託統治領。

同時に、冷戦下における軍事緊張の中で、朝鮮半島、中国大陸、東アジアの中心に位置する沖縄の、地政学的な重要性も考慮されたのは当然のことです。 

世界的な常識から見て、このような軍事的要衝地を多くの犠牲を払って占領した場合、元の帰属国へ復帰することは限りなく難しいと言えます。 

当時のわが国もまた、憲法すら押しつけられてしまうような丸裸の敗戦国でしかなく、自身もGHQの軍政下にありました。

このような国が、1952年にかろうじて自らが「独立」できたとはいえ、すべてを奪い返す力などどこにもないのはわかりきったことです。

ましてや、当時は朝鮮戦争有事でした。米国を中心とする国連軍は、朝鮮半島で北朝鮮と中国の連合軍との熾烈な戦いを演じており、沖縄はその重要な出撃基地でした。

このような条件下で、米国が沖縄を手放すわけがありません。

切り離された恨みは理解できますが、当時の人たちの眼差しに戻って、腰を落して見るべきなのです。

沖縄が、米軍と高等弁務官を頂く統治組織によって、完全な実効支配がされている以上、グアム、あるいはサイパンのように米国の準州になることはあっても、再び日本領に復帰することは、限りなく不可能に見えたでしょう。

だから、日本政府は涙を呑んで後日の交渉に委ねたのです。何も好き好んで売り飛ばしたわけでは断じてありません。

それ故、私たちの先人たちはあきらめなかったし、また何よりも沖縄県民もまたあきらめませんでした。

県民の、長く地道で、涙ぐましい復帰運動がなければ、米軍政の現状は今もなお続いていたはずです。

そして、今も沖縄は英語を公用語とし、ドルを使うといういわば「半米国」であり続けたでしょう。

Bimage02
また仮に返還がありえたとしても、それは1997年の中国と英国との100年間の、租借期限切れによる返還くらいしか、世界には実例がないでしょう。

そのくらい、沖縄返還は世界外交史上のレアケースなのです。 

このような外国による軍事占領を伴う実効支配を打ち破るには、常識的には、領土奪還戦争を仕掛けるしかないというのが、世界外交の常識です。

しかし、沖縄はグアムにも、サイパンにも、そして香港にもなることなく、沖縄県として正々堂々と日本に復帰しました。
 

これは、翁長氏たちがどう思おうと、戦後外交の輝かしい奇跡と世界では呼ばれています。

佐藤栄作首相か「平和的手段による返還をなしえた」としてノーベル平和賞を与えられたのは当然のことです。

このような歴史を一切無視して、「オレたちは捨てられた。また捨てられると怯えている」と言うのは、事実誤認、いや歴史の偽造です。

Sokokuhukkiyoukyuudaikousinn
沖縄が祖国に復帰した原動力は一に懸かって、県民の祖国愛でした。翁長氏も、その年齢から言って、かつての復帰運動末期を知り得ているはずです。

その時日の丸は、沖縄県民が右も左もなく頭上高く掲げる、軍政に対する抵抗のシンボルでした。

それが故に、本土人にとっても復帰の日、「お帰りなさい。ほんとうにご苦労様でした。もうあのような思いは二度とさせません」と涙ながらに迎えたのです。

このすまなかったという気持ちは、沖縄に投じられた累積10兆円にものぼる振興予算に現れています。

あれは、私たち本土人の税金、言い換えれば私たちの「気持ち」なのです。それを忘れないで欲しいのです。

百歩譲って、仮に日本が沖縄を「捨てた」としても、母国に復帰しえたのは、県民の皆さんひとりひとりの熱い祖国愛があったが故です。

それが米国を驚嘆させ、動かしたのです。グアム・サイパンになく、沖縄にあったのは、帰るべき祖国だったのです。

長くなりましたので、次回に続けます。

|

« 翁長知事の危険な「二元外交」 | トップページ | 「沖縄だけ」が犠牲を引き受けているのか? »

沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

歴史って大事ですね。
知らないでいると、翁長氏の真実と嘘を巧妙に混ぜた発言を真に受けてしまいます。

あの時の本土復帰の立役者達は、今の事態をどう思うのでしょうね。

投稿: プー | 2015年5月28日 (木) 08時49分

ブナガヤさん初めまして。
初コメントいたします。

三年くらい前からblogを拝見するようになりました。
真摯で読みやすく、また熱のこもったボリュームある内容と、草花や自然の写真を見るに付け、日本は本当に「美まし国」だと改めて気付かされます。

祖国復帰運動に関する記事を見て、今は亡き祖父を思い出し、コメントすることにいたしました。
祖父は昭和3年の生まれ。
陸士官学校を目指し、勉学に励んでいたそうです(私が大分大きくなってから聞いた話ですが)。

終戦を迎え、働くうちに祖国復帰運動に身を投じます。
孫の私たちが幼いころからずっと聞かされていた言葉があります。

「祖国、日本へ帰りたい」

復帰運動の思い出話をする時に必ず口をついて出るこの台詞。
復帰運動の当初には左右共闘で「日本復帰」の御旗の元に、多くの県民がその運動を後押ししたと聞いています。
現に、今では沖縄革新政党の代表格、沖縄社会大衆党(社大党)は後に知事となる西銘順治や琉球民主党(自民党に合流)を創設した比嘉秀平等も一時在籍していました。

しかし、県民最大の悲願は「祖国復帰」であったことは疑う余地はありません。(それを選挙対策の謳い文句にしていた輩もいたでしょうが)

その祖父等の情熱と行動が、後の復帰への原動力となったと私は固く固く信じています。

昨今の沖縄県の現状を見るに付け、「どうしてこうなった」と悲しい気持ちにならずにはいられません。
二大県紙の紙上で「琉球独立学会」なる団体のシンポジウム案内記事を見たときには卒倒しそうになりましたし、沖縄は(暗にですが)「植民地と言えよう」との社説を見たときには瞬時に怒りが爆発しました。
特にこの社説には怒り心頭で我慢なりません。祖父等、我々の先輩方の努力を全て否定し、県民を侮辱し、なおかつ本邦と沖縄を分かつ悪質な煽動記事に心底憎悪を覚えました。

これらの煽動報道を見て益々燃え上がる一部過激な行動を含む反基地運動や、それらを通して醜悪なプロパガンダパフォーマンスに終始する革新政治家、そして県紙が「敵」と認定した政治家に対する執拗なほどの嫌がらせ報道。

ブナガヤさんのblogにもありましたが、内地の一部に「嫌沖感情」が沸いてくるのは仕方ないかもしれません。しかし、ブナガヤさんは沖縄本島にお住まいだったのでお分かりになってるとは思いますが、現実的には報道ほど反基地の声は喧しくありません。
正直、あの人たちを「白い目」で見る県民はかなり多くいます。じゃあ知事選・国政選挙結果は何なんだ、ということになりますが、あの連日の煽動報道と翁長雄志は元々保守系だから政府と上手くやるだろうと勘違いして「魔がさした」のかもしれません。
いずれにせよあの選挙結果には「民主党政権誕生」並みの破壊力がありました。
知事選後、辺野古にまつわる反基地運動報道を見ると、何れも唾棄するような恥ずべき行動ばかり。
報道は以前にも増して最悪です。

沖縄の海と空をこれ以上赤く染めるわけにはいきません。必ずやリベンジをします。
祖父の愛したこの青い空と海をもう一度取り戻すためにも。

投稿: 国境離島 | 2015年5月28日 (木) 09時33分

復帰当時 小学生でしたが、先生達が日の丸反対に変わった事、沖縄に配備された自衛隊の成人式典 反対デモに疑問を持ったのを覚えています。私自身 復帰前から日本人として生きて来たし、琉球国独立なんてありえ無い。
保守派を自認する翁長知事は、これからの地方選で 共産党、社大党及び、革新の応援をし 保守首長をつぶして行くつもりなのでしょうか 沖縄の未来は明るく無い。

投稿: 宜野湾市民 | 2015年5月28日 (木) 09時34分

プーさんのおっしゃるように、嘘と本当を巧妙に混ぜ合わせたミスリードが、最もタチが悪いです。
某隣国のように嘘を嘘で塗りかためてガナリ立てて騒ぐような連中のほうが、よほど御し易く、また冷笑ですみます。

脱線しました。
脱線ついでに。福島から仙台に高速で通勤してる人が、震災後やたらとタイヤバーストで事故ってる車が目立つとのツイートがありました。放射能の影響でゴムが劣化したせいなんだそうです(笑)じゃ、何でお前は無事なのかと…。
オスプレイ低周波危険説同様に、とんでもないデンパは分かりやすいですね。

投稿: 山形 | 2015年5月28日 (木) 09時59分

今日のブログを読みながら涙ぐみました。
本土の皆さん、ありがとうございます。
祖国復帰に頑張ってくれた沖縄の先輩方、ありがとうございます。

投稿: ミィ | 2015年5月28日 (木) 11時38分

今日も勉強になりました、知らないことだらけです。

私は少なからず沖縄に嫌悪しています、こちらに来てからは考え方が変わり始めてきました。

翁長知事や反対派などの言葉を聞くたび、報道を見るたびに沖縄嫌民が増えます。
民意、オール沖縄、基地反対、彼らと違う沖縄の地元の声を聞く機会がないのも原因なのでしょう。
偏向報道の恐ろしさ?

日本人同士が対立するのは危険なことですが中国の思惑通りに動かされているような気がしてならないです。

投稿: 多摩っこ | 2015年5月28日 (木) 13時03分

あなたが歴史をどのように学び、考え、解釈したのか分かりません。しかし、歴史を語るなら、まず、多角的な分析を行ってから、解釈してほしいものです。円錐形も、上から見れば円ですが、横から見たら三角になります。見えているものだけが事実であるとは限りません。下に沖縄戦後の歴史の一部を添付します。“なぜ”沖縄が“切り捨てられた”と感じるのか、“なぜ“沖縄に基地があるのか、沖縄返還合意は何だったのか、考える一端になれば幸いですが。
沖縄返還
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E8%BF%94%E9%82%84
コザ暴動
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B6%E6%9A%B4%E5%8B%95
日本核持ち込み問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E6%A0%B8%E6%8C%81%E3%81%A1%E8%BE%BC%E3%81%BF%E5%95%8F%E9%A1%8C
辺野古、核貯蔵
http://sokan.hamazo.tv/e4269145.html

投稿: Stella | 2015年10月 6日 (火) 22時00分

Stellaさん。

あなたの歴史認識がどうか私も存じませんが、それこそ一方的な見解ではないでしょうか?

沖縄に入植した経験もあり、現状もよく知っておられる管理人さんにはwikiのようなソースを並べ立てても、それこそ釈迦に説法というものです。
様々な思想や心情があり、過去記事を読んでも管理人さんの葛藤が随所に滲み出ているのですが、Stellaさんのコメントの方が一知半解のように思います。
別に批判するつもりはありません。ちょっと違和感を持ったまでです。お気を悪くなさらないで下さいませ。

投稿: 山形 | 2015年10月 7日 (水) 09時18分

Stellaさん。この記事でお答えしました。
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/

投稿: 管理人 | 2015年10月 7日 (水) 17時38分

初めまして いつも拝見させていただいております。

管理人様に一つお尋ねしたいのですが、
基地反対派はよく、「昭和天皇が米軍に沖縄を売り渡した」みたいなことをよく言っているのですが、
この「天皇メッセージ」はやはり当時の状況から見るとそれ以外にこたえられなかったのかなと思うんですが、ご意見をお聞かせいただければ、幸いです。

投稿: umigarasu | 2015年11月27日 (金) 22時50分

やはり日本は沖縄を切り捨てて鎖国をして
再び戦国時代のような世界に戻るべきだと
思います

投稿: | 2017年2月26日 (日) 17時22分

マッカーサーはアメリカ国務省の反対を押し切って沖縄に米軍基地を置きました。それは将来台頭してくるであろう中国共産党を警戒してのことです。米軍を配置しなかった朝鮮半島では、中国の支援を受けた共産党勢力により朝鮮戦争が勃発しています。その意味でもマッカーサーの判断は正しかったと思います。
泣く泣く沖縄をアメリカ統治にしたとき、当時の日本政府はアメリカに下記事項を要求します。
1、沖縄は日本領土である。いつか返して貰う。
2、沖縄県民の生活の面倒を見ること。
この条件をアメリカに飲ませせています。アメリカも日本語教育、琉球大学の創立、軍施設での雇用(食べるものも無い時代沖縄中から軍の作業を求めて人々が殺到したそうです。)、マラリアの撲滅、優秀な人材のアメリカの大学への留学など精一杯沖縄県民の面倒を見ています。つまり主権は日本国のまま一時的にアメリカに預けると言うことです。
よく復帰前に日本本土に就職した人たちが言うパスポート。あれはパスポートではありません。身分証明書です。日本人が日本国に来るのに何でパスポートがいりますか。その証拠にパスポートには日本国への帰国を許可するとスタンプされたそうです。当時の税関の人達もお帰りなさいと声をかけたそうです。
その日本の政治家の思いは佐藤栄作元総理を初めとする「沖縄の復帰なくして日本の戦後は無い」。「沖縄の苦労に報いるなら何でもやれ」との日本の政治家の発言に繋がっていきます。

umigarasu 様

日本と沖縄を切り離したのは天皇陛下ではありません。
マッカーサーです。

投稿: karakuchi | 2017年2月26日 (日) 21時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 翁長知事の危険な「二元外交」 | トップページ | 「沖縄だけ」が犠牲を引き受けているのか? »