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2015年6月25日 (木)

「吉田ドクトリン」という知恵

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「別に護憲派」さん、あなたは真面目に自分の国の行く末を考えていませんね。居酒屋の政治談義レベルです。 

ロジックで筋道を立てて考えるのではなく、「なろー」と吠えている「気分」だけなのです。酔っぱらうと、よくそうなります。 

「気分」だけですから、ひとつのことを片面からしか見られません。

この人物はこう言っています。 

「日本の弱体化を狙ったGHQの憲法と言われるが、朝鮮戦争、東西冷戦で日本は血を流さず経済発展に専念できたのも、その憲法のおかげ。日本国民は、この押し付けられた憲法が実は都合が良い事に気が付いたのです。
この憲法は長年の積み重ねで日本人に合った運用がされてきた。現在、アメリカの圧力でポチ同然の対米従属日本政府の集団的自衛権が認められれば自衛隊は、アメリカの為に動く事になるのが目に見えている。
その歯止めとなっているのが、現在の憲法は日本人にとって、こんな都合の良い憲法はない憲法を無視した無法者の安部政権が支持率を落としている。 これが、日本国民の答えですよ」
(※詰めて、句読点をおぎないました)

 この論理は、右に極端な人も、左に極端な人からも愛されている定番的論理ですが、検証すべきことを含んでいるので、この人の言説にこだわらずに考えていきましょう。 

右にいけば、「自主防衛の増強」、左にふれれば「対米従属路線反対」で、結局のところ結論は、同じ「安保廃棄」です。 

私はこのような流れを、ひとつの根から出た、左右のナショナリズムの発露と呼んでいます。 

現実性がほとんどないために、幸いにも、ただの「気分」に終わっています。 

それは、この人か言うように、「経済発展に専念できたのは憲法のおかげ」は半分事実ですが、その「平和憲法」を支えていたのが、実は日米安保条約だという歴史的事実を忘れているからです。

れは表裏の関係で、両者を作ったのが、吉田茂です。 

左に極端な人たちは安保条約をまったく無視し、右に極端な人たちは戦後憲法がどうして生れたのか、考えません。

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吉田が作った<吉田ドクトリン>は、長きに渡って日本の外交路線そのものでした。

ドクトリンとは「基本路線」という意味ですが、煎じ詰めると、吉田ドクトリンとは、「軽武装・経済重視」のことだとされています。 

どうしてこの吉田ドクトリンというものが出来たのかを、考えてみましょう。当時は、日本は敗戦による疲弊の極にありました。日本という国がまた復興できるかさえ怪しかったのです。 

喰うのにやっと、軍隊などというのは、まだ贅沢品に見えた時代です。そのような時代を背景にして、戦後初めての総選挙が開かれました。 

ここで優勢だったのは自由党の鳩山一郎でした。民主党のハト元首相のジィ様です。このハトジジは、独自の再軍備をすべきだと思っていました。 

ハトジジが政権をとれば、当然のこととして吉田ドクトリンはできず、日本は第9条抜きの憲法によって、早期に再軍備したと思われます。 

しかし、これがGHQの逆鱗に触れてハトジジは、公職追放の憂き目に合います。代わって、政権を獲ったのが、吉田茂です。吉田は、ご存じのように麻生氏のジィ様です。 

この吉田はジィ様が捕物帳、孫がマンガというくだけたものか好きという以外、あまり似ていません。口を曲げる仕種が似ているか。 

それはさておき、吉田は、戦中は親米派というので東條から憲兵を使って監視されていたような人物ですから、GHQの意図を正確に読んでいました。 

ですから、GHQの意図どおり、「平和憲法」を定め、再軍備をしませんでした。 

ところが朝鮮戦争が始まると、なんと、9条を押しつけて日本を丸腰にしようとした米国の方から、「ちゃんとした軍隊を持ったほうがいい」と言い出しました。 

それは、朝鮮戦争で日本を「実効支配」していた在日米軍(当時は「進駐軍」と呼んでいました)が出払ってしまって、後方基地のある日本がガラ開きになってしまったからです。

だから、再軍備しろ、というわけです。おいおいな、ご都合主義です。 

それを拒否したのが吉田でした。ここで吉田の頑強な反対がなければ、「新日本軍」が出来ていたでしょう。 

というのは、当時、吉田のように考えるのは意外なことに、少数派だったからです。伝統的な保守派はいうまでもなく、なんと左派の社会党すらも再軍備を主張していました。 

野党・社会党から、再軍備しないのは不平等条約を認めることだ、今風に言えば親米ポチだと言われた吉田は、こう言っています。 

「自らその愚を表白するものである。共同防衛の体制において、不平等などという観念の入り込む余地のないほど、共産攻勢は緊迫せる状態になっているのである。不平等条約論を事々しく論じたり、中立外交を唱えて得々たるものの如きは、井底の蛙鳴(あめい)、聞く度にあきれざるを得ない」(吉田茂『回想十年』)

すごいリアリズムですね。吉田が、再軍備拒否の理由に、「平和憲法があるから」「非武装中立」などといった俗流ファンタジーをまるっきり信じていないことに、ご注意下さい。 

吉田は「共産攻勢の緊迫せる情勢」では中立や、不平等なんて言ってられないんだ、と一喝しています。 

目の前に、北朝鮮軍と中国軍が百万人も攻めてきているのに、平等もクソもあるか、今は米国をリーダーにして戦うしかない、と言うわけです。 

実際、北朝鮮はソ連の後押しで、一時は釜山を包囲し、もうその先は玄界灘、さらにその先は北九州しか残されていないところまで、自由主義陣営は追い詰められていたのです。 

このヒリヒリするような危機感というのは、中国の膨張に緊迫する現在に通じるものがあります。

なにかというと、「対米従属」「親米ポチ」などとすぐに言いたがる、右左の人たちに聞かせたい台詞です。 

しかし、吉田は再軍備には頑として抵抗しました。 

Hattori写真 服部卓四郎。この軍人はノモンハン、ガダルカナルと日本軍の恥部のような作戦を強行し、多くの将兵を殺した。それを反省もせずに、戦後は一転して米軍に取り入り、旧軍復活を狙った。このような男が最高指揮官になって、「新日本軍」を作っていたらと思うとぞっとする)

その内部事情が、最近新資料から分かってきています。 

なんとマッカーサーは、あの1万5千人を餓死させたガダルカナルを指揮した、史上最低・最悪の愚将である服部卓四郎を参謀長にして、「新日本軍」を作る構想でいたのです。 

服部は敗戦後、G2のウィロビー機関の下に「服部機関」なるものを作り、再軍備の構想を練っていました。 

今になると信じられない気分になるでしょうが、当時、服部たち旧軍勢力は、強い社会的影響力をもっていました。 

服部たちは、1950年にGHQの暗黙の支援の下に、吉田を追い落とすクーデターを実行し、鳩山を担いで再軍備をする「旧軍再建計画」すら練っていたのです。
 http://ww1-danro.com/sinojapanesewar/1950coup.html

吉田の再軍備拒否は、単純な「軽武装・経済重視」ではなく、このような旧軍の亡霊たちにさっさと棺桶に入ってもらって、彼らの社会的影響力を抹殺することにありました。 

吉田が、いかに鋭い内外のせめぎ合いの状況に身を置いていたことがわかるでしょう。 

外には怒濤のように押し寄せる共産軍、内には旧軍の亡霊、しかも共産党ときたら、ソ連の指令の下で、忠実に後方攪乱のために破壊工作をしていました。

ちなみに共産党の言う「反戦平和闘争」というのは、1955年7月の六全協まで、暴力的破壊路線一色だったのです。

この中で吉田がとったのが、再軍備を拒否する代案としての日米安保条約です。 

日本は再軍備はしない、朝鮮に派兵もしない。かといってまったく協力しないわけではなく、米軍に協力して基地を提供する、という変則的軍事同盟でした。 

この日米安保条約の精神を謳う前文には、このような文言があります。
※http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku.html

「●日米安全保障条約前文
日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、
 また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、
並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、
両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。」(※
「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」 昭和三十五年1960年、六月二十三日、条約第六号ワシントンで署名。太字引用者

ここには、読み間違える余地なく国連憲章が定める個別的自衛権と集団的自衛権を基にして、安保条約を締結したのだ、と記してあります。 

そしてさらにその範囲まで定めています。これが6条、通称「極東条項」です。

 「●第六条
 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
 前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。」

ここには、明確に「極東」の安全保障のために条約があるのだ、と述べています。

「極東」の範囲をみます。まずは広義の「極東」です。

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(図 Wikipedia)

地理学的には「中国甘粛省四川省から極東ロシア朝鮮半島台湾日本にかけての地域を指す」(Wiki)とされています。

しかし、外務省は日米安保条約の「極東」は、「大体においてフィリピン以北、日本及びその周辺地域」としています。

まさに今、緊迫する南シナ海、東シナ海の周辺地域こそが、55年前に定めた日米安保の守備範囲なのです。

整理します。

●吉田ドクトリンとは
①吉田ドクトリンは、共産勢力の攻勢という時代背景から生れた。
②吉田は、憲法を作り、旧軍の復活を要求するGHQの要求を阻止した。
③①と②の妥協から生れたのが、日米安保条約である。
④日米安保条約は、前文に集団的自衛権を持つと謳っている。
⑤日米安保条約第6条は、その範囲として「極東」、すなわち韓国、台湾、フィリピンの有事を想定している。

このように、今更のような集団的自衛権が違憲だという議論自体、的外れのものです。そのようなものは、安保条約自体の締結時に既に「あるもの」として前提となっているのです。

そして、その中で「吉田ドクトリン」があったのであって、「軽武装・経済重視」は吉田の狡猾かつ、冷徹な妥協の産物だったのです。

だから、「平和憲法を守れ」と叫んで、「安保フンサイ」を叫ぶことは、そもそもまったくの自己矛盾なのです。

吉田にもうひとつ妥協の産物がありました。それが自衛隊です。それについては稿を改めます。

 

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コメント

国際法上、日本は、集団的自衛権を持っているが、日本の憲法上、集団的自衛権は行使できない。
それが、今まで積み上げた日本の憲法解釈である。
安保条約も同様、日本は、集団的自衛権を行使でないし、するつもりがない前提の条約という結論になる。
集団的自衛権は、残念ながら憲法上に根拠が存在しない、合憲とするのが無理。
憲法の性質上、政権が変わるたびに、これまで日本政府が積み上げた解釈を、180度変更するなど尋常ではありません。
安保法案を通したいなら、まずは憲法改正しかありません。
これは、国民の権利を守る為の必要な手続きです。

名無しさん。hnをお願いします。
合憲か、違憲かという法律論議には私は関心がありません。
合憲という学者もいれば、違憲という学者もいます。内閣法制局も、かつての長官たちは不満らしいですが、現在の長官は容認しています。
さて、どちらが正しいのでしょうか。これは、どちらが多いか多数決で決めることではありません。

現在、私が書いていることは、このような狭い意味での憲法論議ではありません。
憲法と安保のねじれを作り出した憲法9条の誕生の由来、そしてそれを作った吉田ドクトリンから考え始めていくことでした。
そしてこのようなねじれに対して、日本がどのように歴史的に対応してきたのかを知っていきたいと考えています。

おそらく、今回が最後のねじれの修復になるはずです。あとは、仰せのとおり改憲しかないでしょうが、現実には、時間を5~10年レンジで想定せねばならず、一回失敗したらもう二度目はありません。

中国がその間待ってくれるでしょうか?親切にもこちらの国内事情に合わせてくれるでしょうか?

自衛権に個別も集団もないと言うのが一般的国際常識だということを皆が理解することが大事だと思います。個別集団にこだわっているのは、日本人だけ。それで、何故個別は合憲で集団は違憲というロジックになるのか?よく分かりません。憲法解釈なんでしょうが、日本が持つ自衛権は、あくまで日本独自のものだから個別?ってことなんでしょうか?自衛権に個別も集団もないなら、その論理は、根底から破綻してる気がするんですが。今日の記事を読んで強く感じたことは、今そこにある危機に対していかにリアリズムを持って対処するかが大事だということです。お題目で平和が守れる時代じゃないのは皆感じているんじゃないでしょうか。

そもそも集団的自衛権の議論のスタート地点は「いかにして日本の平和を守るか」というところであったはずなのですが、「徴兵制」だの「戦争法案」だの「地球の裏側まで行って戦争する」だの、勝手に作り上げたイメージ、虚像に向かって攻撃を繰り返している人たち多数で、そういうのを見てると、この国は本当に議論をする土壌が出来てないのかなあと思って暗澹たる気持ちになります。
これは原発問題にしても特定秘密保護法案にしても沖縄問題にしても同じですね。

※今日のブログ記事、お恥ずかしながら知らないことばかりで勉強になりました。ありがとうございました。

憲法改正が党是である自民党、中でも安倍総理にとっては悲願でしょう。
しかし王道宜しく憲法改正という手順を踏んでいては恐ろしく時間が掛かる。
総理にとっては苦肉の策なのでしょうね。
時間が無いといっても、
米国との約束があるからなんていう薄っぺらい理由ではなく、
管理人さんが仰るとおり、膨張を続ける中国を睨んでのことでしょう。
一方的な防空識別圏の設置や、海自艦艇へのレーダー照射、
果ては南沙諸島での傍若無人な振る舞い。
このような動きを日々目の当たりにしながら、
未だに9条が日本の平和に貢献するなんてことを言う人がいる。
ほんと噴飯ものですよ。平和ぼけも甚だしい。
丸腰で平和が保たれるなら、警官に拳銃なんて持たせる必要はありません。

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