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2015年6月22日 (月)

皮肉でも反語でもなく、代案を出してください

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激励ありがとうございました。心から感謝します。

私ときたら、持って行きようがない怒りに、秘蔵の菊乃露古酒をガブガブ飲んでしまいました。ああ、もったいねぇ、祝いに飲もうと思ったのに(笑)。

先日のようなことが起きると、「正義」とは何だろうか、と思ってしまいます。

たぶんあの3ツもの変名を使ってきた「けんすけ」という人物は、自分が「正義」だと信じきっていたはずです。

自分は「正しい」から、どんな手段をとってもいいとばかりに、目的が手段を合理化しています。発想はテロリストと一緒です。 

前に一度紹介しましたが、このような「正義」に取り憑かれた人々を司馬遼太郎さんはこう評しています。

「朱子学がお得意とする大義名分論というのは、なにが正でなにが邪かということを論議することだが、こういう神学論争は年代を経てゆくと、正の幅がせまく鋭くなり、ついには針の先端の面積ほどにもなくなってしまう。その面積以外は邪なのである」(街道をゆく(28)耽羅紀行』)

この「けんすけ」という人物にとっては、「74%」か「22%」は、一般人にはどうでもいいことですが、幅が針の先端ほどの面積しかない正義の幅で、それ以外はすべて「邪」なのです。 

いささかの疑問も語ってはならないという考え方は、なにが正義で、なにが邪かを決するための一種の宗教である朱子学の根本思想である「名分論」と同類です。 

一般庶民はそんなことを考えていたら生活ができませんが、自分は高尚だと自認しているインテリのほうがその虜になりやすい病です。

先の大戦に突入する前夜にも、名分論が叫ばれました。 

中国戦線が泥沼化すると、「暴支膺懲」(「けしからん中国を懲らしめろ」の意味)という頭に血が昇ったスローガンが、叫ばれるようになります。 

このスローガンはやがて、「鬼畜米英」というさらに絶望的なものに置き換わって、わが国を破滅の淵に追い込んでいくことになります。

こういう言葉が氾濫するようになると、理性的解決はまず絶対に不可能になります。合理的なことを言おうものなら、「お前は敵に加担するのか」ということになるからです。 

頭に血が昇って視野狭窄になったわが国の政府は、中国と和平を結ぶ機会は2回あったのですが、自らことごとく潰し、米国との手打ちの機会すらドブに投げ捨ててしまいました。

その上、この手の言辞は自分が被害者だという思いが強いので、いっそう正義感が高揚するようで、まことに始末に悪いのです。

浅野内匠頭ではありませんが、当人は堪えに堪えた恨みを晴らしているという気になっていますから、「この間の遺恨覚えたるか」と叫ぶことになります。

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(写真 朝日新聞2012年5月10日。この芝居の主催者である比嘉陽花氏は、特に本土人が沖縄県民を「豚」呼ばわりする差別事件が起きたから「豚」だと言っているのではなく、沖縄県民が日常的に本土から基地を押しつけられて「豚」扱いされる被差別者だから「豚」なんだ、と言っている。ちなみに比嘉氏は大阪在住

これに似た台詞は、翁長氏や「沖縄差別」論者の口から何度も出ています。自分の「恨み」を絶対視するあまり、それをひたすら煮詰めています。

上の比嘉陽花氏は「嘉手納基地の横で育ち、母が通った小学校に戦闘機が落ちた」と嘆きますが、私もまた厚木基地の真横で育ち、民家に戦闘機が落ちて母子が亡くなったのを見ています。

しかし、あいにく私は、いままで自分が「豚が人間になれるわけはない。ほんとうは差別されているんだ」と思ったことなどただの一度もありません。

こういう被差別意識に支配されると名分論は感情論となり、怒りを炸裂させることになりますが、それは賢いことではありません。

普天間基地の危険な状況を除去するために、辺野古の海岸を埋めて「新基地」を作るということを政府がしています。 

この目的は、「新基地」を作ってさらに県民を困らせようという悪意があってやるのではなく、あくまでも普天間の危険の除去、負担軽減の一環でした。

ところが名分論に感染した人からみれば、米軍のいうがままになる本土政府の毒牙が迫っていると逆に解釈します。

確かに、辺野古の海岸線を埋め立てるのは上策ではありません。 

もっといい解決方法はあったと思います。具体的には、機会を改めて検証しますがキャンプ・ハンセンの兵舎の位置に滑走路を作るという陸上案です。

いわゆる「小川案」と呼ばれていますが、これらの選択肢は県内の事情で既に潰されてしまっています。  

ですから結局、選択肢はふたつしか残りませんでした。普天間固定化か、辺野古移設か、です。 

別に本土政府が辺野古を強引に「押しつけた」わけではなく、20幾つかの案をひとつひとつ検討したら、辺野古しか残らなかった、という消去法の話です。 

その検討プロセスには、17年間一貫して、沖縄県も参加しています。 辺野古で煮詰まってからは、名護市の細かい注文を聞いて修正を重ねています。 

ですから、矛盾していますが、基地負担を減らす為に、埋め立てるという消極的選択は、消極的なるが故に、もう他の選択肢は、存在しないのです。 

えてして原理主義的発想に立つ人は、この矛盾に耐えられません。「基地ノー」と命題をたててしまった地点で、思考停止モードに入ってしまうからです。  

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(写真 見るからに頭の固そうな稲嶺名護市長。自身は辺野古の隣村の出身なくせに、当選してから一度たりとも現地住民と対話をしていない。稲嶺氏にとって「現地」とは、外人部隊が漁協の反対を押し切って占拠しているテント村のことのようだ。政治闘争だけが命で行政手腕がゼロなために、稲嶺不況といわれるほど名護市経済は冷えきった。市長が政治活動家だと、地域はまちがいなく衰退してしまう)

上の写真で稲嶺名護市長が「陸上もダメ、海上もダメ」と言っていますが、ならばどのような解決方法があるのでしょうか。 

これは政治家の発言というより、運動家の発想です。 

この人たちは、その原理に純粋なためなのか、常に声を枯らして叫び、怒鳴り、警備の人たちと激突し、政府を悪しざまに罵っています。  

2015011103405988a(写真 キャンプシュアブ前のお決まりの激突風景。外人部隊の逮捕者が出た。ちなみにこの工事は移設とは関係なく、シュアブ駐車場工事を請け負った呉屋氏の金秀のものというおまけつき。呉屋氏は埋め立て反対といいながら、「基地強化」に手を貸していたわけだった。ほかの業者ならともかく呉屋氏がやるとシャレにならない。もうひとつおまけに、この工事は中止に追い込まれ、呉屋氏は莫大な違約金を得た。税金である)

そして、叫べば叫ぶほど、彼らの声は一般の国民には届かなくなってしまっています。  

そして、その国民一般から浮き上がった自分の姿を知ると、一段と大きな声で、私たちのような「愚かな大衆」を「推進派」と叱りつけ、あざ笑うので、さらに孤立は深まっていく一方になります。 

まるで自分だけが正義で、地球がいつも自分たちだけを中心に廻っていると勘違いしているために、司馬遼太郎さんふうにいえば、「針の先ほどの面積の正義」にのみ固執します。 

現実はこの人たちを置き去りにして、先に進んでいきます。17年間も宙ぶらりんで、国費だけで3000億円も使ってきたのですから、もう後はありません。 

私ら本土の納税者にとって、今まで3千億円、そして今後に3千億以上。

おまけに振興予算の上積みを要求されて、数千億。しめてなんと1兆円も投入して、なお「沖縄を差別している」とまで罵られるなら、「もう止めちゃいましょうや。バカバカしい」という声も上がります。 

本土の国民は、沖縄県民が反基地で燃えていると報道されるたびに、どっちらけて「これ以上もめるなら、普天間で固定しちゃったら」という気分にさせられています。

あまり報道されないし、ましてやアンケートなどされないのですか、それが本音に近いでしょう。

Seb201205080054
上のグラフは、2012年5月9日の朝日新聞と共同通信のアンケートです。。※http://www.asahi.com/special/08003/SEB201205080055.html

質問の仕方自体が、すでに「沖縄差別」を前提にしたような聞き方です。たとえば、「朝日は歪曲新聞といわれていますが、そう思いますか?」と質問するようなものです(笑)。

こういう聞き方を統計学では誘導的質問と言い、やってはいけないアンケート手法とされています。

ただし、朝日には気の毒なことには、沖縄ですら4割の人が「そうは思わない」と答えており、本土に至っては「そのとおりだ」が沖縄の半分にすぎません。

これはもはや温度差という範囲ではなく、いかに本土と沖縄でこの移設問題について大きな感情的な溝が開いてしまったのかわかるでしょう。

現実は、ひとつの原理で測れるほど単純ではないし、いくつもの多元方程式の解のように込み入っていて、矛盾し合っているものなのです。 

より負担が軽減される辺野古への移動もダメ、海を埋め立てるなというから既存の米軍基地内に作る陸上案もダメ、グアム移転も米国が拒否、県外移転も不可能、ではいかなる解決方法があるのでしょうか。

皮肉でも反語でもなく、代案をぜひ教えて下さい。 

気分だけ言い立てて、合理的解決についてまったく考えないなら、それは単なる無責任ではないかと、本土の多くの国民は思い始めています。 

私は翁長氏がかつて保守政治家であったことから、当初はシュアブやハンセンの地上案を落とし所にするのではないかと、考えていました。 

しかし、今やまったく左翼陣営と同じ思考形態でしか発言しなくなりました。 

左翼陣営と同じというのは、非妥協的に原理にしがみつくということです。

非妥協的というのは、運動家の美徳かもしれませんが、政治家の美徳ではないのです。

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コメント

劇で自分は豚だと叫んでおいて否定して欲しいんですかね。
「違う」って言って貰えたら、「俺たちの気持ちが分かってたまるか」とか逆ギレしそうですけれど。

代案を出せとなると野党第一党であり、かつて政権政党でもあった
民主党にもお願いしたいところですが、まず無理でしょうね。
特に国防に関わるような代案となれば、
自らの旗幟を鮮明にする必要に迫られるはずです。
しかし、右や左の旦那様を集めた「物乞い政党」である民主党には
とってもじゃないが望むべくもない話。
大体長島昭久氏あたりと辻元清美なんかが同じ党にいること自体が奇異の一言。

それから多くのマスコミにも代案を出してくれと言いたいです。
やれ沖縄に基地が集中するのはよくない。県民が可哀想だと言いながら、
それなら基地負担を本土のどこかで肩代わりしようなんてことは
絶対に口が裂けても言いません。
お上にはずけずけものが言えても、大衆には媚びへつらうばかり。
一言で表現するなら関西弁で云うところの「ええかっこしい」という奴。
これ皮肉にも民主党やリベラル派と呼ばれる人達にも同じ事が言えます。

いつも勉強させてもらっています。
彼らは代案は出しているのですよ。意図しているかどうかは別にして。それは「何もしない」ということです。なので、普天間固定化は当然の結論となります。今の法案も同じですが「反対」というのは、「現状固定」という代案を示していることになります。
それだと困る人は、一足飛びに「米軍即時全面撤退」あたりの「代案」でお茶を濁すわけですが、「どうやって?」という二の矢に答える義務がありますよね。
管理人さんをはじめとして、一般の人にもこの辺のカラクリ(というか欺瞞)が見えてきてしまったのが、今回の状況かと思います。

言ってることはだいたいあってると思うけど結論は?自分は俯瞰して全体を見てる感じで言ってるけど、反対や賛成で激しく前に出てきてる人たちの負の面をつついてるだけで結局同じですね。ごちゃごちゃにして、誰かをバカにして優越感を得て終わりみたいな。政治やあなたの生活にも影響を与えないような役者がしてることを持ってきて。墜落事故にしても感じ方は人それぞれ、見る人から見たら結局自分に降りかからなければどうでもいいって思われるますよ。他人の見に降りかかったことで感情移入してるこの役者の方がいい人みたいな。人は間違えたり迷ったりもするけど、そういう人の立場になって考えて、マクロとミクロの視点で見て上手くいく方法を考える時期だと思うけど。あなたのもつマクロの視点は素敵です。

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