9条の国の警察的軍隊
今の国会審議をみていると、なんともいえない脱力感に襲われます。
野党は、徹底的して枝葉末節に焦点を絞っています。「この場合はどうだ。安全か安全でないか」「ここの地域はどうだ」という論法で、首相の失点を引き出して、一挙に廃案の世論を作ろうとしています。
野党の発想自体が典型的なポジティブリスト的発想です。ボジティブリストとは、文字どおりリストに乗ったことしかさせないという考え方です。
警察官職務執行法を基にした考え方です。
その結果、今日に至るまで自衛隊は憲法に違反しない活動であっても、自衛隊法にその根拠規定を持つ活動以外は行うことができないという制約下におかれてきたのです。、
簡単に説明しておきましょう。
そもそも自衛隊法が、ポジティブリスト形式を採用したのは、憲法9条の制約の下で通常の軍隊の保持を禁止されていたからです。大元はまたまた例の9条です。
当時の日本政府は、朝鮮戦争において北朝鮮と呼応して、後方攪乱を狙う日本共産党や朝鮮総連の軍事闘争に悩まされていました。
共産党はすっかり忘れてしまったような顔をしていますが、当時の共産党は今の過激派など比較にならないほど凶暴で、「山村工作隊」や「中核自衛隊」(※)という武装軍事組織を作って、銃と爆弾による軍事闘争に明け暮れていました。※中核派も自衛隊も無関係です。
連合赤軍を数十倍にパワーアップしたと思えばいいでしょう。
(写真 警察に逮捕される山村工作隊の党員。毛沢東主義を掲げて山間部に潜んで武装闘争をしたが、国民の強い反発を受けて無残な失敗に終わった。後にこれに関わった幹部は粛清される。これが共産党が自慢する「一貫して軍国主義と戦った唯一の政党・共産党」の姿だった。Wikipedia)
従来の警察では対応しきれないために、その強化策として「警察予備隊」を設置したわけです。
そしてこの警察予備隊が保安隊を経て、今の自衛隊へとつながっていきます。
このために、自衛隊はいまなお実体は軍隊、しかし法的には「警察」であるわけです。
このおかしなねじれのために、自衛隊法は警察法を継承して作られました。
ネガティブリストを主張する改進党と、ポジティブリストを主張する自由党の相違があったものの、日本特有のあいまいな妥協がなされました。
その結果、現在の自衛隊という、警察法によって縛られる「軍隊と呼ぶと怒られる」という奇妙なものが誕生したわけです。
(写真 1952年設立当初の警察予備隊。米軍支給の装備を持ち、米軍式に訓練された。そのために帝国陸軍色は一掃された。皮肉にも、韓国では旧帝国軍軍人が建軍したために、帝国陸軍の負の遺産が濃厚に韓国にのみに残ってしまった)
しかし、成立から60年たって、今日、自衛隊に対する国民の批判的姿勢は影を潜め、自衛隊を違憲とする政党は国会内でほとんど勢力を持っていません。
わが国のシビリアンコントロールは揺るぎないものがあり、いわゆる制服組による政府の指揮監督を無視した独断先行は考えられません。
しかしあいもかわらず、戦後の特殊事情から生れたさまざまな非現実的縛りをかけています。
ですから、新たな事態が起きるたびに、そのつど政府が新たな根拠法を作成せねばなりませんでした。
少しまともに考えればわかるように、実に非現実的発想です。そもそも状況が不安定だから、国際警察活動が実施されているわけです。
イラクには初めてPKO以外で自衛隊が派遣されましたが、サマーワという非戦闘地域においてすら、何が起きるのか、どのようなテロ攻撃を受けるのかさっぱり分からなかったのです。
そんな場所に「これこれのことしかできない」というリスト一枚を渡して送り込んだわけですから、自衛隊のプレッシャーの重さはいかばかりだったでしょうか。
(写真 サマーワで水道などのインフラ整備を担当した自衛隊。水道を現地の人と点検している風景。この親身な支援に、自衛隊が帰還する時に、帰らないでくれという友情デモが起きた。モスクに軍用犬を入れるようなガサツな米軍は爪の垢でも煎じてほしい)
しかも自衛隊は、隣のオランダ軍基地が攻撃を受けてもポジティブリストに載っていないから、協力して反撃できない、という常識はずれの命令まで受けていました。
世界の軍隊で、自衛隊以外にこのようなボジティブリストで動く軍隊は、ただのひとつとして存在しません。
ですから、もしオランダ軍が攻撃を受けて自衛隊が、「オレ、知らんもんね。9条の国の警察的軍隊だからね」というポジティブリストを実行した場合、外交問題にまで発展したことでしょう。
今回の国会審議においても、安倍氏は答弁で、「危険な場所だった場合は撤収させます」と言い出したのには、正直驚きました。これが典型的なポジティブリスト的反応です。
もし、この「攻撃を仕掛けられたら応戦せずに逃げる」というのが、海外の国際警察活動におけるROE(交戦規定)になってしまったら、テロリスト部隊は必ず自衛隊部隊を狙い撃ちにします。
なぜなら、自衛隊は攻撃を仕掛ければ逃げると宣言している、PKO部隊中「最弱」の部隊だからです。実力において「最弱」ではなく、その縛りにおいて「最弱」なのです。
そんな逃げることを前提にしているような部隊の周辺に、他国のPKC部隊は展開したくはないでしょうね。
(写真サマーワにおけるオランダ軍と英軍の引継式。自衛隊とオランダ軍は隣り合わせだったが、日本はオランダ軍基地が攻撃をされても反撃を禁止されていた)
そして「逃げる」ことを定められた自衛隊は応戦禁止の撤退戦という、踏みとどまって他国の部隊と「集団的自衛権」を発揮して共同防衛するよりいっそう危険な、単独での撤退という状況に陥ってしまうことでしょう。
私は自衛隊は勇敢であるべし、などという精神論を言っているのではありません。
このような共同防衛こそが国際活動の本筋であるのに、個別的自衛権の延長でしか海外での軍事協力を構想しえない現状は、かえって自衛隊を危険にさらすことになると言いたいのです。
このように書くと、野党は「ならば憲法を改正すればいいではないか」と必ず言います。
それは一見正論に見えて、ハードルを極めて高く設定することによって、現実と実体のギャップを埋めていく作業を拒否する考えかたなのです。
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ちょっと状況はことなりますが、法整備と運用の問題ということで。
震災後に三陸に派遣された隊員に、住民から「住居(だった場所)のパトロールをお願いできないでしょうか?」
自衛隊は協議の結果「災害派遣出動で来てる以上、表立って警察権の行使はできない。しかし、毎日の作業の行き帰りのルートをちょっと変えてその間に見て回り、もし不審者がいたら取り囲んで警察につき出す位は可能」と、ギリギリの対応をしました。
幸い実力行使するような場面は起こらなかったようですが。
こういった出来事を思い出すと、やはり現実的な対応ができるような環境整備が急がれると、改めて思います。
サマーワの派遣の時も不審者や不審車両相手に
「声や手振りで制止」
「さらに警告を続けても接近してきたら威嚇射撃」
「それでも撃ってきたら、漸く発砲許可」
これでは到底突撃してくる自爆テロなんかには対処できないわけで…。
当時のマスコミときたら、この交戦規定を嘲笑うようにして『自衛隊員を殺すつもりか?』なんて派遣反対ばかり言うばかりで、それなら『まともな交戦規定を作れ』とはどこも言ってなかったかと。
投稿: 山形 | 2015年6月17日 (水) 06時53分
海外派遣の自衛隊を他国の軍隊が警護している、なんとみっともないことなんでしょう。
投稿: 多摩っ子 | 2015年6月17日 (水) 12時04分