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2015年6月 7日 (日)

安重根と沖縄の「恨」

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今回、翁長知事の「その後」を取り上げてきました。 

それは、この1週間書いてきた通りです。まだ序の口でしょう。これから、本土政府と沖縄革新陣営を両天秤に乗せて、翁長劇場第二幕が切って落されることになります。 

さて、知事になって翁長氏はつまらなくなりましたね。言うことが今まで沖縄革新勢力が言う、「沖縄怨念論」とまったく同じになってしまったのです。

これにはがっかりしました。その精神構造のあり方が、韓国にそっくりだからです。

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安重根の『東洋平和論』という本があります。『安重根自叙伝』(愛知宗教者9条の会訳)として和訳されています。 

安重根の父親である安泰勲は、当時開化派に属する人でした。ですから、その影響下で育った安は、李朝に対しては必ずしも肯定的ではなかったはずです。 

しかし、当時の李王朝は、急速に自壊現象を起こしていました。安一家は、貴族階級である両班(ヤンパン)に属していましたから、その身分制度崩壊の影響をまともに受けてしまいます。 

両班階級というのは、琉球王朝時代の士族にやや似た階層です。読書階級としてのプライドに満ちて、労働を軽蔑し、変革を嫌い、一般庶民をひとつ下の輩だと思っている部分があります。

「生活者などに文字はいらない、オレたちインテリが考え、お前らは手足で動けばいいのだ」という由らしむべし、知らしむべからずといった体質があります。

現代の沖縄のマスメディアにも、その尻尾が残っています。 

それはさておき、安はしかたがなく、士族の商法を手がけますが、ことごとく失敗に終わります。それを彼は、「日本が邪魔したから失敗したのだ」と考えてしまいます。 

ならば逆に成功していたら、安重根という「民族の英雄」は生れなかったのか、ということになりますが、とにもかくにも「悪いのは日本」なのです。 

一般庶民は、そういう発想はなかなかしないものです。

まずは、我が身の不運を呪い、元金の足りなさを愚痴り、才覚の足りなさを泣くかもしれませんが、いきなりすべて「日本が悪い」という飛躍はしないものです。 

ここに安の知識階級としての両班階級の論理飛躍がありますが、当人は気がつきません。 

安はどんどんと、「日本絶対悪玉論」に基づく、「絶対被害者論」にのめり込んでいきます。

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当時の韓国は複雑な状況に置かれていました。 

『世界の中の日清韓関係史』(岡本隆司)を読むと、韓国がその地政学的条件に決定されて、清国、ロシア、日本といった外国勢力によって翻弄されるのがわかります。 

この中で李王朝は、国王高宗がロシア大使館に逃げ込んでしまったように、自己解決能力を完全に失っていました。 

では、この時、安のような指導者層が、「日本が悪い」と言っているだけでなんとかなったのでしょうか。

わけはありません。 なんとか自分の国を強くして、外国に翻弄されないようにするべきです。

たとえば、産業国家になるために拓殖産業を興すとか、外国との不利益をなくすために国際法を学ぶとか、国内の通信、輸送などのインフラ作りをするとか、やることは山ほどあったはずです。

現に、これらは同時期の明治国家がすべてやってきたことです。

しかし安は、自分は永遠に「絶対的被害者」だと思う負の発想から一歩も出ようとしませんでした。

ですから、次の世代に手渡すべき国のあり方、経済のあり方、人と人の望ましい関係などが見えてこないのです。

ひと言で言えば、あるのは日本への怨念だけで、国作りのビジョンがないのです。

国作りのビジョンがない人たちに、当時急がねばならなかった近代国家をつくるのは到底無理です。

近代国家を自力で作らねば、亡国の憂き目に合って、外国の植民地になるしかない、そういう切羽つまった所に当時の韓国はいたのです。

この覚悟も自覚も、安にはありませんでした。あったのは、煮えくり返る恨みを燃料とする、日本の植民地化阻止の決意だけでした。

安重根という人は、関わった人たちが一様に証言するように、「心優しきテロリスト」だったのかもしれません。

あるいは、立場を変えれば、「正義の人」ですらあるのでしょう。

しかし、致命的に彼から脱落していたのは、怨念だけしか持ち合わせていない精神のあり方からは、ほんとうの自由や解放は生れないということです。

つまり安重根は、行き止まりの道に同胞を導いてしまったのです。

安重根がどこで間違ったのか、それを知ることは、今の沖縄にとっても大事だと、私は思っています。 

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コメント

管理人さん、いつも興味深く読ませて貰っています。
肝心の普天間基地では、恒例の普天間フェスタが開催され、国道58大山ゲート前は 大渋滞。正式な数字ではありませんが、2日間の入場者数は例の集会より多いとか オスプレイも展示され、皆んなたのしんでいます。沖縄県民は、アメリカ人に対し友好的なんですよ。翁長さんオール沖縄は無いでしょう。

安重根、ケネディ大統領射殺犯とされるオズワルドと同じような役回り、違うのは憎き日本の伊藤博文を倒した英雄とされていること。
しかし伊藤博文は併合に反対で朝鮮の独立を考えていた、伊藤博文暗殺は安重根たちが願うことと逆方向へ進む結果となる。

翁長や反対派の行為は沖縄県民が願うこととは違う方向へ動いているのかも知れませんね。

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