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2015年7月22日 (水)

樋口裁判官に第9条差し止め命令を出してもらおう

031

私が今回の安保法制論議で、やや驚いたのは、憲法学者3人の「意見」発言がそろった瞬間に、審議の潮目が替わってしまったことです。 

この「三賢者」の絶大な逆噴射効果で、今まで長期政権がスケジュール化したと思われていた安倍政権に不安定化の兆しか走ったことにも、少々驚かされました。 

私には、安倍氏の祖父・岸元首相が安保と引き換えに辞任した故事とオーバーラップして、真昼の幽霊を見たような気分とでも言ったらいいのでしょうか。 

この3名が言っていることの内容には触れる必要がないでしょう。失礼ながら、耳にタコができるほど聞き飽きた護憲論にすぎなかったからです。 

護憲論は憲法体系を絶対のものとして、その法体系の整合性と秩序世界を、社会の最上位に置こうとする教条です。

いわばギリスト教神学における、「護教神学」(※)に酷似しており、この美しい法秩序の変更は厳しく異端審問にかけられます。
 キリスト教神学一部門。非難攻撃に対しキリスト教真理弁護弁証することを目的とする。

この憲法学者たちの言うことを聞いていると、神父の祈祷か、賛美歌でも聞くような不思議な恍惚感が湧いてくるのは、そのためです。 

ああ、この人たちがいちばん怒っている最大の理由は、薄汚い穢れに満ちた現実が、この美しい信仰体系の秩序と調和を破壊するからだなと、秘かに思ったほどです。 

この人たちにとって、1947年から実に68年間、途中に冷戦終了という大転換をはさみながらも、一貫して護持してきた憲法というガラス細工の世界が、キラキラと輝きながら崩壊していく悪夢に苛まれているのでしょうか。

20150604180656sdpfo4(写真 国会に呼ばれた憲法学者の皆さん。憲法学者が大部分違憲だから反対。一方、国際政治学者のほぼ全員が賛成。「学者1万人反対署名」のうち、全員が専門外。学者でも、専門外は一般人と変わらないていどの知識しかない)

実はそもそも、この護教体系の中核に位置する<第9条>には、根本的な教義上の矛盾がありました。 

それは、<第9条>を、字義どおり解釈すれば、日本は丸裸となり、一切の自己を守る術を喪失するからです。 

あまりにも有名な条文ですが、もう一度しっかり読んでみましょう。実にスゴイことが書かれています。

第9条    日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 

改めて読むと、よく護憲派が言うように一般的な平和を謳い上げた「戦争放棄」ではなく、正確に言えば「軍隊放棄」、゛言い換えれば防衛放棄条項です。

褒めてあげれば世界遺産にしたいくらいにラジカルということになるのでしょうが、法律の文言というより、敬虔な宗教者の祈りの一節みたいです。 

まぁ、公平に見て、自分の国の民を守ることを拒否するのを、憲法で宣言しているようなものですから、究極の無責任大賞でしょう。

これは一般的に他国にもよくある、「対外紛争解決の手段としての戦争否認」とは本質的に異なっています。

同じ敗戦国のイタリアをみます。
戦争放棄・軍隊不保持を掲げる国々の憲法

イタリア共和国憲法 第11条
イタリアは他国民の自由に対する攻撃の手段としての、および『国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し』、他国と同等の条件のもとで、国家間の平和と正義を保証する体制に必要ならば主権の制限に同意し、この目的を持つ国際組織を促進し、かつ助成する。

しかし、軍隊の不所持まで憲法で規定しているのは゛わが国だけです。

ご丁寧にも、「陸海空軍、その他」と廃止対象を名指ししていますから、三軍だけではなく、「その他」、つまり準軍隊である国境警備隊(わが国では海保)や治安維持目的の警察軍までも廃止しろと書いてあるわけです。

ちなみに、護憲派の大好きなコスタリカすら、国境警備隊と警察軍は所持しています。、

ではこの「陸海空軍、その他を廃し、交戦権を否認する」ことを現実に実行した場合、わが国はどのようになったでしょうか。選択肢はふたつしかありません。 

ひとつは、異民族国家の侵略に対していかなる免疫防御も持たない赤子のような存在となり、滅亡するか、異民族支配を受けることです。 

ふたつめは、それを防ぐ手だてとして、他国の軍隊にすべてを任せてしまった完全な保護国になることです。 

つまり、前者のように敵対的異民族支配下に置かれるか、あるいは、後者のように寛容な異民族支配下に置かれるか、の違いでしかありません。

実際に、この軍隊放棄条項を作った当時のGHQは、日本を真剣に後者の立場のまま据え置き、米国の準州扱いすると考えていたフシがあります。

A0074049_1735936(写真 プエルトリコ。米国の準州。正式には「米国自治連邦区」。大統領選挙権と下院の採決権はない。知事は選べる。課税義務はない。もちろん軍隊は持たない。こういう国になりたいのなら、9条を死守するのもいいかもしれない) 

そのような民族は、もはや自前の国家を有しているとは言えないでしょう。 

このような国家を持たない民族がたどった道は、歴史が教えています。 

ポーランドは3回に渡って3つの国に分割され、独立を取り戻したのは第1次対戦のあとでした。

しかし、その後もまたヒトラーとスターリン密約で分割され、戦後は長きに渡ってソ連の従属下で呻吟し続けました。 

ソ連崩壊後、ポーランドが積極的にNATO・EC加盟を熱望したのは、このような歴史があったからです。 

それはさておき、自国の独立を放棄せよと命じているのが、<第9条>の本質的性格だということを押えておいたほうが良いでしょう。 

ならば、他の憲法条項と<第9条>は、どのように整合するのでしょうか。 

6e5ba1780db2109fd61c3eb686f5379c(写真 樋口裁判官)

実はしません。ここで、私のような法律の素人よりも、脱原発派から救世主のように迎えられている福井地裁樋口裁判官にご登場願いましょう。 

福井地裁樋口裁判官は、再稼働仮処分命令で法的根拠としたのは、憲法第13条及び第25条でした。

では、憲法第13条、及び第25条をみてみます。 

第13条は、人権カタログの総括的条項で、14条以下の宗教、思想、信条の自由などを保護の前文となっている条項です。

第25条は生存権と呼ばれています。

いずれも、国が国民に保障した最大の権利です。逆に言えば、憲法が「国への命令書」であるなら、憲法は国に対して「国民の生命を守れ」と命じているわけです。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 この13条と25条の解説を、他ならぬ樋口裁判官から説明してもらうといたしましょう。

大飯判決で、樋口氏はこう述べています。

「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない
したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる」

(大飯裁判樋口判決文 太字引用者)

樋口裁判官は、第13条と第25条が謳う「人格権」は、「人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない」としています。

「人の生命を越える価値はないのだ。これはわが国法制化で最優位とされるものだ」と、憲法は言っていると樋口氏は解釈します。

ではひるがえって、第9条はどうでしょうか。

国が国民を守る正当防衛すら禁じています。いわば、「国民は殺されそうになったら、殺されるがままになればいい。国民の生命を国は守らない」と言ってのけているに等しいわけです。 

これは明らかに、生命の価値を「わが国法制化においてはこれを越える価値を見いだせない」(樋口判決文)とした第13条、第25条に違反します。

平たく言えば、「死んで花見が咲くものか。生きていてこその平和なんだ」というわけです。

つまり、憲法第9条は、憲法第13条及び第25条違反であり、「生命尊重」条項が憲法の上位概念である以上、第9条は違憲なのです。

ぜひ、まともに国に命を守ってほしい国民は、樋口裁判官に゛第9条差し止め命令を出してもらわねばなりません(もちろん冗談です)。

あ、その前に名古屋家裁から最高裁に転勤せにゃならんか(笑)。 

 

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コメント

昔から成文憲法の存在が日本を誤らせてきたのですよ。「君たち勝手に戦争するっていうけど戦費とかどうするの?」という首相の至極まっとうな質問を統帥権干犯として指弾した人たちと同じメンタリティの人たちが、現在の憲法にまとわりついている訳ですよ。治らんでしょう。

日本国憲法と日米安保の表裏一体の関係も含めて、実に正論なんですが、
これまた荒れそうな感じですね。

まーた、左翼思想に骨の随まで染まった人やら、頭の悪そうな学者やら煽動された無垢の学生たち。

見てて、実に虚しいです。まるで、中身がないんだもの。

安倍首相が、それでも地球は動くと呟いたとか(嘘

>国民は殺されそうになったら、殺されるがままになればいい。
こんな感じのことを、世界一の漫画で内戦終結直後の国民が叫んでいました。尾田先生もそっちの仲間とガッカリしたものです。

憲法前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」、私は日本の近隣諸国を信頼出来ません。

敗戦国のドイツ59回、イタリア16回の憲法改正をしているとか。
日本国憲法は矛盾の改正を拒み続け将来的には滅亡するのかもしれない。

日本は多神教の国です。理論的ベンチマークが無い
ので、「感情の充足」を何よりも優先する傾向にある
のだそうです。その時その時の「空気」に溶け込む事
に、強い幸福感を持つのです。

ユダヤ・キリスト・イスラム系など一神教では、古来
よりの書物にナニが正しいとされるかが書いてあり、
その神の教えに沿う「不変の神意(理論)の充足」こそ
が幸福感になります。

日本が、ケンポーなどを厳密に運用できるハズがあり
ません。八百万の神々が怒るのですw。玉虫色の解釈
こそ伝統で、儒教的な上位層の官僚達が適時解釈を変
えて、下々の民に示すのです。今でもそうですね。

「改憲するべき」が私の立場ですが、大量サヨク発狂
などを見ていると、コリャだめだ、と落胆しました。
でも、この人達は中共が本当に攻めて来たら、コロリ
と過激交戦派になると期待?しています。おそらくは
そうなると思います。八百万の神々は頼もしいのです。

初めまして。
いつも参考にさせていただいています。
ただ、今回の内容には誤解があるのではないかと思います。

違憲とした憲法学者の長谷部教授と小林教授は、憲法13条から普通に自衛隊は合憲だと言ってます。9条第2項の戦力の不保持は第1項の国際紛争を解決する手段としてであって、国連憲章における武力不行使原則にもとずく自衛権は否定されておらず、憲法13条と整合的だという立場です。だから他衛と捉えることを含む今回の安保法制を違憲と言っています。それに、必要なら憲法改正をすればいいだけの話で、それは否定されていません。

goblinさん。そのとおりです。だからこの矛盾を解決するために「1972年の自衛権に関する政府見解」が出てきたわけです。
これは集団的自衛権否認という側面ばかり強調されてマスコミに紹介されていますが、前文と第1項を根拠として、自衛権を合憲としています。
これについては、一本記事にしようと思ってそのままになっていました。すいません。近々まとめます

おっしゃるとおり会見すれば、根本的解決になるのですが、それは3分の2の議会の発議と半分以上の国民の賛成というとてつもなく高い壁があるために難しいのは、ご承知のとおりです。

コメント、ありがとうございました。

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