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2015年7月11日 (土)

集団安保体制 ドイツのアフガン派兵の場合

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集団的自衛権(right to collective defense; right to collective defence )と、集団的安全保障体制(collective security)は違います。 

どっちも同じ「集団的」(collective )という名がかぶっていますから、誤解しないでね。 

まったく違う別な概念というわけではなく、「自衛権」のほうは権利で、「体制」のほうはそれを維持していくシステムのことです。 

この初歩的混同を、朝日新聞は2014年6月15日の朝日の一面でやらかしています。 

ここには、アフガニスタンに派遣されているNATOのドイツ軍人の犠牲者をデカデカと報じて、「後方支援でも犠牲者がでる。どこでも戦場だ」と書いています。
※http://www.asahi.com/articles/ASG6G0Q6BG6FUCVL036.html 

安倍晋三首相は日本が集団的自衛権を使えるようにするため、行使を限定することで公明党の理解を求め、閣議決定する構えでいる。限定するという手法で実際に歯止めが利くのかどうか。集団的自衛権をめぐる海外の事例のうち、ドイツの経緯を追った。
1990年代に
専守防衛の方針を変更し、安倍首相がやろうとしている解釈改憲の手法で北大西洋条約機構NATO)の域外派兵に乗り出したドイツは、昨年10月に撤退したアフガニスタンに絡んで計55人の犠牲者を出した。アフガンでは後方支援に限定した派兵だったが、戦闘に巻き込まれた死亡例が6割あった。
「後方での治安維持や復興支援のはずが、毎日のように戦闘に巻き込まれた。当初の想定と実態が次第にかけ離れていった」
 

これについては早い段階から小川和久氏などが批判していましたが、それから約一年遅れで日本報道検証機構も取り上げています。
※http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20150701-00047160/ 

「朝日が4月に新設したパブリックエディター(PE)の小島慶子氏が、ドイツ軍の「集団的自衛権の事例」について報じた昨年6月15日付記事を取り上げ、「適切な説明を省き、集団的自衛権の行使で死者が出たと印象付けようとしたと読者に不信感を持たれて当然」と論評した。この2つのケースは共通の問題点を浮き彫りにしている。読者に自ら判断してもらうために正確な情報を提供するのではなく、読者がメディアと同じ意見に導かれるよう都合よく情報を提供しようとする報道姿勢である」  

朝日の誤報は、集団的自衛権と集団安全保障体制の混同ですが、記事にこだわらずにこの違いを押えておきましょう。

Img_0(写真 ISAFに参加したドイツ連邦軍。朝日はここでは絶対に「ドイツに学べ」と言わない)

NATOは2001年9月1日の米国同時多発テロを受け、て、翌月の10月2日にこれはNATO条約第5条に該当すると決議しました。 

はい、思い出して下さい。これがNATO第5条です。一昨日取り上げましたね。 

●NATO条約第5条
「NATO締結国(1カ国でも複数国でも)に対する武力攻撃は全締結国に対する攻撃と見なし、そのような武力攻撃に対して全締結国は、北大西洋地域の安全保障を回復し維持するために必要と認められる、軍事力の使用を含んだ行動を直ちに取って被攻撃国を援助する」

NATOには、書き忘れていましたが、米国も加わっています。それは現実に仮想敵であるロシアとの軍事衝突になった場合、ヨーロッパ各国軍の力だけでは防ぎきれないからです。 

この第5条は、別名「自動介入条項」と呼ばれていて、一国に対する攻撃に対して、全加盟国は個別的あるいは集団的自衛権を行使して、攻撃を受けた締結国を援助する」責務を課しています。

まさに9.11は、米本土中枢が攻撃されたわけですから、この「締結国が攻撃を受けた」状況そのものだったわけです。 

つまり、米国に対しての攻撃は、地球の軍事力の半分を占める米国+ヨーロッパNATO加盟国軍を敵に回すことを意味します。 

そこまて深刻な事態に発展すると、当時ビンラディンは考えていたのか、いささか怪しいものです。

過激な個人の集合体にすぎないテロリスト集団はともかく、いつでも米本土を核攻撃できると豪語している中国は、このことをしっかりと肝に銘じたほうがいいでしょう。

安易に米国空母や日本の基米軍地を標的にすると、NATOまでも敵に回す可能性があります。

まぁ日本の米軍基地の場合は、あくまでも理論的に敷衍した場合にすぎません。現実には空母はともかくとして、在日米軍基地については、例の「距離の法則」が発揮されるでしょう。

それはさておき、NATOの加盟国であるドイツもまた、自動的に第5条に基づいて派兵することを決定しました。

541531881(写真 フィッシャー副首相。彼は緑の党の集会で裏切り者と罵られ、ペンキを投げつけられて失明しかかったこともある。もしこの時、彼が党内左派のいうがままにアフガン派兵を拒否した場合、ドイツはNATOから脱退勧告を受け、それは同時に戦後積み上げてきた、ヨーロッパ社会への復帰を破壊したことだろう)

当時のドイツ首相はドイツ社民党のゲルハルト・シュナイダーでした。そして副首相は、なんと連立を組んでいだ緑の党のヨシュカ・フィッシャーでした。

緑の党はご承知のように、グリーンピースにならぶような過激な反戦・反核団体でした。

フィッシャーは、政権参加に当たって、それまで「反戦・反核」を掲げて左翼反体制色が強かった緑の党を、現実主義的な路線にリニューアルします。

野党にいて反体制を気取っているだけでは、政策が現実化しないからです。 

彼は積極的に脱原発政策を推進すると同時に、現実主義的外交がなければドイツが欧州域内で生存できないこともよく理解していました。 

彼の理想を持ったリアリズムは、私に響くものがあります。

もし、緑の党がなければドイツの脱原発政策はなく、緑の党に彼がいなかったら、緑の党は未だに小さな過激環境党派でしかなかったでしょう。  

シュナイダーとフィッシャーは共に頑固な社会主義者でしたが、同時に優れた現実主義政治家だったわけです。 

ここが、ヨーロッパの社会民主主義者と、日本の社会民主主義政党との大きな差です。 

日本の社会民主主義は、国家の統治そのものを否定してしまうために、国家が国際社会で与えられている責務も、簡単に「違憲」のひとことで切り捨ててしまっています。 

脱原発集会には「オスプレイ阻止」のプラカードがひるがえり、集団的自衛権論議をすれば「9条を守れ」で終了してしまっています。

2015051301_01_1(写真 9条を守れと叫ぶ人たち。もはや理屈ぬきの宗教的感情のようだ。この中からは゛ひとりのフィッシャーもうまれないだろう)

これでは、永久の批判者、永遠の野党には成り得ても、現実に政権をとった場合は、あの民主党政権のようなていたらくになります。 

話を戻します。ドイツは直ちに条約に従って、ドイツ連邦陸軍特殊戦団(KSK)という最精鋭部隊をアフガンに派遣しました。 

ドイツ連邦軍は、「国際治安支援部隊」(ISAF)に参加し、、2001年10月から02年3月にかけて、アフガン南部の偵察・監視作戦「コスクフォースKバー」、アルカイダ軍との「トラブラの戦い」、「アナコンダ作戦」という厳しい戦闘に従軍しています。

O0400020313058032796(写真 アルカイダとみられるグループ。彼らの他慰撫分は覆面をして顔を隠す。覆面をとればただの一般市民とに変身して、ISAFの兵士たちを背後から襲った)

ここまでの犠牲を支払ったのは、ドイツ連邦軍にとって戦後初めての海外派遣であったともさることながら、当初は後方地域の治安維持任務で、そこでの後方支援活動は安全だと思われていたからです。

しかし、現実にはこのようなテロリスト相手の戦闘においては前線と後方との区別がないケースが多く、むしろ彼らは好んで比較的守りの弱いと思われる後方部隊を集中的に攻撃しました。

結果、その備えを欠いていたドイツ連邦軍に大きな損害が出てしまったわけです。 

朝日が報じているのは、この間の戦闘での犠牲者のことで、当然、集団的安全保障体制にもとづいての犠牲者でした。

これを、安倍政権の集団的自衛権とからめて批判したかったために、これをあえて混同してみせたわけです。

朝日がこのような意図的歪曲をしなければ、アフガン戦争の当否から始まって、ゲリラ勢力と戦う場合の非対象性(※)、後方と前線の区別のつかなさ、そのようて地域への海外派兵の問題点、集団的安全保障の持つ難しさなど、総括すべき点は多いと思われます。

※非対称性とは、ある政治的目的を持って、国家の軍事力や警察力に正面から対抗しないで、 防備の手薄な場所や人を対象にした暴力のこと。

しかし、この朝日ような「角度をかけて」情緒を煽る記事に仕立て上げると、それらの苦い教訓がすべて無駄になってしまいます。

もちろん今、安倍政権がやろうとしている集団的自衛権の限定的行使は、このNATOの集団安保のはるか手前の法整備にすぎません。朝日のような、「おとうさんは帰ってこない」的な記事にすると、この集団安保の厳しさは理解できないでしょう。

私はいまの日本人のように、60年余の長きに渡って「9条」の麻薬的効果に浸りきって安逸を享受することに馴れた民族に、このNATOのような集団安保は無理に思えます。

まずはしっかりと集団的自衛権で学ぶコストを支払い、その間にその先を考えるべきでしょう。

安全保障には単独であろうと、集団的であろうと、はたまた集団安保であっても、それぞれ異なったコストと犠牲が要求され、それを無視して構想するのは空論にすぎません。

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コメント

朝日の論調に同意するつもりは微塵もありませんが、これは安倍首相にも問題があると思います。普通に考えて、戦争で犠牲者は出ます。ですが、それは必要な犠牲です。それをリスクは大きくならないとか犠牲者は出ないだとか言い張るのは何より自衛隊員の皆様にも失礼でしょう。犠牲者は出る、リスクは増える、それが必要なことかどうかが論点でしょうに、リスクは大きくならない、いや大きくなるとか「自衛隊は軍事力ではなく防衛力」レベルの議論を延々繰り返すから有権者も何のこっちゃ分からなくなる。当然、自分達の都合の良いように言論を切り貼りする朝日を筆頭としたマスコミにも責任の一端はあります

教師志望 さん。まったく同感です。安倍氏は、俗流反対派が言うのとは別の意味で、急ぎすぎています。しっかりとコストがかかることを説明すべきです。
安全保障には犠牲が要求され、それを無視して構想するのは空論にすぎません。

たとえば、反対派の皆さんは孫崎氏のように、「集団的自衛権を行使したら自衛隊の人達が必ず死ぬ」と発言しています。

これは安倍氏がリスク論に巻き込まれてないように受け取られるような発言をしたからですが、根本的におかしな議論です。
自衛隊は本来、国土と国民の防衛の為に「犠牲を払う用意のある組織」だからです。

現状において憲法を根拠とするポジティブリストによってがんじがらめに拘束され、こうむらなくてもいいような危険を犯している現状こそ、変えていくべきですが、彼らは逆にポジティブリストの変更を「自衛隊の軍隊化」といった言い方で阻止しようとするでしょう。

また、社民党や共産党はかつてPKOにすら反対し、派遣される自衛隊の防衛用の武器を減らすことに執着し続けました。

このような人たちが、おためごかしに「自衛隊の犠牲が出る」と言うのを聞くと、その二枚舌に吹き出したくなります。


管理人さん

犠牲なき安全保障とか、いつぞやの非武装中立論とかと本質的に同じだということくらい日本国民も分かってると私は思うんですがねえ……やっぱり分かってないのかな

さておき、何故安倍首相はここまで焦ってるのでしょうか。私はここがすごく気になります。たぶん、できれば憲法改正をしたいが、妥協策を取ったのでしょう。ですが妥協しなければならないほど(当時は)支持率も低くなければ、野党も脅威ではなかった。無難にやってれば参院選も3分の2取れるはずです。なのに独裁とまで揶揄されながらも安保法制を通そうとしてる。「アベは戦争大好きの戦争中毒者なんだ!」という意見にも一定の説得力が存在してしまうくらい不可解な動きです。どう思われますか?

教師志願さん。記事で答えをかきますが、ちょっと前の私の言い方が誤解をよぶので捕捉しておきます。

「急ぎすぎている」というのは、今の時期ではありません。時期的には遅いくらいです。
また法制的に無理無体でもありません。むしろ、足りないことだらけです。

急ぎすぎているというか、慌てているというべきかな。
私がいえるのは、政府が国民の理解力を低くみていること、もっと大きな視野で国民に説明しないと、かえって今回のように、枝葉末節の議論の迷路に引き込まれることです。

くわしくは改めて記事にします。

管理人さん

どうも私の言い方も誤解を招いているようでw
管理人さんと同じく、遅すぎるくらいだと私も思います。ですが、国民はそうは思ってません。集団的自衛権や憲法9条の改正への賛否を見れば、まあどうにかなるよ程度にしか考えてないのは明らかです。そのことを安倍首相が分かってないはずがありません。なので強行すれば反発を招くと知っていてやってる。私達外野とは違って政治家という職業に就いている以上、世論の反発は命取りでしょう。では安倍首相をそこまで突っ走らせるのは何か。当初の憲法改正という王道の策ではなく、解釈改憲という強硬策に出たのは何故か。そこが分からないのです
私も慌てていると言うべきでしたね。失礼しました

教師志望さん。それは改憲を今やれば100%負けるからです。おそらくよくて4対6か、下手すれば、さらに差がつきます。
仮に4でも負けは負けで失敗です。その場合、ほぼ半永久的に「その次」はありません。
つまり未来永劫、わが国は「9条」という枷を背負っていくことになるからです。

だから、この大バクチに踏み切れないのです。特に今のような直近に脅威がある場合、改憲という大バクチをして失敗した場合、安保法制もすべて根こそぎ吹っとびます。

それを知って、民主党は意地悪く「ならば、正々堂々と改憲するべきだ」と言っているのです。

また、連立を組む公明党も本質において護憲派です。
ですからこの安保法制もまた「限定的集団的自衛権容認」ということになってしまい、かえって国民にわかりにくくさせる原因となってしまいました。

今の「限定的容認」は、賛成反対の立場を問わず、すべての人に不満で、すべての人に分かりにくくなってしまったのは、こういうことのためです。

どうしたらいいのか、私にもわかりません。なにせ60年間まともな安全保障論議を回避していた国民なのですから。
と、嘆いていても始まらないので,ちょっとずつ考えていこうと思っております。


管理人さん

そう、でしょうか…。私はやってみる価値はあるくらいには思ってるのですが。今更な部分はありますがここで自民党が維新の対案を受け入れて、参院選まで大人しく「なんとなく良い感じがする総理・安倍」を演じていれば、勝算は五分以上と思ってたのですが、甘いですかね。やはりギリシャみたいな結果になってしまうのでしょうか

なるほど。原発と同じで「集団自衛権安全神話」が作られようとしているように見えました。

aetosさん。それをいうなら個別的自衛権安全神話でしょうな。

「○○安全神話」は、反対派の「ゼロリスク要求」に対抗する形で、推進派によって作られるものだと聞きます。
反対派が「○○は危険だ!ゼロリスクでないと許さない!」と言うから、推進派もヒートアップして「危険じゃないです!ゼロリスクです!」と言うしかなくなって作り上げられるものだということです。
推進派が「ゼロリスクではありませんが、それは負担すべき必要なリスクです」という言葉をを通すことができれば発生しないものです。

最初の教師志望さんのコメントにある

> 普通に考えて、戦争で犠牲者は出ます。ですが、それは必要な犠牲です。

というのが「負担すべき必要なリスク」で

> リスクは大きくならないとか犠牲者は出ないだとか

というのが「危険じゃないです!ゼロリスクです!」に相当すると思います。

ですから、今まさに「集団的自衛権安全神話」が作られようとしている、と思ったのです。

「個別的自衛権安全神話」だと、集団的自衛権反対派が「個別的自衛権さえあれば安全だ!」と言っているものを指すことになるのでしょうか。

aetosさん。

何が、なるほどなのかわかりません。

原発問題と外交・安保は別問題です。喩え話としてはズレているのでは?
もっとも、反対!と叫んでいる方々は相当に重複されてますから、そういう意味でもあなたの仰る最後の3行は当たっているかもしれませんが…。

山形さん

外野からになってしまいますが、失礼
aetosさんの言っているのは、安全保障と原発、問題そのものは違うけど問題になっているその根幹は一緒だよねということではないでしょうか。要するにどっちも「ノーリスクだって?ジャパニーズは何を馬鹿なことを言ってるんだ」となるのですよ、グローバルスタンダードからしたら
そんな風に、ノーリスクじゃないとやだやだ~とか眠たいこと抜かして安全神話作りを促進させといて、「安全神話崩壊!全部あいつらが悪いんだ!」は筋が通らないでしょ、ということを言いたいのだと思います

教師志望さん

代弁していただきありがとうございます。おっしゃるとおりです。

フガニスタン紛争 -2001年の9・11テロを受けてのタリバン政権下のアフガニスタンに対する米軍の攻撃とそれに伴う北大西洋条約機構 (NATO) 加盟のヨーロッパ諸国のとった軍事行動。安保理決議第1368号および1371号の前文において個別的又は集団的自衛の固有の権利が確認(recognize)された。

松葉真美「集団的自衛権の法的性質とその発達 ―国際法上の議論― 」 p. 97.
朝日は間違っていなかったという事ですよ。
誤報は取り消されたらいかがですか?

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