巻き込まれるのか、捨てられるのか?
今の安保法制審議にすっぽりと欠けているのは、「はて、いったい集団的安全保障ってなんだろう」という本質的な議論です。
ここをスルーして、リスクが増えるの、減るのといった、範囲はどこまでだなどと枝葉の議論からやっているのですから、国民にはすこぶる解りにくいことになります。
これは法案を出した政府側にも問題があります。 限定的行使という制約のために、妙に具体的なシナリオを幾つも出してしまっいました。これが仇になりました。
野党側は待ってましたとばかりに、「これからハズれたらどうなる」とか、「自衛隊員のリスクが高まる」とかいう、しょーもない議論に持ち込みました。
その範囲をめぐってホルムズ海峡がどーたらとか、「地球の裏側まで米軍について行くのか」みたいな、今、そこにある脅威とは無関係な議論の迷路に入ったあげく、とうとう真打ちの登場。
とうとう出たぁ、9条(笑)。
ああ、脱力。これを船田センセがオウンゴール。先行きが混迷したところに、大西センセの「報道統制」放言でまたまたオウンゴール。
早く本筋に戻してほしいと思いますが、相当に厳しそうです。
こと、こういう法整備になると異様に頭がキレるゲルちゃんに、防衛大臣をやらせるべきでしたね。
さて、脅威はアレコレと並べるとかえって分からなくなります。「地球の裏側の脅威」などは、とりあえず無視してよいのです。
(写真 ウクライナにおけるロシア軍。非常に問題だが、日本にできることは限られている)
たとえば、日本にとってロシア黒海艦隊がいくら強力であろうとも、これを脅威とは呼びません。なぜなら、遠いからです。
ウクライナ紛争はヨーロッパの平和の均衡を破壊するので、大変に危険ですが、日本にとっては、これも「遠い」ので、とりあえず脅威とはなりえません。
ホルムズ海峡などの中東も、原油輸送という意味では重要ですが、本来はとりあえず考えなくていい距離です。
アフリカに至っては、現地駐在員の安全ということには留意する必要がありますが、国連警察活動(PKO)以上に関わりを持つべきではありません。
逆にヨーロッパの側から見てみしまょう。
彼らからすれば、中国が南シナ海に軍事要塞を作ろうとどうしようと、それが自分にはね返ってこない限り、それを<脅威>とは呼ばないでしょう。
だから、つい最近までフランスは平気で中国に最新兵器を売りまくっていましたし、ドイツも同じです。
あ、この両国は武器輸出大国ですからね、念のため。 というか、世界の工業国で、武器輸出を間えなかったのは、日本ただ一国でした。
このように近いか遠いかという<距離>は、安全保障を考える上で、大変に重要な物差しなのです。 これは人間関係と同じです。
国境を隔てて、ひとつ隣が野望むき出しの強国だったりすれば、相当にコワイ。
気がつくとロシアのように、東ウクライナに国境など無視して戦車部隊を入れてみたり、地上部をジワっと浸透させたりします。
海も同じで、気がつくと、隣の強国が海を埋め立てて、要衝に軍事基地を作っていたりします。
さて、近年わが国は、中国の台頭によって、近距離の<脅威>の真正面に立たされることになりました。
国会審議では、外交的配慮から名指しできないために、それを逆手にとられて「海外でも戦争できる国になる」という方角に話がそれていってしまったようですが、日本の脅威とはいうまでもなく中国の海洋における大膨張政策です。
「地球の裏側」ではありません。どうしてこう分かりきったことを、ダラダラと議論せにゃならんのか・・・(ため息)。
では、この緊張が高まるアジアにおいて、どのようなアジア全域の安全保障体制があるのでしょうか。
残念ですが、NATOのような集団的安全保障は存在しません。ここが決定的に、昨日お話したヨーロッパ地域と、アジア地域が決定的に違うところです。
もし中国がヨーロッパ圏にあって、同じことをした場合、速やかにNATO軍による警戒レベルを引き上げられて、強い警告がなされることでしょうが、ないためにやりたい放題です。
(写真 1979年、中国の一方的な侵攻によって始まった中越戦争。一カ月で中国が敗退した)
まずは、中国の建国以来の周辺国への侵略の歴史をみてみきます。
■1949年建国後の中国が引き起こした戦争・紛争一覧
・1949年 中華民国との古寧頭戦役 ・登歩島の戦い
・1949年 ウイグル侵攻
・1950年 チベット侵攻
・1950年~53年 朝鮮戦争
・1958年 中華民国領の金門島砲撃事件
・1959年 チベット蜂起を武力鎮圧
・1962年 チベットからインドに侵攻して中印戦争
・1966年~1977年文化大革命・虐殺者数8000万人(ワシントンポスト紙による)
・1969年 中ソ国境紛争(ダマンスキー島事件)
・1974年 南ベトナム西沙諸島(パラセル諸島)を制圧(西沙海戦)
・1979年 ベトナムに侵攻して中越戦争
・1984年 第2次中越戦争(中越国境紛争)
・1988年 ベトナム支配下のジョンソン南礁を制圧(南沙海戦)
・2012年~現在 フィリピンと南シナ海・中沙諸島のスカボロー礁領有権紛争
・2012年~現在 西沙諸島(パラセル諸島)でベトナムと領有権紛争
・2010年~現在 東シナ海尖閣諸島で日本と領有権紛争
ほとんど戦争をしなかった年はなかったほどで、東西南北、四方八方に軍事膨張し続けています。
とうとう陸上部では進出する場所がなくなって、海洋に出張ってきたのが、近年の特徴です。
しかし、集団安保体制=「みんなの安保」がないアジア地域では、弱小国がそれぞれ別個に対応せざるをえませんでした。
そのために、それぞれ果敢に反撃しているものの、実力の差はいかんともしがたい状況です。
ですから、アジアはNATOの代わりに米国の<プレゼンス>を見せつけることで、なんとかしのいできました。
プレゼンス(presence)とは聞き慣れない言葉でしょうか、「存在感」程度の意味です。そこにいてくれないと、その地域の力関係にポカっと穴があいてしまうという「存在感」のことです。
たとえば、米海軍の空母ジョージ・ワシントンは、ただ漫然とアジア地域を遊泳しているのではなく、アジア・インド洋に<いる>ことで「オレはここにいるぞ。いじめをする奴には、オレが容赦しないぞ」と無言で言っているわけです。
実際に、この空母一隻の打撃力だけで、東南アジア諸国が丸ごとかかってもかないません。
そういう米国の<プレゼンス>がなくなると、一体どうなるでしょうか。
実例がたくさんあります。
たとえば1972年、当時の南ベトナムはパラセルル諸島を、中国に奪われました。
中国はベトナムから米軍が地上撤退して、米国にベトナム近海の海域に関与する意思がないことを見計らって、これを強奪しています。
(写真 南ベトナムは戦闘機、軍艦まで派遣する中国軍に激しく抵抗した。中国軍と戦う南ベトナム軍)
また南沙諸島のミスチーフ礁は、1995年から中国が占拠していますが、これは、1992年から米軍がフィリピンから撤退したのを見計らって奪取し、そのまま居すわって軍事基地を建設しています。
フィリピンは、いまでは死ぬほど後悔していますが、一時の反米民族主義に溺れて、米軍のクラーク空軍基地と、スービック海軍基地を追い出してしまったからです。
このような悲惨な事態になって、新たに米比相互防衛条約を締結したようてすが、なにぶん「失われた20年」は大きかったようです。
同じく、南沙諸島のファイアリー・クロス礁も、1988年に中国がベトナムから武力奪取したものです。
今や3000メートル級の滑走路と、水深の深い港を建設中で、既に南沙諸島で最大級の軍事基地にまで成長しています。
(写真 軍事基地化が進むファイアリー・クロス礁)
※http://zerohedgejapan.blog.jp/archives/2015-04-18.html
これは米国がベトナムと、過去に激しい戦争をした関係上で、しっかりした友好関係を結べなかった隙を、中国に狙われたのです。
これらの事例は、いずれも米国との安全保障が空白か、あるいは、事実上機能していない状況下で、中国の膨張と進出を許してしまったケースです。
このように、アジアにおいては、今の日本の野党のように、「米国の戦争に巻き込まれる」心配などしている国は皆無で、むしろ積極的に米国を巻き込みたい、「お願い、巻き込んでちょうだい」という状況なのです。
ではひるがえって、同じ東シナ海で中国と対峙しているはずの日本が、どうして今のところ中国の公船の恒常的侵入と領海・領空侵犯程度で済んでいるのでしょうか。
それは、日米同盟に基づいて、沖縄に強力な米軍基地があり、さらに本土に第7艦隊が恒常的に存在しているからです。
そしてこれらは、単に日本の安全保障だけではなく、アジア全域を視野に入れています。
その見返りに、わが国は米国の<プレゼンス>の恩恵を既にたっぷりと受けているわけで、その意味ではわが国は集団的自衛権をとうに行使しているといってもいいのです。
ですから、今さら「巻き込む、巻き込まれる」という議論は、非現実的なのです。
よく沖縄の反基地運動家の皆さんは、「米軍がいるからミサイルが飛んでくる」という表現をしますが、逆です。
中国が安易にミサイルを打ち込ませないために米軍がいるのであって、そのために日米同盟が存在しているのです。
米国は自国だけで充足できるに足る大陸国家で、いつでも金食い虫で小うるさい国々を見捨てて、ミーイズムのヒッキーに戻ることも可能です。
実際にオバマはその傾向が強く、共和党側にもティパーティ系の大統領候補は、常に海外紛争への関与の停止を主張しています。いわゆるモンロー主義(一国孤立主義)への回帰です。
どうも勘違いがあるようですが、米国は自国の利害が消滅したと判断すれば、容赦なく日米同盟を一年前の通告で一方的に廃棄できるのです。
日本は冷戦期に日米安保体制を作ったせいで、日米同盟が永遠に続くと錯覚しています。
ですから、憲法との整合性だけを追及していればよいと考えて、9条や集団的自衛権不行使、非核三原則などの、「巻き込まれない」政策一本で世渡りしてきました。
しかし冷戦はとうの昔に終了し、米国がモンロー主義に回帰するそぶりを見せている今、日本はむしろ「捨てられる怖れ」を心配したほうがいいのではないでしょうか。
巻き込む、巻き込まれないというのは、その都度リアルに判断すればいいだけのことで、距離を念頭に置いて、脅威をリアルに測っていけばいいだけのことです。
わが国は盲目的に「地球の裏側」まで米国に着いていくほど馬鹿ではないし、その都度判断を議論していければいいだけの話ではないでしょうか。
日本は、巻き込まれる心配より、米国に呆れられて捨てられる心配をするほうがいいのかもしれませんし、その両者のバランスをとるというのが、元来の同盟という存在なのです。
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コメント
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日本人は平和と水はタダだと思っている。この一言に尽きると思います
ここら辺ギリシャとすごく似てると思います。EUの庇護のもと生きてEUが自分を見捨てるわけがないと高を括っているギリシャ、アメリカの庇護のもと育ちアメリカが自分を見捨てるわけがないと思っている日本。ちゃんと育っただけマシですが、にもかかわらず親離れを拒み、東南アジアのような悲惨な子供達は見て見ぬふりをする
それとも、フィリピンやベトナムの仏像が恥辱のあまり崩れ落ちないと解らないのでしょうか
投稿: 教師志望 | 2015年7月10日 (金) 08時42分
本質的な議論が出来ずに枝葉の議論に終始しているのは、マスコミの責任も大きいと思います。
地球の裏側まで行ってどうのこうのとか、徴兵制が始まるだのと枝葉の議論に世論を誘導しようとしているのが残念です。
特定秘密保護法案の時も「オスプレイを撮影したら逮捕される」などというレベルの低い議論に邪魔をされて本質的な部分が不十分なまま可決されてしまいましたね。
マスコミも自分たちの社会的責任を自覚して仕事をしてほしいと思います。
投稿: 山口 | 2015年7月10日 (金) 22時24分