• 20250117-013132
  • 20250117-015927
  • As20241225001545_comm
  • 20250115-143858
  • 20250113-081014
  • 20250114-011659
  • 20250113-133232
  • 20250113-134354
  • 20250113-134844
  • 20250113-135719

« 小川和久参考人の証言 | トップページ | 安全保障についてリアルな議論をしませんか »

2015年7月17日 (金)

集団的自衛権の先を見つめた議論をしたい

012
びっくりしたことには、記事がアップした瞬間に消えました。原因不明です。復元できません。文章って生もので、同じことは書けないんです。

ああ、オレの3時間をかえしてくれぇ・・!オレの人生ってなんなんだぁ(オーバーな)。

というわけで、前にお蔵入りした記事を取り出してアップします。これを編集してまとめるつもりだったので、ゴタゴタしていますが、お許しを。

                     ~~~~~~~

集団的自衛権の議論が煮詰まってきたようですが、かんじんの本質的議論に届いていません。 

枝葉末節の「こうなった場合はどうだ」という状況論と、そしてお定まりの9条論です。こうなるとはある程度思っていましたが、こうも退行現象丸出しだとは・・・。 

特に違憲論が、完全に議論の潮目を変えてしまいました。 しかし、9条は13条・25条の「生命・自由・幸福追及の権利」違反です。つまり違憲は9条のほうです。

今日はそのことを論証した記事を書いたつもりでしたが、消えました(号泣)。

それはともかく、個別的自衛権か、集団的かとか、地球の裏側までついていくのかとか、その範囲はどこまでとかなどといった観念的議論は、私にはどうでもいいことで、ほとんど無意味なものだと思っています。 

なぜなら、自衛権に個別も集団的も本来なく、そんなカテゴライズをしているのは唯一日本のみの現象であって、そのような「神様も聞いていない神学論争」にふけっているのは、世界広しといえども日本だけだからです。 

日米安全保障条約第5条には、何度も見たように(※欄外関連記事参照)既に集団的自衛権は書き込まれており、それを締結しながら国内的理由から行使しなかっただけにすぎません。 

もし安全保障の組み方が一国のテーマに上がるとすれば、米国、ロシア、中国、インドなどの核保有国のように一国単独で安全保障が可能なのか、あるいはヨーロッパのような地域の多くの国と集団的安全保障体制を組むのかに別れることです。 

結論から言えば、わが国はいうまでもなく前者ではない以上、後者の地域的集団的安全保障体制を目指していかねばなりません。 

このことによって、今反対派から批判されている「米軍について地球の裏側で戦うのか」といったような、狭く米国の利害との関係のみで視点を固定させる必然がなくなります。 

さて、よく外交・軍事分野で使われる言葉に「抑止力」という言葉かあります。簡単にいえば「思い止まらせる力」のことです。  

戦争をしかけられるのを防ぐ力のことだと、一般的には解釈されています。しかし、もうひとつ別の意味もあります。  

その反対に、「自国が戦争をしかけることを思い止まらせる力」のことです。 

イヤな言い方をすれば、「ビンの蓋」論です。日本が戦前のよう突出しないように、押し込めておくという意味で、米国の一部で使われ続けてきました。 

私は、集団的自衛権を持つことによって、戦前型の世界を敵に廻して戦ってしまい、結局国を滅ぼした悲劇を再現することがなくなるのではないかと思っています。 

大戦の反省から、世界にはいくつもの戦争を未然で防止する仕組みができました。そのひとつが、国連憲章で謳われている集団的自衛権です。 

反対派の人たちにはなにか深い誤解があるようですが、集団的自衛権は、戦争を防止する仕組みであって、戦争を仕掛ける仕組みではありません。  


G2400611(図 NATO構成国家のカテゴリー。加盟国、加盟招請国、申請国の三つがあるのがわかる)

NATO諸国は、一国の侵略に対して加盟国全体で対処するという自動介入条項を持つと同時に、加盟国が勝手に侵略することも不可能な「共同制裁」の仕組みも持っています。
 

私は、このNATOが今の時代のもっとも完成された集団的安全保障システムだと思っています。  

ドイツは55年とかなり早い段階に加盟し、ドイツが三度欧州を戦火にさらすことがないことを周辺国に「誓約」をしました。  

外務省HPによればNATOはこのような任務をもつとされています。

NATOの任務
・「集団防衛」、「危機管理」及び「協調的安全保障」がNATOの中核的任務。
・NATOは、いかなる国も敵とはせず、加盟国の領土及び国民の防衛が最大の責務。

集団的防衛に関しては、NATOがある限り、その加盟国に対する攻撃は加盟国全体への攻撃と見なされます。

NATO条約第5条
「NATO締結国(1カ国でも複数国でも)に対する武力攻撃は全締結国に対する攻撃と見なし、そのような武力攻撃に対して全締結国は、北大西洋地域の安全保障を回復し維持するために必要と認められる、軍事力の使用を含んだ行動を直ちに取って被攻撃国を援助する」

条約締結国に対する武力攻撃は、国連憲章第51条に言う集団的自衛権の行使が明文で規定されています。  

逆に、この条項は、加盟国の一国が勝手な侵略をした場合、同様に加盟国の「地域の安全保障を回復し、維持するための必要な軍事力」の制裁を受けることになります。

ここがNATO条約第5条のキモなのです。

つまりかつてナチス・ドイツのように一国の利害で戦争を開始することは、NATOすべての国をあらかじめ敵にすることである以上、第4帝国を作ることは軍事的には不可能なのです。

まぁ、だからドイツはEC・ユーロという、「経済の第4帝国」を作ったわけですがね。

このように、集団的自衛権を持つことは大きな防衛上の抑止力であると同時に、「縛り」のための抑止力でもあるのです。  

次に「協調的安全保障」(cooperative security)は、冷戦終結後にNATOのミッションに加えられた最も新しい安全保障概念です。  

冷戦後は米ソが核兵器を大量に抱え込んで、互いに核のMAD(相互確証破壊)という文字通りマッドな仕組みでにらみ合っていました。  

冷戦以降この仕組みは大きく変化します。  

米ソの親分のタガからはずれた世界には、民族紛争、宗教紛争、領土紛争、麻薬取引、兵器の拡散、飢餓などの問題がいっせいに噴出しました。  

このような問題に対処するには、かつてのような国家間軍事同盟では難しく、国境を越えた広い地域での包括的な協力する仕組みが必要になったのです。  

一方、アジアにおいては中国との冷戦期以来の構造がなくなったわけではないために、「ハブ&スポーク」と呼ばれる米国と各国が各個に結びついた二国間同盟が残されています。 

Network1図 ハブ&スポーク型と交流型モデル。今の日米同盟や東南アジア諸国と米国の安保条約はこのタイプ。アセアンフォーラムは交流型。いずれも集団安保ではない)

その意味で、日本の集団的自衛権が認められたとしても、欧州のような集団安全保障体制は構築されていないことになります。  

これが、今の集団的自衛権論議でかまびすしく叫ばれている「米国の戦争」に巻き込まれるのではないかという疑念を、反対派に持たせている原因です。  

ところで、アジアにおいて唯一、このNATOに似た協調的集団安全保障システムを持つ国家連合があります。  

それが1994年にASEANによって、東アジアの安全保障協議の場としてASEAN地域フォーラム(ASEAN Regional Forum. ・ARF)です。  

Arf1

残念ながら、ASEANをベースにした発展途上国、新興国連合のためにさまざまな制約があって限界はありますが、このASEAN地域フォーラムこそが、今、アジアに唯一存在する協調的安全保障体制なのです。  

私は、日米同盟、米豪同盟、米韓同盟などの二国間同盟をこのようなASEAN地域フォーラムとリンクさせて再編することが、アジア地域での平和を維持しつつ「米国の戦争に巻き込まれる」不安を解消する道ではないかと思っています。

ただし、現状では上図で分るように、米国、北朝鮮まで包括する仕組みなために、たんなる「ミニ国連」となってしまっています。

とはいえ、現実にアジア地域における唯一のテーブルであることは間違いないことで、これをもっと実のあるコレクティブ・ディフェンスにしたいものです。

あ、今、あえて横文字使いました。「集団的」と「安保」と聞いただけでアレルギーを起す人が多そうですから(笑)。

それはともかく、今後、このテーブルを中国の海洋膨張、北の核に対応する、有効な集団安保システムにどのようにして組み替えていくのかが、課題でしょう。

わが国としては、まずはしっかりと安保条約第5条の集団的自衛権を習熟してから、日米同盟をさらに一歩進めてアジア・オセアニア諸国との協調的安全保障に進んだらどうでしょうか。  

日米安保強化でおしまいではなく、その先を見通した議論をすることで、「護憲か否か」といったカビか生えたイデオロギー対立の言論空間にはまらず、より柔軟で現実に則した安全保障論議が出来ると思います。  

またそのことによって、米国の戦争に巻き込まれることを抑止し、あるいは日本が単独でかつてのような戦争が出来ない「縛りの抑止力」を持つことができるのではないでしょうか。 

しかし現実には、アジアにおいては、欧州のような共通の宗教、政治体制、価値観の共有があるわけでもなく、軍備も貧弱です。 

この間の中国の何かに憑かれたような軍事的進出の前に、海軍力どころか満足な沿岸警備艇すら足りないのが現状です。 

6a950ecd(写真 フィリピン海軍哨戒艇。日本野巡視船ていどの大きさの艦艇もない。アキノ大統領が来日した折りに、、日本に巡視船、哨戒機などの供与を要請していった)

これがネックで、現実のARFはNATOにはるか及ばないレベルで、一国ずつ個別撃破されるようにして、中国の露骨な膨張政策に浸食されていっています。 

本来、域内で中軸となるべき自由主義先進国は日本だけといっていい状況にもかかわらず、そのわが国もごの体たらくで、未だ「個別的自衛権か、集団的か、その線引きは」などという不毛な議論に止まっているような状況です。 

その本質的原因は、わが国の政治が米国のみとの安全保障にのみ足を取られて、「その先」に視線を伸ばしていないからです。 

ARF(名称は変わるでしょうが)が日本、オセアニア地域も含み、米国とリンクするNATOのような新たなアジアにおける包括的地域安全保障体制を構想すべき時期が始まっているのではないでしょうか。  

何も変えないことが平和なのではなく、どこをどのように変えたら、もっと侵し、侵されない地域平和体制が出来るのか、具体的に考えていくべき時です。

 

※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-e0a4.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-4732.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-7303.html  

 ※参考資料 「東アジアの安全保障と多国間協力」 参議院特別調査室松井一彦

« 小川和久参考人の証言 | トップページ | 安全保障についてリアルな議論をしませんか »

コメント

日本には大東亜共栄圏という前科というかトラウマがありますしね。アジア連合的なことを言い出すだけで、日帝だのファシストだのヒトラーだの言われますから。戦後○○年という元号を使ってる間は議論さえ難しいでしょう

中国やロシアまで行っては言いたい放題の元首相がかつて主張してたのが「東アジア共同体」構想。

あれを聞いた時は「ハアッ?それって大東亜共栄圏?」と。
なんなんでしょう。宇宙人の考えることまでは分かりません。

山形さん。私の言っているアジア集団安全保障体制と、バカバトの言う東アジア共同体とはまったく別次元のものです。一緒にしないで下さい。

そして前のコメントにあった「戦争のトラウマ」は、むしろわが国の内部問題です。
「元号が変わるまで」というのはなにが根拠ですか。

私のアジア集団安保体制のイメージは、まともに相手にされてもらえてないようですね。せめて真面目に考えて欲しかったんですが。

相手にしないのはいいのですが、いつまでも、一国と-米国の、ハブ&スポーク構造では続きませんよ。

管理人さん

私が感じている「事実」を申し上げているだけです。歯がゆいですよ、すごく。私5年くらい前には「日中同盟を主軸としたアジア連合」なんて構想練ってましたからね。今考えると色々アレなんですけどね、私も結構考えてる方だと思うので、議論にさえならないってのはね、ホントに……
さて、日中同盟とか妄言はさておき、現実的なのは反中国軍事同盟(包囲網でも可)でしょう。ベトナム・フィリピンは間違いなく賛同します。安倍首相のダイアモンド構想も現実味があるという点ではなかなかです。ただ、コストの問題は見逃せません。国土を踏みにじられるよりは安上がりでしょうが、それでも現実的なラインというのはあります。アキノ大統領などは勇み足で「自衛隊に基地提供も可能」などと言っていますが、内政問題を抜きにしてもコレ実現する可能性どれくらいあるのかなあ…って感じです。それともう一つ、近頃私が考えているのは自衛隊の軍備・装備についてです。自衛隊が装備・軍備の面で縛りを作ることで侵略を物理的に不可能としているのはよく知られていることですが、これは維持すべきか。例えば、強襲揚陸艦はアリなのか。空母はアリなのか。これには旧帝国時代を知ってるアメリカや東南アジア諸国も微妙な反応を示す気がします

教師志望さん

自衛隊装備についてですが、強襲揚陸艦(オスプレイも離着陸出来る)は既にあります。
しかし攻撃型の航空母艦や長距離爆撃機、大陸間弾道ミサイルなどは侵略兵器なので専守防衛面から今後も所有不可能だと思います。

多摩っこさん

存じています。少し前に話題になったいずもも強襲揚陸艦に転用できるでしょう。私は正直、強襲揚陸艦は持たないに越したことはないと思っています。やはり、侵略に用いることができる兵器というのは抵抗があるのです。しかし離島防衛というのを考えると、あると安心(必要不可欠かもしれない)なのもまた確かなのです。オスプレイも然り。核兵器もまた然り、です。「これは護衛艦だ」などといった日本人特有の言い換えではなく、明確な線引きをすべきです。攻撃兵器は金輪際持たないのか、侵略可能となっても攻撃兵器を持つこともやむなしとするのか。持つのならどこまでは許されるのか。戦略面も大事ですが、こういったこともまだまだ議論の余地があると思います。そういった意味で、日本は戦後から抜けなければならないと、そう思ってます

アジア集団安全保障体制、大変興味深く読ませて頂きました。
ただ心配なのはアジアにおいて日本は経済的にも軍備的にもずば抜けているために、安全保障体制においても重要な役割が求められ、西沙諸島や南沙諸島などの件でも知らんぷりは出来ず、下手をするとフィリピンやベトナムのために日本が中国と正面からぶつかるといった可能性もあるのでは、ということです。
もちろん、米国の後ろ盾が大きな抑止力にはなるとは思いますが。
これから国際社会の中で生き残っていくためには、そのようなことも必要なのかもしれませんが、現在の安保法案でさえあれだけ揉めている日本で理解が得られるのか疑問に思います。

教師志望さん。

マスコミで変な騒がれたいずも型はヘリ空母ね。いせ型も同じ。

強襲揚陸艦に当たるのは、おおすみ級輸送艦2隻ね。米軍との共同訓練でオスプレイの運用試験やってますし。エンジン排気処理のため面倒でしたが。

また、オスプレイを長距離ミサイルや核爆弾と同列に選択肢にしていること自体がどうにもナンセンスですよ。

教師志望さん

正式に軍隊を持てないため護衛艦とするわけで、これを変えるには9条を変えねば。

多目的に建造されている大型輸送艦もヘリコプター搭載護衛艦も強襲揚陸艦としての役割を担い離島防衛の要でしょうし、災害時には救援物資の輸送から被災者の収用などの救難前線基地となりますよね。
これも使い方によっては侵略兵器となるけど、専守防衛の観点からみれば侵略には用いないです。

核兵器は禁止されてますし、今後も所持すべきものじゃない。
クラスター弾や地雷も廃止、兵器所持の線引きは出来ていると思います。

情勢の変化から緊急事態に対し、迅速にどこまで対処して良いのか、その改正のための議論と決定が必要なんだろうと素人なりに考えます。

山形さん

転用できる、という話です。普遍性を持たせるために多少有名ないずもを例にあげました
それと、オスプレイの件は勘違いでした(攻撃兵器として運用可と思ってました)。紛らわしいことを言ってしまって申し訳ないです。ただ、攻撃兵器の所持は別途議論が必要だと思います。「強襲揚陸艦は大したことないからオッケー。核兵器はヤバいからダメー」で通してしまってよいものではないというのが私の意見です


多摩っこさん

だから憲法改正しろやと思うのですが、ここでは強く言いません。私が心配しているのは「専守防衛だから大丈夫!」はちょっと性善説に傾きすぎというか、希望的観測入ってないとは言えないと思うのですよ
一応念を押しておきますが、侵略兵器として使用可能なら断固ハンタイ!と言ってるわけではないのです。攻撃兵器となりうる兵器の所持は広く議論されるべきでしょ、と言ってるのです。何故なら、日本の国防は専守防衛が建前だからです。「専守防衛だから攻撃兵器も可。だって侵略はしないもん」は逆、屁理屈だと考えます
ましてや、「これ護衛艦だから!」なんて言語道断。安保法案ゼロリスク論と大差ありません。攻撃兵器を持つことで相手に攻撃の口実を与えるリスク、強襲揚陸艦なしで離島奪還を実行するリスク、両方を天秤にかけたあと「攻撃兵器としても運用できますから、国民の皆様もしっかり監視しておいてくださいね」と言った上で所持を決定してようやく80点くらいだと思います

教師志望さん。
細かい話になってしまいますが、「転用」など無理。艦の構造や用途が違いすぎます。
ヘリボーン位はできますが、ドック式揚陸輸送艦とヘリ空母は一見似ててもまるで異なります。例えばいずもから戦車の揚陸ってどうやったらできますか?
また世界標準からいずもを見るとヘリ空母ですが、日本の命名艦種に「空母」や「強襲揚陸艦」はありませんから、あくまでヘリ搭載護衛艦DDHと輸送艦です。
名前が言語道断だ!などと言われましても、詭弁でも何でもなくて世界的にも珍しくありませんし、時代によっても変わります。
イージス艦なんか、護衛艦(駆逐艦)ながら昔の巡洋艦サイズですし、
ソ連の例だと航空巡洋艦という空母でVTOLジェット機を運用していました。
冷戦当時の協定で、「空母」はボスポラス海峡を通過出来ないという項目があったからです。それこそ詭弁に聞こえるでしょうが、名称云々などでああだこうだ言うことに全く意味がありません。
当然性能と運用能力で話さないと、ただの言葉遊びになってしまい無駄。

山形さん

随分と詳しいのですね。私が聞いた話ではちょっと手を加えれば余裕とのことでしたので、そう思ってました。いずもに関しては山形さんの意見も参考に事実をよく確認したいと思います
ともあれ、世界標準から見ればヘリ空母なんでしょう?じゃあヘリ空母じゃないですか。日本で内輪もめするならいざ知らず、相手もいる安全保障で「日本では~」がどれくらい通用するでしょう。ヘリ空母とか強襲揚陸艦と名乗れと言ってるのではなく(無論名乗った方が良いとは思ってます)、そうとられても仕方ないけど、当然分かってやってるんだよね?専守防衛が原則なのに、攻撃兵器ととられても仕方ないものを、国民相手には護衛艦だって言い張って所持したんだよね?と、そこを私は危惧してるのです。原則から外れる行為をするなら原則を見直すことも含めて議論しろ、せめて国民くらいにはちゃんと理由と事実を伝えろ、防衛目的だからと十把一絡げにするな、これが私の主張です
性能については、十分侵略戦争に耐えうるものだと認識していますが、兵器等私より詳しそうな山形さんの見解は違うのですか?

教師志望さん。

だから、名称どうこうじゃないんだって。
外国の軍隊からも「戦力の内容と運用のドクトリン」で判断されてるから。まともな分析官さえいれば。
何の問題も無い。
紛らわしければ艦種増やしてもいいけど、米軍のように多種多様なものが大量に揃ってる訳ではないので、あまり意味もないでしょう。

国民に対しても、海外向けにも、有事の際の「離島奪還」と「災害派遣」
イージスは「弾道ミサイル防御」
これらは明確に説明されていますよ。
名前がどうこうで『攻撃兵器だ』もしくは『侵略目的だ』なんて言ってるのは、そういうイデオロギーが入ってる人達。もしくはただの無知。あとは中国・韓国がイチャモンつけてくるときだけ。

また、ヘリ搭載護衛艦とヘリ空母の差はどこでつけてるんですか?
まさか全通甲板があればなんでも空母だったりしますか?
ヘリ空母ってのはヘリコプターを同時に多く運用することを優先したためにあの形になっただけ。だから別にDDHでいいの。

「空母」という名前(それも名称の一部)に惑わされすぎです。

教師志望さん

屁理屈と言われちゃうとみも蓋もない。
兵器は概ね攻撃するものなので、他国侵略に使えるし自国が侵略された場合に敵の撃退にも使える、運用次第じゃないですかね。
日本の兵器保有を理由に攻撃されるというのは飛躍し過ぎかと思います。

私も専守防衛だから大丈夫とは思わない、逆に不安。
でも核は核だよ。


山形さんは揚陸艦とヘリ空母をきっちり線引きされて正しいです。
ただ私は兵員のヘリコプター輸送も揚陸艦機能の一つだととらえてます。(兵員と小さな物資しか運べませんけどね)
輸送艦とDDHを組み合わせると凄いなと勝手に妄想してます。

山形さん

だから、名称どうこうじゃないんですって
ヘリ空母でもDDHでもいいですよ。正直良くないと思ってますが、まあ些細な問題ですからいいですよ
では、そのDDHや強襲揚陸艦には攻撃兵器だと言われたらちゃんと反論できる材料があるのですね?防衛目的で運用してますからと言って国際社会では通るのですね?中国あたりがいちゃもん付けてきても、毅然と反論してそれを他国に認めさせるだけの論拠があって所持してるのですね?
意地悪で言ってるのではなく、純粋にそれが私の危惧なのです。もし断言できるのなら、少なくともここではこれ以上言いません。回答いただければ幸いです

あの、教師志望さんねえ、えらく粘着質なようだけど

明確な論拠?あるわけ無いでしょう。兵器が攻撃的か防御的かなんて能力と使い方次第なんですから。
それを言ったら、自衛隊全否定になります。
それどころか警察の銃器所持も猟銃も人殺しの道具になるからダメ・・家庭のナタや包丁もダメと突き詰めるほどにキリが無くなります。

中国あたりがいちゃもんをつけてきたらですか。
いちゃもんならまともに相手にする必要も無いでしょう。それより中国海軍の急激な肥大化が脅威になってきているから、わざわざ高いカネ出して最低限の装備を調達しているだけです。

まあ、いずもやおおすみクラスとは言っても何十隻もあるわけでも無いんだから同時に展開できる物量なんてたかが知れています。またフネがあっても搭載品が無ければただの箱。それで集団安全保障というわけなんですが・・。これは、こちらから勝手に先制攻撃なんてできないようにするものでもあります。
国際社会で通るのかどうか。わからない国の政治家には分からないでしょう。国内での福島瑞穂や辻本清美みたいなもんです。
だいたい軍事なんてのは外交ありきでその延長にあるものですから、どんなものを持っていたとしてもそれを「攻撃的に」使用するなんて事態は、よほどの国家の危機でしょうね。

しかし、なぜか自衛隊にばかり「明確な論拠」とやらを求めるって時点で、だいたいどんな思考の方かは分かりました。それこそ国際社会とやらが見えていないようですね。残念。

あの~、記事内容から大きくはずれた議論は別な所でお願いします。ここは掲示板ではありません。
もういいかげん終わりにしてください。
私の意見は日曜雑感に書きます。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 小川和久参考人の証言 | トップページ | 安全保障についてリアルな議論をしませんか »