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2015年8月17日 (月)

安倍談話 そのしたかたかな現実主義

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今回の安倍談話は、ひとつの歴史の大きな区切りとなることでしょう。
 

それは談話中段の、このフレーズに要約されています。
平成27年8月14日 内閣総理大臣談話 - 首相官邸

http://matome.naver.jp/odai/2143956104644333801

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」
 

安倍談話の、「その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という言葉こそが、この談話のほんとうの主題のひとつです。 

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そして、今後我が国がなすべきことは国際秩序の維持」なのだとしています。 

「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」 

これは村山談話と比較するとよくわかるはずです。村山談話はこう述べています。
村山総理大臣談話
 

「平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。
とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。

 ここで村山氏は「過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えて」いくことが、戦争の反省なのだと言っています。

もちろん言うまでもありませんが ただ「語り継ぐ」のではなく、日教組の「平和教育」に典型なように「謝罪のために語り継ぐ」のです。

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(写真 修学旅行において教師の命令で、土下座させられる日本人高校生たち)

そして具体的には、「近隣諸国の人々と手を携えて」「深い理解と信頼に基づいた関係を培っていくことが不可欠」だとしています。 

つまり、村山談話は日本人に、「近隣国」、すなわち中国と韓国に対して謝罪をし続け、中韓二国との「深い理解と信頼」関係を構築することこそが、国の責務だとしたわけです。 

そして、これには終わりというものがなく、この二国が納得するまで謝罪し続けるのですから、常に劣位でなければなりません。

なにをされても、どんなに領土を犯されても、騙されても、金をせびり取られても、無抵抗でいろ、それが韓国の表現に従えば「戦犯国」なのだというわけです。 

かくして日本には、下の写真のような、「究極の謝罪外交」をするバカが現れたりするわけです。

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(写真 土下座バト。このまま上から石膏をかけて石膏像にしてほしかった)

これが村山政権後にも、政府を拘束し続けたいわゆる<謝罪外交>です。 

<謝罪外交>には三つの柱がありました。 

ひとつは、未来永劫に渡って中韓に「戦争と侵略、植民地支配の罪」を詫び続け、それを中韓の永遠の外交カードとすること。 

二番目には、この「罪」を贖うために、これまた未来永劫に渡って中韓の意志に背かず、この二国と「深い理解と信頼関係」を構築すること。 

三番目に、中国と敵対する可能性のある米国との軍事同盟を、空洞化していくこと。Pepper42結果、どうなったのでしょうか? 

この中国こそがまがうことなく、南シナ海の航行の安全を阻害し、要塞化に突き進んで自らこそが平和の敵対者そのものになってしまっています。

また韓国は、いまや中国の冊封国に復帰しようとしています。 

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このアジアの現実の姿を見て、日本国民の多くにこう考える者が増えてきました。 

・・・もういいかげんにしないか、侵略の罪を詫びるだけで今の緊張するアジア情勢が改善されるのか、いや逆にその原因となっている中国の利益になってしまっていはしまいか・・・ 

こういう素朴な疑問は、すでに村山談話の方針であった<謝罪外交>が終焉すべき時に至ったことを教えています。 

このような中韓への謝罪疲れの気分と、かといって国際社会の秩序維持のための負担を恐れるアンビバレンツな気分との間で、日本国民は揺れてきました。 

それが、この間の国民に蔓延する、安保法制に対して「議論され尽くしていない」といういわばペンディング状態をよしとする空気でした。 

・・・必要なんだろうがよく分からない。理解したくても政府の説明が悪い。今決めなきゃいけないことなのか。野党とマスコミがいうように改憲すると戦争になるんじゃないか・・・

これが最大公約数の国民の気持ちであったでしょう。 

この国民の多くが、このようなもやもやした割り切れないアンビバレンツな気分でいることを、安倍氏は読んでいました。 

実はこの安保法制の準備とほぼ同時期に、安倍氏はこの70年談話の準備を初めています。 

安倍氏が、マスコミや野党が言うような単純な「右翼政治家」だったのならば、小泉郵政解散のような正面突破で「戦後レジュームの転換」を訴えたでてしょう。 

しかし、「右翼政治家」である以前に、いみじくもキャロライン・ケネディ大使がオバマに言ったとされるように、「アベはライトの歴史修正主義者であるより、リアリスト」なのです。 

安倍氏がとったのは、いくつもの観測気球を上げることでした。

「謝罪」「侵略」「植民地支配」「おわび」という村山談話の核心を表現として取り入れるかどうか、瀬踏みしました。

予想どおり、マスコミはこの<謝罪外交>4点セットこそが、70年談話の核心だとミスリードしてしまいました。

これは、演説当日のTBSとNHKが点取り表のようなものを画面脇に出したことでも分かります。馬鹿丸出しです。少しは恥じなさい。

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こんな簡単なトラップを反安倍陣営が敷いたために、さぞかし安倍氏は仕事がしやすくなったことでしょう(苦笑)。

要は、その言葉を使って、その意味を転換すればいいだけですから。談話はセンター試験の小論文かって(爆)。

まさにどこかのリベラル論者が歯ぎしりせんばかりに言っていたとおり、安倍氏は村山談話を継承するといいながら、見事に換骨奪胎してしまったのです。

それはさておき、談話の内容について官邸がまだ決めていないという情報を、マスコミにリークし続けました。

これは去年の増税回避の時に安倍氏が使ったと同じ政治手法です。当時、最後の最後まで味方の自民党の幹部でさえ、首相の胸中を読み間違えていたのです。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-db86.html

これは想像以上に難しいことだったと思います。

自民党には20年前の社会党出身の総理が敷いた<謝罪外交>を現場で担ってきた議員がベテラン層を中心に多く存在し、引退組に至っては当の村山談話を作った政治家たち揃いだからです。

彼らの眼には、自分たちの敷いた路線に対する全否定と写ったことでしょうし、幹事長経験者の3人などは積極的に「赤旗」の一面に登場したほどです。

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また一方で、党内外には、安倍氏がもっとも苦しかった雌伏期を支えた保守層が多数いました。彼らが鉄板の安倍支持層でした。

こういう状況の中で、安倍氏が迫られたのはこのようなことです。

ひとつには、政府の外交政策の一貫性を担保する上での、村山談話の継承です。

まともな政権であればあるほど、翁長知事がやっているような前知事を全面否定するような「革命外交」はできなかったことでしょう。

いかに意に染まなくとも、政府としては継承せねば国際社会の信頼を失います。

「そうか、あの国はコロコロ言うことを変えて平気な国なのだな。では今まで謝ってみせたのは嘘か」と思われて、相手にされなくなります。

次に、今、審議されている安保法制に現れるような、より深く国際秩序の維持・安定に尽力していくことを明確にせねばなりません。

これは、過去に対する謝罪などには本来関心がない米国にとって、しっかりとしたメッセージを送る現実的必要性があったからです。

英訳を読めば分かりますが、この談話の中で「国際秩序維持に対する貢献」については、読み間違えようもなく明確な意思表示をしています。

米国、豪州、アジア諸国、欧州各国が相次いで支持を表明したのは当然のことです。

村山談話を形だけ継承しつつ、それを換骨奪胎して、過去からの訣別と国際秩序維持への貢献を謳うために安倍氏がとった方法は有識者懇談会を作ったことです。

そしてそこに保守リベラル的立場の人を送り込むことで、識者らの意見を取り入れるという体裁を作り、左右両翼の意見をカットしてしまいました。

同時期に安倍氏が作った安保法制有識者懇談会の座長代理に北岡伸一氏を据えた時点で、マスコミが首相の意図を見抜けなかったのですから、眼は節穴です。

今回の談話には、北岡氏の保守リベラルの歴史観が強く反映されています。

本気で安倍氏が自分の思想を反映したかったら、桜井よし子氏か青山繁春氏などを据えますって。それをしないのが、安倍氏のリアリストたるゆえんです。

したがって、まず「大東亜戦争はアジア民族の解放だった」という保守の大東亜戦争肯定論は最小限に抑えられ、逆に永遠に中韓に謝罪しつづけよ、中国にどこまでもついていきます、日本なんか大嫌い、という左翼の意見も同時にカットされました。

このような配慮を施したために生じる最大公約数的イメージを払拭するために、安倍氏か言いたかったことは明確に盛り込まれています。

長くなりましたので、これについては明日に回します。

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コメント

Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150817-00000015-mai-n_ame
この記事とおなじような内容で、中央日報日本語版も報じております。どちらの安倍首相の謝罪の言葉がないことを批判しています。つくづくいつまで続く謝罪地獄ですね。下々の自分が推し量るのは不敬ですが、陛下のお言葉は、今までの日本政府の談話をそのまま踏襲しただけではないでしょうか?文章を作成する役人が、今までの日本政府の談話をもとに、お言葉として「反省」の言葉を入れただけで、首相と対照的になるのは至極当然なことではないかと思います。来年のお言葉がどうなるか?そこが重要な気がします。

一宮崎人さん。基本的には私も同感です。ただ、陛下のお言葉は、原則として政府が作ります。それが立憲君主制の基本です。
ですから、政府の談話と乖離があるはずがありません。

今回もまた、安倍談話にやり込められたかっこうになったヒダリの皆さんが、苦し紛れに言い出した「違い」を、例によって韓国マスコミが有り難く使用しているものと見えます。

ヒダリや韓国のこのようなことに対して陛下を引っ張りだす神経がわかりません。
逆をやれば、大騒ぎするくせに、自分の都合で陛下のお言葉を勝手に解釈して政治利用するという態度は、毎度のことですが頂けません。

一宮崎人さんの引用記事(毎日)では、「日本の指導者、第二次大戦で謝罪に至らず」(ワシントン・ポスト紙)となっていますが、JB pressの宮家邦彦さんの記事で紹介されていたワシントン・ポスト紙の社説とは随分印象が違いますね。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44547?page=3

引用する人の主観によってフィルターがかかってしまうんでしょうね。
だからこそ原文で読もうと思うのですが、ついつい面倒くさくて・・・

過去の談話を踏襲するなら新たな談話は不要と思ってましたが、子孫に背負わせてはならないという言葉に良い意味で裏切られました。
内閣の支持率も少し回復したとかしないとか。


中国や韓国は「謝罪する」習慣がないくせに日本にだけは謝罪を要求します、謝罪されたら相手を許すこともないのが中華思想。
謝罪=非を認める・責任を負う、そんな相手には当然に色んな要求が出来る文化。

時は経ちましたが福沢諭吉の脱亜論が今でも当てはまると感心する私は変でしょうか

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