安倍談話 国際秩序の挑戦者から守護者へ転換した日本にとって「大東亜共栄圏」は不要だ
当初、安倍氏は70年談話に消極的でした。むしろやりたくはなかったでしょうね。そりゃ理由はハッキリしていますって。
まず、去年の段階ですでに、政治日程として70年談話と安保法制が並行してしまうことが分かっていました。
そうでなくてもこの安保法制は、日米同盟の穴を埋める応急処置でありながら、戦後の安保法制を根本から変える要素を持っていたからです。
お分かりのように、集団的自衛権に一歩踏み込み、もうこのあとは改憲そのものしかない改釈憲法ができるギリギリの地点に到達したわけですから。
こういう時に、中韓2国、そして旧連合国、そして国内世論といったすべてを満足させる解など、簡単に出るはずがありません。
それを見越して、日本のマスコミが「お詫び・反省・植民地支配・侵略」の4点セットを入れるか、入れないかという勝手なお題を作ってしまいました。
(写真 桃太郎旗まで作って待っていた報ステ。報ステは中韓が激怒し、米国が「失望」を表明することを心から願っていたであろう)
この談話を作るに当たって安倍氏がいちばん配慮したのは、たぶん中国でしょう。
彼をただの右翼と思っている方には意外かも知れませんが、安倍氏は日米同盟と豪州、東南アジア諸国との連携を深めてゆるやかな包囲網を作りながら、一方で外交的に中国を抑えていかねばならないと思っています。
かつて民主党・野田政権が作った外交的緊張関係は、そのためにも一日も早く解決されるべきなのです。
今の日中関係を硬直化させたのはあんたらの時代なんだよ。忘れちゃったかな、副総理だった岡田さん。
それはさておき、一方中国は経済の落ち込みを背景にして、談話の内容次第で、外交関係の雪解けを考えてもいいというシグナルを送り始めていました。
安倍氏は中国に対してこう述べています。
「戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います」
戦後の大陸からの大量引き上げと、残留孤児の帰還という難事を日中協力でなし遂げたという心温まる話で、中国に感謝を捧げています。
そしてそれが、中国や連合国の人々にとって、「どれほどの葛藤」を伴うことだったのかに思いを馳せています。
うまいですね。いい意味で巧みです。お気づきになったでしょうか。これはドイツがよく使うレトリックなのです。
無味乾燥な謝罪を念仏のように繰り返すより、戦後にこれほどひどいことをした自分の国を温かく迎え入れてくれてありがとうという、寛容に対する感謝の言葉に託すほうが、相手国の人々の心の深い部分に触れるものです。
そして結果は、毎日新聞が昨日報じたように、9月3日の軍事パレードは欠席し、その午後に訪中する可能性が高いようです。
※http://news.yahoo.co.jp/pickup/6171116
つまり朝日の期待を裏切って、中国までも安倍談話を呑んでしまったことになります。
中国が呑めば、韓国は半ベソをかきながら、自動的に対日融和コースに入るしか選択肢がありません。お気の毒様です(笑)。
このように70年談話は、ただ謝っておけば済むいう気楽なものではなく、次の3ツのことに同時に答えねばならなかったわけです。
ひとつは大戦の総括、ふたつめは安保法制、そして三つ目がこの対中外交です。この三つの相互に矛盾する方程式の解が、この談話でした。
この談話で安倍氏の国内向けのメッセージが、「子供たちの世代に謝罪を背負わせない」ことだとすれば、国際社会に対してのメッセージは締めくくりに置いたこのパラグラフです。
これは談話での決意表明の部分に相当します。
「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」
この締めくくり部分は、前段にある歴史総括にあたるこの部分と照応しています。
「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました」
ここで安倍氏が言う、「経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去」というのは、当時の世界を覆ったブロック経済化と、日本も遅れて乗り出した「大東亜共栄圏」を指します。
そして、満州事変や国際秩序の仕組みだった国際連盟からの脱退が、「国際秩序への挑戦者」に日本をさせていったのだと述べています。
(写真 リットン調査団。この報告書は必ずしも日本に否定的ではなかった。したがって国際連盟も脱退する必要などなかった)
日本が、「国際社会の秩序を武力によって変更しようとする」という致命的誤りを犯したと言っているわけです。
「お詫び」という言葉こそ使われていませんが、「国際協調からの脱落」こそが戦争の原因だと、安倍談話は総括しているわけです。ここが談話の肝となる反省部分です。
この表現に見覚えがありませんか。そうです、まさしくこの言葉こそ、今、国際社会が露のウクライナ問題や、中国の南シナ海での軍事膨張に対して国際社会がつきつけているルールブックの言葉なのです。
国際社会は「国境線の武力による変更」、あるいは「航海の自由原則に対する挑戦」をさせないために、戦後、NATOのような集団安全保障体制を作りました。
集団安保体制とは、加盟国一国に対する攻撃は加盟国すべてに対する攻撃として受け止めて共同で防衛し、逆に加盟国の侵略もまた、他の加盟国によって共同で制裁を受けるという仕組みです。
このようにもはや戦争は、一国の意志では不可能な時代になっているのです。ただし中露二国を除いては。
アジアでは冷戦が長引いたために、この集団安全保障体制がありませんでした。そのために、米国を軸として各国が相互に安全保障条約を結ぶ「ハブ&スポーク」が生れました。
これはハブの米国が揺らげば、地域の安全保障がとたんに揺らぐという欠陥を持っていました。
オバマのような弱腰の人物が大統領にすわれは、たちどころにNATOがないアジアにおいては、一党独裁の巨大国家の中国が太平洋を二分割しようと言い出し、南シナ海を内海にしようとし始めるわけです。
(写真 南シナ海の中国が強行する埋め立て基地。「大東亜戦争の大義」を肯定すると、今の中国の行動を批判できなくなる)
これを食い止められる国は、頼りないと言っても世界においては米国しか存在せず、アジアにおいては日本しかないのが現実なのです。
安倍談話では、自らの過去の侵略を「国際秩序に対する挑戦」として「お詫び」すると同時に、返す刀で中国もかつての日本と同じ轍を踏むなと警告しているわけです。
我が国が取るべき道は限られています。それは国際社会と協力して、中国に昭和期の日本のように世界を戦争に引きづりこむとをさせないことです。
そのためには国際社会の協調が必須です。かつての日本と違って現在の我が国は、国際秩序を積極的に支えていく重要な役割を果たすようになってきます。
大東亜共栄圏や八紘一宇などという前世紀の亡霊が出てくる余地は、いまやどこにもないのです。
仮にこれを「大義」として肯定した場合、中国の今やっている「国境線の武力による変更」という悪行を批判する根拠がなくなります。
それこそが、安倍氏が自らの支持層の人たちの歴史認識である「植民地解放の大義」という部分を、あえて談話から外した真の理由なのではないでしょうか。
このようにして安倍氏は、70年談話をただの「反省と謝罪」に止まらせずに、安保法制の説明に転化してしまっというわけです。
いまだ日本のなかには、「安倍は大東亜共栄圏の復活をもくろんでいるのではないか」という心配もあるようですが、真逆の道を進むことを宣言したのが、この安倍談話なのです。
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中国残留孤児。ニュースで聞いて、何百人も再会できて良かったねと子供心に思ったものです。
何年も続くにつれて再会家族は少なくなり、おいおいどうなのよ、と疑問を持つようにもなりました。そういう年頃でした。
裏では色々あったのでしょうが。
細かいことは置いておいて、感謝という体裁で政治利用する強かさには脱帽します。
投稿: プー | 2015年8月19日 (水) 10時26分
東北からは沢山の移民が満州に渡りましたから、命からがら帰ってきた方々が多いです。「オレもそうなってたかも知れなかった」とか、そんな話をよく聞いて育ち、
また、80年代になってようやく帰国した残留孤児には地元に馴染めず孤立(実家が死滅)したり、コミュニティーに入れず日本語も勉強せず経済的に困窮したりで更に孤立なんて人々がいます。彼らももういい歳なわけですが、ようやく「協同墓地」建設の動きが出てきたりしているところです(いわゆる人権派弁護士さんが頑張ってますが、予算不足で難航)。
意味はあったけど遅すぎたんですよ。
同情とかではなく、国際社会の現実の残酷さです。
ちなみに『八絋一宇』
この言葉の意味をちゃんと理解している方はどのくらいいるのでしょう?
由来は古代中国ですね。昭和初期になってから「国政を誤った」いわゆる軍国主義のスローガンとして使われだしましたが、本来の意味や歴史的流れを考えずに批判するサヨクさん達の神経が分かりません。
この言葉を正式に使ったのは、近衛文麿内閣ですね。
投稿: 山形 | 2015年8月19日 (水) 13時21分
素晴らしい、説明文でした
投稿: | 2015年8月20日 (木) 21時07分
寛容な振る舞いをありがとうと感謝を述べる相手を拒絶すると、非寛容だという表明になってしまう。
それは赦しを尊ぶキリスト教社会ではとても格好悪い行為にて内実はどうあれ握手が一旦できますね。
管理人さんのおっしゃること、よく理解できます。今回の談話やここ一年間の安倍スピーチは聖書の文化圏にある人々に理解しやすい構成が徹底されていると思います。戦前のスローガンとはそういう意味で逆方向を向いてくれています。
あとは絶対に気安く本音を漏らすような言葉、相手が誤解する可能性がありその源が文化の違いであるような言葉を吐かない事です。
個別に部分的にしかこの西洋式の握手は有効じゃないので握った数が増える程関係は複雑になり気安い相手で無くなる手法です。
しかし、左巻きな人達はこの管理人さんの丁寧な注釈を読んでもまったく理解できないんだろうなあと、記事にうなづきつつ情けなくなりました。
投稿: ふゆみ | 2015年8月20日 (木) 21時40分
メデイアは最近二つのほぼ捏造記事をでっち上げた。
一つは、首相の訪中の件、もう一つは吐血?、喀血の件??
「国際協調からの脱落」 という語句が、国際社会のキーワードと
ブログ主は申しています。世界平和の混乱、騒擾も秩序破壊に動く、
国連常任理事国ロシアと中国と指摘している訳です。
戦後70年の安倍談話を見事に説明している筆者に敬意を贈ります。
投稿: hinokawaz | 2015年8月23日 (日) 10時02分
マスゴミの垂れ流し毒電波の咀嚼としてはよろしくご検討されているようですが、痔眠と電通が泣いて喜ぶ脱糞噴飯もののご見解でありますな。
支那と米が協調してのマッチポンプ緊張演出に踊らさらて、産経の偽情報によだれ垂らす白痴の群、自らを保守愛国と誤認する無知蒙昧の売国奴どもは速やかに割腹するべきでありますが、貴方もそのワンオブゼムなのでありましょうか。
さて、CIAとCSISに、笹川グループ、清和会、維新の会、松下政経塾。宗主国諜報機関とその走狗にすぎません。対立グループが同じスポンサーの配下。これ英米伝統の、両建て分割統治手法そのものであります。アヘも所詮はAKB並みの使い捨ての捨て駒。アヘのおかげで日本独立はまた100年は遠くなったのであります。お暇なようなので死ぬ気で調査研究なさいなさい。英字の文献、報道を自ら漁るだけでも開眼なさるでしょう。
投稿: | 2015年9月20日 (日) 15時18分